カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

18 / 40
委員会の人たちマジお疲れ様です。
彼らは王様に対してもっと怒っていい。



嵐、来たる ①

《サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン》

 

豪奢で、快適そうな高層ホテルのスイートルーム。

だが言っては何だが、ただそれだけの、何処の国でもありそうな一室に二人の人物が向かい合っていた。

 

一人は知的な風貌、紳士の佇まいを見せる老人―――に見せかけた狼王、ヴォバン、サーシャ・デヤンスタール。

もう一人は彼の前で膝をつき、騎士の礼を取る少女―――《青銅黒十字》所属大騎士リリアナ・クラニチャール。

 

ミラノから急遽かの老王に呼び出されたリリアナは己が呼び出された理由に見当がつかず、内心訝しげに思いながら王の言葉を待っていた。

 

「君がクラニチャールの孫娘か。久しいな、と言いたいのはやまやまだが君の顔に見覚えがないな…。ああ、物覚えの悪い老人と思わないでくれ。君くらいの年ごろはすぐに成長する。私でなくとも似たようなものだろうさ」

「は…。侯と私がお会いしたのはほんの十分ほど、未だ私が幼く小さかった頃です。無理もございません」

 

適当な世間話。魔王と交わすにはあまりに真っ当すぎる会話。

多少なりとも欧州に覇を唱える魔王たちと間近で触れ合う機会があったリリアナは却って警戒の度合いを高めた。

 

「今日君を呼んだのは他でもない。私でも単独では成就の難しい儀式に、君“たち”の力を借りようと思ってね。その手始めとしてミラノの神童と名高い君をクラニチャールに命じて召し出したのだ」

 

ヴォバン侯爵がリリアナに―――複数の巫女に、手伝わせる大儀式。四年前のあの儀式の当事者として心当たりがあり過ぎるリリアナは密かに冷や汗を一滴垂らし、確認のための言葉を絞り出した。

 

「侯、その儀式とは四年前の…」

「然り。察しが良いな、リリアナ・クラニチャール。まつろわぬ神を招来するアレをもう一度実行に移そうかと思ったのだよ。そろそろあの儀式に適した星の配列と地脈の流れが整うのだ」

 

かつて多数の巫女を犠牲にまつろわぬジークフリートを呼び出した大呪の儀。あれほど危険な魔術を何故…などという疑問は思いつきもしない。神殺しが神を呼ぶ―――戦うため以外に理由があるとでも?

 

「そのために、君に問いたいことがある。四年前、あの場に集められた巫女の中で最も優れた巫力を示した者は誰だったかな?」

 

騎士として王に虚偽を報告するのは論外。だが素直に名前を出せば一人の少女を地獄に突き落とすことになる。律儀で、清冽。義侠心に満ちた騎士としてリリアナは忸怩たる選択を突き付けてくるヴォバンに反発を覚えるがそれを表に出しはしなかった。

 

「あの時の儀式はサルバトーレめにしてやられたが、全てが無駄ではなかった。私は思い知ったのだよ、質より量ではなくとび抜けた資質を有する巫女を選りすぐり、揃えるべきだったとな」

 

できればそんな教訓を生かさないという選択をして欲しかったのだが…。内心だけで溜息を吐くとあくまで謹厳にリリアナは先ほどのヴォバンの質問に答える。

 

「極東の島国、日本に生まれた巫女。名はマリヤ。宜しければ私が候の御前まで連れてまいりますが」

「日本。奴めの故国だったか」

 

ヴォバンが顎に手をやり、微かに視線を上向けた。その焦点は部屋のどこにもあっておらず、過去の記憶をその脳裏に甦らせているようだ。だがそれも致し方ないだろう…、リリアナは思った。

 

日本に一年前に誕生した『智慧の王』。最も新しく、最も激しく争ったというヴォバンの仇敵。かの王の故国となればヴォバンもまた無関心ではいられないはずだった。それが良い風に繋がればいいのだが…と密かに祈るリリアナ。

 

「いや、それよりも良い案がある。私自らかの島国に赴くとしよう」

 

だが現実は往々にして無常である。

最も避けたかった未来がヴォバンの口から出されてしまった。

 

「…カンピオーネたる候が御自ら? しかし」

 

リリアナはやはりこうなったかと動揺を抑えるために一拍を必要とし、その後実直に懸念を表明する。

 

「あの島国にはかつて候と争った『智慧の王』がいらっしゃいます。あの国に乗り込み、巫女を連れ出す以上あの方が関わってくるのは必然。また新たに八人目のカンピオーネが誕生したとのこと。話を通しておいた方がよいのでは?」

「そうだな……いや、止めておこう。そちらの方が面白い(・・・・・・・・・)

「はっ……し、しかし侯、このままではかの王とぶつかりかねませんが」

 

冗談そのものの言いぐさのくせにひとかけらの洒落っ気もない大真面目な発言。明瞭な頭脳の持ち主であるミラノの神童もさすがに一瞬返す言葉を失い、芸のない言葉を絞り出すほかなかった。

 

「なに、サプライズというやつだ。老人のささやかな戯れさ、その程度のお遊びだ。あまりうるさく言うな、クラニチャール」

 

そのサプライズの結果次第で日本の首都、東京―――世界有数の大都市が灰燼に帰すかもしれないというのに気にした風もない。笑えない、本当に心の底から笑えないユーモアを発揮するヴォバンにリリアナも流石に顔を顰めた。

 

その表情を見てヴォバンは揶揄するように少女に向けてフッと笑うと己の過失を悟ったリリアナは大人しく目を伏せる。他者の命を路傍の石ほどにも見ていない暴君の前でこの振る舞い、処刑されても文句は言えない。

 

だが彼女にとって幸いにも追及するどころか微かに上機嫌な様子でヴォバンは言葉をつづけた。

 

「それにあやつとぶつかる気はない、まだな。かつての闘争から未だ一年、何柱か神を屠ったと聞くが―――このヴォバンと伍すにはまだまだ遠い。もうしばし、時間をくれてやらねばな」

 

樽に詰めた極上の美酒の開栓を待ちわびる愛好家じみた言いぐさ。だがその気配の端々に濃厚な闘争と狂気が香る。

 

「ではなおさら―――」

「言っただろう、遊びだ。それにアレは興味のない事柄にはとことん怠惰な性質だ。巫女の一人程度、相応の対価をくれてやればこだわりなく差し出すだろうさ」

 

その言葉にまたしても驚く。対価を与える…これは曲がりなりにも相手を対等と見ていなければ出ない言葉である。

 

最長老の魔王・ヴォバン侯爵が未だ若く奪った権能も少ない赤坂将悟と一際激しく敵対しているという噂、実は眉に唾を付けて聞いていたリリアナだがどうやらその認識を改めなければならないらしい。また併せてこれほどまでに強くヴォバンに意識されている赤坂将悟への認識と脅威度を一段高く引き上げる。

 

「とはいえ供回りがいた方が便利なのも確かだ。その役目に君を任じよう、異論はあるかね?」

「光栄です、候」

 

異論などあっても口に出せるはずがない。

リリアナは言葉短かに承諾の言葉を発した。

 

かくしてこの一幕から因縁深き二人の王、そして最新の神殺しである草薙護堂を巻き込んだ三つ巴の騒乱へ繋がるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《赤坂将悟》

 

五月が瞬く間に過ぎ去り、六月も末に近づいたころ。

ゴルゴネイオンと大魔法陣にまつわる騒動も落ち着きを見せ、少なくとも将悟の耳に新たな知らせが入ることも無くなった。

 

甘粕もデスマーチを潜り抜け、最近は通常の業務に戻っているらしい。

 

将悟、そして護堂もまた元通りの生活に戻っていた。否、護堂に関してはあの一件の直後日本にやってきたエリカ・ブランデッリによって日常的にかなり目立つ生活に変化していたが……まあ、些細と言えば些細な変化だ。少なくとも将悟の関心を少しも引かない。

 

一方で将悟の日常にも多少の変化があった。

 

「王様ー。今日は何処いこっか? 日帰りで恵那お勧めの秘湯でもいく?」

 

清秋院恵那が将悟の元に顔を出す頻度が以前よりずっと増えてきたのだ。

 

「人をタクシー代わりに使うのは止めてもらおうか。細かい座標の指定とか地味に面倒なんだぞ、転移(アレ)

 

とはいえキスとかデートだとか恋人らしい振る舞いはほとんどなかった。

 

「ええー、いいじゃん。王様のケチー」

 

その代わり、以前よりお互いと過ごす時間が増えた。

 

また今度な(・・・・・)―――ほら」

「…うん」

 

苦笑した将悟が差し出した手に恵那がおずおずと握り返す。女の子らしい、小さくて柔らかい手のひらのなかにある固い感触、剣ダコだ。その半生を修行に費やした恵那の手に刻まれた鍛錬の証。この手が恵那の生きてきた時間そのものを表しているようで、嫌いではない。

 

アレ以来、二人はこんな風だ。

 

恵那は自然と身を寄せてくるようになったし、将悟もそれを拒むことはない。いつの間にか将悟の自宅に上がり込んではテレビを占有された挙句夕食まで頂かれたなんてこともあったし、その代価として清秋院の本宅でお茶を振る舞われたりもした。作法などさっぱりだが抹茶と菓子の組み合わせが絶妙に美味かった。

 

その際に清秋院家当主が直々に挨拶にやってきたり、ささやかなハプニングがあったりもしたのだがそれは余談だろう。

 

「最近平和だねー。魔王様が二人も東京にいるとか信じられないくらい」

「清秋院よ。お前はフラグという言葉を知らんのか?」

 

気を取り直した恵那が呟く不謹慎な発言に呆れた声音で将悟が返す。

 

なんかこのやり取り前にもあったような…、とデジャヴを感じつつ突っ込みを入れた将悟に恵那は「旗がどうしたの?」と素で返している。世間一般の恋人が撒き散らす砂糖を吐きそうな甘い空気とは無縁。だがなんとなく二人の間に入り込み辛い。そんな独特の雰囲気を醸し出している。

 

甘粕あたりが見たら「熟年夫婦のイチャコラっぷりは家に帰ってからにしてくれませんかねェ」などとのたまいながら何かの機会にYes/No枕でも贈りかねない、そんな雰囲気の二人だった。

 

「でもひと月以上なーんにも起こらないのはほんと久しぶりだよ。これは記録更新いくかな?」

「だからフラグを立てるなと…」

 

恵那のいうことが全部事実なのがなんとも言えない。普段はまとも“っぽい”高校生生活を送っている将悟だが多いときは毎週、少ないときでも月に一度は世界の危機に立ち向かっていたのだから恵那の意見もむべなるかなだ。

 

「話は変わるが…」

 

これ以上思考を進めるといかん気がする、と感じた将悟が少々唐突に話題を切り替える。

 

「最近は割と頻繁に見るが、神がかりを使うのは問題ないんだよな?」

 

そう、これまで恵那は一度山に籠れば最低でも月を跨ぐ程度の日数を修行に費やしていたのだがここ最近は将悟に顔を見せる頻度が明らかに増えていた。神がかりを扱う恵那は常に精進潔斎し、肉体に溜まる穢れを祓わねばならない。恵那が日常的に山籠もりをするのもそれが最大の理由なのだ。

 

「使えるかってことなら全然問題ないよ。なんか弁慶と戦ってからレベルアップしたのか身体に俗気がたまらないんだよね」

「ゲームじゃないんだからレベルなんてそうひょいひょい上がるもんでもないだろ。するってーと“アレ”か…?」

「あれ、実は最近薄気味悪いくらい調子がいいから変だなーとは思ってたんだけど。王様、ひょっとして心当たりでもあるの?」

 

顎に手をやり、考えこむ表情になった将悟に恵那が訝しげに問いかける。

 

「……ま、あると言えばあるし、ないと言えばない」

「結局どっち?」

「有力な仮説はあっても確証はない。だからもう少し考察してからだな。何かわかったら知らせる。これは勘だが、身体に害がある類のものじゃないはずだ」

「ん、オッケー。それじゃ楽しみに待ってるね」

 

ひとかけらの疑いもなく眩しい笑顔でかけられる信頼の言葉がなんともむず痒い。実のところ確証がないだけでまず立てた仮説に間違いないだろうという確信はある。

 

だがこの情報、扱い方を一つ間違えれば絶対に面倒くさいことになることもまた確信していた。恵那は奔放な言動と反してほいほい口を滑らせるような粗忽さからは程遠い。だがそれでも思わず口が重くなる程度には厄介な話なのだ。

 

……恐らく、太陽の権能を以て恵那に与えた生命の根源にまつわる加護。それがいま恵那の身体に起きている異変の原因だ。生命力の付与、という本質から派生した太陽の加護。やたらと厳しい使用制限のクリアを条件に将悟から加護を授かった契約者は様々な恩恵を得る。

 

例として距離や次元に左右されず将悟と聖なる陽光をやり取りできる、自己治癒能力の強化、半永久的な不老(・・・・・・・)などその効果は多岐にわたる。将悟自身が把握し切れていないものを含めれば更に増えるだろう。

 

そしてこの加護の大本命というべき最大の恩恵はまだ片鱗すら顕れていない。そのための時間がまだまだ足りない(・・・・・・・・・・・・・・・・)、そう太陽の権能が将悟に向けて内から語り掛けてくるのだ。

 

ともあれこの加護、一時的なものではなく将悟と契約者のどちらかが死なない限り永続的に効果を発揮し続ける。またその心身に不可逆の変質も伴うというデメリットも存在する。

 

いつぞやの会談で沙耶ノ宮馨に対して加護を与えるのを取りやめたのもそこが大きい。

 

度々言及されているが基本的に将悟は個性ある人間が大好きだ。どのくらいかというと控えめに言って頭のおかしい懐の深さの持ち主、またはでっかい穴が空いた大器と思われているくらいには。

 

例を挙げよう。

 

仮に将悟の仲間が確固たる己の意思で将悟と敵対したとする。

そうしたとき将悟は激怒するでも躊躇するでもなく、理由があるなら仕方ない(・・・・・・・・・・・)―――そう言って真っ向から殴り倒した上で敵対する理由を粉砕し、再度自陣に迎え入れるだろう。

 

その程度には身内に対して甘い。

 

で、あるからして本人の意思確認なしに人生設計に多大な影響を与える太陽の加護を授けることは憚られた。もちろん権能を完全に掌握しきれておらず、詳細が判明していないという理由もあったが理由としては余禄だ。

 

愛すればこそ自主性も尊重する。どんな選択であれ、悩み苦しみ貫いた先に選んだ答えを、己の道と重ならないという理由で押し潰すような狭量さは将悟には無い(なお敵に回らないとは言ってない)。

 

閑話休題。

 

その後も二人はお互いの手を握りながらなんということもない雑談を交わし、帰り道をゆっくりと歩む。歩く道先には緋色に輝く太陽が沈みゆき、そろそろ地平線に触れようかとしている。

 

目をつむっても目蓋に刺さる赤い陽光に、不意に影が差す。

 

ふと恵那が沈みゆく太陽へ目をやると、先ほどまで影も形もなかった黒雲が日輪をその暗幕に隠そうとしていた。併せて空気が雨の降り出す前特有の重苦しく、湿ったものになり始めている空気中に漂う水の匂い、それもかなり強い。

 

恵那の鋭い嗅覚はもう幾ばくもしないうちに雨が降り出すことを告げていた。

 

「あれっ…さっきまで晴れてたのに。ヤな天気だなぁ」

 

恵那の慨嘆は、しかし将悟の耳に届かない。

 

急速に変わる天気、晴天から曇天への入れ替わりがふと将悟の霊感を刺激する。なんでもない光景が齎す不吉な予感が無心となった将悟の口から単語となって零れ落ちる。

 

「嵐…」

 

凄まじい早さで西の方角から押し寄せてくる黒雲を幻視する。あっという間に都市を包み込み、風雨雷霆で打ち壊していく騒乱を。

 

「王様?」

「嵐が来る…」

 

気配がした、血風鉄火が渦巻く嵐の匂いが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《草薙護堂》

 

放課後、学院からの帰り道に彼女と肩を並べて歩くのもすっかり日常になってしまった。とびきり優雅で、とびきり魅力的だが曲者っぷりもまたとびきりなエリカ・ブランデッリと。

 

ほんの数か月前まで思いもしていなかった光景に護堂が感傷じみたものを抱いていると、エリカ・ブランデッリは草薙護堂に唐突に問いかけた。

 

「それで、護堂。貴方の愛人にして第一の騎士たる私が聞くのだけれど…」

 

草薙護堂はごく普通の高校生だ。少なくとも本人の認識においては。

だから学生の身で愛人などという怪しげな関係性を構築する気はないし、ましてや自称・愛人の少女から次のような嫌疑を向けられることは遺憾であること甚だしかった。

 

「貴方、最近何かやらなかった? 具体的にはこれまで貴方がカンピオーネとして遺憾なく成し遂げてきた非常識な所業に類することなのだけれど」

「……エリカ、いきなり人聞きの悪い前置き付きであらぬ疑いをかけるのは失礼だと思わないか?」

 

あら、そうだったかしらととぼけるエリカを睨みながら質問の答えを返す。

 

「別にこのひと月、平和なものだよ。いや、お前が学院に転校してきてから別の意味で色々あったけど」

「つまりまつろわぬ神に関連する出来事に心当たりは無いわけね?」

「ない。……なんでそんなこと気にするんだ?」

 

顎に右手を当て、視線を下に向けながら思考に沈むエリカの様子に訝しげなものを感じた護堂はつい問いかける。するとエリカもまた状況を把握し切れていないのか、どう説明したものか迷っている表情で話し始めた。

 

「何と言えばいいのかしら…。そうね、まずここ数日で私たちの周囲に置かれた監視の目が明らかに厳しくなってるわ」

「は…? 監視の目―――ちょっと待て、監視ってなんだ!?」

 

ひょいとエリカの口から飛び出したあまりに予想外かつ不穏な単語に思わず詰め寄る護堂。それに対してエリカは一般常識を指摘するような淡々とした口調で返した。

 

「護堂、常識的に考えて頂戴。公共の治安と平和を守る職務に努める人たちがカンピオーネなんて危険人物に対して一切のリアクションを取らないなんて選択、出来ると思う?

「俺がカンピオーネだからってほかの連中と一緒くたにして危険人物扱いされる覚えはないっ! そもそも普通の一般市民を公共機関が張り込むってのはどうなんだ!」

「護堂、何事にも例外はあるものよ。貴方はその一例というだけ。それにプライバシーまで侵害されていないようだから安心しなさい」

「なんでそんなことがエリカに分かるんだ?」

「それはもちろん私も同じように見張られているからよ。むしろ私の方が向けられている目が多いわね」

 

護堂の片腕たる私も要監視対象としてブラックリスト入りしたみたいね、と剣呑な内容を気楽に発言している自称・草薙護堂第一の騎士。

 

「まあ監視と言っても私たちがトラブルを起こさないよう、逆に巻き込まれないように遠巻きに視線を向けてくる程度よ。街中で視線を集めるのはエリカ・ブランデッリなら当たり前のことだし、一々区別するのも面倒だから全部無視していたのだけれど…」

 

自意識過剰な発言もエリカの黄金比を体現した如き女獅子の美貌と抜群のスタイルを見ればさもありなんと納得してしまう。

 

「それがこの数日で明らかに警戒度がハネ上がってる。怪しい動きをしていなければ関知しない、からどんな怪しい動きも見逃さないってくらいにね」

 

おまけに、と続けた。

 

「それだけじゃないわ。昨日青山界隈にある業界の顔役のところに顔を出したんだけれどね…。そこの店主も一切態度に出さなかったけれどピリピリしてるみたいだった」

「態度に出してないのにピリピリしてたって矛盾じゃないか?」

「私と彼女の関係はビジネスライク、仕事に関する話はするけどそれ以上は互いに踏み込まない。特にカンピオーネに関する話題はさりげなく、でも絶対に避けていたわ。たぶんこれは赤坂様の所業によるものだと思うのだけれど」

 

思案気に、彼女自身も思考をまとめている風で言う。

 

「それが昨日は向こうから護堂、貴方に関する話題を切り出してきたわ。世間話を装った、それとない切り出し方だったけれど逆にそれで確信できたわ。絶対に何かあるって」

「だから昨日はスケジュールを全部中止にして情報収集に回っていたの。でもどれだけ探っても詳細は出てこない。確信できたのは業界全体…少なくとも関東圏全域の魔術関係者の警戒心がものすごく敏感になってるということ。私も昨日散々痛くない腹を探られたわ」

「どうも末端は詳細がほとんど知らされてないみたい。でも“何かある”ことがほとんど規定事項として全員が確信している。私たちの監視の目が強まったのもその影響でしょうね」

 

正直、私も訳が分からないわとエリカは肩をすくめた。この聡明な才女をして何もわからないと言うのなら恐らくほとんどの人間が状況を把握できていないのだろう。そこで手がかりの一片を求めて遺憾ながらしばしば騒動の台風の目となる己に問いかけてきたのか。

 

「……それで最初の質問につながるわけか」

 

得心のいった護堂だが自身の生活が不特定多数の目に触れているという現実に些か以上に気が重くなる。誰に恥じる生活をしているわけではないが、ここ最近は主にエリカのお蔭で外聞の悪い出来事を山ほど量産しているのだ。

 

気分が下降気味になっている護堂に苦笑しながらエリカがフォローを入れる。ただしそのフォローがまた別の痛い所を突いていたりもしたのだが。

 

「まあ実のところ護堂本人に見張り役はほとんど振り分けられていないわ、やっぱり天下無敵の大魔王様の機嫌を損ねるのを恐れたのかしら」

 

これは完全に余談だが護堂に向けられた監視の目が少ない理由の半分ほどはどんなに巧妙に見張り役を置こうとたちどころに看破した上でクレームを入れてくる先輩魔王の存在があったりする。草薙護堂もその同類であればむしろ彼の周囲の人物にこそ人を配しその動きから騒動の前兆を察知しようとしていたのだ。

 

「それにしても一番の容疑者だった護堂がシロとなると……あとは裕理と甘粕さんが頼りね。でも裕理は世間に疎いところがあるし、甘粕さんに貸しを作るのもちょっと」

 

容疑者云々の辺りには護堂も異論の一つも投げつけたいところであったが、本気で困惑している風の彼女を見て段々と嫌な予感を感じ始める。なんとなくだがコレはただ事ではないのではないか、と。なにかとんでもない騒動に繋がっているのではないかと。

 

聡明なるエリカ・ブランデッリも首を傾げたこの珍事、実のところその原因は主に一人の少年の“予言”に遡るのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《甘粕冬馬》

 

上記のやりとりが交わされるほんの数日前。

その発端となる会話は東京都港区、青山界隈のある店内にて行われていた。

 

ここで話は変わるが日本呪術界の関係者は概ね二種類に分類される。

 

一方は古来から日本呪術界を統括してきた『沙耶ノ宮』『清秋院』『九法塚』『連城』ら四名家を中心とした『官』の呪術師。

もう一方が在野の拝み屋、占い師、霊媒など『官』に属さない『民』の術者達だ。

 

その『民』の術者達がこの界隈に多数潜んでいたりする。

そしてその青山に居を構える『故月堂』の店主は彼ら『民』の呪術師たちの顔役として認知されているのだ。

 

「あらあら、甘粕さんじゃないですかー。ウチにはもうお宝は残ってませんよー。そういうわけでお引き取りくださいな」

「開口一番ソレとは嫌われてしまいましたねー。そもそもご禁制の品を取り扱わないで頂ければ私どもとしてもお仕事が増えずにすむんですが」

「そこはまぁ、需要があるから私等のような稼業が成り立つんでしてー。それに委員会さんも困った時には私らがいた方が役立つでしょ」

「その質問にはノーコメントとさせていただきます」

 

地味だが仕立てのいい和服を着こなした若い女性とくたびれたのスーツの上着を肩にかけた青年。

 

先日、とある『民』の術者らがオークションにかけようとした

人狼の魔導書『homo homini lupus(ホモー ホミニー ルプス)』を指定された禁書と断じ、甘粕ら正史編纂委員会は没収していた。

 

その件に関してシレッとした顔でお互いに嫌味を交わしあいながら、二人の間には何とも言えぬ白々しさが漂う。どちらも仕事である、と割り切っておりそれ以上の熱意が感じられないからだろう。

 

「ま、そこらへんの議論は別の誰かに吹っかけてくださいな。本日伺ったのは別の用件です」

「例の書籍の処分が決まりましたかー? ちなみにあれって本物でした?」

「書籍と無関係とは言いませんがそちらのお話とはまた別です。この界隈の顔役である貴方に一つ依頼を持ち込みたい」

 

はて、と首をかしげる。規模も人員も『官』の代表である正史編纂委員会の方がはるかに大きい。わざわざ『民』の自分たちに依頼すべきことなど思いつきも……もとい、思いつきたくもなかった(・・・・・・・・・・・)

 

「あのー。それってもしかしてしますけど」

以前も(・・・)お願いした草の根情報網、アレをもう一度やって欲しいんですよ。何かあるのは確定ですが(・・・・・・・・・・・)何が起こるかは私どもも(・・・・・・・・・・・)まだつかめていませんので(・・・・・・・・・・・・)

 

外れてくれないかなーという故月堂店主の微かな期待は無慈悲に裏切られた。曖昧な内容のくせに確信した様子である甘粕に若い女店主の脳裏に一人の少年の存在が思い浮かんでしまう。

 

「やっぱりですかー! もーやだ、ほんとやだ! 知り合いに片っ端から声をかけて関東圏から脱出させますけど止めないでくださいね!?」

「ではそれも報酬に含めましょう。その代わり仕事とかで脱出できない人たちにはご協力頂けますよね?」

「王様命令じゃやらないという選択肢がないじゃないですかー、やだー」

 

脱力しながらも諦観とともに受け止めている店主に同情と共感の視線を送りつつ、嘆息するように甘粕は言った。

 

「いえまー、杞憂で済めばほんと良いんですけどね。あの将悟さんが出した”予言”ですから無視したらいつの間にか東京が更地になってる可能性が無きにしも非ずですしー。なんでも“嵐が来る”らしいんですよ。私としては天空神の類が来ても驚きませんね」

「ほんと否が応でもって奴ですよー。あの方の“予言”、無視できる業界人なんて日本にはいませんもの」

 

赤坂将悟は以前も何度か自身が関わる大騒動が表面化する前にその発生を予知している。もちろん何が起きるなどさっぱりわからなかったわけだがともかく何かあることは予知できたのだ。経験則として将悟は今までも何度か同様の予知を発しているが、いずれも警告を発した後大概何らかの事件が襲い掛かってきている。

 

何か起こるのはまず間違いないのだが詳細は不明。そんな状態で出来る対処は小さな異変も見逃さないように通常以上に監視の目を強めるくらいしかない。しかし国内最大規模とは言え、その業務もまた膨大な正史編纂委員会は常に人手不足の状態にある。

 

異変を探る人員を十分に用意できるとは言い難い。

だからこそ委員会だけではカバーできない範囲を『民』の術者達に目を配るよう依頼するのだ。

 

動員できる人員の数が曖昧な依頼のため金銭的な報酬は皆無。強制力もまた皆無だが。言うなればこの依頼について知らされることが報酬と言ってもいいかもしれない。要するにやってくる大災害に対して身を隠したり安全な場所に逃げ込んだりと事前の対策がとれるということだ。

 

完璧な余談だがこの“予言”が出ると委員会のエージェントの中には家に帰らず、泊まり込みで仕事に没頭する者が続出する。曰く「むしろ何も起きないはずがない」「いま苦労した方が後で地獄を見るよりマシ」「最近東京全域の住民を避難させる前準備に慣れてきたんですけどコレおかしくないですか」などの発言(くじょう)とともに。

 

ともあれこのあと甘粕は店主と幾つかの質問と確認を済ませた後故月堂を後にする。

 

その夜から日本全域の業界関係者に“予言”の話が持ち込まれ、瞬く間に業界全体で警戒度が引きあがる。それに伴って大なり小なり混乱が発生するがその煽りを最も食らったのがいま日本で最もホットな話題の主である草薙護堂―――二人目の魔王その人だった。

 

要するに“また”なにかやらかすのではないかと考えた者が少なからずいたため彼に向けた監視の目が増加したのだ。加えてその腹心たるエリカ・ブランデッリも日本に来日して日が浅く日本の業界人らと信頼関係を構築できていなかったため日本特有の情報共有網から“予言”の報せを受け取れなかったのだ。

 

彼らの監視網に甘粕が絡んでいれば下手に護堂を刺激しかねない真似は控えただろう。だがこの時甘粕は全国から集まる情報の山の解析に追われ、他所事に手を出している余裕がなかった。

 

それら様々な要素が影響し、エリカ・ブランデッリを困惑させた珍事へと繋がっていく。そして来る三人の王が相争う闘争へささやかな影響を及ぼしたりもするのだが、それはまだ誰も知らない未来だった。

 

 

 

 




ちょっと時系列が分かりづらいですが並べると


侯爵、思い付きで来日決定
 ↓
王様、ソレを予知(詳細不明)。甘粕さんにリーク
 ↓
甘粕さん、全国各地に警報発令
 ↓
業界人ら、警戒度爆上げ
 ↓
護堂周辺の監視の目が強まる
 ↓
事情がつかめずエリカ困惑


となります。
つまりうちの王様が大体原因。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。