第7話 輝く水と風の調べ
穏やかなさざ波に揺られながら一隻の船が航行している。
澄み渡った青空に唯一存在する大きな雲……と、思わず勘違いしてしまいそうな程に白く立派な帆を広げ、広大な海原を悠々と泳いでいる。
船の内部、奥まった場所に設けられた広い個室の中に、とある男がいた。
趣深い木製の椅子の背もたれに体を預け、深い眠りについているその男。傍のハンガーには清潔感のある白い礼服が掛けられている。
くすんだ金髪をもった男の顔には立派な髭が蓄えられており、はだけたシャツの襟元からは分厚い胸板が顔を出している。身体全体が相当に鍛え込まれているらしく、着ている服が全身の筋肉によって押し上げられていた。
正に偉丈夫と言うべき男が椅子の上で寝返りを打とうとしたその時、男の乗っている船が勢いよく揺れ始めた。
「…………んん……なんだ……?」
部屋ごと揺さぶられ、心地よい眠りから強引に叩き起こされた男は、突然の事態に何が起こったのかも分からぬまま、近くにあった丸い船窓から外の景色を確認しようとする。
「…………嵐が起きている、訳では無いようだな……実に良い天気だ」
男の視界を占めるのは青一色。
目線を上げれば淡い青が何処までも広がっているのが見える。頭を下ろせば深い青が水平線の果てまでのびているのが見て取れる。
太陽は船の頭上、空の真ん中で燦々と燃え盛り、なだらかな海面には幾つもの白い影が走っている。
時折、猫の様な鳴き声を上げるそれらの正体は海鳥だろう。彼等は揃って
「……何? どういう………!?」
訝しげに視線を移した男は、ソレを目撃してしまった。自身が乗っている船の、遥か前方にて起きている光景を。
「――――ッ!!」
窓枠に両手を貼り付かせたまま硬直していた男は、ふと我に返ると急いでハンガーのもとへ駆け寄り、掛けていた礼服のポケットを乱暴に弄る。そして中から折り畳み式の望遠鏡を取り出したかと思えばすぐさま同じ船窓の方へと駆け戻り、手をもたつかせながらもう一度、注意深く前を覗き込む。
雲一つ無い青空の中、其処だけは異様な光景が広がっていた。
膨大な熱を孕んだ炎の塊が軋みを上げて沈んでいく。四方に火の玉を降らせながらゆっくりと、静かな青い海を暴力的な赤へと侵しながら消えていく。
大破炎上した船が完全に海へと飲み込まれる直前に、巨大な炎の中心部で黒い煤が揺らめいたが、輪郭がはっきりと映し出される前に海中へと飲み込まれて見えなくなった。
ただの火災事故にしては明らかに規模が大き過ぎる。
何よりも異質さを際立たせるのが、船を突き刺す火柱だ。白い柱は、空を目指してひたすら上へと伸びていた。
(……何だ、アレは。魔族……いや、魔神に襲われでもしたと言うのか?)
視界が震える。望遠鏡を握る両手は汗が滲んでいた。
非現実的な前方の光景が、恐ろしさ以上に興味を湧かせてしまう……男の手が糸で吊り上げられるように移動していくと――
「…………白い…………龍……!」
開きっぱなしの口から小さな声が漏れていた。己の目を刺す光に耐えながら、今度こそ男は確かに見た。
天へと昇る、白き炎を纏った龍の姿を。
・
・
・
・
・
真っ暗な世界の中心に一人の女が倒れていた。
「…………んぅ……」
見事な紅髪を地面に広げていた女は、仰向けになっていた身体を緩慢な動作で横に倒すと、整った眉尻を下げつつゆっくりと目蓋を開けた。
「むぅ……何じゃ……? オルステッド、船が着いたなら起こし――ッ!」
眠そうに寝言まがいの言葉を呟いていた女は、ハッと驚いた顔をして身体を起こす。
「オルステッド!! あの化け物はどうなって…………む? オルステッド、何処にいるのだ?」
紅い女――クルージェはしきりに辺りを見回すも、傍には探し人どころか人っ子一人として存在しなかった。
自身の状況が理解出来ず焦った様子の彼女は、ふと頭上を見上げた。紅い瞳が夜空に浮かぶ
(……!? どういう……!)
美しい満月を眺めた途端、ますます焦りの色を濃くした彼女の視界の隅に、月の光に照らされた石造りの城が映った。
荘厳な白亜の城の屋外部分に設けられたテラスに、二人の人影が見える。
「見つけたっ! ……オルステッドー!!」
人影の片方はオルステッドであった。自らの主である男を見つけたクルージェは、不安げだった表情を嬉しそうなものへと一転させると、背中の翼を広げてオルステッドのいる場所へと脇目も振らずに飛び出した。
「――オルステッド! 我の下僕であるそなたが、こんな所で何をしておる!」
空を飛んだお陰ですぐに主の下まで到着した彼女は、さっそくオルステッドへ話し掛ける。怒りながら文句を言っているようだが、その顔には隠しきれない喜びがあった。
「全く! さっきはヒトの話も聞かずに、いきなり海へ落とすなんて乱暴な事を! どうせ抱くならもっと優しくだな…………うん? そなた、聞いておるのか?」
「――――――」
自分の不満を延々と垂れている途中で、彼女は小さな違和感を覚える。大声で話し掛けているのに、相手からの反応が一切無かったからだ。
「コレ! 我を無視するとは何事ぞ――」
「キャアアアーーッ!!」
失礼な態度に怒ったクルージェは、無愛想な己の下僕を怒鳴ろうとしたが――それは第三者の悲鳴で掻き消された。
「オルステッド! オルステッドーッ!!」
「アリシアーッ!!」
突如飛来した魔物が、もう一匹の魔物に気を取られていたオルステッドの隙を付いて、彼が「アリシア」と呼んだドレス姿の女性を攫ったのだ。
「あの方角は魔王山かッ! アリシア……待っていてくれ、必ず君を助けに行く」
「……ありしあ? 今の女はそなたの知り合いか――な、何じゃ!?」
目の前で起きた誘拐劇にクルージェは一人置いてきぼりにされていたが、事態はそれだけでは終わらなかった。
戸惑う彼女を余所に、世界は目まぐるしく変貌していき…………新たな場面が現れる。
今度はどうやら、この城の大広間らしい。大理石に覆われた床は綺麗に磨き抜かれており、床の上に立つ者の顔を鏡の様に映し出している。天井から下りる豪華なシャンデリアは、何十人も収容出来るだろう広々とした空間を淡く優しい光で満たしていた。
「頼むぞオルステッド! そなたならきっと、アリシアを救えると信じておる!」
多数の兵士が居並ぶ大広間の奥にて玉座に座る初老の男は、目の前で頭を垂れるオルステッドへと仰々しく告げた。
「ハッ! 必ずや、アリシア姫を助け出します!」
片膝を付いた姿勢でそれに答えたオルステッドは、王の傍に控えていた中年の男の命令を受けると音も無く立ち上がり、大広間の出口へと踵を返して歩いて行く。
「……ま、待て待て! 我を置いて行くな!」
左右を囲む兵士達に見守られながら小さくなっていく男の背を、呆けた顔で一連のやり取りを眺めていたクルージェが慌てて追って行った。
「頑張ってオルステッド様ー!!」
「王国に平和をー!!」
城を出てから城下町を抜けようと歩みを進めるオルステッドに、自然と付近の人間達が集まっていき、彼に対して思い思いの熱い声援を投げ掛ける。
「どうかアリシア姫を救ってくだされー!!」
「恐ろしい魔王を倒してください!!」
「大人ってズルイ!」
気付けば騒ぎを聞きつけた国中の民が彼の脇を占めていた。老若男女全てをひっくるめた大衆からの、割れんばかりの歓声と激励の言葉の数々が、ただ一人の男へと注がれる。
「騒々しいのう。……そなたは随分な人気者みたいではないか」
「――――――」
そこら中から聞こえてくる大歓声の只中で、クルージェは指で自分の耳を塞ぎながら無言で前を歩き続けるオルステッドにそうぼやく。…………相変わらず返事は無い。
「オルステッド様、お気をつけて!」
城下町の正門を守る兵士から声を掛けられる。
不毛な会話を続けている間に、いつしか町の外れにまで着ていたようだ。あれほど群がってきた国民達も今はすっかりと消えていた。
「はあ……コレはいつまで――」
「――抜け駆けか、オルステッド!」
「続く……ん?」
不安と驚きの連続で疲れたように肩を落とすクルージェの耳に、若い男の声が入ってくる。
訝しげに彼女が目を向けると――
「俺も行こう」
「ストレイボウ……!」
林の中から道を塞ぐように現れた一人の青年が、オルステッドに話し掛けていた。
黒に近い紫の長髪の隙間からは髪と同じ色の瞳が片方だけ覗き、ニヒルな笑みを浮かべながらオルステッドと言葉を交わしている。
丸い水晶を先端に埋め込んだ杖を片手に握り、青のローブの上に赤いマントを羽織った男――ストレイボウと言われた彼はオルステッドの友人らしく、親しげに会話を交えた後に二人で門の外へと歩み出そうとしていた。
「何じゃ、あの魔法使いは? 意外と知り合いが多いんじゃのう」
「――ジェ……クルージェ」
「まぁ、オルステッドの仲間ならば、彼奴も我の配下と言うこと――」
「……クルージェ! いい加減起きろ!」
「のわぁ!?」
耳元で響いた大声に仰天し、ベットから飛び起きるクルージェ。
目を回しながらも彼女が横を振り向くと、視線の先には腕を組んだ金髪の青年が立っていた。
「クルージェ、やっと起きたか」
「っ! ……お……オルステッドー!!」
自分に話し掛けてくるオルステッドを見た彼女は感極まったのか、満面の笑みで抱き着こうとして――寸前で肩を掴まれ、制止する。
「怪我は……問題無さそうだな」
起きて早々に、何故か自分に飛び掛かってきた仲間の元気な姿を見て、顔には出さないながらも内心で安堵するオルステッド。
「むぐぐぐ……わ、我の抱擁を、拒むなぁ……!」
「……取り敢えず、私達が今いるのはレウィニア神権国で、此処は王都プレイアの宿屋だ」
尚も腕を伸ばそうとしてくるクルージェと激しい攻防を繰り広げるオルステッドは、普段よりも諦めの悪いクルージェの様子に疑問を覚えるも、先ずは現状の説明を優先することにした。
「お前は丸一日眠っていたから知らないだろうが……化け物との戦いが決着した後に、レウィニアの船が通りがかってな――」
――時は一日だけ遡る。
オルステッドの最後の技によって化け物が船ごと海中に消えてから程なくして、先に避難していた船長が海に浮かぶオルステッド等を発見し、船長の乗る避難船に引き上げられた直後の事。
「おーいッ! アレを見ろぉ!!」
同じく避難していた一人の船員が、ある方角を指差した。
オルステッドが示された方を向いてみると、其処にはこちらへと接近して来る一隻の帆船があった。
白を基調とした船体には物々しい武装が各所に施されているが、よく見るとそれらは外から見ても目立たない位置に設置されている。船の景観を損なわせないようにとの、職人の配慮が伺える設計が成されていた。
無骨さと凛々しさを共存させた美しい鉄の船であるが、何よりも目を引くのが――船首の下に取り付けられた幻想的な女神の像である。水を支配し、水と共に生きる、その女神の名は……
「あれは……レウィニアの船か!」
「やった! 助かったんだー!!」
絶望の底から突然降って湧いた幸運に、それまで重く沈んでいた皆は歓喜に包まれる。お互いに抱き合って喜び勇み、中には涙を流す者さえいた。
掛け付けたレウィニアの船に船員達が救助される中、最後に残っていたオルステッドも乗り込もうとして――
「待て、ソイツは魔物ではないか!」
「駄目だ駄目だッ!! 魔物をこの船に乗せることは出来ん!」
それをレウィニアの兵士達に阻まれる。この時オルステッドは失念していたが、この世界の人間達は魔族全般に対し、決して良い感情を持っていないのだ。むしろ自分達の命を脅かす存在として、武器を手に持ち排除しようとするのが普通だ。
そのため、クルージェを抱えたオルステッドを止めたのは、彼等からすれば至極当然の事であり、オルステッド自身も乗船を諦めようとしたが……
「ちょっといいかね?」
「っ!! 閣下、何故此処に!?」
揉めている兵士達の間から白い礼服を着た男が現れた途端に、周囲の空気がガラリと変わった。
「あっ……こ、これは違うのです! 閣下の御手を煩わせる事は何も――」
「構わぬよ、彼等をこの船に乗せたまえ」
「――なッ!? この男は魔物を従えているのですよ!!」
閣下と呼ばれた男は、軽い調子で兵士に告げる。男からの予想外な言葉に、当の兵士は別の意味で慌て出した。
「私の剣の腕は君も知っているだろう? 魔物の一匹や二匹に遅れはとらぬよ。……それとも、私の命令が聞けぬと言うのかね?」
「えっ!? いえ、そのような事は……! し、失礼しましたッ!!」
穏やかながらも有無を言わせぬ男の迫力に、兵士はそれ以上何も答える事が出来なかった。
「君、名は何と言う?」
「…………オルステッドだ」
「そうか、良い名だ。――案内しよう、ついてきたまえ」
くすんだ金髪と立派な髭を生やし、服の上からでも分かる程鍛え込まれた身体を持った偉丈夫の男はオルステッド等を別室に案内すると、二人の宿の手配をしておくとだけ告げ、その場を去って行った――
「――そして、我々は用意された宿に現在いる訳だ」
「……そう……なのか」
説明を終えたオルステッドの足下で、クルージェが力尽きていた。
ふざけているのかと思えば、ちゃんと話の内容は聞いていたらしい。彼の説明に納得したように頷くと、元いたベッドまでふらふらと戻る。
「なるほどのう。我が眠りについている間に斯様な事が、あったと……ふあぁ……」
欠伸をかいてだらしなくベッドの上に寝そべるクルージェ。ちなみに今の彼女の服装だが、船で着ていた物は濡れてしまった為、宿の女将に頼んで新しい服を用意してもらった。
(……理解のあるヒトで助かった。魔族である彼女の着替えを任せても、「同じ年頃の娘がいる」と笑いながら引き受けてくれたのだからな)
特に理由も無く、オルステッドはベッドで寝転がっているクルージェを眺める。
仰向けになった身体は薄い赤で統一された衣服に包まれている。少しだけ目線を上に向けると、燃えるような紅い髪が眼に入る。更に上へとずらしていけば、世の男共を虜にするだろう彼女の相貌と、頭に生える大きな黒い耳が視界に映った。
「……クルージェ。一部の睡魔族が『猫』みたいな耳を持っているのには、どんな理由があるんだ?」
「むっ……そんな事なぞ知らぬわ! ――と言うより、いきなり何故そんな事を…………あ」
オルステッドの素朴な疑問に、クルージェは億劫そうな素振りで答えようとして……固まった。
自分の耳に恐る恐る触れると、ぎこちなく首を曲げてオルステッドを見る。
「…………」
「…………」
二人の間を冷たい風が通る。
お互いが無言を貫くも、真顔でいるオルステッドとは対照的に、クルージェの顔は急速に紅潮していく。
「……もしや、隠して――」
「忘れろ」
追及をばっさりと切り捨てたクルージェが何事かを呟くと、頭に生えていた黒い耳は姿を消し、元の小ぶりな耳が髪の間から出てきた。
そのままオルステッドに背を向けると、それきり何も喋らなくなる。
「クルージェ、実は恥ずか……し…………」
何かを感付いたオルステッドが彼女へ言葉を掛けようとするも、小刻みに震えている背中と首まで真っ赤になった彼女の後姿を見て、結局口を閉めた。
「……私はこれから用事で出掛けるのだが、何か欲しい物はあるか?」
「…………」
…………彼女からの返事は無い。
「……その、すまなかった。……行ってくるぞ」
良い打開策も閃かなかった彼は、申し訳なさそうに部屋を後にした。
扉が閉まる音を背中で聞いていた女は、涙目になりながらぼそりと呟く。
「……ぐす。 …………そう言えば、夢のこと……聞きそびれてしまったのう……」
・
・
・
・
・
――レウィニア神権国。
アヴァタール地方で近年、勢いを増しているこの国は今でこそ水の都と人々から呼ばれているが、元々は人の住めない不毛の大地であったという。しかしある時、一人の美しい女性がこの地に舞い降りたことで全てが変わっていく。
枯れた土地を豊富な水で潤すことで、人々はこの地で営みを行えるようになった。
汚染され疫病を齎す水を全て浄化することで、人々の暮らしは豊かになった。
そうして人々は、神の御業でもって自分達を救ってくれた女性――水の巫女を崇め奉るようになる。レウィニアの母として、レウィニアの象徴として――
「――と、以上がレウィニア国教に語られる、水の巫女様の有名な逸話なのだ」
「…………」
偉丈夫の男から説明を受けるオルステッド。その手には手紙が握られていた。
「すまんな、こんな回りくどい真似をしてしまって。だが、こうでもしないと君と二人きりになる事が出来ないからな」
実はオルステッドが王都の宿を訪れた際に、宿の女将から彼宛の手紙を渡されていたのだ。それには、『街の郊外にある廃墟へ来て欲しい』とだけ記されていた。
「自分で言うのも何だが、よくもこんな怪しい指示に従ってくれたものだ」
「貴方には船での恩がある。……それに、貴方ほどの戦士が卑怯な行いをするとは思えなかった」
予想外の答えを聞いた男は目を丸くする。――直後、口を大きく開けて笑い出した。
「――はっははは! ……オルステッド君、君は随分なお人好しのようだ。だが、嫌いではないよ」
好意的な笑みを浮かべた男は、大層ご機嫌な様子でオルステッドへと語り始める。
自分はレウィニアの一貴族であるが、その前に一人の戦士であること。船でオルステッドの姿を見かけた時、不思議と興味が湧いてきたこと。
だからこそ――
「――是非とも、君と手合わせをしてみたかったのだ」
男が背中の剣を抜いた。両手で握るのは、人の背丈程の長さを誇る銀の大剣だ。
「此処なら人目につかない。遠慮せずにやってくれ」
「……それだけの為に、態々ここまでしてくれたのか?」
オルステッドは手紙を懐に仕舞うと、説明の前に男から貰っていた長剣の柄を握った。
「君にとっては大した事ではなくとも、私にとっては大きな意味がある。……受けてくれるかね?」
是非を問う男の身体からは、既に白い闘気が溢れ出していた。
確信していたのだ。目の前の青年ならば、きっと答えてくれる。これは形だけの確認であると。
「ああ、勿論だ。」
――男の予想通り、青年は剣を抜き放った。
ひと気の無い廃墟の中で、二人の男がぶつかり合う。
「はあッ!!」
偉丈夫の男は大剣を軽々と振るい、オルステッドへと激しく切り掛かった。
迫りくる袈裟切りの刃を、半身を反らすことでかわすオルステッド。標的を外した一閃は豪快に地面を抉り取る。
(速いな……だが、その分だけ隙も――ッ!)
密室の中で巻き起こった風が、数本の金糸を宙に浮かべた。
袈裟切りが外れた瞬間、男は片足を軸にして全力で身体を捻ると、間髪入れずに大剣を薙ぎ払ったのだ。
「くッ……だが、これで!」
倒れ込むようにして避けたオルステッドは早々に勝負を決めるべく、隙の生まれた男の喉元へと狙いを定める。男を捕捉した銀の槍が発射されようと――
「甘いぞッ! ――奥義、剛震突きィ!!」
「なっ……?!」
槍が命中がすることは無かった。男はあろうことか、横薙ぎに振り切った姿勢で大剣を逆手に持ち直した直後、オルステッドとの間を遮るように振り下ろす……違う、床へと突き刺したのだ。
大剣を覆う闘気が石の床を貫き、大地へと浸透し――男を中心に、白い爆発が起きた。
「――がッ! ぐぅ……」
刃から生じた衝撃波は、周囲の全てを無差別に吹き飛ばす。それはオルステッドも例外では無く、爆砕した床の破片ごと廃墟の壁に叩き付けられた。
(……この男……本当に人間か? ――くるッ!)
「休んでいる暇は無いぞッ!!」
崩れゆく壁を背に、オルステッドは男の猛襲を迎え撃つ。
大剣が振るわれる度に狭い空間の中を突風が駆け巡り、斬撃の余波が廃墟の天井に、壁に、床に、次々と歪な穴を開けていく。
「ちぃ……!」
オルステッドは戦闘が始まってからずっと男の攻撃をかわし続けている。それはフノーロでの戦闘を彷彿とさせる光景であったが、前回と今回とで決定的に違うものがあった。
(一つ一つが、重いッ!)
男の連撃を紙一重で避け続けるものの、オルステッドの顔に余裕は無かった。轟音が絶え間なく耳を掠め、足下で弾け飛んだ土塊が辺りに飛び散っていく。ただの一振りが限りなく重く、その全てに必殺の威力が込められていた。
「…………むう」
防戦を続けるオルステッドの姿を見た男は、急に立ち止まる。その顔は純粋な疑問で満ちていた。
「オルステッド君、私は遠慮はいらないと言った筈だが? ……さっきからどうにも、
されている気がしてならないのだ」
「……!」
(やはり、感付かれているか)
男は強い。オルステッドがこれまで戦ってきた者達の中でも、確実に上位に位置するであろう実力を持っていることは、この一連の動きから見て明らかである。
……だが、それはあくまで
を自覚しているオルステッドは戦闘中、常に意識して力を加減していたのだ。
「戦士として、まさか相手から情けをかけられるなど……これほど悔しいものは無い。…………いや、違うな。――君は何を恐れているのだ?」
「――――っ!」
男の言葉が彼の胸を刺した。
そうだ、自分は恐怖しているのだ……大切な存在を失った過去を……己の手で殺めてしまった事実を。
「ふむ……」
力なく剣を下ろし、顔を俯けた目の前の青年に何を感じたのか。
男はおもむろに大剣を地面に突き刺すと、柄の先端を両手で押さえ、仁王立ちになった。微動だにせず堂々と佇む様はまるで、救国の英雄たる騎士の像だ。
「……今から言うのは独り言だ。……私はな――」
――レウィニア神権国は水の巫女を頂点とし、その下にレウィニア王家がいる。王家の下にはレウィニアの貴族達が並び、彼等は王家を知の面で支えている。
そして、貴族とは別にレウィニアを武の面で支える存在がレウィニア騎士団である。創設されて間もない彼等は国外からの侵略者を迎え撃ち、王家と国民を身を挺して守るのが義務であり、最大の名誉なのだ。
「私には、幼い頃から密かに憧れる夢があったのだ。……騎士団の長たる将軍となり、レウィニアの母たる水の巫女様を、レウィニアの子供達である民を、我が剣で守り抜く……なんて我侭な夢をね」
男はオルステッドを見据えた。その目には、夢破れた者が抱くとは思えない不屈の闘志が宿っていた。
「私は剣に己の人生をかけてきた。それは、家名をこの身に背負った今でも変わらない。…………君は、私の人生を否定するのか?」
「…………私は……!」
その言葉を聞いて、その信念を目にして――ようやくオルステッドは誤りに気付く。
(そうか……私はまたしても、驕っていたのか)
彼は苦笑いを浮かべた、一度死んでも学習しない己自身を自嘲して。
視線が灰色の地面から、白い男へと移り変わる。
(種族の限界を勝手に見極めたつもりでいた。……愚かな。そんな事、かつての世界で
「……そうだ、オルステッド君。そうでなくてはな……!」
場の空気が加熱する。狭い空間の中を、見えない炎が拡がっていく。出身地どころか生まれた世界さえ異なる二人の男は今、同じ意志を――高みへと挑戦する決意を燃やしていた。
――一握りの砂利が飛ぶ。
先に動いたのはオルステッドだった。お互いが身構えたのを見計らい、頭を低くして一気に駆け出す。
(確か、こうだったな……)
以前フノーロの路地裏で戦った、傭兵くずれの男が使用していた剣術を頭に浮かべる。
剣を軽く握り直すと、男の一刀に注意しながら徐々に積極的な攻勢へと転化していく。大振りで振り下ろし、足裁きに緩急を加えつつ、時には鞘を用いた切り上げを敢行し、剣を左右の手へ交互に移動させる。
男の目を慣れさせずに、真っ直ぐに攻め続ける。
「むぅ、これは……!」
相手の予測出来ない動きに、男は思い切った行動が取れないでいた。急激に増えていく不規則な剣筋を受けて、逆に防戦一方となっていく。
「――ここだッ!」
――必殺、沙耶身妖舞――
オルステッドは男との距離を詰めると、過去に見た技の再現を試みた。鮮やかな舞から繰り出されるのは、見る者を死へと誘う高速剣技。
懐に潜り込まれた男は咄嗟に大剣を盾代わりにして、押し寄せる剣の嵐をやり過ごそうとするも……
「ぐうぅ……! ――うおお!?」
縦横無尽に暴れまわる幾百の剣閃に晒された得物は、金切り声を上げて砕け散った。
(この技はまさか! この青年は、飛燕剣の使い手か……!)
大剣を犠牲にしたことで衝撃の大部分を防いだ男は、風圧に身を任せて後ろに転がる。完璧な受身を取ってから立ち上がると――男に剣先を向けた、青年の姿が映った。
「――ははははっ! 見事だ、私の負けだよ。今のは飛燕剣の基本である身妖舞……その上位技の、沙耶身妖舞か」
「そうなのか? 一度だけ見る機会のあった技を試しただけだが」
「…………何?」
オルステッドへと賞賛の言葉を掛けた男は、一瞬だけ顔を顰めた。
(馬鹿な! そんなこと出来る筈がっ…………いや……或いは)
「――ここにおられたのですか!」
対峙する男達の元へ、一人の老人が慌てて駆け寄ってくる。
「オルスっ…………ここまで、だな」
廃墟の入り口から聞こえた声に反応した男は眉を顰めると、開きかけていた口から不本意そうな言葉を紡ぐ。
「書き置き一枚残して屋敷から姿を消すなど、一体何をお考えなのですか!? ローグライア家当主である貴方様に何かあったら、我々は――」
「分かっておる! ……オルステッド君、すまないな。今日はこの辺で失礼させてもらうよ」
「……ああ、色々と勉強になった」
老人からの説教を聞き流しながら男――ローグライアは、その場を去って行く。
オルステッドは彼等の背を見送りながら、ある事実に気付いていた。
(ローグライア……新興貴族ではあるが、初の当主となった男は優れた剣の使い手としてその名が知られていると言う…………彼がそうか)
一人取り残されていた彼は廃墟から出ると、右手の下で揺れる剣を頭の位置まで持ち上げた。
「折角貰ったモノだったのだが……やはり、自分で買い直す必要があるな」
全力を出した結果、無残に罅割れた剣を見たオルステッドは……宿に戻る前に、商店の立ち並ぶ一角へと移動することにした。
・
・
・
・
・
――王都プレイア。
水の巫女の力によって人々の安住の地と化したレウィニアであるが、生まれたばかりであるこの国の規模は未だ小さい。しかし、東と北から流れる大河の合流地点に王都を設けたことで、交通の要衝としての価値が非常に高くなり、各地から入ってくる物品の数々と盛んに行き交う人々の流れから、今後の大きな発展が期待されている。
「武器屋が並んでいるのは……この区域か」
廃墟での戦闘を終えたオルステッドは、その日の内に新しい武器を購入することに決めたらしい。
天気は良く、太陽は真ん中を通過してから折り返しに入ったばかりのようだ。
(昼時だからか、人混みがすごいな)
街中を見回してみると、その盛況ぶりがよく分かる。多種多様な屋台や商店が軒を連ね、それらに大勢の人々が群がっていた。
歩道には全て、等間隔に切り出した石が平らに揃えて埋め込まれている。歩行者が移動しやすいように整備されているのだが、肝心の通行量があまりに多過ぎるため、移動よりもまず人混みを避けることに専念する必要があった。
(これでは、目当ての店を見つけ出す前に日が暮れてしまうのではないか……?)
「店主よ、何じゃこれは。ただのガラクタではないか!」
「……何だ?」
すぐ近くの屋台から、甲高い女の声が響いてきた。突然のことに思わずそちらへ振り向くと――
(――アレはッ!?)
店に並ぶ商品を見るに、恐らく骨董品を専門に取り扱っているのだろう屋台の前で、一人の女が喚いていた。
それだけならばオルステッドも、特に気に留めはしなかったのだが……女から感じられる強大な魔力が、彼の眼を掴んで離さなかった。
その女は晴天の空の様な、澄み切った青の髪を生やしていた。
――……青い髪の、乱暴なオンナなんだ! ……――
――……儂等は、魔神の脅威に晒されておるのですじゃ……――
「青い髪の……魔神……ッ!」
オルステッドの脳裏を、さびれた村に住んでいる村人達の声が掠めていく。
「こんな粗悪品を売りつけようとも、我の眼は欺け…………む?」
人々の喧騒の中、背後の男の呟きを拾ったのか……店主に怒鳴り散らしていた女は、ゆっくりと後ろに振り返った。
「ほぉ……お主、ただの人間ではないな」
街の人間達とは一風変わった装いをした女。
深い青と黒でまとめられた服装は落ち着きのある印象を与えるも、布地の少ない服の間からは健康的な太ももと白いへそが大胆にさらけ出されている。
短めに切り揃えられた髪に、人間とは明らかに異なるとがった耳。左右の耳の前を、部分的に伸ばした横髪が尻尾のように垂れている。
額の上に生えた一本角は女の性格を代弁するかの如く、天へと真っ直ぐに伸びていて。
大きな紅い瞳は好奇心に彩られ、思わぬところに現れた美術品――オルステッドを品定めしていた。
(こいつがハイシェラなのか……!?)
「お前は……何者だ」
「フッ、我の気高さに一目で気付くとは」
男の言葉を耳にして、女は興味深そうに眼を細め、軽く息を吐いた。
「お主、見所があるな。……フフン、特別に教えてやろう、偉大なる我の名を」
妖しい笑みを浮かべて魔神は告げる。
その名は――――――
次の投稿は間が空くかもしれません。
年内に投稿出来れば…