白玉の砂利が敷き詰められた広い庭園に、いくつもの影が躍っていた。
複数の小さい影たちは四方から俺を取り囲むように連携して動き、俺の接近を牽制するように遠間から蜘蛛の糸を吐き出した。横に跳んで蜘蛛の糸の包囲網から抜け出し、受け身を取って砂利の上を転がった。
――動きを止めた瞬間にやられる。
その確信を胸に、俺は右へ左へと転げまわった。
「お主は本当に変わったのぅ」
視界を横断する蜘蛛の糸越しに杖をついた蜘蛛爺の姿が見た。
「ここに最初に現れたときのお主はとても扱い易かった。外の世界の辛さが身に染みていたお主は、ワシらにとって非常に都合の良い駒でもあった。だからこそ、ワシらはお主の生存を許し、世話を見てやった」
「ケッ、質問の答えになってねぇよ!」
俺は転がりながらハンマーを振り回し、小石を打ち飛ばした。
打ち出された小石は矢のように一直線に宙を突き進み、蜘蛛爺の横に控えていた土蜘蛛の頭をカチ割った。
まず一人。
残りは十二人といったところか。
仲間の体液を横顔に浴びても蜘蛛爺は感情を動かさずに淡々と喋りつづけた。
「ワシらはこの地の底で、永らく不変の日々を過ごしてきた」
「クソつまんねぇ毎日をな!」
「左様。不変と快楽は水と油に等しい。ワシらにとって、生は死と変わらず。喜びも悲しみもすべては遠い過去のこと……お主が不満を抱くのも当然じゃ」
蜘蛛爺の溜息が聞こえたような気がした。
「そして、ワシらもお主に不満を抱いた」
僅かに目の前の戦闘から意識の逸れた俺の隙を突かんと、三人の土蜘蛛たちが背後から襲い掛かってきた。しかし、ヤツラの不意打ちは失敗だった。地面に布かれた砂利が音を立てるとともに振り返った俺は、ローブの袖から地雷蚯蚓(じらいみみず)をばら撒いた。
空中で身動きできない土蜘蛛たちは自ら宙に撒かれた地雷蚯蚓に突っ込んだ。
パパパン! パパン!
唐突な刺激に驚いた地雷蚯蚓が弾け、罠に掛かった土蜘蛛の柔らかい皮膚を焼いた。
「ほっほっほ! 賢くなったのぅ!」
「お前らと違って、俺は進歩しているからな!」
「不変な世界を維持するのも楽ではないぞ?」
「うるせぇ!」
こちらの脚を狙った蜘蛛の糸を飛んで避けつつ、俺は怒鳴った。
蜘蛛爺は止まった時間を生きている。
いや。蜘蛛爺だけじゃない。
土蜘蛛の国で暮らす土蜘蛛たちはみな、凍った日々を過ごしている。
「地下に潜っていても時は進む! 狂霊嵐(エレメンタルストーム)は避けられない!」
「然り、然り。しかし、脆弱なワシらに何ができる? 括目して現実を見よ。現にワシらはお主一人を相手にこうも手こずっておる。こんなワシらに世界を救えとでも言うのかぇ? 誰もがお主のように夢のなかで生きられるわけではないのじゃよ」
「クッ!」
ついにハンマーが蜘蛛の糸に絡め取られた。
しかし、ここで足を止めたら嬲り殺しにされる。俺は即座にハンマーを手放して、すぐ横まで接近していた土蜘蛛を殴り倒した。卵を潰したような感触と、体液の生暖かさが腕に伝わってきた。
――確かに、脆過ぎる……
『とある召喚術師の手記』を拾ってから戦ってきた相手と比べると、まるで子供レベルの弱さである。これなら隙だらけな甘ちゃんのブリオッシュでも善戦できるだろう。
――髑髏の魔術師から見れば、俺だって似たようなものか……
そんな程度の実力で世界を救うなど、蜘蛛爺の言うとおり、夢の世界に違いない。
「夢に生き、困難に挑戦する。そんなお主の存在は、不変な時を生きるワシらにとって毒でしかない! 妬み、羨望、劣等感! お主さえ現れなければ、ワシらは苦しみを知ることもなかった!」
「でも、だからって――」
蜘蛛爺に向けた視界の隅で、ガサリと黒い影が下からせり上がってきた。
――死角から潜り込まれたか!
俺の鼻先まで飛び上がった土蜘蛛は八本の手足で俺の攻撃を封じたうえで、鋭い牙をカチカチ鳴らした。
「人間風情に、この地に縛り付けられた我らの苦しみが分かるか!」
「土地に縛り付けられた?」
「そうだ! 魔素を喰らう者として、分解者として、外界で生きられぬ身体を与えられた我らの苦しみを、自由な人間に分かるものか! 生まれながらに背負わされた重石の辛さが、お前なんぞに分かってたまるか!」
「ハッ! わかんねぇよ!」
威勢よく啖呵を切って、俺は相手の口に頭突きを決めた。
額にピリッとした痛みが走った。どうやら額が切れたようだ。正面の土蜘蛛が絶叫した。しかし、口を潰された土蜘蛛の叫びはまともな声になっておらず、狂った獣の咆哮と大差なかった。俺は自由になった右足でダメ押しの一発を相手の腹に蹴り込んでから後ろに飛んで距離を稼いだ。
「お前らの事情も、お前らの苦しみも、どれも俺のもんじゃねぇ! だから俺には理解できねぇし、俺は痛くも痒くもねぇ! 苦しんでるのはお前らだろうが! 苦しくて苦しくて堪らないくせに、ただじっと止まっているだけしかできないヤツの気持ちなんぞ、俺には一生分かりゃしねぇよ! 変わろうと努力しろ! でなけりゃ一生そのままだ!」
土蜘蛛たちの動きが止まった。
こちらの反撃を警戒したのか……あるいは俺の言葉に思うところがあったのか……
蜘蛛爺は杖をついて一歩前進した。
「努力が実を結ぶとは限らん。これでもワシらは十分努力したんじゃよ」
「それでもだ! それでも変化を求めろ!」
「では、変化のために何人の同胞を差し出せば気が済むかのぅ? 未知の事態に遭遇して散っていく犠牲者たちの遺族に、何と言って詫びるんじゃ? ワシはお主と違う……ワシの背中には守るべき者たちの命がたくさん載せられておる……」
そう言った蜘蛛爺の背後から、追加の増援がバッと姿を現した。
一、二、三、四、五……たくさん。
それに引き替え俺のほうはハンマーを失い、体力も削れ、手持ちの虫の残りも少ない。
――これは勝負あったか。
俺はじりじりと後退しながら時間を稼いだ。
「たった今死んでいった連中は〈不変のための代償〉だから仕方なかったってか?」
「他に道は無かった」
蜘蛛爺がシュルシュルと息を吐いた。
その仕草がヤケに俺の勘に触った。体質だか何だか知らないが、世界が崩壊し始めているというのに、こんなところで腐っていていいものか! 同じ犠牲を出すのなら、前進するために代償を払うべきだ!
変化を悪とするのなら――
血肉を削ってまで不変が大切だと言うのなら――
「だったら、俺は何なんだよ!」
こちらを取り囲んでいた土蜘蛛たちがビクリと震えた。
やはり何か事情があったのだ。
この不変な地下世界に紛れ込んだイレギュラーな人間をわざわざ拾って育てただけの事情があったのだ……俺は自分の推測通りであったことに嫌気がさした。
理由がなければ、俺は見捨てられていたのだ。
無償の優しさなどどこにも存在しない。
そんなことくらいとうの昔から理解していた。頭で理解していただけでなく、いろいろな体験を経て、叩き、弾かれ、傷付いて、嫌というほど体で覚えさせられたが、それでもまだ心のどこかで期待していたのだろう。
ひょっとしたら――
ひょっとしたら、土蜘蛛たちは俺に無償の優しさを与えてくれていたのではないか、と。
俺は湧き上がる怒りに任せて一気にまくしたてた。
「なぜ俺を拾った! どうして俺を育てた! どんな形であれ、いずれ俺がアンタらの不変の世界をぶち壊しちまうってことくらい最初から分かっていただろうが! 俺は人間だ! 不変にしがみ付くアンタら土蜘蛛とは違う!」
拒絶の言葉に、土蜘蛛たちが俄かに殺気立った。
俺を取り囲んでいた包囲網がじわじわと縮められ、正面に構えている若い土蜘蛛などは今にも飛び掛かってきそうな気配である。俺は自分の腹に手を当てて、最後の武器を取り出す準備を終えた。
一触即発の緊張した空気のなかで、蜘蛛爺が静かに口を開いた。
「左様。だから託した……」
「託す?」
「自らの手で変革を進められぬのであれば、自らの手で世界の崩壊を食い止められぬのであれば、他者に希望を託すしかあるまい……自分とは違う苛烈な性質を持つ、他者に、の」
蜘蛛爺の黒いつぶらな瞳がじっとこちらを見つめていた。
「お主はもう行きなされ。分解者たるワシらはワシら。幾度となくより良い世界を目指して足掻いてきたが、今回の騒動で身に染みた……ワシら土蜘蛛はもう不変から離れられぬ。無理にワシらを変えようとしてくれるな。お主が余計に傷つくだけじゃ。早くお主の帰りを待つ妻の元へ向かうんじゃ」
返事の代わりに、俺は土蜘蛛たちに背を向けた。
この機会を逃せば、次はない。
とにかく全力で足を動かして走った。
背後で土蜘蛛たちが動く気配が感じられたが、なぜか彼らの動きはすぐに止まった。理由は分からない。もしかしたら、この場を仕切っている蜘蛛爺が指示を出したのかも知れない。これ幸いと俺は一気に加速して距離を開け、土蜘蛛たちの視線を振り払った。