やはり俺の人生はまちがっている。   作:にが次郎

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あいつと誰かの青春ブルース その3

 

 

 

 

 

病室を飛び出した男はすぐさま駐輪場に停めてあった自分の自転車を発見し、跨ると全力でペダルを踏んだ。殴る蹴るの暴行を受けておきながら医者の診断も聞かずに飛び出してくるなどとても正気の沙汰とは思えないが男は必死だった。

 

彼女を、市原を助けたい。

 

男の気持ちはそれほど強かった。

 

 

チンピラ達が指定してしてきた場所は町外れの廃工場。お決まりといえばお決まりだ。その工場は古くから町の不良の溜まり場となっていた。

 

男は自分が病室を出た時間から逆算して市原の到着時間を計算する。おそらく彼女はバイクでその場所に向かった。どう考えても既に到着している。男の頭には最悪の展開が過る。

 

 

もしも間に合わなかったら。

 

そう考えただけで体が震える。

 

しかしそんなことを考えたところでどうしようもなかった。すぐに悪い考えを払拭し、死ぬ気で足を回転させる。

 

 

ようやく廃工場に辿り着いた男は自転車を乗り捨てて敷地内へと入って行く。

男はこの場所で何度も集会や喧嘩をしていた。中の構造もよく知っている。

 

 

いくつかある建物の中の一番大きな建物の前に見覚えのあるバイクが一台止まっているのは発見する。間違いなく市原のものだった。

 

 

_____どうか無事でいてくれ。

 

そう願いながらその場所へと歩みを進める。しかしその足取りはどんどん重くなって行く。もちろん怖気付いたわけじゃない。男にはまだ思いついていなかったのだ。これはただの喧嘩ではない。女子高生の半裸の写真をチンピラ達が持っている以上、迂闊にこちらから手を出すことをできない。腕っ節の強さだけで解決できる問題ではないのだ。

 

___奇襲をかけるべきか?

 

男はそう考えた。工場内の地理も把握しているし、写真を撮ったチンピラから携帯を取り上げて仕舞えばこちらのもの。

 

しかし失敗した場合、最悪の事態に陥る。それに今の体の状態を考えてもやはり奇襲は得策ではなかった。

 

結局、何も思いつかず、重い足取りのまま工場へと進んで行く。すると工場の大扉の前に人影を発見した。一瞬身構えるが、すぐにその人影がチンピラ達の仲間ではないとわかる。その理由はその人物が来ている制服があの女子高生が来ていた制服と同じだったから。その女子高生は僅かばかりに開いた大扉の隙間から中を盗み見ているようだった。

 

_____どうしてこんなところに?

 

男はそんな疑問を持った。しかしそんなことを気にしている余裕はない。

 

音を立てないように近づき声をかける。

 

 

「おい、そこで何をしている?」

 

 

焦っているせいか、少しぶっきらぼうな言い方になってしまったことを後悔するも既に遅し、女子高生は背筋をビクつかせる。が、悲鳴までは上げなかった。

次になんと言葉をかけるべきか悩んでいると女子高生は男の方へと振り返る。眉間にしわを寄せ、口は手で塞がれている。どうやら悲鳴をあげないよう咄嗟に自分で抑えたようだった。男はそのことに少しばかり驚いた。

 

 

謎の女子高生からの不審者を見るような鋭い目に居竦んでしまう。見れば、彼女の手には携帯電話が握り締められている。男はすぐに両手を上げて自分が怪しいものではないことを説明する。

 

 

「驚かせて悪かった。怪しいもんじゃない。市原を助けに来たんだ」

 

 

それを聞いても女子高生の訝しむ視線は緩まない。

 

 

「本当に?」

 

 

それが彼女の第一声。声からも怪しむ色が滲み出ていた。どうしたものかと悩んでいるうちに次の質問が飛んでくる。

 

 

「あなたは誰?名前は?」

 

 

名前を聞かれ、男はすぐに名乗る。名乗ってどうにかなるとは思えなかったが、間髪入れずに口を動かす。

 

 

「俺は三科だ」

 

 

男の名前を聞いて、女子高生の眉間に深く刻まれていたシワが解放され、手で隠されていた口元も露わになる。

 

 

「あなたが三科くん?」

 

「そ、そうだけど……」

 

 

男改め、三科が狼狽したのは急に変化した彼女の態度のせいだけではなかった。原因は彼女の容姿。整った目鼻立ち。とても大人びた顔立ちで短めに切り揃えられたショートカットの髪が彼女の魅力を最大限に引き出していた。

 

 

普段、女性に対してはとても軽い態度を取る三科だったが、この時の彼にはそれができなかった。可愛いからとか綺麗だからとかそういうのが原因ではない。何かはよくわからない。言葉にすることのできない何かを彼は感じ取っていた。しかしそれが何なのかを確かめている暇もなければ余裕もない。

 

とりあえず彼女がここで騒いだり、警察に通報したりすることがなければ、三科はそれでよかった。

 

三科の名を聞いて、満足そうに笑みを浮かべた女子高生は名を名乗る。

 

 

「私は雪ノ下陽乃ね、いっちゃんの同級生」

 

「雪ノ下、ね」

 

 

なぜ自分の名前を知っていたのかを聞きたかったが、それよりも市原のことの方が心配だった。それを雪ノ下に尋ねる。

 

 

「うん、まだ大丈夫だよ。さっきからなんか写真がどうとかって話してる」

 

「そ、そうか……」

 

 

三科は胸をなで下ろす。ここからどうするかを考えながら雪ノ下に尋ねる。

 

 

「どうしてここに?」

 

 

三科の問いに雪ノ下はあっけらかんとした表情で答える。

 

 

「えーとねぇ、帰り道にたまたまいっちゃんと会って、なんかすごい深刻そうな表情してるからどうしたの?って聞いたんだけど全然教えてくれなくてー。気になるから内緒でついて来ちゃった」

 

 

何とも軽いノリで言う彼女に少々苛立ちを覚える三科だったが、もしかしたら雪ノ下が市原を足止めしておいてくれたおかげで自分が間に合ったのではという結論に辿り着き、心の中だけで感謝する。

 

そんなことを考えていると、雪ノ下が言う。

 

 

「なんかよくわかんないけど、やばそうだったら警察に通報しようと思ってるんだけど」

 

「それはダメだ」

 

「なんで?」

 

 

そう尋ねられて口籠ってしまう。伝えるべきかどうかの判断に迷ったからだ。巻き込んでしまう可能性もある。といっても既にここにいる以上、もう巻き込んでいるようなもの。どうするべきかと考える。彼女はおそらく敵ではない。この状況下を馬鹿な自分ではどうすることもできない。知恵を貸してくれる仲間は一人でも多いほうがいい。三科は決断し、こうなった経緯を簡潔に説明する。

 

話を聞き終えた雪ノ下が若干笑いながら「だから君はそんなにボコボコなのね」と呟いたのがちょっとだけ癇に障ったが気にしないことにする。

 

雪ノ下は一人でうんうんと頷いていた。それから腕を組み、なぜか唇を尖らせて何かを考えていた。その姿は非常に絵になっていたが、今の三科にはどうでもよかった。

 

 

大扉の隙間から見える市原の姿。昨日のチンピラ達の姿も見える。

写真を消してくれと懇願する彼女を嘲笑うようにケラケラと馬鹿したような態度を取るチンピラ達。

三科はもう限界だった。自分がここで飛び出ていっても状況を悪化させるだけ。そんなことは百も承知だった。しかし抑えきれず、大扉に手をかけようとした時、雪ノ下に呼び止められる。

 

 

「待って。その怪我じゃ飛び出て行っても無駄でしょ?」

 

「こんな怪我大したことない。あの程度の奴らならハンデにもならない」

 

 

苛立ちからか口調も強くなる。

八つ当たりのような感じになってしまったことを反省し、三科が雪ノ下を方を見ると彼女は笑顔で尋ねてくる。

 

 

「それは本当?」

 

 

どこかその笑顔はなぜか挑戦的に見えて、三科は応えるように力強く頷いた。

 

 

それを見た雪ノ下は顔の横に人差し指を立てて言った。

 

 

「なら一ついい案があるわ。乗る?」

 

 

自分ではどうすることもできない三科はそれに乗るしかなかった。

 

 

「あのチンピラみたいな人が持ってる携帯電話がどうにかなればいいのよね?あの人の電話番号かメールアドレスわかる?」

 

「いや、わからない」

 

 

三科の返答に雪ノ下は難しい顔をする。彼女は一体なのをするつもりなのか。まったく見当がつかない様子の三科を見ながら雪ノ下は困った表情を作りながら言う。

 

 

「じゃあ〇〇ちゃんに聞くしかないか」

 

「〇〇ちゃん?」

 

 

〇〇ちゃんというのはチンピラ達に脅されている女子高生の名前。三科は名前も聞かずに飛び出て来てしまったために知らなかったが、経緯を説明している最中に出て来た特徴で雪ノ下が特定したのだ。雪ノ下からすれば同じ高校に通う同級生なら特徴を聞いて特定することなど容易だった。

 

雪ノ下はすぐに電話をかけ始める。

 

 

「あ、もしもし?ちょっとだけ聞きたいんだけど〜………」

 

 

すぐに電話は切られ、雪ノ下は顔の前にOKサインを作る。

彼女が何をしたのか、三科にはわからなかったが答えは単純。あのチンピラの番号をあの女子高生に聞いたのだ。チンピラは女子高生を呼び出すために一度電話をかけている。チンピラもあまり頭のいい方ではないようで非通知設定はされていないようだった。

 

何も説明しないまま携帯をポチポチ弄り始めた雪ノ下に痺れを切らした三科が言う。

 

 

「何をする気なんだ?」

 

「あの人の携帯をパンクさせてあげるの」

 

 

まったく説明になっていない雪ノ下の言葉に三科は頭には疑問が広がっていく。謎の行動を取る雪ノ下をただ見ていることしかできなかった。三科にはその時間がもどかしくて堪らなかった。この間にも市原はチンピラ達に詰られている。本当に我慢の限界だった。そこでものすごいスピードで携帯を弄っていた雪ノ下の手がようやく止まる。

 

 

「終わったか?」

 

 

三科の問いに雪ノ下は快活な笑顔で答える。

 

 

「うん。もう行っていいよ」

 

「え?」

 

 

突然出されたGOサインに三科は戸惑う。

 

 

「いや、今行っても」

 

「もう大丈夫。もうすぐあの人の携帯はパンクする」

 

「いやいやだから何したのか説明しろって」

 

「そんな時間はないでしょう?ほら、早く助けに行って」

 

 

雪ノ下はそう言って三科の背中を押す。三科は振り返り、雪ノ下に尋ねる。

 

 

「信用していいんだな?」

 

「ええ、もし失敗しても私がなんとかしてあげる」

 

 

 

雪ノ下は快活な笑顔ままそう言った。

 

 

三科は大扉に手をかける。しかし一瞬の迷いが生まれる。だが、それを振り切って勢いよく扉を開け放った。

 

 

 

×××

 

 

 

開け放った扉の奥には不意打ちを食らったような顔で驚く市原と余裕の笑みを浮かべるチンピラ達に三人がいた。

 

 

三科は意を決して一歩ずつ踏み出していく。そして市原の元へ行き、声をかける。

 

 

「大丈夫?なんもされてない?」

 

 

突然現れた三科に動揺を隠せない市原は彼の優しい口調とは対照的な強い口調で答える。

 

 

「なんで来た!?」

 

「なんでって助けに」

 

 

それを聞いて市原は唇を噛んで悔しそうな顔をした。

 

 

「あんたが来てもまたやられるだけだ!わかってんの!?」

 

 

市原が激昂する気持ちも三科には理解できた。友達を救うため。もう誰も傷つけないために単身一人て乗り込んで来たというのにここに三科が来てしまっては意味がない。

 

 

三科はその感情を汲み取った。

彼女は本当に優しい女の子なんだ。こんな状況でそんなことを思っていた。

 

 

三科たちの痴話喧嘩のような会話を聞いてチンピラ達はケラケラと笑い声をあげる。

 

 

「え?なに?助けに来たとかマジウケるわ〜」

 

「まーたやられにきたのか。凝りねぇな」

 

 

なんのひねりもない煽りだったが、一度やられていることもあってか今すぐにぶっ飛ばしてやりたいという衝動に駆られる。しかしそれをグッと堪えてタイミングを待つ。

 

 

まだチンピラの携帯に異変が起きる様子はない。

三人居るうちの一人。女子高生の写真を撮ったチンピラが上着のポケットから携帯を取り出し、三科達の方へと画面を向けてくる。そこには女子高生のあられもない姿が映し出された画像が表示されている。それを見た市原がすぐさま反応する。

 

 

「だから消せって言っんてんだろ!!」

 

 

市原の怒号にまったくひるむ様子のないチンピラは嘲笑うようにニヤニヤしながら言う。

 

 

「消すわけねぇだろバーカ」

 

 

工場内にはチンピラ達の笑い声が木霊する。

とうとう我慢の限界に達した市原が一歩踏み出そうとするのを三科が止めに入る。見れば彼女の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。悔しさのあまり肩をプルプルと震わし、拳を握り締めている。

 

 

____くそ、まだなのか!?

 

 

三科は心中でそう呟く。

一体どのタイミングで携帯がパンクするのか三科は聞かされていない。そもそもそのパンクとやらが目に見えて変化するものなのか、否か三科にはわからなかった。後ろを振り返っても既に雪ノ下の姿は見えない。

 

一瞬、騙されたのではないかと疑念が過る。今日会ったばかりの見ず知らずの女子高生を信じた自分が馬鹿だったのではないか。しかしそんなことを考えてももう意味はない。信じるしかない。三科はもう雪ノ下陽乃に賭けるしかなかった。

 

 

三科は腹を決めてその時を待つ。

 

 

チンピラ達は馬鹿にするのを飽きたのか、次の行動に出る。

 

 

「あーあ、一人で来てくれって言ったのに裏切ったよねぇ。この写真ばら撒いちゃおうかなー」

 

 

三科は堪え難い焦燥感に駆られる。もうダメかもしれない。そんな言葉が頭を過った。その時である。チンピラの携帯からヘンテコな着信音が流れる。どうやら電話がかかって来たらしい。チンピラはそれに対応する。

 

 

「もしもーし。は?なんだよそれ。知らねぇよ」

 

 

それだけ告げるとチンピラは電話を切った。謎の会話に仲間の一人が声をかける。

 

 

「どうした?」

 

「いきなり出会い系サイト登録ありがとうございますとか言われたわ、はは、意味わかんね」

 

「出会い系とかウケるわ〜」

 

 

出会い系。三科にはその言葉が引っかかった。

気を取り直してチンピラが再び口を開こうとしたとき、再度電話が鳴る。それに苛立ちを覚えたチンピラは対応せずに切ってしまう。が、間髪入れずに再度かかってくる。それを何度か繰り返した後、今度はピロリーンと違う音の着信音が鳴る。今度は携帯番号を使ったメールようだ。それからひっきりなしに電話とメールが交互に繰り返される。

 

異変に気がついた仲間がチンピラに尋ねる。

 

 

「は?なに?携帯どした?」

 

「わ、わかんね。なんかアダルトサイトとか出会い系からメールとかメッセージとか電話とかめっちゃ来てる。なんだよこれ。止まんねぇ……」

 

 

チンピラの顔は青ざめていた。

三科にはチンピラの気持ちがよくわかった。なぜと言えば経験者だからである。使用料金を払えとか意味のわからないメールが来たりとかとにかく恐ろしい。男の子なら誰しもが通る道。

 

三科は静かに合掌し、すぐさま行動に出る。

 

これが雪ノ下の言っていた携帯をパンクさせるということ。彼女はあの女子高生から手に入れた携帯番号を手当たり次第に出会い系サイトやアダルトサイト、やばそうな掲示板。至る所に書き込んだのだ。一般の女子高生がそんなことを思いつくのかどうか疑問だが、雪ノ下はそれをやってのけた。

チンピラの携帯には電話やメール、メッセージがひっきりなしに届いてまともに操作できなくなっている。なによりチンピラが動揺している隙を逃してはいけない。

 

三科は一瞬のうちに距離を詰め、チンピラに一撃食らわしてから携帯を奪い取る。

 

 

「あ!てめぇ!!」

 

 

一撃を喰らい、吹っ飛んで尻餅をついたチンピラが声をあげたときには三科はもう既に奪い取った携帯をへし折り破壊していた。

 

 

「これでもう脅せる物はなくなったな」

 

 

自分たちが優位に立てる材料を失ってしまったチンピラ達は動揺のあまり青い顔する。その瞬間を逃さまいと次の行動に出る三科。だが、その前に彼に一撃を喰らったチンピラが仲間の二人に喝を入れる。

 

 

「ビビってんじゃねよ!!こんなにボロボロの奴に負けるわけねぇだろ!こっちは三人いんだぞ!!」

 

 

その声にチンピラ二人はホッとした表情を作る。

いくらこの男でもその手負いで俺たちに勝てるわけがない。そう思ったチンピラ二人はさっきまでの青ざめた表情から一転、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 

一人は肩を回しながら、一人は指の骨を鳴らしながら、三科へと近づいてくる。

 

 

しかし、三科はというと、

 

 

「よーし、わかった。どっからでもかかってこい」

 

 

と格好をつけるわけでもなく、ただ冷静にそう言った。それと同時にチンピラ達は三科へと向かっていく。それをただ呆然と見ていた市原が声を上げる。

 

 

「三科ぁ!!」

 

 

しかしこの危機的状況下で三科はニヤリと笑っていた。絶対に負けない自信があったからだ。

 

 

最初に殴りかかって来たチンピラに見事なカウンターを決め、次に向かって来たチンピラの攻撃を避けてから顔面に回し蹴り。あっという間にチンピラ二人を倒してしまう。

影に隠れて見ていた雪ノ下もあれほどの手負いであんなに動けるとは大したものだと賞賛の拍手を送った。もしものことを考えて準備はしていたが、もう自分の出る幕はないと悟る。

 

簡単にやられてしまい、すっかりノビてしまっている自分の仲間を見て、残る一人のチンピラはガタガタと震える。三科はそんな情けないチンピラを一瞥。こう投げかける。

 

 

「おら、どうした?かかってこねぇのか?」

 

 

よほど悔しかったのか、歯を食いしばりながら立ち上がるチンピラ。そして早く浅い呼吸をし始める。

 

______何かする気だ。

 

チンピラの突然の異常な行動を敏感に感じ取った三科は迎撃態勢を取る。するとチンピラは懐から刃渡り10センチほどのナイフを取り出す。それを見た三科は呆れ果てる。

 

 

「なっさけねぇな。女のいる前でそんなもん出すなよ」

 

 

真っ当な意見だった。というか人にナイフを向けてはいけない。しかしその声はチンピラには届いていない。

三科は再び、迎撃態勢を取る。

彼に恐れがないかと言えば嘘になる。ナイフを向けられて怖くない人間などいない。しかし三科にはそんな経験は何度もあった。慣れてしまっていたのだ。そして対処法も知っている。

 

 

チンピラは早く浅い呼吸を一旦止め、深呼吸。そして覚悟を決め、三科にナイフを突き刺さすべく、走り出す。

三科もそれに合わせて、腰を落とし、一歩前に踏み出る。その時だった。突然、視界が歪み、膝から崩れ落ちる。

 

 

とうとう限界が来てしまったのだ。

いくら頑丈と言えど、あれだけ殴る蹴るの暴行を受けた後、自転車での全力疾走。それだけでお腹がいっぱいだというのに先ほどのチンピラ達との交戦。もう動ける方がおかしい。

 

 

三科は必死に力を入れるも体が言うことを聞かない。チンピラの刃はもうすぐそこまで来ている。

 

 

「やっべ……」

 

 

満身創痍でどうすることもできず、諦めたようにそう呟いた。

チンピラの叫ぶ声が工場内に響き渡る。三科までナイフの先端があと一メートル。

 

 

 

 

もう無理だ。避けきれない。そう諦めた瞬間、歪む視界の右側に何かが現れる。

 

 

「やあぁっ!」

 

 

現れたのは市原。彼女は掛け声とともに足を振り上げられる。振り上げられた足は蹴りとなって見事にチンピラの手に直撃し、蹴られた衝撃でナイフは宙を舞う。痛みに悶えるチンピラにトドメの回し蹴りを放つ。が、その一撃は空を切ってしまう。

 

 

「ちっ!!」

 

 

決められなかった苛立ちから舌打ちが出る。すぐに次の攻撃に出ようとする市原だったが、チンピラがとっさに距離を取り、ナイフを拾い上げてしまったせいで行動に移せない。

 

 

未だに膝をついたままの三科。

それを見た市原は自分がやるしかないと前に出る。

 

 

「ダメだ。逃げろ」

 

「嫌だ。逃げない!」

 

 

三科の説得も全く聞こうとしない市原。しかし、ナイフを向けられる恐怖で足が若干震えている。彼女は三科とは違い、人にナイフを向けられた経験などない。一応、格闘術の心得はあるがそれとこれとは別問題。先ほど咄嗟に動けたのは助けたいと思う強い気持ちがあったから。しかし実際に自分にナイフを向けられてしまうとそう簡単には恐怖に打ち勝つことはできない。

 

 

チンピラはまた早く浅い呼吸をし始める。

 

 

_____もうやばい。今度こそ終わりだ。

 

三科はそう感じた。ここまで来て何もできない自分を悔いた。

チンピラの早く浅い呼吸が止まり、深呼吸へと変わる。

 

 

「来るぞ!!」

 

 

三科はそう叫ぶ。

それと同時にチンピラも雄叫びのような声を上げた。

 

しかし、チンピラが走り出すことはなく、鈍いガンという音がしてチンピラは倒れ伏す。

 

 

チンピラの後ろから出て来たのは鉄パイプを片手にニコッと笑う雪ノ下だった。

 

 

「間一髪だったね〜」

 

 

緊迫した空気から一転。それを見た市原は緊張の糸が切れ、へたり込んでしまう。三科も危機的状況から脱したことに安堵する。

 

 

「悪い。助かった」

 

「うん、いいよ。貸しにしといてあげる」

 

 

雪ノ下は片目を閉じてウィンクしながらそう言った。普通の一般男子ならばその一撃で陥落してしまうほどだったが、当の三科は見向きもしなかった。それを見た雪ノ下は一瞬、つまらない顔もするも三科が次に出た行動を見て悪戯めいた表情をする。

 

 

三科はようやく動くようになった体を引きずり市原の元へ向かう。

 

 

「大丈夫か?」

 

「う、うん」

 

 

先ほどから市原はへたり込んだまま。声もいつもよりもずっとしおらしかった。仕方がないといえば仕方がない。彼女はまだ十代の女の子なのだ。

 

三科は強気で勝気だと思っていた彼女のそんな姿を見て、ますますグッと来ていた。こんな時に何を考えているのだという話だが、彼のそもそもの行動原理は市原に会いたい。そして助けてもらった恩を返したい。その二つを完遂した三科は喜びで心がいっぱいになっていた。このままなんとかどうにかできないかと考えているうちに雪ノ下も近づいて来る。

 

 

「いっちゃん、大丈夫〜?」

 

 

その呼び名を聞いて一瞬、表情をムッとさせるも助けられた恩からかそれをすぐに引っ込めて言う。

 

 

「大丈夫。……ありがとう」

 

 

普段、市原はいつも自分に絡んで来る雪ノ下を煙たがっていたが、素直に礼を言った。それを聞いた雪ノ下は驚いた後、嬉しそうに声を上げる。

 

 

「あれ〜?今日は素直だね〜」

 

「う、うるさい!」

 

 

所謂、ツンデレだ。

その後も雪ノ下はからかうような口調で市原に話し掛ける。それを微笑ましく見守っている三科だったが、ある疑問を思い出し、雪ノ下に尋ねる。

 

 

「なぁ雪ノ下」

 

「なぁに?」

 

「なんで俺のこと知ってたんだ?」

 

 

その問いを受けて雪ノ下はニヤリと小悪魔のように笑う。

 

 

「え?あー、えーとねーいっちゃんがー」

 

 

そう言いながら市原を見た。

雪ノ下の表情を見た市原はハッと何かに気が付き、止めに入る。

 

 

「やめろ!言うな!」

 

「えー?なんでー?」

 

 

雪ノ下が言いかけたのは三科と市原が初めて会った日のこと。市原もまた三科のことを気にかけていたのだ。そのことをたまたまポロっと雪ノ下にこぼしてしまって以来、雪ノ下はずっとそのことで市原をからかっていたのだ。

 

 

「え?なになに?」

 

 

女子達の秘め事に興味津々の三科。

それに威嚇しながら市原は言う。

 

 

「聞くな!絶対に教えない!」

 

 

そんなやりとりを見て雪ノ下は楽しそうに笑う。

 

 

「何はともあれ、みんな無事でよかったね」

 

「おう」

 

 

雪ノ下の言葉に三科は短く答える。

そして雪ノ下は三科に言う。

 

 

「ねえ、ミッシーって呼んでいい?」

 

「は?ミッシー?まぁいいけど」

 

 

あまりあだ名をつけられた経験ない三科。まぁ可愛い女の子につけてもらえるのならなんでもいいやと軽い考えで了承する。自分の提案を受け入れてもらいたことを喜ぶ雪ノ下。ふと、視線を感じる。それは市原からのものだった。雪ノ下は彼女の向ける視線の意味をすぐに察し、問いかける。

 

 

「いっちゃんもミッシーって呼んだら?」

 

「呼ばない!あといっちゃんって言うな!」

 

 

そう言って市原はスタスタと行ってしまう。

待ってよーとそれを追いかける雪ノ下。

ミッシーと呼んでもなかったことを残念そうにする三科。

 

 

 

 

これがあいつと彼女らの出会い。

 

 

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