堕ちた勇者は彼の地にて   作:胸焼け

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第六話になります。



第6話 異貌なる骸

 アビルース達との出会い、クルージェとの遭遇と使い魔入りから、気付けばあっという間に一ヶ月もの時が過ぎようとしていた。

 無論、その間に何もしなかった訳も無く、オルステッドはアビルースから提供された情報から、次の目的地と移動経路についての絞込みを殆ど済ませていた。

 

 そして、旅の再開を明日に控えた今日はというと――

 

 

 

 

 

 

 ――とある地下迷宮の通路。 

 

 街の住民達も滅多に近寄らないような蟻の巣の最奥部にて、地響きを立てて疾走する一団がいた。

 金属を腐食させる粘体、生者の魂を吸い込む怨霊、電気を纏った石人形、どれか一匹でも街の中に侵入すれば、甚大な被害が出るであろうことは想像に難くない。

 

 そんな怪物達が現在一心不乱に駆けている理由は……

 

「受けてみよ、火炎噴射!」

 

 何処からともなく若い女の声が木霊したかと思うと、間も無く魔物の群れの頭上から猛火の牙が降り注いできた。

 無差別に命を食らう紅蓮の大蛇はまず先頭を走っていた魔物を飲み込むと、そのまま残りの魔物達を囲むようにとぐろを巻いていく。

 

 突然現れた炎の壁に魔物達は本能的に足を止めてしまう。するとその隙を突くように、壁の向こうから一つの影が躍り出た。

 

「――ハッ!」

 

 上空から放たれる無数の斬撃。それは僅かな撃ち漏らしも許さないとばかりに、檻の中の獲物を押し潰し、蹂躙していく。 

 数多くいた魔物達は瞬く間に切り刻まれ、紅い旋風が通過した後には原形の留めぬ肉片が大地を濡らすだけであった。

 

 

「フッ……我の手に掛かればこの程度、造作も無い」

 

 悦に浸った笑みと共に、紅い髪を靡かせて豊満な胸を張るクルージェ。

 その際に自身の背丈よりもやや大きめな外套の隙間から、白く美しい肌が遠慮なく顔を覗かせていた。

 現在彼女が身に付けているのは、下着と見間違う程に薄い黒の衣装の上に、主人から()()()灰色の外套を羽織っているだけであり、ちょっとした動作でもすぐに自慢の肌が表に曝け出されるため、年頃の若者には非常に目に毒な光景であった。

 

「……そう油断して、十五分前に不意打ちを貰いそうになったのは、何処の誰だ?」

 

 が、彼女の目の前に立つ男はそんな光景を見ても微動だにせず、機械的に突込みを入れる。

 

「む、ぬぬ……あ、あれは偶々であって――」

「今日の半日だけで六度、同じやり取りをしているが」

「それはっ……い、いや! その、だな……それは……」

「それは?」

 

「………………す……すまぬ……」

 

 精悍な顔を冷徹とも言える相貌に変化させ、相手の眼を射抜くかの様に光の消えた眼で睨まれては、流石の上級睡魔も冷や汗を流す。堪らずに人間相手ということも忘れているのか、見栄も張らず素直に頭を下げて謝っていた。

 

「じゃ、じゃがっ! その度にそなたは必ず我を守ってくれているではないか!」

 

 クルージェの言うとおり、何かとすぐ油断する気のある彼女が少しでも危なくなると、その度にオルステッドは迅速に危険を排除していた。冷たい言葉とは裏腹に仲間を献身的に守るその姿は、ただ自分に素直になれないだけなのか、それとも何か別の要因があるのか。

 深く注意して見ると、何処となくだが彼の雰囲気に違和感があるようにも思えた。

 

 ……とは言っても決して、これを考察することでクルージェの非が無くなる訳ではないのだが。

 

「当然の役目だからな。そもそも連携する相手が早々に倒れては、パーティの意味が無いだろう」

「そ……そのとおり、デス」

 

 結局彼女が言い負かされ、反省して次に臨む……この繰り返しをひたすら続けていた。

 そんな努力の甲斐もあってか、持参した銀時計で早朝から正午へと時間帯が移り変わるのを確認した頃には、致命的と呼べるような隙は殆ど無くなっていた。

 

「折角仲間が出来たというのに、足を引っ張り合うようでは冗談でも笑えないからな」

「だからと言ってこれは……かなりキツイ……」

 

 魔力が尽きかけているのか、力なく地べたに座り込むクルージェ。

 

 種族的には人間族よりも悪魔族の方が体力含めて優れている筈なのに、現実はその真逆である。何故……? と女悪魔がこの理不尽を嘆いていた。

 

(こ、この人間の皮を被った悪魔め! 今に見ておれ、必ずや我の忠実な下僕にしてやる!)

 

 疲労によって息を荒げながらも、反抗的な眼でオルステッドを睨みつけることは忘れないクルージェ。

 

「…………」

 

 そんな彼女の様子を視界の端に捉えていた男は、何を思ったのか急に鞘から剣を抜き放ち、その切っ先をクルージェへと向ける。

 

「……へ? ……んなッ!? ま、待て! 早まる――」

「頭を下げていろ」

 

 無情にも放たれた有無を言わせぬ一撃。それは驚きと疲労で動けない女の頭を――避けるように通り越して、すぐ背後に忍び寄っていた魔物の首を狩り取った。

 

「だから油断はするんじゃないと……」

 

 剣を収めて振り向いたオルステッドが見たのは、あまりの恐怖で放心状態になっているクルージェの姿であった。 

 

「わ、我は…………うう……」

 

「…………すまない」

 

 弱弱しい彼女の反応に、やり過ぎたかと内心で自粛するオルステッド。

 両手で顔を押さえてさめざめと泣いている姿を見ると、彼女が人間を食料と見なす恐ろしい魔物の仲間であるとはとても思えない。

 

「すまなかった……クルージェ。その……何と詫びれば良いのか」

 

 流石に酷い仕打ちをしたと悟ったのか、オルステッドは自分の足下で座り込む使い魔に遠慮がちに声を掛ける。

 

「街に戻ったら、何か好きな物を買おう。何でもいい」 

「ッ!! では、そなたの逞しい精を――」

「それは駄目だ」

 

 途端に眼の色を変えて勢いよく頭を上げたクルージェ。開口一番にとんでもないことを要求するも、それは冷静に却下するオルステッド。

 すると彼女は今まで流していた涙をあっさりと引っ込めて、不貞腐れるようにそっぽを向いた。大きな外套で身を包めてブツブツと文句を言っている後姿に、オルステッドは何とも言えない表情をしつつ片手で頭を押さえた。

 

 

 

 

 

 

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 ……その後、なんやかんやと文句を言うクルージェを宥めつつも無事に街へと戻ったオルステッド。

 アビルースの家まで向かう道中、いまだに機嫌を損ねているクルージェのために適当な装飾品店へと寄り道をしながら、表通りを歩いて行く。

 

「しかし……」

「む? どうしたのじゃ」

 

 煌びやかな宝石類を手の中で転がしていたクルージェが尋ねる。やっと機嫌が直ったのか、満天の笑顔で通りの真ん中を闊歩しながら、隣を歩く男の顔を覗いた。振り向いた際に背中に下ろした紅髪がふんわりと広がり、青白い光に照らされることで色彩を変化させながら美しい輝きを魅せる。

 普段は後ろで一つに束ねた髪型でいることが多いため、毎日一緒にいるオルステッドには新鮮味のある光景であった。しかし、だからと言って彼女の美貌に見惚れるということは無く、今も一人歩きながら物思いに耽っていた。

 

「……いや、な。……この街の人間達の、お前に対する反応の変化に驚いてな」

「フフン。あらゆる睡魔を統べる存在であるこの我が本気を出せば、人間族の男共を虜にするなど造作も無いわ」

 

 そう、魔族であるクルージェを使い魔にした最初こそは、当然表を歩く際に街の住民達から恐れの目を向けられていた。

 ……恐れられていたのだが、そこは睡魔の本領発揮と言うべきか、甘く妖しい誘惑によって数日のうちに男達の心を掌握し、むしろ今では普段から隣にいるオルステッドに嫉妬の目線が突き刺さる次第であった。

 

 余談であるが、オルステッドの方も街の女達の心を意図せず手中に収めている。が、本人は気付いていない。

 

「だが喜ぶと良い! 我はそなたの精を得るまで、他の雄共の精は受け付けないことにした! フッフッフッ……どうだ、嬉しいだろう! 我慢しなくてもよいのだぞ? 待ちきれぬなら今晩にでもそなたと交わり――」

 

「…………」

 

 

 過激な独り言を喋り続ける存在を横に置いといて、オルステッドは思考を再開していた。

 

(クルージェへの買い物を終えた後……防具を新調するために向かった店で、またしても私の身体についての新たな発見があるとはな)

 

 思い起こすのは、今日最後に訪れた店での一幕。

 

 元々装備していた防具類はこの世界で目覚めたその日のうちに、空の勇士との一件で粉々になってしまったため、いい加減新しい防具を揃えようとしたのだったが。

 

(普通では無いことは理解していた。だが、まさか()()()()モノまで装備できるとは予想外だった)

 

 ふと目線を下げると其処にあったのは、毒々しい紫色の瘴気に包まれた衣であった。

 足下や手首を覆う部分の生地は擦り切れ、穴こそ開いていないものの絶えず湧き出る瘴気と相まって、とても常人の着るものとは思えない不気味な雰囲気に満ちていた。

 

(店主から冗談で勧められたモノを着る私も大概だが、呪いの影響を受けない事実を知れたのは僥倖だった……見た目に反して性能も悪くは無い。おまけにタダ同然で購入することも出来た。……見た目については、後々考えよう)

 

 

「オルステッド? 何をしている、着いたぞ」

「……ああ。すまない」

 

 オルステッドが思考の終着点に行き着いたところで、どうやら本来の目的地にも到着したらしい。

 先を追い越していたクルージェが彼に声を掛けたことで、ようやく自分がアビルースの家の前で突っ立っていたことに気が付いた様だ。

 

 玄関前に立ったオルステッドは、扉に備え付けられている呼び鈴を数回鳴らした。

 すると魔法でも込められていたのか、複数の音色が同時に鳴り響き、透き通った旋律による小さな演奏会が訪問者を楽しませる為に奏でられた。

 

「粋なものよのう。オルステッド、我も同じものが欲しいぞ」

「考えておく」 

 

 クルージェのおねだりを完全に流しながら暫し待つオルステッド。

 

 ……そうしていると、家の中から小さな足音が聞こえてきた。

 

「――はーい、おまたせ! ゴメンね、今お師範様は……あッ! オルステッド!!」

 

 扉からひょっこりと顔を出したのは、アビルースの一人しかいない一番弟子ペルルだった。

 

「それとクルージェ!」

「クルージェ、でない! クルージェ様と呼べと、何回も言っておろう!」

 

 いつの間に仲が良くなったのか。玄関前で騒ぎ始めた二人の女達を眺めながら、オルステッドは慣れた様子でペルルの方へと用件を告げる。

 

「アビルースはいるか?」

「同じ使い魔同士なんだから別に良いじゃな……あっ! 忘れてた、お師範様はお休み中で――」

「貴女方がとても賑やかでしたので、もう起きましたよ」

 

 穏やかな声を上げて、家の中からもう一人の人影が現れた。

 若干眠たそうな足取りで三人に近づいて来たのは、この家の家主アビルースである。

 彼は自分の弟子にそれとなく小言を言うと、手で口を押さえながら欠伸を一回、そして目尻の涙を拭ってからオルステッドへと目を向けた。

 

「だらしない姿をお見せしてすみません、オルステッドさん」

「いや、むしろ忙しい中、急に押し掛けた私が悪いんだ。気にしないでくれ」

 

 気心知れた者同士特有の、和やかな雰囲気で話す二人。

 この一ヶ月あまりで随分と仲が深まったのは、片や過去の因縁が原因で、片や自らの出自が原因で、お互いが孤独を抱えていた、ある種の似た者同士であった故か。

 それは本人達の知る由では無いが、少なくとも二人はこの空気に心地良さを感じているようであった。

 

 

 玄関先から家の中に通されたオルステッド達は、旅立ちを明日に控え、世話になったアビルースへと最後の挨拶を告げる。

 

「世話になった……君のお陰でとても有意義な時を過ごせた」

「よしてください。僕の方こそ、貴方と知り合えたのはとても幸運でした」

「フッ……まるで今生の別れのようだな」

「あはは! そんな、縁起でも無いこと言わないでくださいよ」

 

 しみじみと話すオルステッドは、名残惜しさを誤魔化すように冗談を言い、アビルースはそんな彼の態度に可笑しさを感じて笑い出す。

 

「それにしても、これでまた僕とペルルの二人だけになりますね……何だか寂しくなるなぁ」

「なに、君程の男ならきっとすぐに、良い縁に巡り合えるさ」

 

 苦笑しながら頭をかくアビルースの顔を見て、オルステッドは今度は冗談でなく本気で思ったことを言う。

 

「まさか。それに自分で言うのもなんですが、こんな変わり者と関わってくれる物好きなヒトなんていませんよ」

「大丈夫さ。私は人を見る目には……自信が…………」

「なんで其処で言い淀むのですか!」

  

 思わずと言った風に突っ込む優しい青年の姿を、オルステッドは笑いながら見詰める。

 

 そんな他愛も無いやり取りも佳境に入った頃。

 

「すみません、この部屋で少しだけ待っていてください」

 

 唐突にアビルースは、オルステッドに断りを入れて奥の部屋に引っ込む。と思うとすぐに、片手に収まる程度の大きさの石を持って出て来た。

 

「これは喚石と呼ばれる宝石でして、僕の様に魔族を召喚する者はみんな持ち歩いている代物です。クルージェさんが旅に同行して行くのであれば、きっと役に立つでしょう」

 

 そう言って手渡された宝石を受け取るオルステッド。

 最上級の紅玉をも上回る、鮮やかで且つ深みのある紅を含んだ宝石は、彼女の情熱的な性格と、蟲惑的な色香を十二分に表現していた。

  

「最後まですまないな……ありがとう」

「いいえ! これは僕からのちょっとした気持ちです。そんな、頭を下げないでください!」

 

 申し訳なさ気に頭を下げようとするオルステッドを、アビルースは慌てて制止させる。

 どこまでも似た男達である。

 

「……長居してしまったな。そろそろ失礼する。クルージェ、宿にもど……寝ているのか」

 

 二人の姦し娘はとっくの昔に眠りについていた様で、オルステッドはのん気に眠るクルージェに仕方ない、と言いたげな苦笑いを浮かべ、彼女を起こさないように優しく背負う。

 

「それでは――」 

「あの、オルステッドさん……最後にお願いがあるのですが……」

 

 帰り支度をするオルステッドに、アビルースは何故か恥ずかしそうに顔を赤くしながら、恐る恐る尋ねる。

 

「何だ? 私に出来ることなら、なんでも――」

「そ、それではッ! 貴方のことを……『友人』と呼んでもいいでしょうかッ!?」

 

 食い気味にそう叫んだアビルースにオルステッドは面食らうも、僅かばかり逡巡し……

 

(友人か……酷く久しい響きだ……私は……)

 

 その時、不安そうにこちらを伺う青年の目を見た彼は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ああ! むしろ、私の方こそお願いする……友よ」

 

 ――青年と会って、初めて自分から手を差し出した。

 

 

 

 

 

 

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 ――地上。

 

「ほほう……地上はこういった風になっておるのか!」

 

「何だ、偉い魔族と言う割りに地上を見たことが無いのか?」

 

「むぐッ……わ、我は地下の支配者ぞ! 今まで表に出る必要が無かっただけじゃ!」

 

  

 友人との別れから、翌日。

 オルステッドから見せられた喚石の美しさに大層ご機嫌なクルージェは、特に未練も無い様子でオルステッドの後ろを付いて行く。

 後ろを振り返ればまだフノーロへと通じる洞窟の入り口が見える距離にいるが、オルステッドは決して振り返らない。

 それは折角できた友と遠く離れる哀愁を振り払うためか。彼の真意は彼のみが知っている。

 

 

 そうして暫く歩いていると、明らかに人の手が届いていないと分かる程、深く青く生い茂った雑木林に入った。

 

「まーだ着かんのかー?」

 

「もう少しだ、アビルースから貰った地図には…………あそこだ」

「何、まことか!? ……て、何とも慎ましやかな村だのう」

 

 林を抜けた先に見えたのは、活気の無い寂れた村に、一隻の帆船だけが入港している小さな港であった。

 

「正確には港町の筈、だがな……そろそろ喚石に入っておけ。人目に付かない内にな」

「分かった分かった、そう慌てるでない。初夜を迎える小僧でもあるま――」

 

 クルージェが何かを言い切る前に、強制的に喚石の中へと戻したオルステッド。

 一仕事終えたかの様な達成感を感じさせる彼の背中はとても逞しかった。

 

 

 

 

 

 

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「これは……想像以上と言うべきか……」

 

 ぼそりと呟くオルステッド。失礼に感じるかもしれないが、村の現状を見るとそれも仕方ないと思えてしまう。

 百人に届くかも怪しい村の規模。昼間だと言うのに村から聞こえる住人達の声はまばらであり、表を出歩いているのは年老いた老人に、幼い子供とその母親達だけ。

 若い男達はみな出稼ぎにでも行っているのか、殆ど姿が見えなかった。

 

「もし……旅のお方」

 

 村の有り様を見渡していたオルステッドに、一人の老婆が声を掛けてきた。

 

「見てのとおり、この村には何も無い。港を利用しに来たのじゃろう? この時間帯なら、丁度ミニエの街に向けた便が出航する頃じゃ。これを逃すと、次はいつになるか分かりませぬ。急いで行かれなさい……」

 

 枯れて骨ばった指で港を指差しながら、しわがれた声でそう告げる老婆。

 余所者に対してあまり良い印象が無いのか、さっさと男を追い払おうとする節が所々に見え隠れしていた。

 

「……態々すまない。すぐに向かうよ」

 

 オルステッドも村全体の雰囲気を感じ取ったのか、余計な事は言わずに港へ向かおうとする。

 

 すると――

 

「ねぇ、お兄ちゃんは剣士なんでしょ? あの怖いヤツをやっつけてよ!」

 

 見た目で言うと十歳前後だろうか。突然目の前に飛び出してきた、一人の痩せた男の子がオルステッドにそう訴える。

 

「怖いヤツ?」

「うん! 青い髪の、乱暴なオンナなんだ!」

 

「これッ!! やめんかッ!」

 

 尚も訴えようとする男の子を、先程の老婆が必死に止める。

 

「お許しくだされ……ワシ等の村は、この付近を暴れまわる魔神の脅威に晒されておるのですじゃ……ですが、アレは到底、人の手に負える存在ではありませぬ……何も聞かなかったことにしてくだされ」

 

 そう言って深々と頭を下げる老婆の姿に、オルステッドは何も言えなくなる。

 その場で立ち尽くしたまま一瞬だけ顔を顰めるも、やがて小さく「すまない」とだけ告げ、村を後にしようと歩き出して。

 

「よわむしッ!!」

 

 後頭部に石がぶつかった。 

 

「大人のクセにッ! よわむしッ!」

 

 周囲の村人達の制止も聞かず、感情のままに石を投げ付ける少年。

 

(…………)

 

 オルステッドはそれを避けることもせずに、黙って港へと歩き続けた……

 

 

 

 

 

 

「出航するぞーーッ!!」

 

 威勢の良い掛け声が晴れた青空に響き渡る。

 

 木で造られた船の、よく手入れのされた白い帆が上げられる。力強い風に後押しされて、緩やかに速度を速めていく一隻の商船の甲板に、二人の人影があった。

 

「全くあの小僧め、我の下僕にふざけた真似をしおって! 次に会ったら、肉食アースマンの餌にしてやろうぞ!」

「…………」

 

 怒りに染まった女の横で、手摺に身体を預けている男は静かに瞑目している。

 

「そなたはアレだけの侮辱を受けておきながら、何とも思わぬのか!?」

「……少年が言ったことは全て事実だ」

「むぐぐぐッ…………! それでは、主人である我の気が収まらぬわッ!!」

 

 終始冷静な男の態度を見ながらも、理不尽な事実を受け入れられないのか、女の方は地団駄を踏んでいた。

 

「――お客さん、荒れてるねぇ。折角の美人が勿体無いぜ、なんてな!」

 

 そんな二人に、豪快な笑い声を上げながら近づく中年の男がいた。  

 上半身の服を着崩したその男の肌は綺麗な小麦色に焼けており、大柄な体格に深い皺の刻まれた強面の顔は、海の男の理想像を体現していた。

 そして、頭に被った立派な帽子を見るに、恐らくこの男は船の船長であるのだろう。

 

「何じゃ、暑苦しそうなヤツが近づくでないわ!」

「がははッ! こいつはおっかねぇ、俺の母ちゃんみてぇだ!」

 

 人間の姿に化けているクルージェの態度を知ってか知らずか、男は笑いながらも自然な動作でオルステッドの横に並ぶ。

 

「兄ちゃん、何かイヤな思いでもしたのかい?」

「…………」

 

 気さくに話し掛けてくる男を無視するオルステッド。

 だが、彼の心中を分かっているのか構わずに喋り続ける男。

 

「大方、あの村の連中に何か言われたんだろうが……まッ! 気にすることはねぇ」

 

「……失礼、貴方は『青い髪の魔神』をご存知だろうか」

「あン? ……あーあー! アレかい。アレこそどうしようもねぇさ」

 

 オルステッドの問いに、男は喋りながらも懐から酒の瓶を取り出し、コルク栓を開けて勢いよく飲んだ。

 

「……リブリィール山脈の近くにな、『紅き月神殿』っつー場所があるんだわ。そんでもって其処に何年だか前から、おっかねぇ女が住み着いたんだよ」

「それが魔神の正体なのか?」

「ああ、ここいらに住んでる人間なら知らない奴はいねぇ。俺も一回だけだが遠目で見る機会があったのよ」

 

 

 

 

 ――オルステッドがこれから向かおうとしてるのは、ブレニア内海を北上した先にあるミニエの街である。

 この街はセアール地方という地域に属しており、北には最大の目的地である『冥き途(くらきみち)』が存在するケレース地方が、東にはアヴァタール地方という地域が隣接している。

 アヴァタール地方を治めているのが大国、レウィニア神権国であり、頂点に『水の巫女』と呼ばれる存在がいる。そして、同地域の南にニース地方が隣接し、オルステッドが出会った『空の勇士』が聖域を守護している。

 最後に、アヴァタール地方の南端に位置するのが『紅き月神殿』であり、この遺跡を根城にしているのが――

 

 

 

 

「『地の魔神ハイシェラ』……か」

「おうよ、そいつ等の三すくみによって、ここら一帯は微妙な均衡が保たれている、つー訳だ」

 

 長い説明で喉が渇いたのか、手に持った酒瓶をラッパ飲みする男……しかしすぐに底を尽いたらしい。恨めしそうに瓶の中を覗き込んでいる。

 

(少なくとも空の勇士と同格か……手合わせした頃よりも強くなっている自覚はあるが、果たして……)

 

 再び考え込むオルステッドを他所に、男は新しい酒瓶を取り出そうとして。

 

「うおッ!! ととぉ!?」

 

 突然、船体が大きく揺れ始めた。弾みで手から酒瓶をこぼれ落とした男は、部下の方へと怒鳴りつける。

 

「どうしたァ!!」

「わ、分かりやせん! 波も無いのに急にふね、がばぁ!?」

 

 船長へ報告しようとした若い船員の足下から、黒い触手のようなナニカが突き出てくる。

 それによって腹部を貫かれた船員は、抵抗する間も無く船の底へと引きずり込まれていった。

 

 

 

 

「……おぉお、怨ぉ怨おぉ……おぉ怨おぉ」

 

 船体の中央に大きく開いた穴の中から、生物の声とは思えない怨嗟の響きが甲板の端にまで伝わってくる。

 

「ぎゃあああ!!」

「助けてくれえぇ!!」

 

「チッ! 俺の可愛い部下共に手ェ出すんじゃァ……ねェよお!!」

 

 次々に飛び出してくる触手の群れと、船員達が化け物の毒牙にかかる光景を見て激情に駆られた船長は、船に備え付けられていた戦斧を迷わず手に取り、手近な触手を切り払おうと大きく振りかぶる。

 

「ぉおらあッ!! ……ってぇ、ンだと!?」

 

 怒りのままに振り下ろされた戦斧は触手の表面を削っただけに終わる。もう一度渾身の力を込めて振り下ろすも、叩きつけられた触手はその細い外観からは想像付かない程に硬く、ビクともしない。

 

「何だコイツはぁ!? 新種の海魔かッ!!」

「いや……違う! これはあの夢の――ぐッ!?」

 

 オルステッドが答えようとした瞬間、更に大きな衝撃が船を襲う。

 

「船長、乗組員を避難させろッ!! ……どうやら私がお目当てらしい」

「おおぉお怨怨……ぉおぉ」

 

 船の甲板を引き裂きながらオルステッドの前に現れたのは、以前に悪夢で見た、得体のしれないもの……そう表現するしかない、おぞましいナニカであった。 

 真っ黒な身体から伸びる、先端が鉤爪みたく尖った触手。襤褸切れを被った本体の、恐らく口であろう部分から零れてくる呪いの呻き声。身体のあちこちには穴が開いており、そこから腐臭を漂わせる濁った液体が流れ落ちていた。

 

「すまねぇ、此処は任せた!」

 

 船長が離れて行くのを顔を向けずに確認したオルステッドは、剣に手を添えて身構えた。

 

「これ以上は不味い、一気に片を付ける……!」

 

 化け物の本体を認識したと同時に走り出すオルステッド。この世の負の概念を凝縮したかの様な存在に対し、少しも怯むこと無く剣を抜く。

 

「邪魔だ!」

 

 己へ向けて降り注ぐ黒い五月雨を、皮一枚で避けて、避けて、避ける。

 太陽に反射した白刃が煌く度、幾つもの真空波が、光弾が、化け物目掛けて飛んで行く。 

 化け物は夥しい数の触手をがむしゃらに振り回して防ごうとするも、完全には防ぐことが出来ず徐々に船尾へと後退し始めた。

 

「このまま…………!?」

 

 勝負に出ようと剣を握り直した時、船首側から木片をばら撒きながら激しい間欠泉が噴き上がる。

 

(後ろ、からッ)

 

 背後からオルステッドへと、複数の触手を螺旋状に束ねた槍が襲い掛かった。

 風を切る轟音が、哀れな獲物を葬ろうと死角から迫る。とても反応し切れない一撃はオルステッドの背中に風穴を開けるべく真直ぐに伸びて行く、が。

 

「爆裂火球ッ!!」

 

 中空で爆発が巻き起こり、肌を焼く熱波がオルステッドを赤く照らす。

 

 ――一人で駄目なら二人で戦うまで。黒い槍が獲物を貫こうとするその寸前に、クルージェの援護により辛うじて軌道が逸れた。

 

「今じゃ、ゆけいッ!」

「助かった……これで仕留める!」

 

「ぉおお怨ぉ、おぉ怨おぉぉお……!」

 

 化け物を射程に納めたオルステッドは右手に持った剣を構えるが、それに危機感を抱いた化け物は瞬時に自分の触手を網目状に束ねることで、正面を守る頑強な盾を形成した。

 

 だが、オルステッドがとった行動は剣を振り抜くのでも、風の刃を飛ばすことでも無い。

 

「はああぁ!!」

 

 甲板を踏み砕きながら――――天高く跳躍した。 

 

「――そこだッ!」

 

 堅牢なる触手の守りを突破し、重力に従い空気を裂きながら突入した白い弾丸は、化け物の本体の、その顔面へと突き刺さった。

 

「っぉおおぉ……ぉお怨おぉ……!!」

「やった、流石じゃ!」

 

 化け物が苦悶の叫びを上げ、荒れ狂っていた身体の動きが停止していく。それを見たクルージェは、安心した様子でオルステッドに近付こうとするも……その上を見て眼を見開いた。

 

「ッ……避けろォ!!」

「手応えあった――がッ?!」

 

 やっと倒した、終わったかと気を抜いた刹那。

 深々と刺さった剣を握るオルステッドの右肩に、後ろから一本の触手が捻じ込まれていた。

 

「……ぉ、お怨ぉおぉ……!」

「コイツ……ぐうッ」

 

 肩から滲み出た血が腕にまで垂れていく。剣を抜こうと手を握り絞めるも、化け物から抜ける気配が全くしない。

 その化け物は相当執念深いのか、自分の上にいる男だけでも捕まえようと、停止していた触手を再び動かし始めた。

 

「これは……流れ、込んでくる……ッ」

 

 周囲を黒い壁が包囲していく中、オルステッドは全身を苛む痛みに耐えながら固く目蓋を閉じる。

 

(……やはり、コイツは、()()()()。……私と……憎しみと……?)

 

 足下には血溜まりが拡がっている。真赤な手で剣を握ろうとするも、流れ出る血のせいで指が滑ってしまう。倒れそうな身体を必死で支える姿を嘲笑うかの様に、男の元へと触手が集まっていって……

 

 

 

「だめじゃあッ!!」

(ッ! クルージェ!?)

 

 窮地に陥った主人を助けるべく、無謀にも単身でオルステッドの元へと乗り込もうとするクルージェ。

 仲間の悲痛な声を聞いた男は閉じていた眼を開き、咄嗟に剣へと魔力を込める。

 

(船員は既に避難した。そしてこの船はもう持たない……ならばッ! 船の損害を気にせずにやれる!!)

 

 下で暴れる存在を無視し、徐々に白熱化する己の剣へお構いなしに、ありったけの魔力を込め続ける。

 小刻みに震える剣はやがて限界を迎え、剣の柄からは火が噴出し、刀身からは目を焼く程の眩い閃光が、太陽よりも鮮烈に船全体を白一色へと染め上げていく。

 

「空の勇士よ、ご厚意で頂いたモノを、すまない……クルージェッ!」

「な、何じゃ――とおおぉ!?」

 

 限界を超える直前で剣から手を放したオルステッドは、肩に刺さっている触手を左手だけで強引に抜き取ると、最後に足で思い切り剣の柄を踏み抜く。あまりの熱量に呻く化け物が触手の壁を崩したところで、傷口が拡がるのも気にせずに飛び出した。

 そして驚愕しているクルージェを片手に抱いて、勢いのままに眼下に広がる海原へ身を投げる。

 

 

 

 

「ぉおぉ……ワタシ……ハ……タダ……」

 

 

 

 

 

 

 オルステッド達の背後で一瞬だけ竜のような影が見えた直後。

 

 化け物を乗せた船は…………天にまで昇る極大の火柱と化した。

   

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