やはり俺の人生はまちがっている。   作:にが次郎

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狂気は片鱗を見せ始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

事務所に辿り着いた俺は冷え切った体を温めるためにシャワーを浴びた。

 

 

 

その間に事務所には誰も帰って来ることはなかった。

 

 

 

何も気にすることなく、自室に入る。

俺の体はとうとう限界を迎え、ベッドに倒れ込む。そのまま一瞬で眠りに落ちた。

 

 

しかし、すぐに目が覚めた。

まだ外は明るい。感覚的には半刻しか経っていない。疲れているというのに全然眠れなかったな。ベットから半身だけ起こす。ほんの少ししか睡眠を取っていないというのに体が妙に軽い。

ちょっとしか寝てないのにこの回復力。若いってすごい。

 

 

そんな自分に感心しながら、時計を見る。あれ?俺が寝に入った時刻よりも時計の時間が遡っている。とうとう俺はタイムリープ能力を手に入れたのか。未来で待ってる。俺は千秋じゃねえ。てか、時間が遡ってんのに未来で待ってるって意味わかんねえよ。寝ぼけてるからかな?ってそうじゃない。

 

 

時刻が遡っている理由。答えは単純。

 

 

俺は丸一日眠っていたのだ。

日付が変わっている。

 

 

 

俺は立ち上がってグッと背伸びをする。ああ、腹が減ったな。

 

 

俺は寝間着のまま、自室を出る。

 

 

 

廊下を通って事務所に入ると、そこには雪ノ下の姿があった。

 

 

 

「ひ、比企谷くん!?」

 

「お、いたのか」

 

 

雪ノ下は目を丸くしている。

何そんなにびっくりしてんだよ。

俺が寝間着のままだから?どうでもいいや。

 

 

俺は立ち尽くしている雪ノ下の隣を通って、台所にある冷蔵庫を目指す。

そのとき、彼女は何か言いたげな顔をした。腹減ったから後にしてくれ。

 

 

台所までやってきて適当に食料を見繕って雪ノ下のいるところまで戻る。

ソファに腰掛け、調達した食料を口にしながら雪ノ下に尋ねる。

 

 

「なんでお前いんの?」

 

「え、、?ああ、市原さんに用事があって、、、」

 

 

なんとも歯切れの悪い返答だ。

しかし、その用事があるはずの杏里さんの姿が見えない。

 

 

「杏里さんは?」

 

「急用ができたとかで今さっき出て行ったわ」

 

 

俺ははーんと適当に返事をして、食事を続ける。

というか、用事が済んだなら帰ればいいのにな。

何気なく立ち尽くす雪ノ下に目をやると、彼女は珍しく私服姿だ。いつもはスーツを着用している。今日も仕事で来たわけではないのか?

 

 

「雪ノ下。仕事か?」

 

「え、ああ、その、、、」

 

「なんだよ」

 

「、、、」

 

 

何を答えかねているのだ。俺が怪訝な視線を送っていると、雪ノ下は観念したように答えた。

 

 

「その、解雇されたわ」

 

「は?」

 

 

俺の間抜けな返答を聞いて、少しばかり顔を赤くする。

 

 

「その、昨日、勤めていた弁護士事務所を解雇されたの、、、」

 

「まじか」

 

 

その後、雪ノ下は恥ずかしそうに口籠ってしまった。

俺はなぜ解雇されたのかを問う。

 

 

「それは、、、」

 

「言えないのか?」

 

「その、私が姉さんのことを調べていることが上司に知られてしまって」

 

 

雪ノ下の上司までも陽乃と繋がっていたのか?そうではなく、面倒ごとに巻き込まれたくなくて解雇したのか?

どっちにしてもついてないな。というか本当ぶっ飛んでる。なんでもありだな。

 

 

「それだけが理由ではないのだけれど、その、もともと上司とはうまく折り合いがつかなくて。あなたの事件を弁護しようとしたことをきっかけに何かとぶつかることが多くなってしまって」

 

 

ん?なにそれ?

俺のせいだって言いたいの?

 

 

「職場で起きたトラブルの責任を全て押し付けられてしまってね」

 

 

なるほど。前に雪ノ下の家に行った時、そういったものを感じさせることを言っていたか。人間関係って難しい。

 

 

「あらら、そりゃ大変だったな」

 

 

俺は他人事のように言った。まぁ実際他人だしな。俺の言葉を聞いて雪ノ下は肩を落とす。

 

 

「住んでいた部屋も追い出されてしまって、、、」

 

「ああ、そういやお前の住んでる部屋。上司に口聞いてもらったんだっけか。また随分と酷いことされたな。それ不当解雇で訴えれば勝てるじゃないの?」

 

 

雪ノ下は肩を落としたまま、首を横に振る。彼女の働いていた弁護士事務所がどれぐらいの規模なのかは知らないが、雪ノ下よりも経験のある弁護士たちを相手に彼女1人で訴訟を起こしても勝てる見込みがない。それに陽乃の事を調べていて解雇されたなら、どこかで繋がっている可能性がある。そうなれば尚更、見込みがない。

 

 

そういえば昨日、陽乃が母親と同じ道をとか言ってたな。あまりに急過ぎる解雇だ。何か裏があるのかもな。もしかしたらあの女の差し金かも。俺が昨日寝てる間にそんなことがあったとは。雪ノ下よ、どんまい。

 

 

心の中で合掌する。

 

 

働くところも住むところも失って、路頭に迷っているというわけか。なら大人しく実家にでも帰ったらいい。

そのことを告げると、雪ノ下はやや俯いて言う。

 

 

「このことはまだ母には伝えていないの」

 

 

そういうことね。あの母親だ。まぁ言いづらいわな。

ここで気になったことを雪ノ下に尋ねる。

 

 

「雪ノ下。1つ聞きたいんだが」

 

「ええ、何かしら」

 

「お前の母親ってどうなったの?」

 

 

俺の今までの話の流れとは少し外れる質問に雪ノ下は少しばかり呆気に取られていたが、すぐに答えてくれた。

 

 

「私の母は2年前に交通事故にあって足を悪くしてしまって、今は実家で療養しているわ」

 

 

なるほど。引退して隠居生活してると。その事故とやらは陽乃が企てたものだろう。あの女、本当に凄まじいな。

 

 

それを聞いて満足した俺は話を戻す。

 

 

「クビになったんなら、お前これからどうすんの?」

 

「ええ、だから困って市原さんに相談しに来たのだけれど、、、」

 

「そういうことね」

 

 

ここで1つ思いつく。

今、雪ノ下は約2ヶ月前に俺が逮捕された時と同じ状況。そんな俺にこいつは住む場所と働く場所を提供してくれた。その恩?を返す時だ。

 

 

俺は思いついたことを口にする。

 

 

「なら、お前も杏里さんに雇って貰えば?」

 

「え?」

 

「いや、だってお前らの目的は一緒だろ?なら一緒に仕事すれば効率的じゃないか?」

 

 

雪ノ下は俺の提案にそれはちょっとと言った。なに?俺と一緒に働くの嫌なの?

 

 

「住むところもないんだろ?この事務所はまだ部屋余ってるし、ついでに住まわせて貰えば一石二鳥だろ」

 

 

俺の提案に雪ノ下は眉間にしわを寄せる。

 

 

「あなた、本気で言ってるの?」

 

 

俺は至って真面目だ。なんだよ。人がせっかく案を出してやってるのに。ああ、あれか。俺と一緒に住むのが嫌なのか。まぁそれはしょうがない。

 

 

「冗談だ。忘れてくれ」

 

 

俺の言葉を聞いて、雪ノ下はこめかみの辺りに手をやる。お決まりのポーズ。しかし、すぐにそれをやめて、手を下に降ろし、着ているブラウスの裾を握りこむ。

 

 

「その、比企谷くん、、」

 

「ああ、雪ノ下。その前にちょっといいか?」

 

「え?」

 

 

雪ノ下の態度から察するに面倒なことを聞かれそうな気がしたので、遮って俺は話し出す。

 

 

「三科が手に入れたって言う機密文書。あれの中身は見れないのか?」

 

 

またも彼女は呆気に取られた表情を作る。

 

 

「いや、昨日協力するって言ったろ?だから俺にも見せてもらえないかと思ってな」

 

「え、ええ、それは構わないけれど」

 

 

雪ノ下はなんとか取り繕いながら、鞄から書類を取り出して、コピーだけれどと付け加えながら俺に手渡してきた。俺は受け取って中身を確認する。てか、こんなに大事なもの簡単に持ち歩くなよ。不用心すぎるだろ。

 

 

ホチキスで止められ、分けられた10数枚の書類には昨日聞いた真実と大して変わらない内容しか記載されていなかった。

おいおい、冗談だろ。この程度の情報で陽乃を潰そうとしてるのか?俺は呆れ果てる。

 

 

「これだけか?」

 

「ええ」

 

「原本は誰が持ってる?」

 

「おそらく稲毛さんね」

 

 

あの人情報をもとに手に入れたものだからな。あの人に渡るのは納得できる。だが、納得できない部分もある。この程度の情報を手に入れるために俺はあんな危険な目に遭わされたのか。少々落胆してしまう。俺が見せた落胆の色を雪ノ下は感じ取ったようで、遠回しに問いかけてきた。

 

 

「何か?」

 

「いや、なんでもない」

 

 

なんだよ。雪ノ下って俺が思っているよりも無能なのな。ちょっと残念。

 

 

もっと有能だと思っていた。

 

 

心中で呟く。

 

 

 

 

 

 

使えねえな。

「使えねえな」

 

 

 

 

雪ノ下はムッとした顔をする。しまった。声に出てた。

俺は咳払いをしてなんとか誤魔化す。

 

 

 

しばしの沈黙。

 

 

 

その後に雪ノ下は先ほど言いかけた言葉を言った。

 

 

「ひ、比企谷くん。その大丈夫なのかしら?」

 

「何が?」

 

 

大丈夫?あの作戦で負った怪我は大したことはなかったし、長く睡眠をとったおかげで疲れもだいぶ癒えた。

俺の体は万全の状態だ。強いて言うなら筋肉痛がするくらいだな。

雪ノ下は俺の顔を覗き込む。なんだっての。

 

 

「その、あなたがあまりにも普通だから、、、」

 

「普通?そりゃそうだろ。なに?いつも俺がおかしいって言いたいの?」

 

「いえ、そういうことでは、、、」

 

 

俺の皮肉めいた言い方に雪ノ下は狼狽する。俺からすればお前の方が変だ。いつもより弱々しい。覇気がないというか、らしくない。いつもなら俺の名前をもじったあだ名で罵倒してくるのがお決まりのパターンだろ。

 

 

なのに、今の雪ノ下は俯いて口を噤んでいる。

 

 

「どうした?」

 

 

俺の問いかけに彼女はまごまごしながら答えた。

 

 

「昨日、あんなことがあったから、、、」

 

「あー、そんなことか」

 

 

俺の投げやりな口調に雪ノ下は目を見開く。

なんだよ。そんなに驚くことか?別に大したことじゃないだろ。

まぁでもこれを正直に口に出すと、面倒なことになりそうだ。今はこいつ求めていそうな言葉を言っておくのが正解だな。

 

 

「まぁいろいろあって驚いたが、もう落ち着いた。だからもう心配ない。心配してくれてありがとな。雪ノ下」

 

 

言うつもりのなかった言葉が勝手に出てきてしまった。なんとなく気恥ずかしくなるが、別に変なことを言ったわけではないのだ。感謝の気持ちを正直に伝えただけ。

言われた雪ノ下はというと、なぜか恐怖におののくような顔をして一歩後ずさる。え?なに?

たぶん今の俺は多少は笑顔を浮かべていると思う。ああ、わかった。俺の笑顔が気持ち悪くて後ずさったのか。なんだよ。いつもの雪ノ下じゃねえか。しかし、その後罵倒が飛んでくることはなかった。

 

 

そんな雪ノ下の態度に耐えられなくなって俺は問う。すると、彼女はなんでわもないわと目線をそらした。なに?それちょっと傷つくわ〜。

 

 

その後、雪ノ下は憂いた顔をして、とても言いづらそうに尋ねてきた。

 

 

「比企谷くん。1つ聞いていいかしら」

 

「あん?」

 

「由比ヶ浜さんのことなのだけれど、、、」

 

 

俺は昨日あいつに酷いことをした。なんでそんなことをしたのか。それを問いたいのだろう。まぁ答えは決まってる。

 

 

「なぜ、あんなことを?」

 

「あー、まぁなんだ。由比ヶ浜を守るためだよ」

 

「え?」

 

「お前の姉貴はとんでもないこと仕出かしたろ?俺は今からあの人を潰す。そのときに由比ヶ浜を巻き込みたくない。だからあいつとの関係を絶った。それが理由だ」

 

 

俺の説明を聞いて、雪ノ下は目をぎゅっと瞑り、歯を食い縛る。ちなみに拳も握り締めている。確かに怒るのも無理はない。俺は最低なことをした。ここでどんなに罵倒されても文句は言えない。しかし、またも罵倒がとんでくることはない。それどころか彼女は少し涙ぐんで悔しそうにしている。

コロコロと表情が変わるな。こいつってそんなに表情豊かだったっけ?

 

 

そんなどうでもいいことを考えていると、雪ノ下が呟く。

 

 

「それでは、、、」

 

 

何を言いかけたのかすぐにわかった。

何も伝えず、ただ守るというお題目を立てて行動に移した。それは雪ノ下が俺にしたことと同じ。だからなんだというのだ。俺と違って由比ヶ浜はそんなことをしない。復讐したいだなんて思うはずがない。なら、知らない方がいい。知ったところでただ傷つくだけだ。

 

 

確かに俺のやったことは最低だ。雪ノ下がやったことも許されることではない。しかし、俺と彼女では、大きく異なる部分がある。俺は由比ヶ浜を完全に拒絶した。あいつのことだ。簡単には諦めない。1年前に再会した時のように食い下がってくる可能性もある。彼女がどんなに繋がりを持とうとしても、俺は再び断ち切る。

 

俺は雪ノ下のように中途半端なことはしない。生殺しにするのはあまりに可哀想だからな。

彼女は中途半端だ。悪人になることもできず、善人なりきることもできない。ずっとどっちつかずの体制を取っている。目的の為ならどんな悪の道も臆さなかった姉が潔い。

雪ノ下よ。全てを守り、悪を退治することなどできはしないのだ。お前はヒーローにはなれない。

 

 

雪ノ下はそれ以上何も言わなかった。

身を翻し、事務所を出て行く。特に引き止める理由もないのでそのまま見送った。

 

 

”私の所為だ”

 

 

出て行く瞬間に何かつぶやいたように聞こえたが気にしても仕方がない。

 

 

にしてもなんだ、あいつ。生理か?

まぁいいや。作戦考えよ。

 

 

 

×××

 

 

 

 

自室にもどって携帯を確認する。

すると、着信が2件。昨日の夜と今日の朝。どちらも一色からだ。

 

 

そういえばあいつはどうなったんだろな。無事に家に帰れたのだろうか。まぁ雪ノ下が何も言っていなかったのだ。心配はないだろう。

 

 

さて、あの女を潰す算段を立てねば。

しかし、どうしたものか。

 

 

あれだけ強く出たものの、今の俺になんの力もない。

陽乃はおそらくかなり手広く悪事を働いている。そのすべてを止めることはできない。特に政治や企業系は俺じゃお手上げだ。そういうのは得意な奴に任せよう。うん、適材適所ってあると思います。

 

 

ということで、俺にできること。

というか一色からの連絡で思いついたこと。

 

 

春先に起きた一色の事件。あの時、悪事を働いた大半の男たちは捕まった。たぶんまだ塀の向こうにいる。こいつらには物理的に復讐することは叶わない。

 

 

しかし、あの中にはうまく逃げおおせた奴がいる。

そうだ。忘れもしない。女優になることを夢見て、志半ばでこの世を去ったあの女性のことを。

 

 

あの女性を貶めた男がまだこの世にのうのうと生きているのだ。それは許し難いこと。

 

 

こいつを見つけ出し、ぶち殺す。

 

 

これが最初の復讐だ。

 

 

あの男がこの世にいる限り、また被害者を生み出してしまうかもしれない。

 

 

これは俺にしかできないこと。

 

 

あの女性の無念を晴らす。

 

 

 

 

あの男をぶち殺したところで陽乃に何か被害があるかといえばおそらくないに等しい。

 

 

でもやらなければならないのだ。

 

 

それにこれをきっかけに男が所属している組織を芋づる式に引っ張り上げて最終的には全て壊滅させる。

 

 

そこまで行ければ、多少のダメージは与えられるだろう。それに暴力団にも。

 

 

その最中に悪事の証拠を掴めれば一石二鳥だ。あー、なんていいアイデアなんだろうか。八幡、冴えてる。

 

 

 

しかし、問題が1つ。

 

 

こいつらの情報を得る糸口が皆無なこと。のっけから躓いてんじゃねえか。

 

 

だが、頼みの綱は残っている。

 

 

俺たちがあの作戦で確保したターゲットだ。名前は確か茂原とか言ったか?

 

 

雪ノ下は茂原が機密文書以外にも有益な情報を持っていると言っていた。

一色の事件の後始末に失敗したというのなら逃げた男のことも知っているはず。

 

 

まずは茂原から情報を得ることから始めよう。

 

 

茂原は稲毛さんに渡されたはず。

どうにかしてアポを取れないだろうか。

 

 

悩んだ末に思いつく。

 

 

戸部だ。

 

 

戸部は稲毛さんの下で働いている。なら、何かしらの情報を持っているはず。思い立ったが吉日。すぐさま戸部に連絡を取る。

 

 

戸部は俺については何も知らないようだった。茂原のことも同様。

 

戸部に遠回しに聞き出すのはとてつもない徒労だった。全て書き出すとかなりの文になってしまう上にとてつもなく煩わしいので割合。

 

 

それで結果はというとかなりの収穫があった。

 

 

戸部は稲毛さんが茂原を匿うのに使っているであろうアパートの住所を教えてくれた。数日前に荷物運びを手伝わされたらしい。これを聞き出すのに少々嘘をついたがしょうがない。戸部を騙したことに少々心が痛んだが、戸部がいい奴だということは確認できたので良しとしよう。全然良くない。

 

戸部が渋りながらも教えてくれた理由。

それは俺が志半ばで自殺した女性の事件をすぐに解決したからだと思う。戸部に情報をもらってから速攻だったからな。多少なりとも俺をかってくれている。信用してくれているのだ。あの時、頑張っといてよかった。

 

 

ということで早速行動に移す。

 

 

俺は手早く身支度を整える。

出る前に一度、事務所に顔を出したが誰もいなかったので戸締りをして事務所を後にした。

 

 

 

×××

 

 

 

電車を乗り継いで、戸部に教えてもらった住所がある辺りまでやってきた。

 

 

しばらく散策していると、目的のアパートに辿り着く。お世辞にも綺麗とは言えない。というかボロボロだ。

そのアパートはコーポ式でどの部屋が茂原のものなのかわからない。さて、どうするか。

 

 

あまりうろうろしても返って怪しまれるので、少し離れた自販機の前で携帯をいじるフリをして策を練る。

 

 

アパートは二階建てで、ここから確認できる限り、上下に3部屋ずつ。計6つの部屋がある。これらを一つずつ訪ねて回るのはよろしくない。当てずっぽうにそんなことをして感づかれてしまったら元も子もない。最悪、稲毛さんに通報されるまである。

 

 

俺が茂原に接触を図ったことを周りに知られるのは避けたい。もちろん戸部には上手く誤魔化してある。

 

 

しかし、あまり手をこまねいている時間も無い。なぜかって?近隣住民に不審者がいると通報されかねないからだ。毎度のことながら、自分で言ってて悲しくなる。

 

 

それにしてもどうしたものか。

いろいろと策を練るもどれも現実的では無い。頭を悩ませていると、アパートの2階の一室の扉が開いた。

 

 

中からはハンチング帽を被ったスーツ姿の男性が出てくる。間違いない。稲毛さんだ。

 

 

俺はすぐに身を隠す。

一度退散してもよかったのだが、ここに戻る途中に稲毛さんと遭遇してしまってはすべてがおじゃんだ。それだけは避けねばならない。

 

 

 

身を隠し、稲毛さんが去っていくのを確認する。まだだ。しばらくここで待機しよう。稲毛さんが帰ってからすぐに誰かが訪ねてきたとなると、茂原も怪しむだろう。まぁどうやったって怪しまれるだろうけど。

 

それにおそらくどこかからあの部屋を監視している人間がいるはずだ。どのくらい数がいるかはわからないが、警察もあの女の手に内にある。稲毛さんについている人間はそう多くないはず。夜になるまで待とう。そうなれば視界も悪くなる。俺は律儀にもスーツを着ている。暗くなれば全身真っ黒の俺の姿は確認しづらくなる。俺の用意した作戦は一瞬時間を作れればいい。

 

 

 

一旦離れて時間を潰し、アパートの前まで戻ってきた。俺はあるものを準備してきた。それは手紙。

ここで茂原と接触するのは危険だ。この手紙をあの男に届けて返事を待つ。

 

 

内容は俺が敵ではないこと。協力を得たいこと。その旨を書き記した手紙を茂原の居るであろうアパートの玄関の郵便上に入れる。

 

 

もちろん俺の実名と連絡先を記載してある。もしそのまま稲毛さんに連絡されたとしても白を切ればいい。危険なことをしていることはわかっている。しかし、今更俺の個人情報が流出したところで何も恐れるものはない。

 

 

俺はさくっと目的を達成し、すぐにその場を後にする。あとは連絡が来るのを待つだけ。

 

 

焦っても仕方がないのだ。情報を確実に手に入れるため。それに考えてある策はこれだけではない。まだ2つほどある。

 

 

これがダメでもまだ手はある。あの畜生どもを必ずぶち殺してやるのだ。そのためにはどんなことだって苦にはならない。

 

 

さて、帰って寝るか。この時間ならもう雪ノ下や杏里さんも事務所にはいまい。

 

 

とぼとぼと駅への道のりを歩く。

不意に携帯が鳴る。まさか、、、。

 

 

表示されているのは知らない番号。まさかこんなに早く反応があるとは思ってもみなかった。まぁまだ茂原と決まったわけではない。

俺は大きく深呼吸をしてから3コールほど待って電話に出る。

 

 

「もしもし」

 

「手紙を入れたのは君で間違いないかい?」

 

「はい、ご連絡して頂きありがとうございます」

 

 

俺は今までに出したことのないほどに高く、且つ真面目な声で丁寧に対応する。しかし、帰ってきた声は低く、冷静なものだった。

 

 

「なぜ君がこんなものを?」

 

 

俺は言葉を選び、出来るだけ印象が悪くならないように協力を得たいという旨を伝える。すると、呟くように茂原が言う。

 

 

「稲毛の言っていたことは本当だったのか」

 

 

稲毛さんはこの男に何を言ったのだろう。しかし、こうして連絡をくれたということは俺に有益なことであることは間違いない。ということは可能性があるということ。

 

 

俺は緊張からくる声の震えを必死に抑えて核心を突く。

 

 

「さっそくなのですが、連絡頂けたということは、、、」

 

「そういう喋り方はやめてくれないか。私は君がどういう人間か知っている」

 

 

茂原は冷たい声で言った。

俺のことを知っている。どこまで知っているのかはわからないが、俺がこういう喋り方をする人間ではないということは把握されているようだ。逆に言えば、喋り口調まで把握されているということは俺がどういう人物かは大体知っている。喋ったこともない人間にそこまで自分を知られているというのはあまり気持ちのいいものではない。いや、はっきり言って気持ち悪い。まぁそんなことはどうでもいい。俺はそうですかと前置きして言う。

 

 

「俺はあんたから情報を提供してもらいたい」

 

「情報?」

 

「ああ。俺の目的はあんたと一緒だ。要は取引がしたい。俺はあんたのやろうとしていることに協力する。その見返りに情報を得たい」

 

 

俺の提案に茂原は口を噤んでしまった。仕方ない。俺を信用できる要素は現状で何1つ提示していない。

 

 

「悪いが口頭で君に伝えられる有益な情報はそんなにない」

 

 

もう茂原に手に機密文書はない。

だが、俺が欲しいのはあの中にはなかった。

 

 

「俺が欲しいのは俺の情報ではない。あんたの処理しようとしていた事件についてだ」

 

「そんなものを手に入れてどうする?」

 

「それはあんたが条件を飲んでくれれば教える」

 

 

茂原はまた口を噤んでしまった。

なんだよ。もったいぶるな。

そんなことを思っていると、受話器の向こうからふっとハナで笑うような声がした。

 

 

「何がおかしい」

 

「いや、君は1つ勘違いをしている」

 

 

勘違い?今の会話の中でそんな要素があったか?それともお前なんかに協力するわけないだろ的な意味か?

俺は黙って茂原の言葉を待つ。

 

 

「他になんと聞いているか知らないが、私の目的は復讐ではない」

 

「どういう意味だ」

 

「今の現状で私の目的を君に伝える義理はない」

 

 

くそ、やはりダメか。なんだかしてやられた気分だ。だが、簡単に諦めるわけにはいかない。何か他に交渉する手段はないかと思考を巡らせる。

少々考え込んでいると、電話を出た時はまるで違う優しい声が聞こえてきた。

 

 

「1つ確認なのだが、いいかね?」

 

「なんだ」

 

「君は私に報復したいのではないのか?」

 

 

報復。確かに俺はこの男に嵌められたのかもしれない。しかし、それはあの女に指示されたから。ならば、責めるべき相手はこの茂原という男ではなく、雪ノ下陽乃だ。

 

 

俺はそれを否定する。

 

 

「あの女が俺にしたことは知ってると思うが、俺の目的はあくまで雪ノ下陽乃だ。あんたに報復する気はない」

 

 

茂原は小さく、そうかと呟いた。

何か腑に落ちたのか。それとも安心したのか。はたまた別の何かなのか。その後につかれた大きな溜息にはいろんな意味が含まれているように感じた。

 

 

「稲毛には本当に感謝しなければならないな。本当に、、、」

 

 

親しみを込めてあの刑事の名を呼んだ。この男と稲毛さんはどういう関係なのだ。その感謝にはどういう意味が込められている。

 

 

「そして君にもだ」

 

「そんな謂れはない」

 

「いいや、あるんだよ。私にはね。君には。君たちには救われた」

 

 

救われた。おそらく命をという意味だろう。そんな大それたことはしていない。あの時の”俺”は何も知らなかった。今でもそんなことをしたつもりはない。

 

 

「まぁ君がどう思っているかはわからないが、私は君に恩がある。それに君には申し訳ないことをした」

 

「だからそれは」

 

「いいや、止められなかった責任がある」

 

 

何を言っている。俺に敵意がないことを知るや否や突然饒舌になった。何を考えている。

 

 

「いいだろう。君に直接会って話がしたくなった」

 

「協力してくれるのか?」

 

「いや、それは君の話を聞いてから決めるよ」

 

 

何がこの男をそうさせたのかはわからないが、まだ交渉の余地はある。向こうから直接会いたいと言ってきたのだ。あんなアパートに押し込められている今の茂原に俺をどうこうする力はない。この男に会うリスクはそれほどには感じられないな。

 

 

「わかった」

 

「悪いがすぐには無理だ。今の現状を知っていると思うが、私は匿われている身。私の独断で行動することはできない」

 

 

確かに言われてみればそうだ。常に監視されているあの部屋で会うのは危険だ。俺の行動が露見する可能性がある。茂原も命を狙われている。簡単には外には出れまい。ならば、何か手を考えなければいけないな。

 

 

「3日後だ。3日後にまた連絡する。落ち合う場所は私が決めてもいいかな?」

 

 

俺はその提案を了承する。

では、また。と言葉を交わして電話を切る。

 

 

よし。まだ決まったわけではないが、情報を得る糸口を見つけた。あの男が何を考えているのか。稲毛さんが何を言ったのか。それを考え出すと眠りにつけなくなりそうだが、仕方がない。

 

 

携帯をポケットにしまい込んで、俺は駅へと歩き出した。

 

 

 

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