アストルティアの軌跡   作:あっする

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師との歓談

ツスクルの村と言えば、エルトナ大陸で知らぬ者はいない。

世界樹の守護村。学問の村。数々の呼び名はあるが、

何といっても有名なのは学びの庭の存在だろう。

学者を始めとして、主に僧侶や魔法使などを育成するアストルティア随一の教育機関。

元は世界樹の守り人の叡智を分け与えるために設けられた場が始まりと

言われているが、諸説あり真相は定かではない。

とはいえ古くから続いているのは確かで、年期の入った建物があちらこちらに見当たる

エルトナ大陸でも有数の由緒ある村の一つであった。

季節は春。この時期になると、学びの庭は糸を張り詰めたような緊張感に包まれる。

若葉の試み。そう呼ばれる最終試験が始まるためだ。知の試練と力の試練。

この二つからなる試験は、毎年数人しか受からない難関とされていた。

故にアルスくらいの年代の者は皆、今は来たるべき試練のために

修練に明け暮れているはずなのだが・・・。

「どうかなされましたか、師イズヤノイ?」

「ん、ああ、アルスか。少し考え事をしていてな・・・」

当の本人ことアルスは、午前の稽古を終え、

木陰に佇む黒髪紫眼の老エルフと話をしていた。

イズヤノイ。黒髪に老いを感じさせない鋭い紫眼が特徴の「師」だ。

学びの庭においては、巫女ヒメアに教えることを許された者を「師」。

教わる側が「弟」と呼ばれる。イズヤノイはその頑なな性格から「弟」こと

生徒達に怖がられてはいるが、その実思いやりのある性格と、秀才とまで言われたその才覚から

ヒメアに厚い信頼を置かれている数少ない者の一人であった。

「隣、失礼しても?」

「ああ、構わんよ」

そう言ってルージュは木のベンチに腰を降ろした。

初等部の子供達が造ったのだろう、ベンチは少し造りが粗かったが、

その分手作りの温かみのようなものが感じられた。自然と共に生き、自然と共に学ぶ。

それが学びの庭の教育方針なのだ。学者の中からは子供達の喧噪が聞こえてくる。

自分にもあんな頃があったのだろうか、などと感慨深く思いながら、

アルスはふっと息を吐いた。

「お前がここに来てもう五年になるか。早いものだな。」

不意にイズヤノイが呟くように言った。アルスは少し笑って返す。

「先生に剣を教えていただいてから五年、とも言いますね」

「やめてくれ。私は基本を教えただけだ。事実、お前の剣は殆ど我流だろう?」

イズヤノイはアルスの腰にある二本の刀をちらりと見て、苦笑気味にそう言った。

「それでも、貴方が俺の師匠であり、俺を救ってくれたことに変わりはありませんから。」

「・・・ふっ、変わらないな、お前も。」

イズヤノイが昔を懐かしむかのように目を細めた。続けて少し笑い、口を開く。

「あの頃が懐かしいものだ。お前に親の仇のように見られた時は肝を冷やしたものだよ。」

「そんな素振りは一切なかったように思えますが・・・。」

「それは買いかぶりというものだ。私はお前が思っている程の人物ではない。」

自嘲気味にそういうイズヤノイに、先生も変わらないな、と

アルスも同じ感想を抱いて軽く息をついた。

「まあ良い。お前がここに来たのは、私に何か用があったからなのだろう?遠慮無く言ってみるがいい。」

「ええ。大体お察しの通りかもしれませんが、レーナの件です。」

「・・・、試験に合格したら、あの子をこの村から連れ出すつもりなのだな」

イズヤノイの的を射た答えに、アルスは驚愕というよりも

やはり、といった調子で肩を竦めた。

「よく分かりましたね。誰にも言っていなかったはずなのですが。」

「お前がここに残り続ける理由など、あやつくらいしか思い浮かばんからな。」

「そう・・ですね。あれでも、俺の唯一の肉親ですから」

少し口ごもりがちに、だがアルスは力強く断言した。

「私としては、レーナにはここに残って古代呪文の復活に尽力してほしいものなのだが・・・」

「それは・・・」

「分かっておるよ、あの子もそれを望んでいるようじゃしな」

アルスが口を出そうとしたのを遮って、かっか、とイズヤノイは快活に笑った。

「お前の望み通り、この事はヒメア様に報告しておこう。まあ、あのお方ならその事も既に知っておられると思うが」

「・・・ありがとうございます、師イズヤノイ。」

「・・・ふむ。お前にその言葉を言われるのもこれが最後かと思うと、少し物寂しいものがあるのう」

寂し気に言うイズヤノイに、アルスは多少の罪悪感を感じて言葉を詰まらせた。

二人の間に沈黙が流れ、子供たちの喧騒が辺りを満たす。

先ほどまでと変わらない光景のはずが、アルスにはそれがやけに物寂しく覚えた。

「ああそうだ、最後ついでに一つ頼まれてくれんか?」

「はい?」

最初にその沈黙を破ったのはイズヤノイだった。

先ほどとは打って変わって、軽い口調で話を続ける。

「私はこれからヒメア様へご報告せねばならんことがあるのでな。これを知の社まで届けて欲しいのだ。」

そう言ってイズヤノイはアルスの前に一通の手紙を手渡した。

封以外には一文字も記されていない、真っ白な手紙。

封には呪文による刻印が記されているのだろう、僅かに魔力の気配が感じられた。

如何にも怪しげな、重要そうな封書である。

「これ、俺みたいな一介の生徒に渡していいものなんですか?」

「無論機密事項だが、お前になら渡しても問題あるまい。」

あっけらかんと言い放つイズヤノイに、アルスは呆れ気味にため息をついた。

「はぁ・・・。分かりました。どうせこの後は昼寝でもしようかと思ったところですし、別に構いませんよ。」

「かっか、試練のために今も必死に修練に励む者もいると言うに、随分と良いご身分じゃの。」

「《無才》の数少ない特権ですよ。・・・まあ了解です。これは今日中に届けておきましょう。」

「うむ、最後まですまんな。恩に着る。」

「いえいえ、今までのことを考えればこの程度のことなど。それにしても、知の社に用件とは珍しいですね。何か調べ物ですか?」

「いや、トヨホロの奴にもたまには仕事を分けてやろうと思っただけだ。奴の事だ、忙しなく仕事をしている私を尻目に、どうせ本でも読んでのんびりしていることだろうからな。」

そう言うイズヤノイの顔には少し悪戯っぽい表情が浮かんでいた。

アルスはそれを見て再びため息をつく。

「・・・なんか、聞いて損しました。」

「かっか、冗談だ。まあ重要な文書なのは確かだからな、ちゃんと届けてくれよ。」

「言わなくても分かってますよ。レーナじゃあるまいし。・・・と、そろそろ時間ですかね。」

アルスがそう言い終わった途端、不意に辺りに鐘の音が響き渡った。

少し高めの、長く響く音が3回ほど繰り返される。

昼の刻を伝える音だ。この鐘の音とともに、学舎での午前の授業は終わりを告げる。

しばらくすればこの辺りも腹を空かせた子供たちで埋め尽くされることだろう。

そうなる前に退散するか、とアルスとイズヤノイは互いに目配せして確認し合い、

「では、私は先に失礼するとしようかね。」

「私もそろそろ昼飯時にするとします。レーナの件も、よろしく頼みましたよ?」

「分かっておるさ、忘れてなどおらんよ。まだ私を年寄り扱いするでない。」

「はは、そうでした。・・・ではまた、後程。」

「うむ、またな。」

そう言ってイズヤノイは巫女の社へと去って言った。

老いなど一切感じさせない、威厳ある力強い背中。

それを見送ってから何気なく辺りを見渡すと、

歓談しつつ食堂へ向かう子供たちが大勢目に入った。

アルスも午前の鍛錬を終えた直後なだけあって、お腹が空腹を訴えている。

俺も飯にするか。

そうしていつもの丘へ向かおうとしたところで、

――――そういえば、最初に師イズヤノイは何の考え事をしていたのだろう?

アルスの中にふとそんな疑問が浮かび上がってきた。が、頭を振ってそれを打ち消す。

「まあ、後から聞けばいいか。」

大したことではないだろうと、アルスは軽く判断して丘へ向かった。・・・そう、軽く。

この判断が後々後悔することになるなど、この時のアルスは思いもしていなかった。


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