騎士団関係については作者の妄想です。
――アヴァタール地方東端の山岳地帯。
「こんな所に、本当にお宝があるのかよぉ」
「ちんけな村の宝なんざ、どうせ大した代物じゃねえだろうさ」
人里離れた名も無き山の山道を、複数の男達が登っている。薄汚れた格好に下卑た笑いをしながら歩く様からは、お世辞にも彼等が善良な人間に分類されるとは言い難い。
アヴァタール地方の中心に位置するレウィニア神権国は、水の巫女の加護によって豊かな土地へと生まれ変わり、人間達にとっての安寧の地となったのは周知の事実である。しかし弊害と言うべきなのか、それはある一つの問題も同時に起こしてしまうことになる。
「天下の大盗賊たる俺達、黒犬団がまさか宝探しなんてする羽目になっちまうなんてなぁ」
「うるせえ、黙って歩け!」
――即ち、犯罪の増加である。豊かな土地には富を持った人間も多く集まるもので、彼等の数に比例するようにして犯罪者の数も増加の一途を辿っていた。
当然ながら富を持った人間達の中に犯罪者の略奪行為を黙って見過ごす者はおらず、対策として自衛手段をつくることになる。最初は小さな自警団から始まり、やがて国としての体制が定まると大規模な騎士団が組織されることとなった。騎士団の人間には水の巫女から直接神の加護を授かる者もおり、神の力の一端をその身に宿した人間達を民衆は『神格者』と呼び、崇めるようになる。
「へへっ。それにしても、一昨日の村は久々に大漁だったよなぁ」
「男共は皆殺しで、女共も一通り楽しんだ後に残らずぶっ殺した。中央から此処まで来た甲斐があったぜ!」
「村長の爺の、あの泣きっ面が最高に笑えたしなあ!」
この世界は人間達にとってあまりに過酷だ。外を歩けば魔物の脅威に脅かされ、安全な街の中でも、時には同じ人間による理不尽な暴力に晒される。社会の枠組みから脱落した者は自分よりも力の弱い者を襲い、奪い、犯す。加害者たる当人はきっと、自分が生きている内に気付く事は無いのだろう。その姿は醜悪な魔物と何も変わらない事を。
「にしても、山に入ってから随分と歩きましたが、いい加減着かないもんですかねー」
統一性の無い格好をした集団の一人が辟易しながら、集団の先頭を歩く男に尋ねる。村で略奪の限りを尽くした後、たまたま村の倉庫に眠っていた宝の地図を見つけてから此処まで、道の無い道を延々と歩かされているのだ。初めこそ乗り気だった彼等も、そろそろ現実を思い出してきたのかもしれない。
「黙って歩け、つってんだろ! …………お? ようやくお目見えになったか!」
もうこうなったら、全員でこの頑固な頭領を説得して元来た道に引き返そうか――そんな考えが手下達の頭に芽生えた丁度その時、問題である先頭の男がいきなり走り出した。
「か、頭!? 置いてかないでくださいよ!」
駆け足で先を行く頭領に、堪ったもんじゃないとばかりに後ろの手下達は必死で食らいつく。だが、その競争は全員が広い空き地に出たところで終わりを迎えた。
其処は気軽に踏み込めないであろう深い山の奥地でありながら、妙に整えられた空間だった。綺麗な円を描くように雑草が刈り取られ、円の中心部には飾り気の無い木の祠が佇むのみ。そして不思議な事に、この敷地に足を踏み入れた途端、道中で常に感じられた獣の気配がぱったりと途絶えたのだ。
「老いぼれは最後まで抵抗しやがったが、つまりそんだけ大事なモンが此処に仕舞ってある、つー事だろ? やっぱり俺の勘に狂いは無かった訳だ!」
「お……お頭ぁ……これ、やばいんじゃないっすか!?」
鼻を鳴らして踏ん反り返っている頭領を除いた男達は、自分達が今目にしている祠の異常な光景に本能的な恐怖を感じていた。別に祠そのものに問題がある訳では無い。正面に簡単な扉があって三角の屋根がついただけの、小さくて質素な祠だ。外から見た感じだと大人一人がなんとか中に入れるぐらいだろうか。
別にそれだけならば、男達も気にはしなかっただろう。
「何だあの……紙切れは」
……ただし、祠の扉に夥しい量の白い紙がびっしりと貼り付けられていなければだが。片手で握れる程度の長方形の紙には、細く曲がりくねった黒い文字が一枚一枚余白の隅々まで書き込まれていた。
「お、おい! 下を見てみろ」
手下の一人が動揺しながら周りに告げる。その声に釣られた男達が見たのは、またしても奇怪な光景であった。
「何だこりゃ……魔法か……!?」
足下が薄っすらと光っている。
小さな祠を取り囲む形で、幾何学模様の魔方陣が何層にも亘って広がっていたのだ。魔方陣に刻まれた模様は絶え間なく動き続け、陣全体が常に色を変化させながら淡く発光している。いつ施されたのかは定かではないが、一つだけ彼等でも分かるのは、この魔方陣は今この瞬間も何らかの魔法を発動し続けているのだろう、と言う事だけだ。
「や、やばいですって! お頭、もう戻り――あぁッ!?」
酷く狼狽する手下達の気も知らずに、頭領は一人で魔方陣の中へとずかずか入り込んで行く。難なく祠の前まで辿り着いた頭領は、背後から聞こえる懇願を無視して扉に貼り付けられていた札を乱雑に毟り取り、遮るものの無くなった扉を躊躇無く開け放ってしまった。
「……おおお!? こいつぁ見た事ねぇ武器だ!」
中に納めれていたのは一振りの刃であった。入り口の前だと影に隠れて見え辛いが、湾曲した刀身部分が赤い鞘に収まった状態で祠の中央に安置されているのだけは確認出来る。
「お頭ッ! 何だか雲行きも怪しいですし、降り出す前にさっさと此処を下りましょう!」
根性無しの手下が逃げる為に適当な口実をのたまった。――そう解釈した頭領は、縋り付く手下を煩わしそうにあしらってしまう。そんな下らない妄言に付き合うより、自分はこの美しい武器を少しでも長く見ていたいと言わんばかりに、頑なに祠の前から動こうとしなかった。
……彼は気付いているのだろうか。事実、この敷地に踏み入るまでは快晴の空模様であったのに、今は黒い雲が山全体を覆いつつある事を。そして自分が、絶対に触れてはいけない
「チッ中が暗くてよく見えねぇな。手を伸ばせば届くか?」
…………この刀はわたさん………
「あ? お前等、何か言ったか――ッ!?」
頭領の様子が変わった。身体は武器を掴もうと身を乗り出した状態で固定されている。
ほんの少しだけ目を離しただけだった。
武器に手を伸ばす頭領の耳元で何者かが呟いて、彼はその声が気になってしまった。聞き慣れた手下達の声とは違ったから、聞こえたのに言葉の意味が理解出来なかったから、だから気になって横を振り向いた。
其処にあったのは、地味な木の板で組まれた祠の内壁だけだった。一人入るだけで精一杯なのだから、他に誰かが割り込める余裕は無い。
では、彼はどうして動きを止めたのか。その原因は横でなく正面にあった。
――――武器が無い。
僅かに視線を逸らしただけだった。なのに、触れかけていた指先は空を切り、確かにあった筈の武器は消え失せている。
まさか手下が奪ったのか。無責任な憶測を理不尽な怒りに変えて、後ろにいる盗賊達の方を振り向いた頭領だったが、その怒りが誰かにぶつけられることはなかった。
「なッ…………!」
冷たい雫が背中を流れる。
ここにきて彼は漸く、事の重大さと祠の異常性を初めて理解した。
少しずつ降り出した雨が地面を濡らし、重苦しく吹いた風が山の表面を撫でつける。不自然に集まった分厚い雲は山から夕暮れの太陽を遠ざけ、それまで明るかった空間に影が差した。一度降り始めた雨は急激にその勢いを強めていき、地上の盗賊達へと容赦なく降りかかる。周囲の気温は下がる一方で、寒さに耐えかねた彼等は小刻みに身体を震わせた。
「……て、てめぇはッ」
盗賊の一人が、警戒心と恐怖心の入り混じった声を漏らす。円形に散らばっていた盗賊達の目が、その中心地点を囲んでいた。
盗賊達が震えているのは本当に寒さが原因なのか。
――――それとも、目の前の黒い男のせいなのか。
「……むぅ、此処は……?」
黒い男の足が一歩動くと、それだけで周りの盗賊達は声を引き攣らせる。既に彼等は男の雰囲気に呑まれていた。何処から現れたのか、いつの間に立っていたのか、そもそもコイツは
「……異人よ、此処は何処だ」
不気味な佇まいをした黒い男は、生気の感じられない顔を盗賊達に向けた。落ち窪んだ眼からは底の無い虚無が、張り裂けた口からは底知れない悪意が零れ落ちていた。
一体この男はどれほどの業を重ねてきたのだろうか。静かでいるのが逆に周りの不安を大きくさせる相貌であるが、真に恐ろしいのは、黒い男から放たれる途方も無い殺意の念だ。普通はただの感情が他者に物理的な影響を与えるなど決してあり得ない。しかし、そんな世の常識を覆す事象が現に起きていた。
「……あ、あぁあ……!」
「かッ……ぁ……!?」
盗賊達が痙攣を起こして次々と地面に倒れる。黒い男が顔を向けただけで、それだけで彼等は何も出来なくなった。純粋な殺意の塊が圧力となって、盗賊達の身体の自由を奪っていたのだ。
「これは失敬。と言っても言葉は通じぬか」
呼吸も満足に出来ず、耐え難い苦しみに身体を悶えさせる事も許されず、盗賊達の顔は未知の恐怖によって塗り固められた。眼下の様子を眺めていた黒い男は張り裂けた口の口角を更に持ち上げると、腰に差していた刀を赤い鞘に収めたまま両手で抜き取り、彼等に見せびらかすかの様に胸の前で掲げた。
「ッ! テメェ、それは俺のモンだ!」
混沌とした空間に頭領の怒声が響き渡る。手下達と同様に黒い男の圧力を直に受けた頭領であったが、苦しみながらも男が掲げた刀を目にしたことでその表情が一変した。屈しかけていた身体を持ち直すと愛用の斧を抜き取り、宝を奪った盗人の下へ怒りのままに突っ走る。
「野郎ッ逃がさねぇぞ!」
「……面白い。向かってくるのか、この俺に」
黒い男の前に躍り出た頭領は赤錆びた斧を突き出し、目だけを後ろに向けると、地面に転がって呻いている手下達を睨みつけた。
「こんなモン、ただのこけおどしだッ!! お前等、いつまで固まってやがる!」
「ぁ……あ、あれ? 身体が動くぞ!」
「な、ほ、本当だ! クソ、舐めた真似しやがって」
頭領の呼び掛けに続々と応じる手下達。彼等は自分達の感じた恐怖を誤魔化そうと口々に黒い男を煽り、込み上げた怒りに任せて各々の武器を抜き取った。
「相手は一人だけ、俺達は八人だ! 一気に掛かれば楽勝よぉ!!」
「囲め囲めッ!」
「バラバラにしてやらぁ!」
形成逆転した状況に盗賊達は笑いを堪え切れなかった。黒い男を囲み、相手を徹底的に罵倒しながら包囲を狭めていく。逃げ場など存在しない檻の中で一歩も動かず、刀を掲げてから身じろぎ一つしない黒い男の姿を見て、勝利を確信した頭領は手下達に命令を下した。それはいたって簡単な命令だ。「全員で飛び掛かって男を殺せ」、ただそれだけで勝負は終わるのだから。
この時点で、油断し切った盗賊達の最期は決定付けられていた。彼等の内の誰か一人だけでも疑問を覚えていれば、もしかすれば別の可能性もあったかもしれないのに。
何故、急に身体の拘束が解けたのか。
何故、黒い男はこの状況で――――嗤っていたのか。
「何を言ってるのかは分からぬが…………去らぬならば死ね」
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――レウィニア神権国。
街中を包む人々の喧騒。
活気に溢れた男の掛け声に、転んで泣いてしまった女の子と、それを宥める母親の姿。沢山の人間達によって大きな賑わいを見せる此処は、王都プレイア。
往来を行き来する人々は多人種にわたり、背の高く色とりどりな花々が舗装された石の大地の上を絶え間無く流れて行く。そんな街中のとある一角、商人達の出店が並び連ねている区域の片隅で珍妙な事態が起きていた。
「この名を耳にできる栄誉、末代まで語り継ぐといい!」
骨董品を取り扱っている屋台の前で、二人の男女が対峙していた。
金髪の男は張りつめた緊張を無表情の裏に隠し、屋台を背にしている女を鋭い目付きで推し測っている。対する女は、青空と同じ色の美しい髪の毛先を指で弄りながら、興味深そうに男を眺めた後、自信満々と言った面持ちで腕を組んだ。
「我はソロモン七十二柱が魔神、アムドシアス! 芸術と美を愛する魔神とは我のことよ!」
(…………何だと?)
組んでいた腕を腰に当て、自分の世界に浸る女――アムドシアスのある意味予想外な回答を金髪の男、つまりオルステッドは片眉を上げるだけの反応でとどめる。魔神相手に特に取り乱すといった事もなく、いたって冷静に見える彼であるが、実は内心で驚いている部分もあった。
(ソロモン七十二柱……まさか、伝説に語られるソロモンの悪魔の事か……? いや、流石に早計だろう。もしかしたらの、可能性の話だ)
「……そうか、ハイシェラではなかったか。すまない、此方の勝手な勘違いだった」
「何、ハイシェラ……?」
最悪の事態を想定していたオルステッドは己の予想が外れた事にほっとするも、依然、顔は晴れぬままである。そんな彼が何気なく呟いたある単語に、アムドシアスは目敏く反応していた。
(だが、仮にそうだとすると何故、
「おい、お主! よもやこの我をあの女と見間違えたと申すのか!?」
今にも思考の海に浸かろうとしていたオルステッドの肩を女の白い手が掴む。ほっそりとした見た目とは裏腹に、結構な力で肩を大きく揺さぶられた男はすぐに現実へと引き戻された。
「いや、その……すまない。その通りだ」
「何じゃと!? 我をあの様な野蛮な輩と一緒にするとは……いいだろう。こうなれば我が直々に、美の何たるかをお主に教育してやろうではないか!」
「……は?」
大変憤慨している女の口から何やら不穏な言葉が発せられた。最初は聞き間違えたのかとも思ったが、彼女の眼を見たオルステッドは正しく理解してしまう。この女は「本気」であると。そのついでに、彼女から伸びていた手が既に肩から腕へと移動済みであるのも確認してしまった。
「いや、結構だ――ぐぉっ!?」
「つべこべ言うでない、さぁ行くぞ!」
女の言動から間違いなく面倒な事になると判断したオルステッドは、相手が魔神ということもあり遠慮せずに抵抗しようとした……筈なのだが、華奢で繊細そうな容姿と全くかみ合わない彼女の怪力によって、力ずくで街の奥へと引きずられていった。
――王城と城下街とを繋ぐ大橋。
「これを見よ! この橋はドワーフの手を借りず全て人間の手で造られているのだ。特に語るべきなのが、この橋は旧き世界で言う中世時代に確立した建築技法と酷似していることだ! 歴史は繰り返すと言うが、正に――」
「……中世、か」
――港の近辺で開かれた青空市場。
「今日は港に船が多く来ている。つまり、世界各地の至極の品々を発掘する絶好の機会なのだ。……おお! これはレルン地方に伝説として語り継がれる老酒の陶――」
「……何処かで見たような……」
――裏通りの怪しい闇市。
「フッフッフ……此処みたく、裏でしか流通しない一品と言うのも存在するのだ! 無論、ハズレもあるがそこは安心せよ。我の眼はこの世の美を全て見抜くッ! したがって我が贋作に踊らされることなどあり得――」
(……現地民よりも裏に詳しい魔神、だと……)
――とある武器屋にて。
「オルステッド、武器よりも向こうで催している絵画の展示会を見ていかぬか?」
「もう十分に見て回っただろう……」
太陽が傾き、空が青から赤へと色を変えた頃。あれから結局アムドシアスに一日中連れまわされたオルステッドだったが、当初の目的だけは忘れていなかった。切りの良いところでアムドシアスの足を方向転換させ、日が完全に落ちる前に無事目的の店へと辿り着いていた。
「店主、この店にいわく付きの品があると聞いたのだが……」
「おっと! おたくも噂を耳にした口かい、ちょいと待ってな」
店の奥へと引っ込んだ店主を待っている間、何もすることの無いオルステッドは、店の入り口で立っているアムドシアスの様子を見た。彼女は此処ではなく別の場所に関心があるのだろうか、靴のつま先で繰り返し床を叩きながら外の景気を眺めている。
「アムドシアス。少し質問をしたいのだが、いいか?」
「む? 何じゃ、遠慮せずに申すがいい」
予定外の行動をとれば、予定外に時間も過ぎるもの。店の外から差し込んでくる夕焼けが、入り口に近づいたオルステッドの眼を眩ませる。だが、鮮やかな夕日が見劣りする程の美貌が其処にはあった。
「一つ目に、魔神とは基本的に強大な力を持った魔族の事を指すのだろう。魔神のお前が何故、街の中に入り込めるんだ」
「勘違いするでない。我はどっかの野蛮な淫乱女とは違って、何でも力だけで物事を解決しようとする趣味は持ち合わせておらぬ。此処には眠れる美術品の鑑定に来たのだ」
(……水の巫女は何処の勢力にも属さず、中立の立場を貫いている。敵意の無い者には寛大である、とローグライアは言っていたが……魔神も例外では無いのか)
まだ会ったことのない水の巫女の意外な懐の広さに驚くと共に、半日前に別れたばかりの、老人に叱咤される偉丈夫の情けない背中を思い出すオルステッド。
……本当は街中に魔族が入り込むと巡回の兵士等が駆けつけてくるのだが、アムドシアスは魔法で気配を誤魔化している為、住民からは普通の人間としか思われていなかった。
「次の質問だが、お前は先程、自分をソロモン七十二柱の一柱と言ってたな。お前の知り合いに不死鳥や烏の様な姿をした者はいるのか?」
「それはフェニックスとナベリウスの事か? 最初に断っておくが、我等は自由気侭な者ばかり故、何処に誰がいるかなどは知らぬぞ。……あっ、だがナベリウスの奴なら知っておる。これがお主に負けず劣らずの無愛想な奴でな――」
(やはり、この女はソロモン王が使役した七十二の悪魔…………序列六十七位、ユニコーンの悪魔アムドゥキアスで間違い無い。……想像とは違った人物だがな)
最初はしかめっ面をしていたアムドシアスも、質問に答えていくにつれて段々と表情が綻び、今は楽しげなそれへとなっている。本人は意図してやっている訳では無いのだろうが、胸の下で腕を組んでいるせいで彼女の豊かな胸が強調されていた。
「今度の質問は大きく話が逸れるのだが、そうだな……イアス=ステリナにおいて……『北欧神話』で最も有名な神の名は何だと思う」
「ふぅむ。北欧ならば、アース神族の主神オーディンであろう。次点で雷神トールか悪神ロキ辺りを挙げようか」
「……なるほど、よく分かった」
(空の勇士の話では偶然かとも思ったが、これは……)
オルステッドの中で、予想が確信へと変わっていく。
アムドシアスからもたらされた情報が自分の知識と一致したことで、オルステッドは隠された真実の一端に気付いた。それはソロモンの魔神の正体だけではなく、この世界の根幹に関わるであろう可能性の事だ。
(恐らくイアス=ステリナとは、私が人間だった頃……後に中世と呼ばれる時代に住んでいた世界だ。そして、邪神としてこの世界の者達から忌避されている古神の正体とは、北欧、オリンポス、その他各地のあらゆる神話体系に連なる神々の事だろう)
「…………人間の業は、神を……世界を超えると言うのか」
「――待たせたなお客さん、コイツがそうさ!」
話に夢中になって話題が脱線し始めたアムドシアスと、疑問の晴れたオルステッドの下へ見計らったかの様に店主がやってくる。その手には一振りの剣が握られていた。
「とある筋がカラータの方で見つけた長剣ですわ、名付けて冥府の剣! つっても切れ味に文句は無いんですが、生憎コイツは呪われてまして、見た目は良いんで店の看板に――あッちょっとお客さん!?」
オルステッドは自然な動作で店主の手から剣を拝借すると、鞘から滑らせるようにして抜き放った。
封印を解かれた黒い刃からは怖気を誘う冷たい冷気が漂い、力を求め手にした使用者を魂ごと縛り付ける。呪われた武具は総じて特別な力を有している反面、その代償も大きい。普通ならば教会へと駆け込んで解呪してもらわなければならないが……
「そ、ソイツを抜いたら最後、二度と手から放すことが出来……ない……」
「ブライオンとまではいかないが、中々の代物だな」
オルステッドの身体は武器にかけられた呪いの一切を受け付けなかった。右手に握られた剣を店内の開いた空間で何度か振り抜くと、満足した顔で鞘に戻す。……フノーロで手に入れた瘴気の衣の性能に目をつけていた彼は、通常の店売り品ではなく、初めから呪われた品目当てで此処までやってきたのである。
信じられない光景に顎が落ちそうになっている店主の両手に、重そうな皮袋を乗せたオルステッド。袋の中を覗いた店主はもう一度仰天してしまう。緩んだ袋の口からは、人を魅了する金色の輝きがこぼれていた。
「呪われていようと制御出来れば問題無い。これならばそう簡単には壊れないだろう。店主、これで足りるか?」
「……あ、はい。え……?」
「それでは、我はこの辺で失礼しよう」
目を白黒させる店主を落ち着かせて、オルステッドが目的の剣を購入した後。二人並んで武器屋から出た拍子に、隣を歩いていたアムドシアスが口を開く。
「そうか。領主をやっていると言っていたが、自分の領地にもう帰るのか?」
「フッまだまだ我の探究心は満たされておらぬ。もう何日かはこの街に留まるつもりぞ」
夕焼けに染まった空色の髪を手で梳かし風に靡かせていた女は、ちらりとオルステッドの横顔を伺うと、悪戯を閃いた子供みたいな笑みをつくった。夕日を見ている彼がこちらの計画を察する前に、無邪気な顔を近づけて…………
「そりゃっ」
二本の指で、オルステッドの口の両端を持ち上げた。
「ヌフフフ……いい眺めよ。お主も顔の造りは悪くないのだから、もっと笑え。折角の美男子だのに勿体無いではないか」
「……アムドシアス」
「いやいや、それもそれでありか? むむぅ……ん、どうし」
「予定とは大分異なる結果にはなったが、今日は有意義な一日だった。……ありがとう」
アムドシアスは芸術と美を愛する魔神だ。彼女は永い時の中で、計り知れない価値を持った数々の名品を見てきた。それは例え世界が変わろうとも、彼女の中で変わることは無く、新たな世界でも自由気侭にこの世の美を探し求めていた。
そんな彼女が目にしたのは、黄昏の空が映し出した一人の男の姿だった。街を散策している間は常に仏頂面で、感情が凍りついているかに見えた金髪の青年。しかし、今の彼の表情は――――
「……き、気にするでない! 下々の願いを叶えてやるのも、上に立つ者の務め……ま、また会おうぞ!」
急ぎ足でその場を去って行くアムドシアスと、彼女の背が見えなくなるまで見送るオルステッド。完全に姿が消えたのを確認した彼は、自分も宿へと帰って行く。
夕日がほとんど沈みかける中、帰路につくオルステッドの横を二人の男が横切った。彼等は世間話に花を咲かせながら歩いていたが、唐突に男の片割れが足を止め、空を指差した。
「……おい、東の空のあそこ。あそこだけ妙に雲が集まってないか」
「ありゃあ、山岳地帯の辺りか。此処からじゃ遠すぎてよく分かんねーなぁ」
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「ハァ、ハァ、ハァ……!」
土砂降りの雨が降り注ぐ山道を一人の男が荒い息を吐いて駆け下りている。服に真っ赤な血の跡を染み付けた男は明らかに尋常でない様子で必死に走り続けていたが、不意に足を滑らせてしまい、ぬかるんだ地面に転げ落ちてしまう。それでも男は決して立ち止まろうとはせず、歯を食いしばって立ち上がろうとするも。
「クソッ……さっさと此処を下りぐぺぁ!?」
突如、真横から伸びてきた黒い影が男の顔面を強かに殴りつけた。完全な不意打ちを受けた男は身構えることも出来ずに、悲鳴を上げながら再び地面へと叩きつけられる。
「そんなに急ぐな、見失ってしまうではないか」
暗闇の中から近づいてくる足音。理解出来ないのに、嫌にはっきりと聞こえる空虚な声。冷や汗を流す男が見たのは、木々の間を縫うようにして現れた黒い影の正体。赤い鞘に収められた刀を腰に差したその人物は、どす黒く濁った眼で獲物を捉え、怯える姿を嘲笑いながらじわじわと追い詰めていたのだ。
「身なりからしてお前が大将だろう。どうした、先程の威勢は何処に消えた」
「まま、まってくれ! は、鼻が折れた……ヒィッ!? た……助けてくれぇ」
「――ハァッハハハァ!! 何とも滑稽なものよ。可笑し過ぎて哀れみすら覚えるわ……」
顔から鼻血を垂れ流し、身体中を泥だらけにしてのたうち回る頭領の醜態を黒い男は散々に笑い飛ばした。そうして一通り愉しんだ後に、手下達を全て殺されている上で尚も命乞いをする哀れな者へと、一本の短剣を投げつける。
「愉しませてもらった礼よ、死に際ぐらいは飾り立ててやろう。……それで腹を切れ」
「うわぁッ!? な、何だってんだぁ!」
「ああ、言葉が通じぬのだったな。失敬失敬、クハッハハハ……!」
頭領の心はもう折れていた。此処まで死に物狂いで逃げてきたが、最初の接触で男の強さを理解した時点で、自分はもう助からないと薄々分かっていたのだ。
こうなれば潔く……と諦めかけた頭領だったが、彼は見てしまった。黒い男が薄ら笑いを隠すように己へ背を向けた時、男の腰に差された刀が目に入った瞬間、忘れていた欲望が燻り出してしまった。
(ふざけやがって……この位置なら、アイツからは見えない筈……!)
己の勝利を疑わず、ご丁寧に武器を寄越した上で背中を見せた愚か者。欲望で一杯になった今の頭領の頭では、黒い男の行動が全て、自分にとって都合の良いものとしてでしか考えられなかった。
地面に突き立った短剣へと手を伸ばし、雨の降る音に隠れて慎重に立ち上がる。
「そッ……その武器は……」
両手で短剣をしっかりと押さえ、黒い男目掛けて一気に駆け出す。
「俺のモンだあぁーーッ!!」
「……冥土の土産に教えてやろう……」
縮んでいく距離。相手はまだこちらを振り向かない。腰の武器に手を添える素振りさえ見せない。
「我が剣の真髄、其れは敵と切り結ぶ事にあらず。只管に待ちに回り、獲物を焦らし」
もう男は目と鼻の先にいる。後は短剣にありったけの力を込めて、間抜けな背中を突き刺すだけ。
(馬鹿め、死ねえ!!)
赤い飛沫が飛び散る。
勝った。してやった。歪んだ笑みを浮かべた頭領が最期に見たのは……黒い男の背中ではなく、迫りくる泥の壁だった。
「――遂には痺れを切らした獲物が、我が懐へ飛び込んだところを……斬る」
持ち上げていた片手を振り下ろし、刀にこびりついた血糊で地面に一文字を書く。降りしきる大雨が山の木々を叩く音に混じって、黒い男の背後にあった水溜りに何かが沈んだ。
「首を断つまでに互いの刃が合わさる事は無い。故に、『音無しの剣』。これぞ――――音無しの構え」
足下に転がってきた丸いモノを無造作に踏み潰し、汚れを払った刀を鞘に収める黒い男。返り血で彩られた顔を上げ、彼は空を見た。分厚い雨雲に覆われたその先を、光の灯さぬ両眼で凝視した。
「……懐かしき気配よ。いつぞやの忍びの子孫か、それとも土佐弁の男の末裔か? フッ……まぁいい」
激しい雨風を斬り裂いて、一人の修羅が動き出す。彼の者が歩いた後には血の河と屍の山だけが残るのみ。虚無に支配された男は何処ぞを目指し、急ぐでもなくゆっくりと山中を進んで行く――――
「時間は捨てる程あるのだ。どれ、ゆるりと参ろうか」