堕ちた勇者は彼の地にて   作:胸焼け

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第17話 約束

 

 ドラブナの森で起きた事件をセリカ一行が解決してから数日が経った。

 

 神殿は過酷な任務が続いていたセリカ達を気遣ってか、彼らに纏まった休暇を与えたようだ。セリカはダルノスに誘われて街の闘技場に赴き、己の剣技に更なる研鑽を重ねている。折角の貴重な休みをも自己鍛錬に費やそうとする生真面目な弟を呆れた目で見送ったカヤは、ドラブナの一件以来どうしてだか傲慢な態度を感じさせなくなったクルージェにせがまれ、今日も市場へ足を運んでいた。

 ちなみに、意気揚々と市場へ赴くクルージェの後ろには何故か一緒に付いて回るカミーヌの姿があったが、無理やり連れ回されているのかと思えば、実はそうでもないらしい。その証拠に、クルージェと会話をしている時の彼女の顔は普段のしかめっ面とはまるで違い、恋する乙女の様に輝いていたと言うのは、一緒にいたカヤの証言だ。

 

 各々が悠々自適に日々を過ごしている中、彼らの輪から一歩距離を置いて街を散策する青年――オルステッドは、とある場所にいた。

 

「……バリハルト神殿……か」

 

 人混みを避け適当な民家の影に身を潜めつつ、オルステッドは眼前に広がる長い石階段を見上げた。

 

 開拓者達の一大拠点。マクルの街。

 発展途上であるこの街を遍く見渡せるようにと、高々と積み上げられた石階段のその先に聳えるのは、様々な外敵から街の住人や信徒達を護る正義の砦――バリハルト神殿。

 

(あまり人目には付きたくないが……)

 

 そっと民家の影から身を乗り出し、表を歩く通行人達を観察する。

 すると、流石は開拓者の街だと言うべきだろうか。軽く見渡しただけでも、道行く人々の中に相当な数の兵士や傭兵といった人種が紛れているのが容易に見て取れた。

 民家の壁に背を預けて腕を組んだオルステッドは、目を瞑って思考の海に沈む。 

 

(……見たところ、ダルノスという男に並ぶ程の実力者は居ないようだ。だが、油断は出来ない……)

 

 今の彼は戦闘の際に身に着けている黒衣を脱いで、街の住人が着ているものと何ら変わりない地味な服装をしている。しかし、いくら彼自身が目立たない恰好をしていようとも、その身に刻まれた卓越した戦士としての気配までは誤魔化せなかった。酒場で出会ったダルノスが良い例だろう。見る者が見れば、何気ない身のこなし一つで彼が只者ではないとすぐに悟られてしまい、結果的に余計な関わりを生んでしまう。他者との接触をなるべく控えるようにしているオルステッドにとって、それは本意ではない。

 

(……人の心を狂わす神器……所詮は噂に過ぎんが、火のない所に煙は立たぬものだ)

  

 神器『ウツロノウツワ』。

 

 それは、神殿が隠していると噂される存在。人間の精神を蝕み、心の奥底から負の感情を引き摺りだす得体の知れないモノ……らしい。事情を知らぬ一般人が聞いたのであれば、荒唐無稽だと笑い飛ばすだろう。所詮は噂だと、神殿がそんなものを隠している筈がないと、きっと多くの者がそう答えるだろう。

 

 だが、その話を聞いたオルステッドは今、こうして件の神殿の前に立っている。

 単なる気紛れか、それとも確たる意思があってのことなのか。彼の真意を知る者は誰もいない。

 

(仮に噂が真実だったとしよう。では、神殿がその様な代物を抱え込む目的とは何だ……?) 

 

 人の心を操る。言葉にすれば簡単だが、その力の汎用性と影響力は計り知れない。

 自国の民を扇動し、特定の外部勢力に不満の目を向けさせる。正義感の強い兵士に憎悪という武器を持たせ、良心の枷の外れた狂戦士へと堕とす。原住民との争いが絶えないこの街ならば打ってつけだ。やろうと思えば、誰にも疑われずに憎しみの種を蒔けるだろう。

 

(……考え過ぎか。以前よりかは幾らかマシになったが、どうにも他人を疑ってしまう。私の余計な行いが、却って事態を悪化させる可能性だってあるだろう。ここは大人しくしているのが賢明……それは分かっているが……)

 

 下手に目を付けられて何処ぞの勢力の耳に入れば、それが要らぬ火種となるかもしれない。己が過去の遺物であると自認している彼が唯一恐れている事は、己の行動が原因でこの世界に不要な争いを起こしてしまう、その一点のみ。魔物や異教徒との終わりの見えない闘争に明け暮れている神殿に不用意に近付くなど、それこそ論外である。

 

 ……と、即座に断ずるべきなのだが、それを理解していて尚、彼が近付こうとする理由が神殿の奥に眠っているかもしれないのだ。 

 

(“憎しみ”……か。……もしそれが私の世界にあった、私の想像通りの物だったら……最悪の事態も考慮せねばなら

ん……む?)

 

「きゃっ!」

 

 どんっ、と腰辺りに響いた軽い衝撃がオルステッドの思考を中断させる。

 次いで足元から聞こえてきた可愛らしい悲鳴に釣られて視線を下ろすと、腕に抱えていたのだろう紙袋の中身を派手に散乱させた少女が、涙目で蹲っていた。

 

「すまない、大丈夫か?」

「ぅ……あの、ごっ……ごめ……なさ……」

 

 少女の腕から落ちた紙袋を拾い、袋から零れてしまった赤い果物を中に戻して手渡してきたオルステッドに、幼い少女は酷く狼狽えながらもごもごと口を動かす。恐らく、ぶつかってしまった事への謝罪をしたいのだろうが、狼に睨まれた子羊の様にブルブルと震える少女の口からは、途切れ途切れの言葉しか出てこない。

 

「…………」

 

 オルステッドはゆっくりと膝を曲げて少女に目線を合わせると、徐に右手を少女の頭の上に乗せ、ぎこちなく撫で始めた。一瞬だけびくっと身体を震わせた少女だったが、オルステッドの手から伝わってくる温もりと、敵意を感じられない優しい瞳に、自然と震えは治まっていく。

 

「痛いところは無いか?」

「……うん」

「そうか、それは良かった。すまなかったな、私がぼうっとしていたせいだ。良ければ君の名を教えてくれないか?」

「……リーズ……」

「リーズか、良い名だ。一人で買い物をしていたのか? 偉いな、まだ小さいのに大したものだ」

「……そ、んな……こと……えへへ」

 

 穏やかに語り掛けるオルステッドの雰囲気に安心した少女が、初めて笑みを見える。

 王侯貴族の様な高貴さとはまた違う、素朴ながらも美しい一輪の花がオルステッドの手の下で可憐に咲いていた。

 

「この通りは人の往来が激しい。家まで送って行こう」

「だぃ……じょうぶ、です。家……近い、から」

「……そうか? 無理強いはしないが……」

「ありが、とう……ございます。でも、一人で出来るように、ならなくちゃ……おばあちゃんや、セリカ様に……メイワクばっか、かけられないから……」

 

 少女は儚くも力強くそう答え、家まで送り届けようとするオルステッドの申し入れを断った。そしてオルステッドにペコリと頭を下げ、彼の横を通り過ぎて表通りへと歩いて行く。

 少女を見届けたオルステッドは、気を取り直して神殿の方に視線を戻そうとしたが、その際にふと、彼女の最後に発した単語が頭を過ぎる。

 

(……セリカ? ……偶然か……?)

 

 少女の言葉が頭に引っ掛かり、自分の考え過ぎだと思いながらも、遠ざかっていく彼女の後ろ姿にもう一度声を掛けようと振り返るオルステッド。其処で目にしたのは、無精髭を生やした巨漢の男に絡まれている少女の姿だった。

 

「このガキ、何処見て歩いてやがんだ! このゲーエ様にぶつかってくるたぁ良い度胸じゃねえか、ああ!?」 

「う、うぅ……!」

 

 巨漢の男は顔を真っ赤にして、自分の腰ぐらいしかない小さな少女に怒鳴りたてている。しかし、よく見ると男の身体はふらふらと揺れて落ち着きがなく、傍を横切った通行人は男の吐く酒臭い息に顔を顰めていた。

 状況から見て、少女が不注意で男にぶつかってしまったのではなく、酔っ払っていた男が少女にぶつかったとしか考えられないが、周りの人間は巨漢の男の剣幕に怯んで誰も少女を助けようとはしない。見て見ぬふりをしてそそくさと離れていく者ばかりだ。

 

「ったく、この前の優男と言いよぉ、俺様を舐めてんのか!?」

「ひっ……!? ご、ごめんなさ……っ、ごめん……なさい……!」

 

 目から大粒の涙を零して何度も頭を下げる少女。それでも男の溜飲は下がらず、相手が自分よりも弱い存在だという事で調子に乗り、太い腕を少女の頭上に翳して脅しながら好き勝手に罵声を浴びせていた。

 

「謝るだけじゃあ気が収まんねぇなあ? 誠意ってのは形で示すもんだぜ! そうだな、お前の家族に俺の治療代でも――」

「おい」

「ふんだくってやって……あ? 何だ、文句あんのか……てっ、てめぇは!?」

 

 背後から掛けられた声に振り向いた巨漢の男は、相手が酒場で見た金髪の青年だと言う事に気付くと、威勢よく吠えて青年に掴み掛かった。だが、男の剣幕に全く怯む様子を見せない青年は逆に男の両腕を掴み、捻り上げながら男と身体を密着させる。

 

「こ、この野郎!? 糞がッ! 離しやがれ!!」

 

 拘束から逃れようと男が暴れるが、青年は自分より一回りも体躯の大きい男の抵抗を涼しい顔で受け止めている。青年に掴まれた手首からギシギシと骨の軋む音が鳴り出し、次第に罵倒ばかり吐いていた男の口から苦痛の呻きが漏れ始めた。

 

「ぐぅおおおっ! こ、こんな細っこい野郎にっ……この、俺様が……!?」

「修練が足りないようだな。少しは周りを見習うといい」

「て、てめッ……! こんなもの、本気を出せば――げぇあ!?」

 

 苦し紛れに悪態をつきながら更に力を籠めようとした時、青年の膝が男の股間を蹴り上げた。

 その瞬間、これまでの人生で味わった事のないような想像を絶する激痛が男の爪先から脳天までを突き抜け、男は白目を剥いて青年の足元に崩れ落ちた。

 

「行くぞ」

「あっ……」

 

 オルステッドは痛みに悶える巨漢の男を放って、茫然とこちらを見詰める少女の手を取り、周囲の野次馬を押し退けながらその場を離れる。幸いにも怯えて抵抗されるといった事態も起きず、少女はすんなりとオルステッドの手に付いてきてくれた。 

 

「此処まで来れば問題無い。もう大丈夫だ」

「……ひぐっ、う、ぅ……怖かったよぅ……えぐっ、うぅ……!」

「やはり、今日は私が君を家まで送り届けよう……だが、その前に確認しておく事がある」

 

 緊張の糸が切れて泣きじゃくるリーズの背中を擦りながら、来た道を振り返るオルステッド。

 其処には誰もおらず、裏通りの閑散とした空気だけが流れている。だが、オルステッドは確信した様子で視界の隅に見える寂れた空き家を睨み付けた。

 

「何時まで付いてくる気だ、セミネ・タレイア」

「……あら、バレちゃってたかしら?」

 

 オルステッドが問い掛けた直後、困ったような声と共に空き家の影から麗しい女性が姿を現した。

 深いスリットの入った赤いドレスを纏う妖艶なその女性は、先日ダルノスの紹介で知ったこの街の娼婦であり、常に激戦の渦中へ身を投じる彼を影で支える女性――セミネである。 

 

「お礼を言いたくて貴方の後をついてきたのよ。ありがとう、リーズを助けてくれて」

「何……?」

 

 頭を下げるセミネに、オルステッドは疑問顔で隣のリーズに目を向ける。

 しかし、「知り合いなのか?」と尋ねたオルステッドにリーズは首を横に振って否定を返す。

 

「違うのよ、別にその子の知り合いって訳ではないわ。ただ、一方的にその子の事情を知っているだけなの」

 

 セミネは申し訳なさそうに声を沈めながらオルステッドの傍まで近付き、耳元に口を寄せてそっと事情を話し始めた。 

 

 ……リーズという少女の両親は既に亡くなっており、唯一の肉親である祖母と二人で慎ましく暮らしていた。しかしある時、街の外に出掛けていたところを運悪く魔物に攫われ、街の近郊にあるノヒアという無人の廃都に監禁されてしまう。

 直ちにバリハルト神殿から救出の兵が派遣されるも、先行した若者が最深部に辿り着く頃には、少女はその地を根城とする醜悪な魔物に凌辱され、幼い心に深い傷を負ってしまったのだ。

 

「最近になって、やっと家の外に出られるようになったの。そんな時に変な輩に絡まれてるのを見掛けて……本当なら、同じ街の人間である私達が助けてあげるべきだったのに……」

「だろうな。……だが、野次馬達の中でただ一人、リーズを助けようと動き出していたのを私は知っている。お前だけが気に病む謂れもない」

「……ありがとう。優しいのね、オルステッドさんて」

 

 セミネはオルステッドの横で不安そうにこちらを見上げているリーズの頭を優しく撫で、一言二言と彼女に話し掛けた後に、ドレスの裾を優雅に翻しながらオルステッドらの下を去って行った。

 

 ……と思った矢先にくるりと振り返り、悪戯っぽい笑みを浮かべてオルステッドに微笑みかける。

 

「やっぱり私のお店に来ない? 今ならお試しって事で初回無料にしておくわよ?」

「結構だ」

「あら、残念ね。素敵な殿方にイイ思い出を作ってあげようかなぁ、と思ったのに」

「結構だ。子供の前で可笑しな事を言うものじゃない」

「それは失礼しました。ウフフ、それじゃネ」

 

 ヒラヒラと手を振って今度こそセミネは去って行った。オルステッドはセミネの気配が完全に無くなった事を確認すると、隣で何か考え込んでいる様子のリーズに声を掛ける。

 

「どうした?」

「うんと……さっきのお姉ちゃんが言ってたお店って……どういう、お店……なんですか?」

「……なに?」

 

 思わず聞き返してしまったオルステッドの目の前には、控え目ながらも好奇心に輝く二つの瞳があった。

 どうやらセミネとの会話の最後を聞かれてしまったらしく、リーズは硬直したオルステッドの上着の袖を掴み、期待に満ちた目をしながら同じ質問を繰り返す。

 教えてくれるまで手を離さないぞと言わんばかりにギュッと袖を握り絞める少女に、答えを求められた男は仏頂面の裏で逡巡する。純粋な少女の期待には応えたいが、内容が内容である。正直に応えるのは些か不味い。兎に角、この場を無傷で切り抜けられる最適解を――と思った時。オルステッドは、賑やかな仲間が昨夜語っていた自慢話の一部を思い出した。

 

「リーズ。向こうの通りを曲がった先に、焼き菓子を売っている店があるそうだ。私の仲間曰く、地上で一番の美味らしい。どうだ、食べてみたくはないか?」

「えっ! お菓子、ですか……!? で、でも……」

「遠慮するな。だが、どうしても嫌なら無理にとは言わん。私一人だけ食べに――」

「い、嫌じゃないです! 甘いのは好きです!」

「そうか、それじゃあ一緒に行くとしよう」

 

 甘い誘惑に負け、直前の話が頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまったリーズの様子を見て人知れず安堵の息を零した後、オルステッドはリーズと手をつなぎながら菓子屋へと向かうのだった。

 

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「おばあちゃん、ただいま! これ、お土産!」

「おお、リーズや。お帰り……おや、後ろのお方は誰だね?」

「えっとね……」

 

 あの後、リーズを連れたオルステッドは、噂の菓子屋で少々多めに焼き菓子を購入し、にこにこと上機嫌に笑う少女の手を引きながら彼女の家へと向かった。街の中心部から少し離れたところにある其処は、表を出歩いている人間も少なく、物静かで落ち着いた雰囲気があった。

 

 家に到着したリーズが玄関の戸をコツコツと叩くと、中から背の曲がった老婆が現れ、リーズを暖かく出迎えた。二人の会話から、この老婆が少女の祖母なのだろう――とオルステッドが当たりを付けていたところで、彼の存在に気付いた老婆が怪訝そうに孫娘に尋ねる。そして、少女の口から先程起きた一連の出来事を聞かされた老婆は、孫の危機を救ってくれたオルステッドに何度も頭を下げ、快く彼を家の中に招き入れた。

 

「狭い家で申し訳ありませぬが、我が家だと思って寛いでいってくだされ」

「いや、私は長居するつもりは……」

「あれ……? おばあちゃん、誰かお客さんが来てるの?」

 

 老婆の服を引っ張りながら、リーズが玄関に立て掛けてあった長剣を指差す。

 剣の鍔に刻まれていた模様を見たオルステッドが、それがバリハルト神殿の兵士らに支給されるものだという事に気付くのと、先にこの家を訪れていた剣の持ち主が玄関に立っていたオルステッドに気付くのは、ほぼ同時であった。

 

「やぁ、リーズ。お邪魔して――あっ!」

「あら? 貴方はクルージェさんの……」

「……お前達は……」 

 

 強い意思を感じさせる澄んだ目をした青年が吃驚し、燃えるような紅い髪の美女が意外そうな声を漏らす。

 ――バリハルト神殿の剣士セリカと、知識の神ナーサティアの信徒サティア。カバキ砦での一件から数えて三度目の邂逅である。

 

「…………」

「……えっと……」

 

 相手の姿を視界に収めた途端に無言になったオルステッドに、何か言おうかと口を開いたセリカだが、肝心の言葉が出てこない。なんとも気まずい空気が両者の間で広がる中、意外にもこの状況を打開したのはセリカでもオルステッドでもなく、セリカの前に出て菓子箱を差し出した小さな少女だった。

 

「セ、セリカ様……あのっ……これ、オルステッド様がくれたお菓子、です。……その、みんなで……」

 

 顔を真っ赤にさせて、必死にセリカに話しかけるリーズ。

 少女にとってセリカは、廃墟で魔物に襲われていた自分を救い出してくれた勇者だ。

 そんな憧れの存在を前にして奮闘する少女を援護するように、一緒にいたサティアが微笑みながらセリカに語りかける。

 

「まぁ! 美味しそう、これってクルージェさんが話してた銘柄ね。皆で頂きましょう、セリカ?」

「そ、そうだな。そうしよう!」

「オルステッドさんも、ご一緒にどうですか? 私、クルージェさんから貴方の話を色々聞いて、是非一度お話ししたいと思っていたのです」

「……ああ。私は構わない」

 

 リーズとサティアに仲裁される形で、オルステッドはなし崩し的に彼らの歓談の輪に入る事になった。

 上品な甘味の焼き菓子と、口直しにと老婆が淹れた紅茶の相性は素晴らしいもので、常日頃から非常に口数が少ないオルステッドも、この時ばかりは流暢に……は残念ながらならなかったが、最初の睨み合いの時よりも心なしか表情が柔らかくなっていた。かもしれない。

 

「セリカ様! それで、おっきなおじさんが怒った時に、オルステッド様が……」

「へぇ、そんな事があったのか」  

 

 リーズの話を聞きながら、セリカは明るく笑う彼女の姿に内心で驚いていた。廃都ノヒアで助け出してから、暇があれば少女の家にお見舞いに行っていたが、ここまで元気そうにはきはきと話す少女を見た事が無かったのだ。

 セリカがリーズの話し相手になっている様子を、席に着いたままオルステッドが無言で見詰めていると、視界を白い湯気が覆う。新しく淹れられた紅茶から漂う甘い香りにオルステッドは僅かに眉を動かし、それを差し出した紅い女性の方を振り向く。

 

「セリカ達を見ている時のオルステッドさん、優しい目をしていたわ。子供がお好きなんですね」

「……見間違いだろう。そんなものに興味は無い」

「フフ、貴方がそう仰るのならそうなのでしょう。でも、私は子供が好きですよ。子供達の無垢な笑顔は、この世に存在する数多の至宝よりもずっと価値のあるものだと、そう思っています」

 

 そう言って柔らかく微笑むサティアに、相変わらず無言の返事を返すオルステッド。

 黙り込んだ青年の不遜な態度も気にせず、サティアは微笑を浮かべたまま更に言葉を続ける。

 

「クルージェさんから聞きました。貴方は事情があって、“冥き途(くらきみち)”を目指しているのだと。そして、詳しい情報が集まらなくて困っている事も」

「…………」

「私、知っています。彼の地の所在と、其処へ行き着く為の道程を」

 

 彼女の発言を聞いて、それまで黙り込んでいたオルステッドが顔を上げる。

 サティアは「クルージェさんにはお世話になったから」と前置きしてから、冥き途へと至る道程を語り始める。知識の神の信徒らしく、その説明は丁寧に纏められていて非常に分かりやすく、覚えやすい。聞き手であるオルステッドも顔には出さないが、サティアという女性の聡明さに感心していた。

 

「感謝する。お陰でこの街を発つ目途が立った」

「気にしないで。私も、世界中を旅して見聞を広めた甲斐があったわ」

「……そうか、そう言ってくれるなら助かる」

 

 余りに正確な情報に少々の疑問を抱きながらも、他に有力な手掛かりも無い為、オルステッドは彼女の言葉を信じる事にした。

 感謝を口にするオルステッドにサティアは微笑みを返してから、ふと思い出したように、

 

「そう言えば、前から貴方に尋ねたい事があったのだけど……」

「なんだ? 私の答えられる範囲でなら答えるが」

「ありがとう。でも……ううん、やっぱりいいわ」

 

 ――もし、貴方がディル=リフィーナ(この世界)で生まれた存在じゃなかったとしても。仮に、貴方がこの世界を支配する神々と敵対する存在だったとしても。私は貴方を否定しない。

 人間である貴方が、本来はいがみ合う関係である筈の魔族の女性と分け隔てなく接しているなんて。それに、自尊心が強い上級睡魔の彼女からあんなにも想われているなんて。どちらもこの目で直接見るまでは、とても信じられなかった。

 

 もしかしたら、そもそも貴方は人間じゃないのかもしれない。

 けど、それでも……

 

「私は否定しない。だって、貴方はとても、とても優しいヒトだから」

「……? どうした、急に」

「ウフフ。いいえ、なんでもないわ」

 

 優し過ぎるが故に非情になり切れず、優し過ぎるが故に他者を遠ざけようとする。

 カバキ砦でセリカと対峙した時だってそうだ。その気になればセリカを殺せた筈なのに、そうしなかった。

 後一歩まで追い詰めていたのに、剣を振り下ろすのを躊躇して。他の盗賊達には僅かな情も与えなかったのに、何故かセリカにだけは限りなく殺意が薄かった。

 

 セリカとリーズのやり取りを静かに見守るオルステッドの姿を見れば見るほど、もしかしたらと、あったかもしれない可能性を想像せずにはいられなくなる。

 

 

(もし、こんなヒトがあの頃に……()()()の隣にいたら……きっと、今とは違う未来があったのでしょうね……)

 

 微笑みながらオルステッドを見詰めるサティアの瞳には、小さな哀愁の念が浮かんでいた。

 

 

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 ――翌日。セリカの家。

 

 地平線の下から太陽が顔を出したばかりの、早朝。

 黒ずんでいた空が段々と明るい青に染まっていく。澄み切った朝の空気がひんやりと冷たい風に運ばれ、微睡みから醒めないマクルの街に夜明けを知らせる。住人はまだ誰も起きていないだろうという時間帯だが、その予想を裏切って既に活動を開始している男が一人、自宅の裏庭で一心不乱に剣を振っていた。

 

「はぁッ! ふッ! せあッ!」

 

 無数の剣閃が虚空を斬り裂き、剣を振るう度にセリカの額から汗の滴が零れ落ちる。

 刃を潰した鍛練用の長剣とは言え、重さは実戦のものと何ら変わらない。それを何度も虚空に向かって振るい続けているセリカの全身は汗でびっしょりと濡れているが、息の乱れは無く、止められるまで何時までも続けているのではないかと思わせる迫力があった。

 

(まだだ……っ! こんなものじゃ、あの人には届かないッ!)

 

 剣を振るいながら思い起こすのは、カバキ砦で戦ったオルステッドの動き。 

 常軌を逸した怪力から繰り出される黒い一閃。ただ力任せに振るっているだけのように見えて、流れるように放たれた黒剣の連撃には一切の無駄が無かった。セリカの剣の師であるダルノスも相当な猛者であるが、彼と比較すると霞んでしまう。

 そうした経緯から、突然の強敵の出現に向上心とも対抗意識とも言える男の意地を刺激され、毎朝の鍛練にも一層の熱が入っているのだろう。

 

「ふぁ……うーんっ……全く、あの子も飽きずによくやるわねぇ」

 

 強大なる仮想敵を相手に只管に鍛練を続けるセリカを呆れた目で眺めているのは、彼の姉であるカヤだ。

 欠伸を嚙み殺した後に大きく背伸びをしたカヤは、窓の外で剣を振り続ける弟から視線を外して、背後にあった机をベット代わりにごろんと寝そべる。

 

「はぁー……いいわよねぇクルージェは。あー、どっかにイイ男でも転がってないかしら――って、あれ?」

 

 瑞々しい肌の大部分を晒したあられもない姿で寝そべっていたカヤの視界に、見覚えのある顔が映った。

 まだ寝ぼけているのかもしれないと目を擦ってもう一度見てみるが、街の向こうから近付いて来る人物の姿が変わる事は無い。豊かに実った稲穂の如き金糸の髪に、敵対した相手に畏怖と恐怖を植え付ける深紅の瞳。長身痩躯のその肉体に人外の膂力を秘めた、彼の者の名は――

 

「オルステッド……さん? 人違いじゃ……ないわよね。でも、なんであの人が……?」

 

 真ん丸に開いた目がぱちりと瞬き、思わぬ来訪者にカヤが頭を捻っている一方。そんな事など露知らずに鍛練を続けていたセリカは、こちらに近付いて来る足音に気付いて剣を振る腕を止めた。

 

「ん……? 珍しいな、もう起きてたのか姉さ――ッ?!」

 

 振り向いた先でオルステッドと目が合った瞬間、言葉にならない悲鳴を上げて背中から転げ落ちる。

 遠くから弟の滑稽な姿を笑う声が聞こえる中、無表情で足元のセリカを見下ろしていたオルステッドが、徐に口を開く。

 

「何をそんなに慌てる。私を化物か何かかと思っているのか?」

「い、いやっ、まさか背後に立っていたのがオルステッドさんだとは思わなくて! 無言で忍び寄らないで、せめて一声掛けてください!」

「む……それもそうか。すまない、余りに熱心に剣を振っていたものだからつい、な」

 

 もっともな抗議に素直に非を認めて謝罪した後、自分に気にせず鍛練を続けてくれと促すオルステッドに、納得がいかないのか渋々といった風に剣を握り直すセリカ。気になる相手に間近で見られている状況に最初はぎこちない動きだったが、何度も剣を振るっていると次第に雑念も消えていき、辺りに再び静寂が訪れた。

 

「……成る程、悪くない動きだ。その若さにしては、やるものだな」

「はァッ! ありがとうっ……ふッ! ございますっ……はァッ!」

「時に、昨日の娘……サティアと言ったか。お前にとって、あの娘はどういった存在なんだ?」

「どういう――って、え!?」 

 

 突拍子も無く投げ掛けられた問いに驚き、その拍子に手からすっぽ抜けた剣が地面に突き刺さる。

 冗談かとセリカは背後の男の顔を仰ぎ見るも、質問をした本人はふざけた様子も無く、それどころか何時になく真剣な目でセリカの答えを待っていた。

 

「難しく考えるな。お前にとってあの娘は大切な存在なのか、違うのか。どうなんだ?」

「……サティアは、俺にとって大切な女性(ヒト)です」

 

 ここで答えをはぐらかしてはダメだ。

 オルステッドの目を見てそう決意したセリカは、自分の思いの丈をありのままに打ち明ける。

 

「出逢ってからまだ日は浅いけど、ノヒアで初めて彼女を見た時から一日だって彼女を想わなかった日はない。俺は出来るなら彼女と……サティアと、共に人生を歩みたいと思っています」

 

 市場の時と違い、ここに外野はいない。いるのはセリカとオルステッドのみ。男同士、一対一で睨み合うように無言で相手の目を見詰め続ける。そうしていると、一切の感情の見えない声色でオルステッドが更なる問いを投げ掛けた。

 

「もう一つだけ質問させてほしい。仮に、彼女がお前を……何らかの理由で裏切ったとしよう」

「サティアはそんな事――」

「分かっている。これはあくまで仮定の話だ」

 

 愛する者の名を出されて憤るセリカを制しながら、それでもオルステッドが語りを止める事はない。

 これだけは聞いておかねばならないと、ゆっくりと、慎重に言葉を紡いでいく。

 

「家族よりも、誰よりも信じていると誓ってくれた(ヒト)が最悪の形でお前を裏切り、一方的にお前の下を去ったとする。その時、お前は彼女を……憎むか?」

 

 果たして、目の前の青年(セリカ)は何と答えるだろうか。

 ……否、聞かずとも分かる。

 

 どこぞの愚か者とよく似た目をしているこの青年ならば。愛する女の危機とあらば、全てを投げ打ってでも助けに行くだろうこの男ならば。

 きっと、こう答えるに違いない。

 

「それは……分かりません。憎まないと言ったら嘘になる。だけど……それでも、サティアを信じたいと思う自分もいる。例え、彼女から裏切られたとしても……」

「……そうか」

 

 申し訳なさそうに俯くセリカとは対照的に、オルステッドの方は何か吹っ切れた様子でセリカの肩を叩き、近くに落ちていた鍛練用の剣を手に取った。

 

「……本当に、女々しい男だ……」

 

 その呟きは、誰に対するものなのか。

 

 そんな疑問を斬り払うが如く、軽く剣を振りながら正面の相手を見据える。

 すると僅かに漏れ出た闘気に反応したのか、俯いてたセリカが顔を上げ、両手に剣を構えるオルステッドの姿を見て驚いたように目を見開く。明らかに動揺しているセリカの心境を無視して、オルステッドは静かに告げる。

 

「セリカ」

「っ! は、はい!」

「本気で私に斬り掛かってこい。今のお前の持てる全てを、一刀に篭めろ」

 

 剣先を相手の目に向けた、所謂正眼の構えを取ったオルステッドに対し、セリカは言われた通り全力で剣を振り抜いた。

 鍛え上げられた戦士が繰り出す一撃は例え刃を潰した剣だろうと、生身の人間を殺傷するには十分過ぎる程の威力を秘めている。だが、オルステッドの実力を文字通り身体で教え込まれていたセリカは、全身全霊でオルステッドに必殺の刃を叩き付ける。

 下手をすれば受け止めた方の刀身が砕けてしまうかもしれない――振り抜いてからセリカの頭にそんな心配が湧いて出たが、それは杞憂に過ぎなかった。

 

「――ッ?! うわぁっ!」

 

 二つの刃が重なった、その瞬間。

 セリカの握っていた剣が、持ち主の意に反してあらぬ方向に力の矛先を曲げる。続けて、剣に引っ張られて態勢を崩したセリカの足をオルステッドの足がすくい取り、支えを失って地面に倒れたセリカの眼前に刃の潰れた切っ先が突き出された。

 

「い、一体何が……ッ!」

 

 相手はただこちらの一刀を正面から受け止めただけなのに、まるで、鏡合わせのように剣の勢いが折れ曲がった。

 不可解な事象に困惑していたセリカは、視界一杯に広がるオルステッドの剣を見て、その理由を察する。 

 甲高い音を立てて刀身を覆うように渦巻くそれの正体は“風”。そう、剣が触れたあの瞬間、オルステッドは極小の竜巻とも言うべき風の障壁を刀身に展開し、セリカの一撃を受け流したのだ。 

 

「これは私の故郷に伝わる奥義の一つ、『ミラードライブ』だ。嵐の神に仕えるお前なら然程難しくはないだろう。使いこなせるか否かは努力次第だがな」

「オルステッドさん……! もしかして、俺の為に――」

「勘違いするな」

 

 がばっと地面から立ち上がり、土で汚れた顔で感極まったように口を開きかけたセリカを、オルステッドの冷たい声が遮る。

  

「私はサティアに情報提供の借りがあった。それを返しただけに過ぎん。勝手に恩義を受け取るな」

「ですがッ、それじゃあ俺の気が済みません!」

 

 その場から立ち去ろうとするオルステッドの前に、慌ててセリカが回り込む。そんなやり取りを二度三度と繰り返し、

 

「…………それなら、一つだけ約束しろ」

 

 遂に観念したのか、それとも呆れたのか。急にオルステッドは足を止めると、少しだけ考える素振りを見せてからセリカにこう告げた。

 

「惚れた女の一人ぐらいは、守ってみせろ」

「……はいっ!」

 

 呆れるほど気持ちの良い返事をしてみせたセリカに、オルステッドは固く締めていた筈の口元が緩んでしまっている事を自覚するも、この時ばかりは自分の感情に素直になっていた……  

 

 

 

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