堕ちた勇者は彼の地にて   作:胸焼け

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第18話 嵐の前の静けさ

「のう、セリカよ。暫く歩き続けているが、いつになったらそなたの故郷に着くのじゃ?」

「もう少し我慢してください。この山道を通り抜ければもう目の前ですよ」

「先程も似たような返事を聞いたぞ……」

「大丈夫よ。見て、段々と人の姿が多くなってきているわ。きっと、もうすぐ着く筈よ」

「……言われてみれば確かにそうじゃ。よし、一番乗りは我じゃ!」

 

 晴れやかな青空とは対照的に、げんなりとした様子で北の街道を歩いていたクルージェは、案内人であるセリカの言葉に耐え切れず不満を漏らす。そんな彼女を一緒にいたサティアが宥め、ついでに言葉巧みに持ち上げる事でクルージェのやる気を呼び起こし、まんまと乗せられた本人はそうとは知らずに勇み足で一行の先頭を突き進んでいく。今朝から数えて、既に七度目となるやり取りであった。

 

「……単純な奴だ」

「むっ、なんじゃと!」

 

 直前までの鬱屈した態度が嘘のように明るく晴れた表情になるクルージェ。気を切り替えて威勢よく一行を引っ張って行く仲間の姿を最後尾から眺めていたオルステッドが率直な感想を呟く。

 すると、魔族として無駄に優れた聴覚で彼の発言を拾ったクルージェはくるっと方向転換し、ずかずかとオルステッドの元まで歩み寄ってくる。

 

「聞き捨てならぬぞ! 我ほど思慮深く、それでいて度量の大きい傑物はそうそうおらぬ! のう、そなたもそう思うじゃろう?」

「えっ! わ、私!?」

 

 クルージェに突然話を振られた彼女――何故か一行に同行していたカミーヌ・セッテという名の女性は、クルージェと目が合うなり頬を赤くしながら慌てふためくも、直ぐにいつもの冷静さを取り戻したように口元を引き締め、その冷たい美貌をもってキッとオルステッドを睨む。

 

「……コホン。オルステッドさん、といったかしら? 今の発言は淑女に対して掛けるものではないわ。訂正しなさい。そして今すぐその粗末な頭を地面に擦り付けて彼女に許しを乞うのよ」 

「いや、我は別にそこまで言っては――」

「駄目よ! どんなに親しかろうと、礼儀を欠いた相手を許してはいけないわ。それに男相手に遠慮なんかしてたら、つけ込まれる一方よ!」

「そ、そうか。いや、それは我も否定せぬが……」

「…………」

 

 他人に主導権を握られ慌てている仲間(クルージェ)の珍しい姿を前にしても、オルステッドは大して気に留める素振りを見せない。というより、現在進行形でこちらに突っ掛かって来る謎の女(カミーヌ)に意識が向いて、他を気にする余裕がないのかもしれない。

 

 ……事の発端は、数日前にオルステッドがクルージェに告げた「この街に留まる理由が無くなった。明日にでも出発する」という、唐突極まる旅立ち宣言から始まった。

 文句は無いなと自然な流れで旅支度をしようとするオルステッドに、当然ながらクルージェは反発する。折角、新たな地で恐らくは生涯初となる友の存在を手に入れたのだ。彼女でなくとも、そう簡単に切り捨てられるものではない。

 クルージェからの思わぬ抗議を受けたオルステッドは、これまでにない彼女の真剣な雰囲気に何か感じいるものがあったのか、ならばせめて別れの言葉を交わす時間くらいは設けようと、一日だけ猶予を与えた……のが運の尽きだった。

 

 翌日の朝。重い足を引き摺りながらしょんぼりとセリカらの下を訪ねたクルージェに対し、彼女の事情など知る由もないセリカは故郷であるキート村で年に一度ささやかな祭りが催されるという話をうっかり口にしてしまう。初めて知った人間族の催し。更にはまるで狙ったかのように、数日後にその祭りが現地で開かれるというではないか。それを聞いて、好奇心の塊であるクルージェが黙っていられる訳がない。

 

「ああ、楽しみじゃ! 早く着かぬかのう!」

「……まぁ、別に急ぐ旅でもない。出発が数日遅れようが何も問題は無い」

 

 キート村を目指すセリカとサティア。ワクワクしながら彼らについていくクルージェと、微妙に疲れた様子のオルステッド。態々仔細を語らずとも、これだけでその後のクルージェの取った行動は容易に想像できるだろう。

 クルージェに強引に連れられてキート村に赴く羽目になってしまったオルステッドだが、自分も前触れもなく街を離れようとした手前、彼女に僅かながらの負い目を感じていた為に仕方ないと割り切っていた。

 ただ、一つだけ予想外だったのが、先程から親の敵を見るような目でこちらを睨み付けてくるカミーヌの存在だった。

 

「クルージェ、この女は何者だ? 街を発つ時から一緒にいたがいつ知り合ったんだ」

「ほれ、前に言ったじゃろう。思わぬ同志を見つけたと」

「……ああ。そうか、あの時の……」

 

 クルージェに説明されて、そういえばそんな事もあったと先日の出来事を思い出したオルステッドは、目の前で不機嫌そうに腕を組んでいる女を一瞥する。

 瑞々しく張りのある色白の肌。滑らかに背中を流れる長髪は艶やかな金色の輝きを放つ。セアール人特有の華やかな風貌だ。セリカの姉であるカヤと同年代らしく、魔術だけなら弟以上の才があり、同期の中でも頭一つ抜けた実力を持つ彼女と張り合えるのはカミーヌだけと囁かれる程の俊才だった。

 

「なによ、なにか文句あるの? ふんっ、そうやって澄ました顔してクルージェも誑かしたのね。だけど私は誤魔化されないわ!」

「……やけに執着されるが、まさかこの女に――」

「ま、待て待て!? 違うッ! 我は性魔術自体は使ったが、それは相手を支配する類のものではないぞ! ちょっぴり快感が強くなるだけの些細な術じゃ!」

 

 ぎりっと歯軋りしてオルステッドを睨み付けるカミーヌ。憎々し気に吊り上げられた眼から嫉妬のような感情を感じたオルステッドがクルージェに疑念をぶつけるも、彼女は精神に干渉する類の魔術は一度たりとて使用していないと断言する。

 ……逆に言えば、それ以外の魔術は遠慮なく使用していたという事になるが、焦っていたクルージェは自分が神殿関係者に手を出していたと自白している事に気付かなかった。

 

「お前という奴は……あれほど神殿の人間との干渉は控えろと念押ししただろう」

「彼女は悪くないわ!」

 

 オルステッドが口を開こうとしたところで、クルージェを庇うような恰好でカミーヌが割って入る。

 

「彼女は私の価値観を変えてくれた。寧ろ感謝しているのよ。だからこそ、自分の正体は睡魔だと告白された時もすんなりと受け入れる事ができた。それまでの私では考えられなかったわ」

「なに、睡魔だと打ち明けた……?」

 

 堂々と答えたカミーヌから、視線を隣のクルージェに移す。

 か弱い人間の背に隠れていた仲間は、だらだらと冷や汗を流しながら恐る恐るといった様子でこちらを見詰めていた。

 

「……カミーヌ・セッテ。バリハルト教徒であるお前が、魔族の存在を認めるというのか。私の記憶が確かならば、それはバリハルトの教義に反する行為だぞ?」

 

 揺さ振りを掛けるオルステッドの問いに、対するカミーヌはふんと鼻を鳴らしてきっぱり言い放つ。

 

「言われるまでもないわ。私は元々、両親がバリハルト教徒だったから自然の成り行きでその一員になっただけ。だから然して気にならないわ。相手が男なら話は別だけど」

 

 もし厳格な信徒の耳に入れば間違いなく激昂するだろう物言いに、暫し黙り込むオルステッド。

 張り詰めた空気が両者の間から吹き上がるも、それは一瞬の事。剣呑とした雰囲気は直ぐに霧散し、オルステッドはカミーヌから視線を外す。

 

「私は部外者だ。お前がそれでいいなら、これ以上は何も言わん。その様子だと、周りの人間にクルージェの存在を口外していないのだろう」

「当然よ。野蛮な男だらけの神殿に、誰が彼女の話をするものですか」

「……は、話は纏まったのかのう? そ、そろそろ村に向かわぬと日が暮れてしまうと我は思うのじゃが……?」

 

 二人から一歩退いた距離でクルージェが遠慮がちに声を掛けると、オルステッドは無言の返事を返し、そんな彼を軽く睨んでからカミーヌがクルージェの傍に寄り添う。

 何とも言えない空気に珍しくクルージェが頭を悩ませつつも、一行は目的地に向けて再び歩き始めた。

 

 ……余談だが、実はカミーヌはセリカ達と違って休暇は与えられておらず、本来であればこの場にいない筈だった。

 だが、クルージェとの最後の思い出を作りたいという個人的な理由で、自分の業務を全て同僚であるスフィーダに押し付けてきたらしく、マクルに帰還した後、スフィーダから折檻を受けたらしい。

 

 

 ――キート村

 

 セアール地方の北部。雪月の谷と呼ばれる、一年を通して深い雪に覆われた山谷の麓にぽつんと存在する小さな村。それがセリカとカヤの生まれ故郷“キート村”だ。

 

 マクルの街を出発して数日。

 最初は乗合馬車を利用して北の街道を北上し、途中で遥か北の地であるレスペレント地方へと続く商路を外れると、何台もの馬車が並走できる程に余裕のあった道が急激に痩せ細っていった。それまで綺麗に整備されていた路面も気付けばごつごつとした荒れ肌に変わり、そこからは馬車を降りて徒歩での移動となる。

 都会に住んでいるような人間には少々厳しい山道だが、セリカ一行にとっては何の苦にもならず、賑やかに行進しながら更に丸一日かけ、漸く目的の村に到着した。

 

「おぉ、ここがカヤとそなたの故郷か! うむ、これは……なんとも……地味な集落じゃな」

「ははは……」

 

 お目当ての村に着いて早々に呟いたクルージェの身も蓋もない第一声に、それを否定出来ないセリカは乾いた笑いを零して頭を掻く。

 良く言えば長閑な。悪く言うと何も無い。特筆するとしたら、村をぐるっと囲むように設けられた獣除けの簡易な柵ぐらいだろうか。寂れてるという訳ではないが、隆盛極まる王都プレイアやマクルの熱気に慣れていたクルージェにとっては、どこか物足りなく感じてしまう。

 村全体を見渡してみても、表を出歩いている人間の数はマクルと比べて余りに少なく、若者の数は更に少ない。

 

「だから言ったじゃないですか、俺の故郷は何も無い田舎だって。祭りといっても派手なものじゃなくて、毎年の豊穣を祈るささやかな宴みたいなものですよ」

「あら、私は素敵だと思うけど?」

 

 微妙な面持ちのクルージェに、セリカは「里帰りをしている人達が居る分、これでも普段より賑やかな方ですよ」と達観しながら説明していると、にこにこと楽しそうに村の営みを眺めていたサティアが二人に語り掛ける。

 

「マクルにはマクルだけの、この村にはこの村だけの独自の営みがある。若い人は活気に満ちたマクルに惹かれるかもしれないけど、私は自然と共存しているこの村の落ち着いた空気が好きだわ」

「むむぅ……言われてみれば確かにそうじゃな。新鮮味には欠けるが、偶にはこんな土地で羽を休めるのも悪くないかもしれぬ」

 

 朗らかな笑みを向けるサティアに釣られて、知らず識らずのうちに顔が綻ぶクルージェ。すると、ふとサティアの首から胸元にかけて垂れ下がっているペンダントに目が付いた。

 金の装飾が施された台座の中にすっぽりと収められた楕円形の宝石。奇しくもそれはクルージェの髪留めと同質の、淡い翡翠色の輝きで彩られていた。

 

「フフ、これは幻獣ラガタ・ムンの卵の殻を加工して作られた宝石よ」

 

 クルージェの視線に気付いたサティアがほんのりと顔を赤らめ、照れたように笑みを浮かべながら語る。

 

「少しだけ前に、セリカと二人でこの村を訪れた事があってね。その時に彼からプレゼントしてもらった思い出の品なの」

「ふふん、奇遇じゃな。我も同じ宝石で作られたものを持っているぞ。……ほれ! この髪留めがそうじゃ」

「まぁ……! という事はやっぱり……ウフフ」 

 

 

 幸せそうに微笑むサティアに対抗意識を燃やすクルージェ。こっちだって負けてはいないと彼女が自分の髪留めをサティアに見せびらかすと、それを見たサティアは意味深な笑みを浮かべてから、こっそりとクルージェに耳打ちする。

 

「知っていたかしら? その宝石はこの村でしか採れないとても希少なものなの」

「ほほう、それは真か! オルステッドめ、高貴な我に見合うものを見繕うとは、意外と殊勝な奴よ」

「それともう一つ。この宝石は番となったラガタ・ムンの卵が材料になっている事から、恋人の男性が将来を誓う相手に贈る装飾品として定番になっているらしいの」

「ほうほうそれは――……?! な、なななんじゃとぉ!?」

 

 サティアの説明を聞き終えた瞬間、余裕の笑みを浮かべていたクルージェの顔が一気に紅潮し、動揺を隠せずにそのまま数歩後退りした。ちょっとした悪戯心で話をしたサティアが予想以上に大きかった彼女の反応を微笑ましく見ていると、

 

「……ッ、クルージェ! 折角だから一緒に村を回りましょう!」

「のわ!? ま、待て、そう引っ張るでない!」

 

 後ろで黙って話を聞いていたカミーヌがクルージェの腕を掴み、ずるずると引き摺って行く。

 助けを求めようとクルージェがオルステッドの方を振り向くが、肝心の男はセリカと何やら話し込んでおり、こちらの状況に全く気付いていない様子だ。

 

「そ、そなた! 本当は気付いておるじゃろ!? この薄情者がぁー!!」

 

 断末魔の叫びを上げて村の中に消えて行った仲間を尻目に、オルステッドは声を潜めながらセリカとの会話を続ける。

 

「――そうか。事情は分かった。つまり、お前は亡き父の遺志を継いで、呪われた神器を浄化する方法を探している訳か」

「はい。もし何か知っている事があれば、どんなに些細な事でもいいので教えていただけませんか?」

 

 真剣な空気の中、二人が話していたのはバルハルト神殿の最奥部にて厳重に封印、管理されている神器“ウツロノウツワ”に関わる内容だった。本来であれば重要機密である彼の神器の情報を外部の人間に漏らすなど、決してあってはならない事。

 だが、オルステッドの人柄を信用していたセリカは敢えてオルステッドに打ち明け、旅人である彼に神器の浄化に繋がるような話が聞けないか尋ねた。

 

「……いや、その神器についての心当たりは無い」

「そう、ですか……」

 

 ――しかし、オルステッドからの回答は芳しくないものだった。

 と言っても話をしたセリカ自身、最初から望み通りの結果が得られるとは思っていなかったので、落胆の色は少ない。

 

「すまない、何か力になれる事があればよかったのだが……」

「そんな事ありません! 自覚は無いかもしれませんが、貴方からは多くの事を学ばせてもらいました。任せてください、必ず浄化の方法を見付け出してみせます!」

 

 顔を曇らせたのも束の間、すぐに気を切り替えて力強くそう宣言した彼の姿を見詰めて、オルステッドは心の中で呟く。

 

(……私の出る幕は無い。大丈夫だ、きっとこの青年なら私のような過ちは犯さないだろう……例え間違った道に踏み入りそうになったとしても彼には家族が、頼れる仲間が、そして……お互いに想い合う女性(ヒト)がいる)

 

 心中で安堵の息を吐いたオルステッドはその後、セリカとサティアに気を遣い、彼らが二人きりになれるよう「村を見て回る」とだけ言い残すと一人でふらりと村の散策を始めた。

 

 一方その頃。先に村の中に入り込んだクルージェとカミーヌはというと……

 

「カミーヌよ、何やら向こうから良い香りが漂ってくるぞ」

「多分あの屋台からじゃないかしら? 村の名産品の饅頭を売っているみたいよ」

「なんと、饅頭とな! どれ、ちょっと顔を出してやるとするか」 

 

 何だかんだで祭りを満喫していたクルージェが次に目を付けたのは、密かに人気のあるキート村名物の饅頭である。風のように素早く移動したクルージェが屋台の前に身を乗り出すと、店主の老人が自慢の白い髭を撫でながら彼女を出迎える。

 

「ほっほっほ。これはこれは、随分な別嬪さんが来てくれたの」

「店主よ、我は饅頭を所望する! 取り敢えず百個求むぞ!」

「見た目によらず大喰らいなんじゃのう。では先にお代を頂こうかの」

「オルステッドよ! 支払いは任せ……あっ」

 

 店主からの請求に、クルージェは手馴れたように背後を振り返り――そこに、いつもの仲間の姿が無い事に気付く。

 

「しまった、あ奴とは村の入口で別れたのだった……! なんという事じゃ、今の我は一文無しというのか!」

「貴女って実は結構、頭が緩いのね……でも、そんなところも愛おしいわ……フフフ」

「な、なんじゃこの娘っ子たちは? これが都会に染まるという事なのかの」

 

 両手で頭を抱え、絶望に震えるクルージェ。後ろから追って来たカミーヌはその情けない姿を目の当たりにして、何故かうっとりと頬を綻ばせている。自分の店の前で奇行を始めた美女二人に店主が困惑していると、クルージェがよろよろと店主に顔を向け、何とかならないかと懇願した。

 

「残念じゃがお代が無ければ商品は渡せないのう」

「ぐっ……そ、そこを何とかならぬか?」

「渡せないものは渡せぬ――と、言いたいところじゃが……ふむ」

 

 ここで店主は言葉を濁し、妙案が閃いたとばかりにぽんと手を叩く。

 

「そうじゃな。代わりに何かしらの対価が貰えるのならば話は別じゃ」

「対価? ……ッ! こ、この髪留めはやらんぞ!」

「ほっほっほ。なに、別に金目のものを取ろうなぞ考えてはおらぬよ。もっと単純な事じゃ」

 

 焦ったように自分の髪留めを両手で押さえたクルージェに、店主がすっと指を差す。

 老人の指先が向けられていたのは――ローブの中から激しく自己主張するクルージェの豊かな双丘。

 

「この立派な“ももまん”をほんのちょっぴり突かせてもらえるなら、百個と言わずこの屋台全ての饅頭をやるぞい?」

「なんじゃ、そんな事か。いいぞ、我は一向に構わん!」

「ほっほっほ。都会の娘っ子には刺激が強すぎたかの――……ほえ? んなっ、なんじゃと!?」

 

 冗談のつもりで言ったつもりが、まさかの快諾に仰天する店主。

 当の本人は両腕を腰に置いて胸を張り、威風漂う佇まいで店主を待ち構えている。

 

「ほ、本当かえ? 年寄りに嘘はいかんぞ?」

「フッ、安心するがよい。老い先短い御老体に夢を見させてやろうというのだ。さぁ、遠慮なく来い!」

「そ、そそ、そうかの! それじゃあ失礼して……ヒィッ!?」

 

 鼻の下を伸ばしながらクルージェの胸に触れようとした店主が悲鳴を上げる。

 恐怖に慄く視線の先に居たのは、クルージェの背後で満面の笑みを浮かべて店主を見詰めるカミーヌ。

 

「……フフフ、どうしたのお爺さん? そんなに怯えた目をして」

「あ、あがっ、あわわわ……!」

 

 にこやかに語り掛けてくる美女から、言い知れぬ圧力を感じた店主の顔色が急速に青白くなっていく。

 

「大丈夫? 酷い汗を掻いているわ。それに呼吸も荒いし、体調が悪いのかしら?」

「そそ、そうじゃな。か、風邪でもひいたのかもしれんのう」

「まぁ、それは大変ね。何処か人目に付かない落ち着いた場所で身体を休めなくちゃ。フフ、私が連れて行ってあげるから――」

「結構じゃあ!! い、命だけは、ひえぇ許してくれぇーッ!?」

 

 怯える老人を労わるように優しい言葉をかけながらゆっくりと近付いてきたカミーヌに、遂に耐え切れなくなった店主が自分の店をも放り出してその場から逃げ出してしまう。

 

「これ、店主よ何処へ行く? ……って、こら待て! 待てと言っておろうに!」

 

 突然の店主の変貌に狼狽えるクルージェ。もう少しでお目当ての代物が手に入ると期待していたら、何故かいきなり店主が奇声を上げて走り去ってしまったのだから。

 もし彼女が自分の背後に佇んでいたカミーヌの顔を目にしていれば、その理由も解った事だろう。しかしながら、この時の彼女の目は甘い匂いの漂う饅頭の群れに釘付けにされており、哀れな老人の心中は誰にも察せられる事はなかった。

 

「……我の饅頭はどうなるんじゃ……」

 

 重い溜息を漏らし、がっくりとクルージェが項垂れていたところで、落ち込む彼女の肩にそっとカミーヌの手が乗せられる。

 

「そんなに落ち込む事じゃないでしょう。しょうがないわね、私が代わりに代金を払ってあげるわよ」

 

 無人になった屋台に数枚の銀貨を置いて、梱包されていた饅頭の箱を手に取ったカミーヌがクルージェに手渡す。

 

「な、なんじゃと! 流石は我が同志――否、我が友じゃ!」

 

 諦めかけていたものが手に入ったクルージェは感激のあまりカミーヌに抱き着いた。

 それをやれやれと面倒そうな表情で受け止めるカミーヌであったが、内心では。

 

(あぁ……ステキ。甘くて蕩けそうな香りで一杯だわ……はぁ、はぁ……ダメよ私、こんな、はしたないわ。でも、耐えられない……ああ、どうして貴女はこんなに魅力的なの?) 

 

 冷静な外面の裏で悶々としながら、無邪気に擦り付くクルージェの柔らかな肢体を存分に堪能していた。

 バリハルト神殿の若き神官、カミーヌ・セッテ。

 凛々しい女戦士でもある彼女は睡魔王女の蠱惑的な魅力の前に、あっさりと陥落する。

 

 

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 ――数日後。

 

 キート村からマクルへ帰ってきたセリカは、サティアを連れて行きつけの酒場“風人魚亭”を訪れていた。

 

「やっときたわね。こっちよー!」

 

 店内に入った二人を、先に店についていたカヤが手を振って出迎える。

 店の奥にある、親しい仲間が集まる際の定番の席から大きな声で呼びかける姉に苦笑しつつ、セリカはサティアの手を引いて姉が待つ円卓の前へと歩いて行く。

 

「いいタイミングに来たわね。丁度ダルノスの用意も出来たところみたいよ」

「おう! 祭りは楽しかったかセリカ!」

 

 目配せしたカヤの視線の先から、両手に大きな盆を乗せたダルノスが笑いながら現れる。

 ドンっと豪快に円卓の上に広げられたそれは、絶妙な火加減とダルノス拘りの調味料で味付けされた肉料理の山であった。

 料理とは無縁そうに見えて、実は結構な腕前を持つこの男。とは言っても今までにその腕を披露したのは、懇意にしている一人の娼婦と、目の前の姉弟を合わせた三人だけだった。それ故に、面識の無かったサティアに最初こそ渋っていたが、自慢の弟分の恋人という事もあって、気にせず振る舞うようにしたようだ。

 

「あーあ。あの鈍感極まりない坊やにも遂に恋人が出来ちゃったかー。お姉ちゃん嬉しくって涙がでちゃいそうよ」

「鈍感は余計だ! 余裕ぶってるけど、そういう姉さんはどうなんだよ? 浮ついた話は全然聞かな――いてっ!」

「うっさい! この馬鹿!」

 

 酒が入り、酔った勢いでつい口が滑ってしまった弟の脳天に姉の鉄拳が振り下ろされる。

 

「あ、頭が割れる……っ!」

「ふーんだ。デリカシーの無いアンタが悪いのよ」

 

 痛みに悶えるセリカに舌を出していい気味だと吐き捨てるカヤ。

 頭を押さえながら不満げにこちらを睨む弟を見て少しだけ溜飲が下がるものの、隣にいた恋人(サティア)が弟の介抱をする光景を目にした途端、忽ち不機嫌な顔に逆戻りする。

 

「おいおい、えらく機嫌が悪そうじゃねーか。お前がそんなに飲むなんて珍しいな」

「ふんだ、ほっといてちょうだい」

 

 胸の中で燻る想いを誤魔化すように手元の酒を一息で飲み干した彼女を見かねて、冗談混じりにダルノスが話し掛ける。

 

「そうかぁ? へ、またカミーヌあたりと喧嘩でもしたんだろ」

「残念、ハズレ。アンタは知らないだろうけど、最近のあの娘は随分と丸くなったのよ? 今も旅立ったクルージェの帰りを心待ちにしているわ」

「なんだそりゃ――って、なに? 旅立っただと?」

「あー……そっか、アンタは何も聞かされてないのね。まぁ、簡単に言うと――」

 

 話が読めていない様子のダルノスにカミーヌとクルージェの関係を所々ぼかしながら説明し、ついでに昨晩の出来事を酔った頭で思い出しながら語っていく。

 

 ――昨晩。

 

「カヤよ、暫しの別れじゃ。そなたとの語らいは楽しかったぞ」

「大げさねぇ。ま、偶には遊びにいらっしゃい。あんた達ならいつでも歓迎するわ」 

 

 神妙な顔をして礼を述べる友人(クルージェ)の似合わない姿に思わず吹き出しそうになりながらも、そこは空気を読んで朗らかな笑顔で答えるカヤ。それからもクルージェはドラブナの森での一件で、世界を見る目が広がった事。マクルの市場で沢山の未知を発見した事。何よりも、カヤにセリカ、それからカミーヌという、生涯で初となる“友”の存在を得た喜びを嬉しそうに語った。

 そして……たっぷりと時間をかけて全てを語り終えたクルージェが、そろそろ戻らねばと名残惜しそうに部屋を後にしようとした時――

 

「……あっ! クルージェ、ちょっと待って!」

「うむむ、これ以上は寂し――ゴホン、明日の備えをしなくてはならぬのじゃが」

「ごめんなさいね、でも思い出した事があって……ほら、前に貴女、可愛い給仕服を見せてくれた事があったじゃ

ない」

「む……ああ、じゃがあれは……」

 

 それは先日、カヤの家を訪れたクルージェが彼女に自慢するために、プレイアの宿の女将から譲り受けた自身と同じ紅色の給仕服を見せた時の出来事だった。

 どうだと得意げに披露したまではよかったのだが、よく見てみるとスカートの一部が破けていたのだ。指摘されてその事に気付いたクルージェは慌てて街の服屋に駆け込んだが、修繕しようにも何やら特殊な生地で作られているようで、同じ生地を使用しなければ元の状態には戻らないだろうと無情に告げられてしまう。

 その時の酷く落ち込んだ彼女を隣で慰めていたカヤは、この場である決断をする。

 

「ねぇ、その服だけど、私に預けてくれないかしら?」

「なんじゃと? 一体どうするつもりなんじゃ?」

 

 疑問を呈する友人に、カヤは笑って答える。

 

「フッフッフ。こう見えてあたし、裁縫は得意なの。この街には世界中の珍しい品々が流れてくるから、もしその服と同じ素材の生地を見付けたらあたしが直してあげるわ!」

 

 クルージェの仲間のオルステッドには、大切な弟が世話になった恩がある。クルージェ本人の事も好ましく思っていた彼女にとって、これくらいの労は苦にならない。 

 任せてくれと自信満々に告げたカヤの提案を、クルージェが断る理由は無かった。

 

「――という感じでクルージェから服を預かったのよ。目的を達成した二人がまたこの街に寄ったら、元通りになった服を返してあげるって約束をしてね」

「へぇ、そんな事が」

 

 そう言った姉に感心したようにセリカが相槌を打とうとした時、一緒に話を聞いていたダルノスが「なにぃッ!?」と驚いた声を上げ、座っていた椅子を蹴飛ばしながら立ち上がった。

 

「てこたぁ、アイツは……オルステッドの野郎はもうこの街に居ないのか!?」

「当たり前じゃない。ちゃんとあたしの話を聞いてた?」

「なっ、なんてこった! あれ程の猛者はそういないってのに、結局俺ぁ一度も手合せ出来なかったのか……っ!」

 

 振り絞るようにそう叫んだ後、力が抜けて倒れた椅子の上に尻餅をついたダルノスがあまりに滑稽で。

 カヤとセリカは二人揃って大笑いし、最後の良心であるサティアでさえ、口元を手で押さえて小さく笑い声を漏らしてしまう。

 

 マクルの街は、今日も穏やかな風が吹いていた――

 

 

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 ――それから更に数週間が経ったある日。セアール地方東端の名も無き山道にて。

 

「オルステッドー!」

「何だ?」

 

 馬車に揺られる事、半日。昼に出る唯一の便に乗り遅れてしまった為、真夜中の便に乗って出発したオルステッドとクルージェ。既に空は爽やかな青空に、頭上からは燦々と輝く太陽が地上を進む彼らを見下ろしてした。

 

「フッ、呼んだだけじゃ。用は無い」

「……」

 

 オルステッドが静かに怒気を募らせれば、慌ててクルージェが「冗談じゃ!」と謝罪する。

 そんな意味の無いやり取りを延々と繰り返していたクルージェは、にんまりと笑みを浮かべながら唐突にこんな事を言った。

 

「オルステッドよ。そなたと出会ってから、我は自分が変わったような気がするのじゃ」

「……」

 

 相手からの返事は無いが、これまでの付き合いから彼が悪くない反応を示している事がなんとなくだが解った。

 フノーロからプレイア、そしてマクルと各地を旅してきて、自分の心の中に上級睡魔らしからぬ感情が芽生えている事を最近になってより強く自覚するようになってきている。 

 

 たかが人間如き――そんな考えを抱いていたのも最早、過去の話。

 こんな己を、きっと同じ魔族の者は侮蔑の目で見下すだろう。血族である睡魔の娘らからは失笑を買うかもしれない。

 

 ――だが、それがどうした? 

 

 張りぼて染みた安い見栄を捨てるだけで意中の男に想いをぶつけられるというのなら、喜んで放り投げてやろう。ただでさえ、相手の男の心には別の女が住んでいるのだ。中途半端な気持ちで挑んでも門前払いをもらうだけ。

 

 ならば――余計なものは捨てて、全力で挑戦するだけだ。 

 

「同族が今の我を見たら、我の考えを否定するかもしれぬ。じゃが、それでも良い。我は我じゃ、魔族以前にクル

ージェという一人の女であり、そして――ぬぉッ!?」

 

 ここが勝負どころだとクルージェが気合を入れた直後、急に二人の乗っていた馬車が激しく揺れ始める。

 金属が拉げるような嫌な音が足元から響き、ぐらりと大きく斜めに傾いたのを最後に、馬車は完全にその動きを止めてしまった。   

 

「ぐぐぐ……おのれ、いいところだったのに……!」

「大丈夫ですか、お客さん!?」

 

 肝心の台詞を遮られて心底悔しがるクルージェの背中に、外から乗客の様子を確認しに現れた御者の慌てた声が掛かる。

 

「も、申し訳ありません! どうにも車輪を支える軸が曲がって――」  

「言い訳をするでないわぁッ!!」

「ひぃっ!? や、やめてください!」

「その辺にしておけ」

 

 怒り心頭のクルージェに襟首を掴まれた御者が必死にもがいていると、遅れて幌馬車の中から出てきたオルステッドがクルージェの肩を掴み、憤慨している彼女を御者から引き剥がした。

 

「す、すみません。有難うございます」

「礼はいい」

 

 恐縮したように何度も頭を下げる御者から目を離し、背後を振り返る。

 其処には、片側の車輪が外れ、地面に片膝を着いて前のめりに倒れた状態の馬車があった。

 

「……酷い有様だな。これではどうにもならんだろう」

「申し訳ありません、御代は結構ですので……」

「そういう訳にはいかん。無理を言ってここまで馬車を出してもらったのだ。せめて補償分の金は払おう」

「こ、こんなに!? 有難うございます! 私はここまでですが、どうかお気を付けて!」

 

 自走不可能になってしまった馬車に見切りをつけたオルステッドは、北東のケレース地方へと続く山道を見据える。

 

 地平線の先に広がる雄大な山脈、名をルプートア山脈という。

 セアール地方とケレース地方を東西に分け隔つ巨大な壁であり、人々はこの地を避け、オウスト内海を経由して両地方を行き来している。その理由は単純だ。今しがたオルステッド達の乗車していた馬車に起きた惨状を見て分かる通り、起伏が激しく、細くうねった悪路が延々と続くこの山を越えるのは非常に困難なのだ。おまけに、ケレース地方から流入してくる魔物達が其処彼処で犇めいている為、無事に山越えをしようとなると、とんでもない数の護衛が必要になってしまう。それならばと、比較的安全な海路を人間達が選択するのは至極当然の事であった。

 しかし、危険というのは現地の人間達に限った話であって、そこいらの傭兵崩れなど歯牙にもかけない二人にとっては魔物が群れて掛かってこようが、何ら問題ではない。更に付け加えれば、殆どの人間が海を渡って行くので、極力人目を避けるように心掛けているオルステッドの方針にも当て嵌まる最適のルートなのである。

 

「ここからは徒歩になる。行くぞクルージェ」

「むぐぐぅ……っ! 千載一遇の好機を逃してしまうとは……おのれ、あの若造めぇ!」

 

 仲間に呼び掛けるオルステッドだったが、クルージェはというとまだ憤りが収まっていないようで、地団駄を踏んで先程の御者へ恨み言を吐いていた。それを見たオルステッドは、またかと溜息を漏らす。

 

(相変わらず堪え性の無い奴だ)

 

 ムキになって癇癪を起こす彼女の賑やかな姿も、オルステッドには見慣れた光景であった。だからこそ、彼は普段と変わらぬ調子で、何気無くその一言を口にしてしまった。

 

「またお前は何を訳の分からん事を。()()()()事を言ってないで、先に行くぞ」

「……なッ! くっ、下らぬ……じゃと!?」 

 

 オルステッドが発した言葉にクルージェが硬直する。

 

「……? 一体どうし――」

 

 口を大きく開いたまま動かなくなった仲間の妙な様子にオルステッドが違和感を感じた、その瞬間――

 

「こ……こっ、このぉ……おお馬鹿者があぁーッ!!」

「ぐぉっ!? ――待て、クルージェ!」

 

 近付いてきたオルステッドを跳ね飛ばし、クルージェは叫びながら森の奥へと飛び出してしまう。

 豹変した彼女の剣幕に驚きつつも、素早く立ち上がった彼が仲間を止めるべく手を伸ばそうとした時には、既に彼女の姿は見えなくなっていた。

 

 

          ・

          ・

          ・

          ・

          ・

 

 

「うぅぅ……馬鹿者め……オルステッドの大馬鹿者めぇ……っ!」

 

 オルステッドから逃げるように飛び出してきたクルージェは一人、鬱蒼とした森の中を彷徨い歩いていた。

 

「我の心も知らずに……グスっ……」

 

 本来であれば妖艶な色香で化粧をされた美貌も、今は涙でぐずぐずに濡れている。

 何の当てもなく無我夢中で森を駆けて来たせいで、今現在、自分が何処にいるのかも定かではない。美しい紅玉の双眸を更に真っ赤にして彼女が鼻を啜っていた、その時だった。

 

「……む? なんじゃ、あそこから魔力の高まりを感じる……?」

 

 自分のすぐ近くから魔力が集まる気配を感じ取ったクルージェは、その発生源である場所へと向かう。

 

「これは……召喚魔法、かの? 随分と丁寧に術式が編まれているようじゃが――ッ!?」

 

 森が拓いた広場のような場所に出たクルージェの目の前に広がっていたのは、幾重にも折り重なって展開された円状の魔術式と、それから零れる淡い魔力光の帯。

 魔術についてそれなりの知識を持っていた彼女は一目でそれが召喚魔法――それも、海を越えて遠く離れた場所へと送還する事が出来る大規模な術だと察する。

 そして、その術で繋がった冥い大穴の向こうより、途轍もなく恐ろしいナニカが送られて来ようとしているのが分かってしまった。

 

「こっ……これは?! この禍々しい気配は、まさか――」

 

 大地が震える。

 

 圧倒的な魔の気配が膨れ上がり、大穴から噴き出した暴力的なまでの魔力の奔流が山を塗り潰す。地面が、森が、空が、この地に住まう全ての生命が悲鳴を上げた。

 

「まさか、そんな、あぁあ……! や、奴だ……この気配、間違える筈がない!」

 

 得体の知れないナニカがゆっくりと、しかし着実に近付いて来る。

 滝のような汗を流しながらクルージェはその場から逃げようと足に力を籠めるも、両足は恐怖で竦み、まるで鉛の様に重かった。それでも必死になって震えながら魔法陣から背を向けたクルージェの耳に、それは届いた。

 

「――やれやれ。龍人(ナーガ)族の賢者め、してやられたわ」

 

 声がした。

 勇ましくも艶やかな、耳をくすぐられるような色気に満ちた声が背後から聞こえた。

 

「あ、ぁ……貴様は……やはり、貴様であったか……!」

 

 勘違いであって欲しいというクルージェの切なる願いを嘲笑うかの如く、魔力光の粒子の中から青髪の女が悠然と降り立った。

 踊り子の様な煌びやかな服装から、白く眩しい女の艶肌が惜しげもなく晒される。すらりと伸びた細い手足。組んだ両腕の上からは、大きな二つの膨らみが零れ落ちそうになっていた。

 大海の如き深い蒼に染まった髪が、自身の内より発せられる魔力の余波によって静かに揺らめき、我の強そうな鋭い蒼眼には常勝無敗なる絶対的な自信が宿り――

 

「ほう? 主には覚えがあるぞ。……ああ、そうであった。さてはお主、ニース地方の片隅にある迷宮を根城としていた睡魔だの? 何時の間に姿をくらましたかと思えば、よもやこんな所に隠れておったとはの」

 

 桁違いの魔力を前にして膝を着きそうになるクルージェを上から見下ろし、絶対覇者は口元に弧を描いて愉快気に嗤う。

 

「ふむ……少し見ない間に力を蓄えたようだの。我の足元にも及ばぬ矮小な魔力だが、余興には丁度良い」

 

 安寧の時は終わりを告げ、世界を巻き込む巨大な嵐がやってくる。

 

 個人の意思や想いなど関係ない。力こそがこの世の真理であるとするならば、彼の魔神を縛るものはこの世に存在し得ないだろう。勝手気ままに世界に災いを振り撒く、歩く天変地異。正に災厄の化身であり、暴力の権化である彼女を止められる術は、無い。

 

「フッ、……我は今、久方振りに昂っておるのだ。慰め程度にしかならぬだろうが、お主を相手にしてこの昂りを鎮めるとしようぞ」

 

 

 ――――地の魔神、来たる。 

 

 

 

 

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