事務所の玄関が開け放たれ、その来客は俺の姿を見るなり、開口一番に”やっはろー!”と挨拶してくる。なに、毎度のことだけど、返したほうがいいの、これ?
「って、ヒッキーその顔どーしたの!?」
「いや、まぁいろいろあってな。それより急にどうしたんだ?」
突然、現れた由比ヶ浜は俺の返答が気に入らなかったのか、少し怪訝そうな顔をするがすぐに引っ込めて元気よく話し始める。
「この間あったときに探偵始めたって言ってたじゃん?だから依頼人を連れてきましたー!」
わー、パチパチー、と自分で言って拍手する。そのテンションは一体なんなんですかね。
由比ヶ浜のテンションについていけず、げんなりしながら言う。
「来る前に連絡ぐらいくれよ」
「え?メール入れたじゃん」
そう言われて携帯を確認すると、確かにメールが入っていた。全然気づかなかったわーとか誤魔化そうとしていると後ろから視線を感じる。やばい、ついこの間、携帯電池切れの件で杏里さんに叱られたばかりだというのに。ちなみにあの後、仕事専用の携帯電話を買い渡された。更に言うと電話帳には杏里さんしか登録されていない。これから増える予定はあるのでしょうか。
そんな不安を抱きつつ、由比ヶ浜に依頼人とやらについて聞く。
「依頼人ってことは、他に誰かいるのか?」
「うん!入ってきて!」
由比ヶ浜にそう促されて、その人物は控えめに顔をのぞかせる。
「はろはろ〜。ヒキタニくんおっひさー」
その人物とは、戸部の彼女であり、巷で腐っていると有名な海老名姫菜だった。というか、昔もこんな感じで由比ヶ浜が依頼人を連れてきたことあったな。まだ出会って間もない頃だったか。あの時は戸塚を連れてきたんだっけか。あー、戸塚に会いたい。
叶わぬ想いに耽っていると、杏里さんが口を開く。
「2人とも君の知り合いか?」
「ええ、まぁ高校時代の友人です」
「これまた美しい女性を。はぁー、君は全く」
杏里さんは悩ましげにこめかみに手を当てる。いや、1人は彼氏持ちだから!
「まぁいい。さっ、立ち話もなんだ、そこにかけてくれたまえ」
そう言われて2人ともソファに腰掛ける。由比ヶ浜は”ひゃー、すごい美人さん”とか小声でブツブツ言っていた。聞こえてますよ?
「ようこそ、市原探偵事務へ。私は市原杏里。よろしく」
簡単に自己紹介する。それに続いて2人も自己紹介をする。
「えーと、私は由比ヶ浜結衣です。で、こっちが」
「海老名姫菜です」
2人ともペコリと頭をさげる。
「さっそくだが、依頼の内容を聞かせてもらえるかな?」
杏里さんに尋ねられる。すると、2人とも少しばかり下を向く。由比ヶ浜は困ったように笑い、海老名さんはどこか浮かない顔だ。なにやら雲行きが怪しいな。
「えーとですね。その、、、」
言いづらそうにしている由比ヶ浜を制して海老名さんが口を開く。
「結衣、大丈夫。自分で言えるよ」
「姫菜」
2人は顔を見合わせてから頷き合ってこちらを向きなおる。そんなに言いづらいの?なんか聞きたくないわ〜。
「そのですね、私には高校時代から知ってる同い年の彼氏がいまして」
「それで?」
「その、最近、様子がおかしいというか」
はい、来ました!1番嫌なヤツだよこれ。戸部の野郎、何やってんだ。
「それは具体的にはどういう風に?」
そう聞かれて海老名さんは俯きがちに答える。
「その、なんかソワソワしてるというか。一緒にいてもなんか上の空な感じで、私に隠れて電話したりとか」
もうそれ確定じゃね?てか、海老名さん、いつもとキャラがだいぶ違う気がするんだが、気のせいかな?
「ふむ、では、今回の依頼はその彼氏の不審な行動について調べて欲しいと、そういうことかな?」
海老名さんは黙って頷く。杏里さんは言葉を選んだが、簡単に言えば、浮気調査ってことだな。
「では、もう少し話を聞かせてもらってもいいかな?その彼氏の不審な行動は大体いつ頃から?」
「はい、えーと、1か月くらい前です」
「ほう、それについてなにか心当たりはあるのかな?」
海老名さんは少し考えるような素振りを取りながら答える。
「私たち、付き合ってもうすぐ6年になります。だからその、飽きられちゃったのかなーと」
由比ヶ浜も悲しそうな表情を浮かべ聞いている。
「マンネリ化っていうんですかねー。こういうの」
海老名さんはハハッとらしくない笑いを浮かべいる。俺の知っている海老名さんとは随分とイメージが違う。昔、三浦に聞いたことがあったが、海老名さんはそういう色恋沙汰で悩むような感じではなかった。彼女も戸部と付き合ったことで変わったようだ。
最近、女性が男に貶められる事件に関わってきたせいか、俺もこの件を見過ごすわけにはいかなかった。俺も変わったな。昔の俺なら絶対受けなかった依頼だ。
そんなことを考えていると、ふと杏里さんから視線を送られていることに気づく。またか。どうせ、この依頼をどうするかの判断を俺に委ねるつもりだろう。だが、もうすでに俺は決めている。
「わかった。受けるよ。この依頼」
「本当に?ありがとう」
海老名さんはどこか無理をしているような笑顔でそう言った。
しかし、人生とはわからないものだ。昔、戸部と海老名さんが恋仲になるのを阻止した俺が、彼女たちの関係に終止符を打つようなことになるとは。これも因果応報というやつか。
「では、少し確認なんだが」
「なんですか?」
杏里さんの問いに由比ヶ浜が首を傾げる。
「これはあくまで仮定の話だが、もし、彼氏とやらが”黒”だった場合はどうするのかね?」
黒。つまり戸部が誰か他の女性との関係が発覚した場合はどういう措置をとるのか。尋ねられて海老名さんはさっきの笑顔のまま答える。
「別に制裁をくわえたいとかそーゆうことじゃないんです。ただ、どうしてそうなったのか理由が知りたい」
「そうか、わかった」
杏里さんは目を瞑ってゆっくりと頷く。こうして俺は初の浮気調査の依頼を受けることになった。はぁー、知り合いの浮気調査とか1番嫌なヤツじゃん。こんなん絶対後味悪いって。
×××
まぁ依頼を受けたわけだが、浮気調査って何すればいいのかしら。
悩む俺を見て杏里さんが尋ねてくる。
「助手くん。話の脈絡から察するにその彼氏とは知り合いなのか?」
「ええ、まぁ一応」
「そうか、なら話は早い。どういう人物なんだ?」
どうって言われても。こっちに戻ってきてから戸部にあったのは2、3回ほど。高校時代だってそんなに特別に仲が良かったわけじゃない。てか、男で特別に仲が良かったヤツいない。戸塚は違うよ?戸塚は天使だから。
「えーと、騒がしい?違うな。賑やか、ノリがいい。ああ、あと警察官だったな」
そういえば俺が捕まった時、詳しいことは知らないが戸部は俺の無実を証明するために頑張ってくれたんだっけ。なのに俺は今からそれを恩をあだで返すようなことをしなければならない。なんだか複雑だ。許せ、戸部。お前が悪いんだ。俺は悪くない。
心の中で自分を制定していると、由比ヶ浜が何かに気づく。
「あ!警察といえば、隼人くんに聞けば何か知ってるかも!」
「あー、そーだね」
由比ヶ浜の提案を聞いて、相槌を打つ海老名さん。いや、確かに戸部と葉山は仲がいいけども。あの正義マン、葉山隼人が浮気なんぞ許すわけがない。知っていたとしたら、一目散に止めるだろう。
「じゃあ早速聞いてみよー!電話するね」
「待て、由比ヶ浜」
「なに?」
「俺が電話する」
由比ヶ浜はふえ?と頭の上にはてなマークを浮かべている。可愛いからやめろ。
俺はその理由を説明する。
「例え、葉山が何か知っていたとしてもいきなり女友達からそんなこと聞かれたら不審に思うだろ。最悪、それが戸部に伝わって調査に支障が出る」
「えー、そーかな?」
「それにお前はダメだ。信用できん」
由比ヶ浜はなんでよー!とプンスカと腹を立てる。いや、そのあなた、アホの子じゃん?なんか余計なこと言いそうだもん。
その様子を見ていた杏里さんが口を開く。
「まぁ確かに助手くんの言っていることも一理ある。ここは助手くんに任せよう」
俺の提案を後押ししてくれる杏里さん。由比ヶ浜はまだ少しプンスカしているが、気にしない。海老名さんも同意してくれているようだ。
「じゅるり、久々のはや×はち、、、」
き、聞こえてるからね?顔は浮かない表情をしているが、己の内側から溢れる腐を隠しきれないようだ。ほら、ヨダレ出てるから。誰かー!三浦さん呼んでー!
「じゃあ、さっさと電話するし!」
海老名さんが腐っていることにも気づかず、俺をビシッと指差して由比ヶ浜は言った。そして、俺は携帯を取り出す。
「あっ、そーいえば」
「なに?」
「葉山の電話番号教えてくれ」
「えー」
由比ヶ浜は半目で俺を睨む。へへん、お前に睨まれても怖くないもん!普段から目力のある連中に睨まれてるから全然平気。てか、可愛いくらいだぜ。
「番号知らないで電話するとか言ってたのかし」
「しょーがねえだろ、知らねえんだから」
由比ヶ浜はブツブツ言いながら、番号を教えてくれる。というか、自分から言い出してなんだけど、勝手に教えて良いもんなの?リア充だからいいのか、そういうことにしよう。
「はい」
「サンキュー」
葉山の番号を入力し、電話をかける。すると、3コールほどで応答される。
『もしもし』
「もしもし、葉山か?いきなり電話して悪い。比企谷なんだけど」
何にも考えずに電話したもんだから、思わずどもりそうになったぜ。男相手になに緊張してんだ気持ち悪い。海老名さんの方を見ると、目を輝かせ、頬を染めてハアハア言っている。さっきの思いつめたような表情はどこいったんだ。おい、擬態しろ。擬態。
やはりこの人は海老名さんだと、再確認しながら葉山の返答を待つ。
『こいつは驚いた。君が俺に電話してくるとはね。どうだいその後は?』
「ああ、特に問題ない」
『雪乃ちゃんから君が探偵業を始めたと聞いたが、それは本当かい?」
雪ノ下め、いらんことを教えやがって。まぁいずれわかることだが。
葉山は俺の返答を聞いて、ハハッと笑う。電話越しでもわかる。どうせまたあのイケメンスマイルを浮かべているのだろう。なんか腹立ってきたわ。
『電話してきたってことは何か用があるんだろう?』
煮えくり返りそうな腸を抑えつつ、冷静に葉山に問う。
「ちょっと戸部のことで聞きたいことがあるんだが」
「え、戸部のことかい?ちょっと待ってくれ」
慌てたようにそう言った後、受話器の向こうから何かガタガタと音がする。どうやら席を立ったようだ。それから誰かと喋る声が聞こえた後に応答が返ってくる。
『すまない。で、戸部がどうしたって?』
「いや、最近戸部と会ったりしてるのか?」
『いや、最近はちょっと忙しくてね。あまり連絡も取ってない』
葉山は簡潔に言った。
よし、ここまで聞ければもういいだろう。
「そうか。いきなり電話して悪かったな。それじゃ」
俺は適当に話を切り上げ、電話を切る。
「え、なんで切っちゃうの?」
由比ヶ浜は驚いた顔をして俺に言う。これにはちゃんとした理由があるんだよ。
「聞きたいことは聞けたし、それにいきなり電話してきて戸部のことを聞かれたら不審に思うだろ?だから余計なことを聞かれる前に切ったんだよ」
「まぁ最善の判断だな」
俺の説明を聞いて、杏里さんはふむふむと頷く。
「それで聞きたいことは聞けたって何を聞いたの?」
由比ヶ浜に問われて、俺は海老名さんに質問する。
「それについてだが、海老名さん。最近、戸部から葉山の話はなんか聞いてるか?」
海老名さんはうーん、と少し考えてから答える。
「3、4日前に一緒に飲みに行くって言ってたかなー」
OK。必要な情報は揃った。だがしかし、まだ疑問は残るがまぁいい。
少し頭の中を整理してから俺は説明を始める。
「さっき電話した時、葉山に戸部のことを聞いたらすぐに葉山は席を立ったようだった。たぶん戸部と一緒いたんだろう」
「え、なんでわかるの?」
「戸部のことを聞いた時、ほんの少しだが、動揺の色が感じられた。葉山は俺が探偵をやっているのを知っていたし、あいつのことだ。なんとなく勘付いたんだろう」
由比ヶ浜はほえーと聞いている。
しかし、突然の質問にも全く取り乱さずに対応した葉山。さすが警視庁で働いているだけのことはある。だが、今はその有能さに腹が立つ。
「まぁその後だが、葉山は最近、戸部に会っていないと言っていた。だが、海老名さんには戸部は葉山と飲みに行った言っていたんだろう?」
海老名さんは先ほどの腐オーラを完全に引っ込めて不安そうな顔で頷く。
「もし、さっき本当に葉山が戸部と一緒いたなら、誤魔化すような対応から察するに戸部の不審な行動について何か知っているのかもな」
「なら、聞けばよかったじゃん」
由比ヶ浜は不思議そうな顔で問いてかる。
「アホか。教えてくれるわけないだろ。それにもし知っていたとしてあの葉山がそういうことを見過ごすと思うか?あいつのことをそんなに深くは知らないが、俺はそうは思えない」
由比ヶ浜は”それもそうか”と頷いている。
「戸部の行動を黒と判断するのはまだ早いかもしれない。何か別の理由があるのかもな」
俺の結論を聞いて、2人はうーんと難しい顔をする。
そこで杏里が口を開く。
「そう難しく考える必要はないよ。助手くんの言う通り、何かやむおえない理由があるのかもしれん」
海老名さんは顔を上げて、少し不安を残しつつも笑顔で”はい”と答えた。
少しでも早く海老名さんの心のつっかえを取り除いてやりたいところだが、まだ情報が少なすぎる。もっと調査が必要だな。
「では、これより本格的に調査に入ることにする。いいかな?」
2人は静かに頷いた。
さて、何からやるか。聞き込みするにも戸部の交友関係についてはあまり知識がない。由比ヶ浜に聞けば、大和と大岡の連絡先を聞けるかもしれないが、もう葉山が手を回している可能性がある。よってあまりいい手段ではないな。そうなるとやはり張り込みか?尾行するか?そう思い立って海老名さんに戸部の予定を聞く。
「海老名さん。戸部の休みとかわかるか?」
「えーとね、明後日が非番って言ってたかな?でも用事があって出かけるって」
非番ね。休みであって休みでない。事件があればすぐに呼び出される。はぁー、まじブラック。
俺の問いに疑問を持った由比ヶ浜は尋ねてくる。
「休みなんか聞いてどーするの?」
「尾行すんだよ。戸部が休日に何やってるか調べる」
「へえー、なんか探偵ぽいね!」
全く、アホ丸出しですよ。由比ヶ浜さん?てか、非番の意味わかったんだな。これを言うと怒られそうなので心の中に留めておく。
それから戸部の住所と海老名さんの連絡先を聞く。すると、由比ヶ浜が声を上げて驚く。
「ヒ、ヒッキーが女の人に連絡先を普通に聞いてる、、、」
おいおい、俺のことなんだと思ってるの?いや、確かにこんなことしたことないけど。ほら、仕事だからね。仕事。大事なことなので2回言いました。
そんな俺たちの会話を聞いて、杏里さんが興味を示してくる。
「そんなに珍しいことなのか?」
「はい!昔のヒッキーからしたら全然考えられません!」
「ほう、それほどのことか。ちなみに助手くんはどんな高校生活を送っていたんだ?」
「えーとですね」
ちょっと何勝手に思い出話始めちゃってるの?俺の黒歴史を暴露するのはやめていただきたい。
「いつも1人でいるんですけど、困ったことは必ず助けてくれて、でもその方法があまりにも斜め下すぎて、、、」
由比ヶ浜はとても楽しそうに、且つ懐かしむような顔で言う。杏里さんもその話に興味津々のようだった。由比ヶ浜が話し始めようとすると、海老名さんが申し訳なさそうに発言する。
「ごめん結衣。話の腰を折るようで悪いんだけど、私、そろそろ行かなくちゃ」
「あ!そういえばこの後、用事があるって言ってたね。ごめん」
そう言って2人とも立ち上がる。
「では、依頼の件。何か進展があれば助手くんから連絡させる」
「はい、よろしくお願いします」
海老名さんは杏里さんにペコリと頭を下げる。それにつられて由比ヶ浜も。
2人は頭を上げると玄関に向かって歩き出す。俺もそれに習って玄関の外まで見送る。
「じゃあよろしくね、ヒキタニくん」
「おう、任せろ」
「バイバイ、ヒッキー」
2人はエレベーターの前まで行き、ボタンを押して、到着を待つ。すると、由比ヶ浜だけトテトテと引き返してくる。まだなんかあるのか?
俺の前まで来ると、不意に顔を寄せてくる。え、なに?
思わず、顔を後ろに引いてしまう。すると、由比ヶ浜はムッとした顔を作り、自分の耳を指差す。ああ、耳貸せってことね。あー、びっくりした。キスされるのかと思った。んな訳ねぇか。
俺は由比ヶ浜の顔の方に耳を向け近く。そうすると、彼女はコショコショと耳打ちしてくる。あー、くすぐったい。
「今回の件、私、全面的に協力するこらなんかあったら言ってね!」
「お、おう」
俺は恥ずかしさからか生返事を返してしまう。由比ヶ浜はすぐに離れて”それじゃあ”と言って丁度、到着したエレベーターに乗り込み去っていった。
なんだったの今の。
俺は事務所の中に戻り、自分の定位置に戻る。さて、尾行の予定でも立てますか。でも尾行するのに予定も何もないか。
そんなことを考えていると杏里さんが話しかけてくる。
「ちょっといいかな?」
「なんですか?」
「彼女たちが来る前に話していたことについてなんだが」
またその話か。また美しい女性がどうとか聞いてくるのか?もうやめません、そういうの?
俺がなんとも言えない表情を作っていると杏里さんは静かに話し出した。
「君は自分に関係する女性が不幸になっていくと言ったな」
「ええ、言いましたけど」
「確かにそういうものがあるのかも知れんな。あの海老名と言う女性も今回の件でそういったことに巻き込まれていくの可能性もある」
確かにそうだ。彼女は浮気調査を依頼してきた。依頼からしてもともと幸福なものでない。だが、俺が関わることで最悪の結末を迎える可能性だってあるわけだ。自分で女性を不幸にするとか言っといてさっそく有言実行とは、さすが俺。とか自虐的なことを考えていると杏里さんが言う。
「助手くんよ、逆に考えろ。この依頼の結末を君の手で幸福なものに変えるんだ」
「いや、そう言われても」
この依頼は8割形黒だ。白である可能性は限りなく低い。俺にできることがあるとすれば、戸部と海老名さんをできるだけ円満な形で別れされること。
「結論を出すにはまだ早い。まだそうと決まったわけじゃない」
まぁ確かにおかしな点はある。引っかかる点があるとすれば葉山だ。しかし、今、奴を変に突いても怪しまれるだけ。他に何ができる。
俺が頭を悩ませていると杏里さんは少し微笑みながら言う。
「助手くんよ。そのジンクスとやらを打ち破るのが今なんじゃないか?」
そう言われて少し驚く。なおも杏里さんは続ける。
「そのジンクスを打ち破り、彼女を今は見舞われている不幸から救ってやれ。そうすれば君も一皮むけるだろう」
「そんなこと、俺にできますかね?」
ついつい弱音が手でしまう。杏里さんはそんな俺を一喝するような口調で言った。
「全く、君というやつは。仕方ない。では、命令だ。彼女を幸福に導いてやれ。手段は問わない」
命令って。それに手段は問わないってどういうことだよ。
「先ほど由比ヶ浜くんが言っていた”斜め下の解決法”とらが気になってね。君がこれまでどういう手段を取ってきたかは知らないがそれをこの目で見たい」
そういうことね。ハチマンナットク。しかし、これまで俺が取ってきた手段は決して褒められたものではない。今回だって今思いついている限りでも実行するか迷うものだ。
「大丈夫だ。自分を信じろ。先ほどの君の推論もなかなかのものだったし、もっと自分の力を信じろ」
おお、なんか褒められた。ちょっと嬉しい。そういえば昔も誰かに言われたなそんなこと。自分の力ね。自分の力量がどれほどのものなのかまだ把握しきれていない。仕方ない。自分の力量を試すためにも、そしてジンクスを打ち破るためにもいっちょやりますか。
杏里さんは俺の表情を見て、何かに気づく。
「君は褒めると伸びるタイプか?」
「いや、自分じゃわかりませんよ」
いきなり何言ってんだ、この人。確かに、今、褒められたことでちょっとやる気出したけども。なんとなく恥ずかしくなって自分の頭をガジガジと掻く。
「一見複雑そうで、案外単純なんだな君は」
杏里さんは朗らかに笑いながら言った。うるせ、ほっとけ。
そんな話をしているとまた呼び鈴が鳴る。またかよ。今日はよく来るなとか思いながら玄関を見ると、その扉はゆっくり開かれた。
×××
「よう、杏ちゃん。邪魔するよ」
扉の向こうから現れたハンチング帽がよく似合う少し歳を召した男性。スーツを着用していて、如何にも頑固そうな感じだ。杏里さんを”杏ちゃん”と呼んだということは知り合いなのだろう。しかし、杏ちゃんて。
「稲毛さん。いい加減その呼び方やめてもらえませんか?」
杏里さんはため息をつきながら言う。稲毛さんと呼ばれた男性はニヒルな感じに笑っている。
「まぁいいじゃねえか。もう杏ちゃんなんて呼ぶのは俺くらいしかいねぇだろ?」
そう言いながら来客用のソファに”どっこいしょ”と腰掛ける。
「オメェさんが例の助手だろ?」
「は、はい」
突然、こちらに振るので少しどもってしまった。その若干、威嚇するような目で見るのをやめていただけないでしょうか?怖いんですけど。
「まぁここで働くのもなんかの縁かもな。どうだ、その後は?」
その後とは、どのことだろう。まぁ思い浮かばなくもないが、なぜそのことを知っている?
俺が頭の上にはてなマークを浮かべていると杏里さんが口を開く。
「紹介するよ。この人は稲毛さん。〇〇署の刑事だ」
〇〇署?それは俺が捕まっていた警察署だ。刑事ということは俺が巻き込まれた事件を知っていてもおかしくはない。
「おっと、自己紹介がまだだったな。稲毛だ。よろしく頼むよ」
ハンチング帽を取って軽く頭を下げる。俺も頭を下げて自己紹介をする。
「稲毛さんはね。君の釈放に一役買ってくれていたんだ」
「そういうのはやめねぇか。別に恩を売るつもりはねえよ。それに俺は大したことはやってねえ。うちの若い衆と警視庁のエリートが頑張ったおかげだ」
警視庁のエリートとは、葉山のことだろうか。それに若い衆とは戸部のことか?確か、戸部も〇〇署の刑事課で働いていたはず。
「そうそう、戸部と葉山。戸部は俺の下で働いてんだ。下って言っても俺があいつの教育係を任されてるだけだがな」
「そうなんですか」
まさかの戸部の上司登場。これは思わぬ情報源かもしれない。
俺が口を開く前に稲毛さんは言う。
「ところで杏ちゃん。依頼はどれくらい入ってるんだ?さっきエレベーターが4階から降りてきて、中からえらいべっぴんさんが2人出てきてすれ違ったんだが、あの子らは依頼人かい?」
杏里さんは頷いて答える。
「ええ、あの2人からは先ほど依頼を受けたばかりです。他の依頼は市場から何件か入っていますね」
「そうかい。なら、忙しそうだから依頼は今度でいいや」
「いえ、それほどは。助手くんもいるので」
杏里さんはそう言ったが稲毛さんは首を振ってから立ち上がる。
「いいや、大した依頼じゃねえんだ。それにたまたま近くを通ったから立ち寄っただけだし。また今度お願いするよ」
「そうですか。わかりました」
立ち去ろうとする稲毛さんを俺は引き止める。
「すいません、ちょっといいですか?」
「なんだい?」
稲毛さんは振り返って俺を見る。せっかくの情報源をみすみす逃すわけにはいかない。俺は少し間を置いて尋ねる。
「戸部の上司なんですよね?」
「上司ってほどでもねぇけど。それがどうした?」
「実はあいつのことで依頼を受けてまして、最近、何か変わったことはなかったですか?」
稲毛さんは目を丸くして驚いた表情をしたあと、少し笑って答える。
「こいつは驚いた。若いのに仕事熱心だね」
「いや、そういうわけじゃ」
「まぁいい。戸部の変わったことね。うーん」
少しばかり思い悩んでから思いついたように話しだす。
「そういや最近、うちの刑事課の女刑事とやたら仲がいいな」
「まじすか」
それを聞いて思わず素が出てしまう。
「まぁ仲がいいって言ってもその女刑事は結婚してるからそういうのはねぇと思うけどよ」
結婚!?まさかの浮気の果ての不倫ですか。こいつは参りましたね。
「そんくれえかな。最近変わったことは」
「そうですか。ありがとうございます。それからこれを聞いたのは戸部には内緒でお願いしたいんですが」
「心配すんな。俺は口は硬えほうだからよ」
そう言って稲毛さんは手をひらひらと振って事務所を去っていった。
なんというか掴みどころがないというかとっつきにくい人だったな。
「あの人はね、叔父の代からの付き合いでね。叔父とは盟友だった」
杏里さんはどこか懐かしむような表情を浮かべている。
「稲毛さんはなかなかのやり手でね。これまでも幾つもの難事件を解決している名刑事なんだよ」
ほう、そいつはすごい。どこか、あの某大捜査線に出てきた老刑事と雰囲気が似ていたな。それに警視庁の葉山と刑事の戸部。役者は揃った。マジで踊る千葉大捜査線が始まりそう。
しかし、また面倒な依頼を受けてしまったな。これからどーすんだよ。ため息しか出ねぇ。