残念ながらベレー帽は飛んでくることなく、出勤時間10分前に会社に到着した。すでに社員の半数以上が出勤している。
総社員20人程の小さな会社だ。建物自体もちょっとした事務所と工場が建っているだけだ。
今ここにいないメンバーはすでに現場に向かったのだろう。遠くの現場だから朝早くに会社を出ている。
そして、残ってるメンバーの大体半分が会社に残って工場で仕事をして、またその半分のメンバーの俺たちは某巨大製鉄所の現場に向かう。
「八幡、三科と一緒に青いトラックで行ってくれ」
俺たちに声を掛けるのはこの会社の古株、近藤さん。
職人歴20年。大先輩である。本当この人何でも出来る。俺たち仕事を教えてくれたのもこの人だ。ちなみにマッチと言うと激昂する。
「あっマッチさん、おはようッスー」
こいつまじ怖いもの知らずだな。
この野郎と言いながら近藤さんは三科にヘッドロックを決めようと手を回すが、何かに気付いてさっさと離れる。
「お前、酒クセェな。もうそれ二日酔いじゃなくてまだ酔ってるよな」
うん、気付いてた。自転車乗って時から気付いてた。
もうツッコむのも面倒くさい。
そんなことないっすよー!と三科はふらふらしなから、外に停めてあった青いトラックの助手席に乗り込む。俺もそれに習い、皆に挨拶を済ませ会社の玄関に手を掛けた瞬間、引き止められる。
「あー八幡。さっき社長がお前らに話があるって言ってたんだが、なんか急ぎで朝イチに仕事の打ち合わせがあるって行っちゃってさ。お前ら来るの遅いから。」
いやいや、今日はちゃんと出勤時間10分前にきてるでしょうが。今日は。そもそも俺が悪いのではない。三科が悪いのだ。ハチマンワルクナイ。
「てことだから、現場終わったら社長と話せよー。よし、俺らも仕事始めるかー」
近藤さんは数人引き連れ事務所を出て行く。
朝から懸案事項が出来てしまった。社長が話があるって時は大体ろくな事じゃないんだよなー。
「はあー、んじゃ行きますか」
大きなため息をつきながら、トラックに乗り込む。
すると助手席でふんぞり返る三科が万遍の笑みで言う。
「やわたー、コンビニよってー」
殴りたいこの笑顔!
×××
ここからは通勤パート。
コンビニで買ったおにぎりをもきゅもきゅしながら三科が話かけてくる。食べながら喋るなよ。
「やわた、髪切ったんだー。短くなったね〜」
「あー切った、切った。この季節は暑いからな。髪の毛邪魔だし」
素っ気なく答える俺の態度など全く気にせず、三科は喋り続ける。
「やわた、そっちの方がいいんじゃない?カックイイよー」
はいはい、ありがとう。別に髪型なんかどうでもいい。
この世には髪型をファッションの一つとしている人もいるが、俺はその限りではない。髪型を変えても目つきは変わらないし。
しかし、三科は違うようで髪型もキッチリしている。
今は寝起きでボサボサだが、ちゃんと整髪料などでセットすれば、それなり見栄える。顔もそんなに悪くない。
作業着ではなく私服を着ていれば、見る人が見ればイケメンなのだろう。こいつ結構オシャレさんだし。
ふと、信号機に目をやるともうすぐ赤に変わりそうだ。
ブレーキを踏み、前の車と絶妙な距離で停車する。
ふう、完璧。車を運転する時に大事な事は早く走ることではない。上手く曲がることでもない。
そう、如何に同乗者に負荷掛けずに止まることだ。止まったことにすら気付かせない程ゆっくり静かに停車する。それこそが運転する上で俺がもっとも重要視することだ。
なぜこんなことを重要視しているのか、それには深い訳がある。
俺がこの職業に就いたときはまだ車の免許を持っていなかった。当然、会社の上司やら先輩に運転してもらってた訳だが、今隣に座ってる奴もそう、運転が荒い荒い。
アクセルとブレーキを踏んでない時間がないのだ。
これは車を運転しなければわからないことだが、運転するにあたってアクセルとブレーキを踏んでいない間が存在する。
例えば、信号が赤に変わりそうだからアクセルから足を離そう。でも完全に止まるまではまだ距離がある。ブレーキを踏むにはまだ早い。はい、この間。
アクセルから足を離し、ブレーキをかけなくても自然とスピードは緩む。アクセルもブレーキも踏んでない状態。
これが奴らにはないのだ。発進する時はアクセル全開で急発進。止まる時はほとんど急ブレーキで急停車。
まじ酔っぱらう。先輩に無理やり飲まさせれた二日酔いの朝にこれをやられて現場で一回嘔吐したことがある。(実話)
それそろ信号が青に変わりそうだ。俺のどうでもいい運転談義は置いといとて、車の運転に集中しよう。
なんとなく視線を感じて、三科を見ると俺を凝視してる。しかもほんのり頬が赤い。え、なに。気持ち悪い。
”なんだよ”と声をかけると三科は首を傾げて口を開く。
「いや、俺まだ酔ってるから見違いかもしれないけどさ。なんで髪短いのに一本だけ長くて変な方向むいてんの?」
ああ、まだ酔ってるから顔が赤いのね。びっくりした。
てか、この至近距離で見間違うってどんな目だよ。目悪いならメガネかけろ。
「いや、なんかわからんけど、こうなるんだよ。アホ毛ってヤツ」
確かに俺の髪は短い。
端的に説明すると、正面から見て全体的に前髪も含めて右に流れるように逆立ってる。(別にセットしてる訳じゃなく暑くて髪を掻き上げる癖がついていてそれで逆立ってる。)その中で一本だけ長くて変な方向に向かって逆立ってる。なんか説明しずらいな。
いや、本当なんでかわからんがこうなるんだよ。頭洗っても気がついたらぴょんて跳ねてる。
まぁ仕方ない昔からある俺のトレードマークだしね。すっとぼけ。
「ふーん。アホ毛なんて現実に存在するんだな。やわたの髪の毛、変な髪だなー」
いやいきなり現実とか言われてもね。ほら原作に忠実に再現しないとね。実写化するといろいろ叩かれるし。
やわた、青だよ!と三科に言われて見てると既に信号は青だ。進撃しなければ。間違えた。発進しなければ。
×××
さて、そろそろ説明しなければなるまい。
別にさっきから変換ミスしてる訳ではない。はっきりと三科は八幡(やわた)と言っている。
なぜ、やわたなのか。説明しよう!
八幡には八幡(やわた)と言う読み方がある。
スマホで打ってみればすぐ出る。では、なぜ八幡(やわた)と呼ばれているのか。
答えは簡単。これは八幡製鉄所(やわたせいてつじょ)から来ている。
毎朝行われる元請けの朝礼で、災害速報というものが流れてくる。簡単に言うと、直近であった製鉄所内外、関連会社などの災害報告書である。
またまたその報告書に書かれてた情報が当時の俺に似ていたため、八幡製鉄所で起こった災害ため、まだ出会って数週間だった三科によって命名された。
名字にアダ名をつけられることは多々あったが(主に雪ノ下に)名前に付けられたのは初めてだった。
つか、このアダ名とも7年の付き合いなのか。まぁヒキガエル君や引き立てや君よりはマシだろう。
最初の頃は反発したり、呼ばれても無視したりしてたが、途中でどうでもよくなった。ツッコむのがめんどうになっただけ。
少し、昔のこと思い出していると気づけばもうすぐ某巨大製鉄所に到着だ。すると三科が急にそわそわし始めた。
「なんだよ。急にどーした?」
誤魔化すように笑顔で三科が答える。
「八幡、ごめん!入門証忘れた!」
くそ、こういうときはちゃんと八幡って呼ぶんだな。
やっぱり殴りたいこの笑顔!