敢えて言うと私の神話解体はエンターテインメントであって、歴史的な正確性を保証するものではありません。
もちろん出来る限り神様に付いて調べた上で書いていますがぶっちゃけ盛り上がるのならば多少の齟齬や矛盾、ミスはしゃーなしと考えています。そもそも歴史ってどうやっても異なる説とか不確かな推測とか混じりますし。
参考にした本もありますが今回の弁慶も多分に時代背景や物語から読み取れる、主観の入った“解釈”が入り混じります。
“そう言う風に言えなくもない”……私の神話解説はそういうものと理解したうえでお読みください。
恵那の献身によって弁慶を切り裂く『剣』の言霊を手に入れた将悟。だが思慮も無く無暗に手に入れた『剣』を振り回すことは選ばなかった。
弁慶の出方を伺いたかったというのが一つ。『剣』は攻防一体にして将悟が持つ最強の手札だったがそれだけに乱用は許されない。使えば使うほど切れ味が鈍るという面倒な制約があるのだから。機を見極め適切に運用せねば悪戯に己の首を絞めるだけだ。
そして恵那に教授された知識の中から建てた仮説……というよりも予感の成否を確認したかったというのがもう一つの理由だった。それはこれまでの攻防の中で将悟が確信するのに十分な材料が得られた。
確かに弁慶は弱くない、仕留めるのは簡単ではないだろう。手傷も負うかもしれない。されど目の前の英雄に対してどうにも負ける気がしなかった。そして恐らくその理由は…弁慶の主君たる神格と関連するのだろう。
その確信と弁慶が本腰を入れてかかってきたのを見て、将悟も遂に必殺の『剣』を抜いた。
「西塔の武蔵坊弁慶。源義経の一の臣。怪力無双の荒法師―――だが物語に語られるお前はそんな民衆に抱かれる典型的なイメージと違いすぎるほどに違う、数多の属性と役割を担う極めて複雑な神格を有する英雄だ!」
まつろわぬ弁慶の来歴を語る言霊を紡ぐのに合わせ、将悟の周囲に“銀”が溢れだす。目に入れても痛くない淡い銀色の輝き…だが見る者に不思議と三日月の鋭さを想起させる言霊の刃だ。
「平家物語や源平盛衰記といった初期の軍記物語ではあんたは義経の郎党の末尾に名前を連ねるだけの影の薄い存在だ。手柄らしい手柄、現在のあんたに繋がるような逸話はほとんど見当たらない」
史料に残る弁慶の記述は極めて少ない。その実在を疑問視する学者すらいる。あるいは弁慶は本来武芸者ではなく祐筆という義経の秘書官、または戦死者を供養する従軍僧のような文官的な存在だったという説もある。
「またけったいな武器を見せつけるものよ…。厄介な気配がぷんぷんするわい」
弁慶は一見儚げに見える月光の『剣』に秘められた脅威を一端とはいえ感じ取ったのか、にわかに警戒心を漲らせる。
おもむろに虚空より強弓と矢筒を取り出すと弓弦に矢をつがえた。無双の怪力で満月の如く弦を引くと将悟目がけて一息に射る!
銃弾よりも10倍は早く飛来する箭だが将悟は無造作に光球を一つ操り、正面からぶつけて対消滅させる。
今の一矢は所詮小手調べ、『剣』の正体を探る一手だったのだろう。箭を斬り破られたことに弁慶に驚いた様子はない。そもそも弁慶は弓達者で知られた英雄ではないのだから。
だが別種の驚愕が大胆不敵で知られる悪僧を襲っているのもまた確かであった。
「智慧の利剣か! 不動明王も持つ異邦の神をまつろわす剣! 呪術の手管を持つ魔王にふさわしき武器よ!」
「まあ見ての通り非力な権能しか持たんのでな。重宝しているよ」
先程の攻防の中で投げかけられた皮肉を揶揄して返すと恐れ知らずの僧兵の顔が忌々しげに歪む。酷く厄介な武器を抜かれたと英雄もまた気付いたのだ。
その悔しげな表情をどや顔で眺めつつ、内心では油断なく一挙一動を注視する。意識せずとも自然と舌が動き、言霊が再び紡がれていく。
「影の薄いあんたの扱いが最早進化と言っていいほどに一変するのが室町時代初期に成立したとされる―――
この物語の特に後半部分、頼朝から逃亡を続ける道行きで義経を差し置いて弁慶はほとんど主役と言っていいほどの活躍を見せる。この義経紀における姿が後世多くの文芸作品に影響を与え、現代に伝わる弁慶像を決定づけたと言っていい。
この物語において弁慶は武芸者としての力量はもちろん山中を踏破する道案内を苦も無く見つけ、口舌一つで頼朝方の追手を煙に巻く。山伏に扮して勧進帳をそらで読み、苦境を嘆く主君と同輩を慰め全員の絆を固める場を仕切る祭司の役割を果たす。義経の愛妾である静御前の出産が流亡の旅、それも山中で行われた際に産婆の役割を果たしたのも弁慶だ(ちなみに山、出産、産婆といったキーワードは製鉄技術=《鋼》と密接に関連する)。その他果たした役割を一々列挙していけばそれだけでページが一枚埋まるほどだ。
「それ以上我が来歴を囀るのは止めてもらおうか!」
薙刀・鉄熊手・大槌・大鋸・刺す股・つく棒・袖搦……薙刀『岩融』はその手に握り、その他の七つ道具を周囲に浮遊させて漆黒に光る巨躯で驀進する!
自ら攻勢に出て、それ以上言霊を紡がせるのを防ぐ…戦術論としては決して間違いではない。だがその難事を為すには少なからぬ神力を代償にするか、または神格を切り裂く『剣』を凌ぐ工夫が要る。
弁慶の神力はそう大したものではない、消耗もあるからなおさら脅威は小さい。となればなにかしらの策を
今度はこちらが手の内を探る番だ。
銀の光球を一群統率し、突撃する弁慶を包囲するようにバラけさせると四方八方からけしかける! さながら光球一つ一つが獰猛な猟犬か―――縦横無尽の軌道で以て『剣』の檻を完成させ、全方位から襲いかかった!
絶体絶命、誰が見ても窮地の悪僧だったが覚悟を決めた静謐な表情だった。
宙に滞空する七つ道具達が一斉に弁慶を守るように動くと銀の光球と衝突し―――消滅しない! 弾き飛ばされながらも光球たちを弾き飛ばしていく。
だが襲いかかる光球の数は一〇〇を超え、少なからぬ『剣』が弁慶を斬り裂く! 流石にその分までは対応しきれないようで斬りつけた光球が一時的に鋼の権能を破り、肌が元の浅黒い色に戻る―――だが弁慶が神力を滾らせると再び元に戻ってしまった!
「ハ―――やるな、そう来たか!」
実のところ七つ道具の大半は弁慶と関わりが薄い武具なのだ。そもそも発明された時期が弁慶の没年よりだいぶ後の袖搦もある。弁慶“のみ”を斬る言霊では効果が薄いのも当然だろう。
七つ道具で大半を防ぎ、すり抜けてくる分は鋼の肉体でごり押ししてしまう腹積もりか。工夫と無理押し、双方の策を採ってきた。
弁慶が選択したのは犠牲必至の頭の悪い突撃戦法―――だがこの局面では唯一の選択だ。黙って立っていればそのまま防御が意味をなさない『剣』で斬り裂かれるのみなのだから!
「だが簡単に突破できると思うなよ」
如何なる不利な戦局だろうと迷わずに全力を尽くす―――それは将悟たち神殺しの生き汚さにも通じる戦の心得だ。
なればこそ将悟もまた手加減せず一気呵成に『剣』を生み出し、斬り倒す。不利な局面だからこそ凄まじい底力を発揮するのが神殺しであるのなら、英雄もまた“そう”であるのだから!
将悟もまた迷わずに全力を振るうため一気に言霊を紡ぎ、『剣』を生み出していく。
「判官贔屓の語源になるほど義経の悲劇的な最期は民衆の同情を引いた。それゆえに義経を慰める物語が求められた……その要求に応え、生み出されたのがおまえ、武蔵坊弁慶だ」
単なる憐れみ、同情と言う感情の問題だけではない。悲劇の結末を遂げ、“悪霊となった義経”を鎮めるための儀式が必要だったのだ。
頼朝の子孫である源氏将軍が僅か三代で絶えたことと義経の無念を結びつけるのは迷信が信じられた時代の人間にとってむしろ自然なことであっただろう。俗説だが頼朝が没する直前に怨霊となった義経やその一族が現れたというエピソードも伝えられている。ほとんど目立たないものの義経は怨霊神としての側面も持つ英雄なのである。
弁慶……死者を供養し、慰めるべき僧侶がその役に選ばれたのもある種必然だったのだ。義経を襲った悲劇的な結末は覆しようが無い。ならばせめてその結末に至る過程にこそ慰めを求め、それに応えた弁慶はひょうきんなほどの明るさを持って襲いかかってくる追手、危難を三面六歩の大活躍で潜り抜けていった。
またおりしも義経記が作り上げられた時代は鎌倉幕府が滅びる時期と重なる。タブーとされた薄幸の英雄を民衆が思い起こし、また自由に想像の翼を広げて語ることが許される時代だった。
「我が主君の闇を暴くか! 嗚呼忌まわしや、その穢らわしき舌を引っ込め口を閉じよ!」
「生憎だが神様相手に恐れ入るほど人間が練れてないんだよ、なにせ魔王だからな」
弁慶の怒りもさらりと受け流し、一顧だにせず言霊を紡ぎ続ける。月の刃はどんどんその密度を増し、さながら無数の白光煌めく銀河に将悟が立っているように見える。
絶え間なく三日月を思わせる刃に襲われる弁慶は亀の歩みとなり、防戦一方となっていた。だが下がらない、後退の螺子を外したと言い切っても過言ではないほど愚直に漸進していく! 肉を殺ぐように神格を少しずつ切り刻まれながら。
後背にて暴れる愚者と女神を控え、余裕のない将悟をして敵ながら天晴れ、と賞賛するほかない。避けようのない痛みと不利を伴うと分かっていてなお勝利のため突き進む決断、中々出来るものではない。
故にこそ手加減、様子見などしない。このまま一気に押し切って見せる―――!!
「義経の一の家臣であると同時に彼の庇護者。それがあんたの求められた役割だった。故に義経に降りかかるあらゆる苦難の悉くをあんたは鮮やかに解決してみせる。
そのために必要な要素をあらゆる伝承、あらゆる人物から節操なくとりこむことであんたは複雑な職掌と気質を有する
無数に輝く淡い銀の光球が群れを為して大振りな刃が七つ、形成される。一振り一振りが弁慶の命脈を絶つ力を有する必殺の刃だ。
「お前の七つ道具ほど多彩じゃないが…こいつはお前だけを切り裂く智慧の剣。それだけに、単純で強力だ」
敢えて防御を捨て去り、七つの大剣全てを弁慶の迎撃に回す。『剣』を慎重に操り、距離を取れば安全に弁慶を倒せるのかもしれない…だがその分呪力と時間の消耗は激しくなるはずだった。
将悟はただ勝てばいいのではない、勝たなければならないのだ。最速で、余力を持って!
既に彼我の間合いは一足一刀のソレと言っていいほどに近づかれた。ならばこそ将悟が繰り出す『剣』もまたこれまでより一瞬早く弁慶に届く。
けして侮ってなどいない、だから安全策など取らない。命もかけずに命を奪う、神殺しの戦場はそんな甘いものではないのだから!
弁慶もまた将悟の覚悟を見極め、フッと微笑する。この時、両者とも口にしないが微かな交感が生まれていた。敬すべき敵なればこそ、全力を尽くし打ち倒すことに躊躇はなかった。
微かに笑みを浮かべ合うと、両者は激烈な勢いで武器をぶつけ合った。
全方位から斬り込まれる銀光の刃、三日月の『剣』を弁慶は心眼で見切り、七つ道具で打ち落としていく。無数の光球を集結させた銀の『剣』は大幅に威力を高めた代償に手数を減らした。
結果、弁慶は余裕を持って見切りつつも迎撃に多くの力を割かざるを得ない状況に陥った。亀の歩みだった前進速度を更に落として。
その無限に思える回数を数えた武器の交錯は二人を隔てる空間に無数の銀の火花を散らせた。
僅かずつだが『剣』の切れ味は鈍っていき、両者を隔てる距離も短くなっていく。遂には将悟に向けて得物を振り下ろすまであと半歩、という距離まで肉薄する。
―――だがそこまでだ。
これが何度目か分からない賛辞を弁慶に贈る。だがやはり負ける気はしない、追い込まれながら『剣』で追い込み続けていた、その成果がようやく結実する。
弁慶が魅せた詰将棋の如き薙刀の繰り、あれをイメージして『剣』を振るう。弁慶を守護する七本の長得物を丁寧に一本ずつ弾き飛ばし、斬り落とし、叩き伏せていく。
遂に六本の『剣』で弁慶の防御をすべて取り去り、致命傷を与えられる一瞬を創り出すことに成功する。そうして死に体となったところに残る一振りの『剣』を最速で叩きつける!
獲った―――そう将悟が確信した瞬間 “銀”がその身に迫るギリギリのところで弁慶から神力が分かれ、もう一人の弁慶がまるで楯のように立ち塞がると銀の大剣から自らの肉体で庇う。
目標こそ変わったものの『剣』は分離した弁慶に蔵された神格、その奥深くまで
神格の分断による分け身…それを捨て身の防御として用いたのだ。だがその代償は大きい。その身に宿る神力は最早見る影もないほど衰えてしまった。
これで形勢は一気に将悟に傾いたと言える。
「こうなるのではないか、とは思っておった…」
万策尽きた、という風情で立ちつくしている“ように”見える弁慶。
「…はっはっ。我が一太刀、届かなんだか。これでわが身に残された手は一つになった」
からからと陽気に、しかしどこか諦めたように呟く弁慶。どちらが本体かと問われれば先程『剣』で斬られた方だと将悟が返すほどの神力を代償にさきほどの一太刀を防いだのだ。
だが呟く内容には底知れぬ不気味さ、勝負を投げていない意気が濃厚に感じられる。まだ手を残していると言うのだろうか?
「こいつで斬られた割に元気だな…お前に残った神格なんて微々たるもんだろうに」
「否定は…せぬよ。うむ、だがいまひとたび拙僧の
「誰が乗るか、この脳筋め。大人しく俺に斬られて権能になっちまえ」
「そうか? 存外お主は付き合いがよい輩だと思っておったのだがな。拙僧の見込み違いであったか」
む…、と口をへの字で結ぶ将悟。
相対する敵手に共感し、ついつい挑まれた勝負に乗ってしまう悪癖があるのはこれまでも指摘されていた。しかしよりにもよって大して付き合いも無い神様にすらつっこまれるとは。
そんなに分かりやすいかね、と自身の性格と行動を顧みる将悟だった。
「では、参るとするか」
将悟は弁慶がそれ以上の行動に移るまえに七本の『剣』をもとの無数の光球に戻す。そして支配する言霊の一群を動かし、殺到させた。極限まで衰弱した今の弁慶にとって『剣』一つ一つが致命傷であるはずだった。
今にもその身に刃が届こうかという瞬間、呪力が津波のように溢れだし将悟の全身を叩く。
弁慶の総身からさながら活火山の爆発のように溢れだしてくる呪力から感じ取れる“におい”はなんとも鉄臭い…思わず警戒し、攻撃のため周囲へ配していた『剣』を手元に集結させるほどに濃い《鋼》の気配であった。
将悟は鋭敏な霊的感性、幽世から気紛れに受け取る霊視によって弁慶がたったいま為した所業を悟った。
「メチャクチャやるな……敢えて鋼の英雄神たる神格“以外”を智慧の剣で斬らせることで、逆に《鋼》としての純度を最大限に高めたのか!」
混淆神である弁慶の神格に占める《鋼》のパーセンテージは少ない。ならばそれ以外の神格を敢えて先程の『剣』で斬らせることで相対的に純粋な《鋼》の神格を引きだしたのだ。
全ての《鋼》が持つという魔王殲滅の使命、その成就を唯一絶対のアイデンティティとして活用するために!
尋常ならざる覚悟ではない。ここから先弁慶が繰り出す一手は間違いなく乾坤一擲の心もちで来るはずだ。例え弱敵と言えどモチベーションを最大にまで高めれば己の命に届きうると将悟の直感は警告していた。
「然り、その通りだ! この期に及んで小技は要らぬ! 魔王を屠る使命を為すため―――拙僧は我が名を賭けよう!!」
名前はアイデンティティを構成する重要な要素だ。これを忘却すれば最早神を名乗ることが出来ないほどに衰えることは目に見えている。なるほど、代償としては決して小さくない。むしろ命に匹敵するほど大きいと言えよう。
「天地大海に潜む神仏よ、御照覧あれ! 拙僧がこれより繰り出す一太刀にて神殺しの命に届かぬ時拙僧は我が名を忘却し、大地を漂泊するであろう!!」
岩融しの柄を額に押し当て、敬虔とすら言える表情で魔王打倒の成就を一心に祈念する弁慶。その姿に下手な手出しは危険と感知し、防御のために全ての『剣』を集結させる。
銀の光球を周囲に配し、全力で弁慶の動きを注視する。100mの距離を空けてなおコンマ一ミリ動いただけで瞬時に察する精度の六感を駆使し、一瞬たりとも気を抜かない。
にも拘らず見えない、振り下ろされる刃の影すら捉えられなかった。ただ脳裏に氷柱が叩き込まれたような危機感に反応し、咄嗟に前面に『剣』を集中して繰りだす!
微かに
大薙刀が銀の輝きと激突するやいなや、凶悪なまでの衝撃が将悟の全身を走り抜ける。
「ぐ、お、お、おおおっ!?」
『剣』越しにでさえ万力を以て押しつぶされるような重圧!
今にも崩れ落ちそうな膝を必死で叱咤し、苦悶と雄叫びを混ぜた怒声を張り上げる。半ば虚勢、半ば鼓舞の意味を込めた大音声だ。
「墜ちろ、凶星の下に生まれた魔王…! 末世を平らぐ英雄。彼を守護する剣の宿星よ、今ひと時は弁慶の刃に宿れ―――!!」
神代に結ばれた盟約の批准を表明し、魔王殲滅の大業を為さんとする。弁慶は刻んだ歴史も浅く、まつろわぬ神の根源を為すアイデンティティも他の神と比べて脆弱。だが神殺しと相打つ覚悟で敢えて《鋼》を除く神格を斬らせ、人為的に純度を高めた《鋼》の性が一欠けらの奇跡を可能にした。
天地と星々から借り受けられた力は本来の使い手の一〇〇〇の一に満たない程度。だが決死の覚悟で引きずりだした神力に更なる上乗せするには十分な量だ。
―――これぞ神代から逆縁続く仇敵も抵抗叶わず倒しうる一振りと弁慶は確信する。
物量と言う単純極まりない有利、莫大な神力が込められた斬り下ろしによって将悟を守護する『剣』を次々と砕き、破壊していく。
だというのに…、
「何故、だ―――!」
弁慶は絶叫する。理解出来ぬと、何故だと理不尽を怒り、嘆く。
「何故斬れぬ。何故、お主は生きている―――!」
当初圧倒的有利であったはずの弁慶の斬撃、それがギリギリのところで『剣』を押しきれない。次々と周囲から押し寄せていく『剣』が薄くなる防壁を順次補充し、厚みを取り戻していく。
それどころか一個一個の『剣』が耐えている時間も少しずつ長くなっている気さえする。
ならば一層の神力を上乗せして力尽くで押しつぶさんと目論むが弁慶もとうの昔に限界を超えている。既に名前という巨大な代償を賭けた弁慶にこれ以上差し出せるものなどない。
今弁慶が行っているのは真実背水の陣。
己の名を代償とした必殺にして己自身も追い込む諸刃の剣。見事神殺しを討ち果たそうが逆に凌ぎ切られようが弁慶は自身のアイデンティティを構成する根源たる名前を失い、落魄する。英雄にとってはある意味“死”よりも厭わしい結末だ。戦場の死など英雄にとってはどこにでも転がっている終わりだが、名と力を失い、己が誰かも分からぬまま長き時を生きるなど忌まわしいにもほどがある。
それほどの覚悟をこの一撃に賭けた。だと言うのに何故押し切れない―――!?
「ああ…そりゃ、言っちゃなんだが、当然、さ」
疑問と憤慨が表情に隠しきれない弁慶。この疑問に答えを返したのは、赤坂将悟。智慧の利剣を操るが故に誰よりも敵手のことを理解する賢しき愚王だった。
『剣』の維持に全精力を傾けながらなんとか一言一言を区切るように喋る将悟。
「お前の異名、『膝元去らずの弁慶』…。ある意味お前を表す本質だよな? お前は義経と出会い、家臣となってから常にその傍にあり続ける。それこそ最後の最期、義経が自刃するその瞬間まで義経を守り、導く守護者としての役割を全うする」
ぽつり、ぽつりと。
「鋼の逸話も、山伏や天狗との関わりも何もかも“源義経の忠臣”であるお前を輝かせるためのメッキ…後付けの剽窃で得た属性に過ぎない」
さながら遅行性の毒を盛るように言葉によって弁慶の急所を抉っていく。
「義経がいなければあんたという英雄は生まれなかった……この事実こそがあんたが存在意義を他者に依存する神。“源義経に仕える従属神”としているんだ」
武蔵坊弁慶は源義経を守護する神格としてその神話を改変された。その時から自身の存在意義、アイデンティティを源義経に依存しているのだ。
逆説的にこうも言える、弁慶は義経を守るために生まれた。故に義経がいない状況ではまつろわぬ弁慶は存在意義を達成できないのだ。
「だっていうのにメッキに過ぎない《鋼》の属性に引きずられ、魔王殺しに勤しむなんて…」
畢竟まつろわぬ神々の底力、しぶとさを決めるのは持っている権能の種類でも数でも無い。己の目的のためなら他を顧みない強烈な自我、アイデンティティに他ならない。そしていまの弁慶にはそれが致命的なまでに欠けているのだ。
「―――向いてないにも、程がある」
それは《剣》の鋭さを取り戻すなけなしの言霊であった。そして揺れ動く弁慶の心に楔を打ち込む呪力を伴わない呪詛となった。
押し込んでいた大薙刀がじりじりと押し返されていき、ついに『剣』と薙刀は互角となった。押し押されしながら接触点から動きが無いまま数秒が過ぎる。
「まだぞ、まだ終わらぬ―――終わらせなど、せぬ!」
「いや、終わりだよ。今の一撃で圧しきれなかった時点でおまえは詰みだ」
なんとか持ち返したものの再度均衡が破れれば一瞬で将悟の肉体は両断されるだろう。『剣』は使えば使うほど切れ味の鈍る武器なのだから。現在進行形で削られ続ける『剣』が持つ猶予は多く見積もって十数秒。弁慶も弱っているがその程度の時間なら、十分に神力を維持できる。だというのに死の淵で綱渡りする怖れなど何処にもなく、あくまでも飄々と言葉を紡ぐ将悟。
「抜かせ、余力が無いのはお主も同じであろうが!」
「おうよ、あと一発お前に叩き込むくらいが精々だ。“俺はな”」
含みを持たせた将悟の発言になに、と疑問を挟んだ弁慶は一拍遅れて答えに至る。
「なあ、弁慶よ。やっぱりお前忘れてしまったたろ? 人間を。俺の、相棒を」
清秋院恵那を、と。誇るように、自慢するように将悟は言った。
虚を突かれた弁慶の顔は将悟の指摘が正鵠を射ていることを物語っていた。
これを弁慶の過ちと責めるのは酷だろう。そもそも将悟が決死の一撃を防ぎ、あまつさえ拮抗に持ち込むことが想定外。真っ向からの潰し合い、神と神殺しの総力戦となった状況で人間一人に拘泥する方がむしろ隙を生みかねない。
だがその当然の思考は結果的に最高の不意討ちとなって弁慶を襲った。
最後の一撃を凌ぐため『剣』に全ての呪力を注ぎ込み、拮抗させた将悟も大分きつい。だが忘れるなかれ、未だ将悟の手札には言霊とは別種の『剣』が残されているのだから!
「清秋院!」
声による
「この大一番で最後の見せ場だよ、天叢雲! ついてこないと放り捨てちゃうからね!!」
『巫女よ、誰に物を言っている。我が権能を行使するのは貴様ぞ? むしろ
神がかりを解くことなく後方で待機していた清秋院恵那が最期の最期、決定的なひと押しを与えるため限界ぎりぎりまで天叢雲の神力をその身に呼び込み、滾らせていく。
『後代の英雄、《鋼》の同胞よ。己を…天叢劍とその巫女を敵に回した過ちを嘆くがいい!』
この時恵那達が行使したのは先程の暴風雨神の権能に非ず…敵を欺き、騙し、奪い取る偸盗の権能だった。
天叢雲が与える呪力の奪取は神々と神殺しの戦いに置いてかなり些細な効果しか発揮しない。純粋に神がかりの巫女たる恵那の地力が足りていないが故に。
加えて剣神としての性を最大限発揮しているいまの弁慶の肉体は自然と鋼鉄の硬度を有している。例え恵那が少しばかりの呪力を奪い取ったところでその理不尽なまでの耐久力に大差は無い―――“はずだった”。
しかしこの出雲の地に伝わる弁慶誕生の伝承が恵那に味方をした。この地に伝わる弁慶に《鋼》の英雄たる相を与える逸話には少し続きがあるのだ。
弁慶の母が10本目の鍬を食べているとき子供に目撃されたため、全ての鍬を食べきれなかった。それゆえに弁慶の体には一部だけ黒く変色しなかった部分がある。
そう、弁慶の四寸四方の喉だけが鋼鉄の加護に守られない生身なのである。
本来ならばそれは隙とも呼べない僅かな間隙、特に《鋼》の性を全開にしたいまは溢れださんばかりの神力がその程度の瑕疵などものともせずに全身を覆い尽くしている。
だが将悟の『剣』との拮抗が一筋の欠損をこじ開け、そして恵那と天叢雲による
鉄像さながらの黒光りする弁慶の肉体で、喉の周囲だけが人肌の色合いを取り戻す!
「ケリだ―――我は
エジプトにて最も崇拝された神は太陽神である。ピラミッド、オベリスク、死者の書。全てが太陽と密接に結びつく。故に言霊の権能が創造するカードの中で《太陽》は最強の火力を誇る。
『剣』の言霊を維持したまま『創造』の言霊も同時に行使したため、内側から破裂するかと言わんばかりの頭痛が将悟を襲うが、気合と根性で乗り切り一層の呪力を《太陽》の創造に注ぎ込む。
一瞬だけ爆発的な光輝が溢れだし、その場の全員の視界を瞼の上から焼いた。そして鍔競り合う二人の眼前に顕現するは紅蓮を迸らせる極小規模の太陽。至近距離から打ち込めば神ですらタダではすまない強烈な熱量が圧縮されている。
其れは漠砂の天空に君臨し、大地を灼熱で焼く太陽を宿した言霊の一矢。小なりとはいえ《鋼》の弱点である強烈な高熱を与える灼熱の箭を至近距離から弱点の喉目がけて解き放つ!
カルナを葬るトドメの一撃にも使われた赤坂将悟の最大火力が弁慶に迫る。
そしてあらゆる全てを懸けて臨んだ一合を拮抗に持ち込まれ、均衡を破るひと押しまで加えられた弁慶に最早この一矢を防ぐ余力はない。
「ああ…」
出来たのは、ただ万感を込めた呻きを漏らすだけであった。
「主上、拙僧は―――」
今際の際、弁慶は己を討たんとする神殺しに憎悪を向けるでも、激戦を称えるでもなく…。
ただこの世の何処にもいない主に声を遺すことを選択した。だがその声を聞き届ける者は最早どこにもおらず。
そして弁慶は紅蓮に喉を貫かれ、一瞬の後間欠泉の如き勢いで溢れだす焰に内側から呑まれた。
書いてて反省点が多い回でした。
同じくらいどや顔で神話解体を語るのは凄い楽しかったですがさておき。
神話解体が解説と戦闘描写の分離が難しい。ちょっと話の流れが悪くて読みにくい気が…。
まあ満点ではなく七割の出来で満足するのが長続きするコツらしいので投稿します。感想や指摘などありましたらどんどんお願いします。何時か加筆修正するかも。
次の話で弁慶編はひと段落。何話か挟んだ後に侯爵来襲編が始まります。
最後に次話に向けて一言。
―――これで八方丸く収まると何時から錯覚していた?
まだ一波乱あります。
原作知ってる方なら、まあ予想は出来るかと。