カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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たいへんお待たせ致しました。
原作第一巻、これにて終幕です。


蛇と鋼 ⑦

 

『死』の呪詛を吹き込まれた護堂の敗走、アテナによって星明かりさえ皆無の『夜』に落とされた東京、ゴルゴネイオンを保持する万理谷裕理の前に現れた(アテナ)、そして神と神殺しによる再戦と決着…。

 

その他、一夜の内に起こった数々の出来事。それぞれ関わった者たちに少なからず影響を与えたが、いま重要なのは次の一事だけだ。

 

―――旧き地中海の女王、強壮極まりない難敵を相手取り、草薙護堂は仲間の助力と愚者の狡猾さを恃みに勝利したのだ。

 

傷つき、倒れたアテナとボロボロだがしっかりと地に立つ護堂。誰が見ても勝者と敗者の差は明らかだった。あとは疲弊したアテナを討つだけ…そんな場面で護堂の悪い癖が顔を出す。

 

「もう気が済んだだろ。早くこの国から出て行ってくれ、アテナ」

「なにを…。このまま妾の首をとればよかろう。新たに権能も手に入れられようが」

 

訝しげな様子のアテナに溜息をつきながら言葉を継ぐ。軽く数千年は生きる時代が隔絶し、活動した地域すら全く違う。埋めがたいほどのカルチャーギャップ、この分では一生己とアテナの間にある溝は埋まるまい。

 

まあいい、この場だけこちらのいうことを聞いてくれればあとは望むまい。

 

「そんな怪しげな力、こっちからお断りだ。それに俺は現代に生きる文明人なんだよ。命の取り合いが日常茶飯事だった古代の女神さまと一緒にするな。もう決着がついてるのにわざわざとどめを刺す気はない」

 

間違いなく己の言い分など理解されないだろう。だが相手の流儀に合わせてやる義理は護堂に無い。

 

「これが俺のやり方だ。敗者に命じられるのが勝者の特権、勝者に従うのが敗者の義務だろ?」

 

などとのたまう護堂の前でアテナは俯き、考え込んでいる風だ。恐らく自分のプライドと折り合いがつけられるか整理しているのだろう。非人間的なまでの誇り高さ、神話的とも言い換えてもいい自尊心は概ねまつろわぬ神に共通する気質である。

 

しかしここで待ったをかけたのがエリカである。

 

「護堂、悪いことは言わないからここで権能を奪っておくべきよ」

「…………」

 

エリカの提案に一瞬考え込むがすぐに首を振る。それは己の、草薙護堂が選ぶ流儀ではないと。

 

「護堂…お願いだから」

 

懇願するような調子のエリカに首を傾げながらもやはり自身の流儀を曲げる気にはなれなかった。

 

「……悪いけど、俺は喧嘩で命の取り合いなんかしたくない。そういうことだ、アテナ。とっととこの国から出て行ってくれ」

「勝者に従うのが敗者のさだめか…。良いだろう、今は貴方の言う通り大人しく去るとしよう」

 

傷ついた体を腕で庇いながらも誇りを失わず、女王の威風を滾らせてアテナは宣言する。

 

「草薙護堂よ、妾を倒した神殺しよ。再会の時まで壮健であれ。これから貴方を襲う災厄を切り抜けることを妾は心から祈る。貴方を倒すのは、このアテナなのだから!」

 

と言い捨て、まったく突然にその幼い姿が掻き消える。

 

去り際に遺された不吉な宣言に護堂は首をかしげ、エリカは顔色を変える。聡明な彼女には察しがついてしまったのだろう。これから彼らを襲う“災厄”の正体を。

 

首を傾げる護堂に対し、速やかに注意を喚起しようとするエリカだが後方からほんの数秒早く彼らに向かってかけられた言葉によりその思惑は無に帰したのだった。

 

「なるほど…それがお前の流儀か? 草薙の」

 

音もなく、気配もなく。

一切の兆候を感じさせないまま何時の間にか一〇メートルも離れていない距離に少年が立っている。

 

声の主はその少年―――日本に住むもう一人の王、赤坂将悟だった。傍らに肩に竹刀袋を下げた初対面の少女を従え、薄暗い闇の中に佇んでいる。

護堂は彼とはただ一度会っただけ。だが奇妙なほど印象深く、なんとなく無視出来ない存在感の持ち主だった。サルバトーレ・ドニに感じる、敵愾心を否応なく刺激されるものとは違う。だが良かれ悪しかれ無関心でいられないとでも言えばいいのか…。

 

「そんな……早すぎる!?」

 

後方で密かに狼狽するエリカ。その顕著な動揺に密かに首を傾げつつ、なんとなく不穏な雰囲気を感じる。その気配の発生源である少年へ向けてなんということもなく声をかけた。

 

「万理谷からそっちは出雲で別の神様と戦ってるって聞いたぞ」

「ああ…。こっちはきっちりトドメを差しておいた…権能は増えなかったがな(・・・・・・・・・・・)。時間は大してかけなかったから、すぐ東京にトンボ帰りだ。だから一部始終は見ていたよ。助太刀は要らなかったらしいな」

 

発言の一部に疑問符が付いている風ながらとにかく向こうは無事に決着がついたらしい。

 

実はアテナによって東京が闇に落とされる前後、裕理は携帯電話越しに甘粕から聞かされていた《鋼》の顕現及び将悟がその迎撃にむかったことを護堂に伝えていたのだ(なおこの際エリカは『この先全く予測のつかない事態になったわね…流石赤坂様だわ』と関わっただけで事態を複雑化させる呪いとでも言うべき将悟のトリックスターぶりを評している)。

 

護堂は次々と降りかかってくる厄介ごとに頭を痛めつつ、すぐにきっぱりと割り切りアテナとの対決に集中していたのだが…。この分では無事に将悟の勝利に終わったようだと安堵の溜息をつく。ただでさえ強敵であるアテナの次に二連戦など御免こうむる。

 

それにしてもどうやってこの短時間で東京・島根間を往復したのか…密かに気になった護堂だったが、すぐに疑問を棚上げする。どうせ権能というデタラメ神様パワーに決まっている。

 

「いや、しかし驚いたぞ」

「…なにがだよ?」

 

返答が一拍遅れたのは偶然ではない。当初から赤坂将悟が纏う不穏な雰囲気、それがいまの一言を皮切りに僅かだが強まった気がしたからだ。

 

「あの女神だよ。まさか見逃すとはなァ。最悪の予想の斜め上を行くのが神様やらカンピオーネだが……流石に予想外にも程があった」

 

朗らかなようでかなり乾いた笑い声をあげる。その声音の裏に潜む同量の呆れと怒気―――ただしその絶対量は決して小さくない―――を、徐々にさらけ出していく。剣呑な気配を隠す気がない笑い声にエリカや祐理はもちろん、護堂の背も危機感が走り抜ける。

 

「…何の用だよ。あんたに言った通りアテナは追っ払ったぞ」

「逃がした、だろ。何故殺さなかった?」

「ふざけんな! たかだか喧嘩で命のやり取りなんてやってたまるか!」

 

完璧に本気の護堂の返答を聞いた将悟の目付きが珍獣を見るものに変わる。気配に交じる呆れの割合がはっきりと増した。

 

「……うん、そんな理由で命狙ってきた相手を見逃すとか理解できない。流石だなお前(カンピオーネ)、神様も神殺しも常識外れの連中ばっかりだがその中でもお前は“とびきり”だ」

 

割と本気で感心している様子の将悟に護堂が苦虫を噛み潰した顔をする。人間ではないからと言って迷わずに“殺す”と言い切り、実行できるだろう将悟に変人(なお控え目な表現)呼ばわりされるのは遺憾であること甚だしい。

 

一般常識の範囲内では護堂の言い分にも一理あるのだが、基本非常識が常識になる神殺しから見ると却って護堂の方がおかしく見えてくるのだ。

 

「これが俺のやり方だ。文句を言われる筋合いはない」

「別に東京以外ならその言い分を認めてやってもよかったんだがよ? よりにもよって俺の街でやりやがった(・・・・・・・・・・)

 

―――怖気が走る。

何でもない口調、何でもない言葉。で、あるはずが護堂は気圧される。

 

「俺としちゃあ、はいそうですかと納得してやれる気にはならないな」

「なんであんたにそんなことを言われなくちゃならないんだよ!」

 

護堂の反駁に呆れと怒りの中に潜む冷やかさが増す。

もう一つ溜息を吐いてまだ理解していない護堂に苛立ち紛れに解説を加えていく。

 

「また来るぞ、アテナは。今日はここがそのリングだった。次は何処だろうな?」

 

そのままズバリ、と核心に踏み込んでくる。

幸いにも今回アテナが巻き起こした騒動において人的被害“は”ゼロだ。だが次に来襲した時も同じ事が続くとは将悟には到底思えなかった。

 

「あいつはこの街を蟻の巣よりあっさり“踏み潰せる”。そして俺達(カンピオーネ)が憎いからでも、目障りだからでもなく“ただそこにあったから”踏みつぶしてしまう…まつろわぬ神だからな」

「それは…」

 

反論できない。それこそ神自身の意思すら関係なく存在するだけで災厄を撒き散らすのが『まつろわぬ神』なのだから。

 

「そうなった時お前はどうするんだ?」

 

圧力が加速度的に増していく。応じて自然と護堂の心身も戦闘態勢にシフトし、説得よりも応戦に思考が傾いていく。

 

「そうなった時俺はどうすればいいんだろうな。なあ、おい?」

 

一度ならず二度までも、己の大切な場所を危険に晒され将悟は顔に出さないが激昂していた。少しでもキッカケがあれば権能の行使も躊躇わないほどに。

 

「さて……ここで“原因”を取り除いておくか、否か。どっちがいいと思う?」

 

お目当てがいなければアテナも案外あっさり退いてくれるかもな、と将悟。

 

「逆にお前を始末した俺に目をつけてくる可能性もあるが、その時はその時だな。これ以上面倒事をまき散らされても困るし」

 

戦意が高まったのか、微かな呪力の風が将悟から吹いてくる。だが臨戦態勢にはまだ遠い。好戦的な気配をまき散らしつつ草薙護堂に此処で延長戦をしかけるか決めていないように見える。

 

(ヤバいな…)

 

草薙護堂は直感する。同じ神殺しの性か将悟の中の天秤がゆらゆらと揺れるのが幻視できるが…恐らくすぐに秤は一方に傾く。そして一度決断すればその決定がブレることはまずあるまい。

 

そしてこのままでは天秤は戦闘に傾いてしまう気がする。

 

「やるの、王様?」

「ん…」

 

傍らの少女―――将悟の《剣》たる清秋院恵那の問いかけに肯定とも否定ともつかない相槌を打つ。それをイエスと受け取ったのか恵那は竹刀袋の口を開け、鍔元から先を露出させる。僅かに溢れ出る神気が護堂の警戒心を著しく刺激した。

 

(……なんだ、あの女の子の剣。赤坂ほどじゃないけどなんかヤバい(・・・・・・)

 

少しずつ臨戦態勢に入り始めている将悟たちに危機感を募らせる。かと言って護堂の側に将悟を説得するための材料などない、やらかした身で下手なことを言えば逆効果になるだろうとは流石に分かっている。

 

結局やり合うしかないのか…と軽く絶望しながら身から出た錆だと諦観の念に至る。

 

あとは天秤が傾ききった瞬間が魔王同士の戦闘のゴングとなる―――誰もがそう考え、確信し、各々の事情と思惑のため制止にかかった。

 

真っ先に声を張り上げたのは万理谷裕理だった。

 

「お待ちください! 赤坂様、ここで御身らが争っては無辜の民に多大な被害が齎されます。どうかお怒りを鎮め、お引きくださいませ!」

「ああ、まったくもってその通りだ。痛ましいことだな」

 

強い憂いと焦りを込めた彼女の懇願にも感情の薄い目で見るだけだ。その訴えに感銘を受けた気配はない。

 

「だけど悪いな、それは俺が止まる(・・・・・・・・)理由にはならない(・・・・・・・・)―――下がってろ、万理谷。ここは危なくなるぞ?」

 

それでも裕理への気遣いだけは真情が籠っていた。一抹の情けを裕理にかけるとそれ以上関心を向けることなく視線を護堂に固定する。裕理は絶望と悲嘆の余り無言のまま崩れ落ちた。恵那も一瞬だけ視線を向けたが臨戦態勢の維持のためすぐに外す。

 

次に行動を起こしたのは才知溢れる王佐の才、エリカ・ブランデッリだ。

 

「お待ちください、王よ! ここで争っては御身の住む町にも少なからぬ災禍が―――」

 

故郷という先ほどの交渉で推察した将悟のウィークポイントを的確に突いたエリカだったが、返されたのはそれこそ護堂に向ける以上に関心が消えうせた冷たい視線だった。一応は敵として認識している護堂と異なり、エリカが戦力的にはほとんどカカシも同然だからだろう。

 

「―――“知るか”。もう黙れ、エリカ・ブランデッリ。お前の言葉程度じゃ収まりつかないくらいには頭にきてるんだよ、こっちは」

 

どんどんと高まっていく将悟の呪力。もはや魔王同士の衝突は不可避と悟った護堂とエリカが各々構えを取る中意外なところから声がかかる。

 

すぐ傍らでエリカに視線と敵意を放ち牽制していた恵那である。

 

「王様」

「―――うん?」

 

これは将悟も意外だったらしく、視線を護堂から外し恵那に向ける。意図せずして気を外されたその顔は存外に邪気がない。

 

いいの(・・・)?」

 

短いが思いの籠った問いかけだった。

天秤の両側に置かれているものを改めて問い直す静謐な視線だった。裕理のように周囲の被害を考慮して反対しているのではなく、ただ後悔の無いような選択をと将悟へ訴えている。

 

「…………」

 

冷静に考えればここで己が草薙護堂と争うメリットなどなに一つもない。威圧するだけで収め、貸しとするのが賢いやりかたなのだろう。頭の回るひねくれ者、アレクサンドル・ガスコイン辺りであればその選択肢を選ぶのではないか。

 

だが知ったことか、とも思うのだ。畢竟(ひっきょう)己は気分屋だ、心の赴くままやりたいように己をなす。それで、それだけで良いではないか。

 

神殺しという物騒な肩書から想像されるほど将悟は好戦的ではない。

だがたまには暴れたい気分にもなる。

 

今がその時だ(・・・・・・)

 

ゆっくりと身体の奥底に渦巻く呪力を解放し始め、言霊と太陽の権能を起動させようとする。本格的な臨戦態勢に移ろうとする、その出頭にその場にいるはずのない青年の声が待ったをかけた。

 

「―――横から失礼。憚りながら私も反対に一票を投じさせて頂きます」

 

唐突に、発声の瞬間までその身を隠し通した青年が暗闇からゆっくりと姿を現す。

 

「…甘粕さんか」

「ええ。無事の御帰還、ささやかながら寿がせて頂きます」

 

くたびれたよれよれのスーツを着崩した若い男性。明らかに修羅場と分かる場の雰囲気を察知しながら飄げた笑顔を崩さない。正史編纂委員会所属のエージェント、たまに赤坂将悟の付き人もこなす甘粕冬馬である。

 

その場の誰にも、勘が滅法優れた将悟にすら気づかれずに登場するという密かな偉業を達成した甘粕。相変わらずのとぼけた顔でタイミングのズレた発言を将悟に向ける。

 

「そっちも無事で何よりだ。実を言うと甘粕さんも微妙に俺の勘に引っかかってたんだよ、万理谷程死に近くはなかったけどな」

「……思い当たる節は無きにしも非ずですな。ではお互い無事でなりより、と言い換えましょうか」

 

アマカス…、とエリカが驚愕と納得を込めて小さく呟く。近くにいた護堂がようやく拾った呟きを耳ざとく聞きとがめた甘粕が嫌な意味で名前が売れたなーと慨嘆する。将悟の活動は世界各地を股にかける、故に意外と方々に知り合いがいるし甘粕が遠征に同行することもある。将悟のお付きとして甘粕の名も少しずつ広まっていたのだ。

 

「出来れば関東圏から退避したい位だったんですけど。一連の事態の経過を逐一報告せよと命じられていましてね。上司の命令に逆らえないのが公務員のつらいところですな」

「危険手当が無いのにな。沙耶ノ宮に言っといてやろうか?」

 

それは是非お願いします、ととぼけた返答を聞きながら将悟はささくれ立っていた感情がわずかに静められるのを感じる。

 

必要なら荒ぶる魔王の前でも飄々とした姿勢を崩さず物申す糞度胸こそ将悟が甘粕を仲間と恃む最大の要因である。それは相手次第だがカンピオーネにすら通用する隠密の技量などよりもよほど貴重な資質だ。

 

それはさておき、先ほどの甘粕の発言の意図を考える。と言っても考えるまでもないだろう、ここは東京都心のど真ん中。ここでカンピオーネ二人が暴れ始めればビルが立ち並ぶ大都市の一画があっという間に見渡す限りの更地に荒廃しかねない。

 

それを避けたいと思うのは至極まっとうなのだが、同時に疲弊している今が草薙護堂の首をとる絶好の機会である。将悟も大概呪力の消費が大きいが、肉体的な損耗は護堂ほどではない。勝機は十分にある―――尤も戦力の優劣が必ずしも勝敗に結びつくわけではないのがカンピオーネの闘争なのだが。

 

「……ここで始末した方が後腐れないとも思うが?」

 

なので王様権限で反対を押し潰すのではなく、あくまで意見を聞く形で戦闘の意思を表明する。

 

「いえまー、正直私としてもちょっとはそう思わないでもないんですが」

 

さらりと本音の混じったかなり不敬な発言をこぼしながら甘粕は言葉を継ぐ。

 

「例え赤坂さんだろうと、相手がどれほど弱っていようとカンピオーネを殺しきれるかはちょっと分からないですし」

 

そのまま語るのは身も蓋も無い現実論だ。

 

「大体面倒事云々をいうなら将悟さんがいる時点で今更ですし」

「―――そりゃそうだ」

 

軽く言っているがその実深い嘆きが込められている。この一年将悟が引き起こした数々の厄介ごとの後処理に従事し続けた苦労人のぼやきに思わず頷く。後悔はしても反省はする予定がない真性の暴君に対してこうかはいまひとつのようだったが。

 

なおやたらと実感が籠った青年の慨嘆に一名を除き周囲が引いていた。コイツ、これまでにいったいどれだけはた迷惑なことをやらかしてきたんだ…と。それほどに甘粕の醸し出す苦労人の空気が身に染みたのだ。

 

「あと日本が被る政治的、経済的、人的被害が洒落になってません。そしてなにより私が処理しなければならない仕事が馬鹿みたいに増えます。ええ、それはもう過労死しなければおかしいというくらいに」

「あんた絶対後半のあたりが本音だろう」

「ええまあ。それがなにか?」

 

ついでのように言い放たれる、一応最も強調して伝えるべき事柄。ただ周囲の迷惑など一切顧みない魔王様にこの手の泣き落としはあまり有効ではなかい。それを熟知しているため被害そのものよりそれによって被る甘粕自身の苦労を語る、おどけた発言の中にちくりと皮肉の意を込めながら。

 

将悟は容赦なく甘粕に面倒事を投げつける暴君だが、その苦労を察せないほど鈍感ではない(だからこそ余計に性質が悪いともいえる)。身内と認める甘粕から諫言されれば耳を傾ける程度の度量はあった。

 

「困るか?」

「大いに」

「……なるほど、ね」

 

理屈より多分に感情を利用した説得は将悟に対してかなり効果的だった。行動の指針が感情か、理性かの二択で問えば神殺しの例にもれず将悟は前者に分類されるからだ。

 

甘粕のおかげで先ほどよりはるかに場の空気は和らいだが未だに山場は抜けていない。

 

最後の一押しがいる、そう甘粕は直感したがこれ以上彼の手札に将悟を動かせそうなものがない。一抹の期待を込めて周囲を見渡す。すると甘粕の期待を察したわけではないだろうが、これまで沈黙を保っていた護堂が動いた。

 

尤も話の切り出し方は甘粕の期待を大いに裏切っていたが。

 

「…俺は、俺のやり方でいく。戦う力も残ってない奴を殺すのは俺の流儀じゃない。だからもう一度機会があってアテナを殺せとか言われても自分を曲げる気はない」

「護堂? 何を―――」

 

鎮火しかけた火種に油を注ぎかねない発言を制止するべく声を上げたエリカ。焦った彼女を護堂は目配せ一つで黙らせる。無意識の行動だろうがだからこそ護堂が持つ器の大きさ、人の上に立つべき度量を感じさせた。

 

「だけど俺のせいで、いろんな人たちに迷惑をかけた。赤坂にも……謝ってすむことじゃないけど―――本当にすまない」

 

そう言って護堂は深々と頭を下げる。

自身の不心得を素直に認め、謝罪できる性格は他の魔王に無い草薙護堂だけの美徳と言えるだろう。

 

だが同時にのど元過ぎれば熱さを忘れる悪徳もまたあらゆるカンピオーネに共通する性格だ。少しばかり苦言を呈した程度で欠点が直るような殊勝な性格ならカンピオーネなんて言う代物に成り果てていない。

 

どうせ同じ状況に陥ればまた同じようなことをやらかすに決まっている。

 

ただまぁ……将悟自身の気は大分晴れた。

 

一戦交えなくては収まらない、そう思うくらいに腹が立ったのも確かだ。だが冷静に考えれば草薙護堂の息の根を止めたところで根本的な解決は出来ないしそもそも殺しきれるかも怪しい。

 

結果的に将悟の街にまだ被害はでていない。奪われたゴルゴネイオンは将悟にとってはオマケだ。ないよりはあった方がいい、その程度の物でしかない。

 

未来に襲来するだろう女神の問題は頭が痛かったが…流石にあそこまで追い込んだのならば当分は日本にやってくることはないだろう。その間に対策なりなんなりを考えればいい。

 

そうだ、催眠系魔術を極大化して街全体にかけ、速やかに避難を完了させるのはどうだろう? さらりとグレーゾーンぎりぎりの発想を脳裏に浮かべる将悟。

 

それらの事情を総合的に考え、甘粕や裕理の懇願、周囲が被る被害を自身の感情と天秤にかければ…………不本意だが仕方が無い、なんとかその程度に納得できなくはないくらいに怒りは収まった。

 

将悟がこれほどまでに好戦的になっていたのは結局のところ利益ではなく感情の問題なのだ。故に仲間たちに問われ、諭されその上で護堂に本気で謝罪されれば怒りも鈍るし矛先も見失ってしまう。

 

(上っ面で謝っただけなら始末する気分にもなったんだがなァ)

 

しかし将悟の直感は頭を下げた護堂の後悔の念が偽りでないことを見抜いてしまった。この先護堂が行いを改めるなど期待できないししてもいないがある程度は溜飲が下がった。将悟の中の天秤は片方に載っていた感情という錘が除かれ急速に不戦へと傾く。

 

赤坂将悟は気分屋なのだ。感情としてしこりは残ったがもはや戦意は残っていなかった。

 

「…………」

 

高まる呪力を収め、沈思黙考していた将悟から急速に呪力が膨れ上がり、周囲へ放射される。固唾をのんで見守っていた周囲の緊張が頂点に達した。

 

『―――!?』

 

もう一度繰り返そう、赤坂将悟は気分屋だ(・・・・・・・・・)。だから気まぐれ一つ、直感一つで判断を覆すこともあり得なくはない。恵那と甘粕を含めその場のだれもが驚愕に息をのみ込んだ。

 

全員が極限まで高まったその場の緊張に身動ぎひとつすることが出来ない。指一つ、言葉一つ不用意に動かせば針でつついた風船よりも容易く破裂するだろうと肌で感じられたからだ。

 

一拍の、途轍もなく長い一瞬が過ぎ去ったあと。

 

「……デカい貸しが一つだ。次にアテナが来た時は“始末をつけろ”。意味は分かるよな?」

 

将悟の手打ちと言える言葉の後、その場の全員が一斉に息をつく音を漏らした。甘粕などは驚かさないで下さいよ、と手の汗を拭いながら胃が痛そうな顔をしている。

 

「帰る。あとは任せた」

「任されました。ああ、その前に一つ、よろしいですか?」

「なんだよ。もう今夜はこれ以上働かないぞ」

「いえいえ、単なる個人的な好奇心ですとも」

 

甘粕はそう言うと意味ありげに並び立つ将悟と恵那を見詰める。ごく自然に隣に寄り沿う二人。昨日よりも随分と距離が近い…。なるほど、我が王は恋愛関係においても積極果断であるのかと内心感嘆の念をあげる。下手をすれば一生これまでの関係で終始してもおかしくは無いと危惧していたが、進むときは一気に進んでしまうものらしい。

 

「今日の間に起こった恵那さんとの御関係に関する変化について野次馬根性からのちほどじっくりと伺いたく…」

 

山場を越え、臨戦態勢を解いたとはいえこの期に及んで戯言をほざく青年に周囲の背筋にヒヤリとしたものが伝う。なんでこの青年は地雷原をタップダンス付きで抜けた後でわざわざしなくてもいい綱渡りに挑戦しているのかと。

 

しかし将悟の操縦法を比較的心得ている甘粕の意見は違う。将悟は魔王の中でもトップクラスに洒落が利く性格だ。本当に激怒している時ならともかく苛立って荒れている程度なら軽口を叩いて発散させた方が元の調子に戻るのも早いだろう。

 

同じく将悟のことをよく知る恵那は密かに、

 

(らしいなぁ)

 

と苦笑を漏らし、将悟は護堂に向けた時の次くらいに乾いた笑い声を上げた。

 

「甘粕さん、今月給料50%カットな。沙耶ノ宮に言っておくから」

「…いえ、あの。冗談でもやめて下さいよ? あの人に言ったら額面通りに受けるどころか喜々としてそれ以上のことを実行しかねない…―――待って、何も言わずに消えないで下さいよ!」

 

最後の最後にコントじみたやりとりを交わしながら『転移』の魔術を行使した将悟たちの姿が一瞬で掻き消える。周囲へプレッシャーをまき散らしていた存在が去り、緊張に満ちていた空気が弛緩する。

 

なおこの一幕における最大の功労者は二人の魔王に極限まで痛めつけらえた胃の腑を撫でさすっていた。その後気を取り直した護堂やエリカ、裕理と甘粕らの間にしばし平和的かつ事務的なやり取りが交わされたがこれは余談だろう。

 

この一幕を最後の山場に蛇と鋼の英雄にまつわる騒動の幕は本当に降りたのだった。

 

 

 

 




なんで妥協するだけでこんなに面倒くさいことになってるんだよ(迫真)
魔王二人のキャラクターが強固過ぎて折り合うだけで一苦労だよこんちくしょう。

四か月もお待たせして申し訳ありません、原因は私生活が忙しくなったのもありますが八割は筆が乗らなかったせいです。更新が途切れた後もいただいた感想を励みになんとか再起動して書き上げました。

原作二巻まで幕間を何話か挟みます。次は短いのでもっと早く上げられると思います。きっと、たぶん…。


PS
サブタイトルの番号を全体的に変更しました。

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