「それでは僕等の家まで案内しますね」
アビルースに雇われたオルステッドは、彼から詳しい話を聞くために一度、街の一角にあるという彼の自宅まで足を運ぶことになった。道中ですれ違った街の住民たちに奇異の目で見られるも、オルステッドは特に気にした様子も見せずに先導するアビルースに付いて行く。……程なくして一軒の小ぢんまりとした民家の前に辿り着いたところでアビルースが口を開いた。
「此処が僕等の住んでいる家です。すみませんが、中は色々と散らかっていますので足元に気をつけてください」
彼にそう告げられて家に入ったオルステッドが最初に目にしたのは、部屋の中をぐるっと囲むように設置された背の高い本棚の壁であった。全ての段に分厚い革張りの本が隙間なく詰め込まれており、それでも収まりきらなかった一部が本棚の上に積み上げられている姿は、圧巻と言う他ない。
部屋の中央には木製の作業台が鎮座しており、その上には丸まった羊皮紙の束、透明な硝子の容器、インクの乾いた羽ペンなどが雑多に並んでいた。
(……これはすごいな……個人の蔵書量とは思えない)
「今、お茶の用意をしますので、奥の部屋で待っていてください――ほら、ペルルも」
「はーいっ! オルステッドさん、こっちこっち!」
ついつい辺りを見渡していたオルステッドの手を、ペルルが羽の手で器用に掴んで誘導する。案内されたのは壁を一枚挟んだ隣の部屋だった。
「ここにも沢山の本があるな……ほう、これは――」
「――ねぇねぇ! オルステッドさんって旅の剣士さんなの? 何処から来たの? さっき助けてくれた時のズババーッてしたのはどんな技なの?」
アビルースの準備が整うまで部屋に置いてある本の一つでも読もうかとしたオルステッドに、一緒にいたペルルが興奮した様子で次々と質問を投げかける。子供みたいに目を輝かせた彼女の顔を見たオルステッドは、苦笑しつつも彼女の気になったことに答えていく。…勿論、教えても問題のない範囲でだが。
「へぇーっ! やっぱりすごいんだね、オルステッドは!」
質問の一つ一つに答えていく度、驚きと満面の笑みを浮かべるペルル。そんな彼女の微笑ましくなるような反応に、思わず顔をほころばせてしまうオルステッド。だがそれと同時に、かつて自分を慕ってくれていた少年の影を思い出してしまう。
(…………)
「――ッドっ! ……ねぇ、オルステッドってば!」
「……ッ! あ、あぁ。すまない、ぼんやりとしていたようだ。……それで、何だったかな?」
いつの間にか思考の海にでも沈んでいたのか。傍らで己の名を呼ぶペルルの声に、ハッとしたように答えるオルステッド。首を傾げる彼女に、何でもないと先を促す。
「えっと、それでね。オルステッドにはお師範様みたいな、剣の師匠はいたの?」
「……私の剣は故郷に伝わる剣術を独学で鍛えたものだが……そうだな……私と同じ剣技……いや、彼と同じ剣技と言うべきか。とにかく、その道の先輩と呼べる人物はいたな。」
思い出すのは壮年の男の後姿。病魔に侵されながらも、己の誇りのため再び立ち上がった真の勇者の後姿。
「ホントにっ!? どんな人なの? 今は一緒じゃないの?」
「……彼は強い男だった。私など及びもつかない、偉大な御仁だった。……今はもう、この世にはいないがな」
「あっ……ごめんなさい……」
聞いてはいけないことを聞いてしまったとばかりに、ペルルは目に見えて落ち込んでしまう。フワフワの羽毛も、そんな気持ちにつられるように縮んでしまった……ように見えた。
「……! いや、君が気にすることではない。そうだ、今度は君の話を聞かせてくれないだろうか?」
それを見たオルステッドは慌てて話題を変えようとする。
「例えば先程、君がチラッと口にしていた……『
「うん……闇夜の眷属って言うのはね――」
「――闇夜の眷属とは、秩序を重んじる魔族や、人間族の社会を追われてきた者達の総称を言います」
そう言いながら、ペルルの言葉を途中で遮って部屋に入ってきたのはアビルースだ。その手には人数分の茶器を乗せたおぼんがある。
「光の勢力に属する者達は、総じて彼等を魔物と同種のように扱いますが、決してそんなことはありません! 彼等は……僕等は、魔物とは違います。争いを好まない、同じ知恵ある生き物なのです!」
若干語気を強めてそう話す彼の目は真剣そのものであった。差別を嫌い、皆が平和を望んでいるのだと、訴えかけるようにオルステッドに語る。
「そうなのか。……人間の多くは光の神……つまり光の勢力に属していると、以前に聞いたことがあるが……君のような人間もいるのだな」
オルステッドが思い出すのは此処にくる直前に、空の勇士に教えられたこの世界の情勢。
――世界が融合した際に起きたといわれる神々の戦い『
オルステッドが元いた世界に近い『イアス=ステリナ』を管理する神々と、もう一つの世界『ネイ=ステリナ』を管理する神々、そして世界を融合させた元凶『機工女神』、彼等による三つ巴の戦い。
……最終的に勝利したのはネイ=ステリナの神々であり、彼等は自分達を『
「現神は光に属する神々と、闇に属する神々に分かれる、だったか。……どちらが善だ悪だと睨み合う……世界が変わろうと其処に住まう者が変わることはない、か……」
アビルースの説明を聞きながら、オルステッドは誰にも聞こえないようにそっと呟く。その目には様々な色が複雑に混ざり、映されていた。
「――と、つまらない話はこれくらいにしておきましょう。どうぞ、温かいうちに」
そっと手渡されたカップを受け取るオルステッド。目の前でゆらゆらと湯気が立ち昇るカップの中を覗くと、澄んだ紅色の液体が満たされていた。
「いつも僕によくしてもらっている方からお裾分けしていただいた茶葉です。お口に合うと良いですが……」
「ありがとう、頂くよ。……良い香りだ」
カップから漂う仄かな甘い香りを楽しみつつ、ゆっくりと一口……口の中に適度な渋みと、すっきりとした爽やかさが広がっていく。
「……美味いな」
「本当ですか! それは良かった。……今度、この茶葉を分けていただいた方に、改めてお礼を言いに行くことにします」
飲んだ後の嘘偽りない感想が嬉しかったのか、アビルースは微笑みながらそう話す。
――その一方で、オルステッドは内心、別のことを考えていた。
(空腹感は無くても飲み物は受け付ける、か。……もっと自分の身体について調べる必要があるな)
「さて、それでは早速ですが、仕事の話に移りましょう。……といっても、貴方の実力であれば恐らく大したものではないでしょうが」
そんなオルステッドの心を読める訳もなく、アビルースは軽い調子で話を続ける。
「隣の部屋を見て既に察しがついているかもしれませんが、私はこの都市で所謂、研究者として日々を過ごしています。便利屋……とも言えますが」
「研究者……一体何を研究しているんだ?」
オルステッドの尤もな質問に対し、それを予想していたのか彼はすらすらと答える。
「主にこの腐海の地を覆う毒とその浄化方法についてですね。貴方も此処へ来られる前に、地上で目にしたのではないですか?」
「ああ……とても普通の生物が住めるような環境ではなかった」
フノーロは腐海の地の丁度真下に位置する街であり、此処には毒の影響が及ばないためについ忘れがちだが、地上の状況は悲惨の一言に尽きる。
「この街自体は元々、はるか昔から存在したと言われている地下迷宮を改築して作られたものなのですよ。そして、この地下迷宮は魔法の実験施設として何者かの手によって生み出された可能性があるのです」
「……そうだったのか。……確かに、純粋に人の手だけで一からここまで作り上げるのは至難の技だろうとは思っていたが……」
アビルースから語られたこの街の思わぬ誕生秘話に、それ程の術を行使出来る存在がいることに驚愕するオルステッド。そんな彼の反応に茶目っ気のある笑いを見せながらも、アビルースは説明を続ける。
「ですが、大規模な儀式の行使は周囲へと及ぶ影響もまた、強いのです。――そうですね、例を上げますと……失敗することで術者の命を奪うものから、儀式を行使した土地に災いを齎すといったものもあります。……此処のようにですね」
「……まさか……いや、そうだな。地下に広大な迷宮を生み出すくらいなんだ、あり得る話だろうな」
過去の存在による負の遺産……それに今を生きる者達が苦しめられていると、そんな可能性を示唆されたオルステッドは不快そうに顔をしかめる。
「……ですから、僕はこの地を蝕む毒を浄化して人々が住みやすい環境を作ろうと、僭越ながらも日夜研究を続けている訳なのです」
「そうなんだよ! お師範様は偉い人なんだよーっ!」
アビルースが語り終わったところで、それまでオルステッドと一緒に黙って話を聞いていたペルルが声を上げる。
「この街に強い魔物が近寄れないのも、街を囲む結界を維持しているお師範様のお陰なんだからっ!」
「これ、言い過ぎですよ。そもそも結界は維持しているだけで、僕がつくった訳ではないのですから」
まるで自分のことのように自慢するペルルに、苦笑しながらもそれを窘めるアビルース。そんな二人のやり取りは、ただの師匠と弟子……というには随分と距離が近く、暖かいものだった。
「結界……か。そんなものまで……ということは、此処へ辿り着くまでに目にしたものも、過去の遺産によるものなのだろうな」
「ええ、洞窟を照らす証明も、区画を分ける隔壁も、全てその通りです」
過去に残された技術によって安全な暮らしができると捉えるか、余計なもののせいで自由を失ったと考えるべきか……結局は、部外者である自分が口を挟む問題ではないとオルステッドが結論付けたところで、丁度ペルルからのじゃれつきから抜け出したアビルースは、そのまま本題へと会話の流れを戻す。
「さて、長々と話しましたが……つまり貴方にやっていただきたいというのは、私がこの街の施設を整備するのに必要な器具や、研究のために欠かせない素材を採集する際の護衛をお願いする……ということなのです」
説明に区切りが付いたのか、一呼吸置いてから改めて、オルステッドの目をしっかりと見た上で口を開く。
「……どうでしょうか?僕が見た限りでは、貴方は人間族にしてはとてもお強そうですし、報酬も出来る限り色を付けさせていただきますよ?」
一転して真面目な顔でそう告げたアビルース。オルステッドにしても、特に断る理由も必要もなく。
「分かった。道中の守りは任せてくれ」
手に持っていた空のカップを傍のテーブルに置き、二つ返事で快諾した。
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――アビルースの自宅での会話後、すぐに目的地に向けて出発した一行。
途中何度か魔物の襲撃を受けるも、特に梃子摺ることもなく。襲い来る魔物を剣の錆に……なる暇もなく、出た瞬間に全て切り伏せているオルステッド。彼の後姿を見ていたアビルースは驚きで顔が固まり、ペルルは彼の大ファンであるかのように熱烈に応援していた。
……あっという間に現地に到着した一行は速やかに必要な物を回収し、帰りも同じように待ち伏せる魔物を切り伏せ、文字通り血路を開いていた。……苦労はしていないが。
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――地下都市フノーロ、アビルース宅前。
「いやはや……何と言えば良いのか。非常に良い意味で予想外でしたよ、オルステッドさん」
「すっごくッ……カッコよかったーーッ!!」
「そうか? アレぐらい普通だと思うが……」
敵が可哀想に思えてくる程の蹂躙を見せた目の前の男に、アビルースは乾いた笑みを浮かべ、ペルルは頬を赤く染めて絶賛している。この状況を何も知らない第三者が見たとしたら、旧き世界の言葉で言うところの、『大人気のヒーローショーを見終えたばかりの親子と、サービスで握手にきた主演のヒーロー』のようだった。
「しかし……今回の素材回収の途中で、結界の一部に綻びがあったことに気付けたのは不幸中の幸いでした。急いで直さないと……ああっ! 忘れるところでした。こちらが今回の報酬となります。約束通り、色はたっぷりと付けさせていただきました。今後ともよろしくお願いしますね」
アビルースから灰色の袋を手渡されるオルステッド。片手で持った途端に、見た目以上のずっしりとした重みが伝わってくる。
「……随分と重量があるが、良いのか?大したことはしていないが……」
「いえいえっ! アレを大したことがないなんて、とても言えませんよ!? ――それにこれは、今後のお付き合いのことも考えた、初回特典の意味も兼ねてますので」
そう言いながらアビルースは、とても爽やかな笑顔で笑っていた。……存外、強かな一面もあるのやもしれない。
「そうか、なら構わないが……」
「オルステッドっ! どうせだから今晩はウチで泊まっていきなよ! きっと楽しいよ!」
今いる街は地下に存在するために日の動きは判らない筈だが、此処の住民たちは優秀な体内時計を備えているらしい。ペルルからの無邪気な誘いに少しだけ躊躇するも、しかしオルステッドは首を横に振る。
「……すまない、今晩は一人になりたい気分でな。申し訳ないが、今日はこのあたりで失礼するよ」
「えぇーーっ!? そんなーっ!」
「こら、あまり無理を言ってはいけませんよペルル。……すみません、オルステッドさん。それでは、夜分お気を付けて……と言っても、貴方程の方なら余計なお世話になってしまいますかね?」
どこか達観した様子を見せるアビルースと、不満気な素振りを隠そうとしないペルルの両極端ぶりに、オルステッドは微妙な笑みを向けつつ宿屋を目指す。
「…………ほぉう……?」
……近くの建物の屋根からオルステッドを眺める、紅く輝く視線を受けながら……
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アビルースたちと別れて、大体十分が過ぎた頃だろうか。オルステッドは一人、街中を歩いていた。住民たちが寝静まっているからか、辺りからは物音一つ聞こえない。
……彼にとっては、煩わしい視線を受けなくてすむため何も問題は無いが。
「――そっちへ行ったぞッ! 逃がすなッ!」
すると近くの……路地裏からか、複数の男たちの濁声がオルステッドの耳に入ってくる。直感的にそれが厄介事だろうと彼は悟ったが、だからといってこのまま聞こえない振りをしてその場を立ち去るような男ではなく――
「……こんな遅くに、ご苦労なことだな」
――やはりと言うべきか、すぐに音の発生源へと駆けて行った。
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(――ちっ……あの金髪の男を待ち伏せようとしていたら、余計な虫まで這い寄ってきおったか……面倒な)
紅玉にも勝る美しい長髪を一つに束ねた女が、そのきめ細やかな髪に負けないくらいに輝く紅色の瞳で、忌々しげに目の前の虫の群れを睨む。
「へへっこいつはトンだ上玉だぜ……!」
「お嬢ちゃん、こんな夜更けにトイレかい? オレがついてってやろうかぁ?」
そこにいたのは、社会の枠組みから外れた無法者の集団。数にして凡そ十数人だろうか、それらが己の欲望を隠しもせずに、極上の餌に群がっている。
「しかもよぉ~? そんな大胆な下着姿でいるとか……あ! さては、俺たちを誘ってやがんのか? とんだアバズレだなぁー!! ぁあん!?」
この集団の頭らしき半裸の男の、相手を完全に下に見た物言いに、周りで聞いていた仲間たちは一斉に嗤い出す。彼等の視線は全て、女の豊満な肢体に注がれていた。
(これは貴様等ではなく、あの男を誘うための格好じゃ! その低俗で腐った目、残らず叩き潰してやろうかえ!?)
女の格好は……とても街中を行動するのに適しているようには思えなかった。肌に纏っているものと言えば、胸元を大胆に露出したデザインの黒のネグリジェ一枚だけであり、それがただでさえ薄い生地なのに、サイズが一回り小さいせいか、起伏の激しい身体にピッタリと食い込んで、そのすぐ下の白い肌がはっきりと透けている。
「もう我慢できねぇよ……ヤッちまおうぜぇッ!」
辛抱ならないとばかりに、集団の中にいた息遣いの荒い小太りの男が、我先に女へと走り出した。仲間の野次など耳に入らないのか、男の目は女の身体だけを見ていた。
(……たかが食料の分際で……もうよい)
温度を感じさせない眼で、目前に迫った虫を駆除しようと手を向ける。
「……消え失せ――」
「ぐぺぁッ!?」
「――ろっ……?」
だが、女の魔法が発動するよりも一寸早く、目の前を一陣の風が横切った。その風の中にいた小太りの男は、次の瞬間には身体が腹を境に上下へと泣き別れて絶命する。
(何だ、今、横から――)
音も無く繰り出されていた一撃。風が通り過ぎた直後、女は真横を振り向く――前に、金髪の男の背中が視界に入った。
「今日は似たようなことが立て続けに起こるな……大丈夫か?」
お目当ての男が静かに、そう話しかけてきた……