にこはアイドル捜査官 ラブライブ✕相棒   作:くーたん局長

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♪Life is the game

♪Some take a chance

♪play your hand

♪You're just my dream

♪You never know!

――相棒


捜査File3 愛はさかしま、心はよこしま  
1 ――生きていた男――


 夜の東京某所。ここはサラリーマン家庭が住む住宅街にある公園である。昼間は子供たちがブランコで遊び、ボールを蹴り、母親たちが談笑するこの公園も夜になると誰もいない。ずっと吹いていて彼の襟をなびかす冷めきった微風。

 近くの家から漏れる黄色い明かり。今もあの明かりのもとで、母が子の耳かきでもしているのだろうか。そしてそのすぐ近くでは父親が厳しい顔で新聞を読んでいるのかもしれない。とにかく平和な家庭生活があることは間違いない。

 暗い公園。足元の草も見えない。ただひんやりとした草が風にあおられ、さらさらとすねのあたりを撫でていくばかりだ。

 その公園に彼は立っていた。その男の名は――

 

――杉下右京。警視庁特命係係長で、階級は警部。鋭敏な観察力と強固な正義感により多くの事件の真相を暴いてきた有能な刑事である。

 

……としても、おかしいだろう。なぜそんな男が真夜中の公園に直立不動の姿勢で立っているのか。目撃する人でもいれば仕事上の失敗で追い詰められ自殺したサラリーマンの幽霊だと思うか、また交番勤務の警官でも目撃すれば不審者として職務質問されることは間違いない。警官が警官に職務質問されるなど皮肉でしかないが。

 とにかく不気味である。月を黒く薄い雲が隠している。月の光はわずかに透かしている。杉下は何かに気づいたのか、公園の入り口の方向をじっと凝視している。真剣な表情だ。眼鏡が月明かりで一瞬輝く。

 草を踏む音が近づいてくる。黒い影が近づいてくる。音は次第に大きくなっていく。影もどんどんと大きくなっていく。そして草を踏む音が止む。杉下と男は向かい合う。男のほうが杉下より少し背が高いだけなのに、男は杉下に威圧感を与えた。杉下は男を睨みつけていた。

 そしてしばらく二人は動かない。夜の公園で二人の男が向かい合って動かない。どちらも微動だにしないのだ。

 月を隠していた黒い雲が夜空の暗さに溶けるように流れていった。眩しいほどの月明かりが男を照らし、男の目鼻立ちが明らかとなる。杉下は一瞬男を見て動揺したように瞬きした。男は右手をゆっくりと上げた。

「やあ、杉下」男は首を傀儡人形のようにカクリと傾げて、ニタっと微笑んだ。「元気にしてたかい?」

 杉下はしばらく男の実在を疑って、男を頭頂部から足先まで舐めるように見ざるを得なかった。足先がきちんとあるところを見ると幽霊ではないらしい。信じられなかった。死んだはずの人間が再び姿を現すことなど。

「……ええ」

 杉下はやっと言葉を絞りだすことができた。

「嫌だなぁ、杉下。お前、もしかして僕のこと幽霊だと思ってる?」

 男はからかうように微笑む。

「ええ。その可能性はあるでしょうね」

 男の余裕ある態度に比べ、杉下の眼はずっと男を捉え、警戒心を微塵も緩めることができない。

「幽霊が存在しないという確たる科学的証明は存在しません。さらに私はあなたがお亡くなりになるところに立ち会いましたし、生物学的にも法的にもあなたは既に故人であるはずですからねぇ……」

 杉下は動揺して、早口でいう。

「そうだろうね」

 男も鷹揚に頷く。

 しかし杉下は「ただ……」と人差し指を立てた。男は不可思議そうに首を傾げる。

「ただ……何だい?」

「あの場で殺害されたのが実際はあなたではなかったとすれば話は別ですが」杉下は反応を伺うようにちらりと横目で男を睨んだ。「現代は整形技術も飛躍的進歩を遂げていますから……」

 杉下の推理を聞いた男はニヤリと笑うと、ゆっくりと空を見上げた。そして身体を震わせてハハハッと笑いだした。その非人間的な乾いた笑い声は公園じゅうに響いた。杉下は笑う男をじっと睨みつけている。そして男はカラカラとひとしきり笑うと真顔に戻って、ニッと不敵な笑みを浮かべた。

「変わらないね。杉下。こんなにもお前とは会っていなかったというのにね」

「そうでしょうか」

「そうさ。ただ、お前が変わらないでいる間に僕はずいぶんと変わったんだよ」

 男はスーツから『生前』使っていたのと同じ名刺入れを取り出すと、一枚の名刺を引き出し、杉下に渡した。

「やるよ」

「いただきましょう」

 杉下はその名刺を受け取り、月明かりに照らした。白い紙に「NEW WORLD ORDER」と書かれているだけで名前も住所も電話番号もない。杉下は怪訝そうに男を見る。男はしたり顔で微笑む。

「不思議そうだな。杉下。これのどこか名刺なんだって、思ってるだろ。いいか杉下……」男は両手を怪鳥のように大きく広げた。男は笑っていた。男の笑顔は鬼気迫る凄まじいもので、おぞましい表情だった。杉下は思わずたじろいだ。「僕は一度死んだよ……そして何物でもなくなった……この意味がお前にはわかるかしら?」

「全くわかりません!」

「そうか……じゃあ教えてあげるよ……」男は何かに憑かれたようだった。狂人の眼をしていた。「いいかい……何物でもなくなったということは何物でもあるということなんだ……僕は名前を、地位を、家族を……全てを失った……だけどね、僕は今全てなんだよ……全ては個ではないから個である必要がないんだ……今の僕は何者でもない……ただNEW WORLD ORDERなのさ……」

 男の話を聞いていた杉下は眉をひそめ、名刺を地面に叩きつけ、吐き捨てるように言った。

「理解に苦しみますっ! ふざけないでください!」

 杉下は男を睨んだ。

 男は身じろぎもせず、ニヤリと杉下を嘲るように笑う。

「フン。全てを理解できる人間なんかいるもんか。全てを理解できるのは全てだけさ」男は瞬きもせずじっと杉下を見つめながら、どこか楽しんでいるような口調でいった。「今の僕は日本政府、国連……そんな俗っぽいものを超えたものなのさ。それが僕の立場だよ」

 杉下は眉がピクピクと痙攣するように震えた。

「おっしゃる意味がよく理解しかねますが……では仮にあなたが現在そのような特殊な立場であると仮定して……あなたは現在いかなる法に従っていらっしゃるのでしょうか?」

 かつて警察庁官房室長を務めていた一介の高級官僚でしかなかった男は、杉下の質問を聞くと急に破顔して、また腹を抱えて哄笑しながら、吐き出すように叫んだ。

「まだわからないのか? 僕にはもう法なんかないんだよ! 強いていうなら僕が法かな。お前の大好きな法だよ。今の僕は。嬉しいかい? 法に会えて?」

 杉下は男の狂態を冷ややかに見つめた。そして強く首を振った。

「いいえ! 法は人ではありません!そして法であってはならないものです!」

 男は笑い終えると、杉下を呆れたように一瞥してから、失望したように肩を落とし、ため息をついた。

「わからないか……お前には……まあ、それがお前の限界だな。買い被っていたようだよ、お前のことを」笑い終えた男はさも残念そうに首を振った。「お前に是非僕の計画に『なって』もらおうと思ってたんだけど」

 杉下は、男を睨みつけながら強い語気でいった。

「今のあなたがどういう立場であろうと、どういう計画をされていようと僕は日本の法律に基づき、僕の信じる正義を守ります」

「正義ねぇ……」

 男は首を傾げフッと笑う。

「ええ! あなたがどのようにご自身の死を偽装されたか不明瞭ですが、その過程に違法行為が存在するならば、僕はあなたを必ず逮捕します!」

 杉下の大きな声は夜の公園に、川の上を投げられて疾走する石のように響いた。

 男は「そうか……」と頷いた。寂しげな表情である。「お前らしいな…」男は杉下に背を向けた。「じゃあな。そのうちまたどこかで会うことになるだろうけど」

「ええ、そうなるでしょう」

 男は杉下から離れていく。杉下は黙って見送る。しばらく歩いた後、急に男は振り返り笑う。

「そうだ。にこのことをよろしくな」

「ええ。あなたに言われずとも承知しています」

 杉下は無表情で頷く。

「あの子はお前を超えるいい刑事になるよ。多分だけどね」

「僕にはそうは思えませんが」

 杉下は男と目を合わせず不機嫌そうに首を傾げる。男はフッと笑いをこぼした。

「そうかな……そうだ、まだあのことは言うなよ。言ったりしたらあの子はお前を殺したくなるかもしれないね」

「どうでしょうかねぇ。彼女はあなたとは違いますから。ありえないと思いますが」

 杉下は首を大きく振った。

「ふーん。そうかい……でも、どうかな……僕に似たところ……少しはあるんじゃないの? 僕にもある残酷の種子みたいなものが彼女にもあると思うんだ、もちろん杉下、気づいてないだけでお前にもあるんだけどね」

 男はニヤリと笑う。再び前を向いた男はまた歩いていく。男の姿は小さくなっていく。杉下はそれを厳しい表情でただ見送った。男の姿は夜の闇の中へ。月を再び黒い雲が覆い隠してしまうとまた公園は暗くなった。しばらく一人で立っていた杉下だったが草むらからバッタが出てきて靴の上に乗ると我に返ったように公園を立ち去った。二人が去った公園には「NEW WORLD ORDER」の名刺だけが草むらに落ちていたが、それもまた風に吹かれていってしまった。

 警視庁特命係。通称『警視庁の陸の孤島』と呼ばれている部署だ。なぜそのような不名誉な通称がついているのかというと、ここに配属された刑事たちはみな次々に警察から去っていくからだ。なぜか?それは……

「矢澤さん。君も相変わらず退屈であるようですねぇ」

 杉下右京、この男がいるからである。

 この男、実はかつてエリートだった。東大法学部を卓越した成績で卒業した後、期待された学界にも大蔵省にも進まずに警察庁のキャリア官僚となってイギリスに留学。帰国後に警視庁に出向すると瞬く間に捜査二課でその優れた捜査能力を発揮して、日本に巣食う巨悪を震撼させた。しかしある事件がきっかけで特命係などという何の権限も職務も与えられない追い出し部屋に左遷されてしまうことになり、同期の警察官僚たちが、ある者は官僚として高位高官を極め、ある者は政界に転じ、またはある者は天下り先で利権まみれのこの世の春を謳歌するなか、いつまでもこの男だけは警部止まりで干されているのだった。

 しかし当人は不思議なことに全く気にもしていないようだ。そしてここに自分が追い出し部屋にいることにさえ気づいていない警官が一人……

「え〜、何言ってるんですか〜? にこが暇な訳ないじゃないですか〜。にこはね〜今すんご〜く〜メイクに忙しいんです〜」

 矢澤にこ巡査部長である。この25歳の婦警、実はかつてアイドルだった。高校生時代にμ'sというスクールアイドルのメンバーとして一世風靡した栄光を忘れられず、あの夢もう一度と高校卒業後も秋葉原を拠点に地下アイドルとして活動するも鳴かず飛ばず。既に流行が去った過去のアイドルとして二十歳の誕生日を迎えた。その年に急に母に無理強いされていやいや警察官試験を受けさせられた。にこの義父は実は警官であり、銀行強盗を止めようとして射殺されて殉職したために、家のなかで警察の話をするのもそのときまではタブーだったはずなのにである。落ちると本人も思っていたのに奇跡的に合格してしまい、神奈川県警に配属されるも被疑者を発砲しながら追いかける、署内でアイドルグッズを販売する、張り切りすぎて誤認逮捕を繰り返すなどの問題行動から特命係に流されてきたのだが……

「たいへん退屈そうにみえますが」

「……ならお互い様でしょ。杉下さん?」

 こちらも元気そうである。

 特命係には書類が山積みになっている。その書類の山のなかから、ホチキスの音がカチカチと響いている。杉下とにこはホチキスでひたすら書類を留めて、ダンボール箱に投げ入れている。二人とも無言だ。組対五課が捜査会議で使う捜査資料だ。にこが急に笑顔で書類一部を持って、杉下の鼻先でひらひらさせて自慢する。

「杉下さーん! 見て! こんなに上手にホチキスで留められるようになりましたー!」

「それは素晴らしい。まあ、数百部も留めていれば上達するのも当然ですがね?」

 そこに角田課長が入ってくる。

「おお、杉下、矢澤。まだいたのか。もう帰ってもいいぞ!」

 今日も隣の組対五課から下請けされた資料整理の雑用をこなして残業もなく定時帰りのお気楽な特命係の二人、杉下右京とその相棒の矢澤にこは赤坂にある行きつけの小料理屋『花の里』に来ていた。妙な縁もあるもので、前店主の宮部たまきと、矢澤にこの旧友、高坂穂乃果は姪と伯母の関係にあり、今は穂乃果がこの店を任されている。しかし当人の日本料理に関する力不足は否めず、客入りは激減。杉下は長年の習慣から、にこは慈善活動のつもりで来店している。

「いらっしゃい!」

 元気だけはいい店主高坂穂乃果の声。四季の花で彩られた枯茶色の友禅の着物を身にまとい、大きな椿の模様が描かれた水色の西陣の袋帯をお太鼓結びにして、腰に緑色の前掛けをしている。見た目だけなら立派な女将だが、中身がついてこない。

「ビールね」

 にこは白木でできたL字カウンターの長辺側の指定席に座りながらいった。杉下は短辺側の指定席に座って、お品書きを手に取り開いた。

「はーい!」

 穂乃果はビール瓶を取り出してきてにこの席の前にコップを置き、注いだ。

「トクトク……トクトク……」

「穂乃果! ビール注ぐ擬音なんていらないわよ!」

 穂乃果は口をつぼめてトクトクと口で言っていた穂乃果は驚いたように、にこを見る。

「えっ! そうなの!」

「そうよ。うるさいから、黙って注ぎなさいよ!」

「ごめんなさい……」

 穂乃果は申し訳なさそうな表情になって、シュンとして俯いた。

「べ、別にわかればいいのよ……」

 にこはなぜか自分が大人げないような感じがして戸惑った。穂乃果が過剰に反応して謝罪しているので、自分が穂乃果に対してくだらないことで怒り過ぎているような感じになっているからだ。クレーマーのような感じである。

「北雪の日向燗、それと上天ぷらを頂けますか」

 にこが一瞬複雑な気持ちでいると、杉下はお品書きから顔をあげて、なぜか見ていると腹立つような独特の笑みを浮かべて、注文した。

「はーい!」申し訳なさそうな表情をしていた穂乃果は注文を受けると急に満面の笑みを浮かべて顔を上げた。「ちょっと時間かかるけど待っててね、おじさん!」

「待ちますよ。それと僕はもう君の伯父ではありませんよ」

 穂乃果は杉下の話は聞かず、卵を割って料理箸で衣を溶きだした。にこは穂乃果が少しも精神的ダメージを受けていないのを見て、大人げない気持ちになって反省したのを損したように感じた。

「あーあ、穂乃果なんかに気を使って損したわ。お詫びになんか面白い話しなさいよ。穂乃果」

 にこはビールをグビッとあおり、一気に飲み干した。

 穂乃果は熱燗を用意しながら不思議そうにいう。

「面白い話? うーん、なんだろ……」

 穂乃果がにこの無茶ぶりに悩んで、面白い話を探していると、ガラガラッと引き戸が開いて新たな客が入ってきた。

「いらっしゃい! あっ、真姫ちゃん」

 穂乃果の声を聞いて、にこがちらりと引き戸のほうを見ると、白衣でなく私服姿の真姫が疲れて不機嫌そうな表情で入ってきて、にこのすぐ隣ではなく一席空けた席に座った。真姫は手に畳んで持っていたキャメルカラーのコートをにことの間の空いた席に置くと、赤い癖っ毛を手でかきあげて、はぁっ……とため息をつき、カウンターに肘をついた。白いセーターにチェック模様のロングスカートという女子大生らしいファッションだ。

「人が楽しく飲んでるのに、構ってほしそうな嫌な雰囲気出さないでもらえるぅ〜?」 

 にこはちょっかいを出す。真姫はにこを無視して注文をした。

「キープしてたロマネ・サンヴィヴァンお願いね。それと……ゴルゴンゾーラを一切れ」

「無視ね……いい度胸じゃない……」

 にこは歯ぎしりして、恨み言をいう。すると真姫はちらりとにこに視線を向け、か細い声で言った。

「べ、別に……無視したんじゃないわよ……ただ、にこちゃんが私のことバカにするから……」

「へぇー……あっそ。まあそういうことにしといてあげるわ」

 にこは半信半疑な表情で、顎を手で押さえテーブルに肘をつく。

「はーい!」

 先ほどの注文を受けて穂乃果はワインボトルを取り出すとワイングラスに注いで、ニコッと微笑んだ。

「どうぞ。お嬢様?」

「うるさい。お客様に対する態度じゃないでしょ! それ」

「もーう! だって真姫ちゃんが可愛いからっ! お嬢様って言いたくなっちゃうんだよぉ〜!」

「どういう意味なの……」

 真姫はムッとした表情になってワイングラスを口に近づけ、飲んだ。

 その後穂乃果は一度奥に行って、戻ってきたときには大きなチーズホールを手に持っていて、ドカッと調理場に置いた。

「ここ小料理屋じゃなかったけ? 穂乃果?」

 にこは呆れていう。穂乃果はニコリと笑って答えた。

「甘いよ! にこちゃん! これからは何でもやらなきゃ! 生き残れないから!」

「そうよ。お店が客のためにサービスを充実させるのは当然のことだものね」

 真姫がワインを飲みながら答える。

「へぇ……意味わかんないわね……」

 穂乃果は見事な手際でナイフでチーズを切り分け皿にのせ、真姫の前に置いた。真姫は美味しそうにチーズを頬張る。

「ねえ、穂乃果。杉下さんの熱燗、さっさと取りなさいよ」

 にこが注意する。熱燗が先ほどから熱ししすぎているようだからだ。

「えっ……だけど希ちゃんが……あれ?」

 穂乃果があたりを見回す。希は穂乃果の店で今働いている。

「そういえば希いないわね」にこもあたりを見回す。「今日は休み?」

「えっ……だけど休むなんて連絡なかったよ?」

「へえ……無断欠勤? 希もたいした度胸ね〜……」にこはニヤニヤ笑う。「雇われのくせに……」

「穂乃果さん。今まで東條さんがこのように無断で欠勤するようなことはあったのでしょうか?」

 今までとぼけた表情で黙って突き出しの枝豆を無心に食べていた杉下が急に鋭い視線で穂乃果を見つめた。

「えっと……なかったかなー」

「遅刻などをしたことも?」

「ないですけど……」

「こちらから連絡はしましたか?」

 杉下は矢継ぎ早に質問を浴びせる。

「えっと……してません……」

 穂乃果は杉下の気迫に思わずたじろいでいる。

「今すぐ連絡してください」

「あっ……はい……」

 穂乃果は帯の間からスマホを取り出し、電話をかけた。にこも真姫もじっと、スマホを耳に当て電話をかける穂乃果を見た。穂乃果はしばらく電話をかけていたが、スマホを耳から外した。

「つながりませんか?」

「はい……」

「妙ですねぇ……今まで無断欠勤などしたこともない方が電話にも出ないとは……」

「別にたいしたことないわよ! ほんと杉下さんって、なんでも細かいことが気になっちゃう病ねっ!」

 にこがアハハと笑う。

「どうでしょう? 僕が君の言う"何でも気になる病"であることは否定しませんが、これがたいしたことではないとは必ずしも言い切れないと思いますがねぇ?」

「えっ!? 希ちゃんに何かあったのかな! 穂乃果、心配だよっ!」

「そんなに心配なら今から希の家に行ってみたらいいんじゃない?」

 真姫がまたワインを飲む。にこは真姫のほうに向き直り反応した。

「え〜。いいわよ。そんなの……だって希、不死身だし。風邪ぐらいどうせスピリチュアルで治すでしょ」

「冷たいのね、にこちゃんって……」

 真姫は軽蔑したような眼でにこを横目で見て、チーズをかじりながらいう。

 にこは真姫を睨みかえす。

「何よー、その言い方……いいわよ! 行けばいいんでしょっ!」

「穂乃果も行くよ! 絶対行くっ! お粥作ってあげなきゃ!」

 熱燗を杉下に出しながら穂乃果も加勢する。

「だけど二人とも車持ってないのにどうやって希の家まで行くの。ここからタクシーで神田だとにこちゃんには高いんじゃない?」

 真姫が盛り上げておいて、急に冷静に指摘する。

「別に高くないわよ! 大きなお世話よ! そんないうなら、真姫ちゃん、あんた車出しなさいよっ!」

「えっ……ふんっ……わ、私、ここに電車から歩いてきたもの……それに今日はパパから電車賃しか貰ってないし……」

「あっそ……真姫ちゃんって、ほんと使えないわねー、金持ちのくせに……あ〜、言っとくけどね、にこぐらいの警視庁ナンバーワンのスーパーアイドルになるとね、タクシーなんてもういらないにこ〜」

 にこは真姫にニヤリとウインクして笑いかけた。真姫は釈然としない表情でいる。

「どういうこと……?」 

 にこは杉下のほうに向き直り、上目遣いで見つめ口を尖らせて甘えるような口調でいった。

「あの〜杉下さ〜ん……実はお願いがあるんですけど〜」

「構いませんよ」

 杉下は盃で酒を飲みながら、言下に答えた。

「えっ? にこ、まだ何も言ってないですよぉ〜?」

 にこは確信犯に首を傾げる。

「君の言いたいことなど言われなくともわかりますよ。車で送迎してほしい、ということでしょうか?」

「え! いいんですか! 助かります〜、杉下さ〜ん」

 にこは甲高い声で腰をよじらせながら、両手を寄せてぶりっ子ポーズした。杉下は盃を傾けながらにこを冷たく横目で見ていた。

「どうしよう? 穂乃果、もうお店閉めたほうがいいかな〜?」

 穂乃果が天ぷらを揚げながら首を傾げた。

「お店に私がいるのにお店、閉めるの?」

 真姫は不満げにいう。

「何? 真姫ちゃんは行かないわけ? にこは行かせるくせに?」

 にこは馬鹿にして鼻で笑った。真姫は無愛想に答える。

「そんな大人数で行ったら、希が病気ならかえって迷惑だと思うのよ」

「そんなことないわよ! 希ならかえって喜ぶわよ」

「そ、それに……希って……あんまり私のこと好きじゃない気がするし……その点、にこちゃんは希と仲いいし……」

「はぁ? そんなわけないでしょ。大学で勉強しすぎて被害妄想癖でもついちゃったの? 真姫ちゃんも希とは親友でしょうがっ!」

「そうだよっ! 穂乃果も、真姫ちゃんが来てくれたほうが希ちゃん絶対嬉しいと思うよっ!」

 穂乃果もにこに援軍する。

「えっ……だっ、だけど……」

「ほらねー。穂乃果だって」

 にこは勝ち誇って笑った。

「だ、だけど……」

 真姫は俯いて、視線を右往左往させた。

「往生際が悪いわよ! 私が行くんだから、あんたも来るのよ! わかった?」

「わ、わかったわ……」

 真姫は観念したように頷いた。

 数分後、花の里の明かりが消えて杉下らが店から出てきた。穂乃果はのれんを下ろす。しばらく四人は細い石畳の路地を歩いて坂を降った。坂を降りると杉下の愛車の黒のフィガロが近くの繁華街のネオンライトに照らされつつ路傍に駐車していた。

「穂乃果が一番だよ!」

「うるさいわね! にこが一番よ!」

「二位じゃダメなの?」

「「ダメっ!」」

 そのフィガロにみな乗りこむ。助手席には当然のようににこが乗りこむ。

 エンジンがかかり、車がゆっくりと発進する。赤坂の繁華街の赤や黄のネオンライトや歩道を歩く人の黒い影が車の窓を流れていく。杉下の車と共に走るのはタクシーが多い。途中でトラックに追い抜かされた。

 真姫はニヒルな雰囲気で後部座席の窓枠から外の夜景色を眺めている。穂乃果は後部座席で爆睡していびきを立てている。にこはひっきりなしにくだらないことを杉下に話している。杉下は運転しながら、にこの話に相槌を打った。

「にこなんてあれよ、警視庁の人たちにモテモテで〜みんなメアド教えてうるさくて〜ほんとリア充女子は忙しいっていうかー、だけどにこのレベルだとー、年収5000万以上ないと無理なんですよねー……だからかえって勘違い男子って迷惑なんですぅー。それににこ永遠のアイドルだから恋愛禁止だし、だけどファンは大切にしなきゃだし……はぁ……困っちゃう……」

「たいへんですねぇ」

 その数秒後には話題がすぐに変わる。

「にこって白すぎて病気みたいに思われちゃうから、かえってこじるりみたいな日焼け肌が羨ましいんですよねぇ〜」

「こじるりとは何でしょうか?」

「今売れてるタレントですよ。あんなののどこがいいんだか、にこのほうが百倍可愛いのに……世の中ってほんと見る目ありませんよね?」

「ええ、君の言うとおりですねぇ」

 このような具合である。

 あれこれ言っているうちに、首相官邸や議事堂のある永田町を通り、見慣れた桜田門の警視庁の前を通り過ぎた。高層の本部庁舎は明かりの消えている部屋もあるが、点いている部屋も多い。街頭の明かり、車のヘッドライトや近くの官庁群から漏れ出す白い照明で駅前は夜でも明るい。

 皇居の濠端の混雑した夜道を走る。そして日比谷、有楽町、日本橋と走っていくと神田にたどり着く。

 どぎつい赤色のネオンや居酒屋の蛍光看板に照らされて、顔の赤い中年のサラリーマンたちが徒党を組んで千鳥足で歩いている。酔っ払ったサラリーマンたちが揉めていたりして、見ているとあまりいい気持ちはしなかった。繁華街を抜け、住宅地に入っていくと急に人通りが少なくなる。川沿いに古アパートが立ち並んでいる。神田明神前を通り過ぎてしばらくして「ここです! ここ!」とにこが車を止めさせた。

 暗いのでよくわからないがオレンジ色の八階建て、新築マンションにたどり着いた。駐車場に駐車して降りる。真姫はさっさとコートを羽織り、車から降りた。

「ほら、穂乃果! 起きなさいよ!」

 にこが後部座席のドアを開け、穂乃果の肩を揺さぶった。穂乃果は爆睡中で『もうそんなパンばっか食べれないよぉ……』などと寝言をいっている。杉下と真姫がマンションの入口あたりでこちらを向いて待っているが、穂乃果は起きる気配がない。にこは諦めて、車のドアを勢いよく閉め、杉下のほうへ歩いていった。

「穂乃果さんはよいのですか?」

「もうだって起きないんですもん」

「だけど起こしたほうがいいと思うけど……車で寝るなら、そもそもなんのために連れてきたの……」

「うるさいわね! しばらくして起きなかったら、にこが責任もって起こしに行くわよ!」

 杉下、にこ、真姫の三人はマンションの階段を上がっていった。

「真姫ちゃん、7階でいいのよね?」

「702号室だから、そうよ。常識ね」

「一応聞いただけよ!」

 三人は702号室の前に立った。アクリル製の小奇麗な銀色の表札には赤色で『TOZYO』とある。

「よーし! ここね……」

「そのようですねぇ」

 杉下は瞬きした。

「ほら、のぞみ〜、来てあげたわよ〜」

 にこがニヤニヤ笑いながらドアノブに手をかける。

「何やってるの? 開くわけないでしょ」

 真姫が言い終える間もなくドアはすっと開いた。

「えっ?」

 開けたにこも拍子抜けして、杉下と真姫と顔を見合わせた。真姫は驚いた表情、杉下は何か心配そうな表情でいる。にこはドアの閉め忘れでしょ、不用心ね……と思っていた。今の時代は、同じアパートの住人さえも信用できない時代である。用心しすぎてしすぎることはない。それに希は軟弱そうでかつグラマラスだから、特に痴漢に狙われやすそうだ。なので余計に用心が必要だろう。

「入りましょう」

 焦ったような表情の杉下がドアノブを奪い、引き開けて、足を踏み入れる。部屋のなかは真っ暗だ。玄関には女物の靴が一足。入った瞬間、杉下は顔色を変えた。

「こ、これは……」

「全く〜、のぞみ〜、玄関開いてたわよ〜」とにこ。

 杉下が突如大声で叫ぶ。

「電気を点けてはっ! いけませんっ!」

 杉下は慌てて振り返ると、玄関の電気を点けようとしていたにこの手を叩き払った。

「痛っ! な、何すんのよっ!」

 にこは叩かれた手を押さえて抗議する。手には赤いもみじがついていて、とても痛い。今までも杉下の奇行には苦しめられてきたが、今回だけは本当に我慢ならない。怒りと痛みで涙が出そうだ。

「わかりませんか!?」

「何がよっ!」

 にこは怒りで上司への敬語さえ忘れた。警察は階級社会だから、警察学校では敬語の使い方で一番怒られたのだ。それ以来、敬語にはかなり気を使ってきたのに、杉下のせいでそれさえ一瞬忘れた。

「ガスの臭いです!」

「えっ?」

 にこはクスンと臭いを嗅いで顔色を変える。

「う、嘘っ……」

 薄いが玉ねぎくさい臭いがする。間違いない。ガスの臭いだ。それを聞いて真姫も顔色を変え、呟く。

「まさか! が、ガス自殺……」

 にこもたじろぐ。希+ガス自殺……。最も繋がりそうもない言葉だ。しかし杉下は真姫に大声で指示する。

「君! 急いで大家さんを呼んでください! そして救急車も!」

「は、はいっ!」

 顔面蒼白の真姫は大きく頷くと向きを変えて階段へと走り出し助けを呼びに行った。杉下とにこも靴を履いたまま土足で真っ暗な室内に突入した。もはやこの際、土足かどうかなどどうでもよい。部屋は暗いが月明かりでおぼろげに様子がわかる。廊下を走っていくほどガスの臭いはきつくなっていく。それにつれにこの焦りと不安は募っていく。まさか……そんなことあるわけ……あの……希が……。ドアを蹴り開けてリビングに二人はなだれ込み、あたりを見回した。

 二人はキッチンを見る。そこにはにこが一番望んでいない状況があった。誰かがエプロン姿でうつ伏せで倒れていたのだ。そして……それは希だった。顔面蒼白で目を閉じている。調理中にキッチンのガスが漏れたに違いない。急がなければ生存が危ういということが目視でもわかる。

「杉下さん! の、希が!」

 にこは顔面蒼白で絶叫する。眼を逸らしたくなる気持ちを必死に抑え込む。混乱してしまい、どうすればよいのかわからない。足が恐怖で震える。

――う、嘘よ……。何かの間違いよ……こ、これは夢だわ……そ、そうに決まってる……

 にこは錯乱して、もう何もできなく……

「君! 突っ立っていないで動きなさぁっいっ!」

 部屋に響き渡る杉下の怒声で、錯乱しかけていたにこは慌てて我に返ることができた。こんなところで錯乱してはいけない。希を助けなくては。杉下は急いで希に駆け寄り、腰に力を入れるとうんっといって一気に希のことを俵のように担ぎあげている。非力そうな普段からは想像もつかない怪力だ。しかし希の腕は力なくだらんと垂れている。そこには生気を感じられなかった。

「君、早く窓を全開に!」

「は、はいっ!」

 にこは慌てて窓まで駆け寄る。

「急いで! まだ間に合うかもしれませんっ!」

 杉下は希を抱えたまま窓へと突進した。呼応してにこもベランダの引き戸を一気に引き開ける。杉下は希を担いでベランダへ出ようとする。混乱のなかにこは祈ることしかできなかった。

――希……無事でいて……お願い……

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