カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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やっと書けた…。

執筆時間がマジでかっつかつです。
寝て起きたら休みが終わっていたでござる。


蛇と鋼 ④

出雲の地、山深き霊峰の一角にて対峙する宿敵。神と神殺し。

闘争の火蓋が切られる前の舌戦が終わりを告げた。

 

「―――速やかにくたばってくれると嬉しいぞ?」

 

飄然とした気配から一転、吹き付ける熱風のような殺気が叩きつけられる。敵意と高揚感の交錯にこれこそ本望とばかりに武蔵坊弁慶もまた歓喜の笑みで頬を吊り上げる。一目で見て取れる燃え盛るような喜悦、だがそれも当然だ。戦場(いくさば)こそが英雄の生きる場所なのだから!

 

からからと笑い、刀身だけで三尺五寸を数える大薙刀を構えた。そのまま無造作に踏み込み、切っ先を将悟の心臓に向けて突き込む! 

 

決して速い訳ではない、むしろ緩慢とすら言える動作。だが気付いた時には切っ先と心の臓の距離は10cmにも満たないほど詰められている。神速すら破る武芸の極みをあっさりと体現して見せる。武芸に長けた英雄神の真骨頂だが、生憎と将悟には見えていた(・・・・・)

 

「我が身中に宿る太陽は全ての力と共に昇り、我が怨敵を屈服せしめん!」

 

淡くも力強い輝きが将悟の全身を包む。数多ある権能の中で随一の応用性を誇る太陽神の恩寵、その発露たる聖なる陽光であった。

 

今回陽光を宿すのは将悟の両足である。

 

第二の権能の恩恵により将悟の肉体は一足で瞬く間に視界から消え去る人外の脚力を宿す。だがその程度では神々との闘争の尺度では決して十分とは言えない。あくまで同じ土俵に立てる、喰らい付けるという程度のものでしかない。

 

だがそれで十分……そも太陽の権能で強化する本命は別にあるのだから。

 

―――などと思う間も虚しく感じられるほど迅速に切っ先が心臓との距離を縮めていく。

 

神殺し特有のデタラメな集中力と黄金の燐光に強化された脚力で辛うじて反応を間に合わせるとひらり、と突き込まれる切っ先を辛うじて躱す―――心臓との距離は小指の先に満たない―――そして即座に大地を蹴って後方に飛び、距離を確保した。

 

が、敵もさる者。突き込んだ大薙刀の勢いをそのままに手首を柔らかく扱うことで柄を撓らせ、毒蛇の如き鋭さで二撃目を足首に向けて斬り込もうとする……その刹那!

 

「石から生まれたる我、世界を生み出す我は『雷』を創造する!」

 

宙に閃光の軌跡を残し放たれた紫電の雷球が今まさに追撃に踏み込まんとした弁慶の額へ撃ち込まれ、機先を制する。雷球自体は振り上げた大薙刀で斬り落とすが、解放された紫電が四方八方へ暴れ回り、弁慶の視界を()いた。雷撃に籠められた熱と痺れ、衝撃以上に今の攻防から読み取れる疑惑が弁慶の足を止めた。

 

「ぬ…?」

 

あまりに的確に叩き込まれた牽制の一撃。武芸の心得はないだろう神殺しが弁慶の足を止めるのに最適な機を計り、迎え撃った一連の流れ。それが偶然によるものか確かめねば。

 

などと思考を巡らし弁慶が動き出そうとする、その直前に計ったようなタイミングで雷電の速さで箭が飛来する。

 

やはり偶然ではない、と確信を深めると両腕で急所だけを覆うと前かがみとなって力を溜め、イノシシの如き素早く重量級の突撃を敢行した!

 

迎撃のため次々と放たれる雷の箭など気に止めない泥臭い猪突猛進でたちまちのうちに彼我の相対距離を潰してしまう。

 

そして己の距離となった途端に無双の剛力で絶え間なく振るわれる長物。それらを将悟は二撃、三撃と躱すと同時に僅かな槍撃の合間を狙い、箭のように鋭い雷霆を抜き撃ちで叩きつける。

 

まともに受けた弁慶に目立ったダメージは無いが…一瞬でも動きが鈍れば距離を取る余裕が出来る。距離を詰められながらもなんとか凌ぎ、牽制することで隙を作り再度距離を取る。

 

あとはその攻防を大同小異でコピー&ペーストしたような繰り返しだった。

 

十数度目かの攻防の後、両者にさしたるダメージは見られない。将悟は振るわれる大薙刀を悉く回避したため、弁慶はシンプルに耐久力で押し切ったためである。都合十数度の雷撃に灼かれても意気軒昂な弁慶は追撃を取りやめ対峙する敵手へ話しかける。

 

「さして速くも無く、武芸の心得も見えぬ。で、ありながら拙僧の振るう得物を悉く凌ぐかよ。如何なる手妻に依るものか見当もつかぬ……ふふ、ほんの数合得物を交えた程度だがお主との戦、中々に興がある」

 

からからと笑い、声音に含まれる興味の成分を強めた弁慶。

 

「だがちとお主の妖術は物足りぬな。《鋼》たる我が肉体は剛強さにおいても比類なし。様子見などせず、全力を示すことを勧めよう」

「余計な御世話だ、クソ坊主」

 

対峙する神々から毎度の如く突きつけられる己の火力不足に苦々しげな将悟をここで初めて見遣り、にやりと弁慶は笑った。その奮戦を称えるように。

 

「そう言えば名を聞いておらなんだ。名乗りも無く刃を交わすなど無粋の極み、弁慶ともあろう者が失念しておった。

同国の神殺しよ、己に羞じるべきところなければ天地に潜む神々と拙僧に名乗りを上げ、己が武勇を示すがよかろう。仇敵たる我らの聖戦にもその程度の戯れは許されようさ」

 

その剛毅な呼びかけに対し、将悟のかける言葉はどこまでも冷ややかだ。

 

「上から目線な評価をどうも。赤坂将悟だ。別に覚えなくていいぞ」

 

さっさと障害物(おまえ)を始末する予定だから覚えていても意味が無い、と傲岸不遜に言い放つ将悟。両者が示す戦意の差異に弁慶も流石に不愉快な気配を浮かべる。

 

「お主の故郷が危難にあることは拙僧も聞いたが、それを理由に今一つ気合の入らぬ様でこの弁慶に挑むのは不快を通り越して不敬というもの。猛省し、心根を改めるべきと感ずるが?」

「よりにもよって神様に諭されて性根を正す魔王がいてたまるか。そもそもお前が言ってるのも我田引水な理屈だろうが!? そんな文句に従うなんて死んでも御免だね」

 

これはこれで手前勝手な弁慶の発言に即座に切り返す将悟。

 

「大物ぶってる暇があればかかってこい。なにより俺程度の武芸の素人におちょくられて黙っているほど慎み深い性格でもないだろ、弁慶?」

「ハ―――良く言った。その大言、高くつくと教授してやろう! 赤坂将悟、同国の神殺しよ!」

 

巨体に似合わぬ玄妙な歩法で“するり”と間合いを詰め、無造作に見えて何時の間にか皮一枚の距離に迫っている薙刀捌き。対して将悟の動きに弁慶のような武芸の気配は微塵も無く、速度も比較して緩慢だ。

 

で、ありながら何故か弁慶の振るう薙刀の閃きを悉く避け、反撃の一手を返して見せる。

 

先程と変わらない弁慶が得物を振るい、将悟が躱すコピー&ペースト。果たして幾数回同じやり取りが繰り返されたか、だが遂に均衡が破れ去る瞬間が来た。

 

「読めたっ!」

 

ある種一定のペースで振るわれ続けていた絶え間ない連続攻撃のリズムが一変する。技量と反射に任せて一太刀で切り捨てるのではなく、一振り目に続く追撃の太刀も併せて“流れ”を組み立てる怒涛の連撃。

 

さながら詰将棋のように敵手の挙動の自由を奪う薙刀捌きだった。

 

将悟の動きそれ自体は神々の尺度では早い方ではない。一手一手追い詰めていけばやがて限界は訪れることを見抜き、攻防のリズムをシフトしたのだ。

 

敵は据え物にして打つ、という言葉があるように武術の世界では達人がゆっくり攻撃しても未熟な武芸者は満足に反応できないという逸話に事欠かない。無論達人と呼ばれる一握りの者にしか出来ない妙技だ。だが義経一の家臣、武勇に優れたる武蔵坊弁慶ならば……出来ぬと考えることこそ夢想に等しい。

 

そしてとうとう弁慶が振るう岩融が将悟の肉体を捉える。頭部目がけて両断する勢いで振るわれる岩融に対し、咄嗟に前進して激突個所を即死必至な刃から柄にズラす。それとともに肩に陽光を集中してガード…将悟に許された時は刹那に等しかったが何とか対処は間に合い、接触の瞬間自ら跳んだことも合わさって派手に吹っ飛んだものの被害は軽微だ。

 

が、戦術的には小さくない意味合いを含んでいる。ここから先、同じ戦法で挑めば今度こそ回避が間に合わず脳天から一刀両断されても不思議でもなんでもない。

 

この短時間で薙刀捌きを剛から柔に、地力で叩き潰すのではなく相手に合わせ隙を突くスタイルにシフトしたあたり、これまでの紙一重の攻防を成立させてきた手品のタネは見抜かれたとみていいだろう。

 

将悟の予測を裏付けるように得意げな顔で胸を張り、朗々と良く通る声音で看破したタネを突き付ける弁慶。

 

「貴様の手の内、見抜いたぞ。お主が頼るのはその俊足に非ず、禽獣よりなお鋭きその眼力! 如何なる神を殺めたか知らぬが森羅万象を見抜く瞳を持つか…侮れぬな、神殺しよ!」 

 

斬撃から斬撃へ移行する継ぎ目、あるかなしかの刹那へ狙い澄ましたような牽制の一撃。如何なる神から奪ったか心眼の権能で眼前の神殺しは武芸を極めた己の動きをほとんど完璧に視て取っているのだろう。その上で適切な時機を見極め、小癪な魔術の雷霆と神に並ぶ俊足で弁慶の槍捌きをやり過ごしているのだ。

 

そしてこの弁慶の推測はほぼ七割方的中していた。無論将悟には戦を生業とする神々が振るう武勇を見切るための権能など持たない。

 

だが常識外れな的中率を誇る霊視力の持ち主であり、他の五感も現生人類を遥かに上回るレベルで備えている。そのふざけた性能の六感を太陽の権能で更に強化すれば、弁慶の動きを見破ることは決して不可能ではない。

 

こんなところにまで応用が利くのか、とあまりの適当さ加減に自身が所有する権能ながら呆れてしまったのは将悟だけが知る秘密である。

 

さておき、将悟が幾ら優れた感覚を装備したとしても間違っても剛力と鋼の肉体を有する弁慶と鍔競り合えるほどではない。両者を隔てる距離さえ潰してしまえば地力の差から弁慶が圧倒的に有利であることには動かしようのない事実。

 

現状無傷で凌いでいるもののそれは回避と離脱、牽制に全力を尽くしているからに過ぎない。弁慶もそれは承知しているだろう。種さえ分かれば対処は容易。元より己が繰り出す武芸の全てに対応しきれるとは神殺しも思っていない筈だ。

 

戦況の確認と分析を行う間も油断なく眼前の敵手を見詰める。

 

「うむ、ちと凝った手を使うか」

 

怪力無双の荒法師が渾身の膂力を込めて大薙刀を振り下ろす。将悟ではなく―――地面に、彼らが二の足で立つ大地に向けて。

 

大地に埋め込んだ刃を豆腐でも切るような勢いで振り抜くと一拍遅れて鈍い打撃音とともに爆発的な勢いで地面が弾け、土煙が周辺一帯を満たしていく。無論将悟もあっという間にその中に巻き込まれる、土煙がぶつかる勢いが激しすぎて目も開けられないありさまだ。

 

だがそんな状況でも聖なる陽光で底上げされた彼の感覚器官は正確な仕事をこなしていた。視覚が潰された程度では戦況に対して些かの不利も感じない。

 

「さて、何のつもりなのやら…」

 

弁慶もこの程度の土煙で本気で目晦ましになるとは考えてないだろう。無意味な陽導をしかけたふりで油断を誘っている、と考えた方がまだしっくり来る。

 

いずれにせよ今は待ちの一手。数瞬後、動き出す前に醸し出す微かな呪力の揺らめきを察知し来るか、と身構えた瞬間に脳裏に氷柱が突き刺さったような悪寒が走る。

 

眼前にあった弁慶の気配が“ブレた”。

 

見えずとも視える、五感に依らない超感覚が気配を捉える―――前方から半円で包むように迫り来る、幾つもの気配を!

 

勘違いなどではない、全てが弁慶と同質の神力を持って急速に距離を詰めてくる。いかなる手品を使ったか分からないがこれまで通りのやり方では絶対に凌ぎきれない!

 

咄嗟に『風』を創造し、眼前の土ぼこりを吹き飛ばす! そうして晴れた視界から現れたのは―――七人の弁慶! どういう理屈かは不明だが七人に分身するという器用な芸を見せてくれたようだ。

 

「ふざけた野郎だ…一応お前は伝承上人間だろうが! プラナリアよろしく分裂してんじゃねェ!」

「はッ! まつろわぬ身となった拙僧が人の限界に縛られると思うなど……愚考にも程があるぞ、赤坂将悟よ!」

 

言葉を交わす間も迅速に距離を詰め、全周囲から振るわれる七本の得物。一つを躱しても二撃、三撃が休む暇も無く突きだされる。流石全員が同一人物だけあってそのコンビネーションは絶妙にして精密だ。

 

まともに避けていてはどうあがいてもあと数手で詰むと直感的に悟る。

 

やむを得ない―――すこしでも勢いを殺すため腕を交差して楯とすると迫りくる一体の弁慶の得物に向かって咄嗟に“自ら”ぶつかりに行く。

 

神力が七分の一に減じたとはいえ元が剛力無双で知られた神格である。ゴキゴキと嫌な音を立ててブロックした腕の骨が粉砕し、会心のホームランよろしく70kg強の人体が勢い良く吹き飛んでいく。

 

「ぐ、おおお―――! ちくしょう、クソいてェ!」

 

受け身も取れず盛大に土と草の上をそのまま数十メートルは滑りつつ、巨木と衝突することでやっと勢いが止まる。死んだと認識されてもおかしくない不本意な空中飛行のひと時だったが、さして時間をかけることも無く元気一杯で立ち上がった。

 

常人なら腕どころか全身がグシャグシャになるだろう威力だったがカンピオーネの理不尽な耐久力、及び咄嗟に太陽の権能で底上げした護身の魔術で裂傷と粉砕骨折程度に収まっていた。

 

併せて聖なる陽光で両腕の治癒力を底上げする。普段なら完治に数時間はかかるがこの分なら一分あれば使い物になる程度には回復するだろう。

 

「流石、生き汚いことに定評のある神殺しよな。よもや我が刃の檻をそのような手段で斬り抜けるとは…」

「忍者よろしく分身の術かます坊主に人外認定される覚えはない。奇術団にでも行って見世物になってろ。最前列で指をさして大笑いしてやる」

 

口汚く罵りながらも分析は続ける。弁慶と縁の深い山伏は確か忍者の源流の一つではあるが……。恐らく、いやまずハズレだろう。将悟の人並み外れた直感が違うと告げている。

 

かといって他に心当たりも無い。そもそも一応は人間として伝承が伝わる弁慶には超常的な描写は少ないのだ。内心首を捻っていると

 

「府に落ちぬという顔だ。ふっふっ、我が分け身の秘密、開陳して進ぜよう」

 

と、一人の弁慶が余裕綽々で手品の種を語り始める。こいつ目立ちたがり屋にも程があるだろうと呆れ半分、興味半分で大人しく耳を傾ける将悟である。

 

「いまの拙僧は弁慶であり、俊章である」

「愚僧は千光房七郎」

「承意と申す。見知りおけ」

「名は仲教よ。その首、我が誉れとして貰いうける」

 

残る三人も次々と異なる名乗りを挙げていく。

 

よくよく見ればそれぞれの弁慶達の服装や武器は微妙に異なっている。鎧の意匠が違う、手に持つ得物が違う。そのくせどれもよく使い込まれている気配がある。ごくごく些細な違いではあるが…なるほど。

 

ここまで丁寧にヒントを出されれば将悟もそのカラクリが理解出来た。

これまでの戦歴の中で智慧の剣への応手として返されたこともある一手、神格の分裂だ。

 

「武蔵坊弁慶のモデル達か。そいつらを核に神格を分けたのか?」

 

当時の資料には義経を手助けした比叡山の悪僧達の記録が多数残っている。それらの悪僧達の事績を武蔵坊弁慶という神格は習合し、己の物としているのだ。そうした人物達の伝承を核に神力を七等分して分断すれば今のような芸当も可能だろう。

 

「おまけにまさかり、刺す股、袖搦め…ご丁寧に弁慶の七つ道具まで揃えてきたか」

 

日常会話でも使われる七つ道具の語源、実は弁慶にあるのだ。尤も弁慶の七つ道具に数えられる長柄物は少なからず彼の生きた時代には存在しないものがあったりするのだが。

 

閑話休題。

 

「然り然り。実を言えばもうちと数を増やすことも出来たのだがな。が、今より弱まっては非力なお主の妖術でも分け身の一つも討たれるやもしれぬでな」

 

直接的な言葉で火力不足を突き付けられた将悟の顔をはっきりとしかめっ面を作る。汎用性の代償に威力と燃費が犠牲になっていることは元より承知の上だが改めて敵から言われるとむかっ腹の一つも立つのが人情だろう。

 

というか幾らなんでも神力が七分の一に劣化した分身程度、火力を集中すれば問題なく倒せる。尤もその間他の六人が放っておいてくれるはずがないというオチがつくのだが。

 

「舐めんな、大道芸人! そんな手品まがいの術、通じるのは一度きりって相場が決まってんだよ!」

「言ったな、小童! ならばその良く回る舌ではなく己が武勇を持ってこの弁慶に力量を示して見せよ」

 

半円を描くように将悟を包囲する弁慶らを見据え、将悟は第一の権能の故郷たる漠々たる砂の大海に存在する自然現象を『創造』する!

 

ゴウン、ゴウンと将悟から呪力が吹きあがり、言霊の権能によってある現象へと変換されていく。

 

不吉なうねりを上げながら耳朶に鳴り響く風切り音! ただ豪風は烈しく吹き荒れるだけではない、さながら貪欲な魔獣が獲物を求め大口を開けて吸い込んでいるかのような強烈さで七人の弁慶を引き寄せていく。

 

更に吸い込むだけではない。弁慶の肌をザラザラと違和感を覚えさせる感触が撫でていく。風の中に砂が混じっているのだ、と一拍遅れて気付く。ただの砂粒ではない、触れれば人体程度おろしがねにかけたようにペーストになりかねない砂塵だ。それが濁流のごとき勢いで吹き荒れる風に乗って弁慶に襲いかかっている!

 

「ぬ、ぅん…!! これしきの術で拙僧を喰らえると思うたか! 侮ってくれたものだな!」

 

しかし弁慶は戦場の不死を体現する《鋼》の英雄、おまけにその最期は無数の矢に貫かれながら仁王立ちしたまま立ち往生するというタフネスの持ち主。身にまとう衣服が破れ、鎧に細かい傷がつくくらいでどうにも砂塵を風に乗せて叩きつける程度では有効打となっている気配が無い。

 

暴風の口で敵対者を呑みこみ、やすりのような砂塵によって肉片すら残らぬ規模で磨り潰す『砂塵の大竜巻』。赤坂将悟が『創造』出来る手札の中で最大の規模を誇る。とはいえ威力だけで見れば全力を込めても神獣を複数纏めて磨り潰せる程度に留まる。まつろわぬ神本体にぶつけるには些か物足りないのだ。故に将悟がこの手札を切る局面は専らヴォバン侯爵が従える軍勢や神々が使役する神使など多数の弱敵の掃討に限定される。

 

弁慶がその神力を七つに分け、一人当たりの神力が格段に弱まったとはいえまだまだ神獣などより格上である。これでは全魔導力を大竜巻に注ぎ込んだとしても足止めするのが精々だ。弁慶も将悟の火力不足を見切った上で弱体化を代償に手数を増やしたのだから、将悟もこの手でダメージを与えられるとは最初から考えていない。

 

だがそれでいいのだ。いま将悟が務めるのはアシストであり、アタッカーを務める者に別に当てがあるのだから!

 

「頼むぜ、相棒…!」

 

将悟の口からこぼれたこの戦場の何処かで潜んでいる相方への呼びかけは暴力的に荒れ狂う砂嵐によって吹き散らされ、将悟本人の耳にさえ届くことはない。

 

言うまでも無く恵那と打ち合わせたことなどロクにない。加勢のタイミングもその手段も恵那の判断に一任している。まつろわぬ神との戦いが予定通りに運ぶことなどまずありえないからだ。

 

だが清秋院恵那ならば……“俺の相棒ならば”と信じ全力を大竜巻の維持、弁慶の拘束に傾ける。

 

そしてその瞬間、将悟の脳裏に確かに届く。聞こえるか否か、ギリギリのラインだがしっかりと「任せて、王様!」と恵那の意思が伝わった。

 

知らぬ間に繋いだ輝ける黄金の絆が二人の意思を通じ合わせたのだ。

 

そしてその“声”が幻聴でなかったことを示すようにこれまでの攻防でも将悟に加勢することなく背後で待機していた清秋院恵那。太刀の媛巫女が遂に絶好のタイミングで佩刀を鞘から抜き放つ!

 

「起きて、天叢雲! 我が手に弓矢の冥加を取らせ給え!」

『元より承知! 同族よ、(オレ)の刃の錆となるがいい!』

 

神がかりの巫女に応えるのは当然まつろわぬ神の中でも特に好戦的な最源流の《鋼》である。同じ《鋼》だろうがまつろわぬ神だろうが一切怯まず、むしろ喜々とした声音で宣戦布告を弁慶に叩き付ける!

 

暴風の吸引から逃れることに全力を注ぐ弁慶が轟々と神力をその身に呼び込む恵那を見咎め、そして悟る。その身に呼び込むのが神と比べ物にならぬほど卑小な規模の神力だったとしても、その刃は確かに己を脅かしうるのだと。

 

「巫女か…! その神力、《鋼》の御霊を呼び込んだのかッ!?」

『応! 天叢雲劍、推参也! 我らが一太刀、浴びてみるか!? 後代の英雄よ!』

 

例え分身によって神力が七分の一に減少していたとしても人間風情が敵う相手ではない。真正面から恵那が斬りかかっては勢いのまま一刀両断されるだけである。

 

だが、全霊を賭して将悟の『大竜巻』に吸い込まれるのに抗っている今この時ならば話は違う!

 

渾身の威力を込めれば太刀の媛巫女の一太刀は神獣すら斬り伏せる。弱体化した弁慶の分け身一つならば十分に有効な威力を見込めるのだ。

 

「人間を舐めんな、阿呆が! 眼中にない人間如きに足元を引っかけられた気分はどうだ!?」

 

弁慶の目の前に現れた時も恵那を伴っていた。恵那の存在に気を払ってさえいれば、弁慶が今の苦境に陥ることはなかっただろう。尤もそうした神々の傲慢を見切った上で将悟は恵那を隠さずに連れていたのだが。

 

「戯言を…! この武蔵坊弁慶を侮るでないぞ、羅刹王! この程度の逆風、何度超えたか数えるのも忘れたわ!」

 

七人全員がじりじりと大竜巻に吸い寄せられながらも首からかけた大粒の数珠を揉み、早口で何事かの真言を紡いでいく。大竜巻の吸引力に抗うために使っている神力の一部を今行っている何がしかの行動にシフトしたようだ。

 

だがこれはこちらにとっても利がある。弁慶を拘束するための大竜巻の維持に必要な量を残し、浮いた呪力を輝ける陽光に変換して恵那に譲渡する。その絶対量は神と神殺しにとっては僅かでも恵那が伴う轟々と唸る暴風を倍以上に強大化する糧となった。

 

「我が背の君の為、御身に刃を向けさせて頂く―――御免!」

 

それはかつて将悟に向けて全霊を持って解き放った暴風の鉄槌の再現だ。

 

恵那だけは吸い込むな、と将悟が大竜巻に向けて強く念じると、恵那は木立を轟々と揺らす強風の影響から抜け出し、あの(ましら)の如き身軽さで最も近くにいた弁慶との距離を駆け抜けていく。

 

いまや恵那と天叢雲は眩いほどに黄金に輝き、弁慶が瞳目するほどの速度で瞬く間に詰めよって見せる。斬りかかられた弁慶も握っていた得物で防御を試みるが砂混じりの颶風がその動きを拘束し、その動きは鈍い。そして恵那は真正面から烈風の勢いで弁慶へ斬りかかって見せる!

 

辛うじて天叢雲劍の刀身を掲げた得物で防ぐが、続く第二撃―――城塞すら一撃で粉砕する暴風の鉄槌に対してそれ以上抗する術を持たなかった。

 

ドゴン、と明らかに人体と風が衝突したとは思えない重く鈍い音が響き渡る。

 

「―――クハッ…!」

 

ベキベキと鈍い音が鳴り響き、身体が“く”の字に折れる弁慶はそのまま解体現場のクレーンに付いた鉄球を打ち込まれたような勢いで真っ直ぐに大竜巻に向かって吹き飛んでいく。

 

「ぐ、お、おおおおおおおおおおおおおおおぉ―――!!」

 

ただでさえギリギリのところで抗っていた弁慶にそれ以上大竜巻の吸引から逃れる術はない。呆気なく超高速で渦巻く砂塵の幕にのみ込まれると超大型のミキサーにかけられたように“磨り潰されていく”。

 

砂塵の幕に押し隠されながらもやがて一つのシルエットが立ちあがった。

 

だが身にまとう鎧どころか全身の肉が砂塵に削がれ、血塗れとなった深手の中弁慶はギラリと野獣のようにその眼を輝かせる。全身から血のように神力が溢れだしていくが油断は出来ない。

 

まだ余力を残している、と直感的に断じた恵那は追撃の色気を見せず獣の身ごなしで素早く距離をとった。と、同時にぶつぶつと真言を呟いていた六人の弁慶が術の仕上げへと入る。

 

「「「「「「「東にある降三世明王。南にある軍茶利夜叉明王。西にある大威徳明王。北にある金剛夜叉明王。中央に御座す大聖不動明王よ。利剣で以て悪しき呪を斬り破り給え!」」」」」」」

 

一糸乱れぬ斉唱で顕す霊威は破魔の霊験、即ち魔術破りの言霊であった。目に見えぬ呪力で出来た『剣』が荒れ狂う砂塵交じりの豪風をズタズタに引き裂き、斬り破ってしまう。

 

戦術的目的は果たしたと将悟もまた大竜巻の維持を止め、代わりに拳大に圧縮したプラズマ球を数十個『創造』すると斬り破られた弁慶に向かって同時に一斉射撃を加えた。

 

プラズマ球の一つ一つが乗用車を跡形も無く吹き飛ばせる威力を誇る。

 

だが残る六人の弁慶の内、五人が素早く壁となって紫電の箭を防ぐ。その隙に残った一人が深手を負った個体に駆け寄ると、傷ついた身体をほどき精髄(エッセンス)となって駆け寄った弁慶に吸収された。

 

残る五人も次々とその肉体をほどき神力となって残る一人に帰還した。残るは再び神力が充溢した武蔵坊弁慶…とはいえ神力は目算で最初と比べ七分の一ほど減っている。恵那が与えた鉄槌による痛打、続く大竜巻(ハリケーンミキサー)は十分なダメージを与えていたのだ。

 

「清秋院、もういい。下がってろ」

「了解…。また派手にやったねー、王様。甘粕さんが泣くよ」

 

などと軽口を言い捨てながら再び距離を取って下がる恵那。周囲を見渡せばそれなりに密生していた樹木や大岩によって高低差のあった大地がだだっぴろく平らな荒野に変貌していた。良く見ればそこここに木屑や小石が転がっている。その原材料となったもの達は荒ぶる『大竜巻』によって大地ごと削り倒す勢いで磨り潰されてしまったのだ。

 

中々派手にやってしまったものだが行使した術の規模に見合うリターンは手に入れたと言えよう。

 

とはいえあの魔術破りの言霊は予想外だった。湧きあがってきた考察に思わず手を顎先にやり、考え込む将悟。

 

「船弁慶? いや、密教系統の禍祓いか?」

 

能『船弁慶』という黒雲のような平家の悪霊を調伏したという弁慶の霊能を示す逸話がある。更に元をたどれば弁慶が修行したという比叡山延暦寺は日本における密教の発展と深い関係を持つ聖地。密教を下地にした異能の心得があってもおかしくはないだろう。

 

しかしこの分だとまだまだ切っていない手札がありそうだ。

 

「意外と手札が多い上に予想もつかない戦法を取ってくる…。面倒臭い奴だな」

 

弁慶と言えばやはり怪力無双の悪僧という先入観があり、力押しのパワーファイターというスタイルを予想していたのだが思った以上に芸が多彩だ。実際にまつろわぬ神となった弁慶と戦ってみると意外なほど多彩な手札で機を計りつつ一気呵成に勝利へ向けて手を寄せてくる戦運びが印象に残る。先程の分身も結果として悪手となったもののもし恵那を伴わず一人で迎え撃っていたのなら深手を負っていたのは将悟だったかもしれない。

 

紙一重、だがはっきりと将悟が有利。

 

だが一方で、その紙一重こそが神と神殺しの闘争では大きな差となるのだろうと思う。そしてその紙一重を生み出すのは清秋院恵那―――“ではない”。

 

もっと別の要因だ、そして既に将悟はそれを見切っている。

 

「なんだ、もしかしてそれで本気か? おまえをボコリ倒したあとの連戦を気遣って手加減してくれる必要はないぞ? 見逃してやる気も無いし」

 

意識的に挑発を重ねながらも対する弁慶は無言のまま威圧感だけを高めていく。流石にこの程度の口舌に踊らされてくれるほど単純でも無いか。見た目ほど直情的な気性でないことはこれまでの戦運びからも予想がつく。

 

油断なく弁慶の動きに目配りしながら、それにしても―――とやや戦況から離れた事柄を思考する。

 

初めて恵那に向かって太陽の加護を与えた戦果を見て改めて思う。清秋院恵那と己―――というよりカルナの権能だろうか―――の相性は異常なほどに良好であると。

 

清秋院恵那は老神スサノオの神力をその身に降ろす神がかりの巫女、言いかえれば人の身に収まるほどに劣化しているとはいえスサノオのコピーだ。

 

そして恵那は一〇〇〇分の一にも満たない規模とはいえスサノオのコピーである以上スサノオに出来ることは恵那にも出来る。

 

本来ならば恵那の地力が低すぎるためよほどの機を狙わねば神々との戦いには有効打とならない。だが、それならば足りない地力を第二の権能で以て底上げすれば“どうなるだろうか”?

 

それはスサノオ本体に準じる規模の援護を適時受けられるという極めて大きな戦術的価値を意味する。鋼の神であり、嵐の神であり、支配の神である、多彩な権能を有する恵那(スサノオ)の援護を。

 

これは戦況を適切に見極め運用すれば天秤を一気にひっくり返しうる強力な切り札だ。この時赤坂将悟にとって清秋院恵那は最早新たなる権能を得たに等しい《剣》となったのである。

 

だがこの戦いに限ってはこれ以降あまり恵那の出番はないだろう。既に太陽の権能と恵那の合体技を見せた以上弁慶も警戒してしかるべきである。視界に映らない虫けらから宿敵の厄介な武器程度には認識を改めているはずだ。不用意に先程のような奇襲をしかけても返り討ちにあるのが落ちだ。

 

つらつらとそんなことを考えながら一層太陽の権能に呪力を注ぎ込み、眩いばかりの威光を示す陽光を全身に充溢させる。これから先、どう戦況が動くにせよこれまでほど容易く逃がしてくれまいと考えての備えだった。

 

そして遂に弁慶が動いた。

 

「今少し出方を見るつもりであったが……羅刹王めにこうまで言われてはこの弁慶の名折れ。良かろう。拙僧がこの地に喚び出された由縁、見せてやろうぞ!」

 

ぶわりと噴き出した濃密な神力が弁慶の姿を覆い隠すようにその周囲に揺らめく。神力の高まりとともに服から覗く手足が、顔がゆっくりと光沢のある漆黒に染まっていく。元から浅黒い色の肌であったが今では生きた鉄像さながらだ。いや、さながらではなくまさしく今の弁慶の肉体は鋼鉄そのものだ。

 

なるほど、そう来たか。

 

かつて見た同族も所有する肉体を鋼鉄と化す権能…。その頑丈さは折り紙つきだ。まともにやり合えば手持ちの手札で突破できる手段はごく一部に限られる。

 

まっとうかつ手堅い戦法だ。これまでの戦闘経過で将悟の有する権能が総じて火力が低いことは十分な程分かっているのだからそれ以上の防御力を備えさえすれば一方的なワンサイドゲームになる。なにしろ鋼の肉体には将悟がもつほとんどの手札が通用しないのだから。

 

「《鋼》の不死性…サルバトーレ・ドニと同じ権能か」

「ほう、当代には拙僧の同族を殺めた神殺しがいるのか」

 

興味を惹かれた風の弁慶であったが、直ぐに視線を将悟に戻す。

 

「いずれは其の者と矛を交えるのもよいが、まずはお主を打ち倒すことに全霊を注ぐとしようか!」

 

そして大薙刀を構えなおすと。

 

(フン)ッ!」

 

気合一喝、全身を鉄像の如き光沢のある漆黒に塗り替えた弁慶が威勢よく大地を踏み付ける!

 

弁慶を中心に放射状に震動が奔り抜け、一瞬遅れて地割れの如く大きな罅が地面に刻みつけられた。木立が根から倒れそうなほど激しく震え、常人ならば立っているのが難しいほど大地が揺れ動く。ばさばさっと微かな羽音が聞こえ、見ると遥か彼方には逃げるように飛び去っていく野鳥の一群があった。

 

体感的には震度4か5くらいの地震に匹敵しそうな揺れだ。

 

恐ろしいことにこの極めて局所的な地震は純然たるパワー、鋼の肉体の重量と無双の剛力の合わせ技によって引き起こされている。呆れたことにこれは弁慶にとってデモンストレーション、自身の力を見せて威圧しているに過ぎないのだ。なんと馬鹿げた力なのか…。

 

「見よ、赤坂将悟! 膂力無双、不撓不屈こそがやはり拙僧の最大の武器なれば!! ここから先、一筋縄ではいかぬと知るがよい!」

 

半ば呆れ、半ば感心しながら将悟はその余興を鼻で笑う。なんと無駄な力自慢かと、蟷螂の斧を掲げ誇るがごとき行いを嘲笑する。

 

既に将悟の手中にはその不死性を突破する“剣”が握られているのだから。

 

「そーだな。“様子見は終わりだ”」

 

その一言を皮切りに―――将悟の周囲に“銀”が溢れた。

 

 

 




PS
活動報告のほうで今後登場するかもしれない神様やらネタを中二的表題とともに上げておきました。

暇な方はご覧になって関連書籍など情報を提供していただけるとありがたいです。一応どれも神話解体の形は出来てますが資料が少なくて想像と推測で補っているネタも結構あるので。

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