「ただいま……あれ?」
真琴が学校から帰ってきてみると、玄関に見慣れないブーツが転がっているのを見つけた。ライトブラウンに何処となく丸みのある意匠からして女性物。母親はブーツを嫌うので違う。となると、この一ノ瀬家でブーツを履くのは自ずと彼女に限定される。
「あぁ、お帰り真琴」
真琴の帰りに気付いて、リビングの戸口から母が顔を覗かせる。何故か、少しだけ汗をかいているように見えるのは気のせいだろうか。
「もしかして姉さん……帰ってきてるの?」
「ついさっきね。何の連絡も寄越さないもんだから、お母さんビックリしちゃって。今ご飯作ってるから、先にお風呂入っちゃって頂戴」
「はーい」
それだけ伝えると、ぱたぱたと忙しない音を立てながらリビングの奥へと姿を消してしまった。恐らく、突然の姉の帰宅に夕飯を奮発している物と予測される。去年も、確かこんな光景を見たような覚えがある。小さく微笑して、真琴は一度二階の自室へと戻り着替えを抱えてから脱衣所へと向かう。やや大きめの湯船に浸かると、溜まっていた疲れが全身からするすると抜け落ちていくような気がした。
「転校初日から色々あったけど……うん、皆優しいし楽しくやっていけそうかな」
明日からの登校が楽しみに思えるのは大いに良いことである。
そうしてぼんやりと物思いにふけっていると、不意に脱衣所の方からカタン、と小さな物音が聞こえてきた。
「……母さん?」
うっかり忘れたバスタオルでも届けに来てくれたのだろうか。しかし家族とはいえ十代ともなると裸を見せるのはかなり恥ずかしい。少しだけ戸を開けて様子を見ようかと手を伸ばしたその時――脱衣所へと続く扉に大きな黒い影が立ちはだかった。
「…………」
リビングの方角から「あー、今真琴入ってるから後にしなさいよー」と母の声。それが聞こえた時点で、あまりにも遅すぎたのだった。浴室へと至る扉が爆音に近い音を響かせながら乱暴に開かれ、その先で全裸で跳躍する――姉の姿があった。
「会いたかったぞぉ、真琴おおおッ!」
「うわああああああああああああ!?」
天井まで水浸しにしてしまうほどの水柱を作り上げながら、『
「ね、ねねねね姉さん!? いや、あの、とりあえず僕先にぐぇあ!?」
「なーに言ってんだ。せっかく帰ってきたのに弟と風呂も一緒に入らんでどうする?」
「むむ、胸が、胸が当たってる! というか、くっつくな……ぁあ!? ど、何処触った今!?」
「姉と弟の愛あるスキンシップってヤツじゃないか。ついでにこのままベッド……イく?」
「い、行くもんか!?」
姉の滑らかな腕をすり抜け脱衣所へ一目散。風呂上り(+アルファ)で火照った体をタオルで強引に巻きつけ出ようとした――その先で、小さな人影が真琴の目に留まった。
「ま、マリアヴェル……!?」
『うふふふ、お久しぶりですわねぇ真琴サン?』
真琴の前に立ちはだかったのは姉の神姫である、赤くリペイントされた特別仕様のマリーセレス型神姫『マリアヴェル』だった。風花と共に戦女神杯を勝ち抜き、Fバトルへと導き――そして姉と同様に真琴を狙うもう一人の女性である。
「その……出来れば、退いてくれると嬉しいんだけど」
『
「せ、誠意って……」
テンタクルス型の名の通り、マウントされたドレスのような外部装甲がうねうねと奇妙に動いている。マリアヴェルの赤い瞳が細まると無邪気に微笑む。それこそ吸血鬼――いや、まるで淫魔かのような妖艶さが漂っている。両手の指でちょんちょんと恥じらう仕草を見せつつ、その足は着実に真琴へと向かっている。
『もっちろん、真琴サンの貞操を……ワタクシに捧げてくれたら……ですぅ』
「そうは問屋が核爆発よ、マリアヴェルッ!」
「うわぁッ! 姉さん!?」
すっかりお風呂上りの風花は持ち前のスタイルの良さ+入浴による血行促進効果が加わり、目のやりどころに困る姿に真琴は完全に直視できなくなってしまった。
「マリアヴェル、命令よ。真琴の足をスタンガンで撃ちなさい。そしてそのまま風呂に引きずり込むのよ!」
『スタンガンのアイディアまでは従いますけどぉ、そこから先はワタクシと真琴サンとで一緒に添い遂げるんですぅ!』
「却下よ!」
『だが断るです!』
ジリジリと距離を詰め合う風花とマリアヴェルに挟まれ、真琴は人生で何度目かの絶体絶命の危機に陥る。
「た、たす……け……」
この瞬間、真琴は風呂場の白い湯気が走馬灯へと変わるのを垣間見た。
※
「ありがとねぇ、アイリス。おかげで真琴が命拾いしたわ」
『当然のことをしたまでです、悠子様』
悠子が出来上がった食事をテーブルへと運ぶと、その先で待機していた白い神姫がそれを受け取り丁重に並べていく。天使コマンド型ウェルクストラ『アイリス』。彼女は真琴の母である『
「ホントに助かったよアイリス。相変わらず、姉さんの暴走には困ったもので……」
両者が飛び交う瞬間に響いた発砲音。騒ぎを聞きつけたアイリスに風花とマリアヴェルはあっさり鎮圧(やや大げさな表現かもしれない)され、今は二人とも脱衣所でひっくり返っている。
「姉さん、風邪とか引かなきゃいいけど」
『私が記憶している限り、風花様は現在に至るまで健康体です。風邪など、その片鱗すら見たこともありません』
「……そうだっけね」
小、中、高、大――その全てで皆勤賞を取っているのは伊達ではないということか。武装を解除し、再び食器を並べる作業に戻ったアイリスの頭を、真琴はそっと指で撫でてあげた。
「いつもお世話になりっぱなしでごめんね、アイリス」
『…………いえ、私も内心穏やかではなかったので』
「え、何か言った?」
『お気になさらず。それより、お姉さんがご帰還のようですよ』
ふらふらと覚束ない足取りなのは湯あたりの所為かそれともアイリスに撃たれた所為か。風花とマリアヴェルは揃って食卓に着き、ぐてーんと体を突っ伏してしまった。
「アイリスったら酷いわ。私、まだ何も悪いことしてないのに」
『量産型の癖に生意気な……次やったらスクラップにしてやる』
「そんなこと私が許さないわよ。ほら、皆食事にしましょ。ヂェリカンも用意してあるから、マリアヴェルもアイリスもどうぞ」
『わーい。ママ大好きですぅ』
ヂェリカンとは神姫用添加剤『ヂェリー』のことで、いわば神姫たちにとってのおやつ、あるいは食事とほぼ同義のものである。神姫はバッテリー駆動なので必ずしも必要というわけではないが、神姫のメンテナンスをかねて愛用したり、またそれらを好む神姫たちも多いのである。悠子が渡したのはオイルヂェリーで、人間で言うところの栄養ドリンクに近いものだ。
「それにしても、また唐突に帰って来たね姉さん。前に帰ってきたのは……F大会の前日だっけ?」
「そうねぇ……あの日は熱い夜だったのを覚えてるわ……真琴」
トリップしてる姉を相手にするとロクなことが無いのでスルー。
「……それで、何で帰って来たの? また食費が尽きたとか?」
「しっふれひへー、んぐ、ん。私はそんなズボラな人間じゃないわよ。我が愛する弟ながら冷たいわね……もふもぐ」
生春巻きをもごもごさせる敬愛すべき(?)姉。真琴を優に超える長身で、傍から見ればモデルやタレントといっても遜色ないのに、中身は弟を愛し過ぎている(性的な意味も含め)ブラコンで放浪癖持ちである。ただ、別に真琴としては姉は嫌いではないし、むしろ美人で自慢も出来るのだが……さすがに過度なスキンシップは遠慮していただきたい。
「今日はねぇ、愛すべき弟にプレゼントがあるのよ」
「……去年の誕生日プレゼントに、あまりにもえげつなくて他人には口が裂けても言えないようなプレゼントをした姉さんが?」
「んー? 去年はエロ本(姉萌え)だっけ?」
「母親の前で言わないよね普通!?」
しかし、当の母親はけらけらと笑っているだけで一切言及しない。アイリスが武器を構えているが、それを遮るかのようにマリアヴェルが仁王立ちしている。食卓の上だというのに、妙に緊迫している。
「っはっはっは! 一冊じゃ足りないって? 三冊エロイの欲しいってか? いやしんぼめ~」
「……ごちそうさまッ!」
完全に姉に遊ばれてる。流石にここまで来ると呆れを通り越して怒りたくもなる。使い終わった食器を片づけリビングを出ようとした真琴の背中に、風花の謝罪の言葉が投げかけられた。
「ごめんごめ~ん。今回はちゃんとしたモノだよ。ゼッタイ、真琴喜ぶと思うからさ!」
「…………」
ジト目で返したのだが、何故か風花は少し頬を赤らめている。
「あとで……うぅん、今すぐお姉ちゃんの部屋に行って待ってて。……そんな恐い顔しないでってば。変なコトしな……い、うん、絶対しないから、ほらほら」
「よだれが垂れてる」
「こ、これは心の涙よ。真琴に信用されなくてお姉ちゃん寂しい~みたいな?」
「……はぁ。わかったよ」
ここまで言われて拒否すると本気で姉が泣きだす可能性が出るので、真琴は渋々といった面持ちで階段を上っていった。上り終えて突き当たりには今は出張中の父親の部屋があり、反対側に真琴と風花の部屋が隣り合わせになっている。【HUUKA】のネームプレートの扉の前に立つと、真琴の肩に何かがポンと乗った。
「あれ、アイリス?」
『護衛のために付き添うべきと、判断しました』
「……何かあったら、頼むよ」
ちなみに、このネームプレートの下には真琴と風花の相合傘の落書きが残っている。……書いたのは、言うまでもなく風花だ。
一度気を取り直し、ドアノブを握りしめて回す。鍵は掛かっていなかった。点けっぱなしの電灯の明かりに照らされた姉の部屋は――予想以上に片付いていた。というのも、風花はほとんどこの部屋を使っていなく、定期的に悠子とアイリスが掃除しているのだから当たり前である。なお、風花健在の場合はゴミ屋敷と化す。
不意に背後から気配を感じ屈むと、真琴の頭上を風花の両腕が空を切る。
「おまたせぇ真琴! って、何も避けなくてもいいでしょ!」
「で、プレゼントって何なの?」
「そりゃここまで来ればもちろん……わ・た・し?」
『先日悠子様が購入した暴徒鎮圧用のパイルバンカーが早速役に立ちそうです。真琴様、指示さえあればいつでも打ちますが』
「もー……いいから。部屋戻る」
「ま、まま待った! 冗談はこれでお終い! だからさ、ちょっと待っててよ!」
流石にパイルバンカーの一撃は避けたいらしく、焦燥し切った姉は慌てて部屋の中へと飛び込み真琴へのプレゼントを探し始める。……ところで暴徒鎮圧用のパイルバンカーとは、というか母は一体何を考えてパイルバンカーなど購入したのだろうか。むしろそれの方が気になるのだが。
「真琴、こっちおいで」
プレゼントを探していたはずの姉は、何故かPCの電源を付け回転椅子に腰を下ろしていた。嫌な予感が脳裏をよぎったが、肩に乗っていたアイリスの『あ……』という呟きに気付き彼女の視線を追いかけた。
ノートパソコンの隣に、およそ三十センチ四方の赤い箱が置いてある。美麗なイラストの端に施された、MMSのロゴデザイン。それが意味することに感づき、真琴は風花へと視線を移す。
「も、もしかして……これ!」
「うん、私からのプレゼント。真琴のための神姫だよ」
開けてごらんと促され真琴は赤い箱に手を伸ばす。外側を開くと、深紅色のボディに身を包んだ少女が静かに眠っている。パッケージには、ハイスピードトライク型MMSアークと記されている。バイクへの変形ギミックを持つ、とてもスポーティな神姫だ。
「で、でも……いったい幾らしたのさ。そんな、気軽に買えるようなものじゃ……」
「真琴だって神姫に憧れてたんだから、細かいことは気にしなくていいの。ほら、名前とか色々決めるから、一緒にやるよ」
「う、うん……!」
思わず声が上ずってしまったが、真琴は受け取った神姫を丁寧に取り出すと、USBケーブルでPCと接続。接続と同時神姫ネットのロゴが表示され、そのまま設定画面へとスムーズに移行した。神姫のコアであるCSC(コアセットアップチップ)の基本設定、他ユニットごとの設定に加え、名称を設定する項目もある。CSCは姉の説明を聞きながら調整を施し、他ユニットも同様に姉のアドバイスに従い設定していく。一番最後の項目、名称に辿り着いた時、真琴は自分の神姫の名前を考えていないことに気付いた。
「何か、好きな名前とかないの? 無いならお姉ちゃんの名前にする?」
「……毎朝地獄になるからやめてほしい」
「そりゃどういう意味だ、このっこのっ」
一通りの設定を終え、残すところ神姫の名前だけなのだが……これがなかなか決まらない。所謂、真琴はゲームの主人公や武器の名前に
「そういえば、姉さんの神姫の『マリアヴェル』って名前は何か由来とかあるの?」
「んー、今思い出すとちょっと恥ずかしいけど……あるよ。マリアヴェルって名前ね、私の好きなゲームのキャラクターの名前なんだよ。吸血鬼のキャラクターでね」
「へぇ……知らなかったよ」
「この子も、もっとシンプルな名前でいいんじゃない? 凝った名前もいいけど、シンプルなのも素敵じゃない」
無垢な、とても優しいちゃんとした“姉”の笑顔。間近で見ると想像以上に綺麗で、同じ家族なのに少々ドギマギしてしまう。
「なぁに赤くなってんの。もしかして、いよいよ私に惚れた? 可愛いなぁコイツぅ!」
「……“赤”か」
不意に閃いた、とてもシンプルな名前。ほんの少しの気恥ずかしさを堪え、真琴は思い付いた名前をキーボードで打ち込んでいく。
「……ふむ、それでいいのね?」
「うん。それじゃ……いいかな?」
「もちろん。真琴の神姫だから、どうぞ?」
最終決定項目。修正個所などはないかという丁寧なアドバイスの後、真琴はエンターキーを押しこむ。入力した情報はケーブルを伝わり、アーク型神姫へと流れ込んでいく。演算、そして処理を終えると、その瞳に小さな光が灯る。
『――セットアップ完了。ハイスピードトライク型アーク、起動します』
情報を読み込んだ神姫がゆっくりとその小さな体を起こす。真琴の人生で初めて、神姫の
「は、初めまして。今日から君の――『ガーネット』のマスターになる、真琴って言います」
『……それが君の名前か。良い名前だね、マスター』
全ての情報をインストールし、無事起動した真琴の神姫――ガーネットは真琴を見上げた。
「こ、これからよろしく……」
『ちょっと堅そうなマスターだけど……ま、悪くはないかな。こちらこそ、よろしく頼むよ』
転入、友人に部活に、そして自分だけの神姫。
その日は真琴にとって、まるで自分を取り巻く世界中から祝福されているかのような素晴らしい一日となった。
三部構成の序章が終わり、次回から第一章が始まります。
真琴君とガーネットの活躍に乞うご期待くださいませ。
なお、次話は来週辺りを予定しております。
少なくとも、週に一度は更新したいですね。