第一章 第1話
目を覚ましたアイリスは、内蔵された時計の時刻を確かめるとゆっくりと体を起こす。
時刻は六時ちょうど。数秒の狂いもなく目覚め、早速マスターである悠子のサポートへと向かう。リビングに居た悠子も起きたばかりなのか髪が見事に乱れており、一切櫛で梳かしていないのが丸分かりだった。
アイリスは愛用の櫛を抱え跳躍――悠子の正面に華麗に着地すると定例である朝の挨拶をする。
『おはようございます、悠子様』
「おはようアイリス。って、今日は梳かしてもらわなくていいわよぉ。特に出かける予定もないし」
『同じ女性として、身だしなみは整えるべきかと』
「もう、ませちゃって」
『神姫に“ませる”という表現は適切でしょうか?』
「家族には適切よ」
自分で髪を梳くのも好きなのだが、彼女にやってもらうのも同じくらいに好きな悠子はそのまま黙ってアイリスの櫛に身を委ねる。丁寧にセットしてもらった後は、真琴と風花の朝食作りに取り掛からなくてはならない。風花はともかく、真琴は今日も学校である。
一人では手間のかかる調理も神姫と一緒だとずいぶん捗る。アイリスのお陰で朝食のメニューに二品ほど追加出来て彩りも前に比べれば華やかになった。
人間をサポートする“神姫”が世に出回ってから既に数年、神姫技術の発展は目覚ましく、時には警備会社の新たなるユニットとして、医療の最前線では人間には出来ない綿密な作業を担ったりと、もはやホビーの領域を既に越えた万能の存在となりつつあった。とはいえ、アイリスはごく一般的な神姫なので、時々失敗する時もある。今でこそ失敗は減ったが、最初は人間らしくて可愛いと、謝るアイリスに対し悠子は常に微笑んでいた。
朝食の支度を済ませ、時刻は七時三十分過ぎ。そろそろ真琴が起きてくるはずなのだが……今日は何故か起きてこない。もうすぐ高校生になるのにまだまだ子供かしら。
「アイリス、お願いしてもいい?」
寝坊した真琴を起こすのは専らアイリスの役割だ。素直に頷いて二階へ向かうかと思ったのに、何故かアイリスは首を横に振った。マスターの命令を拒否するなんて珍しい――そう思った悠子に、アイリスは言った。
『いえ、その必要はありません』
「え、どうして……?」
『マスターぁ! 何寝坊してるんだよ!?』
「だ、だってガーネットが目覚まし時計壊しちゃうから!」
『軟弱な目覚まし時計を持ってるマスターが悪い! 今日は私のデビュー日だってのに、どうして寝坊したの!?』
「だからって何も目覚まし時計に本気で殴りかからなくても……ってあぁ! 時間時間!?」
ドタドタと階段を駆け降りる音が過ぎ、乱れた制服に身を包む我が子に悠子は度肝を抜かれた。
「ちょ、ちょっとちょっと。朝ご飯はちゃんと食べていきなさいよ?」
「え、いやうんと……味噌汁だけ!」
『ダメだマスター! どうせ食うなら肉だよ肉! そんなんじゃ勝てない!』
「何と戦うっていうのさ!? っと、とにかく行ってきます!」
慌てふためく真琴は強引に味噌汁を流し込むと、最低限の身だしなみだけ整えて玄関を飛び出していった。呆気にとられた悠子はアイリスにそっと訊ねた。
「はぁ、驚いた。あの赤い子が真琴の神姫なのね?」
『はい。アーク型神姫、ガーネットと』
「真琴もこれで神姫のマスターか……ふふ、寂しくない? アイリスさん?」
『…………』
悠子としては少々からかったつもりだったのだが、当のアイリスは予想以上に落ち込んでいる様子だった。普段からあまり表情を表に出さないのだが、真琴の事となると少々事情が違ってくる。
『やはり、量産機は地味でしょうか……』
「私は可愛いと思うけど……あらら。結構本気で気にしてるのね」
『……いえ、何でもありません』
「そういえば、あの事はもう忘れちゃった?」
『あの事……とは?』
小さく首を傾ぐアイリスの頬を指で撫でながら、悠子は微笑んだ。
「ずっと前の事よ。昔、真琴があなたと一緒に神姫売り場に行った時のこと」
『……えぇ、確認しました』
「あの時、あなたと同じウェルクストラ型の神姫を持った子とぶつかっちゃったじゃない? 風花はどっちがどっちだかわかんなくなっちゃって半べそかいてたけど……真琴はどうだった?」
『…………』
記憶を呼び起こし、思い出す。
あの時、ぶつかった衝撃で一時的に機能がダウンしてしまい、声を発することが出来なかった。ぶつかった当人も風花も分からなくなってしまったその時、真琴だけはアイリスをハッキリと認識していたのだ。
帰りに、迷わず自分を選んでくれたことを訊ねたら彼は――
『……すみません悠子様。らしくありませんでした』
「いいのよ別に。さて、それじゃお掃除でもしましょうか?」
家族を間違えるわけがないと、舌ったらずな言葉でそう言ってくれたのだ。
※
ガーネットとの初登校は遅刻ギリギリではあったが、その後の授業は滞りなく参加しそして放課後。
いよいよ待ちに待った神姫部での活動日。蓮とねね、そして七海と一緒に部室である理科室へと向かう。部室には既に数名の部員たちが揃っていた。
「お、来たな。そいじゃ改めての自己紹介をして……だな。早速今日から三年生には神姫バトルの訓練をやってもらうとするぞ」
「え……あの、いきなりなんですか?」
「真琴君は神姫バトル未経験者だし、まずは神姫バトルに慣れてもらわないと困るからな」
「神姫バトル……」
テーブルの上に立つ神姫――ガーネットへと視線を向ける。自信満々とでも言うべきか、彼女は勝気な瞳をまっすぐ真琴へと返していた。
『ふぅん、神姫バトル……ね。安心していいよマスター。何てったって私はアーク型神姫だからね。スピードで圧倒して余裕で勝利を掴んでやるよ』
「と言っても、神姫の性能が良くても真琴君が慣れてなきゃどうしようもないのさ」
真琴は杜若と共に教室の後ろ側へと移動し、テーブルの端に用意されたヴィジュアライザーの付近に立つ。真琴の手の平の上にはガーネットが腕組みしながら構えていた。
「まずは模擬戦を見学してもらって、それから練習がてら実際に動いてもらうか。んじゃ……ねねと蓮、用意してくれ」
呼ばれた両名が向かい合って立ち、彼らの神姫がその間で同じように向かい合って構える。現時点で武器は構えていない。両者とも素体のままだ。
「模擬戦……でも、負けは譲れないね」
「お手柔らかに頼むよ。僕だって負ける気はないけど」
『いよーし、気合い入れてくよー』
『間延びした声で言われるとちょっと緩むね……ま、新入りにちょっとイイトコ見せようじゃないか』
両者が構えたのを確認して杜若先生がヴィジュアライザーに手を伸ばす。
「時間は三分間。いつものルールで。そいじゃ、ヴィジュアライザー起動するぞ」
先生の合図に合わせ二人が左腕を構える。腕には神姫バトル専用の支援デバイス――
「「ライド・オン!」」
声と同時、まずヴィジュアライザーが神姫バトル用の疑似空間を作りだし、そしてニニ、ハヤテの両名が淡い光に包まれていく。光が消えると同時、二人は戦闘用の武装を装着していた。
ねねの神姫――ニニの両腕には大型の爪が装備されている。マオチャオ型の近接戦闘スタイルにマッチした近接戦闘用の武器。それ以外の装備は、腰にマウントされたハンドガン以外特に見当たらない。
対する蓮の神姫――エウクランテ型のハヤテは背部の翼を展開していた。その手にはハンドガンと片手剣を装備、空戦を想定された軽装だ。
そして戦闘ステージはこの理科室と酷似したフィールドとなっている。テーブルの位置や窓際に配置された水槽や試験管など細部までしっかり再現されている。このまま授業も出来そうなほどにリアルである。
『マスター、そっちに見惚れてどうするの!』
「わ、ゴメン」
ガーネットに促されてハッとなり、今一度意識をバトルへと向ける。
黒いテーブルの上で、両者の神姫がにらみ合いを繰り広げている。攻め込む瞬間を見計らっているのだろう。蓮のハヤテは慎重にハンドガンの銃口をニニに向け、そしてニニは――何故か小刻みに震えていた。
『むぅ……もー! 我慢にゃらーん!?』
『またそうやって突っ込んでくるのかい! 相変わらず単純だね!』
猫型らしくあまり気の長い性質ではないのだろうか。先に痺れを切らしたニニが一直線に駈け出す。ハヤテはそれを冷静に、というより慣れた様子で応戦していた。ハンドガンが乾いた発砲音を響かせると弾丸が放たれる。回避に転じるのかと思いきや、ニニは両腕の爪で弾丸を弾いていた。
「それにしても、ねねちゃんのニニは反射神経が凄いよねッ」
「当然でしょ! そのまま突っ込んで、思い切り引っ掻いちゃえ、ニニ!」
『あいあいさー!』
弾丸を弾く様も圧巻だが、その突進速度も並外れたものではなかった。その速度は人間が全力で走るよりも速く、ニニはあっという間にハヤテとの距離を詰めると両腕を大きく振りかぶる。爪による一閃は――ハヤテの影だけを切り裂きテーブルに大きな傷痕を残した。
『危ない危ない。空に逃げて正解だったね』
「んなー、もう! ずるい! 蓮、飛ぶの禁止!」
「それじゃ翼がただの飾りになっちゃうじゃないか」
悠々とニニの上空を浮遊するハヤテにマスター共々抗議が始まる。そんな言葉はどこ吹く風。ハヤテは大きく旋回しながらハンドガンを乱射した。
『そら、そらッ』
『ね、ねねぇ! どうしよぅ!?』
「……大丈夫、ワタシに合わせて」
弾丸を弾けるのにも拘らず、ニニはハヤテから逃げるようにして距離を取る。だがハヤテの飛行速度も速く、程なくしてニニの背後に強烈な踵落としをお見舞いした。
『んにゃあッ!?』
「よし、追撃だ!」
『了解、マスター!』
ニニの体勢の崩れたところにハンドガンで追い打ちを仕掛ける。弾丸が吠えテーブルが爆ぜて煙が立ち込める。ニニのマスターではないのに、真琴は心配で堪らなくなってきた。
『落ち着きなよ、マスター。心拍数が凄いことになってる』
「いや、だって」
『よく見る。まだ勝負は終わっちゃいない……ここで決まるよ』
白煙が立ち込めニニの姿は見当たらない。ハヤテは警戒態勢を維持したまま煙の向こうを見据えている。そして次の瞬間――白煙の奥底からニニが大きく跳躍。ハヤテよりも高高度を取ると、落下の勢いを乗せながら両腕を振り下ろした。
『にやああああああッ!!』
『また同じ手を――ッ!』
爪と片手剣とがぶつかろうとしたその刹那――校内放送のアナウンスがスピーカーからノイズ混じりで響いた。
「杜若先生、杜若先生。至急、職員室までお戻りください。繰り返します――」
校内放送を合図に、ヴィジュアライザーの電源が落とされ疑似フィールドが消滅していく。互いが肉薄しようとした瞬間に武装も解除されてしまい、ニニとハヤテは真正面から派手に衝突してバトル終了となった。
「わ、悪ぃ二人とも! 今日職員会議があったのをすっかり忘れてて……」
「えぇ!? じゃあ、僕の模擬戦はどうなるんですか?」
「いや……その……っとそうだ。諸君、明日は何曜日だ?」
「えっと、土曜日ですけど」
「そうだ。つまり休みだ! ということでお前ら四人で神姫センターに行ってこい!」
「神姫センター……ですか?」
苦し紛れの提案ではあったが、杜若は何の考えも無しに言ったわけではなかった。
「どの道神姫センターには行かなきゃいかんのよ。真琴君のROGのIDを登録しなきゃいけないしな。その他諸々も含め、お前らで神姫センターで練習してこい! これは先生からの課題とする!」
やや強引な気もしないではなかったが、真琴は特に不服に思うでもなく素直に頷いてくれた。他数名も同様だった。素直な生徒たちで大いに結構。内心、冷や汗を浮かべてはいたのだが。
「むー! じゃあ蓮、決着は神姫センターでやるからね! 逃げないでよ?」
『ニニも、このままじゃしょーかふりょーだよ!』
「もちろん受けて立つよ。引き分けのまま引きずりたくないしね」
『ふふん、明日が楽しみだ』
『なんだ、結局私の出番は無しかぁ。初バトル楽しみにしてたのに』
「仕方ないよ。でも、神姫センターか……そういえば最近行ってないなぁ」
「あ、あのあの……それじゃ、明日の打ち合わせをその……えっと、集合場所とか、時間とかを……」
その後の話し合いの結果、明日の午後一時に神姫センター前に集合という話になった。その後、真琴は下級生たちと他愛の無い話をしてから奉仕活動の一環である清掃活動に参加して帰路に着いた。
『明日が待ち遠しいね、マスター』
人生初の出来事の連続だが、不思議と真琴は疲れを感じなかった。
神姫と一緒だったから、なのだろうか。
全体的に少し文章を修正しました。
具体的には、人の台詞は「」で、神姫の台詞は『』を使うことで区別しやすくしました。
うぅん、まだ少し文章が荒い気がするかな……
次話はまた来週ぐらいかな。
『小説家になろう』で公開中の『コイヒメサクヤ』の方も、読んでくれたら嬉しいです。
なお、こちらは明日更新予定ですよッ。