……昨日の出来事から一夜明けた現在。眠りについていた男――オルステッドは夜明けの光によって目を覚ました。それから起きてすぐに、自分が小高い岩場の上に寝かされていたことに気付く。
「此処は……そうか、アレからまた意識を失ってしまったのか……」
「目覚めたようだな」
隣から声をかけられ振り向くと、そこには昨日と同じ女が佇んでいた。
「まさか二度もお主の寝顔を眺めることになるとはな。……気分はどうだ?」
「……今のところは何ともないようだ」
その場を立ち上がり身体の具合を確かめるも、特に異常は見受けられない。しかし、腹の方に視線が移った際に予想外の光景を見ることになる。
「……傷が無い……いや、癒えている?」
そこには己が付けたであろう傷跡などどこにも存在せず、腹筋の割れた逞しい腹が目に映るだけであった。視線が固まっていたところでそれまで黙って様子を見ていた女が告げる。
「昨日お主が意識を失った直後に儂が確認しようとした時には、既にほとんどが治りかけるところであった。……あの時はすまなかった」
女はそう言いながら頭を下げようとするも、オルステッドに手で制される。
「気にしないでほしい。あれはお互いが合意の上で起きたことだ」
「……そうか、ならばこれ以上は言わぬ。ところで昨日は結局うやむやになってしまったが、改めてお主の正体について問いたい」
女はそう話すも初めて会話した時よりは大分警戒心が弱くなっていた。相手を竦ませるような威圧感も感じられず、オルステッドは躊躇せずに自身が歩んできた過去について余すことなく、事の始まりから結末に至る全てを語る。
「――以上が、私の軌跡であり、私の罪だ。……もしこれを聞いて私を悪と断じたならば抵抗はしない、その手で私の首を刎ねてくれ」
オルステッドはそう語り腰に提げていた剣を外し地面へと落とす。
「……なるほどな。だがその話だとお主は最期、自らが招いた者達によって罰せられたのであろう? ……清算された罪に対しいつまでも拘る必要は無いと儂は思う」
……だが女は話の全てを聞いた上でそれでもオルステッドに対し肯定的な意見を言った。
「ありがとう……そう言ってくれるだけで幾らか救われる思いだ。……それから、昨日の一件で一つの事実に気付くことができた」
そう言うや否やオルステッドはおもむろに右腕の袖を肘まで捲くると、足元に落ちていた先の尖った石の破片を手に取り剥き出しの右腕に突き刺した。
「……やはりな」
刺さっていた破片を乱暴に抜き取ると途端に鮮血が滴り落ちる。……しかしすぐに傷は塞がり、流れ出た血の跡だけが右腕に残った。
「ただで生き返る筈は無いと思ったが……どうやら私の身体は化物のソレになっていたようだ」
どこか納得した様にそう呟く。その顔は実に晴れ晴れとしたものであり、様子を見ていた女は少々躊躇いがちに問いかける。
「良いのか、元々は普通の人間だったのであろう……? 未練はないのか?」
「ああ、この分だと寿命が存在するかも分からないが……ヒトに大切なのは身体ではなく『心』だということを私は最期の時に……彼等に教えられた。血が通った人間でも、冷たい身体を持った機械でも、みな同じだと」
此処ではない、何処か遠くを見据えるオルステッド。
「……こうして恥ずかしくも二度目の生を得たということにも、何か意味があるのかもしれないしな」
踏ん切りが付いたようにはっきりと答えるオルステッドに今度は女が語り始める。この世界、
(前世……とでも言うべきか。私が生きていた世界は恐らくイアス=ステリナと呼ばれる世界に近いものなのだろう。……遥かなる未来では機械に心を与える程の技術を人類は得ていたようだったからな)
説明を聞き一人考え込んでいたところで、女から自身に関わる可能性のある重要な事柄を耳にする。
「――そして、これが最も厄介な問題だ。雲居……と儂らが呼んでいる存在が最近になってある御告げを告げたのだ」
「……『災厄の種』。これから数百年、地に降りて災厄を撒き散らす散在……それが近い将来に現れると」
「それが私……ということか?」
オルステッドはそう問うも女は首を横に振り、言葉を続ける。
「残念だが『災厄の種』が何者なのかまでは示されていない。……だが少なくとも儂はお主がそうだとは思わぬ」
そう告げた女は暗い黄銅色の輝きを放つ双眼でしっかりと目の前の男を見据える。その眼に濁りは感じられない。
「……貴女には出会ってから助けられてばかりだな。私も貴女のように強い意志があれば或いは……な」
自身の現状について大体のことを理解したのかオルステッドは地面に落ちていた剣を拾い、腰に差し直してから女に振り返る。
「重ねて言うが、ありがとう。この世界で最初に出会ったのが貴方の様な方で良かった……この恩はいつか必ず返そう」
「気にするでない。それよりも、行くのか。……此処より北にはレウィニアという人間達の国がある。水の巫女と呼ばれる存在が治めていて治安も良い。だが、そこへ行くには途中でリブリィール山脈……儂等の住まう聖域を通らねばならぬのだが……」
言い辛そうに話す女へオルステッドは「問題ない」と優しく制し、最後まで言わせなかった。
「かたじけない……代わりと言う訳では無いが、此処よりすぐ南にフノーロという町が存在する。とりあえずは其処で詳しい情報を集めるのが良いだろう」
「南か……分かった。知っていればだが、詳しい道程を教えてほしい――」
……そうして暫く話し合った後、オルステッドは目的地へ向けて動き出す。――だが歩き始めてすぐに、今思い出したかのように背後で見送っていた女へと顔を向け、聞きそびれていたことを尋ねる。
「すまないッ!……貴女の名を教えてほしいッ!」
その問いに対し女はすぐに、少し離れた男にもしっかりと聞こえるように告げる。
「儂は若輩者である故に長から名を与えられてはおらぬ! だが周囲の者達からはこう呼ばれているッ!!」
「それは――」
「――空の勇士、か。……誇り高い、強いヒトだったな……」
オルステッドはひたすら歩み続ける。彼女から教えられた目的地、フノーロを目指して……
……自身の背後に迫り来る、得体のしれないものを引き連れながら……
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――『
それはかつて非常に高度な科学文明を築いていた人類の住まう『イアス=ステリナ』と、エルフやドワーフといった空想で語られる種族が、優れた魔法を備え自然的な文明を築いていた『ネイ=ステリナ』という、二つの世界が融合した姿。
現在オルステッドがいるのはその世界で二番目に大きなラウルバーシュ大陸である。
この大陸の中原北部にはオウスト内海と呼ばれる広大な海域が存在しており、その海域から東南部にニース地方というリブリィール山脈の属する地域がある。
この地域の南には腐海の地という一帯が広がっており、その名の通り此処はあらゆる生物にとって害となる瘴気が漂う過酷な土地である。そこで人間達は毒の届かない土地の地下に都市を築き上げた。……それが地下都市フノーロである――
空の勇士と別れたオルステッドは目的地に繋がる洞窟に潜り、更に地下へと下りてゆく。地下だというのに何故か洞窟内は薄明るく、松明が無くても十分に移動することが可能だった。
「……一日中歩き続けているが一向に空腹を覚えることがない……これも私が異質な存在になったことによる影響か……」
そう呟きながら歩いていると、ふと洞窟の何処かから複数の争うような声が聞こえて来た。……此方に届く声の大きさから、そう遠くはないようだ。
(誰かが襲われているのか……? ……どうするか……いや、決まっている!)
ゆっくりと歩いていたオルステッドはその瞬間、声が響いて来る場所まで全速力で走り出す。その姿はとても丸一日歩き続けていた様には見えない程に速く。正に疾風の如き俊敏さで新たな目的地へと駆けていった――
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「ねこぱんち!」
気合を込めた叫びを上げながら目の前の魔物に殴りかかる少女。技を受けた魔物はその一撃で吹き飛び、倒れたところで動かなくなる。周囲には数匹の魔物達の屍が転がっているが、その倍以上の数の魔物達が少女を取り囲んでいる。
「うう、お師範様とはぐれた途端に魔物の群れと遭遇しちゃうなんて……しかもドンドン増えてくるし……」
焦りながらそう呟く少女の身体にはこの争いによるものだろう小さな傷が幾つも存在した。汗を流し肩で息を吐いている様子から、体力的にも限界が近いようだ。
「このままじゃあ……お師範様ぁ……助け――」
「其処の少女ッ! 伏せろッ!!」
「――てっ……ひあぁ!?」
すっかり弱気になってしまった彼女は、今も何処かで自分を探しているであろう大切な存在に届くように、助けを求める声を上げようとした矢先――背後から聞こえた大声に反射的に反応し、その場にへたり込む様に身を伏せた。
「はぁッ!!」
そんな少女の頭上を激しい風の刃が乱舞する。一切の慈悲の無い攻撃は、少女を取り囲んでいた魔物達の全てをあっという間に切り裂いた。――直後、魔物達の鮮血が一斉に噴き出し、少女のいる中央を除いた一面が真っ赤に染まる。瞬く間の無い出来事であった。
「……た……たすかったの……?」
この場で生きている魔物の全てが排除され、それまで騒がしかった空間が本来の静けさを取り戻す。何が何だか分からないといった顔をしている少女の耳に、背後から近づいて来る足音が聞こえてきた。思わず後ろを振り返ると、其処にいたのは優しげな笑みを浮かべた男――オルステッドであった。
「間に合ったか。大丈夫……とはあまり言えないようだな」
「あ……ありがとう、カッコいいお兄さんッ! お陰で助かったよー!!」
感極まったのか、そう言って抱きつこうとしてくる少女をオルステッドはさり気なく押しのける。少女の格好が随分と、非常に、限りなく……露出が多かったためだ。
「そ、そうか……なら良かった。ところで君は……?」
「僕はペルル! お師範様の一番弟子だよっ! ……弟子はボク一人しかいないケド」
オルステッドが目にしたのは、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた少女――ペルルであった。……ただしペルルの両腕は普通の人間が持っているような手の代わりに鳥のような羽が生えていたことから、この子は魔物の類なのだろうと言葉にしないまま察する。
「本当はお師範様と二人でこの辺りまで来てたんだけど、お師範様が迷子になっちゃって――」
「そうだったのか…………それは……気の毒に……」
だがオルステッドは相手が魔物だと分かった上でそれを全く気にすることもなく、普通の人間の少女にするのと同じ調子でペルルの話を聞いていた。そうしていると……
「――ペルル! 此処にいたのですか!」
二人の近くに新たな人影が現れた。まるでペルルの保護者のような態度から、この人物こそが彼女の話題にひっきりなしに上がる『お師範様』なのだとオルステッドは当たりを付ける。
「……ペルル、お迎えが来たようだぞ?」
「あ、お師範様ー!!」
そう言ってすぐに『お師範様』へと駆け出したペルルは、さっきまでの愚痴がウソのように嬉しそうな表情で抱きついた。そして自分が魔物達に襲われていたところをオルステッドというカッコいいお兄さんに助けられたのだと、興奮していてあまり要領を得ないながらも精一杯説明した。
「そうですか、そんなことが……失礼、旅のお方。弟子の危機を救って下さりありがとうございます」
「いや、たまたま通りがかったところで現場に遭遇しただけだ。気にしないでほしい」
感謝の言葉を受けつつもオルステッドは遠慮がちにそう答えた。
「気にするななど、そんなことは……あ、申し遅れました。僕の名はアビルース。……アビルース・カッサレと申します」
頭に被っていた黒いフードを取り、その人物―アビルースは穏やかな口調で名を明かす。男にしては長い金髪に全身を黒で統一されたローブを着込んでおり、その姿はあまり激しい運動に適しているようには思えない。体格も細く痩せがちで戦士らしい筋肉もないことから、どちらかというと学者か魔術師といった職種が妥当だろう。
そんな彼の琥珀色の瞳が腰の辺りで抱きついている少女の翡翠色の瞳を見て、それから目の前に立つ男の真紅の瞳と目が合う。
「そういえば今更なのですが……この子を、ペルルを見ても人間である貴方は何も思わないのですか?」
普通は鳥人という立派な魔物の仲間である彼女を見れば、人間なら誰もが何らかの拒否感を抱く筈なのに何故…?そう言いたげなアビルースに、オルステッドはごく自然に答えた。
「姿形なんて関係ないさ……私は外見や噂だけで誰かを判断する気はないからな」
あっさりとした答えに驚いたアビルースだったが、すぐに満足気な笑みを浮かべてオルステッドに右手を差し出す。
「貴方は……良いヒトですね。出来ればこれからも良いお付き合いをしたいのですが……」
裏表のない真摯な態度を見せるアビルースに、だがオルステッドは……
「……すまない、君が悪い人物ではないのだろうことは十分に理解したが、私は訳有りの身でな」
そうやんわりと断りを入れる。しかし当のアビルース本人は一瞬だけ残念そうに顔を曇らせるも、すぐに明るい表情に戻った。そしてオルステッドがフノーロを目指していることを聞くと、
「では、道中ご一緒しましょう!僕達二人もあの都市に住んでいるのですよ」
……といった感じで先程のことに気を病むこともなく道案内を買って出た。
「それはありがたい。是非とも頼む」
「お兄さんも一緒なの? やったー!」
提案されたオルステッドも特に断る理由はなく、自身にまたしても抱きつこうとしてくるペルルを制しながらも移動を再開した。三人の歩く洞窟内はとても賑やかで、そこだけ暖かな空気が流れていた……
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――地下都市フノーロ。人間によって地下に築かれた都市であり、その特徴として湿気対策や毒に対する備えが充実していて、薄暗いながらも逞しいところである。
「到着ーっ! 此処が僕達の住んでいるフノーロだよー!」
最初襲われていた時とは打って変わり、非常に楽しげな様子のペルル。そんな彼女の気持ちを代弁するかの如く、彼女のヒヨコのように黄色く柔らかな髪が元気に揺れている。
「ここがそうなのか……」
この場所に初めて来たオルステッドは物珍しそうに辺りを伺う。見たことのない家屋の造りに用途の分からない魔法道具など、好奇心を刺激されるものが狭い空間の中に所狭しと並んでいた。
「――ところでこの後はどうされるのですか?」
そう質問したのはここまで絶好調な自分の弟子の相手をして若干疲れた様子のアビルースだ。
「持ち合わせが無いからな……当面は傭兵の真似事でもしつつ情報を集めようと考えている」
「そうなのですか――……っ! それでは、僕に雇われる……というのは如何でしょう?」
アビルースは折角だから自分に雇われないかとオルステッドに提案する。
「此処の住民の方々は失礼な言い方になりますが、外部の存在にあまり良い印象を持たれないのです。一人で行動されるよりも身内である僕が一緒の方が、何かと都合が良いと思いますが?」
「……確かに、この都市に足を踏み入れてから周りの人間達の視線を集めていると感じていたが……そうだな、余計な諍いを起こす可能性があるなら……アビルース、君の誘いに乗らせてもらうよ」
悩みながらも最終的に了承したオルステッドを見て、アビルースはとても嬉しそうに笑った。
「本当ですか!? ――それでは、どれくらいの間になるかは分かりませんが、これからよろしくお願いしますね!」
「こちらこそよろしく頼む……雇い主様?」
冗談めかして言うオルステッドに向けてアビルースからまた右手が差し出される。その手を今度はしっかりと握り締め、どちらが上か分からない二人による主従関係が生まれた。
「あっ二人だけずるーいっ! 僕もー!!」
……三人による主従関係が生まれた。
――フノーロに程近い何処かの洞窟内にて。
開けた空間の中に、男女が交わる時のむせ返るような臭いが充満している。床に目をやると、フノーロの住民だろうか?二、三人の男が倒れていた。その顔には生気がなく、手足は枯れ枝のように萎びていた。
「……もっ……もう……やめ……」
「何を言うておる。ホレホレ、まだ出るであろう?」
空間の中央に、必死にうめき声を上げる若者がいた。働き盛りな年頃であろう彼の正体は、都市の中で窃盗を繰り返す悪人であった。追っての手から逃れるために仲間達と此処までやってきたところで、目の前で精気を貪る淫魔に誘惑されてしまい、この惨状になっている。
「……あっ…あっ……ぁがあッ……!」
「――何じゃ、もう逝ってしもうたのか。……気骨のない奴よのう」
淫魔によって男の顔は見る見るうちに皺だらけになる。全身は干上がり、間もなく男は苦痛に歪んだ表情をしながら果てた。すると淫魔はたった今己が吸い尽くした男をもう用無しとばかりにその辺へ放り投げる。
「……これでは到底満足できぬ。何処かに我の好みに合う良い男はいないものか……」
鮮やかな薔薇色に染め上がった美しい長髪を後頭部の高い位置で一つにまとめ、髪と同じ色の瞳が妖しい光を灯している。肉付きの良いしなやかな肢体は収まらぬ情欲に震え、艶やかな唇から熱の篭もった甘い吐息が吐き出される。
「……たまには配下の娘達にやらせるのではなく、我自らが出向いてやろうかの」
淫魔は笑う。……その眼は獲物に飢えた捕食者のようであった。