堕ちた勇者は彼の地にて   作:胸焼け

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・第十四話最後の石像の説明を修正しました。



第16話 槍と少女

 ――ドラブナの森。

 

 夜闇に紛れ、深き森の中を歩む複数の影。

 その正体は、神殿からの命を受けてこの地に派遣されたセリカ一行である。

 

「森中に瘴気が蔓延している……一体此処で何が起きたと言うんだ……?」

 

 先頭を歩くセリカが周囲を見渡しながら呟いた。

 この森はすぐ近くの村で封じられている“槍”の影響下にあり、本来ならば清浄な空気で満たされている筈。

 だが、今の森は息の詰まる様な黒い瘴気が溢れ、森の奥からは腐臭の混ざった生温い風が流れていた。其処に、以前の美しい森の面影は無い。

 

「不死者の数が多すぎるわ。明らかに異常よ、これは……」

 

 変わり果てた森の姿に、セリカに同行していたカヤの表情が険しくなる。

 カヤの言葉に同意する様にセリカが頷き、隣を歩いていたサティアが慎重に口を開く。 

 

「森の奥から邪悪な気配を感じる……恐らく、この気配の主が魔を呼び寄せているのね」

「サティア、あまり無理はしないでくれよ」

「私なら大丈夫。だって、貴方が私達を守ってくれているもの」

 

 不安そうに話し掛けるセリカに優しく微笑むサティア。二人の後ろを歩いていたカヤは、彼等のやり取りをジト目で見詰めていた。

 

「セリカったら、ちょっとサティアを贔屓し過ぎじゃない? アタシの存在を忘れてるんじゃないでしょうね」

「まぁそう気を荒立てるでない。番になったばかりの雄は皆、あんなものだ」

「別にアタシは怒ってなんかないわよ。というか、それよりも……」

 

 背後からの自分を宥める声に不満気に答えたカヤは、足を止めて後ろを振り返る。

 其処には、いかにも面白そうにセリカ達を眺める紅髪赤眼の美女が一人。

 

「何でアナタが此処に居るのかしら? ねぇ、クルージェさん?」

「フッ……三日後の早朝にそなたらが出立すると、とある筋から情報提供があったのじゃ」

「へえぇー、そう。一体、何処の馬鹿が漏らしたのかしらねぇ?」

 

 丁寧な口調で尋ねたカヤにクルージェが意味深な笑みを浮かべる。豊満な胸を張って得意気に答えたクルージェを見てにっこりと笑うカヤ。その額には青筋が浮かんでいた。

 

 ……マクルの市場で別れてから数日。

 セリカとカヤの二人は神殿から与えられた任務を果たす為、マクルの街から北東にある小さな村へと赴いていた。

 ドラブナと呼ばれるその村には魔除けの槍が封じられており、定期的に神殿から神官が派遣され、封印の強化を行っているという。周辺の部族を牽制する要の地としての側面を持っている事から、村には神殿の中でも一流の騎士が常駐し、警備の任に就いている。

 

 そして今回、二人が与えられた任務とは、近々封印の強化を行う予定のドラブナ村を訪問し、村の様子を確認するという簡単な内容……の筈だった。

 

「やれやれ、何が部外者には口外出来ぬじゃ。サティアも一緒に居るではないか。我を欺くとは、悲しいのう」

「うっ……嘘じゃないわよ! 彼女は知識の神ナーサティアの信徒で身を守る術を持っているから、特別に同行を許可して戴いたのよ!」 

 

 わざとらしく泣き真似をするクルージェにカヤが声を大きくして弁明していた時、ガサリ……と彼女の近くで草木が揺れた。

 

「ッ!? 危ない、下がって!」

「――クカカカ!!」

 

 異変に気付いたカヤが持っていた杖を振り翳した、次の瞬間。

 暗闇の中から三体の骸骨が飛び出し、錆びついた剣を振り回しながら一行に襲い掛かった。単純な思考しか出来ない魔物達が狙いを定めたのは、最も近くに居た人間――つまり、目の前で杖を構えるカヤだ。

 

「幾重もの阻みも光の礫の前に開かれん! 嵐の神、バリハルトの――!?」

 

 正面から襲い掛かる魔物達に向け、迎撃の魔術を発動しようとしていたカヤの詠唱が急に止まる。

 驚きで目を見開いた彼女の眼前に広がるのは、猛々しく燃え盛る巨大な火柱。冷たい闇を追い払いながら、紅蓮の大蛇が魔物達を丸呑みにする光景に、カヤだけでなくこの場に居た全員が圧倒されていた。

 

「偶然じゃのう。身を守る術なら、我も持ち合わせておるぞ?」

 

 魔物を喰らった大蛇は空へと昇り、一瞬だけ夜空に夕焼けを創り出した後に儚く消えていった。

 ぽかんと口を開いてその一部始終を見詰めていたカヤは、クルージェの何気ない言葉にハッと我に返る。

 

「……アンタ、意外と強いのね」

「そなたは我をどんな目で見ていたのだ。まぁ良い、我が居合わせた幸運に感謝せい。勿論バリハルトでなく、この我にな」

 

 人差し指に灯っていた火をフッと吹き消し、クルージェはカヤ達に不敵な笑みを向ける。先程まで不満を口にしていたカヤも、今の光景を見せられた後では、文句など言えよう筈も無い。渋々といった様子でクルージェの同行を認め、不気味な瘴気が渦巻く森の中へと再び歩き始めた。

 

「それにしても、この森は随分と魔の気配が濃いのう。普段からこんな感じなのか?」

「いいえ、それは違うわ」 

 

 絶え間なく襲い掛かる亡者の群れを淡々と焼き払いながら、ぽつりとクルージェが呟く。

 その呟きが聞こえたのか、同じく神聖魔法で敵を浄化していたカヤが探索の足を止めないまま否定の言葉を返す。

 

「以前来た時はこうじゃなかった。澄んだ空気に綺麗な水の流れる、美しい森だったわ」

「この有様では、とても信じられぬのう」

「アタシだって信じられないわよ。この森の状況も、村のあの惨状も……!」

 

 クルージェと話している内に、段々とカヤの言葉に力がこもっていく。

 思い出すのはこの森に踏み入る直前の事。最初に村を訪れた際に目にした惨状が頭から離れないのだ。

 村を覆う柵は破れ、家屋は倒壊し、その影で横たわる村人と魔物が入り乱れた死体の山。死体はどれも損傷が激しく、村人の顔はそれが誰であるか区別が出来ないぐらい、無残に潰れていた。まるで人間も魔物も区別なく互いに殺し合った様な、凄惨な光景が其処にあった。

 

「死体の中に鎧姿の男はいなかった。騎士グラウコは、この森の何処かに居る筈よ」

 

 村に安置されていた槍は、村の何処にも見当たらなかった。

 姿の見えない騎士グラウコが持ち出したのか、それとも魔物が奪い去ったのか。この非常事態にマクルからの応援を待とうとも考えたカヤだが、その間に事態が悪化する事を懸念し、自分達だけで森の調査に乗り出したのである。

 そうして森の入口まで来たところで、何故かクルージェがカヤ達の後ろからひょっこりと現れたのだ。

 

「姉さん、少し休もうか?」

「心配要らないわ。ほら、私よりもサティアの傍にいてあげなさい」

 

 冷や汗を拭い、気丈に振る舞うカヤを気遣ってセリカが横に並ぶ。

 しかし、カヤはそんなセリカに心配は無用だと笑い掛け、尚も離れようとしないセリカの背中を強引に押しやった。

 

「良いのかカヤ? 強がってはいるが、本当は結構辛いのじゃろう」

「大丈夫よこれくらい。あの子はちょっと優し過ぎるのよ」

「ふむ……言われてみれば、あ奴の剣にはあまり殺気が感じられぬ。それに逃げた魔物には絶対に手を出していなかったのう」

 

 サティアの隣を歩くセリカの背を優しく見守るカヤの言葉に、思い当たる節があるのかクルージェが頷き同意する。

 いつの間にか魔物の襲撃も止み、静まり返った夜道には先を急ぐ一行の足音だけが響いていた。

 

「……ねぇ、クルージェ」

「何じゃ?」 

 

 沈黙を破り、唐突にカヤが口を開く。

 前を歩くセリカ達二人には聞こえないよう、小声で隣のクルージェに耳打ちする。

 

「アンタの仲間の……オルステッドだっけ? 彼とはその、どういう関係なの?」

「あ奴との関係じゃと? うーむ……」

 

 若い女性故に、色恋沙汰には興味津々なのだろう。声を潜めてはいるが、そわそわと忙しない雰囲気で問い掛けるカヤに、クルージェが腕を組んで唸る。

 

「何と言えばいいか、難しいのう」

「やっぱりあれなの? 所謂、男女の関係みたいな。睡魔のアンタならどんな男もイチコロでしょ」

「……それが、そうでもないんじゃ」

 

 大きく溜息を吐いて、クルージェは首を振る。

 睡魔族とは、人間や亜人族の男の精を糧に生きる種族。蠱惑的な女の魅力で若い男を誘い、甘い夢を見せて相手の精を奪うのだ。男を魅了する為に睡魔族は皆が皆、人間離れした美貌を持っており、中でも上級睡魔であるクルージェは絶世の美女と言うに相応しい魅力の持ち主である。その気になれば街角をフラッと歩くだけで、街中の男共を根こそぎ釣り上げる事も出来るのだが…… 

 

「あ奴は、オルステッドだけは我の魅了が効かないのじゃ。厳格な神官も、俗世を捨てた聖騎士をも虜にした我の魅了がじゃぞ?」

「へぇー……? その人は余程意思が強いのね。もしかして、故郷に恋人でもいたりして」

「うむ。あ奴の過去については我は存じぬが……そうじゃのう、恐らくは……」

 

 どこか遠い目で何かを考え込むクルージェ。だが、数秒後にはパッと表情を元の明るいものに戻し、「じゃがっ!」と強い声を出してカヤに視線を向ける。

 

「簡単に手に入らないからこそ、燃えるというもの。フフフ、まるで初恋に舞い上がる生娘の様な気分じゃ」

「でも、もしそれが叶わない恋だったら――」

「だとしてもじゃ。最初から諦めてどうする? 手元に僅かな可能性の種があるのなら、それが芽吹くか試してみるべきではないか?」

「……そう、かもね。……羨ましいわ、強いアンタが……」

「む、どういう意味じゃ?」

 

 自信満々に言い切ったクルージェを見て、カヤは乾いた笑みを浮かべる。

 何処か寂しく笑う彼女の姿に、クルージェはどうしたのかと訝し気に彼女の顔を見詰めた。彼女の視線を辿り、その先がセリカ達に向けられている事に気付くと同時に、彼女の漏らした言葉の真意を悟る。 

 

「よもや、そなたは……」

「――姉さん!」

 

 クルージェの声を遮り、緊迫した様子のセリカが彼女等に何事かを叫ぶ。

 セリカが指を差した方向を二人が見ると、鬱蒼とした森の中に開けた空間があるのが分かった。湿った黒い土の広がるその空間の奥には、一振りの剣が地面に深々と刺さっている。剣に近付いたセリカ達は、注意深くそれを観察した。 

 

「刀身に何か刻まれている。サティア、分かるか?」

「これは……簡易的な結界を張る呪印ね」

 

 セリカからの問いに、サティアが即座に答える。

 血糊のこびり付いた刀身に刻まれた呪印は、この先の沼に繋がっている道を塞ぐ結界を維持する役割を担っている様だ。

 しかし、剣に宿っていた魔力は既に枯渇した後で、魔力の供給の途絶えた結界は人知れず消え失せていた。

 

「この紋様は、バリハルトの……! 騎士グラウコの剣に間違いないわ!」

 

 一緒に剣を観察していたカヤは確信した。命辛々、騎士グラウコは此処まで辿り着き、そしてこの奥に何かを封じ込んだのだろう。それこそが、村に惨劇を起こした元凶に違いないと。彼女の推測を裏付けるかの様に、結界の途絶えた道の奥からは邪悪な気配が強く感じられた。

 セリカはその気配に息を呑み、サティアが表情を険しくする。一行は湖に乗り込む前に戦いの準備を整え、覚悟を決めて一歩を踏み出した。

 

「気を付けて、相手はバリハルト神殿の精鋭でも倒し切れない実力者。油断は出来ないわ」

「ああ、分かってる。サティア、戦闘が始まったら俺の後ろに隠れて支援に徹してくれ」

「任せて。クルージェさんは……」

「気にするでない。我は我で適当にやらせてもらおう」

 

 皆が緊張に身を固くする中、一人だけ能天気に笑うクルージェ。

 余裕に満ちたその姿にセリカとサティアは苦笑し、カヤが呆れて溜息を吐く。

 

 心強い助っ人が後ろに控えている安心感に一行の空気が少しだけ緩まった、その時――

 

「――ねぇ、貴方たちは誰?」

 

 暗闇の向こうから、か細い少女の声が聞こえた。

 その声を聞いたセリカは、村の生き残りがまだいた事に安堵の息を吐く。

 

「俺たちはマクルのバリハルト神殿から来た者だ。君たちを助けに来た。生き残った村人は何処に居るんだ? 姿を見せてくれ」

「生き……残り……? わたしが……」

 

 セリカの呼び掛けに、霧の向こうの少女は頼りない声で聞き返した。

 隣に立ったカヤが、慎重に言葉を選んでゆっくりと語り掛ける。

 

「貴女は……ドラブナの村の娘ね」

「ドラブナ……わたしの、村。大好きな人が、たくさん住んでいた……」

「そう、貴女の村。私たちは貴女と、貴女の村を守る為に来たのよ。何も怖い事は無いから、出ていらっしゃい」

 

 不用意に少女を刺激しないように呼び掛けるカヤだが、その顔は険しい。

 目の前に居るだろう少女からは、精気が感じられないのだ。朧気で、近くに居るのに遠くに感じる。

 

 ……それはまるで、死人と会話をしているようだった。 

 

「お姉ちゃんが守ってあげる。だから……」

「……ダメ。……こっちに、来ちゃダメ……」

 

 霧の中から少女の声が響く。弱弱しくも、その声からは強い拒絶の意思が全員に伝わって来た。

 

「ダメ……来ちゃダメ……みんな、死んじゃうから……だから来ないで……逃げて……」

「大丈夫よ。大丈夫、怖いものはもういないわ。安心していいのよ。ほら、この手を掴んで――」

「待て、カヤよ」

 

 霧に向かって手を伸ばしたカヤをクルージェが止める。

 そして霧の中に居るだろう少女を、紅く光る眼で睨み付けた。

 

「そなたに一つ尋ねたい。この森に我らより先に、人間の男が来なかったか?」

「人間の、男……それは、村の騎士様の、こと……? あの人も……死んじゃった……」

「そうか。実はの、我は夜目が利いてのう。此処からでもはっきりと見えるのじゃ。そなたの姿と……その“槍”がな」

 

 喋り終わると同時に、パチンと指を鳴らすクルージェ。

 

 すると突然、目の前の霧が朱く染まり――――爆発した。

 

「きゃあ!?」

「危ない、伏せて!」

 

 何の前触れも無しにいきなり火炎魔術を行使した為、それを予期していなかった仲間達は爆風で後方に吹き飛ばされてしまう。セリカは咄嗟にサティアを抱えて地面を転がり、辛うじてその場に踏み止まったカヤは信じられないと声を荒げ、クルージェの肩を掴む。 

 

「なっ……何てことをするのよ! 村人に危害を加えるなんて!?」

「フン、そなたも薄々勘付いておったじゃろう。こ奴は人間ではない……いや、()()()()()()()()のじゃと。ほれ、あれを見るがよい」

 

 クルージェに促され、カヤは湖の方を振り向く。 

 視界を閉ざす重苦しい霧が晴れ、その先で立っていたのは、血の気の失せた白い顔でセリカ達を見る一人の村娘だった。

 

「哀れな娘よ、その槍に憑かれおったな」

「……う……うぅ……」

 

 少女の口から辛そうな呻き声が漏れる。

 素朴な麻の服を着た小さな身体は蜃気楼の様に揺れ動き、薄っすらと背後の景色が透けて見えた。幼い面影を残した少女の顔は悲しみで曇り、細い両腕に抱き抱えられた槍からは邪悪な気配が溢れていた。

 

「槍と完全に一体化しておる。こうなってしまってはもうどうにもならん。一思いに殺してやるのがせめてもの情けじゃろう」

「待って! アタシに話をさせてッ!」

 

 手を振り上げて二度目の魔術を発動しようとしたクルージェにカヤが叫ぶ。

 

「まだ手遅れだと決め付けるには早いわ! お願い、まだ手を出さないで!」

「クルージェさん、俺からも頼みます!」

 

 既に見切りを付けていたクルージェに対して、カヤはまだ槍の呪縛から少女を救う道を諦めていなかった。更に、爆風の衝撃から復帰したセリカとサティアもカヤに同調し、震える少女にサティアが優しく語り掛けていく。

 

「貴女の名前は?」

「リタ……リタ・セミフ」

「そう、良い名前だわ。ねぇ、リタ……貴女の持つそれって、村で祀られていた槍よね。何故それを貴女が?」

「……みんな……みんな、急におかしくなった。みんなが叫びながら暴れて、魔物もいっぱい襲ってきて……人も魔物も沢山死んでいって、何とかしなくちゃって思って……それで、この槍を……」

 

 村を襲った惨劇を悲しそうに語るリタ。身に寄せた魔槍からは今も濁った黒い瘴気が流れ、彼女の腕の中で静かに脈動している。それは槍の形をした、一個の生命の様だった。

 

(……何じゃ? あの槍が放つ醜悪な気配……以前にも、同じ気配を感じた気が……?)

 

 不気味な槍を睨み付けながら、クルージェは槍が放つ気配に既視感を覚えていた。

 つい最近、何処かで同じものを見た気がする……と彼女が頭を捻っている間に、槍を抱えたリタの様子が剣呑なものへと変化していく。

 

「槍は力を貸してくれた。この力でわたしは魔物を殺した。全部、一匹残らず。……だけど、村はもうだめだったの……」

「そう。ごめんなさい、もっと早く私たちが駆け付けていれば……兎に角、もうその槍は要らないわ。あるべき場所に戻しましょう?」

「……もう、戻せないの」

 

 槍を握るリタの手が小刻みに震え出す。

 悲しみに暮れていたリタの全身から、少女のものとは思えない冷たい殺気が漏れ始める。湖面を向いていた槍の切っ先が持ち上がり、セリカ達の胴の位置で固定された。警戒するセリカ達を前に、ぽつぽつと喋っていたリタの顔が苦しそうに歪み、手の震えが次第に大きくなっていく。

 

「槍は私を離してくれない……もう、抑えきれない……私の意識が残っている今のうちに、私を……殺して……!」

 

 段々とリタの呼吸が荒くなり、その瞳から理性の光が消えていく。もう、時間は残されていないのだろう。

 カヤは一度大きく息を吐くと、揺れ動く少女の瞳を真っ直ぐに見詰め、己の導き出した答えを告げる。

 

「私は貴女を救いに来たの。殺しに来たわけじゃない」

「でも……でも……」

「槍の魔力を奪い、砕きます。安心して、私たちが貴女を槍の呪縛から開放してみせるわ」

 

 カヤが左右に目を配る。両脇に控えていたセリカとサティアが強く頷く。

 全員が、少女を救おうと決意を固くしていた。

 

(何故じゃ……? 幼子とはいえ、相手はそなたらの命を脅かす存在ではないか。それをどうして、殺そうとしない?) 

 

 一人、後ろで佇んでいたクルージェには、彼女等の行動が理解出来なかった。赤の他人である少女を態々、危険を冒してまで助けようと動く、その理由が。

 

「う、うぅぅ……ありが、とぅ……」

 

 混乱するクルージェを他所に、事態は加速していく。

 カヤの真摯な想いを受けたリタが、泣き出しそうな声で彼女等に「ありがとう」と呟いた直後。

 少女の全身を魔槍から溢れる黒い瘴気が包み込み、俯いていた顔がゆっくりと持ち上がる。

 

 その瞳に、もはや理性の光は灯っていない。

 

「ぅう……うぅあアアアッ!!」

「来るわよ!」

 

 一行が身構えたのを皮切りに、理性を失ったリタが槍を突き立てて突進する。

 

「俺が盾になる! 皆は後ろに下がってくれ!」

 

 張り裂けんばかりに口を開き、悲鳴の様な叫びを上げて飛び込んで来た少女の槍の前にセリカが躍り出る。

 鞘から抜き放った長剣で槍の切っ先を強かに叩き、槍の軌道を斜め後方へ受け流すと、動きの鈍った少女の隙を突いて剣を振り下ろす。

 

「この槍さえ破壊すればッ!」

 

 銀色の尾を残して、セリカの剣が魔槍を狙う。

 しかし、少女はくるりと舞うようにその斬撃を躱し、攻撃直後のセリカに再び槍を突き出した。

 

「くッ、避けきれない――!?」

 

 少女の槍が目の前に迫る――――だが、セリカとリタとの間に光の壁がせり上がり、寸前のところで魔槍を受け止めた。

 

「アタシの弟はやらせないわよ!」

「すまない、姉さん!」

 

 カヤからの援護を受けてなんとか態勢を立て直したセリカは、神聖魔術の光に怯んでいたリタに激しく斬りかかる。 

 渾身の力で振り下ろした刃が槍を直撃し、少女の口から苦し気な呻き声が漏れた。

 

「よし、効いている! この調子なら……!」

 

 セリカは確かな手応えを感じ、サティアの治癒魔術による支援を受けながら槍への攻撃を重ねていく。

 人外の力を得た少女と言えど、最前線で魔物と戦い続けるバリハルトの戦士とその仲間達が相手では分が悪い。だが、それでも少女は槍を振るう手を止めはしない。寧ろ、傷を負って追い詰められた事で、戦闘が始まった直後よりも一撃に籠められた苛烈さが増している様に感じられる。

 

「…………」

 

 セリカ達が少女と激闘を繰り広げている横で、その様子をクルージェは黙って眺めていた。

 幾度も槍を突き立てられ、その度に傷を負いながらも絶対に後ろには下がらないセリカ。傷付いたセリカを癒すべく、彼の背後で治癒魔術の詠唱を続けるサティア。そして、懸命に槍の破壊を試みるカヤの後ろ姿に、クルージェは黙っていられなくなった。 

 

「カヤよ。いい加減にもう諦めたらどうじゃ? あの娘と槍は完全に融合しておる。例え槍を砕いたとしても、娘は解放されぬぞ」

「セリカ、前に出過ぎよ! サティアと一緒に一旦離れて。アタシが牽制するわ!」

「……やれやれ、人間族の考える事は理解し難いのう。そなたら人間は簡単に死ぬのだぞ? 態々、短い命を危険に晒す真似など――」

「ッ……ふざけないで!!」

 

 肩を竦ませて苦笑いを浮かべていたクルージェに突如、振り向いたカヤが掴みかかる。

 

「さっきから人間人間って馬っ鹿じゃない!? アタシは“アタシの”意思で動いているの! 種族なんて関係無いわ!」

「なっ、カ、カヤ……!?」

 

 その表情はクルージェの発言に対する怒りで染まっており、驚いて口を開けている彼女の肩を揺さぶりながら、カヤは真剣な目をクルージェに向ける。

 

「確かに人間はアンタ達魔族より弱いわ。短い寿命、脆い肉体、中には平気で同じ人間の命を奪う愚かな者もいる。だけどね、全員が全員愚かな訳じゃない。少なくともアタシの家族や仲間に、そんな愚か者はいないわ」

 

 一旦そこで言葉を切ってからカヤはクルージェを見詰める。

 瞳に宿っているのは怒りではない。それは、カヤという一人の女性がクルージェに向けた、裏表の無い純粋な思いが籠められていた。

 

「それとも、アンタも異民族だからという理由だけで他人を差別する様な人達と同じなの? ……アンタの仲間の、あの人(オルステッド)の事も見下しているの?」

「そっ……それは違うッ!!」

 

 カヤの言葉を、即座にクルージェは否定する。

 

「……フノーロで初めてあ奴を目にした時、我は活きの良い食料位にしかあ奴を見ていなかった。じゃが、共に旅を続けていくうちに、何と言うか……我はあの不愛想な男の事を気に入ってしまったのじゃ」

 

 しどろもどろに語りながら、道中での出来事を思い出していく。

 

 フノーロでいつもの誘惑を仕掛けようとした途中で、運悪く町の暴漢達に追われ、事情を知らなかったオルステッドに助けられたのが初めての出会いだった。その直後に、人間に扮していた己の正体を看破されて逆上し、襲い掛かろうとして逆に返り討ちに合い、仕返しをしてやろうと尾行しているうちに何故か使い魔にされていた。

 それから地上に出て、海を渡り、訪れた人間の国で給仕の真似事をしてみたり、オルステッドから思わぬ贈り物を貰ったりと、沢山の未知を体験してきた。

 

「それからのう。あ奴は我が誘惑しても全く靡かない癖に、ふとした時に笑顔を見せるのじゃ。雄共の欲に塗れた目なら飽きる程に見てきたが、あの男の目は不思議と暖かくて、その……なんじゃ、カヤ? 何を笑っておる」

 

 唐突に聞こえてきた笑い声にクルージェが視線を戻すと、目の前でカヤが可笑しそうに口元を手で隠してくすくすと笑っていた。

  

「ごめんごめん。アンタ、やっぱり悪い娘じゃないわね。他人の事をそこまで熱心に語れるなんて」

「ふん、当然じゃ。我はあ奴を対等な存在として……っ!」

「――しまった! 姉さん、避けろッ!」

 

 何かを察したクルージェが言葉を途切れさせたのと同時に、焦った様子のセリカの叫びが二人の背後から響く。

 振り向いたカヤが見たのは、セリカの守りを突破してこちらに突っ込んでくるリタの魔槍。唸りを上げて一直線に飛んで来たその槍は、無防備なカヤを真正面から狙っている。

 

「きゃああ――っ!?」

 

 猛烈な勢いで迫り来る槍にカヤの反応は間に合わない。前線で戦う戦士であっても受けきれない様な槍の一撃に、後方での支援を担当する神官が対処できる訳が無いのだ。

 理性を失った少女に握られた槍は、無情にもカヤの心臓を貫こうと風を切り裂きながら――――紅蓮を帯びた女の手に掴み取られる。

 

「……そうか、我は……」

「く、クルージェ!?」

 

 カヤは眼前で止まった槍の切っ先から、視線を斜め上にずらす。

 動揺しながら咄嗟に己を守ってくれたクルージェの名を叫ぶが、そのクルージェはというと、片手で槍を抑え込んだまま顔を俯かせたかと思えば、次の瞬間に槍ごと少女を投げ飛ばした。 

 

「カヤよ、我もあの娘を救い出すのに協力するぞ。さぁ、我に命令するがよい」

 

 少女を遠ざけてからカヤの方に振り返ったクルージェは、先程までの尊大な態度とは打って変わり、話し掛けられたカヤが驚く程に協力的になっていた。

 

「ど、どうしたのいきなり?」

「……そなたの言う通りじゃった。我は今まで、種族の優劣だけで他者を見ていた。じゃが、それでは我が忌み嫌う醜い者共と一緒じゃ。……こんな醜い女に、あ奴が靡く訳が無かったのじゃ」

「な、何がアンタの中で起きたのかは知らないけど、そう言うなら遠慮なく命令させてもらうわよ!」

 

 突然の変わり様に困惑するカヤだが、遠くでむくりと起き上がったリタへの対処が優先だと考えたらしく、素直に動くクルージェに次々と指示を出す。彼女も含め、四人に囲まれた少女は徐々に追い詰められ、隙を見て振り下ろされたセリカの一撃が遂に少女の槍に亀裂を作る。

 

「姉さん、今だ!」

「分かってるわ……くっ!」

 

 少女の全身を覆う邪悪な気配が急速に弱まり、身を呈して槍から仲間を守っていたセリカが姉に叫ぶ。

 ここまでの戦闘でカヤは、槍を破壊してもリタが開放されない事を悟っていた。残された手段は、槍の魔力が弱まった今この瞬間に槍と共にリタを封印し、長い年月をかけて彼女が槍から身体の支配権を取り戻す事を信じるのみ。

 

 何年かかるかは分からない。もしかしたら、封印が解けないまま朽ち果てるかもしれない。 

 決断を迫られたカヤは僅かに逡巡し……そして、杖を振るった。

 

「――――」  

 

 優しい光の柱に包まれ、白い輝きの中に消えていくリタ。

 その姿が完全に見えなくなる寸前に、悲し気だった少女の顔に笑顔が戻った様な気がした……

 

 

          ・

          ・

          ・

          ・

          ・

 

 

 ――後日、マクルに帰還したセリカ達は神殿に事の顛末を報告する。

 

 騎士グラウコの死。魔物に襲撃され、壊滅した村の状況。呪われた槍を手にし、果敢に魔物と戦った一人の少女の存在。

 神殿はこの事実に頭を悩めた。先のカバキ砦での一件や、スティンルーラ族との諍いで辺境の情勢が不安定になっている中、近隣部族との防波堤になっていた村を一つ失ってしまった影響は大きい。神殿上層部は対処に追われ、これ以上の被害が出ないよう、異教徒や原住民らに対して増々警戒の目を強めるのであった。

 

 ――更に後日。

 

「の、のう……オルステッドよ」

「どうした」

「その、聞きたい事があっての……仮に、我と対等な存在がおったとするぞ。そしたら、その相手とはどう接するべき……なんじゃ?」

「……頭でも打ったのか?」

「ばッ……馬鹿者!! 我は正常じゃ! 冗談を言うでない!」

 

 マクルの街のとある宿にて。

 

 殆どの人間達が寝静まった夜に、まだ灯りを消していない部屋が一つ。中を覗いてみると、見目麗しい若い男女が珍妙なやり取りをしていた。女は二つ並べて設置されたベッドの、その片方に陣取り、男は窓際の椅子に腰かけて本を読んでいる。

 

「……そうか。……何の気紛れかは知らんが、別にそう難しく考える事はないだろう」

「むぐぐ……どういう意味じゃ?」

「要は、“友”と呼べる者が出来たのだろう。友人相手に何を気構える必要がある? 普段通りでいればいい」

「……友……成る程、友か。……友とは、何ぞや?」

「…………」

 

 読んでいた本を閉じて、男は溜息を吐く。

 そんな男に疑問顔の女が詰め寄りながら、夜は更けていった……

 

 

 ……だが、夜はまだ終わらない。

 

 彼等が宿で他愛の無いやり取りを行っていたのと時を同じくして、セアール地方の東に隣接したアヴァタール地方、その中心に位置するレウィニア神権国に不気味な影が忍び寄ろうとしていた――

 

 

 

 

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