サマセット州キャドバリー城跡地付近の民家にて。
賢人議会による封鎖が完了し、人気の全くない周辺一帯から適当な民家をチョイス。アリスと恵那を連れた将悟はそこを住民に無断で拠点として利用していた。
これまた無断で拝借したマグカップにミネラルウォーターを注ぎ、机を囲む三人の顔は暗い…と言う程ではないが手詰まり感がある。
無理もない。結果だけ言えば将悟は
「ぶっちゃけ、倒すのは問題ない。問題は倒したあとだ」
「首魁を討とうが、丸ごと全部消滅させようが平気で復活してきましたからね…」
「もうどうやって始末を付ければいいか分かんないね」
途方に暮れたと表現するには危機感が足りない。戦力的にはカンピオーネを擁する将悟が圧倒的に勝っているのだが、対する
ピンポイントで
将悟の権能がこうした力押しに向かないこともあって呪力の消耗も早い。根競べをすれば下手をすればこちらの方が先に値を上げる可能性もあった。そのためこれからまつろわぬ神とでも一戦交えられる程度の余力を残して適当なところで離脱し、現在に至るという訳だ。
「結果だけ言えば藪の蛇を突いただけになってしまいましたね…」
「あいつらがお城の近くから離れないのは幸いだけど、それがいつまで続くかも分からないしねー。おまけに空模様も悪化する一方だし」
「嵐と共に来たる死霊の群勢…。まあジジイみたいに自由に雷を落とす真似は出来ないだろうが」
「普通の嵐でも十分天災の範疇に入りますよ。比較対象がヴォバン侯爵という時点で間違っています」
まあ確かに、とズレかけていた常識を修正しつつ、建設的な議論を進めるべく発言する。
「とりあえず手持ちのカードじゃ通用しそうなのは一つだけだな。あるいは例の光る石をなんとかする方法もあるが…」
「なんとかなりますか?」
「正直手が思いつかん。アレ、奴らのどこかにあるのは確からしいがピンポイントでどこにあるかを探って奪い取るとなるとちょっと難しいな」
「じゃあ王様が全部ふっ飛ばしてから恵那が―――」
「却下。体調不良の病人に任せる戦場はありません。いまは万が一のリカバリーも効かねーんだぞ」
体調不良の病人のあたりでアリスがえっ? という顔になるが黙殺。どれだけ元気に見えようが恵那の身体の芯に残った疲労はまだ抜けていない。そんな状況で大役を任せるには不安が大きい。安全上でも、戦術的にもだ。
途端にぷくーっと頬を膨らませる恵那を無視してアリスの方に向き直る。
「逆に聞きたいんだが、アレ、あの光る石。賢人議会はなにか心当たりがないのか?」
「さて…いま本部に連絡してこの辺りの伝承や過去に起こった事件を浚っていますがあまり期待するのは酷ですね」
「まあ、分かったところでどうしようもないことの方が世の中多いしな」
と、過度の期待はしないと伝えつつ、話を進めていく。
「となれば…やはり『智慧の剣』しかありませんか」
「だが知っての通りアレを使うには対象となる神格の知識が必要になるんだが」
「そこですね。“仮称”ワイルドハントの正体…これは中々難しい謎解きとなりそうです」
「へぇ…姫さんでも、か?」
二人のやり取りに密かに恵那がそわそわとし始めたのだが、知ってか知らずか完全にスルー。事務的にやり取りを進めていく。
「ワイルドハント…別名はガンドライドにメニー・エルカン、あるいはペナンダンティ。細かくあげればきりがありません。そうした欧州各地で無数の伝承と無数の名前を持つ『夜間に空中飛行する集団』は枚挙に暇がありません。いえ、それどころかユーラシア大陸全土にすら…。それだけ古く、かつ各地に伝播した伝承ですから細かいバリエーションは無数にありますし、幾つもの神話的要素が混在しています。はっきり言えばこの伝承のルーツがどの地域のどの神話に当たるのかすら定かではないんです」
幾つか候補程度なら挙げられますが、と捕捉しつつ。
「加えてあの光る石との関係も気になるところですね」
「大方どこぞの神具か、竜骨あたりなんだろうが…」
「いえ…。如何に神具、天使の骸の類とは言えあの復活劇は少々異常過ぎるように思えます」
「奴らのアレ以上の隠し玉があると?」
不吉な予想に顔を顰める将悟にどこか思案気な様子で口元に手を当てるアリス。テンポのいい会話に恵那が疎外感を感じとってむくれるのを他所に、二人のやり取りは続いていく。
「というよりも
「ああ。豊饒、それに大地にまつわる呪力…確かワイルドハントは…」
「冥府から現世へと上ってきた死霊の集団。つまりは冥府の眷属です。本来冥府神辺りの呪力と最も相性が良いはずですが―――」
「何故か奴らを回復させたのは“豊饒と大地”の呪力…。まあ、昔から生と死、大地と冥府、豊饒と不毛はコインの裏表で語られる関係だ。どっかで繋がっててもおかしくはない、が」
「考察を進める上での手がかり、彼らを討つ“剣”を研ぎあげる一助となるでしょう。頭の隅に留めておいて損はありません」
恐らくはこの謎、冥府の眷属であるワイルドハントと大地の精気との関係性が解ければ奴らを切り裂く『剣』を手に入れることが出来るはずだ。
「改めてワイルドハントにまつわる要素を整理していきましょう。あるいはその中にヒントがあるかもしれません」
「了解。正直俺も大して詳しいわけじゃないしな。頼むぜ、先生」
「魔王陛下がそうも言われるならば精一杯勤めましょう」
どこか悪戯っぽい笑顔を浮かべてのやり取り。打てば響くと称するに相応しいやりとりに恵那の頬がますますぷくーっと膨らんでいくが興の乗った魔王はこれを見過ごしてしまう。もう片方のプリンセスは見逃すことは無かったが、例によって意外とゴシップ好きかつ野次馬根性に溢れた精神性の持ち主のため敢えてこれをスルーする。
「一般的にワイルドハントは冥府から地上に彷徨い出た死霊の集団です。幾らでも例外はありますが概ね特定の時期にのみ目撃されるという伝承が付随することが多いですね。北欧では
と続ける
「また彼らを目撃した者はユーモアを試され、成功すれば黄金を。失敗すれば魂を捕えられ、永遠に猟団の一員に加えられるとも。あるいはただ単に目撃したものを不幸にするとか、大きな戦乱や疫病など不吉な事象を呼び込むという伝承もあります」
災厄の前触れという点ではケルト系の
「特に主宰者の来歴は本当に多種多様ですよ。ここグレートブリテン島ではアーサー王が著名ですが、それ以外にも妖精王に化かされ、永遠に地上に降り立つことを禁じられたヘルラ王…ああ、彼の伝承は日本の浦島説話に似た
肩をすくめ、これ以上続けますかと目で問いかけられる。将悟はうんざりとばかりに溜息を吐き、愚痴を吐いた。
「すげーな。要素を整理しようとしたはずなのにどんどん枝葉が広がっていくぞ」
「それだけ広範に、かつ多様な類型を以て語られてきた伝承なんですよ」
と、ここで思い出したように。
「ああ、そういえば日本の百鬼夜行も類例として挙げられる程度には伝承の骨子を共有していますね」
「言われてみればそうかも。夜も更けた宵に百鬼百霊が練り歩き、出遭った不運な人間は命を失う。暦に百鬼夜行日なんてものが記される程度には広く周知されていたしね。日本だと仏教信仰の影響で大体神仏に祈ってればなんとかなるけど」
東洋圏以外の神話伝承には明るくないため今まで黙っていた恵那が確かにとばかりに頷き、蘊蓄を披露してくる。流石の賢人議会元議長も極東の伝承にまではカバーしきれていないのか、口を挟むことなく興味深げに拝聴していた。
「あと群体じゃあなくて単独だけど阿波の夜行さんっていう妖怪もいるよ。首のない馬にまたがって忌み日の深夜に徘徊し、遭遇した人を馬で蹴飛ばしたり投げ飛ばしたりする奴。地方によっては首なし馬そのものが夜行さんって呼ばれたりもする」
「首のない馬…アイルランドの首なし騎士デュラハンを思い出しますね。流石は日本列島、ユーラシア大陸を伝播する文化・信仰の吹き溜まりなだけはあります」
困ったように言う巫女姫にげんなりとした表情を返す。
「ともあれ枝葉末節まで語れば本当に時間がいくらあっても足りません。何とかしてあのワイルドハントの正体、あるいは豊饒の属性との関わりを突き止めなければ…」
「つっても、なあ? いまのところあいつは話に聞いていた一般的なワイルドハントの範囲から洩れないように見えたんだ、が―――」
瞬間、将悟の視線が突如茫洋としたものになる。
世界屈指の霊的感性を通じて霊視が降りてきたのだ。
だが普段と違い、降りてきたのはごく僅かなものだった。あるいはワイルドハントの正体を探ろうという雑念が邪魔をしたのかもしれない。
「―――へロディア」
唐突に零れ落ちたのは聞きなれぬ神名。
いや、浮かんできた名前はへロディアだけではない。ホルダ、アルテミス、ディアナ、オリエント婦人…無数の“女神”の神名が泡粒のように浮かび上がって消えていく。しかも揃いも揃って大地母神の名前ばかりだ。
「霊視ですか?」
「ああ、名前だけだが…」
「十分ですよ。貴方はお忘れかもしれませんが霊視とは元来そういうものです」
霊視の的中率が9割以上というおそらく人類史上随一であろう霊的感性の持ち主に告げる。将悟や万理谷裕理などの例外を除き、普通霊視の的中率は1割ほどなのだ。
「へロディア…女神の名前か?」
「いえ、新約聖書に登場する国主ヘロデの后です。ヘロデヤ、へロディアスと呼ばれることもありますが…」
「ワイルドハントとの関連がいまいち不明だな」
「そうですね…いえ、待ってください。確か―――」
へロディアとワイルドハント。この二つの単語を掛け合わせて考えると、何か思い当たる節があるような…。あれは、そう、最高位の巫女にして魔女であるアリスとも関わり深い分野だ。中世初期、ウィッチクラフトに関して記述された文献…中世ならばむしろ教会の手によって記述された書籍の方が多い。古の魔術の継承者である魔女たちを憎み、絶滅させんと血道を上げてきた彼らの手によって。皮肉なことにそれらの文献こそが後のオカルト文化の流行、その種本になったりするのだが…
「司教法令集…ガンドライド。そう…
ぐるぐると連想と推測がアリスの脳内を駆け巡る。発想力、推理力と言う点でアレクサンドル・ガスコインには及ばないが、逆に隠秘学の知識量や密かに語り継がれてきた魔女の智慧と言う点ではアリスが一歩勝る。
「―――……!」
ワイルドハントという総体で見ればあまりにも多種多様な要素を含む民間伝承、その中から的確に今回顕現した猟団に関わるキーワードを拾っていき、一つの絵図へとつなげていく。
「分かりました」
「……おお?」
「霊視の導きではないので断言はできませんが…恐らく間違いないでしょう。仮称ワイルドハントの正体、へロディアの名が暗示する大地の精気との関わり、汎ユーラシア的に伝播した『夜間に空中を飛翔する集団』―――そのルーツ」
少なくともその一つでしょうといわくありげに断言する。
「何でもいい。鬱陶しい小蝿をさっさと潰しにいくとするか」
腰かけていた椅子からゆっくりと立ち上がる。
無双の利剣を研ぎあげる知識を手にした将悟はようやく反撃だとばかりに好戦的な笑みを浮かべ、付き従う二人の巫女もそれぞれ不敵な気配を纏った。
なお余談として。
「…………それで、どうやってお姫様から王様に知識を伝えるの?」
良く知られている話だがカンピオーネに魔術を掛けるには経口摂取、つまり霊薬の経口投与やキスなど手段が限られる。特に教授の魔術はほぼキスでしか掛けることが出来ない。
この場合はアリスが、将悟にキスをするということになる。
そういった含みをたっぷり込めた沈黙を挟み、恵那が問いかけると満面の笑みを浮かべたアリスが、
「そうですね。無論私も淑女として恋人ではない殿方に唇を許すのは忸怩たるものがあります。しかし今は危急の時、暴虐無尽な魔王様から命じられれば高貴なるものの義務から逃げたりは―――」
などとのたまう。
「お姫さんが恵那に術を掛けて、恵那が俺に術を掛ける。それで万事解決だな」
全力でからかう気満々な巫女姫に呆れた視線を向けながら、ばっさりと断ち切った。
あっ、と意表を突かれた表情で声を漏らす恵那。
経口摂取を通じてしか術を賭けられないのはカンピオーネのみ。恵那とアリスが教授の術を賭ける場合そうした制限は特にないのだから。
そんな一幕を挟みながらも漸う反撃の狼煙が上がろうとしていた。
設題編、みたいな。
なお今話に於ける解説はほんと解説以上の意味は無い。よってこれらの情報から読み解こうと思っても読み解けないのである。発想よりも知識量が物を言う。推理小説としてはダメダメだがカンピオーネは推理小説でもなんでもないので是非もないよね。
Q.ワイルドハントを含む、ユーラシア各地(特に欧州)で確認される『夜間の空中飛行集団』と大地母神との関わりを説明せよ。
自分で出しておいてなんだが、読者の中にカルロ・ギンズブルグ著『闇の歴史』とか金光 仁三郎著『大地の神話―ユーラシアの伝承』とか読んでるような人いるかなぁ。