やはり俺の人生はまちがっている。   作:にが次郎

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彼は偽装する。

 

 

 

 

 

 

 

事務所に戻ると、やはり誰もいなかった。今はそちらの方が俺にとっては都合がいい。

 

 

帰りがけに買ったコンビニ弁当で夕食を済ませる。慣れた1人での夕食。8年間もそうして来たのだ。当たり前である。

何の音もない静寂。口の中で食材を噛み砕く音だけが響く。なんだろうか。この気分は。こんなものを久々に感じた。

 

 

俺は1人が好きなのだ。1人でいることが好きなのだ。別に昔のようにぼっちであることを誇っている訳ではない。

誰にも干渉されずにいれる環境。それ以上に素晴らしいものはない。

 

 

それなのに今俺の中にある感情は全く違うもの。なんでこんな感情を抱いている。こんなものは必要ない。

 

 

どうした俺。何を求めている。

 

 

 

もうやめだ。考えるのは止そう。

 

 

 

そうだ。やめるんだ。俺は切り捨てたんだ。

 

 

 

 

昔、自分で言った言葉が蘇る。

 

 

人はそんなに簡単には変われない。

 

 

 

わかっている。わかりきっている。

変わるということは簡単なことではない。自分の中にあるものを切り捨てることは容易くできることではない。

 

 

だから封じ込めていた。

 

 

 

 

 

ダメだ。どんどんドツボにハマっていく。ジッとしていると余計な事ばかり考えてしまうな。

 

 

立ち上がり、食べた弁当の容器などを片付ける。風呂に入ってもいい時間だが、まだやることがある。そちらを優先しよう。

 

 

スーツを脱いで、寝間着に着替える。

よし、さっと済ませてしまおう。

 

 

俺は事務所を出て、杏里さんの叔父が使っていた備品がしまってある倉庫へ向かう。この事務所で働き始めた当初に俺が片付けた場所だ。

 

 

なんでそんな場所に用事があるのか。

理由は1つ。あの女性を貶めた男を見つけ出し、ぶち殺すための道具を探しに行く。

 

 

別に凶器を探しに行く訳ではない。

俺が片付けた備品の中には不合法な物もたくさん含まれていた。おそらく杏里さんの叔父が若かりし頃に使っていたものだろう。

 

 

倉庫に入り、目的の物をすぐに見つけ出す。ここを片付けたの俺だ。大体何がどこにあるかは把握している。逆に杏里さんは全く把握していない。

この中から何か無くなったとしても気づかれることはない。

 

 

俺が倉庫から持ち出したもの。それは少し古臭くて、今の物に比べるとだいぶ大きい。しかし、使えないということはないだろう。詳しく調べると裏に取り外せる蓋が付いていた。どうやら乾電池式のようだ。自分の部屋に戻り、適当に転がっている乾電池を装着し、電源を入れる。

 

 

「お、使えるな」

 

 

思わず声が出てしまった。古い割には高性能。さすが探偵が使っていただけはある。

使い方を確認し、目につかない場所にしまう。

明日、新しい長持ちする乾電池を購入しに行こう。やっぱり乾電池はエボルタ君。ギネズブックにも載ってるからね。230km走ったり、電車動かしちゃったり。エボルタ君まじすげえ。

 

 

うん。どうでもいいな。

風呂入って寝よう。

 

 

×××

 

 

 

結局、眠りにつくことができず、買い置きの缶ビールを数本開ける羽目になった。こんな状況で酒が飲めるとはなかなか肝が据わっている。いや、逆だな。酒でも飲まなきゃやってられないという方が正しい。

そのおかげで二日酔いとまでは行かなくとも、少々身体がだるい。

 

 

さすがに今日も仕事をサボるわけにはいかない。あまり勝手なことをし過ぎるとこの事務所の主に怒られる。それに俺のやろうとしていることを悟られるわけにはいかない。

いつも通りの時間に起きた俺は、事務所を開ける準備をする。

 

 

そんなことをしている間に時間は過ぎ、杏里さんが事務所に姿を現した。

 

 

ガチャとドアを開いて、すぐさま俺を発見すると、目を見開いたように驚く。

 

 

「おはようございます」

 

 

挨拶も忘れてしまうほどに驚く杏里さん。何そんなにびっくりしてんの?そんなに俺の顔やばい?

立ち尽くしている彼女にさらに声をかけると、ビクッとして再起動する。何ですかその反応。昨日の雪ノ下もそうだったが、少し酷くない?

 

再起動した杏里さんはすぐに視線をそらして、自分のデスクに向かう。

 

 

愛用のデスクチェアに腰掛けて、鞄から仕事の書類などを取り出しながら、少し控えめに尋ねてきた。

 

 

「その大丈夫かね?」

 

「何がですか?」

 

 

質問を質問で返してしまった。

杏里さんは心配そうにこちらを見るも目線を合わせようとはしない。

 

 

「昨日は寝込んでいたようだったし、てっきり具合が悪いのかと」

 

「そんなことないですよ。すいません。何も言わずに仕事すっぽかして」

 

「いや、構わないよ。あんなことがあったんだ。仕方がない」

 

 

普段よりも随分と優しい。気持ち悪いぐらいに。まぁ変に勘繰られるよりはマシか。

一昨日の件については、それ以上聞いてくることはなかった。こちらからも話すことは何もない。何も勘付かれないようにするにはどう振る舞うのが一番いい方法なのかと考えながら、いつもの定位置に座って自分のノートパソコンを起動させる。ここにいる以上、何もしないという訳にはいかない。

 

 

俺は溜まっていた事務処理に手をつける。サボっていたわけではないのだが、結構溜まっている。まずはこいつらをやっつけてしまおう。

 

 

 

無音の室内。聞こえるのは外を走る車の音だけ。特に何も考えずに手だけを動かす。

 

 

気付けば1時間経過していた。まだ1時間しか経ってないのかよ。

グッと背伸びをして、体を後ろに反らす。何気なく杏里さんの方を見ると、俺を凝視していた。

 

 

「なんすか?」

 

「いや、特には、、、」

 

 

杏里さんは適当に取り繕って自分の前に置いてあるデスクトップに視線を戻す。なんでこの人こんなに挙動不審なの?こんな杏里さん初めて見た。なんか昔の自分を見てるみたい。てか、昔の俺ってこんな感じだったのかな。もしそうだったとしたらかなり気持ち悪いぞ。

学生時代の自分を思い出して少しばかり肩を落としていると杏里さんが問いかけてくる。

 

 

「雪ノ下くんの件なんだが」

 

「ああ、本人に直接聞きましたよ。あいつもついてないですね」

 

 

適当なことを言って受け流す。

雪ノ下ことだ。もう大人なのだし、自分のことぐらいなんとかできるだろう。

 

 

「それに関してなんだが、雪ノ下くんにはしばらく私の家に泊まってもらうことにした」

 

「ほう、なら安心ですね」

 

 

またも適当に受け流す。少しぐらいは心配してる感を出しておいた方がいいだろうか。

 

 

「まぁ雪ノ下は美人ですからね。いくら季節が夏といえど、女性1人路頭に迷わせている訳にはいかないですよね。杏里さんの家なら心配ない」

 

 

少々、口調が機械的になってしまったが、言わないよりはマシだろう。

 

 

「で、雪ノ下は今日は?」

 

「朝早くに新しい就職先と住む所を探しに行ったよ」

 

「そうですか。あいつらしいですね」

 

 

雪ノ下はたぶん人に施しを受けるのはあまり好まない。まぁそんなにすぐに見つかるとは思えないが。

その後、会話が紡がれることもなく、お互い作業に戻る。

すべての事務処理を終えた頃には昼になっていた。他のこともやってたけど。

 

 

「助手くん。昼食はどうする?」

 

「あー、冷蔵庫の中、空だったですね。何か買ってきましょうか?それとも出前にします?」

 

 

俺の申し出に杏里さんは少し悩むような顔をする。

 

 

「済まないが、今日も昼から出かけなければいけなくてな」

 

「そうですか」

 

 

何の用かは知らない。特に気にもならない。

杏里さんは鞄から財布を取り出して、中から諭吉さんを一枚召喚する。

 

 

「これで何か食べてきたまえ」

 

「いや、1人でこんなに食えないですよ」

 

 

諭吉さんを使うほど高い店も知らない。何故突然こんなに気前のいいことをする。おつかいかな?

そんなことを思っていると杏里さんは申し訳なさそうに言う。

 

 

「ついでにと言ってはあれだが、お茶とお茶菓子が切れてしまっていてな。何か適当に買ってきてくれないか?他に何か必要なものがあればこれを使ってもらって構わない」

 

 

やっぱりか。だから諭吉さんを出したのね。そういえば他にもストックが切れている物もあったはず。俺も買い物がある。丁度いい。ちなみにうちで出しているお茶とお菓子は結構高級品。綾鷹や伊右衛門じゃない。ストックも含めて購入すると、半分以上飛ぶ。俺の飯代を考えるとそんなに残らないな。乾電池ぐらいは自分で買うか。

 

 

俺は返事をして、出かける準備を始める。杏里さんは立ち上がり、鞄を手に取る。すぐに出かけるようだ。

 

 

「では、戸締りよろしく」

 

 

そう言い残して事務所を後にした。

俺も購入する物を確認して出かけるか。

 

 

×××

 

 

 

適当に昼食を済ませて、近くのショッピングモールにやってきた。一色が働いていた店が入っていた場所だ。

 

 

ここの1階には、お茶の専門店がある。お茶だけではなく、紅茶の茶葉やお茶に合うお茶菓子も種類別に多く取り揃えられている。

もうここには数回来ているが、どうも入り辛い。お金持ちそうなマダムとかがなんでお前がここにいんの?みたいな視線を向けてくるからだ。

 

 

スーツを着ていれば少しは和らぐものの長居したい場所ではない。

俺はいつも通り、目的の品物を手に取り、その周辺にあるお茶菓子を適当に見繕ってレジに向かう。

会計を終えて、すぐさま店を後にする。

 

 

やはり息が詰まる。

なぜああいう人々はあんな視線を送ってくるのだ。俺ってそんなに異端?

ちなみに最初に来た時、お茶の場所がわからなくてうろうろしていた時のマダム達の視線が一番痛かった。視線が突き刺さるってああいうことを言うんだろうね。素晴らしくどうでもいいな。

 

 

その後に俺の目的を果たす為に家電量販店に向かう。役に立ちそうなものがないか見て回り、必要そうなものを購入する。

 

 

目的をすべて達成した。漏れがないか購入したものを確認する。たぶん大丈夫だろう。でもこういうときって帰っている最中に思い出したりするんだよね。なんでだろ。

 

 

そんなことを思いつつ、モールの出口に向かう。出口付近の自販機が目に入った。マッカンでも買うか。

小銭を入れて、ボタンを押す。キンキンに冷えた愛しのマッカンが出てくる。それを手に取り、外に出て、すぐ近くにあったベンチに腰を下ろす。

 

 

「よっこらせっと」

 

 

プルタブに爪を引っ掛けて開封する。そして一気にグイッと呷る。はぁー生き返る。この甘さ。まじ最高。もうマッカンだけあれば生きていけるまである。もうマッカンさえいればいい。

 

 

もう6月も後半。まだ梅雨は明けてはいないが、気温はじわじわと上がってきている。7月に入ればさらに暑くなる。夏がもうすぐそこまでやってきているのだ。

 

 

時間とともに過ぎていく季節を肌で感じながら空を見上げる。今日も空は曇天。

 

 

ボケーと空を見上げていると、その視界にある人物の顔が入り込んできた。

 

 

「ヒキオじゃん。こんなとこでなにやってだし」

 

「お、おう」

 

 

完全に気を抜いていた。まさかここでこいつに会うとは。

俺の前に現れたのは三浦優実子。いつものように不機嫌そうな顔をぶら下げてそう言った。

 

 

俺の前立つ三浦はさらに不機嫌そうに眉を顰める。

 

 

「ちょっとさ、あんたに聞きたいことあんだけど」

 

 

聞きたいこと?たぶん由比ヶ浜のことだろう。俺のクズ伝説が広まるのは早いな。

俺がなんだ?と返答すると、顰めていた眉を下げ、辿々しく言う。

 

 

「雪ノ下さんのことなんだけど」

 

「雪ノ下?」

 

 

予想が外れた。まさに予想外。なぜこいつが雪ノ下のことを聞いてくる。何か接点があるのか?まさか俺のことに関して知っているわけではあるまい。ということは雪ノ下が仕事を解雇されたことか?

 

 

三浦はさらに予想外なことを口にする。

 

 

「その、雪ノ下さん。最近、やけに隼人と仲がいいからさ。なんかあんのかと思って、、、」

 

 

三浦はどんどん尻窄みになっていく。最初の不機嫌さはどこ行ったんだよ。まぁそれはいい。

確か、三浦は葉山と付き合うまでは行かなくともそういう関係に至っている。俺も雪ノ下が葉山と真剣に話している所を目撃したことがある。

直接見たか、どこかから情報を得たのだろう。それで気になってまたまた見かけた俺に聞いてきた。三浦からすれば俺は雪ノ下に近しい人間。聞いてきた理由はわかる。だが、俺は何も知らない。

 

 

そういえばだ。俺は葉山の存在を失念していた。あの喫茶店で雪ノ下たちが真剣に話していた理由。それはおそらく陽乃の件だ。雪ノ下が真実を知ったのは俺の殺人事件の時だと言っていた。そして俺を釈放に導いたのは葉山たち。稲毛さんもそのうちの1人だ。稲毛さんは俺については知っている。葉山が真実を知っていてもおかしくない。このことから葉山は陽乃の件に関して雪ノ下と協力関係にある可能性が高い。葉山は雪ノ下姉妹とは幼馴染。あの男のことだ。陽乃の悪事に気がついても不思議ではない。

 

雪ノ下の奴め、全部真実を話すとか言っておきながら葉山のことは黙っていた。コンチクショウと思っていると、ふと思い出す。

 

 

あの時、雪ノ下の話を全部聞かずに飛び出して行ったのは俺だっけな。悪いの俺か。いや、面倒だから雪ノ下の所為にしておこう。

 

 

話を戻す。

雪ノ下と葉山が陽乃の件について話していたとすれば、三浦が心配するようなことは何もない。

三浦という女性がいながら他に手を出すほど葉山もクズではあるまい。それにわざわざ待っててくれとまで言っているんだ。

 

ふと、人伝に聞いた葉山の言葉を思い出す。

 

 

”俺にはやらなきゃいけないことがある”

 

 

その言葉を思い出して確信する。

やはり葉山は雪ノ下たちと協力している。やらなきゃいけないこととはおそらく陽乃を止めること。

雪ノ下たちと共に陽乃と戦うのであれば、それに三浦を巻き込む訳には行かない。そう思ったのだろう。まったくどいつもこいつも中途半端なことをしやがる。

 

 

葉山が何を考えているのかはわからないが、その内対峙することになるだろう。そのときに目的を聞き出せばいい。

 

 

以上のことからやはり三浦が心配するようなことは何もない。あるとすれば葉山の身に危険が迫っているということぐらい。どちらにせよ、三浦は無関係なのだ。葉山がそう判断した以上、俺が何か言うべきではないな。

 

 

いつもの覇気を無くし、肩を落とす三浦にできるだけ優しい声で言う。

 

 

「悪いな。俺も何も知らない。でも雪ノ下の様子からお前の心配してるようなことはないと思うぞ」

 

「ほ、本当かし」

 

「断言はできないけどな」

 

 

別に保険を掛けたわけじゃない。何かあったからと言って俺が責められるのは筋違いだ。

 

 

「まぁなんかわかれば教える」

 

 

付け加えたような俺の言葉に三浦は小さく、うんと頷いた。それから絞り出すように言う。

 

 

「あんた、探偵になったんでしょ?」

 

「ああ、知ってんのか」

 

「結衣から聞いた」

 

 

今はあまり聞きたくない名だな。

 

 

「こんなことあんたに頼むのはおかしいのかもしれないけど、、、」

 

 

俺は黙って続きを待つ。

 

 

「隼人になんかあったらお願いね」

 

 

心の底から懇願するように三浦は言った。三浦も葉山とは長い付き合いだ。それに葉山は警察官。何か危険なことに関わっているのではないかと勘付いている。さすが三浦さん。あんな面倒な男とずっと一緒に居れることだけはある。

 

 

「わかったよ。まぁ俺に何かできるとは思えないけどな」

 

「そう言うと思った」

 

 

三浦は力なく笑った。

無理をして笑う彼女の顔は心にくるものがあった。

 

 

すべてはあの女の所為だ。

 

 

一刻も早くあの女を潰して、葉山が抱えている使命から解放してやる。俺にできることがあるとすればそのくらいだ。

 

 

 

決意を新たにしていると、三浦はまだ何か言いたげな表情を作る。

 

 

「どうした?まだ何かあるのか?」

 

「いや、その、結衣のことなんだけどさ」

 

 

やはり来たか。まぁこいつと遭遇してしまった以上、避けられない話題ではある。

 

 

「結衣となんかあったん?」

 

 

俺は嘘をついた。言える訳がない。

自分のした最低な行為を自ら語る勇気など持ち合われてはいない。

 

 

「そっか。あの子、高校の時の”あれ”から抱え込む癖あるからさ。聞いても何でもないとしか答えてくれないし」

 

 

”あれ”とは花火大会の帰り道で件だろう。

 

 

「前に飲んだときに言ったこと覚えてんでしょ?」

 

 

 

そう言われて瞬時に思い出す。

その約束はもう果たせない。それどころか破ってしまっている。

 

 

「まぁあんたのことだから。大丈夫だろうけど」

 

「ああ、、」

 

 

俺の情けない返事に何か察したのか、それ以上は聞いてくることはなかった。

 

 

「んじゃ、あーし行くわ。ありがとね」

 

 

そう言って身を返して去って行く。

随分と素直に礼を言えるようになったんだな。

 

 

 

彼女が去ってからも俺はずっとベンチに腰掛けていた。

 

 

三浦に言われた言葉で自分がした最低な行為を思い出してしまったのだ。いや、忘れていたわけではない。忘れられるわけがない。

 

 

人を傷つけると自分も傷つくというのは本当のようだ。今更気がついた。自分でやったことに傷ついて感傷に浸っているとは何とも情けない。

 

 

頭に浮かんだ邪念を振り払う為に勢いよく立ち上がる。もう遅い。俺は取り返しのつかないことをやったのだ。

 

こんな感情は切り捨てろ。

こんなものは必要ない。

 

 

 

そう自分に言い聞かせ、帰路に着いた。

 

 

 

×××

 

 

 

 

事務所までの道を荷物を抱えてとぼとぼ歩く。もう杏里さんは帰ってきただろうか。もしかしたら雪ノ下も事務所に来ているかもしれない。

 

 

 

これからの彼女らへの振る舞いは少し考えねばならないな。

 

 

俺を見たときの反応から考察するに彼女らは俺の変調に気がついている。彼女らもそんなに馬鹿ではあるまい。

 

 

できるだけいつも通りに振る舞ったつもりだったが、それが逆に変に見えてしまったのかもしれない。これに関しては少々失敗した。

 

 

だが、なぜこんなにも平常心を保っていられるのかが自分でもわからない。普通ならあれだけのことを聞かされれば数日寝込んでもいいくらいだ。しかし、そうはならなかった。いや、本当はわかっているのだ。何が自分を突き動かしているのか。

このままではダメだ。取り憑かれてはダメなんだ。すべてを俺の制御下に置く。飲み込まれて正気を失えば、俺はきっと終わってしまう。

 

 

 

さて、どうしたものか。

やはりこのままいつも通りの自分を偽装するべきか。

 

 

彼女らはそんな俺を見続けていれば、必ず気付くだろう。しかし、別にもう自分を騙すつもりはない。

俺がこれから起こす行動に勘付かれなければいいのだ。そのために自分自身を偽装する。こうなれば徹底的にやる。完全に俺を偽装する。

 

 

雪ノ下に陽乃を潰すと宣言してしまった以上、多少怪しまれるのは仕方がない。要はバレなければいいのだ。それに俺は隠れるのが得意なんだ。自分に備わっている性能を存分に発揮する。

 

 

 

彼女らと対峙したときの対応を考えながら、事務所の前まで戻ってくる。

予想した通り、駐車場には雪ノ下の車が止まっていた。まじか、できれば会いたくない。

 

 

荷物を抱えたままどこかで時間をつぶすわけにもいかない。

 

 

いつも通りにエレベーターに乗り込んで、事務所に辿り着く。

 

 

扉を開けると、神妙な面持ちで話す彼女らの姿があった。

 

 

「お帰りなさい」

 

「ああ」

 

 

帰宅した俺に立ち上がって出迎えの挨拶をした雪ノ下。別にわさわさ立たなくていい。

 

 

「ご苦労だったね」

 

「うす」

 

 

適当に返事を返す。

何でこんな気分になっているのかはわからない。たぶん雪ノ下の顔を見たからだ。なぜか無性にイライラする。

 

 

買ってきたものを適当に片付けて、定位置に着く。すると、雪ノ下が声を掛けてくる。

 

 

「その、何かあったの?」

 

「なんでもない」

 

「そ、そう」

 

 

大したこと言えないなら話しかけてくるな。俺は今喋りたくないんだよ。

 

 

そんな俺を見て、雪ノ下は口を噤む。

そうそう、黙っといてくれ。黙っとけば美人なだけなんだから。

 

 

俺の定位置に置いてあるパソコンを起動させる。しかし、特に何かあるというわけではない。いや、やろうとしていたことはあった。でも忘れてしまったのだ。俺は乱暴に頭を掻く。

 

 

「っ!」

 

 

勢いよく席を立つ。

いきなり立ち上がった俺を見て、2人とも驚いている。

 

 

あー、くそ。なんでだ。

なんでこんなにイライラするんだ。

己の中に溜まっていくストレスの根源を探す。まぁわかりきっている。雪ノ下だ。理由なんかない。なぜか無性にイライラする。俺は立ったまま、意味もなくパソコンの画面を睨みつける。何やってんだよ。気持ち悪い。なんでこんなにイライラする?そういえば三浦に会ったからだ。あいつに会ったおかげで由比ヶ浜のことを思い出してしまった。あんな胸糞悪いこと早く忘れてしまいたい。ちくしょう。なんで遭遇してしまったんだ。あそこであいつと話をしなければ今俺はこうなっていない。あいつの所為だ。全部、三浦の所為だ。あいつの色恋沙汰など知ったことではない。自分でなんとかしろ。今俺は自分のことで手一杯なんだ。わかってくれ。悪気はないんだ。大丈夫。陽乃は俺がすぐに潰してやる。そうすれば葉山もお前と向き合ってくれる。そうなれば万々歳。感謝してくれるかな?そんなわけないか。俺が裏で活躍してるなんて微塵も思わないだろう。まぁいいや。三浦なんかどうだっていい。まだダメだ。全然、いらいらが解消されない。雪ノ下も杏里さんも目を見開き、ぎょっとした顔で俺を見る。なんて顔で見てるんだ、雪ノ下。口開いてるよ?この人たちは黙ってれば美人なだけなんだから。何回言うんだよ。そうか。雪ノ下にイライラする理由がわかった。あの女に顔が似てるからだ。俺は雪ノ下を一瞥する。背格好も体も似ているところはほとんどない。特に胸部とか。それにしてもなんで髪切ったんだ?余計な似て見えるだろう。こいつの顔を見てると、あの女への憎悪が増していく。てか、さっき何話してたんだろ。俺の話かな?八幡、様子おかしくね?とか話してたのかな?さすがに自意識過剰か?まぁなんでもいいや。あー、ダメだ。なんでだ。どうしようか。八つ当たりでもしようか。なんかぶち壊したい。これなんて破壊衝動?戸棚には先日、俺が殴って穴を開けた箇所が綺麗に修理されている。誰がやったのだろう。三科辺りが直しに来たのだろうか。どっちにしたってどうでもいい。あー、あー、あー、イライラする。俺は頭を掻き毟る。またぐちゃぐちゃになる。壊れる。崩壊する。意味わかんね。意味わかんね。意味わかんね。わかんね。わかんね。わかんね。わかんねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って、こんな感じでいいかな?

雪ノ下と杏里さんは完全に言葉を失っている。

 

 

上記を口に出していたわけではない。

ただ頭の中で考えていただけ。まぁ少しくらいはボソボソと出ていたかもしれないが。

 

 

おそらくだが、彼女らの目には俺は完全に狂人に映っているはず。そりゃそうだ。いきなり立ち上がって頭掻き毟りながらブツブツなんか言ってるんだ。自分でやっていてなんだが気持ち悪いにもほどかある。

 

 

雪ノ下や杏里さんはおそらくこう思うだろう。

 

 

”私たちの所為だ”

 

 

 

自分たちがすべてを話してしまったから俺が狂ってしまったのだと、そう思う。こいつにも多少なりとも責任感というものがあるはず。てか、そう感じてもらわないと困るんだけどね。なんなら俺の作戦が全部失敗するまである。

 

 

俺はそのまま消沈する。

 

 

 

特に何も考えずにボーとした後、何も言わずに自室へと向かう。

 

 

我ながら完璧な演技だ。狂人八幡の完成。大丈夫だよ?本当に狂ってなんかないから。

 

 

事務所を出るとき声をかけられた気がしたが、そのまま無視して部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

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