エスメラルダは約束通り外界へと繋がっている亀裂のそばで待っていた。
彼女には万が一亀裂が塞がれていた場合のために、先に亀裂に向かうように指示しておいたのだ。今回の戦闘のことを考えると、魔法の使えない不死鳥を遠ざけておいて正解だった。
――それとも、この不死鳥がいたら結果は変わっていただろうか……
「馬鹿馬鹿しい」
喉に絡まった痰と一緒に妄想を吐き捨てた。
盛り上がった丘の上に刻まれた縦長の細い線。遠目からではただの窪みにしか見えないが、この人一人通れるかどうかの細い亀裂が、この地下世界と外界を繋ぐ唯一の出入り口なのである。
「本心は聞き出せましたか?」
「…………」
俺は黙ってエスメラルダの横を通り過ぎた。
足を止めたらもう歩けなくなる。
そんな思考に動かされ、前へ前へと進んでいった。土蜘蛛たちはもう見えない。
「そうですか」
「……おい。行くぞ」
「心配しなくても大丈夫ですよ。私はあなたについて行きます」
「俺が『とある召喚術師の手記』の持ち主だったから、な」
こちらに歩み寄ってきていたエスメラルダの足がぴたりと止まった。
どうやら俺は気が立っているらしい。
いつにもまして嫌味がポンポン湧いてくる。
「それともアレか? 手記はもう燃やしちまったから俺に用はなくなったか? 義理で付いてくるなら、やめたほうが賢明かもな。俺は何一つ自分の思い通りにできない、器の小さな人間だ。何かをぶっ壊すことは得意だが、そんなもの……お前は望んじゃいねぇだろ」
俺は返事を待たずに足を進めた。
丘に刻まれた狭い亀裂の奥へ歩いていくと、視界がどんどん暗くなっていた。
背後から声を掛けられた。
「私はあなたのものです」
「舞い上がって言っちまった戯言だ。忘れてくれ」
「アングーストッ!」
エスメラルダが珍しく大声を出した。
暗闇のなかに響き渡った不死鳥の凛とした声は、俺に足を止めさせた。振り返ってエスメラルダに目を向けようとしたら、華奢な手に胸倉を掴まれ、腰を屈ませられた。
目と鼻の先に不死鳥の紅い双眸が広がっていた。
「前にも言ったはずです」
エスメラルダは少し怒っていた。
俺の胸倉を掴んでいる手も震えている。
「あなたにはあなたの長所があります。腕力でオーガに勝とうとしないでください。魔術でエルフに、武術でリサードマンに、泳ぎでマーメイドに、器用さでドワーフに……あなたは人間です。そこに良し悪しはありません」
碧鱗ノ國に行く前の、タルドゥの沼地で言われた台詞である。
当たり前のことしか言っていないのに、俺の胸を強く打つ。
「あなたはあなたの良さを活かしてください。私が全力でサポートします」
「俺に何ができる?」
「自分で考えなさい」
甘えるな。
優しくも厳しい不死鳥の瞳はそう語っていた。
「その決断が何であれ、私はあなたについて行きます」
すっと胸倉から手を離された。
風の流れに漂う花の匂いが鼻をくすぐる。暗闇のなかであってもエスメラルダは輝いて見えた。この不死鳥に導かれたら、誰だって勇者になれてしまうのではないだろうか……。そんな気すらしてくる。
「後悔するなよ」
「あなたなら大丈夫です。私が保証しますよ」
暗闇の向こうで不死鳥が笑った。
太陽のような柔らかい笑顔だった。俺は思わず上体を逸らしてエスメラルダの笑顔から遠ざかった。驚きのあまり胸が高鳴っている。俺は自分の胸に手を当てて深呼吸した。胸のうちでこんがらがっていた蜘蛛爺や土蜘蛛の国についてゴチャゴチャが、一気にどこかへ吹き飛んでいってしまった。
腹は決まった。
できる、できないで物事を判断していては平凡な結末しか掴めない。可能性だの器だのはどうでもいい。どれだけ他人を羨んでも、どうせ俺は俺であることを止められはしないのだ。そこに「もしも」や「あるいは」は存在しない。
だったら、
――やりたいことをやってやる。
俺はローブを脱いでエスメラルダに手渡した。
「もう一度、土蜘蛛たちと話し合ってくる」
「私も同行します」
ローブが投げ返される。
内側に入っている虫たちがギャァギャァ騒ぎ立てた。