カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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アナザー・ビギンズ ② 大神来臨

 

―――夢を見た、懐かしい白き乙女。

 

嬉しそうに、懐かしそうに、そして少しだけ申し訳なさそうに笑っていた。十余年ぶりに夢で出会った彼女は、前に遭った時よりもずっと人間臭くて慕わしく、その癖妙に疲弊しているように見えた。

 

「…大丈夫なのか?」

 

夢だと言うのに思わず問いかけると乙女も何か口にしたようだが、耳には届かなかった。ガラス越しに会話をしているように、聞こえるのは己の声、いや思念だけ。そんな将悟の様子に乙女も気づいたようで、呆れたように息を吐きながら手を伸ばしてくる。黙って身動ぎせずにいると、頬を両手で挟み、互いの額をこすり合わせてくる。乙女の美貌がこれ以上ない程に近づき、流石に胸の動悸が激しく打ち始めていく。

 

『――― えるが い、いと 子よ。《鍵》を め、あの下郎が…否、もっと厄介な が来るぞ』

 

途切れ途切れの、お世辞にも聞き取りやすいとは言えない思念がちょろちょろと流れ込んでくる。詳細は不明だが、警告されているようだった。とはいえ警告されてもどうしろと言うのか? 助言するならばもうちょっと具体性を絡めてしてほしいものだ。

 

そんな不服そうな気配を読み取ったのか乙女は途端に憮然とした顔になり、少し乱暴に将悟を突き飛ばす。

 

「おい…」

『なんとかせよ』

 

最後の一言だけはやけに明瞭だった、相変わらずこちらに投げっぱなしではあったが。これが例え予知夢の類でもあてにならないにも程があった。やれやれと頭を掻いていると白き乙女の姿は掻き消え、急速に意識が暗黒の中に沈んでいく。それが奇妙な逢瀬の終わりだった。

 

―――瞑っていた瞼を開け、闇をしばし見つめていた。

 

要するに夢だった。ただのと言うには如何にも意味ありげだったが、夢には違いあるまい。しかしあの面倒くさそうな宝剣が手元に来てすぐ、しかも触れた時のおかしな感触を思えば、本格的に霊能力だのオカルトだのの可能性を想定しなければいけないのだろう。憂鬱なことだが。

 

これまでもオカルト事件と言っても別に本物の化け物だの妖怪だのに遭遇したわけではない。ただまともな理屈では到底説明できないような事件には何度かかちあったことがあるというだけだ。そこでも何が出来たという訳でもない。更に言えば今回のようなケースは流石に色々と初体験だった。

 

枕元に置いていた宝剣を取り上げ、巻いてあった手ぬぐいを取り去る。外から差し込んだ月の光が一筋、刃の腹に当たり幻想的な光を放つ。妖しげで引き込まれてしまいそうな光に、先ほどの夢と合わせて妙に目が冴えてしまう。このまま横になってもきっとすぐには眠れまい。

 

「…散歩するか」

 

奇妙に昂った気を落ち着けるために少し外を出歩くのもいいだろう。寝間着代わりのTシャツとズボンの上から上着を一枚羽織り、懐に例の宝剣を忍ばせる。厄介ごとの塊とは分かっているのだがどうしてか手元から離す気になれないのだ。

 

そのまま玄関で外履きに履き替え、肌寒さを感じる外気に身を晒した。ほんの数メートル、実家から出ただけだがやけに月が良く見えた。しかも折よく満月、月光浴をするには絶好の天候だろう。将悟にそうした趣味は無いが、良く照らされた月光の下、実家からあまり離れない程度に歩き回るのは中々悪く無いように思えた。

 

そのままふらふらと落ち着かない足取りで真っ直ぐに道を進んでいく。闇に慣れた目と中天に輝く月のお蔭で歩くのに不自由は無い。歩きながら考えるのはやはり懐に忍ばせた宝剣の処遇のことだ。面倒事の塊、だが有効な対処法に心当たりはない。その上先ほどまで見ていた夢…。

 

さて、どうしたものか。きっとどうしようもないというのが実情なのだろうけど、それでも考えざるを得ないのだ。なんだかんだこの地は長期休暇のたびに訪れた思い出の地、祖父母や良くしてくれた近所の人への義理や親愛の念もあるのだから。

 

溜息を一つ、良い考えが出ないことを嘆きつつ、懐から宝剣を取り出して刀身を月光にかざす。

 

嗚呼、だがやはり、この刀身は美しい―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのまま無意識の内に握っていた方の腕に力を込め、刃を胸へ送り込もうとして、

 

 

 

「―――人の子よ、定命なる者よ。いま汝は神を招来する器に魅せられている。我が声に耳を傾け、世に稀なる神具を血で汚すのを止めよ」

 

 

 

唐突にかけられた声に籠った強制力とでも言うべきものに無理やり停止させられる。なんだ、この声は…? 全く気付かない内に胸を貫こうとした己自身の心と、それを強制的に止めた未知なる声の存在に深刻な驚きを覚えながら声の出所に視線を向ける。

 

月に照らされた空の下、奇妙な人が―――否、人型の何者かが悠然と将悟を()()()()()()()。人型と将悟の身長にそう大差はない。だが魂の位階、気位の高さとでもいうべき階梯が次元違いだった。眼前の人影に比べれば将悟など惑星の前の塵と同じだ。取るに足らない、ちっぽけな存在でしかない。

 

何より人影は異形だった。その肉体は痩身ながら力感に満ち、手に持つ奇妙な杖は支配者としての威厳をもたらすのに一役買っている。浅黒い肌と奇妙な装束は異国の風貌を意識させ、なんてことの無い田舎道をその身に纏うオーラが荘厳な神殿に仕立てているようだ。

 

そしてなによりその頭部は…鳥だった。鳥類特有の長い首にこれまた鋭くとがった(くちばし)。思わず首元を視ると黄金の装飾具と衣服に隠され、如何なる形で人体と接合しているのか視ることは叶わない。だがそんなことがどうでもよくなるほどにその眼光は知性に満ち溢れている。

 

鳥頭人身の異形、人ならざる存在を言葉にするならば、“神”。気まぐれに地上へ降り立った超常の存在というのが最も印象が近い。

 

「我が名を知る識見は無かれど本質を見抜く智慧を持つか…。死すべき定めの子にしては鋭き目を持っているようだ」

 

ただ語り掛けているだけだというのに一語一語に思わず跪き、忠誠を叫びたくなる支配力に満ちている。

 

「その智慧に免じ、命ず。トートの名の下、汝が所有する《鋼》の神具を我に引き渡すがいい」

 

古き魔導の都、エジプトにて広く古く信仰された強大なる智慧の神の御名において聖なる命が下される。

 

―――トート、ジェフゥティとも呼ばれる古代エジプトの大神である。ヘルもポリス創世神話において『卵から生まれたもの』との称号を冠する造物主であり、その口から零れ落ちた言霊によって混沌とした世界に秩序、即ち宇宙を運営する法則が定められた。定められた言霊、宇宙の法則は忘却から守るべく永遠に朽ちないイシェドの葉に文字にして記され、全ての智慧の保管者となったという。

 

このエピソードからトートは言霊、即ち最源流の魔術神という神格を得る。尤も“智慧の全てを司る”属性からその職掌は極めて広く、冥府の審判者、時間と暦を支配する者、月を司り夜の秩序を守護する、文字の発明者であり神官たちの守護者…など少し上げるだけで片手の指が埋まる数の役割を持つ。

 

また歴史的に見てもその信仰の起源は非常に古く、エジプト古王国時代…紀元前2100年頃には既に確立していた。時代が下るにつれて信仰範囲はエジプト全土に広がり、バビロニア語による綴りも確認できることからやがては異国にまでその存在が知られたことが確認できる。

 

ヘルモポリスを中心に創造神として大いに崇められた智慧の神であったが、後年になるとラー、オシリス、ホルスなど神王クラスの神々に仕える形でその信仰は存続した。尤も上位者である神王らがその時々の時勢で台頭したり凋落していったのに比べ、トートはほとんど全ての時代を通じて神話における宰相・神官など高位の役に就き続けてきたため一概にその権勢の強さは比較できないだろう。

 

一つ言えるのは古代エジプトのあらゆる地域、あらゆる時代においてトートが強大な影響力を持ち続けてきた大神であるということだ。

 

そんな最源流の魔術神が下した、絶大なる支配力を有する言霊が将悟へ干渉する。卑小で矮小な人間である将悟に抵抗など叶うはずもなくその手に握った宝剣を眼前の神に捧げようと膝を折り―――

 

()()()()

 

「……突然声をかけてきて人の物を寄越せだのふざけんな、とかその頭はどうなってんだ、とか色々言いたいことはあるが」

 

心臓が動悸を一打ち、夢から醒めたように正気に返った。

 

「嫌だね。これは、あんたにはやらない」

 

蛮勇に無謀を塗り重ねた挑発的な文句が咄嗟に口を吐いて出る。

 

先ほど目の前の異形からかけられた言葉に宿る強制力、カリスマは最早絶対とすら言える圧倒的なものだった。異形の言う通りに膝を折って手元の御神刀を捧げ、命を永らえたとしてもその偉大さはトラウマじみた強烈さで将悟の心に焼き付いただろう。下手をすれば眼前の異形を崇拝する新興宗教の一つも立ち上げたかもしれない。

 

どういう訳か唐突に支配力が薄れ、反抗することが出来たがそうでなければ将悟の人生に深刻な影響を及ぼしただろうことは間違いない。もちろんそんなおぞましい未来は絶対にごめんだった。

 

「これは如何なることか。少年よ、我が言霊を如何にして退けた」

「知らん。そんなことよりあんたはこいつをどうする気だ?」

 

神の問いかけをバッサリと切り捨て、あまつさえ逆に問い返しさえする。眼前の存在がそれこそ言葉一つで己を吹き飛ばせるだろう、強大な存在だと言うことは分かっていたが染みついた性根が咄嗟にこんな文句を吐かせた。上から目線で話しかけてくる相手には条件反射的に反骨心が煽られる性分なのだ。我ながら愚かしいとは思うのだが、どうにも幼少からの癖で治らない。三つ子の魂百までという奴だ。

 

……何故だが、どこかで誰かにくつくつと笑われた気がした。

 

「こいつが厄介事の種ってのは分かっている。そんなのをどうして欲しがる?」

「智慧の神たる私に謎を突き付けた功績により答えよう。既に《鋼》の器は満ち、贄を捧げればあの強大なる鋼の軍神が降臨しよう。世に神具あれど神を招来する神威有するほどのものは稀。私は如何なる(ことわり)を通じ、かの神具が神を呼び招くかをこの目で見、知りたいのだ」

「よく分からんが要するに地雷をわざわざ踏みつけて見物に来たってことかァ…」

 

《鋼》、軍神、神具…。意味不明な単語もちらほらあるが大意を読み取れば要するに目の前の偉大だがどこか怖気の走る存在をもう一人、この宝剣を使って呼び出すつもりなのだろう。そうなればこのちっぽけな村はどうなるか。気まぐれに踏みつぶされても全くおかしくない。

 

―――断じてお断りである。

 

この神とやらの強大さは肌で感じられるが、偉大だとも従いたいとも思えない。眼前の異形がとにかく気に入らない、例えどれほど強壮で、威厳に満ち溢れ、比較して己がちっぽけな石ころに過ぎないのだとしても、無駄な努力だったとしても抗うことだけは止められない。

 

それでこそ、と呆れと感心が混じった声が脳内だけに響くがいい加減誰だお前は? おかしな奴に当てられて遂には俺もおかしくなったのか? 

 

「ふふ、既に汝の謎…我が言霊を退けた種は見えている。少年よ、()()()()()()()()()()()()()()()》。初めは神具を渡せば捨て置くつもりであったが、その気は失せた。手荒い手段は好みではないが、我が神威により汝の身柄を強奪するとしよう。抗うなかれ、ただ受け入れよ」

「お断りだ馬鹿野郎! 鳥頭なんぞに人の実家を好き勝手されてたまるか!!」

「人の子よ、君の意思など関係が無いのだ。世界の秩序を言霊で定めた私が発した言葉に逆らえる者などこの世にいるはずがないのだから」

 

林檎が上から下に落ちるのは当然だ、そんな物理法則を語るのと同じ語調で断言され、ますます反抗心が頭をもたげる。そして正体不明の苛立ちも胸の内からどんどん湧き上がってくる。腑に落ちない異様な違和感がその根源だった。

 

()()()()。こいつは神だが、本当の神様ではない。どこか捻じれ、歪み、曲がっている。その癖所有する莫大な力だけは神と呼ぶに相応しい。だからこんな無茶苦茶を言える、踏みつけたものを気にせず(ほしいまま)に行動する!

 

「…あんた、本当にそんなことがしたいのか。神様なんだろう、秩序を定めた神様なのに、間違ったことをしたいのか!?」

「奇妙なことを言う。如何にして我が行いを誤謬と断ずるのか? 人に過ぎない汝が、智慧の神たる私に」

()()()()()()()()()()()()()()()! あんたはここに、いや、この世にいちゃいけない気がする。神様は、昔話の中だけにいればいいッ!!」

 

天与の霊眼で無意識的に見抜いた真実が言葉となって衝いて出る。将悟のいうとおり、まつろわぬ神とはそういうものだ。本来いるべき不死の境界から何かの弾みで肉体を得、生の領域たる現世に顕現した時、彼らは“歪む”。神話に限りなく忠実に、しかし全ての災厄となる形に歪むのだ。

 

眼前の神にとっては戯れに発した問いかけだったかもしれないが、将悟が万感の思いを込めた叫びは神秘を伴わない言霊となって僅かにその胸を揺さぶった。

 

「……汝の申しよう、確かに思い当たる点がある。なるほど、確かに我が行いは誤りであるのやもしれぬ。だが、違うのだ」

 

将悟の叫びを肯定しつつ、訂正する声には僅かに疲れた響きがあった。長い長い時を過ごした倦怠の念が籠っていた。

 

「違う?」

「まつろわぬ我、神の本道から外れた我は死を得ることでしか正しき道に戻れない。あるいは幽世に居を移すか、死に近き眠りを得て長き時を過ごす手もあるが…それでは本来あるべき真なる神には戻れぬのだ」

 

将悟は直感した、この神が抱いた感情の一端を。この神は、死にたいのだ。正しい頃の己、その残滓とでも言うべき思いが今の叫びにならない嘆きを漏らさせた。もちろん、今のトートは歪み、捻じれ、何をしようとも正しい頃の彼が望むものには辿り着かない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。智慧の神たる己の在りようを体現する過程で、何時か己が殺められるその日まで!

 

矛盾だ…神の矛盾を悟った将悟は、少しだけ哀れに思った。眼前の偉大なる神を、ちっぽけな人間が…。

 

「なら、俺があんたを殺してやる。あんたを助けてやるよ」

「死を定められた子よ、それは叶わぬ。人は神を殺せない、神を殺めうるのは同じ神か、神殺しのみ。只人にすぎぬ汝が如何なる手管を以て智慧深く、強大なる私を弑逆するというのか」

 

トートはどこか苦悩に満ちた仕草で頭を振った。尤も一瞬で掻き消え、再び深淵のような静けさと威厳に覆われてしまったが。

 

「叶わぬ願いだ。無意味な抗いを止め、大人しく己が身を私に捧げよ」

「さっきも言ったぜ、絶対嫌だ!」

「ならば是非もなし。神の言葉を聞き入れぬ愚者に仕置きをつけるとしよう」

 

仕置き、と言ってもファイティングポーズをとるわけでもない。当然だ、これは戦いですらない。例えるなら蟻に噛み付かれた人間が、戯れと報復として手でつまみ、力を加えるようなものなのだから。もちろん手加減はするだろうが、それはそれとして仕置きを受けた後で生きているかは全く別の話だ。何しろスペックが根本からして異なっている。

 

「この鳥頭、智慧だのなんだの言ってる割に頭が固すぎるぞ!」

 

かと言って背を向けて逃げても逃げ切れる気は全くしない。蟻の歩幅と人間の歩幅が違うように、そもそも勝負が成立しないのだ。こうして向かい合って言葉を交わしているからこそなけなしの興味を少年に抱き、矢継ぎ早に意識を刈り取ろうとしないのだから。

 

「惜しいな、これほど鋭き霊眼の持ち主ならば我が徒弟として迎え入れるに相応しく、神官として大成したであろうに」

「今のあんたの下に着くなんて御免だね。自分が正しいって胸を張って言えるようになってから来やがれ!」

「それこそ矛盾だろう。正しき我がこの世にあることなど出来ないのだから。嗚呼(ああ)、だが叶うならば不死の領域に君を招いてもいいかもしれぬ。尤もとんと方策は思いつかぬが」

 

思慮深げな様子柄とんでもないことをこともなげに呟く神。

 

「その智慧で以て神を理解し、誠心で以て神と向き合う君は神に愛される稀なる資質の持ち主だ。神代の、未だ神々が地上を闊歩していた時代ならばあるいは神や女神に伴侶として迎えられたかもしれぬと思わせる程に」

 

魔術師あたりがこの会話を聞けば発狂するか血眼になって将悟の身柄を手に入れようとしたかもしれない。神に愛される人間など、人類史を通してなお稀少な資質だ。しかも智慧の神のお墨付きである。

 

尤も神々からすれば可愛いペット感覚であり、また寵愛を受ける当人にとって必ずしも幸せな結末となるかは全く別問題なのだが。具体例を挙げればギリシア神話辺りを参照するとよく分かるだろう。

 

「逆に蛇蝎の如く忌み嫌われるかもしれぬが、少なくとも私は好ましく感じる。一度口にした言葉を軽々に引っ込めるのは我が流儀ではないが、その価値はあろうか」

「…………」

 

なんだ? 眼前の神は何かを考えている。それが吉と出るか凶と出るか…運否天賦を自分以外の何かに任せる、というのは受け入れがたくはあったが根本的な立場の差はどうしようもない。将悟が何を言おうと何ほどのことも変えることが出来ないだろうことは悔しながら骨身に染みている。

 

「命ず。《鋼》を招来する神具『アキナケスの祭壇』を捧げ、我に仕えよ。汝に代わる《鍵》は別の地にて探すとしよう」

「―――…」

 

予想外、というのが近い感想だったろうか。まさか妥協とも譲歩とも言えそうな提案…いや、命令が来ようとは。足元の小石のためにわざわざ意見を変える人間がいるだろうか。それと同レベルで眼中にないと思っていただけに、少しばかり信じがたい。

 

正直に言えば、抵抗はある。トートは将悟を認めているようで、完全に下に見ている。いや、実際天と地ほどに力の差はあるのだが、将悟はトートに仕えたい訳ではない。先ほどの嘆きを聞いて嫌悪感は大分薄れていたが、代わりにむくむくと頭をもたげてきた衝動がある。

 

即ち、こいつを何とかしてやりたいという具体的な方向性を持たない漠然とした思いである。

 

何をすればいいか分からない、どうしてやるのがこいつにとっていいのかも分からない。分からない尽くしで頭を抱えそうだが、一度湧き出してきた思いは容易なことでは頭から去ろうとはしなかった。だがどちらにせよトートと将悟は相容れない。繰り返すが、将悟はトートに仕えたいのではない。対等の立場で、“何か”をしてやりたいのだ。

 

あるいはこの場面でそんなことを真剣に思えることこそが、神に愛される資質と称された所以だったのかもしれない。

 

(……とはいえ、ただ拒否しても)

 

これ以上の譲歩を眼前の神はしまい。残念だ、とでも呟いて当初の予定通り将悟から『アキナケスの祭壇』とやらを強奪し、ついでのように生贄に捧げるのだろう。なんとなく、しかし確信をもってそうするだろうことが将悟には分かる。

 

トートの命令を受け入れれば少なくとも、将悟の故郷に災禍が訪れることは無い。他の場所に被害をもたらすことについては心を痛まないでもないが、将悟は基本的に見内優先で利己的、ついでに計算高い思考の持ち主だった。あっさりと心の棚に罪悪感の欠片を放り投げてしまう。

 

天秤が傾き、仕方がないという思考に行きつく。

 

「分か―――」

 

頷き、承諾の意を示そうとした刹那、

 

 

 

―――轟、と。

 

 

 

地鳴りを響かせ、一つ目の巨人が天から降って来た。

 

「……は?」

 

流石の将悟も唐突過ぎる急展開に馬鹿みたいな声を漏らすしかない。一世一代の決心をしていたところにいきなり巨人が轟音を立てて着地したのだから無理もない。見たところトートほどの強壮さは無いが、一五メートル級の巨体に単眼、手に持った棍棒と外見のインパクトは一応人型を保っていたトートよりも大きい。

 

「GYUOOOOOOOOO―――ッ!!」

 

ついでに凄まじく五月蠅い咆哮をあげた。先ほどの轟音と合わせて村中の人間が跳び起きたのではないだろうか。

 

「……鍛冶神の眷属か。どうやら彼奴めもかの神具を欲しているようだな」

「彼奴って誰だ! これ以上なんか降って来るのか!?」

「降って来るかは知らぬが、眷属がもう一体いままさに天を翔けているようだ」

 

狂乱の混じった問いかけに意外と律儀に返してくれるトート。咄嗟に月天を見ると、月の光に照らされ黄金に輝く鷲が見える。月が輝いているとはいえはっきり見えているのを一瞬不思議に思ったがすぐに疑問は氷解した。単純に、大きいのだ。縮尺が狂っているのではないかと思う程に、すぐそこの単眼巨人を掴んで運べるのではないかと思える程に!

 

というかそれで間違いないだろう。前触れもなく唐突に空から降ってくるなど、それくらいしか思いつかない。混乱からいまだ立ち直れない将悟がいささか場違いなことを考えている間にも、件の巨人は棍棒を将悟ごと吹き飛ばす軌道でトート目がけて振り下ろそうとしている。

 

「生と不死の境界で大人しく傍観していたかと思えば、眷属を送り込んでくるとはな。如何なる魂胆か」

 

のんきに呟いているトートにそんな場合か、と突っ込みたくなるが結果だけ見ればこれは将悟の間違いだったろう。

 

「《雷》よ」

 

淡々と、一語だけ告げる。それだけで全ては決した。トートが持つ不思議な形の杖から凄まじい勢いで雷霆が(ほとばし)り、一瞬のうちに単眼巨人を飲み込み、焼き尽くしたのだ。後に残るのは人型の炭と肉の混合物となった痕跡だけ…。おぞましさを通り越した非現実的な光景に流石に将悟の現実認識を超える。映画の中にでも迷い込んでしまったような感覚に、一瞬だけ現実感を失い、足元が定まらずにふらついてしまう。

 

だがトートの言う彼奴、も負けず劣らずの応手で応えてみせた。

 

突如として単眼巨人の亡骸から炎が溢れだすと、その炎は亡骸を焼くどころか急速に膨張・再生させ、元の人型を取り戻したのだ。ただし完全に元通りではない。肉の身は失われ、代わりに錆び一つない黄金の逞しい裸形へと変じていたのだ。再誕した巨大な青銅巨人はまさに神の御技と言う他ない偉容を備えていた。

 

ほう、と感心したように息を吐くトート。

 

「その炎、破壊のためのものにあらず。《創造》をつかさどる鍛冶神の火か。中々見事な手妻よな」

 

だが私には到底及ばぬ、とやはり淡々と呟き、より強力な言霊を駆使するために威を込めて一歩踏み出す。それは一筋縄ではいかないことを悟った智慧の神が小手調べから全力を振るうための戦闘態勢へ移行したことを示していたが、同時に一つの隙も生んだ。

 

―――この瞬間、偉大なる智慧の神は傍らにあったちっぽけな人間のことを完全に意識から追いやった。

 

その隙を突くように天から黄金に輝く青銅製の大鷲が急降下、大質量と亜音速にも関わらず、一切の衝撃もなく、将悟をその巨大な爪で掴み、攫って行ったのだ。将悟からすれば視界が一瞬のうちにブレ、気付いた時には強制的な空中飛行に招待されていたというのが一番近い。思わず悲鳴が口から漏れ出るが、聞き入れる者は生憎どこにもいなかった。

 

「やるな、鍛冶神め―――しばし『祭壇』は預けるとしよう、くれぐれも丁重に扱うのだな!」

 

その持ち主については故意か無意識か一切の言及はせず、この世ならざる世界から覗き見ている鍛冶神―――中途半端に落魄し、十全ならざる身の上の神に向けて警告とも言える文言を叫んだ。

 

慌てて追いすがり、力付くで奪い返すのは彼の流儀にあらず。取り返すのならば正面から堂々と、身を隠すならばその智慧で探り当て、抗うならば権威と魔術を以て封じ込めん。その威風を込めて奪還の誓約を告げると、その姿を見送るのだった。

 

ふざけんなこの鳥頭、という微かにエコーがかかって聞こえる将悟の叫びは一切耳に入らなかったのはある種のお約束だったかもしれない。

 

夜風に当たっての散歩がとんだ一幕になったと嘆く。ただの散歩でこれ、ならばこの次は一体どうなるのか? 嵐に巻き込まれ、振り回されるしかないちっぽけな己の身に苛立った将悟はせめてもの八つ当たりとして己の身柄を強奪した青銅の大鷲に拳を叩きつけ、返ってきた痛みにまた歯噛みするのだった。

 

 


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