40話 おもい イキ
9月1日、夏休み明けの放課後。
一応挨拶しておくべきかとも思い、生徒会室へ訪ねるとそこには生徒会長である更識楯無の姿だけがあった。
布仏姉妹は──いない、他に仕事があるのかそれとも授業なり何なりとがあるのかは定かでは無いが一夏を出迎えたのは彼女一人だけだった。
「おっ、一夏くん丁度良いところに」
「はい?」
言葉の意味は良く解らなかったが、更識楯無は至極機嫌の良さそうな笑顔を浮かべながら開口一番にそんな事を言う。
見たところ、デスクの上には仕事が溜まっていないようで……思いの外に優秀な更識楯無の机に書類が滞るのは悪ふざけにかまけてる時ぐらいだが……どうにも、仕事の手伝いを催促しようとしている訳では無さそうだ。
「ほら、臨海学校の前にISが無い状態での戦闘訓練をしてあげるって言ってたでしょ?」
「…………あっ」
確かに言っていた。
と言うか、政府からISの部分展開の許可を貰う見返りに一夏はそれを了承していた覚えがある。
「格技場の使用権も取ってあるし、今から行きましょう?」
「良いんですか、新学期で庶務とか……」
「大丈夫、もう終わらせちゃったから♪」
そう言って指差した先には既に承認と却下の判が捺された書類の束……
成る程、確かに生徒会長としての本分は遂げているようだ。
「……そんなに楽しいことでも無いでしょうに」
「私が楽しいから良いの!」
強引に、腕を掴まれる。
「…………っ」
そのまま連行するように生徒会室から連れ出され、廊下を駆けだしていく。
腕を拘束された一夏は連結された貨車のように引っ張られ、脚がもつれそうになってもお構い無しに走らされてしまう。
振り解こうとも考えたが、身体が動かない。
ただ、顰めっ面を浮かべることしか出来なかった。
「ほらほら、もっと速く走って!」
何故だろう、一学期の頃から一夏への訓練に対して妙に積極的だった気がする。
メリットがあるかと考えるが……残念ながら、当事者にしてその答えは見当たらなかった。
「あの」
「ん?」
「歩きにくいので、離してくれませんか?」
「うーん……逃げない?」
「逃げませんよ……」
と言うか、ISを抜きにしたら更識楯無から逃げ切る事は不可能だろう。
対暗部の暗部とか言うだけあって、その身体能力は著しい。
運動不足に該当する一夏では、スタートダッシュの時点で御用される未来しか見えない。
「…………」
漸く、更識楯無の手が離れた。
やはり……道場とか、その類に行くのは好まない。
それと、今みたいに似たような状況も少し苦手みたいだ。
幼い頃の話で、掴んできた相手は違っても……
指導とか、稽古とか、鍛練とか……嫌い、と言うか苦手、なのだろう。
自分の事なのに、良く解らなかった。
〇
「はっ……!」
相手の道着の襟を掴もうと、一夏は右手を突き出す様に前に伸ばす。
しかし、向こうは片足を滑らせる様に重心移動すると一夏の初動を難無く回避し、オマケと言わんばかりに手刀をがら空きの背中に叩き込んできた。
「残念、そう言う真っ正直な攻め方じゃ、相手の懐に入れないわよ」
「ぅあ……と」
ならばどうすれば良かったのだろうかと、一夏は頭を巡らせてみる。
直ぐに幾つかの対処案が浮かぶ。
例えば避けられたそのまま回し蹴りをしてみるとか、何なら単純にタックルをしても良かった。
しかし、それがさっきの咄嗟に出来たかと言えば……無理だろう。
「ISの時は寧ろコッチが対処出来ないくらいの戦術をやってのけるのにね……」
「だから、ISと生身じゃ勝手が違うって言ったじゃないですか」
運動が苦手だとか、そういう話ではない。
運動神経自体は並以上の筈だ……幼い頃の比較対象はそこからさらに頭10個分は上を行っていたが、それは兎も角として。
一夏は、戦うという行為自体が嫌いだった。
白熾を介してであればフィルターになるのか、戦うことはできる。
しかし生身、更に言えば今の様に誰か人と相対して向き合うと、何が違うのか思考と体の動きが鈍くなってしまう。
道場で無くとも、訓練の時もそうだった。
原因なんて解からない。
ジンクスというのか、ただそういう物なんだという認識だった。
「……ねえ、一夏くん」
「なんです?」
キンッ──と冷えるような錯覚がした。
更識楯無の顔には何時もの人を食ったような笑みは無く、感情は完全に消失している。
ああ、真面目な表情も出来るんだと場違いな事を考えながら……
「その変な躊躇い、直しておかないといざって時に……死ぬわよ?」
「……躊躇い、ですか?」
覚えは、無かった。
だけれどこの苦手、みたいな感覚をそう言うのなら……それは、どう直せば良いのだろうか?
「ISはあくまでも手段でしか無い」
「えっ」
風を切るような音が聞こえた。
かと思えば、開いた扇子が一夏の首元に、まるでナイフのように突きつけられている。
そう、いつの間に扇子をどこからともなく取り出して、そして一夏の動体視力で知覚できない程の素早さで扇子を振るってきたのだ。
視線を落とせば、勢いが鋭かったのだろうか喉仏の辺りからツゥ──と紅い血の線が扇子を筋になって染めていた。
「手札は多いに越したことは無い……幾ら最高の
「…………」
「危機に陥るのはアナタだけじゃない、周りにいる人も死にかねないのよ」
反論しようと思って、できない。
気付いてしまう、ISが使えないという前提条件を課された時に、僕が取れる手段が思い浮かばない事に。
振り返ってみれば今までもそうだった。
どこか根底にISが、白熾があるからどんな状況でも覆せるという思考の根幹があった。
それは驕りと言い換えても良い。
「自覚なさい、アナタは弱い」
「…………っ」
突きつけられた事実に、一夏は息を呑むことしか出来なかった。
○
少なからず命の危機を感じ警戒していた一夏だったが、突然、扇子を伝って床に滴り落ちた血を見た更識楯無の態度は豹変した。
先程までの緊迫した空気は何処へ行ったのか、更識楯無は取り乱した様子で謝罪してきたかと思えば首にパックリと生じた切り傷の治療を始めた。
格技場のどこに救急箱の類があるのか定かでは無いとの事で、急遽その場から移動する事に。
保健室にでも連れていかれるのかと思えば、そこはIS学園の寮にある一夏の部屋。
何故ここなのかと問いたい気持ちもあったが、見るからに更識楯無は動揺していたので為されるがままされるがままに見守ってみる。
「ご、ごめんなさい!本当に切るつもりなんて無くて……!」
「いえ、大丈夫です」
怪我とは言うが傷は薄く皮が裂かれた程度で、出血もIS抜きで考えたとしても直ぐに塞がる様なものだ。
正直、大袈裟だと思う。
とは言え、一夏が何だかんだ言ったところで今の更識楯無は聞く耳を持たないだろう。
「その……厳しい言い方をするつもりなんて無かったの」
「はい?」
「言い訳がましく聞こえるかもしれないけど、私って誰かに物事を教えようとすると肩肘を張っちゃって態度が冷たくなっちゃうの」
「はぁ、そうなんですか……」
急にそんな事を言われて、何と返せば良いのかも分からずに適当に相槌を打つことしかできない。
「父さんの影響なのかな……簪ちゃんに対してもそうなっちゃうから怖がるようになっちゃって……」
「…………」
確かに、日頃から日常的にあんな態度で接して来られれば委縮してしまうのも頷ける。
一夏でさえ素直に怖いと感じたのだから、妹という身近な存在であれば尚更かもしれない。
とは言え、簪が更識楯無に対して苦手意識を感じているのはそう言う点ではないと思うのだが……
身内のことに対してとやかく言うのも無粋かと思い、口を噤む。
「今日もそう……普通に、注意してねとか言えばいいのに…………駄目ね、私」
「…………でも」
「ん?」
「心配して、言ってくれたんですよね」
「……ええ、そうね」
「少なくとも僕は、言い方は兎も角として、そうやって言って貰えるだけでも良いなって……思いますけどね」
そこまで言って漸く、自分の口から滑るように言葉が漏れていた事に気が付く。
繕わずに本音をここまで喋る事が出来た事に内心驚きつつ、隠す様に口元を左手で軽く覆ってみる。
しかし、ここまで来たら引っ込みもつかないかと思い直し、手は直ぐに離した。
「言葉でさえ上手く伝えられないのに、気持ちなんて尚更ちゃんと伝わらないと思うんです」
「……うん」
「愛してるとか想ってるとか、口で言われたって分からなくて……それでも言葉だけでも、行動だけでも駄目で……」
「一夏くん……?」
「…………僕が言うのも何ですけど、簪さんにちゃんと言葉にして言ってあげてください」
対して更識楯無は、ポカンと呆けたような顔になっていた。
何か変な事でも言っただろうかと頭に疑問符を浮かべていると、突然に脈絡も無く笑い出した。
「ふっ、アハハハ……」
「何ですか、急に」
「ごめんなさい、でも、やっぱり一夏くんはツンデレさんだな、って思ったら……笑えてきちゃって」
更識楯無に限らず、何故か一夏はツンデレと評される事が度々ある。
当人にしてみれば出来うる限り対人関係においては傾倒し過ぎないように努めているつもりなのだが……
ところが覚えが無い訳でも無いので、それが尚更のこと釈然としない。
「私と簪ちゃんの事、知らないって言ったのにこうやってアドバイスしてくれるし」
「それは……別に」
「でもね、人間ってそんなに簡単に素直になれないのよ」
「…………わかってますよ」
「ちゃんと面と面を向かい合って話さなきゃいけないって分かってるのに……やっぱり、怖いのよね」
誰かと喧嘩をした事のない一夏には、残念ながらその気持ちは知らなかった。
関係の修復、仲直りをするのに、一歩踏み出す為の勇気が必要……言葉としては分かっても、感覚が解らない。
だからアドバイスとは言っても経験則では無いのだ。
適当に言葉を紡いで励ましたところで、それは薄っぺらで実の無い言葉にしかならないだろう。
「はぁ……」
「?」
何を思ったか、更識楯無は沈黙していた一夏に倒れ込むように額を一夏の胸に乗せてきた。
視線を落とせば、姉妹でそっくりな色合いの髪の毛が広がっている。
意図せずに鼻腔に爽やかな香りが伝ってきて……でも嗅いではいけない気がして、逃げるように顔を天井に背けた。
何で今更そんな事を気にして……とも思ったが、顔を降ろす事は出来ない。
「人には弱いなんて言っておいて、自分の方がよっぽど弱いわね……」
「…………」
「ごめん、もう少しだけこうさせて……」
はあっ、と絞り出すように漏れるため息が胸に降り注いできて、くすぐったいやらで背筋が冷える。
更識楯無はからかう様に挑発的な行為に出る事が度々あったが、今回に関しては意識しての行動でないだけに、質が悪かった。
無下に振り払う事も出来ず、かと言ってこの妙な感覚も、穏やかでない。
どうやってこの場を切り抜けようかと考えを巡らすが答えが出ず、暫くこのままでいなければならないのかと軽く絶望していたら
ガチャ、と
錠が解かれ扉の開く音が聞こえた。
「ただいまぁ……」
胸に乗せられていた頭も、ビクンと震える。
「あれ、一夏くんもう帰ってたん…………だ?」
この部屋のもう一人の主である更識簪の声が、ピタと止まる。
視界の先には一夏と、その胸に寄り掛かる姉の姿。
顔は、歪んでいるような無表情。
特に自分に非がある覚えの無い一夏だったが、それでも先程とは違う意味合いでの底冷えを感じた。
「あ、あの簪ちゃん……?」
「…………」
「ち……違う、違うの。これは、その……違って」
違う、ばかりが連呼した後には沈黙が場を支配し、一夏も何も言えずに固まったまま視線は両者を行ったり来たりしていた。
その場を後にしたい気持ちで一杯だったが、身体は動かない。
「簪、ちゃん……?」
「…………」
締め付けられる様な息苦しさに苛まれながら、一夏は腰掛けていたベッドに上半身だけで倒れ込みながら、とりあえず溜まっていた空気を音を出さずに吐き出してみた。
また3ヶ月ばかり間隔が空いてしまいました。
中々継続的に書けないのは、仕事で体力が削られて気力が削がれるからなのかな。
気が付いたら修羅場に……指が滑ったらこうなっていたのだ。