一話
時は
娘は荒く息を吐き築地に手をつきぽたぽたと血を流しながらも、何かから逃げるように京の中を進んで行った。
ある上達部の
身に纏うその衣を朱に染め上げる背中のその傷は、まず人間の娘が受けて動けるようなものではないのだが、妖であるその身にその例は当てはまらない。
だが刀傷から血を流しすぎたせいか次第に体力を奪われ、既に朦朧としていた意識もついに絶え路の端に倒れ臥した。
◆◆◆◆◆
夜。
雪のしんしんと降りしきる中、男は内裏より真冬の寒さに凍えながら家路を急いでいた。
この男の官職は宮中の饗膳を司る
だが今日は偶々側には誰も居らず男は月明かりの中一人で夜道を進んでいた。
その歩き慣れた雪の積もる道の中で男はふと、まだ新しい足跡を見つけ、戦慄する。
その足跡はただの足跡ではなかった。
衣をひきずった女人のような小さな足跡、そして何よりそれは血に染まっていた。
特に正義感の強い訳ではないがこの時ばかりは心の中の何かに突き動かされこの男はその後を急いだ。
程無く一町足らず走ったところで男はうっすらと雪を被った物影を見つける。
近づくとそれはやはり若い女人であった。
その娘は後ろから袈裟懸けに斬られており、うつ伏せに倒れていた。
薄くかぶった雪も血に滲む酷い傷であった。
「おい!おぬし!大丈夫か!?」
大丈夫な訳がない。
男が呼びかけても当然の事だが返事はない。
が、かすかな虫の様な息ではあったもののまだ生きてはいるようだ。
しかし、冬の雪の降る夜にこのような状態で倒れていたため所々血濡れた肌は青白く体も冷えきっており、寒さに凍え苦しむ小さな息の音も荒く次第に弱々しくなっている。
「すぐに手当てしてやるからな!」
男はそう呼びかけゆっくりとその娘を負ぶさり屋敷へと急いだ。
◆◆◆◆◆
男は邸に着いても乳母子の女以外の家人の者を呼ばずに邸に娘を上げ、男の母が亡くなってからは掃除だけはしてはいたが、今は使われていない邸の対の屋の一つに女を寝かせ乳母子の女に手伝ってもらいながら手当てをした。
一通り手当てを終え、娘の息が少し穏やかになったことで男は一安心した。
一息置いたところで女を見る。
娘は長く艶やかな黒い髪、真っ白な白磁のような肌で、まだ苦しそうに顔を顰めているがとても美しい容姿である。
着ていた衣もそれなりに良いものであったことからそれなりの家の姫君なのかもしれない。
が、そのためその姫君が斬り付けられていた事を考えるに何かの問題に巻き込まれた可能性がある。
そのためその家に戻るのは少し様子見が必要であろう。
まさかとは思うが化生の類ではないだろう。
それはともかく後々のことも考え必要最低限の者だけにしかこのことを伝えていない。
とりあえず刻も戌の下刻であったことから男はそのまま乳母子に明日は出仕ができないことなどをいくつか言づけて下がらせ、どういうことか自分らしくもなく何かと面倒な事に首を突っ込んでしまったのではと思いつつそのまま夜を明かした。
◆◆◆◆◆
明くる日の昼前に彼女は目を覚ました。
彼女は男を見るなり「ひっ!」とひどく怯え、そのまま起き上がろうとしたが傷に障ったのかまた力なく床に臥した。
だがまだ恐慌状態の彼女は必死に遠ざかろうとしている。
そんな彼女に男は歩み寄り、
「私は、内裏でお仕えしている
昨晩偶々道で傷つき倒れていた貴女を見つけ、そのままにして置くわけにはいかず私の屋敷に運び手傷の手当てをしてこの場に寝かしつけていた次第。
因みにこの屋敷に貴女がいるのを知っている者は私と私の乳母子しかおらず貴女が望む限り口外することはしない。
ひとまずは安心なされよ。」
それを聞いた女はとりあえず安心したのか、床から傷を押して出ようとするのをやめたようだ。
そこで彼は再び口を開いた。
「貴女はどこかの姫君とお見受けする。もし、この私で良ければ何があったのかを聞かせてはくれぬか?」
そう彼は問うたが、
「・・・・・」
彼女は目をそらしたまま答えない。
「まあ、答えたくなければ答えなくとも良い。まあ、・・・その、なんだ。名前だけでも聞かせてくれぬか?」
彼の問いかけに彼女は目をそらしたまま何も答えない・・・かと思われたが、
「・・・・・葛の葉」
「葛の葉か、よし!葛の葉よ安心するが良い。
何かに巻き込まれて逃げてきたのならおぬしが望むなら里に返すもよし、ここにいるのもよし。
何かあれば私に言うが良い。
まあそれよりも飯を食え。
傷を治すのも冷え切った体を癒すのもそれが一番であろう?
この大膳大夫の私が用意してやる!」
そう言葉を残し彼は邸の対の屋を出た。
残ったのは葛の葉と乳母子である。
怪訝に益材に目を遣る葛葉を見て、乳母子の女がどこか懐かし気に口を開く。
「あのようなお姿を見たのは久しぶりでしてね、
私共が幼い頃は実の妹のように私を連れて様々なことをなさって腕白で昔から正義感の強い方でした。
元服し宮仕えするようになってからは徐々にそういったところはなかなか目につかなくなって、
特に最近はどこか疲れ切っている気がしていました。
ですが昨晩焦りながら貴女を背負って帰宅なさった時は流石に私も驚きましたが、
先程久々にあのような表情を見て懐かしく思いました。
あの方を疑わないでくださいとは私の口から言ってもしょうがないですが、
信じてあげてください。
決して悪いようには致しませんので。」
そう微笑みながら言い残し彼女も対の屋を後にした。