カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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今回は短めです。



嵐、来たる ②

東京、羽田空港。

日本トップクラスの利用客を誇る大型空港である。

 

おかげでまだまだ早い時間帯にもかかわらず空港内は利用客で溢れ返っていた。

 

そんな人混みの中を、端から見ていて奇異を覚える組み合わせの二人組が闊歩していた。

 

色素を失った銀髪を撫でつけ、紳士の装いで固めた背の高い老人と銀の長髪を頭の後ろで括って背中に流し、鋭い視線を絶え間なく周囲に飛ばす小柄な少女だ。

 

知的な老紳士といった風情のヴォバン侯爵と、妖精さながらの可憐な容姿をしたリリアナ・クラニチャール。祖父と孫ほども年の離れた二人組ながら、その間に流れる空気は不自然なほど堅苦しい。リリアナは軽く目を伏せ、言葉少なにヴォバンを先導している。

 

まず素晴らしく美しい銀の少女が周囲の目を引き付け、次いで先導される老紳士に目が留まる。二人の関係性が一見では窺えず、様々な想像が脳裏を行きかうのだ。それがこの針山の如き視線の数に繋がっている。

 

先ほどからこの組み合わせが周囲の目を引き付け、足を止めさせていた。

 

(見られている? この国に外国人は珍しくないはずだが…)

 

と、二人組の片割れでありリリアナ・クラニチャールは訝し気な思いで周囲の視線の意味を推し量っていた。確かに日本で外国人など大して珍しくもないが、夜空の月を溶かしたような銀髪に妖精の如き容貌をもった美少女などそうはいない。己の器量に無頓着、あるいは意識して無視している彼女は、周囲の視線を集めている原因の一つが自身の美貌であることが分からないのだ。

 

周りから向けられる視線の意味を考え込んでいるが、彼女が気にするのは実のところヴォバンの機嫌一つだ。

 

ひとまず東欧から出立する際に公共の交通機関を利用する意見は採用された。

 

最古参の王を名乗りながら、ヴォバンはそうした事柄にこだわりがない。体面を気にするような細い神経をしていない、あるいはそうした見栄に酷く無頓着なのである。無論己の権威を傷つける者には然るべき罰を与えるが、実務的な事柄には意外なほど寛容なのだ。

 

だからファーストクラスとは言え、ほかの乗客も乗り合わせるジェット機の搭乗に迷わず首を縦に振った。

 

とはいえ、これだけ視線を集める状況を気にしないかまではリリアナには分からなかった。やろうと思えばこの場にいる群衆すべてをひと睨みで塩の塊に変える権能を持った暴君なのだ。無いとは思うが気まぐれのその力を振るわないとは限らない。

 

侯爵が不躾な視線に気を悪くしないことを祈りながら足早にヴォバンを先導していく。一秒でも早くこの場から立ち去れるよう、一人でも多く向けられる視線が外れることを祈って。

 

誠実で、責任感のある少女は苦労を背負い込ませた祖父に胸中で盛大に愚痴を吐きながら、騎士の責務を遂行していた。

 

(……? いま何か―――)

 

そんな中。

 

ふと、向けられ続ける視線の一部に好奇心とは違うものが…警戒のような、疑念のような感覚がうっすらと混じったかのように感じる。念のために視線を周囲へ素早く走らせるが、見て取れるのは行き交う人込みと好奇心を込めた視線を向けてくる群衆だけだ。日本の伝統衣装だというキモノを着ている青年が若干目についたが、よくよく見渡すと数は少ないものの他にもキモノを着込んだ人間はちらほらと見かける。

 

この国の同業者と思われる人間の姿は確認できない。

 

そもそもヴォバン侯爵が唐突に訪日を決意し、その足で飛行機に搭乗するまで四半日とかかっていない。加えてその意思を誰に示したりもしなかった。それこそ“あらかじめヴォバンの来訪を予知していた”のでもなければ、この場に居合わせることなど不可能だ。

 

気のせいだろう、そう素早く結論したリリアナは意識を再びヴォバンに戻した。

 

「…………」

 

足早に立ち去っていく二人を見送る人混みの中に、仕立てのいい着物を着こなす青年の姿があった。青年は少しの間奇妙な二人連れに視線を向けていたが、やがてゆっくりとロビーの端に移動する。懐から変哲のない通話機器を取り出しながら。

 

個人認証を解除し、淀みなくある電話番号をコール。

 

「……もしもし? こちら羽田空港にて、“剣の妖精”らしき少女と老人の二人連れを確認した」

 

そして幾らかの言葉を交わし、通話を切ったあと、青年は再び人混みの中に紛れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日、放課後。

護堂、エリカ、そして裕理の三人は連れたって下校していた。

 

いつも通り、隙あらば護堂との距離を詰め、愛を囁くエリカとそれを時に柔らかく、時に厳しく(たしな)める裕理。二人に挟まれ、あたふたする護堂という、周囲から殺意と嫉妬を籠った視線が向けられる中での下校時間だった。

 

一見して痴話喧嘩の最中に見えるが、彼らの間を流れる空気は、知り合ってからひと月の時間が経ったせいか随分と気安い。

 

そんな中、エリカがさりげなく裕理に向けて話を切り出す。

 

「それにしても、最近はどうも同業者の人たちがピリピリしているわね。先日も訪ねたお店で質問攻めに遭ってしまったし」

 

甘粕さんに尋ねてもはぐらかされてしまうのよ、とエリカ。

 

「―――裕理は何か知らないかしら?」

 

と、さりげなく先日も語った、業界全体に蔓延する奇妙な厳戒態勢について裕理に尋ねる。世間話を装った情報収集。ここらへんがエリカの意外と抜け目ないところなんだよな、と護堂は呆れながらもつい気になって耳を傾ける。

 

一方水を向けられた裕理もキョトンとした表情で、

 

「はぁ…そうなのですか。申し訳ありません。私自身は七雄神社で巫女として責務を果たすばかりで、お話しするのはもっぱら宮司さんたちくらいなのです。あの方たちからは特に何も聞いておりませんが」

 

と、困惑の言葉を返す。半ば予測していたがこの世間知らずなところがあるお嬢様は、やはり世間の空気というやつにも疎いらしい。まあそれも彼女らしいか、と逆に護堂は納得した気分になった。

 

これで裕理が情報通なところを見せられれば、逆に意外過ぎる思いを抱いただろう。

 

「なるほど…。ごめんなさいね、急にこんなことを聞いたりして」

「いえ、気になさらないでください」

 

と、気を悪くした様子もなく微笑む裕理。

その笑顔に山間にひっそりと咲き誇る桜の可憐さを見た気がして、護堂も癒される思いであった。

 

「痛ッ…」

 

なお敏感にそれを察知され、密かに脇腹をエリカに肘でつつかれるまでがお約束であった。

それから少しの間、三人はある意味仲のいい様子で賑やかに会話しつつ歩みを進めていたのだが、ある交差点に至ったところで。

 

「申し訳ありません。本日は委員会から頼まれたお仕事があるので、私はここで失礼します」

 

と、裕理は折り目正しく頭を下げ、暇を告げた。

 

「頼まれた仕事って、万理谷が普段こなしている巫女さんの仕事とは違うのか?」

「普段は巫女として七雄神社で奉職するのが主なお仕事なんですが……たまに正史編纂委員会を通じて、呪術にまつわる物品の鑑定依頼などが持ち込まれるんですよ。私の霊視はこうした時に役に立つので」

 

つい気になった護堂が問いかけてみると、裕理は柔らかな笑みとともに丁寧に教えてくれる。

 

「なんでも魔導書を鑑定して欲しいとかで…。甘粕さんもお忙しいらしいのですが、何とかお時間を作って頂いて連れて行ってくださるようです」

 

そのまま何気なく事情を開陳してくる。ふと思ったのだが、部外者の自分たちにそうした事情を話してもいいのだろうか…。情報管理的な観点から心配した護堂は気付かなかったことにしておこうと見なかったふりをする。

 

そのまま別れを告げる裕理を見送ると、護堂達も引き続き帰宅の道を歩いていく。

 

―――この数時間後、彼らは東京を襲うとんでもない大嵐に巻き込まれるのだが、今の時点ではその前兆すら見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある貴族の別邸だったという由緒あるホテル。

敷地内に小さな日本庭園を擁した、和の雰囲気溢れる居心地のよさそうな宿だ。

 

このホテルの一画にヴォバンとリリアナは逗留していた。

 

見掛けは如何にも和風の宿といった風情だが、実際に中に入ってみると西洋人である二人にも馴染み深い洋風の装いだ。その中に畳や障子と要った和の要素が上手く配置されて、オリエンタルな雰囲気を醸し出している。

 

密かに日本贔屓な一面を持つリリアナは敷地内に誂えられた日本庭園等に興味を示していたのだが、随伴する超ド級の危険人物を放置するわけにもいかない。後ろ髪を引かれながらも、ヴォバンのために抑えたスイートルームの隅に控えていた。

 

緊張と畏敬を感じつつ、控えているリリアナを放ってヴォバンは食事に没頭していた。ホテル側にオーダーした食事を手当たり次第に口に含み、飲み下す。戦に備え、力を蓄えるように見境なく食い散らしていく。天ぷらなど比較的外国人にも知られたメニューが多いが、口に入れば何でも同じという風に無造作に喰らっている。

 

そうしてヴォバンが食事を食らい、リリアナが静かに控える時間がしばらく続いたが…。

 

「さて、リリアナ・クラニチャールよ。君に命じていた仕事の進捗はどうかね?」

 

ひと段落したヴォバンが問いかけるのは、万理谷裕理の所在だ。

 

「……いえ、今全力で彼女の存在を追っていますが、何分この国には伝手がなく」

 

嘘だ。本当は彼女の所属と住居程度なら青銅黒十字を通して把握している。だがそれを馬鹿正直に告げればヴォバンは気忙しく確保に動くだろう。周囲に配慮を見せない、乱暴な形で。せめて万理谷裕理と日本国民にかける迷惑を僅かでも減らすため、少しの間黙っておくつもりだった。とはいえリリアナ個人が抱えるヴォバンに向けた反感の発露という側面も確かにあったのだが。

 

そんなリリアナの叛意を見透かしたようにヴォバンは獰猛に笑う。

 

「構わぬさ、過程はどうあれ巫女はいずれ我が手に落ちる。ヴォバンが定めた以上、それは決定事項だ」

 

鷹揚な態度は絶対の自信の裏返しでもある。そして他者を顧みない傲岸さもまた。

 

「それに丁度小鳥が向こうから籠に飛び込んできたところだ。それを手繰ればどうとでもなりそうではある。君の手落ちは責めるまい」

「ご配慮ありがたく…。しかし、小鳥とは?」

「何者かは知らぬがね。先ほど何らかの縁を手繰り、最強の狼たる私を霊視した輩がいる。そやつが例の巫女かは知らぬが捕えれば十分役に立とう」

 

リリアナは何気なくヴォバンが漏らした、霊視されたことに気付いたという非常識な偉業に戦慄する。

霊視とはアストラル界の『虚空(アカシャ)の記憶』にアクセスし、情報を得る行為だ。故にどれだけ五感を研ぎ澄まそうと霊視されたことを察知できるはずがない。だがそんな理屈はヴォバンには通じないらしい。

 

リリアナは改めて痛感する。目の前の老人は、3世紀近い年月を闘争に明け暮れた純然たる怪物であると。

 

「おまけに、私の感覚も“視られた”せいかやけに研ぎ澄まされてね。おかげで意外なものも見えた」

「意外なもの、ですか?」

 

問い返すリリアナに微かに失望した視線を返すヴォバン。

 

「気付いておらぬか。剣の妖精と言えど、まだまだ青い」

「侯…? なにか無作法を―――」

「何故かは知らぬがこの国の術者どもは既に我らの存在に気付いている。遠巻きに囲んでいるのが見えた」

「まさか…! この国に降り立ってから幾ばくの時間も過ぎておりませんが」

 

流石に疑わし気なリリアナの言にも機嫌を悪くした様子はない。ヴォバン自身これほどまでに素早く位置を捕捉されたのは意外だったのだ。

 

ヴォバンが所有する権能の一つ『ソドムの瞳』は生者を塩の塊に変えるだけではない、ヴォバンにはるか遠くを明瞭に見渡す視力を与え、透視能力さえ付与する。

 

“見られている”という直感を頼りに、気になった方向に視線を向けてみれば術者らしき姿を捕捉したのだ。

 

「理由は分からんがな。それにヴォバンがいるとまでは知らぬらしい。欧州からはるか東の島国とは言え、好んで私に無作法を働くほど物を知らぬ輩はいまい」

 

その言にリリアナはますます首をひねる。では一体いかなる理由で彼らはこちらを監視しているというのか。

 

(私の存在に気付かれた? ……いや、だが)

 

リリアナ・クラニチャールは銀褐色の髪と妖精の如き端正な容貌で知られる乙女。その名前と特徴的な容姿はそれなりに認知度が高い。日本の術者が知っていても、おかしくはない。たまたま目に付き、存在を気付かれたことはおかしくない。だがその存在を知られたからと言って即座に監視に至るのは、対応が行き過ぎていると言わざるを得ない。

 

今も周囲を囲んでいるという術者たちの思考が読めず、せわしなく頭を回転させる。

 

将悟の“予言”を知らないリリアナでは合理的な結論に至ることが出来ない。そもそも霊視力による予言という合理からかけ離れた現象を起点として日本の術者たちは行動しているのだから無理もないが。

 

沈黙するリリアナを他所に、ヴォバンはしばし瞑目する。

 

(…あやつのことだ。時間を与えればこの先一切動かずとも勝手に気付き、こちらにやって来るであろうな)

 

赤坂将悟という少年を脳裏に描く。

 

邂逅したのは僅か一度、その時間の大半を権能のぶつかり合いに終始したが、その性格は概ね理解している。あの少年ならばヴォバンの存在に気付いたその瞬間に喜び勇んで突撃してくるだろう。喜悦に歪んだ笑みと、戦意に満ちた膨大な呪力を伴って。

 

それほどの逆縁をあの騒動の中で紡いでいた、良かれ悪しかれ。

 

気付かれ、そして再び顔を合わせることになったとしても……実はそれほど問題がない。元々件の巫女は交渉で手に入れるつもりだったのだ、実務的に考えれば万理谷裕理の確保より赤坂将悟との交渉の方が重要である。

 

懸念はあの少年の方から喧嘩を売って来るかということだが、恐らくは問題ない。ヴォバンに戦意が無いと知れば恐らくだが、将悟もまた矛を収めるだろう。あの少年は己の中の一線を超えない限り、不思議と相手に付き合う癖があるのだ。

 

故にこの状況は不可思議であってもさして解決困難というわけではない。むしろこちらから存在を知らせ、彼との交渉を申し込んでもいい。

 

(―――が、それは私が取るべき選択ではない)

 

頭を垂れ、恵みを乞うのは間違ってもヴォバンの流儀ではない。

如何に赤坂将悟という“王”の力量を認めていようが、それだけは認められない。

 

あの少年と交渉するところまでは同じでも、件の巫女を“譲ってもらう”のではない。まず自らの力で巫女の身柄を強奪し、その後に交渉によってその所有を“認めさせる”のでなくてはならない。

 

合理主義的なアレクサンドル・ガスコインあたりならば鼻で笑いそうなこだわりだ。交渉で解決できるのならば無駄に挑発し、無意味な労力をかける必要はないと。

 

傲慢な独りよがりと言ってしまえばそれまでだが、逆に言えばその強固な自我こそが彼ら(カンピオーネ)に神を殺害させた一因である。こうした時に折れる、妥協するという選択肢をカンピオーネは持たないのだから。

 

故に。

 

「……フン、多少は時間をかけるつもりであったが、思惑が外れたか。まあいい、私自ら動くとしよう。クラニチャール、君にも働いてもらおうか」

 

ヴォバンは拙速を決断する。

 

時間はあまりない。恐らくヴォバンの存在はまだ露見していないはずだが、あの智慧の王は条理を無視した直感力の持ち主。あの少年に話が持ち込まれれば、最悪その瞬間にでも自国に入り込んだ災厄に気付きかねない。

 

ならば存在が露見する前提で行動を急ぐべきだ。最善手を経験と野生の勘で導き出し、ヴォバンは決断した。

 

「はっ…。しかし万理谷裕理の居場所は未だ―――」

「そんなものはどうとでもなる」

 

リリアナの意見を一言で切って捨てる。

自身の発言を裏付けるように痩身から呪力を立ち昇らせながら、ヴォバンは尊大な調子で命じた。

 

「マリア・テレサ。そして魔女術の使い手達よ、来るがいい」

 

ヴォバンの号令に応え、影から現れ出でたのは十数人もの黒衣の女たちだ。長い杖を携え、鍔の広い黒帽子、全身をすっぽり覆う黒ローブと如何にも魔女という姿の女性を筆頭に精気の抜けた死相を晒した死人たちであった。

 

(彼女たちが…)

 

死せる従僕。

ヴォバンが自らの手で殺めた人間を忠実な下僕として使役する権能の犠牲者だ。

 

(なんと、惨い…)

 

彼女たちから流れてくる呪力はみな一様に淀みなく、力強い。少なくとも全員がリリアナ以上の使い手である。あるいは天地の位を極めるに至った達者もいるかもしれない。それほどの使い手達が死後の安息を許されず、魔王に酷使されている現実を目の当たりにし、リリアナは密かに痛ましさと義憤を抱く。

 

「魔女どもよ。生前の業を駆使し、目当ての巫女を探し出せ。急げ、時間はさほどあるまい」

 

彼女たちは横暴な命令にも黙然と頷き、空間を揺らめかせて姿を消す。

それを見送ったヴォバンは次の指示を出すべく、リリアナに向き直った。

 

「クラニチャール。君には目当ての巫女を見つけてからの説得を頼むとしよう」

 

手荒な真似は好みではないだろう、と嗜虐的な笑みを浮かべたヴォバンに…。

リリアナはただ一言、諾と答えた。

 

 

 

 




爺さまとリリアナの存在が原作より早く察知されたせいで、少し駆け足気味になっています。

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