銀の福音事件と仮称された出来事から数週間が経過した頃、織斑十春はIS学園の一角にある整備室で己の機体がチェックされる様子を眺めていた。
黒檀の整備を行っているスタッフは十春が外注している『みつるぎ』という企業の技師達。
既に本命である暴走再発兆候の如何を確認するためのソフトウェア検査は終了し、今はハードウェア面でのメンテナンスが行われている。
「こんな事をしても意味は無いんですけどねえ」
「仕方無いでしょう、学園から言い渡された義務なんですから」
十春の傍らにいるのは『みつるぎ』の渉外担当である巻紙礼子。
一応、名目上は織斑十春の専属窓口ということになっている。
彼女も十春と共に黒檀の整備状況を、ニコニコと営業スマイルを浮かべながら眺めていた。
「まあ、再来月の下見だと思えば良いのかしら?」
「あー……文化祭ですか」
9月の半ば頃、IS学園でもやはり高等学校らしく文化祭が開催される。
国家機密が転がっていると言っても過言では無いIS学園らしく入場は厳しく制限されているが、何故か企業枠と言うものがあり、IS学園に認可されている企業からの入場が許可されているのだ。
巻紙礼子も、恐らくはその企業枠での入場する予定なのだろう。
「それにしてもココのセキュリティってガバガバ過ぎんだろ!今回も殆ど素性も確認せずに名刺だけで5人も入れたしよおっ!」
「案外にIS学園って出入りが多いですから一々調べてられないんじゃないですか?それより、口調……戻ってますよ」
巻紙礼子は相変わらず人受けの良さそうな営業スマイルを浮かべながらも、低い声で乱暴な口調に急変していた。
「おおっと………………コホン、失礼しました」
十春が諫めると少し時間を掛けてから口調を修正する。
慣れているのか、その事に関して十春は特に反応しなかった。
「どうせ誰も見て無いんですから、別に口調を戻さなくても良かったんじゃないでしょうか?」
「近くに管理者の先生が待機してますからね。怪しまれて来月の学園祭で入場する時にゲートで止められるより良いでしょう?」
「確かに、そうですね」
どうも納得した様に話すが、その姿を横目で見た十春は彼女が随分と無理しているのが見て取れた。
後でストレス発散で誰かが犠牲になるのかな……と考えると、その人間が不憫でならなかった。
「ああ、そう言えば……」
「はい?」
「頼まれていた物、言われた通りにこっそりとお持ちしましたよ」
そう言って、巻紙礼子は整備用に持ち込まれた機材を収納するコンテナから何やら機械を取り出す。
大きさは40cm程、傍目からは畳まれたカメラ用の三脚の様にも見えるが、それは四本脚だ。
「ああ、ありがとうごさいます」
「そんな物何に使うんですか?」
「色々と使い道はあるんですよ…………色々とね」
彼は笑みを浮かべながらそれを受け取った。
○
「これは!いや、でも……」
その日、更識簪は長期休みを謳歌しようと街のショッピングモールへと繰り出していた。
簪も年頃の女の子であり、最初は雑誌やSNSでチェックしていた服やアクセサリーをアレコレ試着してみたり気に入った物を通販サイトでブックマークしておいたりと、ファッション関連の店を梯子していたのだが…………
気が付けば、簪はアニメ専門ショップでアメコミヒーローのフィギュアをキラキラとした眼で眺めていた。
「10万かぁ……買えなくも無いけど、買っちゃうとなぁ…………」
国家代表候補である簪には政府から給金が支払われており、その額は平均的な女子高生が放課後のバイトで稼げる額の比では無い。
しかし、それでも10万円という金額は躊躇させるのに充分だった。
何も簪はファッションに無頓着という訳では無い。
流行りのコーディネートや可愛いアクセサリーには興味もあるし、出来ることならそれらを身に着けて外に出歩いてみたいという想いもある。
それでも、趣味とファッションのどちらに金銭と時間の比重を置くかと問われれば……躊躇いなく前者を選ぶであろう。
「うぅ……と、取り敢えず保留で!」
基本的に簪はグッズや服飾に限らず出先で購入する事は殆ど無い。
ネットで探した方が安いケースが殆どであったり、実際に商品を目の前にすると躊躇いが生じたり、何よりも荷物がかさばるのを嫌った。
そして悪い癖であるが、通販サイトでカートに入れて合計金額を見ると大きな数字になるにも関わらず何故か躊躇いが減り、そのままポチってしまうことが多々ある。
それを自覚していても、治せないから癖と言うのだ。
「…………疲れた」
無理して独りで買い物に出掛けようなんて思ったこと自体が間違いだったのだろうかと、人混みの波の中で妙な気疲れを感じた簪は自嘲するようにため息をつく。
少し視線を左右に動かすと、都合の良いことに近くにチェーン店のカフェが見える。
そこで一服して落ち着いてから帰るかどうか決めようと、短慮な計画を立ててから入店する事を決心した。
○
「えっと……抹茶クリームフラッペのラージサイズを。あ、シロップは多めで」
抹茶が大好物、という訳でも無いのだが何故かそのチェーン店で頼むものはワンパターンになっていた。
普通にコーヒーや紅茶を頼むだけでは金額的に勿体ない気がしたり、かと言ってチョコと砂糖を凝縮したようなドリンクも甘さとカロリーの過多が性に合わず頼めない。
にも関わらずホイップを足していたら本末転倒な気もするが…………この飲み方が好きだから良いのだと無理矢理自分を納得させる。
「ふぅ……」
ちょっと大きめのプラスチック製のカップを持ってテラス席に座る。
ふと辺りを見渡せば、相変わらずどこから沸いてきたのかと純粋に不思議に思ってしまう程の人だかりが海原のように流れていた。
親子連れ、学生の集団、老夫婦、若いカップル……様々な組み合わせの人達が見本市のように軒を連ね歩いている。
もしかしたら、簪のように一人でいる者の方が少ないかもしれない。
「おーっ、かわいいメガネっ娘発見!」
「ねえねえ、もしかして一人?」
「え――?」
気を抜いてボーッと眺めていた簪に、話しかけてくる者達がいた。
男ばかりの三人組で、髪を染めパンクなファッションに身を包むというどれも似たり寄ったりの格好をしている。
つまり、在り来たりな単語を挙げればヤンキー。
そのヤンキー達があろう事か簪をナンパしてきたようだ。
「ねえねえ、良かったら俺たちとデートしない?」
「いや、あの……」
「あ、もしかしてIS学園の生徒?」
「そう言えばあそこから遊びに来るんじゃこの辺くらいだもんな」
「マジかよ、あそこって顔面偏差値で生徒とるって本当?」
「う、あ……ひ……」
三方から好き勝手に言葉の集中砲火を浴びせられ、簪は何も言えない。
元々口数の多い方でも無く、男子とまともに会話した機会も殆ど無いに等しいぐらいだ。
時代遅れで女尊男卑に傾向している現代社会では全く相手にされないであろう彼らであったが、男に対しての免疫が殆どない簪は振り払う事が出来ない。
もっとも、彼らもそう云うタイプの女子をターゲットにしているのだが。
「ねえ良いじゃん、映画も奢るしさ」
「ほら、行こうぜ」
「あっ……!?」
何も言葉を発しない簪に痺れを切らしたのか、一人が簪の腕を力強く掴み掛かると強引に立たせようと引っ張ってくる。
非力な簪は抵抗する事も叶わず、男の腕によって引き込まれてしまう。
「い、いや……っ!」
「そんなこと言わないでさー」
「俺たち優しくするから、ねっ!」
払いのけようにも、180cm近くある長身の男を退けられる自信は無かった。
否、曲がりなりにも代表候補生である簪は格闘技の指南も受けており、十全の状態であればそれも叶ったであろう。
しかし不意打ち気味の襲来と有無を言わさぬ強引な行動力の前にそんな余裕は微塵も残っていない。
不安と恐怖に押し潰されそうになった簪は思わず眼を瞑ってしまう。
いつもそうだ。自分でどうにも出来ないと諦めてしまった時、簪はそうやって逃避する。
そして、何時も颯爽と助けてくれるヒーローを求めてしまう。
願わくば、そのヒーローが彼であればという淡い期待まで抱いて―――
「ねえ、僕の友達に何をするんですか?」
一瞬、幻聴かと思った。
「あん?誰だよてめぇ」
「だから友達ですよ、その子の」
意を決して眼を僅かに開くと……果たして、織斑一夏の姿があった。
「はあ?なに言ってんの?」
「あのね、俺たちはこの子とこれからデートに行くの。わかるぅ?」
「ダチだか何だか知んないけどさ、帰ってくんね?」
「デートとは男女間で合意の元に行われるという認識ですが……どう見ても、彼女は嫌がってますよね?」
自己理論を述べるヤンキーに対して、一夏くんは諭そうとするように理路整然とした言葉を投げかける。
しかし、そんな態度が気にくわなかったのか、男達は激昂してしまう。
「ああん?巫山戯てんのかテメエ!!」
堅く握られた拳が、一夏くんの顔面に直撃する。
「あっ……!?」
小さく、絞り出したような悲鳴が私の口から漏れ出す。
恐る恐ると一夏くんを見れば、拳の直撃を貰った顔は横向きに傾いている。
しかし、一夏くんの顔からは苦痛の感情は一切見られない。
「そろそろ彼女を離して貰えますか?」
「調子にのんなよ……っ!」
ケロっとした表情に更なる怒りを抱いてか、他の二人も一夏くんに拳を振りかざす。
だけど、それでも一夏くんはやり返さない。
甘んじて暴力を受け入れていると、口を切ったのか出血してしまったのが此処からでも見えてしまう。
「や、やめてっ!」
そんな私の制止の声も届かず、暴力の嵐が一夏くんに襲いかかる。
…………暫くして、疲れたのか男達は暴力の手を止めた。
「はぁはぁはぁ……」
「おまっ、いい加減に……!」
そんな疲労困憊のヤンキー達に対して一夏くんは――
「こんな人の往来で人を殴れば警察沙汰になりかねませんよ?暴行罪……ああ、血が出てるみたいなので傷害罪も付きますかね?」
顔を真っ赤な血塗れにしながらそんな事を言ってくる。
血は顔だけでなく滴り落ちて服まで染めているにも関わらず、顔は不気味な程にまで涼しげだった。
まるで、殴られた事に気づいていないのでは無いかと錯覚してしまいそうになる程…………
「な、何なんだよコイツ?!」
「キメェっ!!」
「こんなの相手にしてられっかよ!」
異常な光景に恐れをなしてか、ヤンキー達は尻尾を巻くように逃げ出してしまった。
それを見ていた筈の往来の人達は……彼らを咎めるでも無く、怪我をした一夏くんに駆け寄るでも無く、ただ呆然と相変わらず眺めているだけだった。
怒りが涌くでも無く、私の心の中には呆れとも諦観ともつかぬ感情で一杯になる。
そんな事よりも、今は痛々しい深紅に染まる一夏くんの方が気が気でなかった。
「い……一夏くん!こっち!!」
「え、わっ、どこに行くの?」
思わず私は、一夏くんの腕を掴むとそのまま人気の無いところまで逃げるように引っ張って駆け込んでいた。
何だか前にもこんな事があったような……
使い易いネタだから仕方ないね!(開き直り)