カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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エピローグにしてプロローグ。


アナザー・ビギンズ ⑥ そして始まりに至る

一振りの神具を巡る騒動は遂に最終局面を迎え、これ以上ない程に戦場は過熱していた。

 

かつて世界を言葉で以て想像した智慧の大神、幽世より最強の刺客を送り込んだ鍛冶神。双方相手にとって不足など寸毫もない超のつく強敵たちである。だが不思議と将悟の胸に絶望は無い、そして自身意外なほど恨みと呼べるほどの悪感情もなかった。

 

ただ落とし前を付ける、思う存分ぶん殴ってやるという断固とした決意と怒りが胸の奥に深く定まっていた。その決意に呼応するかのように将悟に加護を与える女神、白娘子もまた明朗闊達にして一笑千金。場違いなほどに明るく華やかな笑みを浮かべ、少年に加護を授けている。

 

女神の覚醒に引きずられるように身の内で鳴動する《蛇》の神力が渦を巻き、並行して神具から溢れ出る銀白色の靄もその濃さを増す。合わせて将悟が味わう苦痛も増大するが、すかさず将悟と神具の裡から白娘子が《鋼》を制御するための軛を伸ばした。

 

『ゆるりとせよ、妾の命であった精気らよ。汝らの主は此処に戻った。妾の意に従うが良い。討ち倒すべき敵は我が英雄が指し示そう』

 

激烈な勢いで消費され、《鋼》の顕現を援けていた大地の精気の動きが緩やかになり、将悟の肉体を被さるように覆っていた銀白色の靄も握りこぶし大の大きさの球体にまで押し固められて胸に埋め込まれ、失われた心臓を動かす代用とする。

 

同時に全身を襲っていた苦痛が遠ざかり、顔を顰めながらも動けるだけのものへとなり下がった。膝をついたた体勢からゆっくりとだが身を起こし、全身に滾る“力”を確かめるように二度、三度と拳を握る。

 

『妾は神具と《鋼》の手綱を握るのに専念する。故にいとし子よ、この“力”を振るうのはお主だ。だが覚悟せよ、いまお主の失われた心臓を動かしているのは汝に宿った《鋼》の神霊あってこそ。時尽きるまでに彼奴等を討てねば全ては無為に終わると思え』

「了解…にしても」

 

ハァ、と場に遭わない溜息を一つつくと訝しそうに女神が問いかける。

 

『如何した? 《鋼》めはきっちりと従えておるはずぞ』

「―――赤坂将悟だ」

『なに?』

「俺の名前だよ。お前、いとし子だの何だのいう割に名前の一つも聞こうとしなかっただろ」

「…く、くくく、クハハッ! 今この時に至って“それ”か!? 嗚呼、だが悪くは無い。こうした趣向も悪くは無いのぅ!」

 

痛快そうに笑う女神がどこか声を潜めて呼びかける。そっと腕の中の宝物を秘める乙女のように。

 

『ともに行こうぞ、赤坂将悟。なにせ我らは“相棒”…なのだからな?』

「…って聞いてたのか、あんた」

『揺れる心でうっすらとな。なぁに、今の妾達はまさしく一蓮托生。言葉が軽いなどとは誰も言うまいよ』

「……おう」

 

どこか気恥ずかしさを漂わせた将悟の返事にやはりおかしそうにころころと笑う女神。

 

『貴様らあああぁッ!』

 

そんな戦場らしからぬ様子の二人の間に怒号を上げて割り込んできたのは鍛冶神だった。女神が将悟の裡ではっきりと不快そうな気配を上げるのが分かった。

 

『今すぐに死ねっ! 自害せよ! 神具を止めるのだ! でなければ―――』

 

営々と準備を重ね続けてきた莫大な年月。その積み重ねを無為に帰すかのような蛮行に悲鳴を上げて呪詛と怨嗟の念を送る。その怒りだけで並の人間ならば命を絶ってしまいそうな恐ろしさがあったが、今となっては鼻で笑って返すだけの代物だった。

 

「生憎だがテメーに返すのは一言だけだ」

 

激昂する鍛冶神に向けて最も“効く”だろう一言を返す。

 

「―――()()()()()()()

 

憤怒が、爆裂した。

 

小僧(こぞ)おおおおおおおぉぉッ!!』

 

百度殺しても飽き足りないとばかりに幽世から起こる声音だけで深甚なる憎悪を覗かせる怒号が轟き渡る。

 

「GOOOOOOOOOM!!』

 

鍛冶神の激烈な怒号に合わせるかのように、大地を鳴動させた赤熱する青銅巨人が動き出す。巨体に似合わない機敏な動きでトートに背を向けると一撃を大地にクレーターを作り、焼け焦がす赤熱する拳を振り下ろす。

 

対し、小さな人の子は、

 

「―――うるせぇ、頭に来てんのはお前だけじゃねぇんだよ!」

 

気合い一閃からの大斬撃を振るう! 

 

零れ落ちる神力が青銅巨人に匹敵するほど巨大な銀白色の刀身を作り上げ、渾身の一刀が巨人を肩口から両断した。苦痛とも鼓舞ともつかない雄たけびを上げて崩れ落ちる巨人を追撃しようとするが、突然襲われた強烈な立ちくらみに停止を余儀なくされる。

 

『いとし子よ』

「分かってる」

 

女神の諌めに短く応えを返す。怒りと報復の意思に任せて放ったさっきの大斬撃はかなり神力を消耗する。考え無しに連続で使えばただでさえ短いタイムリミットがますます減ってしまう。使いどころは見極めなければならなかった。

 

と、一蓮托生の二人が意志を伝えあっている横で。

 

「鍛冶神よ、私に背を向けるとは耄碌したか?」

『おのれ、貴様までも…!』

 

トートが旧き《鋼》の名が泣くぞ、とからかうように言葉を放りながら再生に時間をかける青銅巨人に向けて一際激烈な《太陽》の言霊を繰り出す。今まで傷つきながらも原形を保っていた青銅巨人が半身を熔け崩す程の莫大な熱量。遮二無二繰り出した鍛冶神の炎が青銅巨人を一瞬で再生させたが、その動きは鈍かった。

 

「狙い通りの三つ巴…とはいえ」

『そう都合よく漁夫の利を得られはしまい。なにより妾の好みではない!』

「言ってる場合か。まあ、俺も同感だけどな!」

 

そう、相手は一人ではない。そしてそのいずれもが味方ではない乱戦にして混戦。これが将悟らの目論んだ時間稼ぎの狙いだった。一対一で臨めばトート、ヘファイストスの両者に対して経過はどうあれ最終的に敗北する。これはまず間違いない。

 

ならば戦局をかき回し、背中から刺す一瞬のスキを作り出すしかない。もちろん将悟達にも戦局が全く読めなくなるがそんなものは今更だった。躊躇いなく二人は更なる博打に挑んだのだ。

 

戦場は三つ巴、それも一瞬ごとに戦力の均衡が揺らぐ混沌とした様相を呈してきた。なにせ機を見れば即座に矛先を向ける相手が変わるのだ。

 

最も強いものは優先して落とせ、と鍛冶神と将悟がトートを一度に狙えば、強烈な反撃を喰らった将悟が地に転がる。

 

すると弱った得物は確実に狩れとばかりに鍛冶神が標的を変えてくる。挙句その隙を狙ったトートが二人纏めて消し飛べとばかりに強力な言霊を放ってくる。

 

山を一つ二つ崩す勢いで行われる規模の、とんでもない乱戦だ。

 

「ふ、ははははははっ! まさか、まさに真逆だな! 信じられぬ、如何に女神の加護あれど人の子が神霊を従えるか!? 感謝するぞ、長き時を漂泊したが斯様な仕儀を目にしたのは初めてだ。いやはや、なかなかどうして“人間”とは侮れぬものよ。あるいは君だからこそか」

 

自らの理解の外にある“未知”を目にし、酷く高揚した語調のトートが上機嫌に声をかける。だがそんなトートに将悟は知ったことかと食らいつかんばかりに睨みつけた。

 

「そこで勝手に語ってろ。一般人代表としてぶん殴りに行ってやる…!」

呵々(かか)…生憎と人の子に対する理解は浅いが、汝が普遍的な人間であるかは大いに疑問の余地があると思うがな!」

 

痛快に笑うトートと会話の応酬を繰り返しながらも三つ巴の乱戦は激化の一途を辿り続ける。

 

その全てを将悟は命からがら切り抜ける。命が絶たれるところを肉で斬らせる程度で留める悪運、下手に迷わず思い切りよく動く度胸。そして何よりも鋼の神霊をその身に宿すことで一時的に軍神に比するほど上昇した身体能力と女神の加護によって極限まで高まった霊視による先読みの恩恵だった。

 

許されたのがほんの短時間で在ろうとも女神の加護を受け、《鋼》を従えた将悟の“力”はこの場にいる神々と同じ土俵に立てる程の神威を有していた。

 

だが人間として身に余るその“力”を以てしても戦局は硬直していた。トートは単純にこの場で最も力強い神威を有する大神であり、ヘファイストスが使役する青銅巨人は鍛冶神の加護を受けて半身を失いながらも忽ち復活するほどの馬鹿げた持久力を誇っている。このままでは一番先に落ちるのは時間制限(タイムリミット)のある将悟達だろう。

 

だが、

 

(その“程度”、問題にもなるかよ!)

 

そう、一分の勝機もなかった騒動直後と比べれば状況は天と地ほども差がある。二神の打倒、確かに著しく“困難”な難行だろう。だが決して“不可能”ではない。その差は1と0ほどにも大きい。故に無数の障害を潜り抜け、この一戦に辿り着いた将悟が怯みを覚えることなどありえなかった。

 

(…”これ”ならいけるか?)

 

このままではジリ貧だ。ならば今更リスクの一つや二つ背負うことに躊躇していられる状況ではなかった。それに土壇場の思い付きを切り札に変えることなど、ついさっきしたばかりだ。

 

『乗るか反るか…。中々好みの戦況よな。さて、疾く企みを聞かせよ。妾の助力が必要であろう?』

 

不敵に笑う女神に苦笑を返し、素早く胸の内を明かす。相も変わらず他人任せな賭けの中身を知らされた女神は一つ頷き、よかろう一口乗ってやると短く返した。

 

真っ先に狙うべきは鍛冶神の眷属、赤熱する青銅巨人だ。

 

度重なる青銅巨人の復活と再生にはタネがある。()()()()鍛冶神が送り届ける炎、《創造》の属性を司る文明の火なくしてここまでの奮闘はあり得なかったろう。実のところ純粋な地力において最も劣るのが青銅巨人であり、その証拠に将悟やトートによって何度となく致命傷にならないものの強力な攻撃を喰らっている。

 

だが逆に言えば炎の供給さえ途絶えてしまえば青銅巨人は無限に再生する難敵からただの神獣より強力な敵という程度になり下がるのだ。その難業をやり遂げられると言う確証はない、だが確信はあった。

 

故に、判断は即断。実行は即決だった。一寸先が無明の闇の中であっても己が勘を信じて迷わずに命を差し出せる度胸、これもまた赤坂将悟の持つ稀なる資質の一つであっただろう。

 

「―――!」

 

息を一拍溜め込み、心臓の位置で脈動する神力の塊から“力”を引き出して神刀に注ぎ込む。形成されるは初っ端に青銅巨人に向けてぶちかました銀白色の巨大な刀身。風の如き速度で互いの距離を潰し、懐に潜りこむ。図体の大きい青銅巨人ではやはり小回りが悪く、懐に入られては咄嗟に反撃するのは難しい。

 

それでも広げた両手を足元の将悟に向けてまるでハンマーのように叩きつぶす勢いで振り下ろす。威力よりも範囲をとった両の平手の振り下ろしは大巨剣を構えた将悟を確かに捉えていた。衝撃により地面が陥没し、巨大な手形が後に残される。粉塵が舞い上がり、一拍の間が空く―――。

 

その“間”を切り裂くように、銀白色の刃が粉塵から飛び出し、青銅巨人の両腕を豪快に叩き切った!

 

即座に粉塵から飛び出してきた将悟は一見して土砂による汚れが目立ち、頭からは幾筋も流血している。咄嗟に神刀を迫り来る青銅巨人の“指”に向けて構え、断ち斬ったのは良いのだが斬り切れなかった平手と大地の衝突から生じた衝撃波にさらされたのだ。それでも吹き飛ばなかったのはそれなりの痛みと衝撃をこらえながら両の葦で踏ん張った結果だろう。

 

そしてその甲斐あってか、青銅巨人は見るも無残に両腕を喪失した。だがこの程度の損傷ならこれまで幾たびも巨人は受けている、今回もまた同じことになるだけだ―――本来ならば。

 

『無駄だということが分からぬか!』

 

捥ぎ取られた両腕を修復するために幾度となく繰り返された再生の炎がまたしても幽世から熾り、鍛冶神と青銅巨人を繋ぐ不可視の“(みち)”を通じて送り込まれる。本来ならばけして目に見えるはずがない霊的なライン…だが幽世から送り込まれた炎が通ることで活性化した今ならばあるいは―――。

 

『―――“今”ぞ! 何も考えず、斬れ!』

 

“掴んだ”。

 

将悟の内側から霊眼を研ぎ澄ませた女神が見えないはずの“(みち)”を視てとり、将悟へとそのイメージを伝達。文字通りの以心伝心によってラインの存在を認識した将悟は神剣を片手に青銅巨人を飛び越える勢いで跳躍する!

 

『なにを―――』

 

鍛冶神もまた将悟らの意図を掴めないまでも咄嗟に青銅巨人を操って進路を妨害せんとする。だが失われた両腕は未だ再生の途上であり、遮二無二振り回した剛腕は空しく空を切り、赤熱する巨人の炎が将悟の皮膚を焼くのにとどまる。

 

一か八かの賭けを見事に乗り越えた少年は、なにもないはずの虚空を神剣でもって大上段に斬り下ろす!

 

『これは…おのれ、またしても!』

「遅い」

 

切断する。

音も、衝撃もなく虚空を薙いだ神刀は確かに幽世と現世を繋ぐ不可視のラインを断ち切った。

 

『ゆるさ―――』

 

言葉の途中で唐突に薄れていく鍛冶神の怒声。大音量で騒ぐスピーカーが音量をそのままに急速に遠ざかっていくような奇妙なエコーがかかった声の薄れ方だった。恐らくは将悟が切断したラインは同時に鍛冶神が現世に声を届けるための路でもあったのだろう。

 

なんにせよ、これ以上の鍛冶神の干渉は排除できたと判断してもいいだろう。あのしかめっ面を直接ぶん殴ってやれないのは業腹だが、奴の宿願だった《鋼》の招来とやらは既に台無しにしてやっている。大分腹立ちも収まったからこれ以上無理にこだわる理由は無い。

 

故に残る報復の相手は一柱のみ。

 

「既に私にこの場に留まる理由は無い、が…」

「もうちょっと付き合えよ、神様。あのクソほどじゃないが、俺はあんたにも腹が立ってるんだ」

 

将悟の継戦を望む発言にふむ、と得心するように頷き。

 

「降りかかる火の粉は払わねばなるまいな」

「上等ぉッ!」

 

そう己を鼓舞する蛮声を上げ、神刀を片手に突撃する。

 

十数合、絶え間なく降り注いでくる暴威を躱し、飛び退き、時に右手に握った神刀で斬り払う。隙を見つけて何度となく攻め込むがトートの守りは盤石だった。将悟ほどではないが間違いなく消耗しているはず。三つ巴の戦いが始まる前から鍛冶神の領域に攻め入っていたはずだし、見ているだけで何度も強力な言霊を発している。乱戦の甲斐もあって将悟も何度かトートに傷を与える難行に成功している。

 

だが、遠い。既に限界が近い将悟と比べてトートには余裕があった。“人”と“神”…その根本的な地力の差がここに来て重くのしかかってきているのだ。このまま無理に攻めても却って逆効果だと一度地面をけって後退する。

 

距離をとって仕切り直し、荒くなった息を整える。対し、トートはあくまで平静な様子で杖を構え、油断なく将悟を注視していた。タイムリミットは今この瞬間にも着々と迫っている。だがまともな手段でトートに敵うとは到底思えなかった。

 

『このままでは埒が開かぬな』

 

全くもって同意見だった。先ほどの青銅巨人と比べてトートは流石に格が違う。先ほどのような小細工が通用するような手合いではないだろう。

 

『ならば埒を開けに行くとするか』

「…………」

 

といっそあっけらかんとした口調で誘う女神はどこまでも軽やかだ。その明るさに反比例するかのように将悟が挟んだ沈黙は酷く重苦しかった。

 

『どうじゃ? 覚悟は決まったか』

「…………おう」

『ハハッ! 如何した、笑え! これは妾の新たなる門出なのだぞ。我らにとって“死”は終わりにあらず。ただ相応しい場所に戻るだけのことよ。せめてもの情け、彼奴目にもその恩恵をくれてやるとしよう』

 

対して将悟は胸の内を言葉にするのが酷く億劫だった。そんな重苦しい気配を笑い飛ばす女神だったが、それでも将悟の顔を覆う負の感情を消し去ることは叶わない。新たな門出、などと言葉を飾ったところで……その先に、彼女は“いない”のだ。そう思うだけで神刀を握りしめる手から力が抜けるようだった。

 

『お主は頑なだのう、頑是ない子供のように。あるいは猛る愚者の申し子のように。だが、だからこそ神を殺しうる”今この時”に辿り着けたのかもしれぬ』

 

愛おしむように、意固地な子供をどうあやすか考え込む大人のように、女神の声はひどく優しく、それでいて残酷だった。

 

『なあ、見ていておくれ。妾が本懐を遂げる光景を、我が生の尽きる果てを』

「――――おう」

 

女神の願いに応える将悟の声は、さっきより少しだけ力が籠っていた。迷いは未だ胸の中に在る。だが彼女にここまで言われてしょぼくれ、顔を俯けているようでは最早男ではない! 

 

将悟を立たせているのは“男の意地”という、これ以上なく愚かしくもささやかな誇り(プライド)だった。

 

『我が命の尽く、この一瞬に捧げよう。受け止めよ、赤坂将悟。妾が愛した、人の子よ!』

 

豪華絢爛、華開くように艶やかな笑い声が響く。後事の全てを託すに足る存在を見出したからこその潔さだった。瞬間、胸の内から一瞬全身が焼けるかと思う程の熱が迸り、《鋼》の気配が爆発的に色濃く顕現していく。一切の未練なく己が魂に残った力の全てを神具に注ぎ込んだからこその奇跡。

 

身体を重ねるように、背後から抱きしめるように将悟の背中に半透明の女神が一瞬だけ顕れ―――そして消え失せる。

 

『勝てよ、いとし子。彼奴を討ち、順縁と逆縁の果てへと進め』

 

頬をこすり合わせる柔らかな感触は刹那、命を燃やし尽くした一瞬―――だからこそ最期に触れ合えた。

 

『例え冥府に向かおうと、最期の最期まで見守ってやるともさ。我が    よ』

 

一瞬の夢幻の如く消え去った感触―――だが、決して夢でも幻でもなかったことはかつてない程に注ぎ込まれた“力”が滾る神刀が証明していた。これ以上なく狂暴で制御の利かない莫大なるその“力”、いまは女神が遺した軛が機能しているが分に満たない時間しか維持できまい。

 

末期、命の一片に至るまでを絞り尽くした女神からの最期の贈り物だった。

 

「ぁ…」

 

これが“死”だ。全ての存在が迎える終わりであり、終着点。

 

「が、あ…あああ―――」

 

あるいは再び“まつろわぬ神”として女神・白娘子が顕現するかもしれない。だがその女神は決して将悟が言葉を交わし、絆を結んだ“彼女”ではない。故に彼女とはもう二度と触れ合うことも、声を交わすことも出来ないのだと零れ落ちる涙を流しながら全てを悟る。

 

「汝を加護する女神が逝ったか…憐れな最期よな。せめてもう少し死に際を選べたものを」

 

知っている、知っていた。こうなると、こうでなければ神の命へ届きうるこの刹那には辿り着けなかったのだと。

 

「う…せェ…」

 

だからこそ、したり顔で彼女の最期を評するトートの存在が我慢ならない。智慧の神などと名乗っているくせにこいつは()()()()()()()()()()()

 

彼女が命を捧げた理由、避けられぬ死を前になおも自らの意思で選び取った結末の在処―――その意味を、高みから見下ろす傲岸さで無造作に蹴飛ばそうとしている。

 

(あいつは、あいつが“生きる”ために…!)

 

己が意志に殉じ…女神の誇りを貫くため、彼女は逝ったのだ。そのために安楽な末期より苦痛に塗れて果てることを受け入れた彼女の選択を憐憫の情とともに侮辱する輩を許せるか―――否、断じて否だ。

 

「―――許せる、ワケが…!」

「なに…?」

 

身の内に猛り狂う神力と戦意に任せて将悟はミシリ、と肉と骨が軋むほどの力を込めて神刀を握り締め―――

 

「ねえだろうがああああああああああぁぁッ!!」

 

乾坤一擲、その意を込めて死地へと踏み込んでいく!

 

「無駄なことよ。人は神に永劫及ばぬ」

 

迎撃のため放たれるは極大の雷光。視界全てを埋め尽くし、将悟の肉体を灰も残さず消し飛ばせる熱量(エネルギー)を秘めている。だが、“遅い”。雷光そのものは見えずとも、雷光を放つトートの動きは“視”て取れる将悟からすれば憤りすら覚える程にぬるい攻勢だ。

 

 

 

―――斬撃一閃。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な、ん…だと…?」

 

女神の献身で極限まで高まった神力、そして未来予知に近い精度で託宣を受け取る霊視()がその絶技を可能とした。

 

必殺を期して放った雷撃を無傷で潜り抜けた将悟の存在が理解の外にあったのだろう。間抜けな声で貴重な数秒と言う時間を無駄にするトートを尻目に彼我を隔てる距離を瞬く間に踏破し尽くす。

 

かつてない程の速度で迫る将悟を再度迎え撃つために呪力を操ろうとするが、一瞬だけ遅い。

 

「月の刃よ!」

 

トートが創り出した三日月型の巨大な刃によって肩口から両断され―――る前に、愚直なまでに真っ直ぐにトートの命に向けて手を伸ばす。

 

「―――」

 

そして命も、魂も何もかもを乗せて突き出した神刀は深々と、トートの胸板に突き立った。

 

「なんという…」

 

胸の中心を貫かれた神からどこかあっけに取られたような声が漏れる。

 

「人の子よ…」

 

ドサリ、と音を立てて人影が“二つ”大地に倒れ伏した。心の臓に達するほど深く穿たれた神刀はただ肉体を切り裂くだけではなく、破壊的な波動を肉体の内部で荒れ狂わせ、致命的な損傷をトートに負わせていたのだ。

 

そして気力だけで動いていた将悟は言うまでもない、無理やり先延ばしにしていた限界がとうとうやって来た。それだけのことだ。

 

「く、はは…。まさかあの鍛冶神奴ではなく、定命の宿命背負う人の子に私が討たれるとは、な」

 

呆れたように、敗北を噛みしめるようにトートは呟く。覆しようもない程の致命傷だった、未だに将悟を消し飛ばせる程度の力は残っているが、いまさらそんなことをしても意味は無い。であれば最早矜持を以て己が最期に臨むことだけがトートの望みであった。

 

「なんとも天晴れな愚か者よ。汝の蛮勇と幸運、なによりその狡猾な智慧に敬意を表そうではないか!」

 

類稀なる霊眼の持ち主にしてその抜け目のないその智謀、目から鼻に抜ける類の狡猾さは自身のものとは少々毛色が違うとはいえ、トートの好みにも沿っていた。この少年になら自身の権能を引き継いでも良いと思えるくらいには。

 

何より、死に瀕してようやく悟った己の本当の望み―――死することで真なる神に回帰するという宿願が今まさに果たされようとしているのだ。文句などつけようもない…強いて言うならば逆縁と災厄渦巻く因果にこの少年を巻き込んでしまったことだけが心残りだろうか…。

 

いや、とトートは思い直した。己が抱いた激情で神を殺めるような人間が、元より平穏な人生を送れるはずがない。ならばむしろこれは必然なのだ。

 

「ふふっ、トート様ったら討たれたというのに嬉しそうでいらっしゃるわね」

 

唐突に新たなる声の持ち主が現れる。甘く可憐な美声、幼い響きでありながら誰よりも“女”を感じさせる声だ。

 

「おお、汝が噂に聞く全てを与える女神か。貴女が此処に居るということは、愚者と魔女の落とし子を産む暗黒の聖誕祭が始まるのだな!」

 

あらゆる災厄と一掴みの希望を現す、名高き大女神パンドラ。神殺しの大元締めにして支援者が新たなる神殺しの誕生を悟り、『不死の境界』から顕現したのだ。

 

「ええ、あたしは神と人の狭間に立つ者。あらゆる災厄と一掴みの希望を与える女なのですから! 新たな息子を迎えにいく労を惜しむことはありませんわ」

 

当然のように、誇るように告げると今度は慈愛と悪戯心の籠った視線を新たなる義息へ向ける。

 

「貴方が私の七番目の義息ね。ふふ、トート様の神力は貴方の心身に流れ込んでいるわ。今貴方が感じている熱と苦痛は貴方を魔王の高みへと到達させるための代償よ。甘んじてお受けなさい」

 

とろけるように甘い声音を耳朶に流し込み、慰撫すると新たなる義息子の誕生を世界に向けて告げるように暗黒の生誕祭を見守る神々へ祝福と呪詛を要求する。

 

「さあ皆様、この子に祝福と憎悪を与えて頂戴! 東の最果てで魔王となり地上に君臨する運命を得たこの子に、聖なる言霊を捧げて頂戴!!」

「はは、良かろう! ヘファイストスよ! 己も道具越しに眺めるだけでなく、この愚者の申し子に祝福と呪いを与えてやれっ!!」

 

トートが虚空へと声を張り上げると、どこからともなく実物大の青銅造りの鷲が生き物のように翼を羽ばたかせて降りてくる。幽世に座す鍛冶神が送り込んだ使い魔だった。

 

「……黙れ、魔術師の守護者よ。元よりこやつに一杯食わされた借り、忘れておらぬ。小僧、我が神格を取り戻し、完全となった暁には真っ先に地上に降りて貴様を討つと誓約しよう! 忘れるな、貴様を討つはこのわしよ!」

 

一見平静に聞こえるが、その実は怨嗟と復讐心に彩られた言霊が呪詛となって新たなる神殺しの肉体にまとわりつく。新たなる神殺しと旧き鍛冶神との間で決して切れない逆縁に結ばれた瞬間であった。この瞬間からかの鍛冶神と将悟の間に(とも)(いただ)く天はなくなった。必ずやどちらかが死すべき時まで闘争と呪詛が消えることはないだろう。

 

「貴様が憎悪を与えるならば私は祝福を与えよう―――新たなる神殺しよ、赤坂将悟よ! 汝は我が智慧と魔術の権能を簒奪し、神殺しとなる。誰よりも賢く、狡猾であれ。それさえ出来れば汝は常に勝者となるだろう。これから先、汝の生涯は否応なく波乱に満ちたものとなるであろうが―――壮健であれ! 二度と会わぬことを願っておるぞ!!」

 

さらば、さらばと珍しく快活で楽し気な語調で別れを告げるトート。己の神力が少年に流れ込んでいくことを感じ取り、これが神殺しの生誕祭かと興味深く眺める。長い長い時を流浪し、見聞を広めてきた彼だが流石に神殺しが誕生する場面に立ち会う機会は無かった。それも己が捧げられる供物として立ち会うなど当然初めてだ!

 

最期だというのに、あるいは最期だからこそトートは愉快な心持ちであった。

 

これは転機だ。神殺しに生まれ変わる少年にとって一つの節目。平穏が争乱に、平凡が特異に、災厄こそが日常となる記念日となる。人並みの幸せとは縁が切れるだろうが、その代償に大いなる運命、大いなる流れに否応なく巻き込まれていくだろう。その流れに逆らい、牙を剥くことこそが神殺しの本懐。逆らい切れなくなった時が少年の命が失われるときだろう。

 

その命が尽き果てるまでに彼がどんな役割を果たすかは智慧の神たる彼を以てしても測ることはできないが…なに、己を打ち倒した神殺しなのだ。心配するだけ無用のお世話だろうとそれ以上の思索を打ち切る。

 

どこまでも軽やかな気分のままトートの意識はほどけ、霊体となって『不死の境界』へ飛び去っていく。保持する神格の一部は変わらず神殺しとなった少年に注ぎ込まれているが、それを気にすることもすぐになくなった。まつろわぬ神としての命数を完全に失い、真なる神、ただ神話の中に在る神へと戻ったからであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが赤坂将悟による神殺しの軌跡。

彼にまつわる物語の始まりであり、人間としての終わりだった。

この時紡いだ順縁と逆縁は時に彼に味方し、時に敵となる。

 

いずれにせよ神殺し・赤坂将悟の長い永い生が波乱と災厄に満ちたものとなることだけは確定した未来だった。

 

 

 

 

 




赤坂将悟による神殺しの物語、如何だったでしょうか?

滝壺の女神こと白娘子は再登場の予定はありませんがいまも彼女は将悟の心の中に正負いずれの感情も思い起こす特別な思い出として残っています。

折々の場面でその残響が顔を覗かせることもあるかもしれません。

ともあれこれでこの章はおしまい。
読者(あなた)の心に何か少しだけでも残るものがあれば幸いです。

よろしければ何か一言ご感想をお願いします。













蛇足

……連続投稿しても普段と比べて反応が全然ないので正直かなり精神にダメージががが
マジで一言でいいので感想なり評価なり頂けるとありがたいです。

流石に延々と壁に向かってボールを投げ続けるような苦行は出来んです。
俺、感想乞食って呼ばれてもいいんだ。構って貰えるなら(真顔)



蛇足の蛇足
王様ってば内縁の妻に初恋話聞かせちゃうの?(意訳)な感想が多数寄せられましたが
敢えて言おう!

原作リスペクトです(やっぱり真顔)

実際ごどーさんは裡理に原作三巻におけるエリカとの同衾やらキスやら話してるはずだからね、仕方ないね。


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