1/3がサボっていたからで、
1/3がリアルが忙しかったからで、
残りの1/3はアナザービギンズでキリも良いし、時間を無理やり飛ばして最期に智慧の王フルスペックモードと完全究極体フルパワーヴォバン侯爵の対決書いて完結してもいいかなって悩んでいたから。
最後のは割と真剣に悩んだが時間が経つうちにまあいいかってなって次の話を書き始めた。
それはそれとして静花可愛い(挨拶)
10年後の彼女をご覧ください。めっちゃ拗らせてるんで
はぁ、と勤めている会社の帰り道で深いため息を草薙静花は吐いた。
その暗さを含んだ嘆息は気が強く、気風の良い気性の彼女には到底似合わないものだった。静花を知る者はもちろん、静花自身すらそう思っていたが、いまこの時ばかりは抑え難かった。
悪いことがあった訳ではない。
むしろ慶事であると言うべきなのだろう。彼女の兄が、あのいい歳をして未だに怪しげな業界に片足を突っ込み、一年の半分は何をしているか掴めない自由人に遂に年貢の納めどきが来たのだ。
はっきり言ってしまうと、学生時代から複数の女性と交際(らしきもの)をしてきたあの草薙護堂が入籍した。つまりは結婚したのだ。
尤も女性関係を清算したというわけでは決してなく、入籍相手に形式を押し切られたというに過ぎない。結婚式も挙げる予定は無いらしいし、未だに兄の周りには多数の女性が侍っている。それは果たして結婚と言えるのか、という疑問は付きまとうものの本人たちは納得しているらしい。当然ながら他の女性たちは極めて、渋々、非常に不本意ながららしいが。
きっとこの結末に辿りつくまで数多の策謀やら修羅場やらが諸々あったのだろうが、ようやく暫定勝者が決定したというわけだ。
妹としては祖父譲りの悪癖もいい加減にしろ、と思わないでもないがいい加減彼女の堪忍袋の緒も擦り切れ、諦念の域に達しつつある。学生時代から付き合いが始まり、未だに親交のある”先輩”などはこの年になってようやく兄離れできてきたな、などと妄言を吐くのだが。
さておき、そんなことがあったのだが”何故か”静花は憂鬱な心情を引きずっていた。”どうしてかは分からないが”こういう後に引きずりそうな精神状態になった時は美味い酒を味わいながら、胸の内を吐き出すに限る。
懐から取り出した携帯電話の連絡帳を開き、適当な名前を探し出そうとして…手が止まる。
「…………」
何時もならこういう飲みの場に喜んで付き合ってくれる
彼らの前ではきっと自分はいつもの”勝気な、気風のいいデキる女”という
とはいえそれなら誰が、という自問にしばし黙考する。
何時もなら兄や祖父を遠慮なく付き合わせるのだが今この時は顔を合わせたくない。彼ら以外で素直に胸襟を開け、頼ることのできる知り合い…しばしの間脳内の知人リストを総ざらいするが一名を覗き該当なし。その一名も”素直に”頼れるかという点で疑問符が付く。たぶん、話せば苦笑一つで付き合ってくれるだろうが、絶対にからかってくるだろう。
付き合いの幅が広い、と自負していたつもりであったが、こと”頼れる相手”となると当てはまらなかったらしい。
彼女に足りないのは付き合いの幅ではなく、もう少し相手に求めるハードルを下げることなのだが、身近にいる人物がやたらと器が大きい相手ばかりだったせいで感覚がマヒしていた。
ともかく候補に挙がるのが一名なのだから、多少難があろうと選択肢はシンプルだ。
「うー…」
立派な社会人としてバリバリ働くキャリアウーマンらしからぬ静花の口から子供っぽい唸り声が漏れる。
ツリ目で見るからに気が強い、デキる女という雰囲気の彼女だが、小柄で童顔気味な容姿のためプライベートの私服姿では未だに学生に間違われ、ナンパされることもそれなりにある。大体はその怜悧な眼光でひと睨みし、追い散らすのだが。
そんな彼女にも接する時に思わず童心に帰ってしまう相手が何人かはいる。例の先輩はその一人であり、かれこれ付き合いは10年にも及ぼうかという腐れ縁だった。
「……」
ふと沈黙し、過ぎ去った年月を思う。
10年、長いようで短く、短いようで長い年月だった。変わったものも、変わらなかったものもあるが、兄と”先輩”は変わらなかったものの筆頭だろう。
身体的には背が伸び、精悍な雰囲気が強まったようだが根本的な精神性はちっとも変わっていない。兄は兄で女癖の悪さと学生時代からちらほら片鱗のあった放浪癖は相変わらずだし、もう片方の”先輩”もその愉快犯的な性格と無駄に大きい器に変化はない。
対して自分といえば…まあまあ順当と言えるほどの変化、あるいは成長を遂げたと言っていいだろう。
小柄なのは相変わらずだが、それでも背は伸びたし女性的な部分も成長もした。それでも平均よりはちょっと上、といった程度だが。密かにこだわりを持っていたツインテールも今は解いて伸ばした髪を後ろに流している。誰が見ても立派な”大人の女”と答えるだろう。
大学も無事に卒業し中堅の商社に就職し、社会人として自立している。職場へは自宅通勤だが、家事を祖父に押し付けているわけではなく、住人全員で分担してやっているので自立している範疇に入るはずだ。
その後も益体も事をぐだぐだと考えた後、ようやく懐から携帯を取り出す。重い指の運びで連絡帳から探しだした11桁の数字をコール。
「もしもし? お久しぶりです。はい、静花です。草薙の…」
相手は電波の届かない未開の地を飛び回ることすらあると言う生粋の風来坊。繋がらない可能性もそれなりにあったのだが、タイミングが良かったらしい。
そのまま要件を告げると即座に了承の答えが返ってくる。お互いの生活圏が重ならない以上普通なら疎遠になって当然なのだが、なんだかんだこうして付き合いが続いているのはこうしたノリの良さというか積極的に互いを誘い、そして断らないやりとりが続いているからだろう。
さておき、静花から大雑把な現在地を聞いた将悟はそこならたまたま近くにいるとのたまり、すぐに行くと言葉を残してすぐに電話を切った。
前触れの一切ないまま電話を掛けたところにこの返し。相変わらずだなと眉をひそめた。そして宣言通り将悟はすぐに向こうから静花を見つけ、歩み寄ってきた。電話を切ってからおそらく10分と経っていない。
これが一度目なら凄い偶然だなで済ませるのだが、将悟はこの”たまたま”を常習犯的に繰り返してくるのだ。何度か問い詰めたがまともに答える気がないのか、適当にはぐらかしてくる。
この瓢げた先輩でなければストーカー疑惑が発生する珍事だが、この男に限ってはそんなイメージが一欠けらも湧いてこない。瞬間移動の超能力者ではないかと真剣に疑いたくなる神出鬼没っぷりだった。
「よう、久しぶり」
「相変わらず”偶然”が続きますね、先輩。お久しぶりです」
「まあな、良かれ悪しかれ”持ってる”方だと思うぞ、俺」
相変わらずの人を食った笑み。第一声も久しぶりの再会の割にお互いにそっけない。
会おうと思って連絡を取ると大体会えるため、いまいちそこらへんに有難みが無い先輩なのだ。言い換えると気軽に会って話せる間柄とも言えるのだが。
鋼鉄の面の皮に向けて皮肉とも言えない呆れた視線を一刺し、向けるがすぐに苦笑に変わる。この先輩を前にすると肩ひじを張るのが馬鹿馬鹿しくなってくるのだ。
「もう店は決めてるのか?」
「この辺りは同僚も通るので…。
「へえ…。期待してるぜ」
興味を惹かれた、という風韻を乗せた返事に任せてくださいと頷きながら先導し始めると、将悟もその隣に並んで歩き始める。ごく自然に肩と肩が触れ合う距離を保ったまま夜の街に歩き去っていく二人の姿は逢引と表現するのに不足は無かった。
洒落た雰囲気のバーに入り、カウンターに腰かけるなり静花は顔なじみらしいバーテンに向けて開口一番オーダーを出した。
「……とりあえず銘柄は何でも良いのでウィスキーをストレートで」
「最初からトバすな、おい。送ってくのは家の前までだぞ? 酔いつぶれるなよ」
呆れた調子で釘をさしてくる先輩に分かってますよと唇を尖らせて返す。話してみると意外と懐の広い先輩なのだが、何故か昔から似たようなタイプの兄とは微妙な仲なのだ。
険悪と言う程ではないが、酔いつぶれた静花を家まで送ったタイミングで鉢合わせれば、悪い方向に向かうのは目に見えていた。
「分かってますよ。……偶にはいいじゃないですか。今夜は思い切り飲みたい気分なんです」
「ザルを超えてワクのお前が酔っぱらうには確かにそれくらいのペースじゃないと間に合わんかもしれんけどよ」
あひる口をとがらせて子供っぽく反論する静花に処置無しとばかりに大袈裟に肩をすくめる将悟。少しばかりわざとらしいオーバーアクションに静花の吐き出した弱音を湿っぽい雰囲気にならないよう流す意図を感じ、気を遣われたな、と気付くがそれが意外と心地よい。
静花はこう見えて面倒見のいい姉御肌、他人のフォローをすることはあってもその逆の対応を受けた記憶がとんと無い。普段は苦にすることもないが、心が弱るとさり気ない優しさが心に染みてくる。
今夜は思い切り飲んでやろう、と前向きなのか後ろ向きなのか分からない決意を固める静花。だがその開き直りに似た決意が身内以外で数少ない遠慮なく頼れる”先輩”への信頼から来るものということだけは静花自身にすら否定しようがなかった。
「分かってます、分かってるんです…。でも」
はぁ、とあからさまに憂鬱そうな顔色のまま溜息を一つ。そして見るからにブスッとした顔で
「……今夜は、帰りたくないな」
などとのたまった後輩に思わず半眼となって、ツッコミを入れる。
「おい後輩。嫁さん子持ちの狼さんを挑発するような真似は止めろや」
「……そういえば先輩って既婚者でしたね」
狼さんの辺りを鼻で笑いつつ、この先輩が既婚者であると言う驚愕の事実を思い出す。
これほど家庭を持つという言葉が似合わない男が大学を卒業するなり、静花と親交を持つ前から交際していた女性と入籍し、盛大な結婚式を挙げたという話は噂で聞いていた。当初は一笑に付し、その後本人に冗談交じりに確認すると思わずひっくり返り、少しだけ心に痛みを覚えたのも今は懐かしい思い出だ。
結婚式に呼ばれないのは、まあギリギリ理解出来なくもないが知らせの一つもないのは水臭すぎるとクレームを入れたのだが、返ってきたのは兄経由で知ってると思っていた、という思いもかけない一言。兄に確認をとるとそういえば伝えるのを忘れていた、ととぼけた返事。どっちの方にも雷を落としたのは言うまでもない。
そんな過去を思い出しながら横に座る男の横顔をちらりと覗き込み。
「うわ、似合わない」
と正直な心情を漏らすと
「うんまあ俺もそう思う」
と真顔で返された。
「…プッ」
その何でもない返しが何故かおかしくなって思わず噴き出す。そのまま発作的な笑いの衝動に襲われ、腹を抱える程に大笑いしてしまった。
大笑いに笑い、声が尽きてもまだ腹を抱えて震えている。
どこか躁鬱の躁を思わせるハイテンションっぷりにそろそろ将悟がこれは何かあったなと察し始めるが、華麗にスルー。身内に開く懐は広い方だと自負しているがあまり押しつけがましい御節介は己の流儀ではないのだ。
静花はそのまま衝動が収まるまでひとしきり笑い倒すと、そのまま将悟の近況へと水を向ける。
「それで、先輩の方はどうなんですか? 奥さんにはいい加減愛想を尽かされましたか?」
「お生憎だが特段これと言った変化もない。順調かっつーと微妙だが」
最近息子から知らない人を見る目で見られるのが辛い、と冗談か本気なのか分かりづらいぼやきに自業自得だとジト目を返す。
「家庭を顧みない人には当然の対応だと思いますよ。いい加減一箇所に腰を落ち着けたらどうですか?」
「半分は向こうから厄介事が飛び込んでくるんだよ。俺以外に対処できる奴は…いるけど任せるとマズイことになるような連中ばっかだし」
「つまりもう半分は自分から顔を突っ込んでるんじゃないですか? そういうところはほんと学生時代から変わりませんよねぇ」
この先輩、どうも高校時代から頻繁に学校をさぼってぶらりと各所をほっつきまわっていたという。三つ子の魂百までとは言うがいい加減落ち着きの一つも備えていいと思うのだが…。
一方で落ち着いた雰囲気の赤坂将悟、というイメージが全く湧かないためこれはこれで”らしい”と言えるのかもしれない。
「というかほんと奥さんとか奥さんの実家とか文句言ってこないんですか。普通ここまで好き勝手動き回っている男の人を許容してくれる懐の広い人ってそんなにいないと思うんですけど」
「おいおい、他所様の家庭を勝手に崩壊の危機にあると決めつけるなよ。上手くやってるとも問題がないとも言わんが、離婚する予定は当分ないぞ」
「そこが本当に意外です…」
一般的には逆玉の輿というらしいがその割に相手の家に束縛される様子は一切ない。相変わらずどことも知れない場所をほっつき回っているらしく、たまに二人で酒を嗜みに行ったときなどは大体知らない国名や地名、馴染みのない響きの人名がポンポンと口から飛び出してくる。
そもそも静花はこの男の正式な職業すら知らない。一度訪ねてみたことがあったのだがトラブルシューター兼クリエイター兼学者兼王様兼―――などと関連性の全くない職業を羅列され、なんだそれはと突っ込みを入れた記憶が蘇った。
いやほんと自分はどうしてこんな不審人物と親交を続けているのだろう、と一瞬真剣な疑問を覚えるが、アルコールが回り始めた頭はすぐに疑問を放棄してしまう。それに頼り甲斐という意味ではこの男以上の人物はそうそう思い当たらない。
清濁併せ呑むのは草薙一族に共通する気性。静花もその例外に漏れないため、あっさりと不審人物への疑問を追いやってしまうのだった。
こうした潔いまでの割り切りっぷりが、呪術の存在など何一つ知らないにもかかわらず、神殺し・赤坂将悟と深い親交を築けている所以なのかもしれない。
さておき、相も変らぬ将悟の悪癖への批判から互いの近況報告が始まっていく。
将悟が最近足を延ばした外国の景色や知り合った人物、その土地の風物について語れば、静花も職場の人間関係や処理したトラブルを語る。ゲラゲラと、クスクスと笑いを挟みながらも和やかに盛り上がりを見せていく。
「そういや草薙と言えば兄の方は―――」
しばらくは話の種も尽きそうになかったが、適当なところで彼女の兄について話を向ける。さぞ鬱憤が溜まっているのだろうとガス抜きをするくらいのつもりだったのだが、ここで予想以上の食いつきを見せた。
よくぞ言ってくれた、とばかりに次から次へと愚痴の数々が溢れ出る。最近の出来事だけではなく、学生時代にやらかした数々の不祥事も混じっていた。幾つか、というか大部分は将悟にも聞き覚えがあったので、あまり真剣に耳を傾けずひたすら相槌を打ちながら酒とつまみを喉に流し込む作業に没頭する。
やがて遂に護堂の近況、将悟の耳にも入っていた”入籍”についての話が出た。
「結婚するっていうのに兄さん…お兄ちゃんってば相変わらずなんですよー…。いい加減一人に絞って真面目にお付き合いすれば、なんとか…私も、安心、して…」
気が緩み、普段は抑えている”お兄ちゃん”呼びがぽろっと零れる。零れて、しまった。
「あ、あれ…」
何故だろう…。
気が付けばグス、という鼻声と共に一粒、二粒涙が静花の頬を伝っていく。
「すいません…。なんでだろ、悲しいことなんて、なにも…ない、のに―――」
言葉を絞り出すうちにどんどんと胸の痛みが増していき、言葉も途切れ途切れになる。溢れ出る涙の粒が流れに変わり、やがて堪えきれなくなった静花はカウンターに突っ伏して嗚咽を漏らし始めた。
「…………う、ぅぐぅ」
お兄ちゃんの馬鹿、と隣にいる将悟の耳に聞こえるか聞こえない程の音量で届く嗚咽に将悟は酒を一口呷り、むべなるかなと天を仰いだ。予想外のような、そうでないような。
こうまで彼女が追い詰められた一端にはやはり草薙護堂が関わっているのだろう。
「ま、女心なんて分からんけどさ。誰でも理由もなく泣きたくなる時ぐらいあるだろうよ」
どこか察した気配が視線に籠りつつも、敢えて気付かないふりをしてポンと背中を叩いてやる。ついでに何が起こったかと視線を向けてくるバーテンにそっとしておいてくれと首を振りながらアイコンタクト。
「泣け泣け、泣いちまえ。泣くのに飽きるくらい涙を溢したら、酔いつぶれるまで飲んじまえ。何一つ解決しないだろうけどさ、少しは楽になるだろ」
心の余裕ってのは大事だ、と慰めのようなアドバイスのような言葉をかけるとそれ以上無暗に励ましの声はかけなかった。いま静花に必要なのは誰かの言葉よりもオーバーフロウした感情を咀嚼し、飲み込むための時間だと分かっていたからである。
そのまま、しばしの時が流れる。バーテンが空気を呼んだのか、店内に流れるBGMはゆったりとした、心を安らがせるような曲調に変わっていた。
「……ちょっとは、落ち着いたか?」
しばらくして、嗚咽が収まり始めた頃を見計らって将悟から声をかける。今ばかりは生来のひねくれ者故に滅多に見せない労わりがたっぷりと声音に籠っていた。静花もそれを察し、複数の意味で頬を赤らめ、恥ずかしそうに将悟を見遣る。
「はい。…あの、御見苦しいところを」
「今更だろ。学生時代、散々にお兄ちゃんの馬鹿! 嫌い! なんて聞かされ続けた身としてはその感想は十年遅いぞ」
「―――もう! 人がせっかく真面目に謝ろうとしてたのに!?」
「馬鹿、そーゆーのはいいんだよ。俺、先輩。お前、後輩。一々細かいこと気にすんな。困ったら、頼れ」
地球の裏側にいてもなんとかすっから、と。ただし殺し合いの最中だけは勘弁な、とも付け加えたが。お茶らけた雰囲気のくせに、気持ちだけはあくまで真情を込めて言う。
なお将悟の権能を総動員すれば言葉の通りの真似が可能だ。だから今の発言は一〇〇%
己たちに、湿っぽくシリアスな雰囲気など似合わないのだと暗黙裡の内に伝えながらも溢れだした静花の感情に対してはあくまで誠実に向き合うことを告げる。
普段ならばここで静花も調子を取り戻し、普段通りとまではいかずとも取り繕えるくらいの精神状態には復調出来ていただろう。
しかし今日ばかりは潮目が違っていた。あるいは静花が如何に気風がよく、さっぱりとした気性であると言ってもあくまで妙齢の乙女であることを忘れていたからかもしれない。
「あの、ちょっと、いいですか?」
「うん?」
その後もやはりもじもじと迷った様子の静花から心底恥ずかしそうに、蚊の鳴くような声が漏れる。
「―――今日は、帰りたくない、です」
さっきの冗談じみた一言とはかけ離れた、切実な響きの籠った”後輩からのお願い”。普段の勝気な様子からかけ離れた小動物のように弱々しい姿で上目遣いに見つめられた将悟に最早勝ち目は無かった。
しゃーねーな、と呟くと。
「……ま、バーをハシゴして飲み明かすくらいは付き合ってやるよ。一応”先輩”だからな」
だから頼っていいぞ、と微かに聞こえたのは静花の心情を慮って小声で言ってくれたからかそれとも自分の願望だったのだろうか。
はい、としおらしく頷く静花は己の中である一点に傾いていた比重が急速に将悟へと揺らいでいくことを自覚していた。
最初に入ったバーを後にした将悟達は適当に目星をつけた二軒目、三軒目の居酒屋をハシゴしては店の在庫を飲みつぶす勢いで片っ端から酒類を注文していく。
当然お会計は跳ね上がり、既に六桁の金額が財布から飛び立っていった。だがその甲斐はあったと言うべきか、一時どん底に落ち込んでいた静花のテンションは急上昇、そのままお空に飛んで行かんばかりである。
言い換えればそれだけ酔っぱらって無防備というわけで、人間性に問題大ありな将悟にすらこれはちょっと注意しなければダメかなと思わせる程だった。男は何時だって狼になりうるのだ。
「えへへへ…」
すっかり酔っぱらった静花がゴロゴロと喉を鳴らして将悟に擦り寄り、甘えるように体を押し付けてくる。恐らく彼女の身内ですら見たことのないだろうはっちゃけっぷりに困惑しつつ、なんでこんなことになったのかと酔いで鈍った頭を回す。
おかしい、俺はいつも通り後輩に接しただけなのに…と。甘粕辺りが聞けばむしろそのせいじゃないですかねぇ、と呆れたように返しただろう。普段のブラコン状態ならまだしも、いわば重石が外れ、何処へ飛んでいくか分からない精神状態のいま、”ああ”されれば転んでしまうのも無理はないだろうと。
「せぇんぱい♪」
「んー?」
「呼んでみただけー」
おいおい静花さんや、君ってそんなキャラだったかい? 普段とかけ離れ過ぎた後輩の姿に遠い目をしつつ胸の内だけでぼやきを漏らす。なおそんな後輩に当てられて将悟のキャラも多少崩れていたが生憎突っ込む者は誰もいなかった。
旗から見れば恋人同士の、しかし内情を知れば危うい限りの一幕はそのまま延々ぐだぐだと続くと思われたが…あまりにもあっさりとその均衡は崩れ去ってしまう。
要因は一つだ―――我慢が出来なかった。
「ねー、せんぱぁい…」
酔ったふりを、否、実際酔っぱらっていたのだろう。自分のものとは思えないほど緩んだ、甘ったるい声をかけてしなだれかかり、苦笑交じりに手を回して支えようとする”男”の襟元を無理やり引っ張り、自身の唇と相手のそれを無理やり重ね合せる。
『―――――――』
この時両者の胸に走った衝撃は如何ほどであったか。
赤坂将悟、世に知られぬ魔王の称号を持つ青年であり人間離れした勘の良さを持つ。だが一方で日常生活では戦闘時ほどの機敏さも勘の良さも発揮されず、一度懐に入れた相手にはとことん甘い性質である。つまるところ
そんな、見事に”奇襲”を喰らった将悟といえば。
「お前な…」
咄嗟に引き剥がし、叱責しようとする。
静花のことは純粋に好きだ。知り合った頃の彼女は、年月を重ねるうちに女性としても花が開くように魅力を増してきっと誰もが認める美人へと成長した。些か”女王様”としての気質が強すぎるが、魅力的であることを否定できる者はいないだろう。
だが己は既婚者で、妻以外の女性とそういうことはするべきでない、という常識の欠片くらいは弁えていた。
「だって…」
咄嗟に抗弁しようとするが、だって…の続きが出てこない、見つからない。当たり前だ、こんなのどう見ても静花から浮気に誘ったようにしか見えない。
でも自分からこの暖かさから離れることは出来なかった。如何に気の強い性格の静花でも、人肌の暖かさに縋りたくなる時だってある。
静花に出来るのはグスグスと嗚咽を漏らし、無理やり借りた胸に顔を押し付け、零れ落ちる涙で濡らしていくことだけだった。
自分らしくない、などとは百も承知だった。これではまるで恋に破れ、みっともなく男に縋り付く弱い女そのものだ。
「あー、もー…」
とうの昔に擦り切れ果てた良識の残骸と己に同格の魔王の存在が絡まり合って将悟の脳裏に警告を発するが、ここですげなく突き放せる男なら最初から神殺しなどという因業な存在になっていない。
厄介事の火種となると感じながらも、その未来を受け入れる。やがて直面するだろう問題は未来の自分が考えればいいのだ。先のことを考えて動けるようなら後から考える愚者、エピメテウスの申し子などと呼ばれないだろう。
「ったく…」
困ったような、そのくせ静花の醜態を受け入れる響きの籠った苦笑を漏らすと、静花の頭に手をやってくしゃりと優しく頭を撫でる。人肌のほのかな暖かさを感じ、少しだけほっとする自分がいることを静花は自覚した。
自分の弱さを、受け入れてもらえた。夢心地のままずぶずぶと泥沼に沈んでいくような、恐ろしく甘美でいながら危険な感覚に身を委ねそうになる。
ちょろい女と思われても今はこの暖かさに浸っていたかった。例えそれがどうしようもなく胸を刺す喪失感を埋める代償行為だと分かっていたとしても。
「キツイか?」
こくん、と頷く。
「一人でいたい?」
ふるふる、と頭を横に振る。
「家に帰るか? 送ってく」
先ほどより勢いよく、ふるふると。
「なら、俺は一緒にいた方がいいか?」
少し迷ってからこくん、と頭を縦に振る。
「……俺の家に来て、飲み直すか?」
おずおずと将悟の様子を伺ってから、こくん。
あのお転婆娘が随分としおらしく、可愛らしくなったものだなと苦笑しながらあまりにも情緒不安定な後輩に思った以上に重傷だとこっそり頭を掻く。
なんとなくこうなった原因に察しはついていたが、どうも予想外に拗らせていたらしい。
たぶん初恋だったのだろうなぁ、と今ではお互いに腹の底まで気性の知れた後輩を思う。岡目八目と言うが、他人だからこそ見えてくるものもあるのだ。
草薙護堂の入籍、静花がここまで心を揺らしてしまったのはそれだろう。
失恋、というには本来両者の関係性から不適切な表現なのだろう。なにせ護堂と静花の二人は実の兄妹なのだから。だがやはり言葉にするならその二文字が最も近いと将悟は考える。
草薙静花はブラコンである。それも少しばかり度が過ぎたブラコンだ。
決して本気ではなくかつ無意識だろうが、実の兄に対してやや行き過ぎた慕情を抱いてしまっていたのだろう。草薙護堂の女たらしっぷりを考えれば無理はない。なにせあの天然女殺しと幼少から接してきたのだから。
護堂が静花が納得できる形で女性関係を清算、せめて今回のように形式だけでも区切りをつければ吹っ切れたのかもしれない。だがこの10年間彼と彼女たちは一線を超えながらも円満にやってきた。言い換えれば大きな変化の無いままぬるま湯のような関係を続けてきたとも言える。いや、しっかりやることはやってたらしいが。
今回の入籍騒動が契機となって10年間に渡って溜め込み続け、澱のように積み重なった感情が遂に爆発した。つまりはそういうことなのだろう。
お付きの少女達、特にエリカ・ブランデッリ辺りの価値観に大分毒されてきていた気配もあるし、護堂ばかりを責めるのは不公平なのだろうが……生憎、将悟は身内びいきが大好きな魔王様だ。可愛い後輩を知らずとは言え追い詰めた不出来な兄に報復の一つもくれてやろうと胸の内の閻魔帳にしっかりと書き加えておく。
ともかく、目下重要なのはグスグスと泣き崩れる後輩のフォローだ。
自宅に静花を招く。恵那に話を通す必要はあるが、これはそれほど問題になるまい。元々浮気でも何でもないし、仮にそういう相手がいても浮気そのものではなく浮気相手の存在を伝えなかったことを怒る。そんな男に都合の良すぎる価値観を持った嫁さんなのだ。
そもそも自宅には恵那や長姉長男(ただし片方は人ではない)がいるはずだからおかしなことにはなるまい。一部デリカシーやエアリーディング能力に欠けているため、無遠慮に接する恐れがあったものの、そこは家長としての強権で寝室辺りに押し込むつもりだった。
この時、将悟は失念していた。
恵那が神がかりの資質を引き継いだ息子を俗気の浄化と鍛錬のため将悟の所有する現世と幽世の境に建つ”マヨヒガ”へ連れて行っていたことを。そして二人の形質を引き継ぐ娘にして恵那の佩刀たる長姉は言うまでもなく母に付き従うため、将悟の自宅にはいま現在誰もいない。
時に妻すらほったらかして世界中を放浪して回る風来坊らしい失敗だったが、結果的に二人きりとなった”男”と”女”は行きつくところまで行ってしまう。
それどころか十月十日の後、”女”は珠の様な女児を出産する。本人が知らないところであらゆる日本の業界関係者から”姫”と尊崇されることになる赤子、その誕生の契機は誰も意図しないところから始まっていたのである。
赤坂将悟はのちに供述する。
『絶対に厄介事になると分かっていた。草薙の野郎と抜き差しならない殺し合いが起きる可能性も十分すぎるほどあった。恵那もいるし、理性的に考えるなら引きはがして落ち着かせてから家まで送るのが正解なんだろう。
―――それはさておきここで泣いてるいろんな意味で可愛い”後輩”を放っておけるなら俺はいま王様稼業なんてやってねえ』
だから俺は謝らない、と胸を張って甘粕に言い放ったあと何が起こったかは定かではない。ただし部屋の外からでも聞こえる程の騒音を交わし合うやりとりがあったのは確かである。
―――後年、日本呪術界に一時冷戦下の米ソ間並の緊張状態が走る時期が生じる。加えてその時期に日ノ本の羅刹王、赤坂将悟と草薙護堂が複数回激突を繰り返したことが複数の筋から確定情報として認められた。
このとき関係者は『軽率な振る舞いと誤解が火種になって降り積もった感情の爆発を誘発した』と具体的な詳細に関して口を濁す。
ただその時期の前後に二人と親しいとある女性が妊娠、出産する出来事があったのだがそのことについて触れるものは誰もいなかったという…。
見方によっては傷心の女の子に優しい言葉をかけてコマしたと言えなくもない絵面
以降、蛇足オブ蛇足
死ぬほどどうでもいい上に本編で使われることのない死に設定のため読み飛ばしても全く問題は無い。これはあくまでIFルートなので。
静花ルート
このIF短編にてウチの王様と静花がルートクリアする瞬間が描かれたが、実は好感度的には学生時代(流石に知り合ってから数年は経過)で既にこうなってもおかしくなかった。
それが10年間に伸びたのはゲーム的に表現するとある一つの条件がクリアされず、ルートがロックされていたから。
その条件はぶっちゃけ護堂の結婚、もしくはそれに類似する出来事。要するに静花が護堂を吹っ切れるきっかけなら何でもよかった。静花も本気で肉親の情を超えて愛してるとかいう訳でもなかったし。
だがこいつらがそこらへんの関係をうやむやのままなんとなく続けてしまっていたため、吹っ切るに吹っ切れずうだうだやっていた。
今回で一気に行きつくところに行ったのは10年で降り積もった感情が溢れだしてしまったからだとも言える。護堂はあくまでキッカケであって、根本的な原因は静花が色々と拗らせていた点が大きい。そこで将悟に転んだのはタイミングが悪かった。あるいは良かったから。
その後もなんだかんだゴタゴタがあったが、最終的に関係者全員が納得する(納得したとは言ってない)形で収まった模様。
恵那は娘ともども静花に一緒に暮らしてはどうかと普通に提案したらしいが、流石にやんわりと断り、実家でシングルマザーとして頑張り始めた。風来坊なだけあり、将悟もそれなりの頻度で顔を出すが三回に一回くらいの確率で護堂と顔を合わせて険悪な雰囲気になるのでやがて出禁になった。
なお流石に清秋院家を通じて再就職の斡旋や有形無形の援助は行った。草薙一族からものすごいヘイトが将悟に集まったらしいが、時々親族の集まりに呼ばれていびられる程度なので実害はない。面の皮の厚さなら人類屈指だし。
更なる未来ネタを投下すると思春期に入った娘に一連の経緯を知られ、蛇蝎の如く嫌われた。図太さに定評のある魔王もこれには堪えたらしい。ザマァ、と委員会構成員の心が一つになったらしいが残当だった。
護堂との抗争
あと護堂を擁護しておくと、彼が怒ったのは将悟が静花に手を出したことでも二股をかけたことでもない。少なくともその点において自分が怒る資格がないのは自覚している。
怒ったのは静花のお腹の中にいる子供の父親が不明かつ”認知されていない”状況で、妹を見舞いに来たタイミングで折あしく父親の正体を知ったから。
ひとの妹に手を出すならばきっちり責任とれと迫り、うるせえそれができるならやっとるわとこじれて戦争(物理)になった。
逆に将悟の視点から言い訳すると普通に認知する気はあったし、嫁にも子供が出来た時点で打ち明けていた。ただ当の静花がそれを受け入れなかった。これは静花が元々独立独歩の気性であり、また自分から浮気に誘ったという負い目があったため。
二人がもうちょっと理性的なら抗争は起きなかった。逆に言うと二人の間に積み重なった悪感情がこの一件を火種に燃え上がって、ついでに東京も物理的に熱く燃え上がった。
余談
この数年後、恵那・裕理・静花というママさん連合()が結成される。誰も予想していなかったが
なお他の馨や甘粕、エリカやリリアナと言った面子は各陣営の屋台骨として活躍しているので権力はこっちの方が上。代わりにママさん連合()の権威が天元突破状態なだけ。
なお更に数年後、この暫定呼称:
あとがき
某作品に影響されて初めて未来ネタ書いてみたが結構楽しかったです(小並感)
アレだな、本編に関係ないからって本気でどうでもいいところまで設定作ってブチ撒けるのがなんとも楽しい。無責任に妄想するだけ妄想してそれを晒す。露出狂の喜びとはこういうものなのかもしれない(真顔)。
これで味を占めたら話の末尾辺りで小ネタ作ってやるかもしれないが、めんどくさくなってやらないかもしれない。
以上、自分の怠惰癖を隠さなくなった作者からでした。
PS
アナザー・ビギンズ、たくさんの評価と感想ありがとうございました。
評価もオレンジから赤にかわりましたし、大感謝であります。
話は変わりますが原作も完結秒読みになったせいか色々自重を投げ捨て始めましたね、ランスロットとか。
流石にパワーバランス的に考えてどうかなーと思ってお蔵入りにしてたアイデアがここに来て息を吹き返し始めました。
まつろわぬ女神・ハクジョウシ、再登場するかもです。
もちろん全くそのまま完全復活というわけにはいかないですが。
原作のくだりと絡めてのヒント:将悟が簒奪予定の権能に
20161104追記
活動報告にアナザー・ビギンズで登場した半身を捥ぎ取られた鍛冶神ヘファイストスに関するヒントを載せました。
お時間のある方はちょっと眺めて頭を捻っては如何でしょう?