『南都の数多くの僧官僧兵が信貴山に向けて出立されたとのこと。』
目の前の文の始めにはそうある。これは今すぐに自身の立場はどうあれ伝えねばなるまい。そう考え口を開こうとした刹那、
晴明が後ろへ跳躍するのと同時に、白蓮は先程まで晴明がいた場所を何処からともなく出てきた錫杖で横薙ぎに振り払った。初撃を避けた晴明だが、三振り目を避けた後に背中が柱に当たって退路を失ってしまう。
そして白蓮はそのまま錫杖の
その目には有無を言わさぬ警戒の色が見える。
「常葉さん、その文は一体何なのです?そして、貴女は一体何者なのですか。答えなさい。」
このように追い込まれてしまっては吐くしかないであろう。まあ、このようにされずとも明かすつもりは有りはしたのだが。
「私が狐の半妖の女であることは間違いありません。ただ、」
晴明はそこで変化をした。そして生まれたその隙に太刀を抜き錫杖を払い白蓮の首もとに切っ先を先程の意趣返しだとも言わんばかりに突き出す。そして慇懃無礼に語りかける。
「表向きには男として京にて陰陽師をしております、名を安倍晴明と申します。帝と右府様の命で信貴山にあると聞く妖怪寺に棲み付く妖怪達を祓いに弟と共にこの山に来ました。姉の私がこの寺に、弟が朝護孫子寺に入り込みました。」
「お、陰陽師!?安倍晴明!?あの?貴女、今の今まで私たち、寺の皆を騙して…貴女との先程までの議論は何だったのですか?」
白蓮の目には憤怒の感情が見える。それに対して晴明は一息吐き構えていた太刀を納める。
「その節は申し訳無いと思っています。お許ししていただくことは難しいでしょう。ですが、あの議論は私の本心に間違いありません。」
晴明は変化を解き腰を降ろし頭を下げる。
「できれば、このような事態にはしたくはありませんでした。私の力が及ばず申し訳ございません。」
先程とは打って変わって態度を一変させた晴明に対して白蓮は警戒は霧散したが明らかに動揺している様子だ。
「は、話が見えて来ないのですが?」
そうか、根本を伝えてはいなかったか。頭を上げて答える。
「そうでした、和尚様、心してお聞き下さい。南都の数多くの僧官僧兵がこの命蓮寺討伐の為にこの信貴山に向かっております。」
目を見開いて驚いた白蓮は再度晴明に対して若干の警戒の目を向ける。
「貴女が手引きをした訳ではないのですね?」
「ええ、違います。」
白蓮の目を見て答える。暫く見つめあっていたが、先に目線を反らしたのは白蓮であった。彼女はため息を吐きながら口を開く。
「わかりました。それでは貴女を信じましょう。文には他に何と?」
「元は朝護孫子寺が興福寺に使いを出したと文には書いて有ります。
「貴女はどうするのです?」
「こうなってしまっては、どうすることもできませんね。できれば帝と右府様には適当に理由をはぐらかして害無しと報告して放置する、というのが私と弟の共通の方針だったのですが、仕方ありません、京に帰る他は無いでしょう。」
「それでは京にこのまま戻られても貴女の立場が悪くなってしまうのでは?」
「まあ、元々良くはないのです。大差は無いでしょう。懐かしいような眩しいような風景も見せてもらいましたし…。それよりも、和尚、自身の心配をなさった方が宜しいのでは?今からこの寺を抜け出せば、僧兵等から逃げおおせることも出来ると思いますが?」
「私は弟の死から逃げて一度は廃れさせてしまったこの寺を二度と手放すつもりはありません。それと、逃げてしまっては私の信じる妖怪と人間の共存は何時まで経っても達成できないと思うのです。ですからもし、南都の僧が乗り込んで来た場合はなんとか説得して思いとどまらせたいと思っています。例えそれが如何に難しいことであっても。」
そう言って白蓮は此方を見据えている。
はあ、これはもう何を言っても聞かないだろう。
「本気なのですね?」
「ええ、ですが寺の他の門徒にはこの寺を去るように言うことにします。」
「わかりました。ですがもし、説得出来なければ死ぬことになるかもしれませんよ?」
「それは覚悟の上です。」
◆◆◆◆◆
白蓮が寺の皆に寺を去るように薦めたのだが殆どの者が寺に残ると言ったそうだ。思った通りだな、白蓮和尚に皆心酔しているのだ、去る者は殆ど居ないだろう。まあ、本尊代理の虎妖怪は仮にも毘沙門天の化身、殺されてしまうことはないのであろうが。
遠目にそれを眺めていると、唐突に後ろから声がかかる。
「やはり、君は猫を被っていたな。」
「どうした?鼠の貴女はやはり猫は御嫌いか?まあ、私は猫ではなく狐だが。」
振り返って目線を落とすとそこには目附の鼠妖、ナズーリンが此方を見上げて佇んでいた。
「御託は良い。陰陽師の君はこれからどうするつもりなのかい?どうせこのまま京に何もせずに帰るつもりはないのだろう?」
余計に勘の鋭い鼠だ。
「まあ、そのなんだ、あんないろいろ抜けた所のある御主人でも悲しむ姿は余り見たくはなくてね。」
まあ、思っていたより主想いではあるな。
「こうなってしまった以上もう悲しむ様なことはもう避けては通れんだろう。
まあ、最悪は避けれる様に此方なんとか出来るだけの手配りをしよう。」
私はそう告げ、命蓮寺を後にした。
◆◆◆◆◆
変化し暫く歩くと、山中の道端に弟が佇んで私を待っていた。
「御無事でしたか。兄上。これからどうなさりますか?京にすぐ戻ることはしないとは思いますが。」
「南都の僧達は直接此方に来るのか?それとも彼方に一旦向かうのか?」
弟の目が此方を見据えている。どうやら私が何をする腹積もりなのかは判っているようだ。
「一旦彼方に向かうそうです。」
「そうか、それでは私達も彼方に向かうぞ。」
「はい。」
◆◆◆◆◆
朝護孫子寺に入ると、そこには既に僧官僧兵等が集まっていた。その中の一人の黄袈裟の若い僧官が此方に気付いて歩み寄って来る。
「貴殿は陰陽師の方とお見受けします。愚僧は興福寺の定昭と申します。聞けば京から足を運ばれたとか。御名をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか?」
明らかに晴明よりも年若いと見受けられるにも拘らず、やたらに慇懃無礼な態度をとるその定昭と名乗る僧官、何処か有無を言わさぬ気配を感じさせる。
定昭…、確か小一條右大将
流されず晴明も慇懃無礼に答え返す。
「我等は京で陰陽師をしております安倍晴明、後ろに控えているのが弟の安倍吉明と申します。」
「ほう、それでは貴殿方は京から南都まで聞こえる安倍殿であられましたか。御二方はこれからの悪僧退治に御助力頂けませんかな?」
「はい、御協力致しましょう。」
「有り難う御座います。」
やたら下手に出ながらも、顔には微笑を浮かべ感謝しているようにも見えるがその目は笑っていない。陰陽師の我々をこき使って利用するつもりだろう。普段なら面白くなく思うのは当然だろうが、今回はそれはそれで都合が良い。望みは極僅かだが何とかして彼女等を救える様に手を尽くそう。
合流した一行は命蓮寺に向け出立した。
◆◆◆◆◆
結果だけ言おう。
命蓮寺に向かっていた一行の前に命蓮寺の面々が恐らく交渉・説得のためだろうが現れた。だが、定昭を始めとした僧官等は白蓮の説得を聞くこともなく、まるで前もって取り決めが有ったかのように、いや、おそらく取り決めが有ったのだろうが、まず白蓮を何処かへと封印してしまった。
最悪、退治されしまうことはなかったが、結局それに対しては為す術なく私達姉弟は他の僧達とともに残りの村沙水蜜と雲居一輪の相手をする事になった。この二人に関しても結局のところこれといった策は取れなかったが、封印された場所だけは知ることができた。それと、三人しか此方に来ていなかったことから、どうやら寅丸星とナズーリンは寺に残ったのか何処かに身を隠していたのだろう。
◆◆◆◆◆
数日経って私は一人命蓮寺へと向かった。結局のところ白蓮が何処へと封印されたのかは知ることしかできなかった。山門をくぐり周囲を見回していると、上から不意に声がかかる。
「おや、来たのかい?」
声のした方向を見返すと、山門の二階の高欄に腰掛けた目附の鼠妖、ナズーリンがそこに居た。程なくして、たんっと私の目の前に降りてきた。
「御主人に会いに来たのなら止めておいた方が良い。」
まあ、思っていた通りだ。星とは会わない方が良いだろう。
「確かに会いに行くのは私も止めておいた方が良いとは思うな。まあ、ここに今日来たのはこの前の顛末を伝えに来ただけだからな。」
「ふむ…、それで?」
「まずだが、白蓮和尚は僧官共が話も聞かず何処かへと封印されてしまった。こればかりは私としてもどうもすることはできなかった。申し訳ない。」
「そうか…、すると他の二人はどうなったんだい?」
「結局のところ逃がしてやることはできなかった。でも、二人に関しては封印された場所だけは知ることができた。」
「それは…、何処なんだい…?」
「それは…、
地底のようだ。」
◆◆◆◆◆
妖と人間の共存か…。
「兄上?、どうかされましたか?」
「いや、別に気にせんでも良い、ただ少し考え事をしていただけだ。」
「はあ、なら良いのですが…。
ところで師匠様達にはなんと報告します?」
晴明達は既に信貴山を後にして泉津から川舟で京へ帰る途に就いていた。京に帰ると吉明の言う通り、右府様や師匠様等に報告が必要だろう。
まあ、元々適当な報告をするつもりではあったのだがその結果も結果なため、様々な意味でも憂鬱ではある。
「はあ…、まあ…彼方に着いた時には既に南都の僧が対処に当たっていたのでそれに同行した、で良いのでは?」
「やはり、そんな所ですかね…。兄上は…!?」
その時、一瞬ではあるが急な強風で舟が大きく揺れた。
が、すぐに風は止み舟の揺れも次第に小さくなっていった。何か妖怪が近くを通り過ぎて行ったようだが、おそらくあれは…
「天狗か?…それはそうと、どうした吉明?」
「い、いえ、やはり何でもありません。」
「?そうか?何もないのなら、良いのだが…。
吉明、一つ聞いても良いか?」
「はい、何でしょう?」
「お前から見て母上、ああ、
「そうですね、確かに兄上の言う通りもう正直朧気でしか覚えていませんね…。」
「そうか…。」
「ですが…、心優しい真っ直ぐな方だったとは思います。あの頃は家の者皆が笑って過ごせていたことを考えると一番幸せな頃だったのかもしれません…。
父上がいて、母上がいて、おば様がいて、そして
今となってはただただ昔懐かしい幼い頃の遠い記憶ですね…。あの頃に戻ることができれば良かったのですが…。」
「そうか…、そうだな…。
吉明…。」
「どうしました?」
「ありがとう。」
「いえ。」