目が覚めた…。
頭が…、痛い…。
全身に倦怠感がある…。
背中の汗が気持ち悪い。
どうやら、熱まで有るようだな。
はあ…、今月も、だな…。
八雲紫が邸に侵入した時にそこそこ重篤な発作を起こしわて以来、凡そもう一年近くになるが、私は毎月一回軽い発作、若しくは発作までには至らずともなかなか厳しい体調不良に悩まされるようになった。偶々なことでもないが奇しくも満月の日とそれは一致する。
月の満ち欠けと妖怪には深い関係がある。一概に言って満ちるほど妖力は高まるものが多い。私もこれに当てはまる。だがそもそも半妖は存在が不安定なモノであり、しかも特に私の場合はその霊力と妖力という相反する二つの力の量が自分で言うのもなんだが非常に多い。そのためより不安定なのだ。そのため幼い頃はよく体調を崩すことが多かった。成長してからは具合が悪い程度になること有れど、ここまで体調を崩し易くなることはなかった。なかったのだ。だがあの一件以来私の存在というものは大分不安定なモノとなっているらしく体調をかなり崩し易くなっている。特に月に一回は必ずその時期に体調を崩す様になってしまっている。
それを周囲に気取られてしまっては、勘の良く働く者には邪推され露見してしまう可能性がある。
そのため発作を起こしているとき以外は努めて出仕して、かつ具合が悪かったとしてもできるだけ表情に出さない様に心がけている。
どうも重い頭と身体をなんとか起こしやっとのことで井戸へと向かう。汗で湿った小袖が重く感じる。晩秋の早朝の冷えた空気はその汗を吸った衣と汗ばんだ身体を容赦なく冷やす。外を見渡せば雪がちらついているようだ。
雪か……。
周囲はまだ暗く、漏刻は寅の刻を指していた。西の空に傾いた望月は少々朱く色づき、東の空から徐々に白んで来ている。
釣瓶に並々に張った水で顔を洗う。
水面に映った自分の顔は酷いものだ。目の下は隈が入り、
久々に変化を解いて女の姿に戻る。此方も酷い顔だな、隈が入り大分やつれた女の顔だ。
「はあ。」
思わずため息が出る。
よくよく考えたら自分の顔を見たのは本当に久しぶりだな。いつ以来であろうか……。こうして見たら自分で言うのも変だが、私の顔は母上の顔にそっくり似ているのだな。一応言っておくが勿論母上の顔がやつれていて顔色が悪かった訳ではない、その事は差し引いて、だ。
変化した男の時の顔は記憶の中の父上の若い頃の顔と現在の吉明の顔をもとにしていて、父上と吉明の顔を足して二で割ったような顔のため、母上の顔の成分は一切入っていない。今後どうにかしてこの姿で父上、継母上、吉明とで一同に会う機会が出来ないだろうか……。一回倒れたことが元で出家なさったのだ。吉明からも、もうそう長くはないかもしれないとも聞いている。
父上も継母上もすでに齢五十を超え、かなり年だ。色々考えなくてはいけないだろう。
もう一度顔を洗う。まだ具合が悪く鈍った頭は覚めきれない……。
そういえば本当にまだ私が幼かったころ、三歳位だろうか、記憶の奥底にある私はまさしく今、現在のように妖力と霊力が不安定であることが普通だったため、いつも床に横になっていた……。この場合は妖怪の血が身体に馴染んでいなかったと言うべきなのか?まあ、とりあえずよく今のような発作を繰り返し引き起こしていた。その度に母上が結界で外に妖力が漏れるのを防いでいた……。本当に私は母上に苦労ばかりかけ続けていたのだと改めて思う。
母上が出ていってしまった頃には発作を起こす事はほぼなくなっていた。しかしそれでも稀に発作は起きていた。そのため賀茂門下に入ってからは、それを隠すために結界をなんとしても覚えなくてはならなかった。まあ、難なくそれは修得できたが。もしそれまでの間に発作を起こしていたらと、今ですら寒気を覚える。それぐらい当時の私は焦っていたのだ。『露見したら殺される』『果たして私だけでそれが済むだろうか』等、最悪起きてしまいかねない事ばかり考えていた。
最低限の術を覚えていた頃にあの洛中での酒呑童子等との遭遇である。あの一件で他の弟子たちとは別格として教えられるようになった。私は鬼を心底、反吐が出る程嫌っているが、そのように上手く事が運んでいった点には運が良かったと考えるようにしている。
元服し出仕するようになってからは其までに培った陰陽道、結界術、仙術、そして十二柱の式神等の力、これらを用い様々な仕事を熟してきた。
だが私が出仕するようになってから、また鳴りを潜めていたあの噂が気付けば出回るようになっていた。
内裏に出仕をすれば、すれ違う者、遠くからこちらを窺う者、あらゆる者達が陰で私の名を腐しているのを耳にする。残念ながら半身が妖であるこの身体の耳は遠くでの囁きもよく拾うのだ。『化け物』『穢らわしい』『人の皮を被った畜生』等、列挙したら切りがない。最初の内に私に向けられることには慣れたが、どうにも弟もそれに曝されるのだ。此ばかりは我慢ならない。今ですら鬼退治の時にもそれが有ったようだ。賀茂門下が大半を占める陰陽寮内でそれなりの力を持つ私や弟に対してとやかく言って楯突く考えなしの者は既に居ない。
要は力を持てば、相手は黙るのだ。それでも黙らないならそれを黙らせる程の上回る力を持てばいい。公卿を出す家柄ではない私は本流で力を持つことは出来ない。陰陽寮自体がそこまで力がある官職ではないため単に陰陽寮で昇り詰めても今のままでは大した力というモノはない。『陰陽師風情が』と鼻で笑われるだけで、彼らにとって我々は日々の占いを出す者達に過ぎないのだ。それなら実力を示して上に上がるしかない…。
やはり近づくならば権勢を誇っている右大臣の九條殿か……、そこで次代は誰に近づくかを見極める。
まあ、今日は体調があまり良くはない。どちらかといえば悪い方で、半年位前の発作の次くらいだろうか……。忠行様には弟に伝えてもらうしかないだろう。
さて、もう一度顔を洗って部屋に……っ!
「そこにいらっしゃるのはどなたですか?」
突然、木陰から聞こえた、春子殿の声に頭が真っ白になった。
ここに居たままは不味い、とりあえず邸の外にっ!?
発作!?
焦ったのが原因で胸に負担でも掛かったか!?
喉が詰まる、息が、できない。
為す術も無くその場に胸を抑えて崩れ落ちる。
「大丈夫ですか!?」
そんな声が聞こえた気がした。
そこで晴明の意識は途切れた。
◆◆◆◆◆
早めに目が覚めたので、少し屋外に出て涼もうと思い外に出ました。
こういうことはあまり考えてはいけないのでしょうが、この安倍様の邸にはかつて私が住んでいた邸のような大きな庭園はなく船遊びをできるほどの池もありません、しかし小さいながらも趣の有るものになっています。
以前でしたらこういったことを考えることすら避けていたでしょうが今では昔を思い出すことに対して抵抗はありません。無論、悲しいのは事実ですが両親や兄弟はそれで帰って来ることは無いと割りきって考えられる様になりました。
それも晴明様や祥子様が何かと支えて下さったおかげでしょう。最初に言われた様に幾重もの結界に守られたこの邸には妖怪や霊が入り込むことはありません。家族の事は割りきって考えられるようになっても、これは未だに慣れることはできていません。それはこれからも恐らくかなり厳しいものなのでしょう。その事を考えると私がこの邸から出る事は余り無いのでしょうね。
「はぁ。」
ため息を吐いてしまいました。ですがここまでになることができたのは、晴明様のお蔭です。なのにここまで助けて頂いたというのに私は何もお返しすることは出来ていません……。所で前々から疑問に思っていたのですが、どうして晴明様は未だに婚姻をなされていないのでしょうか?弟の吉明様は婚姻なされて子まで成しているというのに……。
こんな事を考えてもどうしようもありませんね。少し喉が渇いたので水を飲みたいですね。甕にまだ水は残っていたはずです。
何か水の音が井戸の方から聞こえましたね、誰かいるのでしょうか?
女の方……でしょうか?……でも、祥子様でも、梨華様でもないようです。白い小袖を着ていて、少し年若いようですが……、どうにも顔色が悪いようにも見えますし少し苦しそうですが、邸の中で見たことがある人ではありません……。
では……、どなたなのでしょうか?
「そこにいらっしゃるのはどなたですか?」
その人の動きが止まりました。
その時です、少しではありますがその方から妖力が滲み出て来ました!妖怪!?
ですがすぐに胸を抑えて倒れてしまいました!思わず駆け寄ってしまい、
「大丈夫ですか!?」
声まで掛けてしまいました、ですが返事はありません、どういたしましょうか!?
とりあえず、晴明様を呼びましょう。
◆◆◆◆◆
晴明様の部屋に着いたのですが何故か誰もいません、木戸は開きっぱなしで、床は敷いてあるのですが……、何処に行かれたのでしょうか?
仕方ないですが吉明様に頼みましょう。
◆◆◆◆◆
吉明様はいらっしゃいました。
「吉明様、お休みの中申し訳ございません。」
「ん?、春子様?、どうかなされましたか?」
訝しげな顔で訊ねられました?
「その、邸に妖怪が出て、」
「なっ!?まだ中に居るのですか!?兄上には!?」
かなり、驚かれたようです。
「いや、それが女の姿の妖怪なんですけれども、その妖怪が井戸の側で胸を抑えて倒れてしまって。晴明様も部屋におられなかったので……」
今度は真っ青になってしまいました。そして
「今晩は、満月か!」
と呟いたのが小さく呟いたのが聞こえました。満月?
「すみませんが、春子様はこちらに居てもらってもよろしいでしょうか?」
焦っているようですが、有無は言わせないような剣呑な目付きです。
「……わかりました、ですが後で教えてもらえますか?」
吉明様は、一瞬顔をしかめましたが、目を少し閉じて一息吐いてこちらを真っ直ぐ見つめました。
「後悔なさいませんか?」
鋭い目付きでこちらを見ています。少し唾を飲みこみ、
「…はい。」
その威圧に少しすくんでしまいしたが、何か隠していらっしゃる重要な事を教えてくださるそうです……。
吉明様はそのまま行ってしまわれました……。
◆◆◆◆◆
少しして、吉明様が戻って来ました。
「どうぞ、此方へ。」
促されるがままに吉明様の後に続きます。
晴明様の部屋に着きました?
祥子様もいらっしゃる?
そして、何よりも先ほどの妖怪?の女の方が床に寝かせられている?
どういうことなのでしょうか?
そして、吉明様が口を開きました。
「今、横になっているこの方は、私の兄上、安倍晴明、いえ、姉上の晴子なのです。」
「……え?」
この方が晴明様?姉上?晴子様?驚きの余り言葉が出ません。
「私と姉上は異母兄弟になり、姉上と母上には血の繋がりはありません。姉上の母君は、妖狐でした……。つまり姉上は、狐の半妖になります。」
淡々と説明されたそれは、私を混乱させるには十分でした。
「姉上は母である葛の葉様が出奔なされた後、男子として育てられ、姉自身も常に男の姿に変化をしていました。そして、陰陽師になり現在に至ります。」
「……」
「ある切っ掛けか原因で一年ほど前に倒れて以来、毎月一回位の頻度、大体が満月の日付近で体調を崩していて、ほぼ間違いなく今回もそれでしょう。」
「あのっ……」
「なんでしょうか。」
「この事を知っているのは他に誰がいるのでしょうか?……」
「今、ここにいる者以外では父上と姉上の母上である葛の葉様、そして元々葛の葉様と姉上付きだった女房ですね。そしてここに居る貴女を含める私たち三人の全てで六人ですね。」
「子供たちは兎も角、梨華様は知らないのですか?」
「そうですね、いずれは伝えるべきでしょうが……。」
「今まで、晴明様が婚姻なさってなかったのもこれが理由なのですか?」
「言うまでも無いでしょう、半妖であまつさえ女である者が普通に婚姻できるともお思いですか?そういう話が出る度に何とかして断っていたのですよ。」
「そう…ですか…。」
そこまで話したところで、今まで沈黙していた祥子様が口を開いた。
「そこで実は貴女にお願いがあるのです。」
こちらを真っ直ぐ見据えて言葉を紡ぐ。
「晴明の妻となってほしいのです。」
「!?」
「実は前々から考えてはいたのですよ。」
「どういうことなのです。」
「晴明には彼、いやもう彼女でいいですね。彼女を支えてくれる人が必要なのですよ。彼女は特に最近かなりの頻度で体調を崩しています。そこを支えてくれる人がいて欲しい。これがひとつです。」
目の前で横になっている晴明を見てもかなり苦しそうに浅い息を繰り返している。
「そしてもうひとつが既に婚姻をしていれば縁談を持ち込まれることも減るだろうということです。要は言い方は悪いですが縁談を防ぐ堤になってほしいのですよ。そういう意味で貴女は非常に都合が言い訳ですよ。」
余りの言い様に春子はむっとする。それに祥子はこう言う。
「こんな言い方になってしまって本当に申し訳が無いのですが、どうか、どうかこの子をお願い出来ませんか。」
祥子様はそう言って深々と頭を下げた。
「少し考えさせて下さいませんか?」
「わかりました。」
その一言を残して祥子様と吉明様は部屋を出て行った。
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