元服の後も忠行の下で修行を続けること幾年、彼ら兄弟の陰陽術の技術は陰陽寮の大多数を占める賀茂陰陽頭忠行門下の賀茂一門の中では傑出しており都でもそこそこ名の通った存在となっていた。官位も晴明は二年前から正七位下天文博士、吉明は半年ほど前から従七位上陰陽師となっている。
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ああ、気が進まなんなぁ…、あ、吉明は居るかな…、よし、居るな…はぁ。
「どうしました?兄上?」
「吉明~、忠行様から暦の作成丸投げされてしまったんだが今日はちょっとすまないが手伝ってくれないか?」
「申し訳ありません兄上、今日は権中納言殿の邸に出たという骸骨のような妖怪、まあおそらく狂骨でしょうが、その退治になります。ですので、そちらには行くことはできないですね。とは言っても何でそんなこと受けてしまったんですか?」
あ、いかん、吉明の眉間に皺が
「いや、内裏へ保憲様共々呼ばれてある程度の期間邸を空けるらしいんだよ。それでもしかしたら暦の作成が間に合わなくなるかもしれないということで、忠行様曰く『という訳で、一門で抜きん出たお前達に白羽の矢が立ったのだ、すまんがこれを済ませておいてくれ』…だと。」
「はぁ…いろいろ突っ込みたいですが何なんですか、まずお前『達』って私もやること決定じゃないですか。しかも済ませておいてくれって完全に押し付けられてますし。」
「まあ、暦が間に合わないのも不味いのだが、流石に私だけで終わらせられない量だから明日からでもいいから手伝ってくれないか?」
「はぁ、仕方ないですね、今日は無理ですが明日以降は大丈夫ですよ。」
「ありがとう、助かった。じゃあ明日からはよろしく頼む。まあ、大丈夫だとは思うが狂骨退治頑張って。」
あー良かった、吉明が手伝ってくれて、あれを一人で期日迄には流石に無理だからなぁ、手伝ってくれなかったらまずかったな……、はぁ…、いかんな、溜息が止まらん。
まあ、二人でやるにしても時間がかかるのは変わらんからさっさと始めますか。
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「はぁ。」
部屋を出ていく姉を見ながら吉明はため息を吐いた。
彼にとって昔から姉安倍晴明は大きすぎる存在であった。
今の自分が在るのは全てが姉のお蔭だ。何度か見ればその術を覚えてしまう姉はいつも覚えてからは私に付きっきりで分かりやすく教えてくれていた。もしかしたら何かの異能が有るのかもしれない。それを差し引いても自分など比較にならないほどの能力と才を持ちながらもそれを滅多に表に出すこともなく、表向きには私とそれほど変わらない様に装っている。
理由は分かっている。姉の出自の噂を未だに断ち切ることが出来ていないからだ。表向きには姉の母親は私と同じということとなっている。
私の遥か昔の記憶に残る姉の本当の母君葛の葉様が邸を去った少しの間だけを除けば、ずっとそれ以後姉上は私の母を母上と呼んでいる。
もし、私とその隔絶した力の差を未だにその噂を根に持った人間達に見せつけてしまっては彼らは真しやかにその噂をまた広げてしまうだろう。
その事は一応事実なのだが、外から見ては嘘から出た真ということになりかねない。
万が一それが発端に絶対に明るみになってはならない『実は安倍晴明は女だ』ということまで広まってしまっては大変なことになる。姉は全てを失いかねない。
私は何とかそれだけは避けたい。
そして避けることのできない問題はまだある。
婚姻だ。
一応姉は表向きは大膳大夫や守護職を歴任している父安倍益材の嫡男、名目上はそこそこ有力な上級官吏の跡取り息子なのだ。
婚姻は避けては通れない。
間違いなく遅かれ早かれその姉の奥方になる方には姉の半妖や性別の件は露見してしまうだろう。
ここ二三年かは見てはいないが幼いころは特に何度か姉が発作を起こすことがあった。姉は霊力も多いが、外には一切出てはいなくとも封じ込めている妖力も莫大で、その為非常に不安定なのだ。姉や私の推定ではおそらくその封じ込めの反動で発作が起きるのだろう。
封じ込めなどしなくて済むのならその心配はしなくても良いのだろうが…。
兎にも角にもその発作の時には変化の維持ができない事もある。漏れ出す妖力を周囲に拡げない為の結界の維持で手一杯になる事も有るのだ。発作が酷い時には私が結界を肩代わりすることもある。
今まで何度ともそれを目にしてきたが正直言ってああまで苦しそうにしている姉を見たくは無いのだ。
だがそんな処を見られてしまうと隠し通すことなど出来るわけがない。
もし、そんなことを共に口を嗣ぐんでくれる方が居れば良いのだが…。
そういえばこの前、久々に産まれ育った邸に戻った際に、私達と両親の家族だけの前で変化を解いた姉、まあ、完全に変化を解けば九尾の狐の姿になるのだが、女性の姿の姉を見た。切れ長の目をした漆黒の髪の女性、まるで私の記憶の彼方にある葛の葉様の生き写しであるかのようにあの方に似ている。
あの方に竹取物語を読んでもらっていたことを朧気に覚えているが、姉も世が世なら多くの者が言い寄って来たかもしれない。姉弟の贔屓目無しでも美しい人だ。
このまま姉はこのような暮らしを続けていくのだろうか、なんとかしてもっと生きやすい所で生きてもらいたいと、何度思ったことか。
…だいぶ思考が反れてしまったな、狂骨退治か、まあしくじることは無いだろう。
さて、日も暮れるまでに早く準備を済ませて彼方に着くようにしなければ。
◆◆◆◆◆
「最近、なかなか面倒な陰陽師が都にいるんだよね~。それも兄弟の。」
「あら?貴女が苦戦する程の存在なのかしら?」
「いやぁねぇ、まだ私自身が直接闘った事は無いんだけど配下の奴らがだいぶ苦戦してるみたいなんだよね。」
「兄弟ねぇ。」
「遠目で見たことは有るんだけど特に兄貴の方は曲者だとは思う。」
「貴女がそこまで言うならなかなかね、ちょっと興味が出てきたわ。じゃあそのうちまた来るわ。」
彼女は自身が腰掛けていたモノの中へそのまま姿を消した。
「安倍晴明ねぇ……」
伊吹萃香の呟きを聞く者は誰もいない。