藤原氏。
大化の改新を推し進めた天智天皇の功臣、中臣鎌足を祖としている氏族である。
尤も、実際のところ天智天皇の女御の一人であった車持氏の女性が身籠った際に
『生まれた御子が男であればおぬしの、女であれば朕の子にする。』
と仰ってその女御を中臣鎌足に下げ渡したと言われていることは割と有名な話である。
そのことから実質の祖はその生まれた子、藤原不比等もしくは天智天皇とも考えられている。
そうそう車持氏といえば、子供のころに母上に読んでもらった竹取物語の車持皇子は藤原不比等のことだったか。
かぐや姫か…、本当にいたのかもしれんな…。
…何はともあれ、かつて律令の敷かれる以前、力を持っていた貴族の中臣・
藤原不比等と同じく竹取物語の貴公子の一人である
そんな都の貴族でもそれなりの割合である藤原氏だが、その主流はその不比等の次男房前を祖とする北家本流であり、現在その権勢の筆頭の地位にあるのは右大臣である九條殿であろう。
戦乱で傾きかけた朝政を倹約を徹底することで建て直した九條殿は、内裏に娘を中宮として立て、昨年生まれた春宮の外戚となり、同じく娘を入内させている左大臣かつ異母兄である小野宮殿に決定的な差を生じさせ、帝の篤い信任のもと宮中での実権を掌握している。
だが、小野宮殿を除き隔絶した権勢を誇る九條殿といえども、ほかの貴族からのあらゆる呪詛などを防ぎきる術は持ってはいない。
そのため、師である忠行様も九條殿に取り入り呪術の類を見事防いだことで九條殿からの篤い信任を受けている。
その師と保憲様、そして次席の弟子として私を加えた三人で基本的に邸には出入りをしている。
◆◆◆◆◆
私達が九條殿の邸内を歩いていると
「お主もようやく娶ったか、それもまさか娶ったのが春子殿だとは……ほっほっほ」
忠行様……、口を開いたと思えば、いきなりそれですか……。
「なんでも、以前倒れたときに健気に看病してくださったとか、そう聞いたぞ、晴明、どうなのだ?」
保憲様まで……。
「はあ、それでおおよそ間違いないですよ……。」
「ほう、それでは、どうなのだ子供の方は……」
何か唐突に下世話な話になり、二人して妙ににやついた顔つきでこっちを見ている、こっち見んな。
なんか無性にイライラしてきた。
「何の話かと思えばそれですか、夫婦になったのです。することはしますよ。」
嘘である。
「そうか、それはそれは……、ほっほっほ。」
忠行サマが、にやつきながらその長くたくわえた髭を触っている。根元から切ってやろうか。
「この前までこーんな
「六十近い忠行様はともかく保憲様はそこまで気にする歳でもないでしょうに。」
「なあに言葉の綾だ、と言いたいところだが息子のことを考えればなあ……。」
「まあ、それは……。」
口調からも察するかもしれないが保憲様の息子は能力はそこそこ高く有望な子だと言いたいのだが、如何せん自尊心が高いきらいがある。
例えばはるかに年上の兄弟子であるはずの晴明に対しても舐めた態度をとることも多々ある。
保憲様も事ある毎に注意してはいらっしゃるようだが中々改善がみられないようである。
「もうすぐ元服するのだから、態度は改めるよういっているのだがな……。」
最近急に白髪が目立つようになったのをみるに、大分精神的に堪えているのだろう。
「そういえば吉明の子等はどうだ?」
「とても良い子達ですよ、もし私の子ができなかったら家督を譲って良いぐらいです。」
私がうっかり本音をそう言うと、保憲様は呆れたように、
「おいおい、所帯を持ったばかりだというのにあまりに不謹慎だぞ、そんなことは言うものではないぞ。」
と言うので、私は慌てて
「確かに不謹慎でした、以後は気を付けます。」
とだけ応えておいた。
◆◆◆◆◆
先ほどから私達三人は九條殿に相まみえており、私は最初から平伏している。
この部屋には九條殿、私たち三人、そして私にはまだ面識のない若者が一人、この五人がいる。
この若者は誰であろうか…、嫡男は今は地方に出向、次男はアレ、ということを鑑みるにおそらくは九條殿の三男?であろうか…。確か少納言だったはずだが、名が思い出せない…。
「先ほど邸を取り囲む結界を確認しましたところ何らかの呪詛を弾いた形跡が数多く見受けられました。
ですがそれを通り抜けた形跡はありませんでした。」
「それはそれは、誠に物騒なものですなあ、それにしても流石は賀茂殿、見事な結界ですなあ。」
「実はこの結界、ここに控えております私の弟子が新たに考案したものでして、」
「ほう、それは……そなた名は何という?」
その問いに私は面を上げ、
「
「大膳権亮?……ああ、先頃の鬼退治の……、ふむ。」
此方を見る九條殿の目が一瞬ではあるが好奇の視線ではないが晴明を射抜くような視線になったのがわかった。だがその九條殿、余り顔色が良くないように見える。
「賀茂殿は後継者にも有望な弟子にも恵まれて、陰陽寮も安泰ですな。」
「ははっ、そこまで言って頂けるとはこの忠行、恐悦至極に存じます。
右大臣様も御嫡男の
それにしてもどこのどなたかは存じませんが懲りませぬな。
我らの施した結界をそう簡単に崩すことなどできぬのはわかっておろうに。」
◆◆◆◆◆
右大臣への目通りを終えた晴明たちが帰途に就こうと邸内を歩いていると一人の若者が現れた。
晴明とも面識がある男だ、とは言っても決して良い意味ではない。
以前の鬼退治の際に
私たちは当然脇に寄り頭を下げ、彼は何も言うことなくすれ違ったが明らかに苛立っているように見えた。
ある程度離れた所でおそらく耳が良い私にしか聞き取れない小さな声で、
「陰陽師如きがつけあがりおって。」
と呟いたのが聞こえた。