火曜日の朝、俺が下駄箱で靴を履き替えていると、なにやらガヤガヤとした声が聞こえてきた。
上履きを履いて声のする方へと向かってみると、大勢の生徒達が集まっているのが見える。もしかしたら百人はいるのではないだろうか。千人を超える清秋学園の生徒の、実に十分の一以上がこの一箇所に集まっていることになる。
「なんの騒ぎだ?」
みんなが集まっているのは学校のいたるところに設置されている掲示板の前だ。教師や生徒会からのお知らせの他、新聞部の記事が貼られている。
今回の騒ぎもどうせ新聞部の新しい記事が引き起こしたものだろう。少し気にはなるものの、騒ぎが収まってからゆっくり見ればいいと考えた俺はそのまま横を通り過ぎようとする。
しかし、そんな俺の行方を一人の少女が阻んだ。
「あれ、もしかして〜……一ノ瀬くんじゃない?!」
「げっ……」
少女の名前は
俺と同級生で、一年生の時は同じクラスだった。新聞委員会の副委員長を務めている彼女は、校内では『地獄のサキ』と呼ばれていることで有名だ。どんなスクープも逃さない、地獄耳を持っていると恐れられていることからそんなあだ名がついたらしい。
よりによってこんな奴に話しかけられるとは……。
「何の用だよ最上。俺にはスクープなんてないぞ?てか、とりあえず撮るのやめろ」
こうして話している今も、最上は黒色の大きなカメラで俺を連写している。
どうでもいいが、どうして記者というのはこんなに持ち運びに不便そうな大きなカメラを持ち歩いているのだろうか。現代にはデジタルカメラというアメリカにある某写真会社の偉大なる発明品があるということを知らないのか?
「これが撮らずにいられますかってんだ〜。今校内で話題となっている一ノ瀬くんがそこにいるんだから!!」
なに『そこに山があるから!』みたいなこと言ってんだこいつは。ジョージに土下座して謝ってこい。
……って、俺が話題になっている?
なんの冗談だよ。俺が何か悪いことでもしたってのか?
「もしかして今度開催される
二重奏というのは国民的人気ゲーム、
一応俺は去年の優勝者ということになってあるので、次回へ向けての意気込みを聞かれたりするのは当然だとは思うが……。
「ちがうちがう。たしかにその件に関してはまた改めて取材するつもりだけど、今回は別件だよ」
「じゃあなんだって俺が取材されなきゃいけないんだよ」
「よ〜く思い出してみてよ、最近の出来事だよっ」
最近俺の身の回りで変わったことといえば……雫が太ったとか言って嘆いていたことか?……ってそれ俺には関係ないな。
他には……葉月と恋人同士になったこととか?
たしかに人気者の葉月に恋人ができたなんて知れたら大騒ぎになってもおかしくはない……のか?
「葉月のことか?」
とりあえず考えていても仕方がないので思いついたことを言ってみたものの、最上はいまいちすっきりしないような顔をした。
「惜しいっ!姫宮さんも関係してるけど……ちょっと違うかなぁ」
「はぁ、じゃあ一体」
「ん?おい、あいつ一ノ瀬じゃねーか?」
「なんだよ」と言いかけたところで、今まで集団の中にいた男がそんなことを言った。
どうやら俺達に気づいたらしい。
「ほんとだ!おい、一ノ瀬がいるぞ!」
「一ノ瀬ぇ!てめぇふざけんなぁ!!」
周りにいた生徒達も一緒になって騒ぎ始める。彼らは俺を見るや否や、一斉に俺に罵倒浴びせ始めた。
………ん?罵倒?
「おいおい、俺が何をしたってんだよ……」
小声で最上に耳打ちをする俺の元に、どこからか一つの紙くずが投げ込まれた。
「なんだこれ、チラシ?」
「あ、それ新聞部が校門前で配ってた記事のコピーですね」
「せっかく印刷したのに……」となにやらお怒り中の最上さんのことはひとまず放っておき、俺はグシャグシャになった新聞を広げていく。
「なっ、なんだよこれ!?」
記事のタイトルには『一ノ瀬和也、聖女のお嬢様との浮気発覚!?〜今夜のオカズはキャビア風味〜』と書かれていた。
真ん中にはでっかく俺とあかりのツーショット写真が載っている。
俺はチラリと横目で最上を見た。
「よく撮れてるでしょ?」
「やっぱりお前か!!」
さすがは地獄のサキ、まんまとしてやられたというわけだ。あかりが聖女の生徒だってことも調べ済みか。
てか、この『今夜のオカズはキャビア風味』ってなんだよ。誰だ、こんなサブタイトル考えたやつ。妙に生々しいんだが。
「んで、この件に関して異論はある?」
「ありまくりだ馬鹿。こんなの事実無根だ」
「はっ!もしかして姫宮さんとは付き合ってなかったとか!?」
「『はっ!』じゃねぇよ。俺が浮気してる前提で話を進めるな」
「姫宮さんとは恋人同士、でも浮気じゃない……。愛人?もしかして姫宮さん公認とか?はたまた、ハーレム!?」
あ、こいつ他人の話を聞かないタイプだ。
いや知ってたけどさ、ターゲットにされると改めて実感させられるな。
「とにかく、この記事はデタラメだ。俺はもう知らん、じゃあな」
「ああ〜、待ってよ一ノ瀬くん!」
チラシを捨て、俺はその場を立ち去ろうとする。こんな馬鹿げた騒動に付き合っている暇はない。おそらく記事を読んだであろう葉月のところへ行き、はやく誤解を解かなければ。
「知らない、で済まされちゃあ困るんだよ、カズ」
「……っ!?」
背後から聞こえてきた声に、俺は背筋に寒気を覚えた。こんな美声を持つ男は、この学校にはあいつしかいない。
俺が振り返った先に立っていたのは、この学校の風紀委員会の副委員長、
「キャーー!九条様よ!」
「なんて神々しいお姿、さすがだわ!」
九条を見た女子生徒達が歓声を上げ始めた。俺の時とはまるで大違いだ。
それもそのはず、彼も天堂さんと同じように貴族の人間なのだ。両親は日本人だが、祖父がフランス人の貴族らしい。
それもあってか、顔立ちは整っており、背も高い。女子達からしてみればまさに理想の男子だ。
葉月とは対をなす存在として扱われている。違う点を挙げるとすれば……同性からの人望が皆無だということくらいか。
隣に立っている女子生徒達は、おそらく彼のファンクラブの会長と副会長だろう。
「困るってどういうことだよ、九条」
俺は九条を睨みつけた。元々俺と九条は仲が悪いのだ。女子にモテるから嫉妬しているとかそいうのではなくて―――たしかにそれもあるが、彼とは昔喧嘩した経験があるのだ。
今でも仲直りしたつもりはない。
「そんなに怒らないでくれよ。なぁに、風紀委員として見過ごせないってだけさ。相手が相手だからね」
「たしかに聖女の生徒に手を出したってなったら大問題に発展するかもしれない。だけど、たかが一生徒が聖女の生徒と遊んだってだけで風紀委員会が動くのか?」
聖女の生徒と遊ぶべからず、なんて校則は存在しない。いちいち文句を言われる筋合いなんかない。
しかし九条は「やれやれ……」と呟きながら溜息を吐いた。
なんだか馬鹿にされているような気分だ。
……実際馬鹿にされてるんだろうけど。
「君はもう少し自分がオールスターの一角だということに自覚を持った方がいい。君の愚行が、この学校のイメージ低下に繋がってしまうんだからね」
オールスターというのは、新聞委員会が開催する人気投票で選ばれた上位五名の総称だ。当初は人望のある生徒達を調べ、選ばれた生徒達には文化祭で芸を披露してもらうという企画の一つだったのだが、今では良くも悪くも知名度のある生徒を晒し者にしようという娯楽と化している。
つまり人気投票と言っておきながら、嫌われていても知名度があれば選ばれるというシステムなのだ。
そして様々なゲームの全国大会で優勝している俺も、うっかり選ばれてしまったというわけである。
「じゃあ俺なんかをオールスターに選ばなきゃよかっただろ」
無論、選んだのは生徒達と新聞委員会なのだが、風紀委員会の権力があればそれも阻止できたはずだ。
「君は馬鹿なのかい?それで君の知名度が下がるわけではないだろう」
正論だが、馬鹿とは心外だな。
相変わらずいけ好かない男だ。
「わかった、わかったよ。今度からはバレないように気をつければいいんだろ」
「ほほう、一ノ瀬くん。それは私に対する宣戦布告と受け取ってもいいのかな?」
なぜか横で最上が対抗意識を燃やしている。
お前には言ってねーよ。
「まあいいさ、君は大切な仲間だからね。この件に関してはひとまず保留にしておこう」
そう言って九条が前へ歩き出した。そして俺とすれ違う瞬間、「あぁ、そうだ」とわざとらしく言いながら立ち止まった。
「君はもう二重奏のパートナーは決めたのかい?」
「どうしてそんなことを聞くんだ、もうお前とは組まないって言ったはずだぞ」
「どうして?おかしなことを言うんだな。ギルドのリーダーとして、仲間の状態を知っておくのは普通のことだと思うけど?」
なにが仲間だ、と俺は思う。
もともと俺がこいつのギルドに加入したのはあかりのためだ。そして、それすらもこいつの計画通りだった。
ゲーマーとしての実力は認めていても、人としては絶対に許さない。
俺と九条はそういう関係なのだ。
「……決めてない」
無視すると後々面倒なことになりそうので、ここは素直に答えておく。
「へぇ、それなら早めに決めた方がいいよ。毎年パートナー決めでいざこざがあるのは知っているだろう?」
言われなくてもそうするつもりだ。去年はこいつのせいでエライ目にあったからな。
今年はあかりと出場する予定だ。
「ちなみに僕はもう決めているよ。君ほどではないが、とても優秀な子だよ」
「ああそうかい、それはよかったな」
こいつが誰と組もうと知ったことではない。
興味もないし、どうせアクセルさんあたりだろう。アクセルさんは
「あかりんと出場するつもりだ。それだけ覚えておいてくれよ、ゲーム界の神童くん?」
そう言い残し、九条は自分の教室へと再び歩き始めた。
辺りには女子生徒の歓声や男子生徒の愚痴等が並べられたが、俺の耳に聞こえていたのは九条の最後の一言だけだった。
『あかりんと出場するつもりだ』
「…………は?」