カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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嵐、来たる


嵐、来たる ⑦

都内の一画に建てられたホテルの敷地内、決して広くはないが調和のとれた日本庭園の中心に将悟と天叢雲を肩に下げた恵那は立っていた。

 

茫洋と黒雲に覆われた夜空を見上げるとにわかに雨足が強まり、黒雲の中を稲光が走る。狼王の猛りを受けて、会談を始める前までは落ち着いていた天気が急速に崩れ始めていた。横殴りの雨が叩きつけられ、備えていても体勢を崩す強風が尽きることなく通り過ぎていく。

 

ヴォバンの闘志がこれ以上なく高まっていることの証左であった。

 

約束通りの場所で自然体のまま宿敵の到来を待ちながら考えるのは今まさに雌雄を決しようとする宿敵の戦力評価である。

 

最長老のカンピオーネ、ヴォバン侯爵の強さを一言で表すならばどのような言葉が適切か。そう問われれば将悟は迷わずにこう返すだろう。

 

即ち、“単純に強い”。

 

そうとしか形容できない、戦法に一癖も二癖もある同族たちと比してある種正統派とすら言える戦闘スタイルの持ち主である。

 

まず歴線を経て鍛え上げられた地力の高さ、

次いで死闘と別離で彩られた三〇〇年に渡る戦闘経験、

そして何より純粋なまでに戦闘に特化した権能の数々!

 

特筆すべきはあらゆる戦況に対応可能な権能の多彩さか。

 

大魔狼に変化し、巨神とも対等に渡り合う『貪る群狼』、自らの手で殺めた死者を従える、威力偵察などとにかく小回りの効く『死せる従僕の檻』、ひと睨みであらゆる生物を塩と変える『ソドムの瞳』、風雨雷霆を下僕としあらゆる敵対者を打ち倒した『疾風怒濤』、天から煉獄の火種を落とすことで敵主に有利な地形・陣地を一発で潰す『劫火の断罪者』―――。

 

良く知られている権能だけで片手に余る数を所有し、今だ余人に知られぬ更なる奥の手まで隠し持つという。対巨体、対軍勢、対空中戦、対砲撃、対陣地…。近距離戦、遠距離戦―――あらゆる戦況に適した権能を持ち、遠近どちらにも隙が無い。

 

下手な小細工など不要、事実弱いまつろわぬ神ならば真っ向からの喰らい合いで勝利を捥ぎ取る圧倒的な戦力を誇る。

 

故にヴォバン侯爵はただひたすらに、純粋なまでに“単純に強い”! そんな正真正銘の化け物に好んで真っ向勝負に臨もうというのだから我ながら気が狂っているにもほどがある。

 

だがそれでも勝ちたい。結局将悟の心情はそこに行きつき、変わらない。ならばあとは腹を据えてヴォバンの打倒という難業に取り組むのみ。

 

静かに思考を弄んでいると、ホテルからふらりと長身痩躯の人影が現れ、歩み寄ってくる。強風に黒衣を翻し、悠然とした足取りで迫るのは無論デヤンスタール・ヴォバン。両者とも激しく火花を散らしながら互いを見つめ、無言のままただ距離が縮まっていく。

 

やがて彼我を隔てる距離が10メートルを切る頃になってヴォバンが足を止め、合わせるように将悟が口を開く。

 

「あんた一人か。リリアナとかいう騎士はどうした?」

「我が配下とともに小僧どもの足止めを命じておいた。大して期待はしていないがな、未熟と言えど王が巫女を守っているのだから」

「ま、確かにあんたなら騎士の一人程度誤差の範疇だわな」

 

介添え人の不在について問うと、順当とも言える答えが返ってくる。将悟が最優先目標とは言え、ヴォバンの勝利条件は裕理の身柄なのだから当然だ。この老人は二兎を追う者一兎も得ず、などということわざの類は無視してのけるだけの戦力を持ち合わせているのだから。

 

そしてしばしの沈黙を挟み、ヴォバンが感慨深げに呟く。

 

「一年ぶりだ」

「ああ」

「欧州にいても君の活躍は耳に入ってきた。果たして幾柱の神々と渡り合ったのかな?」

「両手の指に余る程度には」

「結構。それだけの死線を超えたのならば、権能の掌握も進んでいよう。一年前とは違うところを見せてみるがいい」

「上から目線な発言をどうも。おかげで過剰なくらいやる気に満ち溢れてきたわ」

 

口元だけで笑い、睨みあう。両者が認識をともにする―――待ち望んだ嵐、来たる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりわけ激しい強風が吹き抜け、風に飛ばされた人の背丈ほどもある大ぶりな木の枝が両者の間に突き立つ。それが合図となって呪力が爆発した、そうとしか表現できない魔王二人の莫大な呪力が渦を巻いて天に昇る。

 

「まずは小手調べといくか」

 

開幕の狼煙を上げるのは、やはりと言うべきかヴォバンだった。思案深げに呟く痩身―――その影から軍勢が溢れだす。

 

軍馬並みの体格と鼠色の体毛を有する巨狼の群れ、種々雑多な装備を着込んだ文字通りの死兵達が主の意思に従い、俊敏な動きで走り出す。目標は前方、言うまでも無く将悟の身体に牙と剣を突き立てるべく、彼らは疾走する!

 

「懐かしいなァ…。前にやった時はこいつらにも大分苦戦したもんだ」

 

英国魔王争乱の時は未だ魔王に成り上がってから日が浅く、権能の習熟も魔術の習得も十分とは言えなかった。そのため一々権能で『創造』した事象で倒していたのだが、一年の経験を経て【原始の言霊(Chaos Words)】の掌握もかなり深い部分まで進み、また新たに得た権能もある。

 

従僕や狼程度であれば、今更対処に苦労することは無い。

 

単なる自信を超え、確信の念すら以て獰猛かつ機敏に躍りかかってくる軍勢を静かな視線で見つめる。そのまま四方八方から急速に迫る刃の群れにも微塵も反応することなく、太陽の権能を行使するのと同時に摩利支天―――仏法の護法善神の加護を恃む真言を唱える。

 

「生を享け、生を謡い、生を寿げ……オン アニチ マリシエイ ソワカ」

 

口訣を口ずさむや否や、呪力が将悟の周囲を渦巻き、その姿がゆらゆらと輪郭を崩していく。何らかの魔術を使ったことは火を見るよりも明らかであったが、権能で思考を縛られた彼らに咄嗟に対応しろというのは不可能であった。そして狼らには元々指示も無く対応できるだけの知能は無い。

 

結果として勢いも微塵も殺すことなく全周囲から殺到する剣と牙、だがそのことごとくが将悟の肉体を()()()()()。否、勝手に外れたという表現の方が適切だろうか。ごく自然な軌道で刀槍と爪牙が将悟に当たる範囲から逸れていったようにヴォバンからは見えた。

 

「小癪な手を…」

 

にやり、と手品を前にした観客のように片頬を歪めて笑う。魔術の種は読めないが、構わない。あの程度の手妻に一々付き合う義理などない、小細工など正面から叩き潰すのがヴォバンの流儀である。

 

追撃せよ、との意を受けて侯爵の配下たちは再度己の得物を掲げて第二撃を振るわんとするが…。

 

「遅い」

 

それよりも早く(ゴウ)、と砂塵が混ざった一陣の烈風が巻き起こる。弁慶との戦いでも活躍した『砂嵐』が襲いかかったのだ。

 

展開された時間はほんの数秒、規模も弁慶の時とは比べ物にならないほど小さな物であったが、まつろわぬ神と死せる従僕たちでは所詮存在としての格が違う。十数人はいた従僕や狼たちがまとめて風に乗って渦巻く砂塵にすりつぶされ、真夏の太陽に照らされた氷塊よりもあっさりと消滅していく。

 

死闘の火蓋が切られてから十数秒の攻防、ヴォバンはもちろん将悟も傷一つなく、また一歩たりとも開始地点から動いていなかった。

 

ひとまずは互角と見える戦況だ。

 

「見ての通りだ。退屈な物量戦を仕掛ける気が無ければ、下僕程度じゃ話にならないぞ」

「あの程度の輩にも苦戦していた小童が、見違えたものだ。だが私を相手に減らず口を叩くにはまだまだ早い」

 

肩をすくめて挑発する将悟に、あくまで見下しながらも闘志の籠る一瞥を投げるヴォバン。この攻防はまだまだ小手調べ、互いに手の内を図っている段階に過ぎない。

 

「私の下僕程度では流石に王の相手は荷が勝ち過ぎるようだ。だが、君に従う彼女はどうかな?」

 

本来なら視界にも止めず無視するだけの清秋院恵那を意識し、さり気なく彼女を排除する手を打ってきた。ヴォバンの配下たちは将悟相手では使い道の少ない駒だが、恵那の相手としては十分に厄介だ。戦闘力ではなく、倒してもきりがないという意味で。

 

「一つ、配下の腕比べに興じるのも悪くなかろう。我らの死闘にあまり無粋に手出しをされても面倒であるしな」

 

意識か無意識か地味に厄介な手を打ってくる。舌打ちを抑えながら短く恵那に指示を出す。

 

「消耗を抑えて適当に連中の相手をしてろ! 必要ならここから離脱してもいい!」

 

言うが早いか恵那がましらの身軽さで庭園から離脱する。従僕らとの戦闘の愚を悟ったからだろう。

 

死せる従僕と狼はヴォバンが生きている限りほとんど無限と言える物量を誇る。この場で恵那がどれほど奮闘しようと戦術的な意味がほとんどない。かと言って向こうから斬りかかって来るなら相手をしないわけにもいかない。

 

神がかりを使う恵那の助力をそれなりに当てにしていた将悟としては先んじて手札が一枚封じられた状況だ。

 

「さて、邪魔者も消えたところだ。我らも王に相応しき死闘を始めるとしよう」

 

言うが早いか、頭上の黒雲に幾条もの雷光が輝き、天を引き裂くが如き雷鳴が轟き渡る。伴って吹きつける風雨が本格的な嵐のそれに変わる。ヴォバンが本腰を入れて『疾風怒涛』の権能を操り始めた証左だ。

 

天から落ちた稲光が大地を貫く、物理的干渉力すら伴った何十条もの雷霆が将悟目がけて殺到し、小さなクレーターを量産していく。

 

「相変わらずの馬鹿呪力か、この脳筋ジジイが」

 

毒を吐きながら、呪力を練り上げ、すばやく術を行使する準備に入る。

 

「オン アニチ マリシエイ ソワカッ!」

 

咄嗟に体内を巡る呪力を充溢させて雷撃の雨を凌ぎながら先ほど従僕らの襲撃に対処した真言を、先ほどよりも語気を荒げて唱える。流石にヴォバンが直接振るう暴威は配下程度とは格が違う。応手にも相応の気合いを以て望まねばならない。

 

相応の呪力を練り上げ、魔術を行使すると進路線上に将悟の肉体へ直撃するコースに遭った雷光が不自然な軌道でブレる。

 

いま行使したのは摩利支天の加護を恃む呪術。摩利支天とは夜明けの陽炎を神格化したインドのマリーチを本地とする、仏教の護法善神だ。陽炎は実体がない故に斬れず、突けず、焼けることも濡れることもない。

 

だからこそ摩利支天の真言を唱えて行使される呪術は(よこし)まなる災いを退け、己から逸らしまう護身の術である。

 

刀槍、魔術、権能の区別なく己が身に降りかかる災厄を逸らし、やり過ごしてしまう。カンピオーネはしばしば体内の呪力を高めることで権能による破壊から逃れる業を使うが、この呪術はそれに加えて刀鎗などの物理的な攻撃に対しても効果を発揮するのだ。もちろん、弱点が無いわけではないのだが…。

 

(ゴウ)(ゴウ)(ゴウ)と降り注ぐ豪雨を思わせる密度で落雷の雨が降り続ける。

 

将悟はその(ことごと)くを逸らし、捌き、時に鋭いステップを交えて躱し続ける。雷光から躍るように身を躱し一本の綱の上を渡るようなそれは傍から見ていて危なっかしいことこの上ない。実際に紫電が身体をかすめたことも一度や二度ではない。

 

だが事実として未だ将悟は無傷であった。この奮闘にヴォバンも僅かだが満足げな気配を漏らす。未来の雄敵と見込んだ男なのだから、この程度のことはやってもらわねば困るとでも言いたげに。

 

「やってくれるものだ。これでは霞を撃つようなものだな」

 

口では困った風なことを言っているが、その実余裕のある気配。三〇〇年にわたる戦歴か、一つ手札を切ってもすぐさま対処法を見つけ出され、破られてしまうのだ。手数と小細工で翻弄し、作り上げた隙に最大火力を叩き込むスタイルの将悟にとってはたまったものではない。

 

「だが霞が相手ならば風で散り散りに吹き飛ばせばいいだけのこと。それも飛び切りの強風でな」

 

将悟の知る摩利支天護身法の破り方は三つ。

 

一つ、将悟と同格以上の術者が行使する対抗魔術ならば問題なく術を破ることが出来るだろう。

二つ、心眼之法訣を極めた者ならば術に惑わされずに実体を見極め、的確に痛打を与えることが可能だ。

最後の三つ目はもっとシンプルな方法だ。この呪術で逸らしきれないほど広範囲、大威力な攻撃を叩きつける。

 

太陽の権能で限界を底上げしているとはいえ、所詮は呪術の範疇に入る程度の代物。カンピオーネが全力で振るう破壊の権能に対抗できるほど御利益は無いのだ。

 

そうした事情を見透かした笑みで頬を歪ませながら、ヴォバンはさながら大気を掴むように五指を曲げると、勢いよく腕を横に薙ぐ。その動きに追従するように弾けるような爆音が轟き、一瞬遅れて身体がバラバラになったような衝撃が走る。まるで見えない壁が高速で飛来し、全身にそれが叩きつけられたようなインパクト!

 

「クッ…オオオッ―――!」

 

護身の法により威力の大部分は殺せたものの、全身が痛む。思わずうめき声を漏らしながら衝撃で吹き飛んでいく己の身体を何とか二本の足を踏ん張って地面に縫い止める。その甲斐あって立っていた地点から数メートルほど後退するだけで済んだ。

 

「クッソ、相変わらずとんでもない威力だな。ちくしょうめ」

 

これは言うなれば大気を用いた“張り手”だ。先ほどまでの雷霆のような“線”ではなく“面”で押し潰す回避困難な打撃、おまけにその威力は象が相手でも視界の果てまで吹き飛ばしかねない凶悪なものだ。これは流石に逸らしきれる限界を超えている。

 

正面からの激突を身上とするだけあってヴォバンが振るう権能の破壊力は同格のカンピオーネの中でも頭抜けている。対抗できそうなのは精々がヴォバンと互角に競り合ったと噂に聞く羅濠教主くらいだろう。

 

遠間から嵐の権能で以て将悟の防御を抜き、軽微とは言えダメージを与える。言葉にすると単純だがその実凄まじい難行である。

 

だが三〇〇年を超える戦歴とそれに相応しい地力があっさりとその難行をこなしてしまう。あくまで通るダメージは皮一枚、肉体の表面を張り手で叩かれるようなものだが、足を止めればより強烈な雷霆が雨嵐と飛んでくる。

 

それだけは喰らってはダメだと華麗ならざる体捌きを交えて躱す、躱す、躱す。

 

時折雷霆の群れに混ぜられる颶風の張り手に苦慮しながらも回避を続ける中、あるかなしかの隙を見つけた将悟が『転移』―――瞬きほどの時間も要さず侯爵の背後に出現する。

 

「その程度で―――」

 

予想していたぞと言わんばかりに侯爵が余裕さえ持って振り向き、目にした鮮やかな輝きに僅かに狂笑が歪む。

 

「ぶっ飛べ、クソジジイ!」

「!?」

 

驚愕を顔に浮かべたヴォバンの瞳に映るのは、全身から溢れんばかりに光輝を滾らせ、見るからに危険なほど呪力が練り込まれた拳を振るわんとする将悟の姿だった。この輝きは無論カルナより簒奪した権能―――最近プリンセス・アリスが気まぐれに【聖なる陽光(Sacred Force)】と命名した、太陽と生命にまつわる権能である。

 

万能極まりないこの権能の加護により将悟の身体能力は爆発的に高まっていく。今なら軍神や英雄神と殴り合おうとも一方的な力負けはするまい。“それだけ”とも言えるが…。この権能を手に入れるまで将悟の手札に近接戦闘に耐えるカードはなかった。そしてヴォバンもそのことを知っている。戦端が開いてからもヴォバンの思考の隙を突くために敢えて使用してこなかった。それがこの奇襲にささやかな優位を生む。

 

右拳に一際眩い陽光を纏った将悟がヴォバンに向けて技もへったくれもなく、ただ思うさま握りしめた拳を振るった!

 

天を引き裂く雷鳴に似た音が響き、“大地”と接触した拳が人間一人をすっぽりと飲みこむ地割れを作り出す。間一髪、ヴォバンは老人とは思えない鋭い動きで難を逃れたのだ。達人の妙技ではなく、むしろ追い詰められた獣の身ごなしとでも言うべき剽悍な動きだった。

 

しかしコートの襟が引きちぎられ、その頬に僅かな傷を残している。致命傷には程遠いが届いた、と見て取った将悟が更なる追撃に入ろうとする―――が、ヴォバンは動揺を見せず素早く2メートル超サイズの『狼』に化身した。銀の体毛を輝かせる、文字通り人間離れしたその顔が喜悦と闘志の籠った笑みで歪む。

 

この程度の苦境、150年前のロンドンでもっと強烈な敵を相手に経験済みである。ヴォバン侯爵は曲がりなりにも世界最高峰の武術家、羅濠教主を格闘戦の距離で真っ向から相手取ったこともある歴戦の猛者なのだ。

 

あまり私を侮ってくれるな、仇敵よ(グルウウウウゥゥオオオオオオォォ)!』

 

明瞭に響く侯爵の台詞と重なるように天地を喰らうような魔狼の咆哮が耳に届く。ヴォバンが『狼』の化身へと変じると自然とこうなってしまうのだ。今の姿は2メートルを優に超える体躯の人狼。例の体長30メートルを超える『大魔狼』ではない。だが身体能力は人間体とは比較にならず、尋常ならざる野生の勘を装備した二足の魔狼だ。

 

『―――』

 

一瞬の停滞とともに銀と眩い黄金の軌跡が交差し、刃鳴り散らす接触音が響き渡る。超常の魔術戦から一転、いっそ泥臭いとも言えそうな殴り合いの始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銀の人狼から放たれる五爪の軌跡が目にもとまらぬ速度で繰り出され、ガードした将悟の右前腕部が切り裂かれる。

 

「ガ…ァ…!」

 

傷つけられた腕に痛みというよりも熱さが走る。かれこれ五分ほどの攻防、ひたすらに拳打と爪牙を交わしあい、一瞬ごとに互いの位置が入れ替わるような人外の速度で繰り広げられる格闘戦。

 

戦況は順当すぎるほどヴォバンの有利に傾いていた。攻防を五合交わすごとに将悟の傷が増えていく。隙を狙って繰り出される将悟の四肢による一撃はどれも有効打にならず、空しく空を切る。

 

【聖なる陽光】はまだまだ掌握が進んでいない権能だ、十全に使いこなせていない。将悟自身、互いの身体がぶつかり合うような距離での鍔迫り合いも当然慣れていない。

 

対してヴォバンも武術の類は一切嗜まないが、三〇〇年にわたる戦歴の中で剣戟の間合いにおけるやりとりにも十二分に慣れており、完全な我流ながらその身体能力を十全に生かす身ごなしを身に着けている。

 

例えスペックで追いつこうと膨大な戦闘経験で攻防のやり取りと先読みに圧倒的に優位に立たれているのだ。

 

無論ヴォバンが前回戦った弁慶ほど武芸に優れているはずがないが、あの時将悟は向かってくる弁慶に対し、魔術で牽制した上で神速の足で回避に徹していた。自ら挑んだ今回の勝負とは条件が異なる。

 

ならば、退くか…?

 

胸中で不安を源に湧く疑問に対し否、と将悟は断じる。神殺しの嗅覚が将悟に警告していた…ココで引けば後は無い、と。

 

戦場とは水物、その場の勢いと言うのは意外なほど重要だ。始終ペースを相手に握られたままでは勝てる勝負も勝てはしない。加えてどこかで必ず力比べを要求されるのもまた戦場の機微。ならばどこかで競り勝てなければ常に劣勢の中で戦うことになってしまう。せめて一つでもいい、勝てる場所を作らなければ一気に勝利に辿り着く目が小さくなる。

 

ヴォバンは強い。真っ向からぶつかり合えばあらゆる戦局で上をいかれるのは目に見えていた。それでもなおこの場で踏ん張るだけの意味はある。

 

今のヴォバンは全力を出していない。真剣ではあるかもしれないが、あらゆる手段を使ってなりふり構わず将悟を潰しに来ていない。不意に降って湧いた死闘を存分に楽しもうという余裕の表れなのだろうが、それは油断と紙一重だ。今のヴォバンは従僕を伴わず、『貪る群狼』も全力を振るっていない。あるのは魔狼の身体能力と獣の身ごなし、野生の直感のみだ。

 

故に―――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ならばこの場で引いて勝ち筋を探れる道理はない。多少強引だろうが、得意と言えない局面だろうがあるものをやりくりして有利をもぎ取るしかないのだ。

 

「ヌルい、なァ! これでは先ほどまでの方がよほどマシであったぞ!」

「うるせェ。ほっとけ」

 

人並み外れて達者にこなす魔術と比べて稚拙でさえある体術に無様な嘲笑がかけられる。そんなことは自覚済みだが、改めて敵手から指摘されると腹も立つ。

 

出来るだけのことをしてなお、求める結果に結びつかない。

 

単純な身体能力に限定すれば軍神らを相手取ってもそうそう引けを取らないほどに上昇したが、それを生かす術が将悟には欠けている。前々から太刀合わせをしていた恵那からも言われていたことだがやはり将悟には直接的と殴り合う分野での才能は無いらしい。少なくともまつろわぬ神やそれを得意とする魔王を相手にするには全く足りていない。

 

ここで勝負をつける必要はない、だがせめて有利と言えるところまで戦況を盛り返し、場の勢いをこちらの味方につけたい。ヴォバンの打倒と比べればささやかとすら言える望みであったが、それが果てしなく遠いものに思えてならない。これ以上ないほどに恵まれた状況であるにもかかわらず、有利と言うには程遠かった。

 

拳と爪牙が触れ合い、一瞬ごとに互いの位置が入れ替わるような高速の格闘戦。目まぐるしく動き続ける攻防に追いつくので精いっぱい。攻防の中に魔術を差し込む余裕はない。ジリジリと…などという緩やかなものではなく、数秒ごとに将悟の身体に傷が増え、急速に戦況が押し込まれていく。

 

「ちっくしょうが…」

 

どうする、どうすれば…焦りと迷いに惑う中―――声が、聞こえた。肉声ではなく、一心に将悟を思う意志の籠った心の声が。

 

“―――王様!!”

 

死が二人を分かつまで断てぬ、太陽の絆を通じて。

 

「……あ…」

 

何かに気付き、ぽつりと声を漏らす。

 

その呼びかけは何も戦況を変えない、だが将悟に独りの少女の存在を思い出させるキッカケになった。放課後に連れ立って歩いた恵那、人目につかない空き地で太刀稽古を交わした恵那、自宅でノンビリと猫のようにくつろぐ恵那…。

 

相棒と恃む少女を思い浮かべ、僅かな心の余裕を得た将悟は敢えて今までと真逆のことを行う。すなわち魔狼から繰り出される爪牙を捌きながら、ゆっくりと息を吐いて笑ったのだ。

 

『戦場で気を抜くとは臆したか、ならば死ぬがいい!』

 

怒号を上げて一層猛烈な勢いで体躯に秘める暴力を振るう。全身にバネのように力を溜め込み、一気に爆発させて瞬く間に将悟へと迫る。

 

一気に首を掻き切ろうと大器の壁を突き破って進む短剣の如き五爪。刻一刻と己の命に迫るそれを前に、将悟はどこか他人事のような感覚で眺める。勝負事に成れば勝手に最大限に高まる集中を超えてなおコンセントレーションを高めていく。ヴォバンの動き、その一事のみに意識の全てを向け、敵意の具現たる魔狼の爪牙はどこか遠い。

 

()る、()る、()る、()る――――!

 

いつしか何故視るのか、などという雑多な意識も消え去る。目に映る景色が色を失い、どろりと粘つく液体の中で動いている感覚に襲われる。だがまだまだこの程度は序の口だと、この先があるのだと誰に教わるでもなく確信する。

 

―――ガキィッ! と硬質な物体同士がぶつかる不快音が響く。下からアッパー気味に降りぬかれた拳が、風を切り裂いて迫る爪撃にジャストミートしたのだ。

 

迷いが消え、入れ込み過ぎていた気が霧散する。心に“空”の境地が戻り―――ささやかな奇跡が将悟の下へ舞い降りる。望むほど手に入らず、しかし少女と繋ぐ絆という人為によって成された奇跡が。

 

魔狼に変化したヴォバンが飢狼の勢いで喰らいつく、その姿を掌中の球を転がすがごとく“視て”とれる。

 

大陸の武術家達が心眼之法訣とも呼ぶ超感覚。神速すら見切る霊眼を不完全ながらも会得し始めている。

 

死闘の中で極限まで研ぎ澄まされた将悟の霊的感性、霊視の導きがこの奇跡を呼び込んだのだ。

 

太陽の神力を全て身体能力のブーストに回していたために行えなかった第六感を含む感覚強化。弁慶との戦いでは陽光による強化で無理やり為した“心眼”が、いま将悟自身の器と経験を糧に開眼したのだ。

 

権能とも魔術とも関わらない、将悟自身の“力”がいま急速に花開こうとしていた。

 




心眼を開眼した要因:愛と絆、あと才能

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