半端者の半生   作:八連装豆鉄砲

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期間が開いてしまい申し訳ございませんでした。


二十五話

異変は師匠の亡くなる一月以上前からであった。

 

雨が一向に降らないのである。

 

それは少なくとも畿内一帯だけで起きていることでもないらしく、わりと広範囲の地域でも起きているらしい。

 

京へ使者を走らせ懸念を伝える真面目な国司も居るらしく殿上の参議達の間でも話題には頻りに上がってはいた様子ではあった。

 

雨が降らないとは言っても、この年は例年より雨が元々少なかったこともあってか雨乞いの祈祷も数回行われていた。尤も雨が全く降らなくなったのは稲の刈り取りの時期が近かったためその事が与えた収穫自体への影響は収量の減少は若干有っても然程大きなものでもなかったが、これが長期化するとなるといよいよ飢饉になるということもあり、とりあえずは警戒をしながらも様子を窺い来年が恵み多き年になることを祈るということで話は纏まっていた。

 

◆◆◆◆◆

 

現在陰陽頭の官職にある保憲様は、実の父親である前陰陽頭の忠行様を亡くしてまだ一月も経ってはいなかった。だが、今置かれているこの状況とその職の重要さを考慮され、まだ忌中ではあったが異例中の異例として出仕を許可(事実上の命令)されていた。その異例の証拠に保憲様の弟である陰陽助の保遠様は忌中であるとして賀茂邸に籠っており、今回その代理として今私は内裏の中へと入ることとなっている。

 

この日の本の都の正殿であり数多くの儀礼が執り行われ表の(まつりごと)の中心が宮城の中央に位置する朝堂院であるのに対して、古来より時の権力者達が数多くの権謀術数を巡らせ、あたかも蠱毒の壺の如く喰うか喰われるかの暗闘を繰り返しされてきた政の裏舞台であったのが、この帝の御座所・後宮にあたる内裏である。まだ都が飛鳥や難波・南都などにあった古の頃はこの二つは一体であり、国の政務の殆どは朝堂院で行われていたらしいが、遣唐使が廃止されて久しく大陸との交流も廃れつつある今となっては、政務は内裏、祭祀は中院などで行われ朝堂院や豊楽院の役割は半ば形骸化している。とは言っても『雲太和二京三』とも言われるように出雲の杵築大社、南都の東大寺と並び称されるほどの本邦随一の壮麗な大建築の一つである事に間違いは無い。

 

それはさておき、日頃詰める陰陽寮と内裏は然程離れてはいない、というより陰陽寮は宮城内に数多くある官衙(かんが)(役所)の中で内裏に最も近いものの一つである。これは内裏内での有事の際や天変地異にいち早く対応するためであろう。そういう訳で内裏にたどり着くことには然程時間は掛からなかった。

 

左衛門陣を通り内裏へと入る。その際にだが、詰めの者達の内の一人の若武者と目が合う。確かあの者は六孫王殿の嫡男であったか…?

まあ、良い。まずは帝の下へ参らねば…。

 

◆◆◆◆◆

 

建ち並ぶ檜皮葺きの壮麗な殿舎、一官人でしかない晴明等が暮らす邸とは天と地ほど違うのは言うまでもない、だがその一方で一見絢爛豪華に見えるこの内裏は数多の呪詛・怨念等が蔓延っている。

 

南都より山崎の地を経てこの愛宕の地に都が移され百七十年余り、その時から長い時を経てもこの内裏が使い続けられており、その長い年月の間この内裏の中では数多の権力闘争に明け暮れる天上人達、七殿五舎(後宮)で帝の寵を競い争う后達、己の母や祖父達の期待を一身に受ける王達、ありとあらゆる者達が競い争い陥れ合うこの内裏には、敗れた者、陥れられた者、栄達を妬む者、降下を余儀なくされた者、左遷された者達などが遺した呪詛・怨念が幾度となく陰陽師等によって祓われてはいるもののそれは気休めにしかなっておらず、絶えず溜まり続けるそれが、澱み、渦巻くそんな場所であった。よくもまあここを使い続けるものである。

例を挙げるならば言うまでもなくすぐ思い付くのは菅公(菅原道真公)であろう。大宰府へと流された菅公は怨霊となってまず手始めに左大臣藤原時平憎しで彼を取り殺し、最後には時の帝や公卿を雷で皆殺しにまでしている。

 

話が逸れてしまったが、要はこの当時遷都以来帝の御座所であった内裏には現在数多の怨霊が蔓延っている。これの一番の原因は()()()()()()()()()()()()()()()()()ことである。かつて帝の住まう内裏や宮は絶えることなく移されて来ていた。少なくとも都が飛鳥にある頃より何度も移され、大津・南都・泉津・信楽・難波・山崎と都自体を移す事も多々あった。この内裏を移すという事が結果的にだが内裏に(よこしま)なものが溜まること防いでいたのだ。

 

遷都以来、この遷宮は一度として行われていない。だがこの平安京に遷都された時にその事について一切考慮されていなかった訳でもない。大内裏・朝堂院の北西に宴の松原という松林が有る。ここは中院をはさみ、内裏とは対になる位置だ。かつて南都で大内裏の中で遷宮が行われたように、元々ここは内裏の建て替えが行われるものだったと言われる。

 

だが戸籍制度の崩壊・荘園の増加等の諸々の理由により徐々に崩れつつある律令体制の中でそれを維持することは難しくなっており、その結果、遷都から百七十余年の間ずっと遷宮は一度として行われず、内裏が京の中でも特に邪気が強い場所なっていた。この雑多な怨念の溜まり場で、二百年余りにわたって京を騒がせるとある妖怪が誕生していたことを、このときはまだ誰も知ることはなかったのである。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

先程通った壮年の二人の陰陽師をその片割れと目の合った若武者、源満仲(みなもとのみつなか)は思い出す。

まずは陰陽頭殿だったか、確か、父である(さき)の陰陽頭殿が亡くなられて一月も経ってはなかったはずだが帝直々のお許しで忌中にも拘わらず内裏への出入りを許されている。そしてもう一人は先の鬼騒動で大江山の鬼の四天王の内二人、金熊童子と虎熊童子を討ち取った陰陽師の安倍殿、噂では最近何処ぞの妖怪が蔓延っていた寺を討伐したとか。まあ、何にせよ日も暮れているというのにご苦労な事である。事ある毎に帝や己が仕えていた亡き九條殿に前の陰陽頭殿共々呼び出されていたのを思い出しあの者等もあの者等で大変なのであろうと感慨に耽っていた。

 

ふと、意識を周囲の警戒に戻すといつの間にか何処からともなく、(もや)が立ち込めていた。

急に立ち込めたそのそれは既に向かいの建春門すらも見通せないほど濃くなっていた。

雨は降らず空気は乾ききっている、風もある、よってこれは霧であるはずがない。そんな知識は当然彼を含めた当時の人間に備わってはいなかったが、周囲を包むこの靄が生易しい霧で無いことは己の本能が告げていた。

 

なんだこれは?

 

その疑問が満仲を覆っていた時、南の方角よりその答は現れた。

 

何なのだアレは!?

 

否、答などではなかった、アレが何であるのかがわからない。姿形が近寄って来ても掴めない。

 

五間程の距離になって始めてその姿が掴めた、だが、それは彼を更に大いに混乱させることとなる。

 

「ぎゃあぁぁあぁ!!」

 

隣にいた同僚が突然悲鳴をあげ腰を抜かしながら何かにぶつかり倒す物音が聞こえたがそんなことはどうでも良い。

 

「な、何故、」

 

そこにいたのは血濡れの鎧武者であった、かつて国司として下向していた父に付き従い、隣国で起きた乱の平定に向かった時に一度だけ目にした男であった。

 

平将門(たいらのまさかど)

 

かつて新皇を僭称(せんしょう)し坂東八州にて乱を起こした男だ。だが、何故、何故京の此所にいる、この男は死んだはずであっただろう。まさか息子か?目を凝らせばその後ろには更に血濡れの兵達が控えている。

何故、大内裏の中に斯様な者達がいる?そういった答を混乱する頭で必死に絞り出していた。

 

ところが後退っていた満仲は倒れてていた同僚に躓いて背中から倒れ込んでしまう。

 

気が付くと周囲には何事も無かったかのように靄は消え失せていた。

 

幻か…?

 

「先程のは一体……」

 

何だったのだろうか、という呟きは、突然同僚から発せられた怖れを含んだ声に書き消された。

 

「あぁ、あぁ……。」

 

その声に促され満仲も声のした方を振り向くと、

 

言葉を失った。

 

内裏の左兵衛陣(さひょうえのじん)・宣陽門から火の手が上がっていたのである。

 

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