1人、図書室にたたずむ少女がいた。平日放課後の夕暮れの中、閲覧スペースの椅子に座する彼女は、机に頬杖をつきながら文庫本を読みふけっており、どこか退屈そうな表情をうかべていた。
彼女は手にしていた恋愛小説をパタリと閉じる。一目惚れ、ときめき、慕情、嫉妬。そこには彼女の知らない世界があった。しかしその彼女の中に存在しない感情は、彼女へ今ひとつの違和感を与えた。
「やっぱりまだ私には早いか。」
椅子を引いて立ち上がった彼女は、棚へ本を押し込み、図書室を退出した。
最近彼女は、恋愛小説を読みあさっていた。
というのも、彼女が先天的に持つ「未知への憧れ」であろう。
ときめきとは何か?男女間での駆け引きとは何か?彼女は、恋愛という未知の世界に大きな期待を寄せているのであった。
しかし残念ながら彼女には恋愛経験がない。花の女子高生である彼女が、恋愛経験がないというのはなかなかの大問題である。せめて恋はできなくとも、男友達の1人や二人は欲しい。自分の知らない世界を知っている人間が────
その時だった。パタパタと、自分が上履きで廊下を踏みしめる音の他に、上の階からか微かに楽器の音色が耳に入る。
楽器と言っても自分達とは真逆、というよりは別ベクトルに位置する存在だった。その楽器のアンニュイでありながらも刺激的な音色は、未体験のものとして、彼女の興味を大いに引き立てる。彼女は階段をゆっくりと踏みしめ、その一筋のメロディの源へと近づいた。
そこは、音楽室ではなく、十数と並ぶ何の変哲もない教室だった。一つ彼女にとって違うことといえば、その教室が、自分が普段授業を受ける場所であるということくらいだった。
彼女が扉の窓から中を覗くと、そこに音の主はいた。それは、自分のクラスメイトであり、数少ない吹奏楽部の男子部員だった。話したことなど1度もなく、クラスでもたまに視界に入る程度の存在であった。
彼はジャズを奏でていた。十九世紀末頃、黒人の多いアメリカ南部で誕生したジャンルである。アドリブ演奏、特異な曲の構造、そしてそれらを前面へ押し出す軽やかなウォーキングベース。中でも彼の楽器は、ジャズを語る上で欠かすことの出来ない、それだけにジャズをただ1人で作り出すことの出来る存在だった。
彼の音色からはジャズの魅力がにじみ出ている。本当にジャズが、そして楽器が好きなのだろう。そこにいる彼は、いつも教室にいる彼ではなく、彼女の知らない彼だった。
ふとしたところで二人の視線が重なる。どうやら彼は、彼女に気づいたようだ。
それを察知した彼女は、たじろぐことなく、ガラガラと扉を引き、教室に足を踏み入れた。
「…和泉さん?」
私達が初めて言葉を交わした時、あいつが口にしたのは、イブの苗字だった。
多分結構続きます。どう締めるかまでしっかり決めたので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです