堕ちた勇者は彼の地にて   作:胸焼け

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第25話 睡魔王女と魔槍少女

 バリハルトの勇者、神格者セリカ・シルフィルが古の女神との決戦に臨んだ運命の日から一夜明けた頃。マクルの街より東、セアール人らの交易路である蛮神の街道からやや北に外れた森の奥深く。スティンルーラ族の隠れ里、クライナの集落は物々しい雰囲気に包まれていた。

 

「聞いたか? 昨晩、西の村が侵略者共に襲撃されたらしい」

「ああ。斥候に出ていた戦士の一団が保護したという、生き残りの話だな?」

「村は焼かれ、若い女は皆連れ去られてしまった……くそっ、これで何度目になるんだ……!」

 

 表を出歩く人々に笑顔は無い。足を止めた幾人かがそこらの物陰でひそひそと囁く話は、どれもこれも顔を顰めてしまうような暗いものばかり。晴天の昼下がりにも関わらず子供らは家の中に閉じこもり、大人達は信じ難い蛮行を繰り返すバリハルト神殿への憎しみの念を募らせていた。

 

「しかし解せぬ。犠牲者の数は日増しに増えているというのに、長老は未だ事態を傍観しておられるというのだ」

「アメデ様は一体何をお考えか! この期に及んで、まだ彼奴らとの対話の道を望むとでも言うのか!?」

 

 多くの人々が行き交う広場の片隅で、人目を憚らずに自分たちの指導者への強い不満を露にする二人の女戦士。彼女達のように、親しい人間をバリハルト神殿に奪われた者はこの集落にも大勢いる。しかし、当代の長は武力での争いを望まぬ穏健派の領袖だ。彼女の厚い人望と類稀な政治手腕によって、今すぐ敵に報復するべきだという声は辛うじて抑え込まれていた。

 と言っても、全ての同胞がそれに賛同している訳ではなく、長老に反発した一部の勢力は水面下で独自に動き始めている。広場での騒ぎを聞きつけ、戦士らの前にすっと歩み出た女もまた、その勢力に属する一人だった。

 

「抑えよ。我らが戦士長は既に戦支度を進めておいでだ」

「なにっ……エカティカ様が?」

「そうだ。此処だけではないぞ。決起の呼び掛けに応じて、各集落の代表が夜な夜な戦士長の下を訪れているとの噂よ」

 

 苦しみ嘆く民の叫びに、偉大なる戦士は立ち上がった。志を同じくする各地の同胞らを糾合し、憎き侵略者共の本拠地に攻め入ることで、失われた先祖の土地と一族の誇りを取り戻そうというのだ。側近の不穏な動きに長老アメデも薄々勘付いてはいるだろう。だが、もう遅い。一斉蜂起の手筈は整えた。長老に近しい者達への根回しも済んでいる。もはや、誰にもこの流れは止められない。

 

「数日と経たぬうちに状況は変わる。その怒りは然るべき時に、然るべき相手にぶつければよかろう」

「そう……だな」

「愛する家族を奪われた我らの無念、必ずや奴らに思い知らせてやる……ッ!」

 

 数多の獣の首を刈り取った曲刀を手に取り、復讐の呪詛を漏らす戦士らの姿に女は満足げに頬を緩め、話に熱中する二人を捨て置いて人混みの中に身を滑らせる。これでまた同志が増えた。はっきりと感じた確かな手応えに扇動役のその女は充足感に浸る間もなく、次なる標的を求めて動き出す。

 

(そうだ、思い知らせてやるのだ。我々が味わった苦痛を、あの忌々しい侵略者共にな)

 

 黒く濁った眼を細め、市場の方へと消えていく女。それとすれ違うようにして、先ほど彼女に話し掛けられた者達とはまた別の戦士が、人混みを外れて集落の奥に向かおうとしていた。

 

「ふん、やはり気に入らぬ。あんな男さっさと殺してしまえばいいものを、どうして……」

 

 悪態を吐きながら若い戦士が寂れた裏道を進んでいく。中心部から離れたひと気のない場所に目的の人物は住んでいた。正しく言うと、“住んでいる”のではなく“囚われている”のだが、どちらであろうと彼女のやる事に変わりはない。与えられた役目をただ黙々とこなすだけである。

 

「すまぬ、遅くなった。件の男の様子はどうだ?」

「何も変わらん。相も変わらず大人しくしているらしい」

「なんだ、面白くない。少しは暴れてくれれば、奴を殺す口実になるというのに」

「……今のは聞かなかった事にしておく。こっちだ、ついてこい」

 

 些細な冗談にも眉をひそめる堅物な見張り役の出迎えを受け、彼女に案内されるまま奥へと進んでいく。賑やかな中心部を外れ、人々の喧騒が完全に聞こえなくなったその先に、寂れた石倉がひっそりと佇んでいた。建物の周りには巡回中の戦士らの姿がちらほらと見える。これはエカティカの命令によって、数日前から配備されるようになった監視の目だ。味方であろうと油断なくこちらを警戒する同胞達の刺すような視線に耐え、倉の門前にまで辿り着いた二人を赤髪の門番が迎え入れる。

 

「待っていたぞ。後ろのお前は新顔だな? 随分と若く見える」

「ふん、それがなんだと言うんだ。いいからさっさと門を開けてくれないか」

「む……これは失礼した。いや、私の妹と同じくらいの年頃かと思ってつい、な。うむ、少し待っていてくれ」

 

 会話もそこそこに、門番は錆び付いた閂を外して鉄扉を押し開いた。鼻先を湿気った空気特有の不快な臭いが掠め、露骨に戦士の顔が歪む。出来れば入りたくないが、任を全うする為にもここで立ち往生している場合ではない。そう己を奮い立たせようとするも、どうにも踏ん切りがつかない。そうこうしているうちに、早く用件を済ませてしまえと他人事のように催促する見張り番に背中を押され、渋々といった風に戦士の重い足が漸く入口の仕切りを跨ぐ。

 倉の中は外観から想像していたよりも一回りほど狭かった。だが、独房として考えるとこれでも十分に広いと言える。冷たい石壁に囲まれていて圧迫感は感じるものの、五、六人は楽に収容できるぐらいの空間はあるのだから、罪人に対する処遇としては上等だろう。そのような事を考えながら戦士は薄暗い室内を見渡す。そして、鉄格子の向こう側の隅で蹲っていた囚人を視界に収めた。

 

「起きろ、食事だ」

 

 ……しかし、返事は返ってこない。

 

 よもや寝ているのかと最初こそぶっきらぼうに何度も呼び掛けていたが、全く反応しない相手に段々と戦士の中で苛立ちが募る。

 

「おい。ふざけているのか? 聞こえているなら顔ぐらい見せたらどうだ」

 

 寝息も立てずに頭から毛布に包まり、置物のように静かに突っ伏している囚人の太々しい態度に、早々に我慢の限界に達した戦士が格子戸を開く。ずかずかと押し入って囚人の前に立ち、腰の得物を抜いて思案する。少し、脅してやろうか。心に芽生えた悪魔の囁きに従い、無防備に足元に転がる囚人に声を投げ掛けようとして、戦士は目を見開く。握っていた短剣を床に落とし、焦燥感に駆られるまま毛布を勢いよく捲り上げる。

 

 ――そこにいたのは憎たらしい囚人の男、ではなく。

 寝転がった人間に見えるように丸められた、ゴザの塊だった。

 

「ッ……そんな……そんな馬鹿なっ!!」

「どうしたのだ? 何か問題でも――っ!」

「これは……どういうことだッ! 囚人がいないだと!?」

 

 騒ぎを聞きつけて外から駆け込んだ者達も、揃って無人の牢に驚愕する。

 逃げ場など何処にも無かった筈なのに、一体どうやって逃げ出したのか。囚人の影も形もなくなった室内で戦士達が狼狽えていた矢先に、門番の女がゴザの背中から僅かに光が漏れていることに気付く。まさかとソレを除けてみれば、後ろの壁には人ひとりが這い蹲ってようやく抜け出せるくらいの狭い風穴が開いていた。

 

「いつの間に、こんな……常に巡回していた筈なのに……!」

「おのれっ! 見張りは何をしていたのだ!!」

「……落ち着け、所詮ヤツは余所者。運良く逃げ出せてもこの森を抜ける事は叶わぬ。周辺を隈なく探せば、容易く尻尾を掴める」

 

 最初に牢屋の脱出口に気付いた門番が冷静にそう告げると、周りの仲間も幾分か落ち着きを取り戻したようだ。すぐに動ける者達で捜索隊を編成し、余所者が向かいそうな何通りかの逃げ道に目星を付け、あっという間に散らばって行く。その場に残ったのは、万が一にと待機を命じられた若い戦士だけであった。

 

「くそっ……何故私だけが……!」

 

 残された理由は分かっている。あの場で、自分が一番年若かったからだ。

 言外に半人前だと宣告された戦士が、苛立ち紛れに壁を殴り付ける。すると拳を離した時に、壁に何か鋭い刃物か鉄片で突き刺したような跡があるのが見えた。

 

「なんだ、これは?」

 

 注意深く目を凝らせば、その跡の横にはワームののたくったような下手な字で『上を見ろ』と書かれているではないか。若き戦士は訝しげに、それでも素直に天井を見上げてみたが、特に何があるわけでもない。薄暗い屋根を支えている梁は樹齢の長い大木をそのまま這わしたかのように立派で力強く、集落の子供らが遊びでよくその上によじ登っていたなと、思い出し笑いを零しつつ視線を戻す。その直後、彼女は己の迂闊さを呪う。

 

「……貴様。逃げて、いなかったのか……っ」

 

 入口は開かれたままで、外から差し込む光に背を向けた姿勢となっている彼女は、戻した視線の下に隠れていたものを見てしまった。苦々しく言葉を吐き出してから数秒後。足元の床に伸びる戦士の細い影を、すっぽりと覆い尽くしてあまる程の大きな影の主から返事が返る。

 

「そりゃそうだ、さっきの女も言ってたろ。俺みたいな余所者が闇雲に逃げたところで、迷って野垂れ死ぬのがオチだってな」

「くっ……辱めは受けぬ! さっさと殺――あイタっ!?」

 

 勘違いした小生意気な娘の脳天に容赦なく手刀を落とし、無精髭を生え散らかした大柄な男――ダルノス・アッセは三流の悪役がするような品の無い笑みを携えながら囁いた。

 

「馬鹿やろう、お前みてぇなガキに誰が欲情するってんだ」

「ふ、ふざけるな! 私はもう大人の戦士だ! これ以上侮辱するなら……ま、待て! イタ、痛い痛いっ!?」

「いいか、お嬢ちゃん。俺はな、大事な弟分に手ェ出しやがった糞爺に落とし前を付けさせに行かにゃなんねぇのよ。分かるよな? 分かったらしっかり道案内頼むぜ、お・じょ・う・ちゃ・ん?」

 

 本当の悪魔みたいな不気味な笑顔を浮かべる大男に腰を抜かした若き戦士は、自分が従わなければ次は同胞達に魔の手が迫ると己に言い訳をして、まだ捜索の目が及ばない抜け道へと彼を案内する事となった。

 

 

 ――そして、追手の追及を振り切り、行方をくらませた囚人の噂が広まって集落が俄かに騒めいたその日の夜。

 

「うぅ……今日も部屋から出てきてくれなかった……」

 

 中央の騒ぎから遠く離れたところで、薄暗い廊下をとぼとぼと力なく歩く小さな人影。手つかずのまま、すっかりと冷めてしまった手作りの料理を見下ろし、少女は悲痛な思いを吐露した。

 

「食事も、水すらも飲まずにもう何日も閉じこもって……私はどうしたらいいのですか、クルージェ様……」

 

 最後に話をした時の、あの溌剌とした、眩しいぐらいに輝いていた彼女の笑みを思い浮かべて、少女の目に涙が浮かぶ。少女が憧憬を抱く紅蓮の乙女は、ある日突然変わってしまった。笑顔は消え、紅玉の瞳からは感情の熱が抜けた。

 言葉を持たぬ人形のようになってしまった憧れの人物に、少女は考えつく限りの手で訴えかけた。毎日声をかけ続け、彼女の好きな料理で気を引かせようと試み、彼女から教えてもらった火炎魔術を目の前で披露した。時には姉の協力を得て、外の世界の行商人から入手したよく分からない珍品を差し出したりもしたが、反応は無かった。

 せめて、食事だけでも摂ってもらわなければ……いよいよ打つ手が無くなり、日に日に衰弱していく彼女の姿を思い起こした少女は、厨房に戻って食器を片付けながら決心する。もう一度料理を作り直して、すぐにでも彼女の部屋に持って行こう。無視されようが、拒絶されようが構わずに何が何でも料理を食べさせてやるんだと。そう、固く決意する少女の後ろで、ぎしりと扉が軋む。

 

「……? 誰ですか……っ、え……嘘……!?」

 

 不安と共に振り返り、そこに居た思わぬ人物を目にして、少女は驚きの余り両手で口を押さえた。

 開放的な廊下から差し込む月明りに照らされるのは、魔術師然とした暗褐色のローブに身を包んでなお隠せぬ、世の女性が羨み妬む美貌。スリットの入った長い裾の切れ目からはすらりとした白い太股が覗き、引き絞った腰より上は、分厚い外套を押し退けて女性らしい丸みを帯びた輪郭が顔を出している。被っていたフードを上げれば艶やかな紅髪がふわりと舞い、燃え盛る美しい双眸が少女を見下ろしていた。

 

「く、クルージェ様!?」

「心配をかけたのう、プラーナの娘よ。もう大丈夫じゃ」

「何を仰っているんですか! そんな、今にも倒れそうなご様子で大丈夫だなんて嘘ですよっ!」

 

 その場に立っているだけでも辛そうに汗を滲ませるクルージェの弱々しい姿に、少女が涙声で叫ぶ。

 しかし、心配して駆け寄ってきた少女の手を彼女は優しく振り解くと、自身の腰ほどの高さにある少女の頭をそっと撫で、詫びるように呟く。

 

「そなたには世話をかけた。受けた恩を何一つ返せぬ我を許してくれ」

「クルージェ様? お、お待ちください! 何処へ行かれるおつもりですか!?」

「決まっておろう。帰るんじゃよ、我が故郷に」

 

 慌てて引き留めようとする少女に背を向け、覚束ない足取りで外に向かうクルージェ。廊下に出て、そのまま建物の出口へと歩いて行くその背中に、追いかけて来た少女の声が食い下がる。

 

「よ、よろしいのですか!? あの方はお一人で侵略者達の本拠地に……」

「うむ、そうじゃな。あの男は一人だけでマクルに向かった。役立たずの我を置いてな」

「っ! 違っ……そんなつもりで言ったのでは!」

「いいや、そなたの言う通りじゃ」

 

 誤解だと告げる少女の前で唐突にクルージェが足を止め、振り返る事もなく、少女に背を向けたまま淡々と語る。

 

「我は重荷でしかなかったのだ。地の魔神めに散々弄ばされ、我を庇ったせいであの男も魔神に重傷を負わされた。拭う事の出来ぬ失態を我は犯してしまったのだ」

 

 違和感は最初からあった。この集落に落ち延びてからというもの、こちらを見るあの男の表情はどこかぎこちなかった。口数が少ないのは以前と同じ。冗談に一切動じず、面白味の欠片もない事務処理のような日常会話も、いつものこと。ただ、どうしてだか、以前には無い距離を感じるようになった。他者の心の動きに聡い睡魔でなければ、気のせいの一言で片付けられていたかもしれない僅かな作意。明らかに接触を避けられている、という訳ではないが、日を追うごとに言い知れぬ不安が胸の内で広がっていった。

 そして、一方的に契約を解除されたあの日。少女に起こされた時、あの男は何処にもいなかった。それで悟った。漠然とした不安、違和感。或いは、無意識に気付かないふりをしていたのか。……己が必要とされなくなった事実を。

 

「そんな……そんなのってあんまりじゃないですか! 魔神なんて普通は国を挙げて討伐するような、嵐みたいなものだって長老様は仰ってました! そんなの、誰にも敵わないのに……!」

「言うな。慰めなど要らぬ」

「クルージェ様は十分お強いです! 以前見せて頂いた火炎魔術なんて、あの恐ろしい侵略者達が霞む程の――」

「口を開くなとッ!! そう言うておるのが解らぬかッ!?」

 

 激昂し、足元から噴き上がった紅蓮の炎が少女の説得を遮る。真紅の壁となった業火は周囲の床や壁をくり貫き、一瞬のうちに掻き消えた。

 

「……頼む。そなたが我を慕ってくれているのなら……何も言わずに、見送ってほしい」

「クルージェ様……」

 

 少女が目を伏せる。月夜に浮かぶその美貌は悲観に満ちていた。なのに、精一杯に取り繕った口元の笑みが余計にもの悲しく、痛々しい彼女の姿を直視することに耐えられなかった。

 この日を境に、クライナの集落に滞在していた外部の存在はすべて消え、数日後にスティンルーラ族は対バリハルト神殿の大規模攻勢に打って出る事となる……

 

 

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「……あの娘には悪い事をしたの」

 

 集落を抜け出してから、丸一日は経っただろうか。薄暗がりの林道を越え、夜の平原を粛々と歩き続けていたクルージェが不意に遠くを見つめる。視線の先には、明らかに人の手が入っているだろう整備された街道があった。昼夜関係なく、がむしゃらに森を突っ切っても案外なんとかなるものだ。フードの下でクルージェは薄くほくそ笑み、その反面、心の内ではばつが悪そうに背後の森から目を背けていた。

 

(あれでは単なる八つ当たりじゃ、路地裏で弱者を嬲る屑共と何ら変わらぬ。我はどこまで小物なのだ……)

 

 無辜の民に激情を向けてしまった己を恥じ、逃げ出すように夜道を駆け抜けて。いざ冷静さを取り戻せば、今度は激しい自己嫌悪がクルージェを苦しめる。

 どうしてこんなことになったのか。どうして、こうも己は無力なのか。人間族よりも遥かに頑丈な身体は、今はとても弱々しく。傲慢ともいえるほどの自信に溢れた以前の彼女の面影は何処にもない。小さく縮こまらせた肩をふらりふらりと傾かせ、重い足取りに未練を引きずりながら、ひと気のない道を彷徨い歩く。

 その間にも、どうすればよかったのだと、何度目かも分からぬ自問自答を延々と繰り返す。それから暫くして、ふとクルージェは辺りを見渡した。

 

「此処は……いや、この村は……前にも、来たことがあるぞ……?」

 

 倒壊した家屋。焼け焦げた畜舎。道端に散らばる無数の骨は、少し前までこの地で穏やかな日常を謳歌していた村人たちの成れの果て。悲劇は未だ風化せず、そこら中に当時の惨状が生々しく残されている。意図せずしてクルージェが再訪する事となった無人の廃墟。入口の隅に落ちていた平べったい木片は、もとは旅人向けの看板だったのだろうか。塗装も剥げ、腐りかけた木目には現地の人間族の文字で“ドラブナ”と刻まれていた。

 

「むっ……ということはフノーロに帰るつもりが、誤って真逆を歩いていたのか……」

 

 今更ながら道を間違えていた事実に気付き、クルージェの口から疲れた息が漏れる。

 

 ドラブナの村――北を険しい山脈に塞がれ、南西のマクルと、東のクライナとで板挟みにされるその位置関係上、小さな山村ながら、其処は周辺の部族を牽制する要衝の一つとしての役割を長らく担っていた。だが、それも今や過去。ひと月ほど前に、突如として降り掛かった原因不明の怪異。生者を狂わせる呪いに侵された村人達が互いに殺し合い、最後は暴走した魔物の群れに呑み込まれ、開拓村の歴史は血みどろの結末をもって幕を閉じた。偶然ではあるが、クルージェがこの地を訪れるのはこれで二度目になる。

 

「懐かしいのう。サティアと、カヤにその弟の……セリカという小僧らと一緒に人間族の問題を解決したのであったな」

 

 以前に探索した時の記憶を頼りに、廃村の奥に続く森の深部へと辿り着く。枯れた木々に囲まれた沼の縁から数歩離れて、深い霧の中に薄らと見える細長い影。更に近寄れば、それはより明確な形として視界に収まる。湿った黒土に薄紅の刃を半ばまで突き刺し、真直ぐに伸びた石突きが曇天を睨む。それは一本の槍。嘗ては魔を払う聖槍として村人らに祀られ、村が滅んでからは死霊を引き寄せる生きた魔槍となり、事態が収束した現在はとある少女の魂を鎮める墓標となっていた。

 

「同族は死に絶え、呪われたその身は永遠の時の狭間を漂い続けるか。寂しいものよの」

 

 哀れな身の上に同情するように、優しく槍を撫でながら語りかける。この少女とも、もっと別の形の出逢いであったなら。冷たい金属の柄に指を滑らせ、物言わぬ相手から名残惜しそうにその手を離す。

 

「今なら、そなたの孤独も分かる気がする。失って初めて知ることもあるのじゃな。……本当に、寂しいものじゃ」

 

 自分で呟いた言葉に自嘲し、情けない気持ちを誤魔化して儚き眠り姫に別れを告げる。しかし、来た道を引き返そうとしてから一分と経たずにクルージェは立ち止まった。

 先ほどの沼地から感じる気配。周囲一帯に薄く広がっていた魔力が急速に、一点に収束していく。ドラブナの森を覆っていた霧が晴れ、見通しの良くなった空間の中で静かに佇むその存在を、クルージェの紅い瞳が捉える。

 

「……これは驚きじゃ。よもやこれ程早くに封印が解かれるとは」

 

 朽ち果てる寸前だった槍は生まれ変わっていた。所々が赤錆びていた柄は磨き抜かれ、美しい光沢を放つ。全体に髑髏のような異様な装飾を纏い、一見すると薄気味が悪いが、宝石のように輝く刃がそれ以上に心を強く惹かせる。だが、クルージェの関心はすぐに槍から外れ、その“担い手”である者に視線が注がれた。

 

「まだ目覚めたばかりといったところかの。眠たそうな眼をしておるぞ、リタよ」

「ん……。……お姉ちゃん、わたしのこと……覚えててくれたんだ……」

「フ、我を誰と心得る。黒く煤けた荒野を彩る一輪の白百合を、このクルージェ様が忘れる筈がなかろうて」

 

 消え入りそうな声に応じて、ふふんと得意げにクルージェが鼻を鳴らす。そんな彼女の反応が以外だったのか、微睡みの中を漂っていた人物は槍を握ったまま目を丸くしていた。

 生まれてから一度も日に焼けたことがないのでは、と思うぐらいに白い――病的なまでに青白い肌。線が細く、クルージェより頭二つ分低い小さな背丈。足は地面から離れて宙に浮き、青みがかった黒の長髪が緩やかに靡く。ドラブナの村の唯一の生き残り。リタと呼ばれたその少女は、空虚な瞳に光を灯して微笑を浮かべた。

 

「……クルージェさんて……おもしろい人なんだね。前に会った時は……もっと怖い人かと思ってた」

「む、それは心外じゃのう? 我はいつだって美しい娘達の味方じゃぞ」

 

 冗談なのか本気なのか、判断の付かない飄々とした態度で受け答えするクルージェに、茫洋とした少女の笑みが大きくなる。奇妙な空間に堪えきれなくなり、どちらともなく噴き出して一頻り笑い合った後、二人は近場の倒木に腰を下ろした。

 

「――それでね、わたし、眠っている間に夢を見たの」

「ほう、夢とな? どんなものか気になるのう」

「うん……よく覚えてないけど、でも……その中で、すごく怖い顔をしてる人がいたの。それで、嫌だって思って……そうしたら、目の前に暖かい光が見えて……」

「気付くと封印が解けていた、という訳じゃな」

 

 ふわふわと宙を泳いで近付いてきた槍をリタがそっと撫でる。少女の手が触れた箇所は仄かに赤く輝き、槍は嬉しそうに二人の周囲を旋回してから、リタの傍で静止した。

 

「……ねぇ、クルージェさんはどうして、わたしに会いに来てくれたの?」

「フフフ。なに、そろそろそなたが目覚める頃合いじゃと思うてな。起きた時に親しき者が傍に居らぬというのも寂しかろうと……寛大な我は……」

 

 腕を組んで得意げに喋り始めたクルージェだったが、次第にその語り口は弱々しくなっていき、遂には言葉を無くして塞ぎ込んでしまう。急に様子が変わった彼女を心配してリタが声をかけようとするも、それより早く平坦な声色がリタの耳に入る。

 

「嘘じゃ。この森を訪れたのも、本当は偶然でしかない」

「……?」

「……時に、リタよ」

「なぁに?」

「その……少し、な……ほんの少しでいいから……我の話を、聞いてくれぬか」

 

 ぽつり、ぽつりとクルージェが呟く。

 これまでの自身が辿ってきた旅の経緯。元々は地下の迷宮に住んでいて、近隣の人間族を度々襲っていたこと。ある時、不思議な男に出会ったこと。その男に強制的に外に連れ出され、陽の光が差し込む広い世界をみたこと。様々な人間たちと出逢い、興味深い文化に触れ、これまでの固定観念が新たに上書きされていって……そして。

 

 ――魔神の襲来によって、幸福に思えていた日常は、跡形もなく崩れ落ちた。

 

「我は思うのだ。もっと、我に力があれば……力さえあれば、あ奴に見限られる事も無かったのだろうとな」

 

 苦々しく口を歪めながら独白を続ける傍ら、改めてこの世界の現実を思い知らされる。

 日々を平穏に過ごしたいという村人の慎ましい願いも、領民を守らんとする貴族の崇高な志しも、圧倒的な暴力に晒されればなんと儚いものか。略奪者にとっては相手が如何に大切な事情を抱えていようが関係ない。大した意味もなく、それこそ『なんとなく気に入らなかったから』と、そんなふざけた理由の為に罪無き多くの命を奪い、退屈しのぎに地獄をつくりだす。目を覆いたくなるような非道も、“力”さえあれば許されてしまう。

 ……だが、それも仕方ない。フノーロに居を構えていた時代に偶然知った、一部の“闇夜の眷属”のみに伝わる古い伝説。嘘か真か定かでないカビの生えた言い伝えを信じるならば、そもそも今の世を牛耳る者達こそが、気が遠くなる程の遥か昔にその主導権を力で奪い取ったというのだから笑えてくる。だとすれば、何事も暴力で片付いてしまう現状も、この世界の在り方としては正しいのかもしれない。

 

「じゃが……悔しい。我から大切なものを奪った地の魔神めが憎くて……嘲笑う奴の顔が憎くて憎くて憎くてッ!! この手で殺してやりたいと切に願いながらっ……その一方で……奴の影に怯える弱い己が、心底恨めしい……ッ!」 

 

 震える手を強く握り締める。口を閉ざせば、惨めな敗北の記憶がどうしようもなく溢れ出す。

 種族の差。魔神という絶対的な壁。少しでも抗おうなどと思い上がった結果がこれだ。ちょっとばかり多くの魔力を持って生まれたからと、己より弱い者達を囲って満足していた支配者気取りの道化。それが何を血迷ったのか、敵わぬと解り切っている魔神に一矢報いてやると意気込んで、そしてゴミのように蹴散らされた。

 不相応だったのだ、最初から。地上に出て、目に映る世界が広がって、多くの出逢いを経て。いつしか、忘れていたのだろう。己は他を支配する強者の器ではなかった。真の支配者たる古の魔神や現の神々に使役されるだけの、十把一絡げに並べられた奴隷の一人。狼と思い込んでいた羊に過ぎないのに。大人しく飼い殺しにされていればよかったのだ。主に反抗すれば、罰が与えられるのは当然なのだから。

 

 いつの間にか当たり前に思っていた日常を突然失って、やっと自覚したばかりの大切な存在が手の届かない遠くへと去ってしまって。身も心も引き裂かれるような痛みに、とうとう耐えられなくなったクルージェの瞳から涙が零れる。力むあまりに青白くなった握り拳の上で水滴が弾け、すっかり濡れてしまった手の甲で涙を拭おうとすると、小ぶりな掌が行く先を阻む。

 ひんやりと冷たい白い手が震える拳を包み、縮こまった指を一本ずつ紐解いていく。呆気に取られて地面にへたり込むクルージェを、優しい笑みを浮かべたリタがそっと抱きとめる。触れ合う少女の身体は生者としての熱を失っていたが、何故だかその時のクルージェには、亡霊である筈の彼女の抱擁がとても暖かく感じられた。

 

「魔族としての誇りもッ、女としての意地も……っ、何もかも……力に驕ったから、もっと強大な力に全部奪われた……これは、報いなんじゃ……!」

「そうね。そうかもしれない。辛かったんだね、クルージェさんも」

「分かるものかッ! 何も知らぬそなたに、分かられて堪るものか……ぅ、うう……どうしてじゃっ!? どうして……我が、こんなっ……う、う……うあぁああぁっ!!」

 

 八つ当たりのように喚き散らし、ぼろぼろと大粒の涙が零れる顔を目の前の小柄な少女の胸に押し付ける。泣いて、泣き叫んで、それでもリタは嫌な顔一つしない。見た目だけは自分よりもずっと大人なくせに妙に子供っぽい女魔族がやっと泣き止む頃には、年相応の少女らしいリタの衣服の、膝の上からスカートの先までびしょ濡れになってしまった。

 

「……すまぬ。いきなり押しかけるなり好き勝手に騒いで、迷惑をかけたの」

「ううん、そんなことないよ」

 

 気まずそうに顔を背けて立ち上がったクルージェに、リタは本当に気にしていない様子で、にこりと微笑み返す。その代わりに、皮肉も知らないような純粋な少女は笑顔を疑問顔に変えて一つの問いを投げた。

 

「クルージェさんは、これからどうしたいの?」

「我は……あ奴にとって我はもう用済みよ。ならば、あるべき元の居場所に戻るのみじゃ」

「本当に? 本当にそれがクルージェさんの本心なの?」

「……なにが、言いたい」

 

 重ねて浴びせられた問いに不貞腐れた声を漏らしつつ、泣き過ぎて普段よりも赤くなった眼で振り返る。すると宙に浮いた魔槍を従者のように背後に侍らすリタの手に、これまた少女には似合わない無骨な長剣が一振り。何処も彼処も傷だらけで、刃毀れも酷い。鋸みたいになったぼろぼろの刀身をもし全力で振り抜いたら、根本を残してぽっきりと折れてしまいそうだ。素人目に見ても、とても武器として使えないだろう朽ちた剣をリタは大事そうに抱え、強い意志を目に浮かべて沈黙を破る。

 

「この剣は、私たちの村を守ろうと最後まで戦ってくれた騎士様のもの。あの方に結界で此処に閉じ込められた時、わたしは見捨てられたんだと思った。……でも、違った。()()()がね、眠ってしまう前に、あの時の騎士様の想いをわたしに教えてくれたの」

 

 セアール地方に根を張らんとするバリハルト神殿は各地の開拓拠点を守るべく、最前線の村々に必ず駐在騎士を派遣していた。その選考基準に個の戦闘力が重要視されるのは勿論の事、それに加え、誠実で職務に忠実である事が求められる。ドラブナの村に派遣された者もまた、騎士の模範と呼ぶに値する武人であった。私欲を殺して如何なる時も民の盾となり、村人たちからも厚い信頼を寄せられていた男は、村が滅ぶその瞬間まで誇り高い騎士で在り続けた。

 

 ……気狂いの瘴気に耐え、襲い来る魔物共を薙ぎ倒し、生き残っている者を探して懸命に叫ぶ。

 食い荒らされた村人らの死体を見つける度に魔物への怒りと憎しみで我を忘れそうになる。斬って喰われて、沸騰した頭に恐ろしい獣の雄叫びが響く。腐臭と鉄の匂いに塗れ、終わらぬ悪夢にじわじわと精神が削られていく。理性を手放しかける最後の一線で“ソレ”が視界の隅を掠めたのは、神がもたらしてくれた幸運だろうと信心深い男は思った。

 縦横無尽に飛び回る紅い槍で凶悪な魔物をばらばらに引き裂き、ソレは狂ったように笑う。だが、血塗れの騎士の姿を見た途端、ソレは――少女は絶叫を上げ、逃げるように村外れの森へと駆け出した。

 その後ろを、無数の蠢く影が迫る。森の奥底まで追い詰められ、黒い濁流に圧し潰されようとした刹那、光り輝く神聖結界が荒れ狂う気配を撥ね退けた。魔物の侵入を防いだのは、動かない両足に鞭打って少女の後を追ってきた死にかけの男。気力を振り絞って愛剣を地面に打ち込み、結界の起動を見届けた直後、男の身体が狂乱の渦に呑み込まれる。人生最後の仕事をやり遂げたのち、己という存在が世界から消える間際に彼は願う。

 

 ――どうか、尊き無垢なる命に神の御加護があらん事を。  

 

 

「……だからね、その人も、きっと同じような気持ちだったんだと思う」

 

 朽ちた剣をそっと足元に降ろしたリタが、自分の率直な気持ちを打ち明ける。少女の話にクルージェは動揺しつつも、結局、俯いたまま最後まで大人しく聞いていた。

 

「邪魔だからじゃなくて、大切に思ってるから。危険な目にクルージェさんを巻き込みたくなくて、だから一人で抱えこもうとしたんじゃないかな」 

「じ……じゃが……。いや……どれだけ弁明を重ねようと、我が無力であることに変わりはない。あ奴の背中を見る事しか、我には出来ぬ――って、な、なんじゃあ! なにを笑っておる!?」

 

 重苦しい空気が漂う場で、クスクスと場違いな笑い声を耳にしたクルージェが驚いたように顔を持ち上げる。が、いざ文句を言ってやろうとするも、目の前に浮かぶ亡霊少女の裏表の無い満面の笑みに言葉を詰まらせてしまう。

 

「やっぱり。諦めたって言ってるけど、全然そんなことない。本当はすごく気になってるのに、素直じゃないんだから」

「んなッ……! な……にを、勝手な……」

「クルージェさん。わたしね、思うんだ」

 

 一呼吸置いて、真剣な表情になったリタが静かに、だけどはっきりと伝わる澄んだ声で告げる。

 

「もし、あの時のわたしが逃げずに騎士様と一緒に戦えていたら。もっと早く呪いに打ち勝っていたら、騎士様だけでも助けられたかもしれないって。ずっと……ずっと思うの」

 

 その告白は、村を守る為に戦ってくれた勇敢な騎士に対する懺悔だったのかもしれない。魔物に対抗する力はあった。もっと上手く立ち回っていれば、救える命もあった。聡明な少女はそれを理解していて、だから余計に苦しんだ。生まれ故郷が滅び、親しい者達を亡くし、平凡な一人の村娘が抱えるには大きすぎる罪悪感を背負わされ、孤独のままに生かされる。それは、なんと酷な話だろうか。

 

「悔やんでおるのか、そなたは……?」

「うん。だからね、クルージェさんみたいな優しい人が、わたしみたいに後悔するなんて嫌なの」

「……こうかい……後悔、か……」

 

 自暴自棄になりかけていたクルージェは我に返ると、“後悔”という言葉を何度も吐き出しては飲み込み、うろうろと忙しなく辺りを歩き回る。間延びした声で唸りながら髪をかき崩し、リタの目の前を行ったり来たりと往復して、珍妙な行動を繰り返すこと早五分。前触れもなく、クルージェは動きを止めた。

 

「……よし。決めたぞ」

 

 乱れた髪を手櫛で整え、ローブに付いた土や埃を払い除け、喉を押さえて三度咳払い。チラッと視線を斜め後ろに傾ければ、目が合ったリタは苦笑いを零していた。

 喉の調子を整えてクルージェは考える。あの生暖かい視線は何かを知らせようとしているのだろうか。あと足りないものといえば……そうだ、重要なことを忘れていた。ローブの胸元に手を当て、一本の縦線が入るように炎の魔力で焼き切る。ついでに太腿のスリットも、もう少し深くしてやる。これでいい、やはり多少の露出あってこその睡魔族。ただ、フノーロ時代の肌をほぼ全て露出させていた痴女みたいな恰好はもう止めよう。

 

(裸同然の下品な装いで悦楽に浸っていては、あの馬鹿魔神と同類に思われてしまうからの。真に淑女に必要なのは慎ましさじゃ!)

 

 準備を整えたクルージェは虚空に向かって渾身の拳打を振り抜くと、腹の底から思いっきり笑う。 

 

「くく、ふはは……ハーッハッハッハ!! まさか睡魔王女たるこの我が、このような小娘に慰められるとは! 惨めも過ぎれば、なんと痛快なことよ! ふふっ、フハハハハッ!!」

 

 惨めで、情けなくて、この上なく清々しい。

 一体何を思い悩んでいたのだろうか。確かに、魔神のせいで全てを失った。だが、己はまだ生きている。生きてさえいれば行動を起こせる。立ち止まらなければ道は続く。辿り着く結末が変わらずとも、旅路の終点が光の無い奈落の底だろうとも、そんなこと構うものか。後悔したいなら、足掻いて、足掻いて死ぬほど足掻き続けて、欠片も未練を残さずに満足したついでに文句を考えればいい。

 

 馬鹿みたいに高笑いしながら、生まれ変わった睡魔王女は心優しき少女に感謝を述べる。曇っていた目を覚ましてくれた新たな友人は、にこりと笑ってそれに応えた。

 

「帰郷は延期じゃ、我もマクルに向かうぞ! それで生意気にも我を置いてきぼりにしたあ奴の不愛想な横っ面を、全力で殴り飛ばしてやるわ!」

「よかった、元気出してくれて。その人と無事に会えたら、また遊びに来てね」

「何を言うておるか! リタよ、そなたも我と共に参るのじゃ」

「え? ……わたしが、クルージェさんと一緒に?」

 

 目を丸くして聞き返すリタに、堂々と胸を張ってクルージェが頷く。既に彼女の頭の中では、この優秀な槍使いである亡霊少女の仲間入りは決定事項となっていた。

 

「うむ! 実はそなたから結構な魔力を感じての。まぁ、我と比べれば……。……まだ、若干ながら、及ばぬが……そ、それは置いといてッ、背中を預けられる味方が居れば心強い!」

 

 自信満々にクルージェが言う通り、封印から目覚めたリタはその辺の魔物など簡単に捻ってしまえるだけの、相当量の魔力を小柄な体躯に宿している。一たび槍を握れば過去のセリカが手を焼く程の躍動を魅せ、間合いの外に逃れた敵にも遠距離魔術で対処可能。過去の戦いぶりをしっかりと覚えていたクルージェは、まだまだ伸びしろが有る将来有望な彼女を純粋に欲した。

 

(うむ、道中の話し相手になってくれれば寂しくな……戦力として申し分ないからのっ!)

 

 色々な意味で魅力的な少女だ。なんとしても首を縦に降らせてやると、クルージェが食い気味に迫る。

 だが、対するリタの顔色はあまり芳しくない。 

 

「村の外に出たことはあるか? 外の世界は楽しいぞ! 例えば此処から東の、レウィニアという国ではの――」

「……でも、わたしは……」

「む、いきなりの遠出は気が進まぬか? ならば近場のマクルはどうじゃ! あの街にはサティアやカヤ達が居る。久しぶりに顔を出してやるのもよかろうて」

「……うん。わたしもそうしたい、けど……それは無理なの」

 

 スカートの袖をぎゅっと掴んで、リタが重い口を開く。

 頑なに少女が此処を動こうとしない理由。正確には、()()()()理由があった。一言で言うと、リタは沼地一帯から抜け出せない“呪縛”をかけられていたのだ。それを施したのは今は亡きドラブナの騎士。誤って結界の外に出て魔物に襲われる事がないようにと、同じ神官騎士の助けが来るその時まで、少女を安全な場所に避難させる目的で呪縛をかけた。それが足枷となっていたのだ。

 通常の手段では、解除することもできない。尤も、今ここで無理をしなくとも、遠くない未来にリタはとある人物の手によって救われるのだが。そんな事はクルージェの知るところではなく、厄介なことに睡魔族である彼女は通常外の手段を持ち合わせていた。運命の女神が余計な仕事をしてしまったばかりに、リタ・セミフという少女の未来の歯車は一足早くに回り始める。 

 

「なんじゃ、それなら話は簡単じゃ。この我がそなたを呪縛から解き放ってやろう」

「……え?」

 

 思わぬ返事に、またしてもリタが聞き返す。

 自身に満ち溢れた紅蓮の美女の頼もしい姿を見上げて、心の中で諦めが期待へと変わっていく。もしかしたら、この人ならば。一縷の望みをかけ、リタはクルージェに縋りついた。 

 

「本当に……此処から動けるようになるの?」

「うむうむ。じゃが、それにはそなたの協力が必要不可欠なのじゃ」

「なら……うん、分かった。それであの方の……セリカ様の、みんなの助けになるなら。わたしに出来ることなら、なんでもするわ」

 

 ――穢れの無い透明な想いを乗せたその一言で、少女の運命は決定付けられた。

 

「……今、“なんでもする”と、確かにそう申したな?」

「う、うん……え、どうしたの? なんだか急に雰囲気が――」

 

 妖しく目を光らせるクルージェに、リタは言いようのない悪寒を感じた。

 何故だか腕には鳥肌が立ち、背中に嫌な汗が流れる。よく分からないが、このままでは不味い。全力で身の危険を感じ取って、思わず後退り……気付けば、仰向けに組み伏せられていた。

 

「えっ……え? ち、ちょっと待って! 何してるの!?」

「気にするな、そなたは何もしなくてよい。こうして夜空を眺めて、星々の数を数えておればすぐに終わる」

「そうじゃなくて! なんでわたしの服を脱が……んむっ!?」

 

 驚きの余り大きく口を開けた瞬間、紅色の何かが口腔内に押し入り、説明を求めようとする声を物理的に塞ぐ。それが、普段は隠しているクルージェの子悪魔染みた尻尾であると理解したのは、事が終わった後だった。

 

「乙女に二言はないぞ。案ずるな、百戦錬磨の我ならば安全に且つ迅速に、そして至上の快楽をそなたに与えてやる。さぁ、共に楽しもうではないか?」

「んむー! むーっ!?」

 

 白い肩紐に指をかけ、緩やかな肩口に滑らして、するりと衣服を下ろす。

 人間族の年でいえば、精々、十五か十六といったところだろう。はだけた生地の下からは想像通りの、瑞々しい肌が隠されていた。鎖骨の辺りを指先でなぞると、刺激に反応した肢体がぴくりと跳ねる。それを無視して吐息で喉元をくすぐり、触れるか触れないかの繊細な力加減で指の腹を押し付け、上から下へと走らせていく。蛇のように揺らめかせながら胸の合間を通り抜け、柔らかな腹部に円を描けば、透き通るような白い肌に薄らと赤みが差す。くすぐったさに身をよじらせるリタを逃すまいと、お互いの足を絡み合わせ、潤んだ瞳から溢れそうになった雫を片手ですくい取る。

 

「むぅ……っ……ぷはっ! ま、待っ……ッ、ダメ……ってば……!」

「嫌よ嫌よも好きのうち、じゃ。安心せい、初めての相手には優しくしてやるからの」

 

 そう言いつつも尻尾を離して、さりげなく相手の顔色を伺う。幸いにも、リタは動転してはいるが本気で嫌がっている素振りでもなかった。それに安心して出来る限り丁寧に、手早く終わらせようとクルージェは彼女なりの殊勝な考えを抱く。……考えを抱いた、のだが。

 

「っ……!」

 

 声を出さないように固く口を結び、涙目で羞恥に耐えるリタの可愛らしい抵抗を見て、硝子より脆いクルージェの理性は二秒で決壊した。 

 

「……フ、フフフ……ッ! そう怯えた目で我を興奮させてくれるな。いやはや、ここ最近すっかりご無沙汰じゃったから色々と滾るのう!」

 

 ――対象を指定した地点に縛り付ける、といった魔術や呪いを解除する為の手っ取り早い方法として、もっと強力な契約で上書きしてやるという手がある。

 つまり、使徒契約でも度々用いられ、睡魔であるクルージェが最も得意とする“性魔術”こそが、リタの呪縛を解き放つ数限りない有効な手段の一つであり、相手から言質を取ったクルージェは遠慮なく性魔術を行使した。

 

 ……ちなみに、睡魔族にとって性交等により他の種族の精を得る行為は、人間族の食事に等しい。別に、肉や果物といった人や動物が口にする物が食べられない訳ではないのだが、これはもはや種としての本能であって、我慢しようにも身体が無意識に求めてしまうのだ。仮に二週間近く他者との接触を断った場合、更に拠点を持ち群れを作る上位の睡魔ともなると、抑えつけられた欲求の凄まじさは筆舌に尽くし難い。

 もし、事情を知らぬ旅人が飢えた睡魔に運悪く捕まってしまえば、その後を想像する事も憚られるような恐ろしい目に遭うだろう。

 

 

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 斯くして、日陰者たちは動き出した。

 弱き己を自覚して、決して英雄足り得る器でないことを理解して、それでも彼らは舞台裏で己が役目を果たさんと懸命に足掻く。誰に知られる訳でもない脇役の物語がひっそりと始まる中で、歴史の表舞台に立つその者もまた、光り輝く英雄劇の“主役の一人”として目覚める事になる。

 

「――おっ師範様ぁ! はやくはやくーっ! もたもたしてると置いてっちゃうよー!?」

「ま、待ってください。こんな狭い通路で飛んだら危ないですよ」

 

 陽の光の届かぬ地下迷宮の奥深く、危険な魔物もうろついているような場所で呑気なやり取りを交わす一組の男女。女性――というより女の子と言い換えた方が正しい彼女は両腕が真っ白な翼の鳥人であり、持ち前の快活な性格で薄暗い迷宮を太陽の代わりに明るく照らしながら飛んで行く。取り残された男はやれやれと溜息を吐くと、黒い外套を翻して横の通路に目を向けた。

 

「……? なんでしょうか。この気配は……」

 

 厳かで、清廉な気配が湧き水の如く通路の奥から流れ出てくるのを感じる。長い事この迷宮で暮らしている男にとっても生まれて初めて感じる、不思議な感覚だった。魔術師の性分からか、知的好奇心の赴くままに男の足は動き出し、気配の源を探し歩く。

 

「多分ここら辺かな……あれ、いないな? うーん……あっ! この足跡を辿ってみよう」

 

 近付けば近付くほどに強く感じる尋常でない気配に、男は子供のように目を輝かせて足取りを軽くする。あともう少し、あの突き当たりを左に曲がれば……夢中になって探していた男は、気付くのに遅れてしまう。通路の壁に並ぶ幾つもの柱を何気なく横切っていき、最後の一つを越えるべく足を踏み出そうとした刹那、柱の影から音も無く飛び出した鋭利な刃が喉元に添えられる。

 

「……動くな」

「えっ?」

「貴様、俺を捜していたな? バリハルト神殿の者か」

 

 突き付けられた刀剣と同じ、いやそれ以上に鋭く、冷たい眼が男を射抜く。

 冷え切った声色で問いを叩き付ける謎の人物に男は疑問符を浮かべた後に、慌てて誤解を訂正しようと首を横に傾け、そして目にする。

 鮮やかな紅の髪。警戒して細められた蒼い瞳。鼻筋の通った白く美しいその顔で微笑んでくれたら、それだけで著名な画家が人生の集大成として描いた作品と同等の価値を持つ感動をもたらしてくれるに違いない。

 

 この日、魔術師の男――アビルース・カッサレは女神と出逢った。

 

 

 




―リタ・セミフ
エウシュリーが誇る前髪ぱっつん美少女その一。
今話は人間時代を意識して口調を少し幼い感じにしてみましたが、そのうち変わっていきます。

―呪縛云々について
戦女神ZEROの五章にて主人公がリタを迎えにいかなかった場合のその後の展開から、色々と妄想をこねくり回した結果、本作ではこんな設定をとりました。
違和感を感じられる方には申し訳ありませんが、あくまで原作とは別物であると割り切っていただけると幸いです。



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