カンピオーネ!~智慧の王~   作:土ノ子

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念のため注意。
本作品は原作とは異なる平行世界的な歴史を辿っています。したがって原作で起きなかったはずのことが起こり、起きたはずのことが起こっていないかもしれません。英国争乱編は前者です。



英国会談 ②

 

 

《アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール》

 

最大級の誘惑と警戒。

この二つが聡明で知られるアリスの頭脳をフリーズさせた原因だった。

 

誘惑とは言うまでも無くいましがた『王』から切り出された共同研究の提案。正直、今すぐうんと頷いてしまいたい。元々アリスはどちらかというと平穏よりも刺激を求める性質である。ゆえに現状の、己の健康上の問題から来る骨を腐らせるような退屈を激しく厭うていた。

 

とにかくもっと自由に動き回りたい、というのがアリスの偽らざる本音だ。だからアリスの体調を心配して(あるいは不行状を咎めて)、幽体分離での行動を制限するミス・エリクソンらの存在はありがたくも鬱陶しかった。

 

そんな現状を変えうる提案を持ちかけられた。己の健康問題が解決すれば少なくとも今よりはずっと自由に出歩けるようになるはずだ。なにも神やカンピオーネの巻き起こす騒動に首を突っ込むだけではなく、ショッピングやデートなどごく普通の女性が経験する諸々を楽しんでもいいだろう(デートについて思い浮かべた時隣にいたのは何故か仏頂面の王子サマだったが)。

 

「…確認ですが、具体的にはどのような研究を?」

「バッテリー代わりの太陽の神力を貯め込む“器”の研究、出力調整による効率化を狙った術式の開発。その他面白そうなアイディア募集中」

 

とにかくこの提案にはアリス・ルイーズ・オブ・ナヴァールという一人の人間の可能性、羞恥心を捨てて言えば“未来の希望”とでもいうべきものが詰まっているのだ。アリス個人のことだけを考えるなら、断ることなどあり得ない。

 

「思ったよりまともそうな内容ですね…しかし権能に魔術を組み込むなど、可能なのですか?」

「別に深い部分で融合させる訳じゃない。“器”から供給する量の調整や魔法陣を彫ってその内部だけに効率よく供給するとか、上辺の部分に利用するんだ」

 

加えて賢人議会としてもかなりうま味がある。赤坂将悟という『王』と“傘下に入ることなく”更に親密な縁を繋ぐことが出来るというのは大きなメリットだ。『王』との対等な立場での同盟に加え、アリスが議長に返り咲けるほどに体調が改善したとすれば、巫女姫への崇敬は一層高まり、賢人議会の有する影響力はかつてないものになるだろう。

 

少々都合の良すぎる未来だが、決してありえないとは言い切れない。まとめて言うならばこの提案には賢人議会へのデメリットはほぼ見られず、逆にメリットは大きい。思わず飛び付きたくなるような美味い話だった。

 

「…正直、魅力的な提案ですね。魅力的過ぎるくらいに」

「その割に含みがありそうだなァ…それと正史編纂委員会とは既に協力してくれるってことで話が付いている。もし賢人議会が了承すれば甘粕さんを交えて大まかな条件交渉に移る予定だから」

 

しかし、とアリスの理性は最大級の誘惑と綱引きできるだけの警戒警報を鳴らしていた。即ちこの提案には間違いなくおかしいと。

 

アリスが知る赤坂将悟というカンピオーネは、良くも悪くも考え過ぎることが無い。そこそこ頭は回るから戦略戦術は立てて動くし、交渉や談合を持ちかければ一先ず応じる程度には理性的だ。しかし最後に頼るのは己の内なる智慧、野生の感性がもたらす直感。脈絡を無視して真実を射抜く理不尽な能力の持ち主だが一方でかなり大雑把で詰めが甘く、最終的には力技で帳尻を合わせることも多い。

 

だからアレクサンドル・ガスコインを相手にする時の様に、協定の隙を突かれて足元をひっくり返されるような真似はひとまず警戒しなくても良い。

 

「断っておきますが、私は役職の一切から身を引いた立場です。今の指導部に諮ることは出来ても、賢人議会の意思決定に関わることはありませんよ」

「姫さんの了承を得ておいた方が色々早いだろ。大雑把な方向性だけでも示しておいた方が後で細かい点を詰めるのもやりやすい」

 

が、それは赤坂将悟を無条件に信用していいという訳では絶対にない。

 

基本的に話は通じるし、こちらの要望もよほどのことがなければ受け入れてくれる度量も持つ。だが自分の興味や命の危機などの要素がある一線を超えると途端に自重と言う言葉を捨てて好き勝手に動き出すのだ。その際の傍迷惑っぷりは他のカンピオーネと比べて全く遜色がない。

 

そうした人物が切り出した提案は、あまりに美味過ぎた。アリスと賢人議会にとって都合がよすぎる、と言い換えてもいいほどに。

 

…そもそも何故目標が“アリスの恢復”なのだろう?

 

かの王の性格上まず“自分がやりたい”研究をやりたいように行うはずだ、賢人議会側にはアリスの恢復のヒントがあると伝えて参加するならどうぞご自由に、と突き放すだろう。そもそもただ『研究』が目的なら日本の正史編纂委員会を使えばいいではないか。

 

仮にこの提案を受け入れ、共同研究が始まったとしよう。カンピオーネの権能の研究など未知の分野である、したがって期間はかなり長期間に渡る。少なくとも完了の目処がつくまで年単位でかかるだろう。それだけの時間を使っても成果はアリスの恢復だけ? 研究・実験に興味を持ち、好んでいるにしても明らかに度が過ぎている。費用対効果が釣り合っているように思えない。

 

一方で正史編纂委員会が参加するのは分かるのだ。単純に赤坂将悟との繋がりをアピールする、これ自体が大きなメリットだしそもそも参加しない選択肢がない。最も距離が近いと目されている委員会を無視して賢人議会と組まれては周囲に与える影響力の低下は避けられない。

 

やはり読めないのは赤坂将悟の思惑だ。はたしてここまで譲歩する意味があるというのか…? 

 

目の前で能天気そうに笑う王からは正直如何なる意図があるのかさっぱり読み取れない。陰に籠った企みはまずない、だがなにか話していないことがある。これもまず間違いない。

 

腑に落ちない違和感、アリスを押し留めているのはそれだ。

 

しかしそれがなにか、となると聡明なアリスの頭脳を以てしても掴めない。流石カンピオーネ、意図してないだろうにこちらを振り回してくれる。少しの間、思考に没頭するがやはり手掛かりの切れ端も掴めなかった。

 

(…と、なれば。直接聞くほかありませんか)

 

これでアレクサンドル・ガスコインが相手なら腹の探り合いを続けるところだが、赤坂将悟ならばストレートに問い質した方がよほど早い。良くも悪くも腹芸が出来ない少年なのだ。

 

「―――少し、お伺いしたいことがあります」

「どうぞ。知らないことと教えられないこと以外なら答えるぞ」

 

力を込めて眼光を向けても、ごく自然体で受け流されてしまう。なんというかやりづらい。噛みあわないとでも言うのか。交渉に臨む真剣味が二人の間で乖離しているような…。

 

「そもそもこの共同研究、これによって貴方が受け取る利益は何ですか?」

 

何とも言えない違和感を振り払って切り込むアリス。仮にも魔王との取り決めだ、不鮮明な点は出来るだけ質しておかねばならない。

 

「私たち賢人議会にとって都合が良すぎる提案です。正直に言って、少々疑心暗鬼になっています」

「…利益、ねぇ」

 

困ったように頬を書く。図星を突かれた、というよりどう答えれば相手が満足するのか分からない、といった風情だ。やはりアリスが期待していた反応ではない。

 

「賢人議会の蓄えた知識、秘術。こいつらが喉から手が出るほど欲しい。俺個人の考えとしては本当に、それだけだ」

「いえ、ですから―――」

 

重ねて問いを続けようとして違う、と何となく感じた。

この問いかけでは適切ではない。問いただすべきは彼の思惑ではない。そんな思いつきを。

 

「…質問の仕方を変えます。何故ここまで譲歩して、賢人議会を引き込もうとするのですか?」 

 

そう、問いただすべきは何がここまで譲歩するほどに彼を追い詰めたのか…だ。

 

「喉から手が出るほど、と言いましたね。一体何が貴方をそこまで譲歩させたのですか? 貴方は……一体何をそんなに焦っている(・・・・・)のですか?」

 

霊視に似た直感の導きに助けられたアリスからの鋭い質問に、自然体に座っていた将悟の雰囲気に初めて揺らぐ。聞かれたくないところを突かれた、そんな気配だ。相変わらずポーカーフェイスが苦手なご仁だった。

 

「……もう一つ、なんとなく気になることがあります。貴方が今まで積み重ねてきた一連の研究、もしやこれも繋がっているのではありませんか?」

 

そして巫女の直感に助けられてさらに深く、間合いを詰めるように切り込んだ。

姫から詰め寄られ、困ったように顔を顰める王様が一人。周りを見渡しても当然の如く味方などいないわけで…。あー、と気が抜けたような声をもらしながら天を仰ぐ将悟。やがて別に隠していたわけじゃないし、と負け惜しみを漏らしながら口を開く。

 

ポツリ、と。

 

「―――“鋼殺し”」

 

こいつを創り上げるためだ……そう、告げた。

しかしその場にいた者たちはその不吉な響きを耳にして嫌な予感を覚えながらも、即座に意味はつかめず、問いかけるような視線を向けるしかない。

 

将悟も腹をくくったか自棄になったか、それとも本当に隠していた訳ではなかったのかさきほどの一言を皮切りに今回の提案の裏に潜んだ己が目的について順を追って語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういうことでしたか…」

 

一連の話を聞き終え、得心したようにアリスはそう漏らした。

 

「研究目的に私の健康を据えたのは賢人議会を引き込むため。研究成果は貴方の目的に十分に応用可能と見込めた上に早急に成果を求めたからこそあそこまで譲歩した案でも構わなかった」

 

確かに私の健康に繋がると知らされれば現場の方たちも奮起されるかもしれませんし、とさらに続ける。将悟が暴露した、ある意味世界で最も“事情通”な巫女姫さえ驚愕させた思惑の詳細を一通り問い質し、納得がいきましたと頷くアリス。全ての違和感がほどけ、理解となって胸中に宿る。

 

「つまり今まで貴方が重ねた研究の全てが制御不可能な第二の権能を掌握―――いえ、利用するための下積みだったというわけですね」

 

破滅へ至る災厄(カタストロフ・イン・ザ・ディザスタ)】の名でレポートを纏めたアレを。そう、強い畏怖を瞳に浮かべたアリスが確認するように問いかける。

 

「かつて一度だけ使用した挙句の大惨事。まともにON/OFFの切り替えができないばかりか権能の所有者である貴方にすら牙を剥いた諸刃の剣。火山神スルトから簒奪したけして飼い馴らせぬ荒ぶる自然の猛威、制御不可能な世界を滅ぼす権能(・・・・・・・・)

 

謡うように韻を踏みながら流暢に語るアリス。やはりその響きには強い畏怖、そして呆れの成分も混じっていた。無理もないと思う、将悟とて馬鹿なことをしているという自覚があるのだ。

 

「まだ諦めていなかったとは驚きです。使い道など自爆して相打ちに持ち込むのが精々でしょう、アレは?」

「ああ。しかもタチが悪いのは“既に掌握済み”だってところだ。現状じゃアレをいま以上に上手く制御する余地がない」

 

だから外部から制御装置を作って取り付けることにした、と後を続ける巫女姫。まさしくその通り、今回持ちかけた魔術と権能の研究もその一環だ。

 

「まったく。既に神殺しの位を得たというのに更に“力”を得て貴方は一体何を為すつもりなんですか」

 

これだからカンピオーネと言う愚者は手に負えない、とばかりに手を額に当ててぼやく姫。淑女らしからぬ仕草だが、お目付け役のミス・エリクソンもそれを咎める余裕はない。短時間で機密事項にあたる情報に多く触れたせいか若干顔が青くなってすらいる。甘粕に至っては聞かなければよかったと内心で絶賛後悔中だった。これで巻き込まれることは確実だ。

 

「俺と姫さん、アレク全員の懸念事項だよ。むしろそれ以外で誰が使うか、こんな物騒な権能」

 

アリスのぼやきに当然とばかりに答える。将悟にとってこれは“生存競争”の一環なのだ、その過程で多少の被害が出ようと自重するほど命を捨てていない。一方でこんな緊急事態でもなければいつ爆発するかわからない時限爆弾じみた代物を使おうとは思わない。

 

「仕方がありませんね…正直世界の平和をつつがなく守るためには断った方がいいような気もしますが、賢人議会があなたの提案を受け入れるように私が諮ってみましょう。構いませんね、ミス・エリクソン?」

「……姫様の仰るとおりに致しましょう。どの道上の方々に報告する必要があります」

 

問われたミス・エリクソンも彼女個人がどうこうできるレベルの問題ではないと考えているようだ。より上位の地位にある者たちへ判断を投げたらしい。

 

「OK、共同研究の提携成立だな」

「ええ、正式な取り決めはしばらく先になるでしょうが…。パートナーとしてこれからも共に手を携えていきましょう」

 

今回の会談で合意を取り付けたといってもそれはあくまで将悟とアリスの口約束に過ぎない。とはいえアリスは議長の地位を退いた今も賢人議会に強い影響力を持っているし、将悟も十分なメリットを提示して見せた。

 

おそらくそう遠くないうちに世界中の魔術結社に向けて赤坂将悟と賢人議会、正史編纂委員会の共同研究の声明が発信されるだろう。

 

しかし、一つの山場を越えたとはいえまだまだ会談は終わっていない。むしろこれからが本番である。共同研究にあたって取り決めるべき事柄はそれこそ山のようにあるのだ。その叩き台を今から協議していくのである。

 

とはいえかなりハードな交渉の連続で全員が多かれ少なかれ疲労している。一息つくために誰からともなく休憩が提案され、しばし弛緩した空気が流れる。そこから時計で測ったように正確に15分後、ミス・エリクソンが再開を促し、会談は今後の予定や細かな条件の協議を含めた第二段階に移った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、いくらか波乱はあったもののひとまず大まかな方向性の部分で一致し、全員が満足する内容の会談になった。特に甘粕とミス・エリクソンは共同研究の締結までほとんど口を出す暇がなかったのが嘘のように積極的に発言し、ほとんど二人でもって草案をまとめた。将悟もアリスもこうした実務的な話し合いはそれほど向いていないのだから無理もないが。

 

今日の会談はまだ序の口、これからさらに忙しくなってくるはずだがひと段落ついたせいか交渉を終えた四人の顔は明るかった。特にアリスとミス・エリクソンは新しい可能性が開けたせいだろう、二人とも滅多にないほど頻繁に笑顔を見せている。特にアリスは開き始めた大輪の薔薇のような……なんとも言えぬ華やかさがあった。

 

詰められる部分は大体詰め終わったものの、時間も余っているし特に予定もない。そのまま自然と他愛のないお喋りへと移っていく。とはいえ元々共通点などさしてない集団だから良い意味でも悪い意味で最も話題に困らない人物についての話にシフトしていく。

 

「しかし懐かしいものですね、もう少しであの事件から一年になるんですから」

「つまりは俺が姫さんやアレクと出会ってから一年ってことだからなー」

 

最も盛り上がったのは赤坂将悟が英国において巻き込まれた―――あるいは首を突っ込んだ、有名な事件。

 

「噂に聞く英国魔王争乱、ですか。当時からほとんど情報が漏れなかったせいで、今もなお詳細は謎のままの…」

「要するに暇を持て余した爺さんが暇つぶしの種を探しにこの国に来たってだけの話なんだがな?」

「大筋では間違っていませんが絶対に字面ほどのんびりした話ではありませんでしたからね?」

 

能天気と言っていいほど気楽に事件を評する王に突っ込みを入れるアリス。将悟との邂逅はただでさえ厄介事が舞い込んできた時分にピンポイントで新たな爆弾が降ってきたに等しい衝撃だったのだ。

 

「ははァ…是非差し支えのない範囲で拝聴したいものです」

「……まぁ、一年も前のことですし。赤坂さまのお付きともなれば、いずれこちらの事情に関わってくることもあるやもしれませんからね。構わないでしょう」

 

ほんの好奇心で聴いたのだが、なにか不吉なことを言われ密かに冷や汗を流す甘粕。つつく必要のない藪をつついてしまったのかもしれない、と早くも後悔しつつあった。

 

「アレは、そう……一年前の、日本で言うゴールデンウィークと呼ばれる週のことでしたね―――」

 

そんな甘粕をよそに、アリスは滑らかな口調で昔語りを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン》

 

『王』と『姫』の会談からおよそ11ヶ月ほど時は遡る。

 

とある古都の一画に建てられた由緒あるホテルの一室にて、のちに大きな騒乱を英国にもたらす原因となる謁見が行われていた。

 

謁見が行われた最高級のスイートルームは居心地の良い、快適な空間ではあるが王の住居と言うには品格も威厳も足りていない。だがこの場は紛れも無く『王』と謁見するための空間だった。サーシャ・デヤンスタール、またの名をヴォバン侯爵という怪物じみた『王』との。

 

「この度はご尊顔を拝する栄誉を与えて頂き…」

「生憎だが私は君の素性、動機、目的に一切興味はない」

 

悠々と椅子に腰かけるヴォバン侯爵は謁見が始まって早々に断じた。目の前には直接床にひざまずく黒いローブを被った小柄な人影。華奢な体つきからはおそらく、女。それもかなり小柄だ。

 

「が、君が私を満足させる“格”を有する神の居所を知っていると言うなら話は別だ」

 

黙っていれば知的な穏やかささえ漂わせる横顔を傲慢に歪めながら、抑えきれない戦いに狂った笑みを浮かべている。痩身から滲み出る不吉な迫力に黒ローブを被った小柄な人影は意識せず背筋が震えるのを感じた。猛っているのだ、古き狼王が。

 

「可及的速やかに知っている限りのことを私に伝えたまえ。功を挙げた者に褒美を授けるのはやぶさかではないが、私はせっかちでね。鈍重な輩と言えど我が従僕に加われば少しはマシになるだろうと考えることもあるのだ」

 

彼独特の笑えないユーモアを交え、いっそ穏やかといっていい平静な口調で恫喝する王。やるといえばこの老王は必ずやるだろう、少なくとも横暴に振る舞うのを自重する性格ではない。

 

「既にまとめた資料がございます。こちらをどうぞ」

 

黒ローブの人影が懐から取り出した数枚の紙束。それを素早く歩み寄り、ひったくるような強さで取りあげて素早く視線を走らせていく。やがて読み終えた老王はくっくっ、とこらえきれない笑いをかみ殺しながら獰猛に頬を釣り上げる。

 

「…なるほど、私が足を運ぶ価値がある神のようだな。が、肝心の封印された神の居場所は不明な様だが?」

「それは私も存じてはおりません。賢人議会とアレクサンドル・ガスコインが協力して幾重にも偽装を施したものを探るとなると少々…」

「荷が重い、か。まあいい、手間をかけさせられるのは不愉快だがこの知らせを届けたことを考えれば功を立てたと認めるに足りる。褒美をくれてやろう、貴様は何を望む?」

 

ヴォバンからすれば、眼前の人影とは次の一言で興味を失う程度の存在だった。有用な情報をもたらしたことは評価に値するが、小物は所詮小物。神に比べれば一欠けらも興味を覚えない。

 

「では伏してお願いいたします―――私めをどうぞ、侯の伴に御命じくださいませ」

「……ふん?」

 

ここで初めて眼前に額ずく影個人に興味を向けるヴォバン。こんな提案をしてくる者などヴォバンの長い生の中でもほとんどいなかった。己の熱狂的な心棒者、という風でもない。何が目的か、と僅かだが好奇心が刺激される。そしてもちろんこの老人は根掘り葉掘り問いただすことを躊躇う性格ではない。

 

「貴様の目的はなんだ? ヴォバンに何を求めている? 虚偽は許さぬ、今すぐに答えろ!」

 

ヴォバンの上げた怒号に応じてビリビリと衝撃が駆け抜けていく。ただ声を張り上げただけだというのに凄まじい迫力だ、伊達に300を超える齢を生きていない。だが、古き王の怒号にも女はピクリとも揺るがない。それは大地に深く根が張った大樹の安定感というよりも、実体のない幽霊を怒号が素通りしていく類の手ごたえのなさだ。

 

「『主』を復活させ、間近でその雄姿を拝見したいのです。ただそれだけが我が望みでございます」

 

少女の声には何処か夢見るような響きがあった。

ヴォバンはその答えに呵呵大笑する、己が目的のためヴォバンを利用する。そう言い切ったのだ、目の前の小娘は! こうした気概を持った者がヴォバンは嫌いではない。久方ぶりに上機嫌だったこともそれを後押しした。

 

「くはッ、私を利用するとのたまうか! 良いだろう、気に入った。私が英国へ滞在する間、貴様に伴を命じよう。だが出発は一時間後だ、遅れれば置いていく。忘れるな」

「感謝いたします、侯」

 

再び額を床にこすり付けて感謝の意を示す娘。だがその時にはすでにヴォバンの意識は来る騒乱と、それを潜り抜けた先に待つ極上の強敵に向けられていた。

 

「待っているがいい、まつろわぬアーサー。ヴォバンの名に懸けて狩り出してくれよう」

 

戦を愛する古き王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン侯爵―――出陣。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール》

 

数時間後、ハムステッドの宅にて。

 

欧州でもっとも高貴な姫君。

その尊称で欧州正派の魔術師達から敬われる才女は、手に持った一通の報告書を前に微かに眉を寄せて考え込んでいた。報告書というにはあまりに短く、乱暴に書きなぐられた文にはこう書かれている。

 

“ヴォバン侯爵、渡英の兆しあり”

 

おそらくこの文を寄こした賢人議会所属の魔術師は半ば恐慌寸前だったのだろう、筆跡は酷く乱れている。気をつけられたしの一文すら付け加える暇すら惜しんだ様子がありありと想像できる。

 

それもヴォバン侯爵にまつわる血なまぐさい逸話の数々を思えば無理もない話だ。彼の気紛れから滅んだ街すらある。ヴォバン侯爵の遠征とは下手なまつろわぬ神が襲来するよりよほど大きな災厄なのだ。

 

アリスの秀麗な美貌が憂いに染まり、まさしく病弱で可憐な姫君といった風情。だが彼女は儚げな見た目とは裏腹にとんでもなく精神的にタフで、行動力に溢れた姫君なのだ。故に彼女がこうして手紙とにらめっこをしているのは手紙の内容に衝撃を受けて呆然としているわけでは決してない。

 

待っているのだ、彼女自身は動けないが故に事態を動かせる人物を。自分が手紙を受け取ってから一時間も経っていないが勘が良く目端の聞く彼ならばそろそろ……。

 

噂をすれば影、とあるがほどなくして密室だったはずの室内に忽然と長身痩躯の人影が出現した。整った怜悧な要望に固く引き締められた口元、美男子なくせに見事なまでに愛想がない青年だった。

 

コーンウォールに拠点を構える結社『王立工廠』の総帥であり、『黒王子』の異名を持つカンピオーネ、アレクサンドル・ガスコインである。

 

両者はお互いの姿を確認すると前置きも無しにいきなり会話に入る。それは正しく阿吽の呼吸、敵としてであれ味方としてであれ長年に渡って付き合いがあった両者のみがなせる業だった。

 

「貴様の顔を見ればどうやら最初から説明する手間は省けるようだな」

「ええ、時間がありません。手早く情報を共有することにしましょう」

 

同感だ、とうなずくアレク。

 

「まず私から。ヴォバン侯爵が飛行機をチャーターしました。目的地は我らがロンドン。まだ出発していませんが一両日中には到着するでしょう」

「なるほどな…こちらに来る準備をしているのは知っていたが、時節までは読めなかったからな。これだけでもまあこちらに来た甲斐はあったか」

「アレクサンドル、人を褒める時はもっと素直に感謝を示しても罰は当たらないと思うのですが」

「抜かせ、貴様がそんなタマか」

 

あらひどい、と心外そうにつぶやくアリスだが心なしか口元はほころんでいる。いつも通りのやり取りに多少なりとも緊張は緩和したようだ。アレクはぶっきらぼうに口元をきつく結ぶ、己がいつも通りにすぎるやり取りで張りつめた気が緩んだなどというデタラメはわずかなりとも存在しないのだ!

 

「問題はあの時代遅れの愚物の目的だ」

「ええ、しかし何故英国に足を運ぼうというのか。推測はいくつか立てられますが、どれも良い予感はしませんね」

「ならもっと最悪な気分を味わわせてやろう。数時間前に部下たちから上がってきたばかりの情報だ―――グィネヴィアがあの戦狂いと接触した」

「それは…確かに最悪ですね」

「ああ、あの蛇が持つ情報の中であの知的ぶった野蛮人を英国に招き寄せるものなどそうはない」

 

まず間違いなく、

 

『まつろわぬアーサー王』

 

だな/でしょう、と二人の声が綺麗に重なる。長い付き合いの割に決して友人ではない二人だが、共有した時間の量のせいか呼吸はぴったりと合っていた。

 

五年ほど前にかの魔女王が招来した欧州で最も権威ある英雄であり、1500年の長きにわたって追い求める『最後の王』の系譜に連なる神。招来されたかの神をアレクとアリスはいくつもの犠牲を払いながらようやく封印することに成功した。以来、封印が解けないように細心の注意を払って取り扱っていたのだが流石にこの展開は予想外だった。

 

「が、あの蛇は肝心要のアーサーが封印された場所を知らん。そう考えていいだろう」

「前世から営々積み重ねてきた己の企図が失敗に終わり、半狂乱となった状態でしたからね。あの状態で冷静に事態を見詰められたと思えません。私たちも偽装工作を山ほど積み重ねたことですし」

「長く生きている割に精神的に未成熟なところがあるからな。まあ奴の話はどうでもいい、重要なのは老害がどうやって情報を引き出す腹積もりでいるかだ」

「侯爵ならば……まあ、直接ここに来る公算が高いでしょうね」

「頼んでもいないのにわざわざ旗下に迎えにな。まったく悪趣味な権能だ!」

 

悪名高き『死せる従僕の檻』。こうして敵対することになるとなお更腹立たしくなってくるらしい。黒王子はただでさえ無愛想な眉をことさら不快そうにしかめていた。

 

さておき、ひとまず意見の一致を見たところでふとアレクは訝しげな表情を浮かべる。

 

「それにしても読めんのはあの魔女の目的だ。今更暴君気取りの戦闘狂を利用してまであの王を叩き起こして奴に何の得がある?」

「そうですね…『最後の王』探索のなんらかの手がかりを得た、その確信を得るためにかの英雄神の御姿を垣間見て霊視を得ようとしているのか」

「俺もその程度しか思い浮かばんが……現段階では検証不可能な疑問だな」

「ですね。頭の片隅に留めておくことにしましょう」

 

時間は限られている、答えの出しようのない疑問に頭を働かせ続ける愚を二人は犯さなかった。

 

「今回の件、俺たちの利害は重なるはずだ」

「ええ、同感です」

「同盟を組むぞ。渋る老害どもがいるようなら説得しろ」

「我々にとってかの老王はトラウマに等しいですからね。まあなんとかなるでしょう」

 

若き日のヴォバン侯爵が大英帝国に一時居を構えており、その暴虐に対抗する形で賢人議会が発展していき今に続いている逸話はあまりにも有名な話だ。

 

「時間がないな。急げよ」

「貴方に言われるまでもありませんよ、アレクサンドル」

 

その後も手早く打ち合わせを終えるとそれ以上長居する状況でも間柄でもない。アレクは速やかに立ち去ろうと神速の権能をオンにし、バチバチと火花を弾かせる。

 

「では行く―――ああ待て、もう一つやることがあった。あの男に連絡を…」

「心配ご無用。既に『投函』の魔術を使って要請を出してあります。問題は救援に駆けつけてくれるかですね、彼は既に結社の重鎮。そう簡単には…」

 

難しいだろうと悲観的な予測を語るアリスに対して馬鹿馬鹿しいとアレクは一蹴した。

 

「ふん、何を心配していると思えばそんなことか。来るだろうさ、必ず。何故なら―――」

 

奴は“騎士”だからな、と呟き今度こそ神速の権能で稲妻となって消え去った。残されたアリスは珍しく非論理的な確信を持って断言したアレクと“彼”の間柄を思い、不思議な心地になる。

 

「時に刃を交え、時に刃の向きを合わせる。殿方の結びつきというのはどうも分かりませんね」

 

やれやれ、と頭を振るがアレクサンドル・ガスコインの人を見る目はなかなか確かだ。特に“女”が絡まない時は。アリスもまた“彼”が来ることを前提に予定を立て、一刻も早く準備を済ませなければならない。さしあたってはミス・エリクソンを呼び出さなければ…。

 

やるべきことは山ほどもある、一刻も無駄に出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《???》

 

“彼”はつい先ほど『投函』の魔術で己に宛てて送られた一通の救援要請を手に、それはそれは深いため息を吐いていた。まったく、あの自分勝手な男と食わせ物の姫君はとことんこちらを振り回してくれる!

 

今から十年ほど前、己の技量への自負と向う見ずな蛮勇を胸に英国に渡り巻き込まれた数々の災厄に等しい災難。時にあの男の腹心と剣を合わせ、時に神に付け狙われるあの男の身代わりとなって紙一重で死線を潜り抜けてきた。

 

彼が優れた騎士であったことはもちろんだが幸運にもかなり助けられてその全てをなんとか切り抜け、その功績を持って彼は『紅き悪魔』の称号を得た。その後もかなりの頻度で起きた騒動に自ら赴き、あるいは巻き込まれて武勲を立て続けてきた。

 

とはいえ最近は結社の重鎮として最前線で剣を振るうことも少なくなり、願わくばこのままあの傍迷惑な『王子』や『姫』との付き合いはフェードアウトしてしまいたいとすら思っていたのだが…。

 

ここに来て、数年来起こらなかった大騒動の火種となる知らせがあの姫君から送り届けられた。ヴォバン侯爵、渡英の兆しあり。そしてコーンウォールに拠点を持つ黒王子の存在。挙句の果てに詳細は伏せてあるが英国に封印された神の存在を示唆した一文。これで争いが起きないわけも無い。

 

正直に言ってしまえば無視を決め込みたい。そしてその決断を為したとしても彼を責めるものは誰もいないだろう―――されど彼は行かねばならない。

 

何故、と問いかければ返す答えは一つしかない。

 

―――“騎士”であるが故に。

 

義を貫くために、彼は往かねばならないのだ。彼が若き頃胸に抱いた騎士道は己の義務から背を向けることを決して許しはしないのだから!!

 

「やれやれ、まずは総帥に許可を取らねばならないか」

 

これが紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)として最後の仕事になればいいのだがな、と難儀な性格をした彼は密かに呟いた。それくらいぼやいても神は許されるだろう。

 

ダヴィデ像のごとき雄偉な体躯に彫りの深い整った面立ちを乗せ、磨き抜かれた武勇を振るう。欧州でも数少ない『聖騎士』の位にある“彼”は久方ぶりに愛用の騎士剣を取り出した。

 

無造作に一太刀剣を振るう、されど何も起こらない。空気すら一分子も揺らがない、極限まで無駄をなくし絞り込まれた奇跡の剣技。鈍っていないことを確認し、愛剣を腰に佩いた。

 

向かうは英国、食い止めるは老王の暴虐。

 

“イタリア最高の騎士”パオロ・ブランデッリ、参戦。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《赤坂将悟》

 

そして、舞台で踊る役者の最後の一人。

備え付けの電話を片手に、何者かと通話をしている一人の少年。それ自体は全く問題ではない、問題なのは彼の素性と通話の内容だった。

 

「母さんか、久しぶり。四月に海外に転勤して以来だからひと月くらいか…ああ、大丈夫。こっちは何とかやってる、父さんにも言っておいて。それでわざわざ何の用……は?」

 

「イギリスの観光ツアー、四泊五日でゴールデンウィークぴったりの日程? いま海外だろ、どうやって手に入れたんだそんなの?」

 

「…偶然? どんどけ無駄な幸運だよ……なに? 一人分だから父さんの分も買って二人で行くつもりだったけど急に予定が入ったから、俺にくれると。いや、暇だけどさ」

 

「ああ、はいはい。ありがたく頂きマス。ぼっちで観光ってのも結構クるんだけどなァ…」

 

まああっちでツレを作ればいいか、と一人ごちる少年の名前は赤坂将悟。

未だ世に知られぬ神殺しの一人であり、後に『智慧の王』の称号であらゆる魔術師から畏怖を向けられることになる若き魔導の王であった。

 

 

 

 




交渉ってむつかしい……。明らかにバトルより筆の進みが遅かったです。
なにか違和感がありましたら是非教えてください。出来る限り修正します。

それと後書きを書いていたのですが冗長なので活動報告の方へ上げることにしました。これからはそちらの方に上げることにします。よろしければご覧ください。

最後にアンケートですが黒王子と狼王のバトル、これ需要あるでしょうか?
正直キンクリさんに出動していただいた方が展開速いんです。書かなくても展開上それほど問題ないんですが、需要あるなら書こうと思います。感想の際に一言付け加えてくれるとありがたいです。

それでは次もよろしければ読んでやってください

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