蒼き鋼のアルペジオ 〜Change the chronicle〜 作:Cadenza
キイ率いる艦隊が北極海に向け北上し始めた頃。
そのキイ艦隊を監視している各国の情報収集機関のオペレーションルームには、次々と報告するオペレーターの声が響いていた。
ここは、とある大国のオペレーションルームである。
「目標、移動を開始しました! 7列の単縦陣。方位174、速力30ノットで北上中」
「旗艦である超戦艦は艦隊の中央部に位置しています。重力波の数値は平常値を維持」
「やはり動いたか。まったく、何度経験しようと毎年この日だけは絶対に気が抜けん。各員警戒を厳としろ。些細な異常も見逃すな!」
司令官の声に各員オペレーター達が了解と返す。
これは毎年今日この日に限り、比較的余裕がある国ならば必ず起こる光景だ。
(いくら霧の海洋封鎖が終わろうと、超戦艦が率いる艦隊の動きを無視出来るはずがない。たとえ無駄であろうと、な)
そう、この日だけは。超戦艦が率いる艦隊が動くこの日だけは、決して気を抜く事は出来ない。
霧の元トップ達が率いる艦隊。警戒するなという方が無理な話だ。
毎度、結局は何も起こらず過ぎていっているが。
だからと言って傍観は不可能。
(『黒の艦隊』も確かに脅威だ。しかし、霧が率いる艦隊は世界中にいる。問題なのは——)
問題なのは、あれを率いる超戦艦だ。内心で司令官は呟いた。
確かに旗艦の艦体色から『黒の艦隊』と呼称されるあの艦隊も十二分に脅威的である。
だが群を抜くのが『黒の艦隊』旗艦。あの超戦艦は、単体で世界を相手に戦争が出来る存在だ。しかも一方的な展開で。
爆発しないと分かっていても核爆弾が身近にあって安心出来る者など居ないだろう。霧に対する切り札であった振動弾頭を無効化した前例もある。
むしろその一件が決定的だった。上層部の中には、振動弾頭の開発者に新たな新兵器を作らせようとする一派もあったが、それは早々と消える事となった。
居ない者に何を作らせられるのか。まるでタイミングを計ったように姿を晦ました者に。
(正直、いいように踊らされている感覚はある……が、それを上層部の頭の固い連中が認めるわけがないな)
海洋封鎖の終わりから数年経った今でも、霧の殲滅を目論む勢力は存在する。
滅ぼされかけたのだから当然かもしれないが、露骨というのか霧を打倒して世界で優位に立とうとする思惑が見え透いていた。
上層部が重要視しているのは、今の世界を誰が先導するのかだ。
そうなると最もアドバンテージとなるのは、霧を打倒出来る戦力を保有しているという事実。
それを証明しようとして、いったいどうなっただろうか。
「……はぁ」
思わず溜息をつく。この場の司令官たる彼も、かの任務に参加していたのだからよく知っている。
軍艦や戦闘機、空母など高価な戦力に致命的な被害を受け。武器弾薬を無駄に消費し。人的被害は殆んど無いものの、参加した兵士達は心を折られた。
更には、切り札だと思っていた振動弾頭を逆に無効化される最悪の成果を残して。
このためなのか、軍や政府の上層部は『黒の艦隊』を明らかに敵視している。
頭が固くとも無能ではないため、無闇に手を出す事はしていないが。
「……はぁ」
もう一度、大きな溜息をつく。
司令官の溜息を聞いたオペレーター達も、その気持ちは良く理解出来た。
こうして監視をしてはいるが、殆んど形骸化していると言っていい。
無人偵察機や衛星を併用しての監視。後数分も経てば、監視は終わる。
毎回そうだ。『黒の艦隊』がある一定を過ぎれば、あらゆる監視が不能になる。
衛星からの映像はノイズに染まり、無人偵察機は警告のようにモニタが乱れ、レーダーからは忽然と姿を消す。
「! 目標、レーダーから感消失……」
「監視衛星のシステムに異常発生! 映像が消えます!」
「無人偵察機の映像に乱れを確認。予定通り引き返します」
今回も同じらしい。
「やはりか……。各員待機。事態が動くまで現状維持とする」
彼等の平穏な日々は、まだまだ先である。
◇ ◇ ◇
人類側の目と耳から『黒の艦隊』が消えた数時間後。
キイの姿は、北極海にあった。
彼女が立っているのは甲板上。手摺に膝をつき、穢れのない蒼い海を見ている。直ぐ横には、花が入った保存ケースが浮遊している。
そこはキイの艦体ではない。蒼き鋼ことイ401の甲板である。
401のハッチが開き、二人の男女が出てきた。
スーツ姿の男性と白を基調としたセーラー服の少女だ。男性は手に花束を持っている。
振り返り、二人を見る。
「久しいな。直接会ったのは、半年と二八日振りか」
「以前依頼の途中で会ったのが最後ですね。超戦艦キイ」
「久しぶり、キイ」
イオナこと401と、その艦長千早群像だった。
超戦艦ムサシによる全世界への宣戦布告が終息し、霧の海洋封鎖が解かれた直後。世界は混乱に陥った。
人類側からすれば、突然の終わり。勝者が居ない事実上の終戦。
まず浮かんだのは疑い。全面降伏の期限が迫り、霧の艦隊が攻撃せんとすぐそこまで近付いていたのだから突然だ。
しかし期限を過ぎても攻撃は始まらない。数日も経てば、海洋封鎖が解かれたのは本当だと証明された。
だが進んで海に出ようとする者は、未だに少数派である。
大陸間の移動は空路が殆んどだ。
たとえ終戦しようと霧への危機感は、そう簡単に無くならないと言う事だろう。
それでも海路を使わざるを得ない場合はある。そこで白羽の矢が立ったのは、千早群像と蒼き鋼だった。
その頃の群像達は、とある超戦艦のお節介で復活した401で再び海へ出ていた。当時の情勢で群像達が401を保持したまま日本に居るのは危険と判断していたからだ。
群像自身、ある程度そういった事態になるのは予想出来ていた。ゆえに群像は頷いた。
漸く風穴が開いた世界。しかし世界と霧が安定するまで、もう暫く蒼き鋼は必要だろうと。
現在でも舞い込む依頼は大なり小なり。四年経っても意外に大忙しである。結果、色々なツテが出来たり、その功績が認められ、世界のお尋ね者というレッテルは払拭されつつあった。
そんな群像も、今日この日だけは忘れない。
群像の父。霧との対話の道を切り拓いた、おそらく英雄と言っても間違いではない人物。
千早翔像、その人の命日である今日だけは。
「ここに、父さんは眠ってるんだな」
「ああ、そうだ。元々翔像とヤマト達が初めて接触したのは、ここ北極海だった。同時にその命を落としたのもここだ」
群像とキイ。二人共、手摺から北極海を見詰めていた。
この四年で二十二歳となった群像は、端から見ても成長して、精悍さが増している。
対するキイに外見的な変化はない。しかし群像から見て、雰囲気が変わっていた。
人間味が増したと言えばいいのか。あの頃のキイは、霧としての達観や超然さが滲み出ていたが、今目の前に居る彼女にそういったものは感じられない。
「私があの時あの場にいれば、翔像を守る事も出来たかもしれない」
「よしてください。何を言っても結局は過去。大事なのは今。今何を為すべきか。それが重要です」
つい漏らした未だ思ってしまう後悔の念に、群像はそう返した。
キイは笑みを浮かべる。
「本当にお前は珍しい。人間はそう簡単に割り切れないものなのだろう? 違うか401」
群像の隣に居るイオナへ問い掛けた。
以前に比べて随分と表情が良くなったイオナは、一度頷き答える。
「その通り。でも、学んで前に進むのも人間」
「なるほど。すまない、必要のない事を聞いた」
視線を海に戻し、僅かに指をクイっと動かした。
動きに応じて背後に浮いていた保存ケースがキイの側に移動してくる。
自動で扉が開き、中の花束を取り出す。役目を終えたケースは、ナノマテリアルへ還った。
「用事を済ませるとしよう。私とお前が接触しているのを知られれば、後々厄介になる。今はズイカクとショウカクがダミーの情報でカモフラージュしているが、万が一という事もある」
「貴女が言う万が一とは、いったいどんな事なんでしょうね」
苦笑しながら群像、そしてキイは持っていた花束を海へ投げ入れた。
そして三人が目を瞑る。黙祷だ。
一分経ち、目を開く。
唐突にキイが語るかのように話し出した。
「私はヤマトとムサシのように千早翔像を父と慕っているわけではない。だが私にとっても恩人と言っていい。千早翔像とヤマト達が会ったあの瞬間、我々は生まれた。ヤマトとムサシを姉妹と認識でき、こうして過ごせるのも彼によるものだ」
独り言、なのかもしれない。誰に語っているのかもわからない。
群像とイオナは口を挟む事なく、ただ耳を傾ける。
「誰が何と言おうと、きっかけを作ったのはお前だ。そして息子がそれを継ぎ、道を切り開いた。間違いなくお前の意思は生き続けている。だから安心して眠ってくれ」
もう一度、静かに目を瞑った。
間違いなく翔像は英雄である。讃えられるべき人物だが、それを世界は知らない。
しかし構わない。たとえ裏切り者と言われようと。
彼を知り、彼を慕った者達がここに居る。
それで充分だった。
「……ありがとう」
自然とそう口から出ていた。
言われたキイは、何の事だとばかりに肩をすくめる。
「さて、そろそろ退散するとしよう。——ああそうだ、ほら」
着ているコートの中に手をやり、取り出したラッピングされた袋を、群像に投げ渡した。
キャッチした群像は、手の中のそれをまじまじと見る。
「これは?」
「趣味というものを見つけたくてな。今は菓子作りに挑戦している。折角だから後で401を通して感想でも聴かせてくれ。それと、何かあったら呼ぶといい。お前と401が頼るなら、艦隊を率いて行ってやる。ではな」
言い終わるや否や、キイが甲板から飛び降りる。
思わず手摺から身を乗り出す群像だが、直ぐに大丈夫だと思い出した。
彼女はメンタルモデル。かつてコンゴウも海面を普通に歩いていたと。
キイの場合は、海面を連続で跳躍しているのだが。
これを見ていた杏平は、やっぱデタラメだと漏らしていた。
去った方向を暫く見ていた群像は、キイの言葉を思い出して困ったような顔をする。
「彼女が言うと冗談に聞こえないな」
「キイは冗談を言わない。実際、ここへは『黒の艦隊』全艦で来ている。本気だと思う」
「俺としては彼女……と言うより彼女達に面倒をかけてしまうのは避けたいな。それも彼女達の意思次第か」
彼女達は自由なのだから、と内心で付け足す。
同時に思った。彼女は……キイは変わった、と。
キイの霧としての本質は、本来ならとても攻撃的である。それこそ
それが今ではどうだろうか。
とても静かに、穏やかになった。
「私は、キイが力を振るう時は来て欲しくない」
「そうだな、イオナ。俺もそう思うよ」
キイの能力は、他の霧と比べても桁が違う。霧の艦隊最強は半端なものではない。
彼女が本気になれば、冗談でなく文字通り光の雨が降ってくる。
かつての戦闘。あの時のキイはどこか空虚で、虚無のような瞳をしていた。自分に絶望していたのだ。
だからこそ隙があり、有効な戦術を練る事も出来た。イオナの存在もあったからだろう。でなければ、群像達は沈んでいた。
彼女が変わったのは、ヤマトとムサシという姉妹がいたからだ。
「キイは、ヤマトとムサシが居るから大丈夫。姉妹が彼女を支える」
「だけど、もし彼女の中の一線を越えてしまえば……」
イオナの言う通り、キイはヤマトとムサシが居る限り道を失う事はない。
だが、もし。もしもだ。
ヤマトとムサシが居なかったら。あの時、助ける事が出来ず、消滅していたら。
人類最大最悪の存在にキイはなっていたかもしれない。
彼女が力を振るう事はない。彼女は己の為に力は振るわない。
彼女が力を振るうのは、己ではなく大切な者の為。
言い換えれば。
大切な者の為なら力を振るうのを躊躇わないという事である。
「そうならないといい」
「願わくば彼女達に平穏があらんことを」
そう言い、群像達は401の艦内へ戻っていった。
◇ ◇ ◇
所変わって401より南に5キロ。
キイが率いる『黒の艦隊』はその位置にあった。
さすがに艦隊ごと401の元に行くわけにはいかない為、キイ以外は待機していたのだ。
船体は艦隊中央部にあり、艦橋にキイが重力を感じさせない様子でフワリと降り立つ。
艦橋にはヤマトとムサシが待っていた。
「おかえりキイ」
「ただいまヤマト。ムサシも」
「おかえり。ごめんなさいね」
「しょうがないさ」
401の元に行ったのはキイのみで、ヤマトとムサシは艦隊で留守番である。
と言うのもこれは毎度の事だ。
理由はムサシにある。四年経った今でもムサシは、401に対する複雑な思いが拭い切れていない。
401の存在があったからこそヤマトは生き残り、和解が叶ったのは事実。それを分かっていても踏ん切りが付かないのだ。
その為ムサシは、未だ401に会えずにいた。
ムサシだけを残して行くわけにはいかず、ヤマトが共に残り、キイが行ったというわけである。
「急ぐ必要はない。時間は掛かるかもしれないが、それでも歩み寄れる時は来る」
「……キイには面倒をかけてばかりね。私がお姉ちゃんなのに」
「姉も妹もない。私達は姉妹だ」
少し表情が暗くなったムサシを撫でつつ、そう答える。
慰められたようなムサシからしてみれば、これではどっちが姉か分からないではないか。そう言う気持ちだった。
だが最近は、これでもいいと思えてしまっている。
ヤマト曰く、ムサシは甘えん坊らしい。だからヤマトに似た包容力を持つキイを、姉のように感じているのかもしれない。
実際、キイの膝に乗って抱き締められている時や、撫でられている時はとても安心する。
むしろずっとこのままで……
(って、もっとダメになってるじゃない私⁉︎)
これでは完全に妹キャラ化してしまう。
姉の威厳なんてあったもんじゃない。
それでもどこかでまた、それもいいと思えてしまっているので手に負えない。
赤くなりそうな顔を抑えて、誤魔化そうと話題を変えた。
「そ、そういえばキイ。花の他に何か持っていったみたいだけど、何を持っていったの?」
その問いに対した意図はなかった。誤魔化し以上の意味はない。
だから、予想外というか不意を突かれたような答えに、直ぐには反応出来なかった。
「ああ、あれか。いや、私が作ったただの菓子だ。味の感想でも聞こうと思ってな」
「……………え?」
辛うじて声を出せたのはムサシのみ。
微笑ましく見守っていたヤマトの表情は固まり……と言うか、艦隊の進行が一瞬だが確実に停止した。
ここで、メンタルモデルについて再確認しよう。
メンタルモデルは、『大海戦』前に同士討ちによって駆逐艦二隻を轟沈させた翔像達に興味を持ち、接触する為にヤマトとムサシが形成した人型の意識体である。
後付けではあるが、一切の戦術戦略を持たなかった霧が人類のそれを学び、最終的には独自の戦術を編み出すに至るというのも目的の一つだ。
だがメンタルモデルは、メンタルモデルであるが為の欠点がある。
それは、人間を模した故に本来ならするはずのないミスや欠点を持ってしまう事だ。
経験や時間を積む事でいずれはどうとでもなるだろうが、現状でそれを克服した者はいない。
人間もメンタルモデルも、完全無欠は無いのだ。
例を挙げるならば、コンゴウは面倒くさがり、ヒエイは固く真面目過ぎ、アシガラはイオナ曰く粗忽者、ハグロはダウナー。
欠点を持つが故の良さもあるのだが、今は置いておこう。
ならば、霧の艦隊最強にして『黒の艦隊』旗艦、超戦艦キイの欠点とはなんだろうか。
それは、戦闘に特化し過ぎている事である。
戦闘に関する事なら群を抜くキイ。
駆け引き、戦術、交渉、話術、見極め。こと戦闘——いや、戦争に必要な要素は大抵熟している。
だが彼女は、あまりに戦闘特化で、それ以外の女子に備わっているべきものがポンコツレベルでダメなのだ。言い方を変えれば女子力が低い。
家事スキルは壊滅。と言うか家事が火事になる。
中でも調理がマズい。色んな意味でマズい。メンタルモデルが卒倒する程マズい。
救いがあるとすれば、キイ本人も欠点を理解して承知している事だろう。ただキイは、それを直そうとしている為、被害者は増えている。
ヤマトとムサシは勿論。『黒の艦隊』のメンタルモデル搭載艦。コンゴウ他、ヒエイを始めとする生徒会メンバー。他霧の艦隊の面々。
今のところ、耐え切ったのはコンゴウとヤマトのみである。
そんな、下手すりゃ振動弾頭よりヤバい代物だが。キイ本人は、いたって普通に食べられるので更に厄介である。味見をしても気付けないのだから。
その為被害者が増えてしまうのだ。
では本題に戻ろう。
キイの料理はヤバい。これは霧にとっての共通認識と言っていい。
しかし問題は、その情報が401に伝わっていないという事だった。
「ねぇキイ。無駄かもしれないけど、毒味はした?」
ヤマトが恐る恐るといった風に聞く。味見ではなく毒味と言っている時点で推して知るべしだ。
キイはしれっと答える。
「ん? もちろんしたぞ。確認もしないで渡す訳がないだろう」
「常識を言っているのに、何故かそう聞こえないのは何故かしら……」
ヤマトもこれだけはどうにも出来なかった。無力な元総旗艦を許してほしい。
「お姉ちゃん、一応401に連絡を。アレを何も知らず口にしてしまうのは、さすがに忍びないわ」
「そうね。時間的に手遅れかもしれないけど、何もしないよりは……」
「いやいや待て待て。さすがにヒドくないか?」
「「キイは黙ってて」」
「…………」
異口同音で言われ、見るからにガーンとなるキイ。
自分では大丈夫でも、他からは兵器並にヤバいのは理解しているし直したいとも思っている。
だが姉二人にストレートに言われては、さすがのキイもへこむ。
この後、さすがに言い過ぎたかと姉二人がへこんだ妹を慰めたのは語るに及ばずである。
◇ ◇ ◇
時は少し遡り、401艦内。
キイを見送った群像とイオナは、発令所へ戻って来たところだった。
そんな二人に、副長席に座る織部僧が視線を向けた。
「お帰りなさい。キイはどうでした?」
「相変わらずだったよ。ただ随分と人間らしくなったと思う」
その問いに対し、群像は艦長席に座りながら答える。
「いやホント、変われば変わるもんだな。初めて会った時は、マジおっかなかったってのに」
火器管制担当の橿原杏平が茶化すように言った。
現在発令所には、401クルーが全員集まっている。
どこかの国に見つかる懸念はないでもないが、『黒の艦隊』と超戦艦の警戒網を突破出来るとも思えない。
その為機関・技術担当の四月一日いおりも含めて全員が勢揃いしていた。
「確かに、あの時の彼女は本当に戦闘機械のようで怖かったですね。今では影もありませんが」
「今が本来の彼女なのでしょう。人間も何かしらのきっかけで一変する事がありますから」
杏平の言葉にソナー・センサー担当の八月一日静が同意し、僧が捕捉する。
彼らから見てもキイは変わった。会った当初は、人間味を感じさせない戦闘機械じみた印象を受けたものだ。
それが今では、微塵も思い出させない程明るくなっている。
群像もそれを身近で実感していた。
「霧も変わるという事だ」
人間でいうところの成長、進化なのだろう。
霧は以前にも増して成長し、進化している。それが彼女達にとって、プラスになるのかマイナスになるのかは分からない。
だが彼女達が人間らしくなるのは喜ばしい事だ。
”兵器に生まれたからと言って、戦わなければならないわけではない”
それは、かつて翔像が言った言葉。彼女達と、霧と分かり合うための一歩なのだ。
(趣味を持つのも成長の証、なんだろうな)
キイに渡された袋に目を向ける。袋越しに伝わる感触や匂いから、おそらくクッキーか何かだろう。
まさかあのキイが菓子作りをするなど、ましてやそれを自分達に渡して感想を聞かせてと言われるなどと思ってもみなかった。
そんな感傷に浸っていると、群像が持つ袋に杏平が目敏く気付いた。
「群像、その袋どったの?」
「ああ、キイに渡されてな。趣味で作った菓子だそうだ。食べて感想を聞かせてくれと」
「マジで⁉︎ 俺らの分ってある?」
「重さからして全員分あるな」
群像が袋を開ければ、予想通り緑色のクッキーが六枚入っていた。
緑色なのは、材料に抹茶でも使っているのだろう。
寄ってきた杏平が一枚摘み、群像も取る。杏平は早速とばかりに口に運び、群像も続いた。
「あっ……」
横からそれを見、自分も手を伸ばそうとしていたイオナが、突然、手を止めて宙に視線を彷徨わせた。
次の瞬間には、群像を慌てて止めようとする。
「群像、それ——」
しかし時既に遅し。
クッキーを咀嚼する群像と杏平。
二回程噛んで、二人の意識は暗転した。
「ど、どうしたんですか艦長?」
「ちょっと杏平? 大丈夫?」
いきなり意識を失った二人を心配して、いおりと静が席から立って駆け寄る。
そんな二人を見て僧は、食べる瞬間に止めようとしたイオナに尋ねた。
「イオナ、二人はどうしたんですか?」
「今ヤマトから呼ばれた。キイが作った料理には気を付けろって。でも遅かったみたい」
ヤマトによれば、女子力が低いのがキイの欠点で、特に調理に関しては壊滅的だと言う。
それこそメンタルモデルを一撃ノックアウトする程に。
「……彼女にも欠点があったという事ですか」
「と言うより、メンタルモデルをノックアウトって振動弾頭よりマズいのでは」
静が冷静なツッコミを入れるが、言葉に力がない。
「成分を聞いたけど、身体に害はない。むしろ成分的にはとても良い。最近の群像は寝不足だったから丁度よかった」
「なんで身体に良いのに気絶するのよ」
いおりの言い分は尤もである。
ちなみに、これまでキイが作った料理の味を感じる事が出来た者はいない。
なにせ味を確認する前に意識がブッツリと飛ぶので感じようがないのだ。
耐え切ったヤマトとコンゴウも味を感じる余裕がなかったらしい。
こうしてキイの意外な欠点を知った微妙な空気のまま、平穏な日常は過ぎていった。
だが平穏は続かない。良くも悪くも彼女達は注目される存在である。
平穏が崩れ始めるのは、今から数年後の事だった。
完全な余談ではあるが、目覚めた群像と杏平はとても調子が良かったという。
身体に良いのは本当だったようだ。
・キイの欠点発覚。
おそらくセシリアよりヤバいかも。ただし自覚はあるのでまだマシ。だけど直そうとしている上に、本人は問題なく食べられるのでやっぱりどっこいどっこい。
・キイ特製クッキー
緑色なのは抹茶ではなく、身体に良いとされる約束やらを色々と使ったため。匂いも悪くない。ただし食べれば身体に良いが、一撃ノックアウトは必須。それでも良い方は座って食べましょう。意識を失うので立っていると危険です。
・被害者達
姉妹を筆頭に『黒の艦隊』メンタルモデル搭載艦。他霧の艦隊も。耐えたのはヤマトとコンゴウのみ。さすが総旗艦とラスボス。でもギリギリ。