迷宮都市メルラルズ。
中原大陸の西域に位置するこの風変わりな都市には毎年多くの冒険者が訪れる。彼らの目的は決まっている。メルラルズの地下に広がる古代遺跡である。修行、トレジャーハント、モンスターの研究などなど……古代遺跡の利用価値はとても高い。毎年、百人単位で冒険者たちがメルラルズの地下に潜っていくものの、街の公式な記録によれば、未だに最深部まで到達したものは一人もいないらしい。
いきなり長々と説明したことには、もちろん理由がある。
俺とエスメラルダは今、メルラルズの地下迷宮の第二階層と第三階層の間にある〈土蜘蛛の国〉に滞在していた。
この土蜘蛛の国について、詳しいことは誰も知らない。
いつから存在していて、どういう歴史を辿ってきたのか……
土蜘蛛たち本人を除けば一番詳しい俺でも分からないことが多すぎる。
新婚夫婦が暮らすための家にブチ込まれた俺たちは土蜘蛛用に作られた小さなテーブルで向かい合って緑茶だか何だか分からない緑色の液体を飲んでいた。エスメラルダは恐る恐るティーカップに口を付けてから、苦い表情を浮かべた。
「何ですか、これは?」
「蜘蛛爺の孫娘が作っているお茶だそうだ」
そう言って俺はグイッと緑色の液体を飲み干した。
口の中にぴりぴりとした刺激的な味――というか感触と土の臭いが広がった。
「よく飲めますね。私は遠慮しておきます」
「不死鳥の口には合わなかったか」
「きっと平気な顔で飲める種族のほうが少数派だと思いますよ」
ティーカップをテーブルに戻してから、エスメラルダはこほんと小さく籍をした。
ちなみに、今彼女が身に付けているシルクのような純白のレースのドレスは、土蜘蛛の国の伝統的な花嫁衣装だそうだ。エスメラルダは着用を断ろうとしたが、分からず屋な蜘蛛爺たちに押されて結局着ることになった。
赤色の長髪に白い衣装はちょっと似合っていないが、これはこれで新鮮で面白いし、不死鳥の化ける外面はかなりの上玉だから何を着てもそれなりに見栄えが良い。たぶん、本人もそのことが分かっているから、こうして室内でもドレスを着たまま過ごしているのだろう。
そんなことを考えていたら、正面で溜息を吐かれた。
「……分かってます。今のあなたに期待する私のほうが馬鹿なんです……」
「はぁ? 何の話だ?」
「何でもありません。気にしないでください」
そう言われると逆に少し気にもなる。
正直に質問しようとしたらエスメラルダに睨まれた。相手を怒らせてまで聞き出すほどの興味もなかったので、俺は大人しく引き下がった。
「それより、アングーストはずいぶんとこの国に詳しいみたいですね」
「ああ。何年かここで暮らしたからな」
「この国に、ですか?」
エスメラルダが驚いた声を上げた。
「以前、あなたは物心ついたときから遺跡で生活していたと仰いましたよ?」
「ここも立派な遺跡の中だろ? まあ、地図には載ってないがな。家族が散り散りになって、何とかメルラルズの地下に潜り込んで、あれこれ探索しまくっているうちに、ここに出ちまったのさ」
「……よく彼らに馴染めましたね」
「非力なガキにとって、危害を加えてくる連中がいないってだけで楽園だったさ」
「そうでしたか……」
エスメラルダは長いまつ毛を合わせて物憂げに俯いた。
俺としては暗い話をしていたつもりはなかった。むしろそこそこ明るい話題だったと思っていた。土蜘蛛の国は、ガキの頃の俺にとっては楽園だった。基本的な読み書きはまだ親父の家に住んでいたときに叩きこまれたが、それ以外の一般常識の大部分はここの土蜘蛛たちに教わった。
おかげでその後、虫たちとうまくやれるようになった。
この特技は今現在も俺を助けている。
不自由だらけの生活ではあったが、同情されるほど悲惨なものではない。
エスメラルダは俯いたまま尋ねてきた。
「昔のことを聞いてもよろしいですか?」
「好きにしてくれ。何が聞きたい?」
「何でも構いません。とにかく少しでも多くあなたの過去を知っておきたいのです」
――今のうちに。
言外でエスメラルダはそう言った。
髑髏の魔術師を振り切ったといっても、いずれまたどこかで対峙しなければならないだろう。
相手は正体不明のバケモノだ。不死鳥ですら一対一では敵わない。俺なんかが加勢したところで、状況はそう変化しなかった。虫を失いながら精一杯戦っても時間稼ぎにしかならず、俺は自分の矮小さを痛感した。
再びあのバケモノと対峙したとき、二人とも無事に乗り切れる可能性は非常に低い。
――語り合っておくなら今のうち……か。
「確かに、良い機会かもな」
俺は長い昔話を始めた。