その日の放課後、この数日の間ですっかりと日常になっている簪さんの訓練に参加しようと思っていたのだが、当の簪さんが他に用事が出来たとの事で、今日の訓練は行われない事になった。
そうなると一夏は手持ち無沙汰になってしまい、部活にも所属していないので夕食までの数時間をどう過ごしたものかと悩んでしまう。
気紛れに生徒会の手伝いでもしたものか────
なんて事を考えている矢先だった。
「お、織斑一夏!」
「ん?」
ぼうっと考え事をしていた一夏の正面から現れたのは、銀色に煌めく髪と刃の様な鋭さを感じる隻眼──眼帯をしているだけで、両眼とも健在なので厳密にはそうとは言わないが──を持つ背の低い少女だった。
名前をラウラ=ボーデヴィッヒ。
先日、ちょっとしたトラブルがあった際に一夏も少し関わったドイツの代表候補生だ。
「ああボーデヴィッヒさん、こんにちは。あれから怪我のお加減はどう?」
「処置が早かった事もあって傷も後遺症も残らなかった。いや、寧ろそっちの方こそ…………」
「僕?僕はほら、この通り何とも無いよ?」
折れた、と言うよりも潰れたという表現がピッタリだった鼻の修復は完了したし、制服も夏服に衣替えしたので影響は無い。
それにあれは不可抗力と言うものだろう。
実際、一夏は殆ど気にしていなかったし、ましてや咎めようなどとは一度も考えた事は無かった。
「しかし……それでも詫びさせて欲しい。すまなかった!」
「いやいや、全然大丈夫だよ。
それよりも、僕に何か用事があったんじゃ?」
「あ…………そ、そうだ」
ボーデヴィッヒさんは服装と姿勢を正し、改まったように口を開く。
「その……話がしたいのだが、付いて来ては貰えないだろうか?」
「用事も無いので構わないけど……どこに?」
「そう、だな……できればあまり人気の無い場所が──」
○
ボーデヴィッヒさんが指定した場所は屋上だった。
それにしても、今日は良く謝られるし、更に言えば良く屋上に連れ出される日である。
まさか、鼻の怪我に関しての謝罪の続きでは無いと思うのだが…………?
「それで、どんな用事なのかな?」
「…………さしでがましい願い出ではあるのだが、その……」
「うん?」
ボーデヴィッヒさんは口ごもりながら、ニッカポッカの如く改造された制服のポケットから折り畳んだ紙切れを取り出した。
そして、その紙を広げると、一夏に突きつける様に見せ示してくる。
「今月末の学年別トーナメントのペアを私と組んで貰いたいっ!」
「ああ、これの……」
それは朝方に食堂で見た用紙と同じものだった。
ペアを組む二人の名前を書く覧の片方には、既にラウラ=ボーデヴィッヒのサインが印されている。
「何でコレに出ようと思ったの?」
「…………織斑十春に再戦し、勝つためだ」
歯を食いしばり、屈辱に耐えきらぬと言わんばかりの表情を見せながら宣言する。
その言葉の裏に様々な感情が嵐のように渦巻いている事は容易に想像できた。
「それは、どうして?」
「……今の私があるのは、総て織斑教官の指導があっての賜物だから──」
そして、ラウラ=ボーデヴィッヒは語る。
彼女が戦わんとする理由において、織斑千冬という人間の存在が占める割合は非常に大きかったようだ。
ドイツ軍に幼い頃から所属していた彼女は優秀であったが、とある日を境に頂点から奈落へと転落してしまったのだとか。
そんな彼女が再びIS専門特殊部隊である《シュヴァルツェ・ハーゼ》の隊長としてトップへ返り咲くきっかけを作ってくれた人物が織斑千冬であり、そう言った事情もあってラウラ=ボーデヴィッヒは織斑千冬を大層尊敬し、憧れているという訳だった。
「なるほどね、それで?」
相槌を打ちながら、ラウラ=ボーデヴィッヒの話を促す様に聴く。
「しかし……教官は第二回モンドグロッソの際に、誘拐された織斑十春を助けるために決勝戦を放棄し、二連覇は叶わなかった。
その事については、もう今更覆しようも無いし、教官の選んだ道なのだから私も尊重したいとは思う…………だがっ」
「何か、あったの?」
「私はその事について、どの様な想いを抱いているのかと織斑十春に聞くと…………ヤツは『その気になれば自力で逃げられたのに、残念だった』と抜かしたんだ!
それが、私には教官の想いを、強さを、蔑ろにされたような気がして…………っ!」
「だけど、返り討ちにあってしまった?」
「………………」
屈辱に塗れた表情で、歯噛みをしながら小さく頷いた。
「悔しくて、それでやり返したいって思ったの?」
「…………ああ」
「それは、誰のために?」
「教官、と言いたいところだが……結局は自分自身のためなのだろう。
くだらない私怨だ。
だが、だからこそ私にとっては重要なことなんだ…………」
屈辱と共に、決意に満ちた表情が混在しているのが窺える。
彼女の心の中では、確固とした想いなのだろう。
ならばその想い、尊重したいと思ったが、同時にそれとは別に気になっている事があった。
「そっか。じゃあ、最後に一つだけ」
「……?」
「どうして、僕に?他に誰か誘わなかったの?」
その言葉を聞いたラウラは俯き、膝に置いた拳を爪が皮を切り裂かんばかりに力強く握り締めた。
一瞬、怒りに震えているのだと思ったが──
「……っ、くっ……………」
「……?」
屋上の地面に、雫が滴り落ちる。
水、では無い。それは涙だった。
つまり、ラウラ=ボーデヴィッヒは泣き出してしまっていたのだ。
「え、ええっ?!」
普段は冷静な態度である事が多い一夏も、流石に戸惑いの表情を見せた。
慌ててハンカチを取り出すと、膝を折って身を屈め、かしずいてその涙を拭う。
「私は……見くびられないようにって、気丈に振る舞ったつもりだったのに、それが不遜な態度に見えたみたいで…………」
「う、うん」
「お願いしたのに、誰も……応じて、くれなくて……ぅああああ…………」
何となく、何となくではあるが、一夏はラウラ=ボーデヴィッヒという人間の事が少しだけ解った気がする。
幼い頃から戦いに明け暮れていた彼女は軍人として強い精神を持っていたが、反面人間として、少女としては幼く脆い精神なのだろう。
同じ軍人なら、ましてや部下ならば、彼女の不躾で押し付けるような態度にも理解を示し承服していただろうが、IS学園の学生とならば話は変わる。
付いてこれない、というか色々と反目する事があり、そういった真っ直ぐな感情をぶつけられた経験の少ないラウラ=ボーデヴィッヒの心は…………決壊した。
「わかった、わかった……うん、辛かったね、ゴメンね」
こういう時は、溢れる感情を全て吐き出させてしまった方が良い。
そう考えた一夏はそのままひとしきり、ラウラが泣き止むまで背中をさすってやった。
10分、くらいだろうか?
思ったよりも長い時間、彼女は泣き続けていた。
「落ち着いた?」
「う、うむ……」
恥ずかしかったのか、ラウラ=ボーデヴィッヒは赤面しながら目元を拭った。
したたかな性格である彼女のことだ、今までにこうやって誰かの胸に顔を埋めて泣き腫らした経験など無かったのだろう。
その顔は、先ほどまでと打って変わって、羞恥心に満ちた表情をしている。
「それで、ちょっと話がそれちゃったけど、さっきのペアに件について……」
「う、うむ……」
その顔に今度は期待の色が浮かんだ。
意外に、百面相なのかもしれない、とか思いながら──
「ごめん、一晩だけ考えさせてくれないかな?」
○
夜、端末に着信があったので例の如く寮の屋上へ飛び移った。
『やあやあ、今日のいっくんはなんだかお父さんみたいで格好良かったねー!』
「止めて下さいよ、束さん……」
どこから聞かれていたのかは分からないが、恐らくは放課後のやり取りについて揶揄しているのだろう。
お父さん────柄でもない。
『じゃあお兄ちゃんの方が良かった?何か、変態チックになるかもだけど』
「だから、そう言う問題じゃなくて……」
『にゃほほほ!』
端末越しの束さんの声は非常に楽しそうだった。
実際、こうやって弄くり回すのは楽しいことなのだろう。
正直に言うと、少し手加減して頂きたいところだ。
『ねえ、いっくん』
「……何ですか?」
『あれ、何つったっけ……ラウラちゃん?あの子にさ、クーちゃん重ねてるでしょ』
「…………」
頭の中で、クロエ=クロニクルとラウラ=ボーデヴィッヒの顔が浮かんだ。
確かに彼女たちはそっくりで、姉妹のようであった。
『あの子も、もしかして
「恐らくは」
『じゃあ、クーちゃんの妹かもね!遺伝子的にも』
人工子宮の中で、予め遺伝子操作された精子と卵子を培養させて産み出された、試験管ベイビー。
そして、産まれながらにしての兵士の事を指す。
悲しい宿命だと、一夏は思う。
それに、その裏の一場面では────いや、今は関係無い話だ。
『そっか、という事はその子もいっくんの妹になるのかな?腹違い的な?それともやっぱりお父さん?』
「精々、遠縁の親戚が関の山じゃないですか……?」
『親が違うって意味じゃそうなのかな?うーん……まあ、概念の問題か』
テレビ通話では無いので向こう側の様子は見えないが、一人で納得してうんうんと頻りに頷いている束さんの姿を幻視した気がした。
『それで、結局の所いっくんはどうしてあげたいの?』
「え──?」
『また物事を合理的に処理しようとする悪い癖が出掛かってるね。
だからさ、手伝ってあげたいなら手伝ってあげて、嫌だったら突っぱねちゃえば良いんだよ』
「…………」
『大事なのは、自分がどうしたいと思ってるかだよ。
人間ってのは究極的にはそれで行動するんだから、もっと単純に考えちゃえば?』
「自分が、どうしたいか──」
一回、頭の中を全部リセットする。
クロエ=クロニクルの事だとか、ラウラ=ボーデヴィッヒの事情もまっさらにしてしまう。
考えるのは、織斑一夏という自分自身のことだけ……
『答えは、決まったかな?』
そして、導き出した結論は──
○
六月末、一夏は学年別トーナメントが実施されるアリーナに訪れていた。
軽く100インチを越える立体投影型ディスプレイに表示されたトーナメント表を見ながら、思案する。
「見事に端と端だね……当たるには、決勝まで行かないと」
その言葉を、一夏は自分の傍らにいる人物に向けて語りかける。
「寧ろ、望むところだ」
そう、ラウラ=ボーデヴィッヒに。
「昨日の打ち合わせ通り、僕は基本的にアシストに徹する。だけど、言ってくれれば直ぐにオフェンスに交代するからね」
「ああ、期待しているぞ?」
「じゃあ、期待に応えられる様に頑張らないとね……!」
既に両者ともISスーツを纏い、臨戦態勢に入っていた。
あとは呼び出しが掛かれば、直ぐにでも戦場へと赴くことができる。
「…………」
ふと、ラウラ=ボーデヴィッヒの顔を横目で見てみれば。
今の表情は、とても清々しいものだった。
「ん……なんだ?」
「ううん、なんでも無いよ」
リラックスしながら、他愛も無い会話を交わしていると、スピーカーから放送が流れた。
『会場の準備が整いました、一回戦Aブロックの選手はカタパルトで待機してください』
「よし……行くぞ!」
「おっけー 」
白と黒の対照的な色のISが、空に駆け出す。