カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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もしやヴォバン侯爵こそが真ヒロインではないだろうか(錯乱)


嵐、来たる ④

夜の闇が迫りくる夕暮れ時。

赤坂将悟は傍らに清秋院恵那を伴い、ゆっくりとした歩調で歩みを進めていた。

 

あの“予言”以来、それまでに増して二人は同じ場所、同じ時間を過ごすようにしていた。

 

異変が起きた際にすぐ対応できるように、という名分だったが実のところ太陽の絆で結ばれた二人は将悟が望めばすぐ合流が可能だ。絆によって感覚的に恵那の位置が分かるので、自身の方に『転移』の術で呼び寄せるも、逆に自分から赴くことも出来る。

 

恵那も頭の巡りは悪くないので、その程度分からないはずがないがなんとなく流れで押し通している。一方の将悟もわざわざ無粋な指摘をするつもりもない。朝早くからモーニングコール代わりに太陽の絆を通じておはようの挨拶、学院が終わった放課後は連れたって各所をほっつきまわったり、逆に自宅で簡単な魔術の改良を進めたり、たまに恵那との太刀合わせ(ガチ)に付き合ったりという現状に特段不満もないからだ。

 

そんな平和な日々をのんびりとした気分で謳歌する将悟。自身で迫りくる嵐を幻視したというのに見事なまでの開き直りだった。この辺りは殺し合いが半分くらい日常と化した神殺し特有の感覚なのかもしれない。将悟の中で平和と闘争がごちゃごちゃに混ざっており、同一線上にあるくらいの気分なのだ。

 

だから夕食のためにレストランを恵那と探す、平和な時間を享受しながら異変を感じてからほぼ一瞬で脳内のスイッチを戦闘モードに切り替えることも出来た。

 

コツッ…、コツッ…とやけに耳に響く靴音。一歩一歩の間が長いのは靴音の主が相応の長身で、歩幅が常人よりも大きいからだろう。そして二人の眼前で最後の靴音を鳴らし、立ちふさがったのは黒ずくめの老人だ。

 

直感など必要ない。

脳裏に刻み込まれた眼前の飢狼が有する脅威が将悟に知らせる、この男こそ己が予感した“嵐”なのだと。

 

銀髪を撫でつけ、髭も綺麗に剃り上げている。秀でた額は知性的な印象を買うのに一役買っている。知的な老紳士の装い、されどそれはこの男の本質ではない。その気になれば衣を脱ぐよりもあっさりと、いとも容易く暴虐極まりない真似を実行する。

 

獰猛にして凶悪。猛々しい飢狼。

戦うために生きている男。生まれながらのファイター。

 

将悟にとっては全霊を以て打ち倒すべき不倶戴天の仇敵である。

 

ニタァ……と歓喜にも似た闘志が将悟の口元を三日月の形に歪めた。

 

―――そしてこのタイミングで将悟の懐で携帯電話がブルブルと震えだす。

 

何ともタイミングが悪い、いや逆か。

眼前の老人が入国した悪夢の如き事実がたった今発覚したのだろう。

 

通知を見ると、やはり甘粕からかかってきていた。

最低限の義理を果たすべく、将悟は油断なく眼前の老人を睨みつけながら携帯を手に取る。

 

「おう、甘粕さん。例の件についてかい?」

『ええ、まあ。大本命が向こうからやって来ましたよ』

「そいつは奇遇だな、丁度俺の方にも容疑者最有力候補が来たところなんだ」

 

なに、と驚いた様子だがそのまま問い返す暇を与えず二の句を継ぐ。

 

「悪いけど切るわ。そっちも気になるが、今はどう考えても目の前のジジイに集中した方がよさそうだ」

『将悟さん? …まさか、いまそちらに―――』

 

それ以上は最早聞いていられなかった。乱暴に通話を切ると、懐に携帯電話を突っ込む。

そして無意識の内にポケットに突っ込んでいた手を抜き、ほんの僅かに先ほどより前傾姿勢を取った。

 

将悟が戦闘態勢にシフトしたのを感じ、恵那もまた咄嗟に竹刀袋から相棒を露出させた。

 

「久しぶりだなァ、ジジイ。待ち草臥れてわざわざ俺に会いに来たかァ…?」

 

眼前の老人の名など、問わずして恵那にも分かる。

将悟の敵愾心をこれほどまでに刺激し、露骨なまでの警戒態勢を取らせる異邦の老人など世界にただ一人。

 

バルカンの狼王、サーシャ、デヤンスタール・ヴォバン侯爵を置いて他にない。

 

「英国以来だな、少年。会えて嬉しいよ」

 

あからさまに闘争意欲を剥き出しにする将悟に対して、その返答は穏やかだった。

 

「だが、喧嘩腰なのは頂けないな。我らの死闘を場末のチンピラの諍いに貶めるほど、君と私の逆縁は安くはないはずだぞ?」

 

それどころか将悟との闘争には肯定的でありつつ、悪戯に好戦的な言動を嗜めさえしてくる。これには将悟もまた自身の言動を顧みたのか微かに不貞腐れた空気を漏らした。

 

恵那は思わずホッと一息を吐く。彼女の王様は自身が暮らす街を殊の外大事にしているものの、実際に意識が戦闘モードに切り替わるとブレーキが利かなくなることが多い。智慧の王などと賢しらな称号を得ていても、結局は感情で動くタイプであり、後先考えない粗忽者というキャラクターである点は他のカンピオーネと変わらないのだ。

 

将悟はケッと唾でも吐きたそうな表情を見せたあと、肩透かしを食らった表情で問いかける。

 

「それで何の用でこの国に来た? 間違っても観光じゃねぇだろ」

 

それは当然の問いかけだったが、それに対する返答は相当におかしいモノだった。少なくともヴォバンの気性にそぐわない言葉だったのは確かである。

 

「君へのサプライズだ。驚いてくれたかね?」

「……あぁ?」

「言ったろう、サプライズだ。老人のささやかな戯れだ。付き合ってくれると嬉しいのだがな?」

「なんだ、そりゃ」

 

珍しい、というよりほぼ絶無と言える稚気を覗かせながらヴォバンが吐いた妄言に将悟は己の耳か正気を疑っている表情をしている。それはそうだろう、恵那もまた密かに将悟の困惑した気配に強く同意する。

 

伝え聞く侯爵の所業、気性を考えればそんな茶目っ気を持ち合わせているようには到底思えない。

 

「無論、それだけではないがね。強いて言うなら、君と私がここにいる。それが目的に繋がっている」

「自己完結するな、ボケジジイ。きっちり俺にも分かるように説明しろ」

 

口汚く、しかし疑問と疑惑が強く滲み出た詰問も却って侯爵の口元に浮かぶ笑みを歪めるのみだ。それもやや嘲笑の色が強い揶揄とはっきり分かるくらいに。

 

「あまり長上に減らず口を叩くものではないぞ、小僧」

「あんたが大人しく敬老精神を発揮させてくれるなら考えないでもないけどな」

 

戯言に付き合いながらも、どうやって眼前の老人に口を割らせるか頭を回す。普段は頼みもしないのに働くくせに、当てにすると途端に降りなくなるのが霊視である。いま将悟の中では強い好奇心と危機感が等分に混ざり、混沌としている。こんな精神状態では霊視など間違っても降りてくるはずがない。

 

「まあ私の目的はいずれ君の耳にも入るであろう。敢えて私の口から話すまでもない……それよりも、少し気になっていることがあってな」

「―――ああ?」

 

こちらの話など何一つ取り合わず、好き勝手に話を進めていく言動にこれは間違いなくカンピオーネだ、と恵那はおかしなところで確信する。だがそんな呑気な感想を抱くのが許されたのも、ヴォバンの次の発言までだった。

 

ヴォバンはその無造作に肉の落ちた長い指先を―――清秋院恵那に向ける。

 

そこのソレは何だ(・・・・・・・・)?」

 

ゾクリ、と説明不可能な悪寒が恵那の背筋を奔り抜けた。

人に向けるにはあまりに熱量がなく、それでいて不快感と失望が入り混じった視線が突き刺さる。路傍に落ちたゴミを見て顔を顰めたような…そんなマイナスな感情を露骨に顔へ表している。

 

「少し、失望したぞ。かつての死闘より一年、ヴォバンに届かずともそれなりに力を蓄えていようと期待していたのだが……なんだ、その様は? 我が後進、同格の神殺したる君がまさか人間の真似事か?」

 

将悟に向けて微かな失望を覗かせながら、エメラルドの凶眼が清秋院恵那をねめつける。

 

「世間に恋に現を抜かし、愛に溺れる輩がいるのは…理解できぬが、否定はすまい。だがそれは(われら)に相応しきあり方にあらず」

 

どこまでも物静かにヴォバンは言う。

 

「あるいはその娘を失えば、少しは君も気概を取り戻すか?」

「……ッ」

 

淡々とした穏やかな口調で紡がれる横暴で身勝手な発言、最長老の魔王から向けられる害意に反射的に怯む恵那。情けないとは思わない。如何に神がかりの巫女と言えど、眼前の魔王に真っ向から相対するには格が違い過ぎる。

 

―――しかしまぁ、相変わらず好き勝手なことを言ってくれるじい様だ。

 

赤坂将悟は本質的に感情の人間だ。万事鷹揚とした態度を見せるのは畢竟世間の事柄の大半に自身の関心が向かないからであり、実のところ己の身内を蔑ろにされれば猛然と牙を剥き、突き立てる類の猛獣である。それが例え、自身よりはるか格上と認める相手であろうと!

 

プツプツと米神の辺りで何かが切れる音がするのは果たして幻聴か。

 

端的に言ってこの時将悟は“ブチ切れかけていた”。

それ以上ヴォバンが不用意に言葉を続ければ、街の被害など何もかも投げ捨て躊躇せず権能を行使するほどに!

 

「それこそ余計なお世話だよ、爺さん。あんた何時からそんな面倒見のいい人間になった?」

 

胸の内で渦巻く激情に蓋をし、敢えて淡々と言葉を紡ぐ。ヴォバンがそれ以上言葉を継ぐのなら実力行使してでも黙らせてやる、と気概を込めて。

 

冷徹な決意を込めながらそれとな、と言葉を継ぐ。

 

俺の≪剣≫を舐めるな(・・・・・・・・・・)

 

特段語調を荒げたわけではない、寧ろ静かな一言にヴォバンは僅かに瞠目する。

 

将悟が吐き出した言霊。そこに込められた感情の熱量が伊達でないということを悟った故に。

真実、将悟(カンピオーネ)が隣に立つ少女()を頼り、信頼していることを理解させられたが故に。

 

そしてただ一言でヴォバンにそれを認識させる、成長した将悟の“格”に!

 

「―――クッ」

 

なまじ権能の数を自慢されるより、こちらの方がよほどヴォバンには“効いた”。

 

「ク、ハハハハハハッ!」

 

堪えきれぬ、と言いたげにヴォバンは愉快気な笑声を漏らす。

今日はなんと良い日だろう! 未来の仇敵の成長を、この目で見て取れたのだから!

 

笑う、笑う、吼えるように笑い声を張り上げる。

おかしそうに、楽しそうに呵々大笑する。

 

ひとしきり笑い倒すと、そのまま微かに機嫌の良さそうな気配を漂わせる。欧州では珍しいを通り越して絶無に近い光景だ。この狼王の琴線に触れる存在など、強大なまつろわぬ神か同族との闘争以外ありはしないのだから!

 

「なるほど。謝罪しよう、少年。その言葉の真偽はさておき、確かに君は弱くなっていないようだ」

「…謝罪するなら俺じゃなくてこっちにしろよ、相変わらず礼儀を知らない爺様だな」

「はは、長く生きているとついつい怠りがちになるのでな。だが確かに道理だ。すまなかったな、お嬢さん」

 

言葉の上っ面こそ謝罪の態を成しているが、視線に罪悪感など微塵も込められていない。むしろ無遠慮な好奇心と遊び心が強く混じっている。

どうやらヴォバンの興味は将悟にそこまで言い切らせた恵那にシフトしたらしい。

 

「……別に、構わないよ。ヴォバンの王様」

 

普段は野生児然とした彼女だが、生まれは名家の子女である清秋院恵那。異様なまでに丁寧で堅苦しい口調もその気になれば使いこなせるのだが、この場では敢えて使う気はないらしい。

 

「ふむ。君はヴォバンに(こうべ)を垂れぬのだな。君の主を(たの)みとしているのなら、それは誤りだと忠告しておこう」

 

自身の権威に膝を屈さない恵那へ面白がるように言葉を投げかける。だがヴォバンは歪んだユーモアの持ち主にして力を振るうのをためらわない暴君、機嫌を損ねれば即座に死を与えられてもおかしくない。

 

それを理解していないはずがないが、なお恵那は己の意思を曲げずに貫き通す。

 

「うん。迷ったけど、侯爵様にはこっちの方がいいかなって」

「ほう? 君如きに私の何が分かったのか、興味があるな。是非教えてもらいたい」

 

威圧的な言動にも最早怖気づかずに、かといって殊更に声を張り上げるでもなく自然体な調子で言葉を紡ぐ恵那。庇護者を頼りながらも、依存しない彼女は、将悟の存在に助けられて調子を取り戻してきたらしい。

 

言動に注意を払いながらも、むしろ堂々たる態度でヴォバンに向かい合っている。

 

「これは勘だけど。ヴォバンの王様って、傅かれるのに慣れてそうだけど、別に好きってわけじゃなさそうだよね」

「……続けたまえ」

 

恵那に向けてヴォバンは僅かに視線を細め、続きを促す。恵那の発言が的外れであれば、あるいは恵那が庇護者を盾とし、その陰に隠れるだけの人間であれば何らかの罰を下していたことは想像に難くない。

 

「王様から話に聞いた侯爵様は、間違いなく戦に狂ったひねくれ者。そんな人が従順で、諾々と命令に従うだけの人を好むかな? むしろ反抗的で、簡単には自分に従わないくらいの人の方が好きだと思う」

 

思う、と言葉を結ぶ割にやけに確信している調子だった。これは恵那が論理と理性ではなく、直感と野生で動くが故に。将悟や裕理の霊視力とは種類が違うが、彼女の直感もまた侮れないのだ。

 

その鋭さは未だに恵那がヴォバンの勘気を(こうむ)っていないことで証明されている。

 

「はは…。全てを射抜いてはいないが、そう遠くもない。そう言っておこうか。中々目が利き、弁も立つようだ」

 

自他ともに認めるひねくれ者としては絶賛に近い言葉だった。並の者ならばここでヴォバンと相対しているプレッシャーから解放され、気を緩めてもおかしくないが恵那はむしろ兜の緒を引き締めながらヴォバンの出方を待つ。

 

この筋金入りのひねくれ者がただお褒めの言葉をかけるだけ終わるはずがないと、確信に近い念を抱いて。

 

「だが果たして人間が神殺しの戦場に立つに相応しき力量を持つか…要点は常にそこだ。いささか気になるところだな」

 

やはり、と言うべきか痩身から不吉な呪力を揺らめかせながらあくまで静かな口調で恫喝する。知的な老紳士の皮を脱ぎ捨て、撒き散らされる邪悪な圧力をこれまでの比ではない。唐突に寒気に襲われ、びりびりとした害意が全身を叩く。ただの殺気でこの有り様、流石は三〇〇の齢を数える魔王の貫禄だった。

 

「―――!」

 

咄嗟に恵那を庇って前に出ようとする将悟を制し、恵那は(おもね)らずしかし抗わず、透徹とした意志を込めて決意を表明する。例えどれだけ強大なる敵と向かい合おうと、それは自身が退く理由にはならないのだとその身で示すように。

 

「すべて、戦場(いくさば)に立てば分かること」

「……」

「恵那は王様を援けるよ。何時でも、何処であっても。もちろん、侯爵様と戦う時だって!」

 

その決意に一切の嘘偽りがないことを、輝く生命の絆が万の言葉よりも雄弁に将悟に伝えてくれる。恵那は必要なら今この場でも鞘から太刀を抜き、抗いぬく決意を携えて、思い上がりと紙一重の啖呵を切ったのだ。

 

“あの”デヤンスタール・ヴォバンを前にして!

 

嗚呼、と将悟はこれまで数限りなく覚えた感嘆の念をまたも抱く。

出来るならば命一杯声を張り上げて、ヴォバンに自慢の一つもしてやりたいところだった。

 

どうだ(・・・)いい女だろう(・・・・・・)―――と!

 

「小娘がよく言った! つくづく主従揃って長上への礼儀を知らぬ輩よな、だがそこがらしくもある」

 

ヴォバンもまた己を相手に一歩も引かない恵那の宣言にいっそ痛快な様子で哄笑を上げ、少女の存在を路傍の石からちっぽけだが確かな敵に認識を改める。

 

「良かろう、貴様もまた赤坂将悟と同様に我が障害と認めよう。ヴォバンが貴様の主を狩ると決意した、その時同様に最期を迎えるだろう! 努々忘れず、備えることだな!!」

 

老紳士の皮を脱ぎ捨てた吼えるような敵対宣言に、恵那は負けじと笑みを浮かべて不敵に頷いて見せる。流石に哄笑する魔王のプレッシャーに晒され、額にびっしょりと汗をかいていたが五体満足のまま立っているだけで十分称賛に値する所業である。

 

「名乗り給え。君は私が記憶しておく価値のある人間であることを証明した」

 

普段の陰鬱さが鳴りを潜めた代わりに重厚感を増した、威厳のある低い声音で少女の名を問いかける。対する恵那もまた、畏敬を持ちつつ微塵も怯えを見せず堂々と言い切る。

 

「清秋院恵那。王様の“女”で…敵を討つ“剣”!」

 

異国の響きを持つ少女の名を幾度か舌の上で転がすと、深く頷きを見せる。

 

「その名、しかと覚えたぞ。主をよく支えることだ、私と戦う前に討たれてしまわぬようにな!」

 

余計なお世話だと呟く将悟に構うことなく、二人は笑みを浮かべ合う。ひどく好戦的で、僅かに喜悦を浮かべた笑みを。

 

「思いもかけぬ出来事もあったが、中々実りある時間だった。その点については感謝しよう」

 

ひとしきり感情を発散させ、満足したのかヴォバンはまた物静かな大学教授じみた雰囲気を纏った。そして話は終わりだとばかりに背を向ける。相変わらず来るときも唐突なら去る時も突然だと毒づきながら咄嗟に呼び止める。

 

「待て、爺さん。アンタ、俺の国で何をやった? 俺の仲間から聞いたぞ」

「ああ、ヴォバンの興味を引く獲物がこの国にいた故な。少々事を荒立てたが、やり過ぎぬように言い含めてある。安心するがいい」

 

なんだと? とその返事に対して訝しく思う将悟。

そんなとんでもない案件は……意外とあったな、と日光の蛇殺しや草薙護堂の存在に思い当たる。まあ前者はともかく後者はわざわざこの男に足を運ばせるほどの格はまだ有していない。まさかこの国にわざわざもめ事の種を求めて来たのか、このじい様は。その割に将悟のことをみすみす見逃しているのは奇妙なところだが。

 

「その件で話す気になったのならば、何時でも訪ねてくるがいい。歓迎しよう」

 

が、話し合うという意思表示が尚更首を傾げさせた。間違ってもそんなお茶を濁した動きを取る人間ではないのだ、この老人は。獲物を見つければ他者を顧みず食らいつく、さながら飢狼のような男なのだから!

 

「私の用は済んだ。さらばだ、赤坂将悟。そしてその《剣》たる娘よ」

 

疑問符を浮かべたまま怪訝な面持ちで見送る将悟を他所に、ヴォバンは足早に迫りくる夜の影に紛れるように立ち去っていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の胸に腑に落ちぬ思いを残し、去っていたヴォバン。

しばしの間、それぞれ思考と感慨に耽っていたが、やがてヴォバンとの会話を前にかかってきた甘粕からの連絡を思い出した。

 

今頃さぞや気を揉んでいるだろうと、電話を取り出したのだが。

 

「あま―――」

『将悟さん! いまどちらですか? 戦況は!?』

「おおうっ…」

 

やはりというか、開口一番予想通りの反応をされてしまった、いや、問いかけてくる勢いが激し過ぎて若干引いてしまったが。

 

「俺の家の近く。ヴォバンのじい様がやって来て、少し話したらまた行っちまった。ほんと何のために来たんだかな」

 

あのジジイが暇を持て余すとロクなことが無いな、とそのままぼやきに繋げる将悟に苦笑と安堵の溜息を吐く甘粕。彼にしてみれば本気で東京23区の一画消滅を危惧していたところにこの呑気な発言である。人の気も知らないで、という呆れと物騒なことにならず良かった、という安堵が同時に訪れ、溜息に繋がった。

 

『それなら私がご説明できると思いますよ。こちらに来たお嬢さんが親切な方でしてね。色々とお話してくれました』

「で、そのあと一杯食わせてからエスケープしたんだろう。悪い大人だな、甘粕さん」

 

でなければこうして甘粕が将悟と呑気に電話していられるはずがない。

そして同時に納得がいったと頷く。

 

「どうにもあのジジイにしては手緩いことの運び方と思えば、狙いは俺以外の何かか。でもってわざわざ俺の前に現れたのは“足止め”? まさか日光のエテ公の封印を解こうってんじゃあるまいな」

 

思索より直感に重きを置く将悟だがこれで頭の巡りは悪くない。むしろ荒事、勝負事に関わる分野なら人一倍鋭いものを持っている。

 

『幸か不幸か、ハズレですな。しかしあなた“方”の対応次第では同等の面倒事に成り得ます』

「……へェ。草薙も首を突っ込んでくると甘粕さんは見るか」

『鉄火場に迷わず突っ込む度胸と人並み以上の義侠心の持ち主ですからねー、あの方は。それが彼を望まない厄介ごとに引き寄せているのは皮肉と言う他ありませんが』

「要するに小さな親切、大きなお世話って話だわな。半分は巻き込まれたにしても、もう半分は自分から首を突っ込んだに決まってる。その上で要らん綺麗事や言い訳を口にしなければもうちょっと好きになれそうなんだがな」

 

その後も益体の無い軽口が2、3二人の間で軽妙にやり取りされる。

 

恵那が呆れた視線を向けてくるが、ここまでぐだぐだと無駄口を重ねているのは、流石に意図あってのことである。甘粕は自身の持つ情報を将悟に伝えていいか迷い、将悟はそんな甘粕の心理を察した上で付き合っている。

 

胸の内だけで一つ、溜息をこぼす。

 

この場で話さずとも、遠からぬうちに必ず将悟の耳に入るだろう。何かのきっかけで霊視を得るかもしれない。ならばせめて自分から伝え、望む方向に誘導するよう試みる方が幾らかましだろう。

 

そう自分を慰めた甘粕はやがて諦めたように口を開く。

 

『……お願いですから、本当に委員会一同伏して御請願奉りますから、冷静に聞いてくださいね?』

「いーからとっとと言ってくれ。時間が惜しい」

『侯爵の狙いは裕理さんです。彼女は以前侯爵が執り行ったまつろわぬ神を招来する秘儀に捧げられた巫女だったんですよ』

 

四年前、狂気じみた激しさで強敵との戦いを望むヴォバンによって執り行われた儀式。

ヴォバンの好戦的な気性を示すと同時にサルバトーレ・ド二の鮮烈なデビュー戦として認知されている。

 

そして儀式のために召集された三〇余名の巫女の大半はいまも自我が崩壊したままだという。なお執り行われた儀式の難度を考えればこれは奇跡的に少ない犠牲らしいが―――無論、将悟からすれば何の関係もない。

 

「―――へぇぇ?」

 

ひどく乾いた調子の、疑問符が混じった相槌が打たれる。

何でもない相槌だ、何でもない一言だ。

 

だがその一言から零れ落ちる感情の“熱”に近くにいた恵那が思わず一歩後ずさり、甘粕の脳裏に不吉な予感をよぎらせる。

 

もともと裕理の優先順位が将悟の中で低くないことは甘粕も薄々とだが察していた。弁慶とアテナの一件以来恵那や、たまに甘粕を通じて裕理の様子を聞き出していたのだからそれは一目瞭然だ。

 

だがその一方で動物的な感性の持ち主であるため、相手に配慮することが苦手な性格でもある。エリカ・ブランデッリや草薙護堂あたりの、さりげなく人に目を配って心を砕くマメさは持ち合わせていない。

 

そんな人付き合いが下手くそな少年なのだ。だからこそ彼が配慮を向ける人間と言うのは少なからず関心を持っている人間に限定される。

 

だがここまで入れ込むほどに親交はなかったはずだ…と、甘粕は違和感を抱く。

 

いま将悟の中で荒れ狂っている衝動が如何なる心の動きにねざしているのかはわからない。だが間違いなく危険な兆候である、あるいはこの東京を飲みこみ、焼き尽くしかねないほどに。

 

ぞくり、とヴォバン侯爵の存在を認識した時以上の悪寒が甘粕の背筋を奔り抜けた。

 

 

 

 




勝手にキャラが動き出す不思議。
そして自分が認めた敵にしかデレない侯爵は間違いなくツンデレ。


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