生命の樹の中枢であるダアトへと戻ると同時に車にぶつかられたような衝撃を感じた。ゆっくりと目を下ろすとそこには涙目になっているエリシアが。やはり何も言わずに出てきたのがいけなかったんだろうか。
「アイギスさま! いったいどこへ行ってたんですかあ!何かあったんじゃないかと私はもう心配で心配で……」
《メッセージ/伝言》を使えば良かったのでは?と思ったが彼女の気持ちも考えると何も言い返せなかった。彼女にとって私は最後の一人なのだ。そんな私までいなくなってしまったら……私は一人後悔した、次からはしっかり行き先を伝えてからにしようと。
「ごめんなさいエリシア。次からはちゃんと行き先を伝えてから行動することにするわ。緊急時には伝えきれないかもしれないけど、それでも私はいなくなったりしないから。あなたを一人になんてさせない」
「アイギスさまぁ……私もこんなみっともない姿をお見せしてしまいもうしわけないです……」
「ああもう、ほら、顔を上げなさい。かわいい顔が台無しじゃない。あなたは笑っている時が一番素敵なんだから、悲しむ顔はあまり見たくないわ」
その後二日間にわたりエリシアが事あるごとにニコニコしながら甘えてくるようになったが、調子に乗りすぎのデコピン一発でまた大人しくすることができた。エリシアからすればこれもご褒美だったのだがそれを彼女が知ることはなかった。
転移してから3日または4日ほど経っただろうか。アイギスはまた一つ考え事をしていた。
「ううむ……冒険者組合に行って冒険者になってもいいんだけどなあ」
冒険者になるか否かの話だった。もちろん冒険者になればそれなりの地位とお金を手に入れることも可能だろう。しかし問題はエリシアがそれを許してくれるかどうかだ。恐る恐る彼女に向かって問いかけてみる。
「ね、ねえエリシア。あなた、私が冒険者になるって言い出したらどうするかしら?」
「そうですねえ、いいと思いますよ?」
少しだけ考えるそぶりをして、返ってきたのは予想外の答えだった。てっきり猛反対されるかと思っていたのだ。これでは拍子抜けである。
「ええと、理由を聞いてもいいかしら? あなたがそんなことを言うなんて不思議でしょうがないの」
「まず、敵としてどのようなものが現れようともアイギス様が負けるなどといったことはあり得ないでしょう。これが一つ目です。私を作ってくださった方がそこいらの有象無象に敗北するとは到底思えませんから。二つ目にアイギス様が持つ世界級アイテムの存在。そして最後に、約束してくださりました。私を一人にはしない、と」
思わず涙が出そうになった。この子はこの私を、これほどまでに信頼してくれているのだ。実力やアイテムだけでは測れないもっと別の何かを。
「あなたがそう言うなら私も心置きなく冒険者になれるわね。でも安心して1週間に1度は絶対に帰ってくるから」
「いっしゅ……!? せ、せめて4日に1度にはならないでしょうか! 私も一人だと寂し……いえ! 4日に1度くらいは作戦会議なりなんなりしたほうがいいんじゃないかなあって! そう思うわけです!」
「あらあら、やっぱり寂しいのかしらね。じゃああなたの言う通り4日に――」
「1週間で大丈夫です!! 私これっぽっちも寂しいだなんて思ってませんから! ぜひとも1週間にしましょう!」
だんだん彼女の扱いに慣れてきた気がする。たった数日だが彼女の性格はある程度理解できたつもりだ。しかしこう弄ってみるとなかなか面白いかもしれない。あのケルヴィもこんな気分だったのだろうか?
「そう? でも寂しくなったらいつでも《メッセージ/伝言》で連絡するのよ? その間の生命の樹の管理はあなたにまかせるわ。頼んだわねエリシア」
「は、はい! 精一杯身を粉にする想いで努力させて頂きます! 《メッセージ/伝言》なら何回やってもいいよね……」
最後の一言が聞き取れなかったが彼女の意気込みはしっかり伝わったのでここはまかせて大丈夫だろう。そうとわかれば早速――
――突然サイレンのような警報が鳴り響き、彼女たちの目の前には発動すらしていない《ゲート/転移門》の渦が発生していた。
カルネ村の少女、エンリ・エモットは走っていた。妹のネムの手を引き、息を荒げながら。どうしてこんなことに、とエンリは思う。突然騎士風の男たちがやってきたと思ったらなんといきなり村の人に斬りかかってきたのだ。すぐに家に戻り隠れようとしたが、父は村から逃げることを勧めた。じきにここにもやつらがくる。だからその前にネムを連れて逃げてくれ、と。
そして今に至る。後ろにはおそらく男が二人ほど、彼女はいつもの私服で騎士達は重そうな鎧を着ているというのにその距離は一向に離れる気配がなかった。しかし体力的な問題では彼女たちの方が先に尽きてしまうだろう。今握っているこの手を離せば逃げられるじゃないか。そんなふうに囁かれている気さえした。彼女は走りつつもふと胸のペンダントに意識を向ける。
「アイギスさんがいてくれれば……」
あの日の翌日、私が目を覚ますとそこにアイギスさんの姿はなく、代わりにこのペンダントが置かれていた。樹のようなものの幹の部分に10個の色とりどりの丸い宝石が対称的に並んでいるものだ。父に聞くと、これはアイギスさんから私への、何も言わずに出ていってしまったことに対するお詫びなんだとか。その時エンリは激しく後悔した。まだ何もお礼ができていないのだ。しかし彼女はこうも言ったらしい。「また来ます」と。
「あっ……」
意識を別の所に向けていたのがまずかったのか、激しく披露していたことが原因だったのか、足がもつれ地面に転がりかけてしまった。
早く体勢を立て直さないと。すぐにまた走り出そうとしたのだが、すぐ側で足音が止まる音が聞こえてしまった。震えが止まらない。足が動かない。恐る恐る後ろを振り返るとそこには血に濡れた剣を握る騎士がいた。
「無駄な抵抗はするな」
騎士は告げる。そこに感情は感じられない。ただ目の前の相手を処分する。そのためだけに追ってきていたのだろうから。しかしエンリは諦められなかった。なんとしてでももう一度、アイギスに会いたい。会ってちゃんとお礼がしたい。その思いがエンリの腕を動かした。
「馬鹿にしないでよね!」
騎士の兜めがけ思いきり殴りかかる。そこに恐怖はなかった。アイギスに会う、お姉ちゃんとして妹を守る。そういった気持ちだけがこの一撃には宿っていた。騎士も油断していたのか、はたまたこんな村娘が殴りかかってくるなど思いもしなかったのか。その一撃を受けてしまった。
手の痛みを堪えつつ、騎士がよろめいてる間に再び走り出そうとしたのだが。できなかった。背中に熱い何かを感じ、続けて激痛が襲ってきたのだ。斬られた、そう認識するのに時間はかからなかった。
「うっ、ぐうううう……」
「ふん、女子供は人質にするからということだったが抵抗したのは間違いだったな、ここで始末しておこう」
怒りを孕んだ声で騎士がそう言った。たかが村娘ごときに顔を殴られたのだ。その屈辱が彼をこうまでさせるのだ。先程エンリが斬られた傷が浅かったのも怒りで冷静さを失っていただけのこと。ならば二度目はない。次こそは一撃で、確実に私を殺しにくるだろう。
嫌だ、まだ死にたくない、こんなところで諦めたくない。どうにか逃げる手段を考えようとするが痛みのせいで正常な判断はほとんどできなかった。しかしそんな彼女にも一つだけわかってしまったことがある。
次の剣の一振りで私は死んでしまうのだと。
「ああ、こんなことになるならちゃんとお礼、しておくんだったなぁ……」
騎士が剣を振り上げる。次の瞬間にくるであろう未来を予期しエンリは目を閉じた。しっかりと妹の手を握りしめ、妹だけは助かることを願って――。
しかしいつまで経っても痛みは感じなかった。もしかするともう既に自分は死んでしまっているのではないか。そう思いゆっくり瞼を上げていくが、目の前では剣を振り上げた騎士がそのままの状態で止まっていた。
なにが起こったのかエンリには理解できていなかった。その後ろにいる騎士にも理解できていなかったのだろう。突然止まった仲間に対し声をかけている。
「いったい、何が……」
「はあ、まったく。あの時もっとちゃんとした物を渡しておくべきだったと、今更ながら後悔しているわ」
後ろから聞こえてくる声。エンリはその声に聞き覚えがあった。思わず振り返ってしまう。今まで何もなかった道に突然出現した渦の中から誰かが出てくるのがわかる。森で出会った時と何も変わらないその声の持ち主は――。
「ただいま、エンリ。約束は守ったわよ」
「あ、アイギスさん!!」
森で私を助けてくれたアイギス・セラフィその人であった。
カルネ村だけで何話消費するかなあ……