「ふわぁーっ。ようやく一息つけたぜ」
俺はシャツ一枚になって大の字に寝っころがった。
脱いだローブはきちんと広げてすぐ近くの地面に敷いてある。寒さに弱い虫たちは仕方なくシャツの内側に避難させてやっているが、洞窟のオアシスの気候に問題のない虫たちはローブの上で自由に休憩させている。
水源は洞窟を突き進み、分岐路で一度右に曲がり、少し歩いたところで発見できた。
後ろからフレイム・ランナーたちが追ってくるような足音も聞こえないので、とりあえず俺はこの洞窟のオアシスで休むことにした。念のため、地雷蚯蚓(ジライミミズ)をオアシスの入口にばら撒いておいたから、その気になれば、少しの間仮眠を取ることだってできるだろう。こういう機会にくつろげないヤツは遺跡荒らしに向いていない。
「……っと。そんなことより」
俺は起き上がって、長年水滴に打たれてきたためにお盆上に凹んだ石の器から手で水をすくい、背負い袋の中から取り出した竹筒に流し入れた。竹の中には風船芋虫(フウセンイモムシ)と呼ばれる細長い虫が住み着いている。名前の通り風船のような体をしているソイツは、本来川辺に住んでおり、水中の汚れを食べて生活していた。意外にタフで汚れを食べるのも早かったため、俺は濾過装置代わりにこの風船芋虫を持ち歩いている。
ぼんやり石の天井を見上げている間に竹筒の反対側からちょろちょろ水が漏れだし始めた。
どうやら、風船芋虫が仕事を終えたらしい。
俺は竹筒から滴り落ちる水を飲んで喉を潤した。
「ふぅーっ、生き返る!」
水は少し硬い味がしたが、今は飲めるだけで十分である。
竹筒三本分水分を補給してから、俺は虫たちに水を振る舞い、ついでに虫の餌として持ち歩いている草も湿らせておいた。こうするだけで、葉の寿命が数日延びるから馬鹿にできない。その他もろもろの雑用を片付けてから、俺は再び横になった。
旅の疲れからか、眠りはすぐに訪れた。
〈立ち去りなさい〉
夢の中で声が聞こえた。
漠然と広がる暗闇の中で、明々と燃え盛る巨大な火の玉が語りかけてくる。
〈山を荒らす人間よ。立ち去りなさい〉
凛とした女の声だ。
俺は心地よい温かさを感じつつ、答えた。
「お前が不死鳥エスメラルダか?」
〈そうです。私は今、夢を通してあなたに語りかけています〉
「ほほぅ。夢の中であれば、念話が使えない俺のような人間とも意思疎通できるのか。すごいもんだな。お前が信仰の対象になるのも分かる気がするよ」
炎の塊が、考えるようにゆらゆらと揺れた。
『とある召喚術師の手記』によれば、不死鳥エルメラルダはブリオッシュに負けず劣らずの甘ちゃんらしい。たとえ俺がこのように生意気な口を叩いたとしても、子供が背伸びしているくらいにしか感じないだろう。
それほど、人間と不死鳥には距離がある。
エスメラルダは深い溜息を吐いた。
〈あなたの目的は何ですか?〉
――よしっ、喰い付いた!
内心でガッツポーズを取りつつ、俺はできる限り平静を装って言った。
「世界を救うことです」
我ながら名演技だと思った。
声も震えていなかったし、きちんと意思も込めているように聞こえたはずだ。
しかし、不死鳥には通じなかった。
〈嘘は止しなさい〉
「なっ――」
俺は思わず言葉に詰まってしまった。
――不死鳥、恐るべき。
知性が高いとは聞いていたが、まさかこれほどとは……俺の名演技を真正面からばっさり切り捨てやがった。サザンの用心深い商人でさえ、ちょっと時間をかけて考えるというのに、コイツは即答しやがった。
〈世界を救おうと志す者は一人で行動しません〉
「ハッ! 群を好まないヤツには世界を救えねぇってことかよ!」
〈あなたは世界よりも自身の心を救いなさい。あなたの傷付いた心は見るものを悲しくさせます〉
エスメラルダの声は胸にズンと響いた。
厳しいようで、慈愛に満ちた女の声に、俺は心を打たれた。
生まれてこの方十七年。まともだった幼少期はいざ知らず、遺跡に潜るようになってからはついぞ掛けられた覚えのない声だった。俺を見て心を動かすとしたら、大抵は恐怖と蔑みだった。俺だって別に誰かに同情してもらいたくなかった。
――同情など邪魔だとすら思っていた。
しかし、このザマだ。
俺はしわくちゃになった心を押し広げて、何とか気丈に振る舞った。
「お、お返しに、こっちもひとつ忠告しておいてやるよ」
〈忠告? この私にですか?〉
「そうだ。朱き四天使(スカーレット・ランサーズ)とかいう連中からアンタが預かった春のオーブ。あれを狙う連中が三年後に現れる。そのとき、お前はガレットの曾々孫のブリオッシュという召喚術師を信用して命を落とすことになる。当然、春のオーブも奪われる」
俺は自分の計画を投げ捨てて、とりあえず全部ぶちまけた。
『とある召喚術師の手記』を拾ったこと。
その手記に書いてあった内容。
将来、手記の書き手となるはずのブリオッシュに会ったこと。
そのとき俺が感じた気持ち。そのとき抱いた、俺の野望。これほど洗いざらい胸の内をぶちまけたのは生涯初めての体験だった。エスメラルダは黙って最後まで聞いてくれた。きっと向こうは向こうでいろいろ思案しているのだろう。
しばらく経ってから、エスメラルダがぽつりと言った。
〈よく、がんばりました〉
「……え?」
それは予想外の言葉だった。
もっと世界に関することについて言われるものだと思っていた俺は、肩透かしを食らったように感じた。しかし、不死鳥は世界の危機などそっちのけで、至って真面目な様子で語り続けた。
〈先程はきつく申し上げましたが、話を聞いてみれば、あなたの孤独は仕方のないことのように思えます。今なら、不幸に襲われ、闇の世界に落とされてなお折れぬあなたの心が美しく見えます〉
「いや、あ、ああ……そ、そうか……」
俺はまともな返事を返せなかった。
お世辞を言われることに慣れていないのだ。たどたどしい俺の反応に、不死鳥はクスクスと笑ってみせた。
――ああくそっ! まるで相手にされていない!
まさかこういった方面から攻められるとは思わなかった。
俺は自分の手の甲を噛んで、浮足立っていた心を無理やり鎮めた。
「俺の言いたかったことは全部伝えた。今度はアンタの考えを聞かせてもらおうか?」
〈ほほほほ! あそこから冷静に立ち戻れるとは驚きました!〉
「ぐっ! い、いいから答えろ! アンタはこれからどうするつもりなんだ?」
〈それは……〉
不死鳥は言い澱んだ。
取るべき選択肢は大まかに言って二つに分けられる。
逃げるか、戦うか。
ダークエルフたちが襲撃してくるまでに三年間の猶予があるから、どちらの場合でも策を練る時間は十分用意できる。戦うなら、ラストゥスの領主に協力させるなり、大学院から円卓魔導師を借り入れるなり手が打てる。逃げるなら、さっさと逃げたほうがいい。ダークエルフも手を出しづらい魔海域の孤島にでも籠っていれば命を落とさずに済むだろう。
「逃げるか、戦うか。どっちにするんだ?」
〈私には春のオーブこと『イメルダの宝珠』をこの地に収めるという義務があります〉
「この山から移動できないってことか?」
〈それも不可能というわけではありません。十年や二十年くらいなら山から離れていても大丈夫です。永い永い時の流れにとって、十年の歳月はちょっと瞬きする間に過ぎていくようなものです。私と春のオーブが移動することによって魔素(エレメント)に少々影響が出るでしょうが、狂霊嵐(エレメンタルストーム)に比べれば微々たるものです〉
正直、言っている意味が半分くらい分からなかった。
何百年と生きている不死鳥と十七年しか生きていない人間が会話しているのだから、話が噛み合わなくて当然である。
俺は単刀直入に尋ねた。
「で、けっきょくアンタはどうするんだよ?」
〈戦うしかあるまい〉
「それなら、手紙の配達人として俺を雇ってみないか? 礼儀作法はこの通りテンでダメだが、物覚えは悪くない。アンタが教えてくれるなら、お望み通りの小間使いになってやってもいいぜ?」
学ぶとしたら、コイツから学びたい。
そう思った俺はいつの間にかこんな提案を口にしていた。それに、不死鳥の伝言役となれば、ラストゥスの領主の館にも招かれるだろうし、三年後に襲撃してくるダークエルフの皇子の顔だって拝める。
考えてみりゃ、悪くない。
しかし、エスメラルダは素気無く否定した。
〈私が戦うとしたら、一人です〉
「はぁ?」
〈春のオーブに人を近づけるわけには行きません〉
「いやいや。でも、アンタ一人で戦ったら殺されちまうぞ? 『とある召喚術師の手記』にはそう書いてある。しかも、善戦した末に敗けたんじゃなくて、けっこうあっさりやられちまうらしいじゃねぇか」
〈さすれば、それが私の天運なのでしょう〉
不死鳥は達観した様子でそう答えた。
自分の死すらも運命だと受け入れる。
――ふざけんな。
エスメラルダの態度が癪に触った。
何故、全力で足掻こうとしない。自分に与えられたモンが気に入らないなら突っぱねろ。力にも地位にも恵まれておきながら、潔く諦めてんじゃねぇよ! ふつふつと膨れ上がる怒りの感情に呼応するように、俺の身体が暗黒の中でどんどん膨張していった。
〈む?〉
これは賢い不死鳥も予測していなかったらしい。
どんどんどんどん膨らんでいって、不死鳥を掴めるほど巨大化したところで、俺はエスメラルダを見下ろした。上から眺めてみると、不死鳥の炎は煌々蟲ほど強烈な生命力を宿していないように見えた。
〈召喚術師でもない人間がここまで自己意識を拡大できるとは――〉
「カァァァッ!」
不死鳥の声を遮るように吠えた。
言いたいことはいろいろあった。
しかし、言葉にして正しく伝わる自信はなかった。
だから、俺は野生の虫を手懐けるときのように、なるべく柔らかい手つきで不死鳥の巨大な炎の塊に手を伸ばした。虫も鳥も同じ生物だ。もう信仰の対象だろうが、何百年と生きた伝説の生物だろうが、構うものか。
相手を両手で抱きかかえ、自分の胸に押し当てる。
理屈は分からないが、大抵の虫はこれで警戒心を解いて大人しくなるのだ。抱きかかえた火薬蜂に刺されて血反吐を吐くような失敗も何度か経験してきたものの、今までこれで何とかやってきた。
俺は虫に語りかえるように口を開いた。
「決めた。お前は俺のものにする」
〈はっ、はわっ、な、何を……〉
「お前は俺のために尽せ。その代り、俺はお前を養ってやる。お前に子ができたときは、ソイツの面倒まで見てやる。信用できないなら、他の虫たちに聞いてみろ――って、ここにはいないか」
途中から完全に虫を口説くいつもの台詞になってしまった。
そのせいか、エスメラルダの炎は先程よりもしゅんと大人しくなってしまったように見える。
〈……………〉
――引かれちまったかな
まじまじとエスメラルダの炎の塊を眺めていると、不意に炎が爆発した。
地雷蚯蚓を踏んだときとはまるで違う、大地を揺るがす火山の噴火のような重く激しい大爆発の流れに圧され、俺は夢の世界から弾き飛ばされた。意識を失う直前に、エスメラルダが何か呟くように口を動かしていたが、その声は爆音に掻き消されてしまったため、まったく聞き取れなかった。
目覚めたとき、俺は隣りに人の気配を感じた。
そんな馬鹿な! ガバリと跳ね起きて入口に撒いておいた地雷蚯蚓が元気に這い回っている姿を確認し、ぽんぽんと自分のシャツを叩いて虫たちの無事を確かめてから、慌ててローブを引っ掴んで身に纏った。
急な動きに対応できなかったタンポ虫が何匹かぼとぼととローブの裾から零れ落ちる。
俺はローブのポケットからエグリ蜘蛛の瓶を取り出して臨戦態勢に入った。
エグリ蜘蛛は俺でさえまだ手懐けられていない、とても凶暴な虫である。相手が人間サイズであれば、たちどころにズタズタに肉を抉ってくれるだろう。エグリ蜘蛛はそれを可能とする強靭な顎を持っている。
しかし、瓶を構えた俺を見ても、相手は少しも動じなかった。
「寝起きから騒々しいですよ。少し落ち着きなさい」
初めて見る顔の女だった。
燃えるような赤い髪を腰まで伸ばしており、切れ長の目も赤く燃えているくせに、肌は雪のように白く、彼女の朱さをより一層際立たせていた。身体的な特徴は人間によく似ているが、どことなく人間離れした気高さというか、気品を持った女……
俺は警戒心を解かずに問いかけた。
「お前は何者だ?」
「つい先程話したばかりだというのに、もう名前を忘れてしまいましたか?」
「…………」
驚きのあまり声が出せなかった。
だって、その、不死鳥が、人間の姿に化けるなんて、聞いたこともなかったのだ。
考えがうまくまとまらない。要するに、この、目の前にいる女が、あの、不死鳥エスメラルダであり、だから、つまり……どういうことなんだ?
俺は混乱した頭を振りつつ、地面に落ちたまま放置されていたタンポ虫を拾い集めた。
うむ。まだ温かい。
だいぶ気分を落ち着けた俺は、改めて女の顔を見た。
「分かった。アンタはエスメラルダなんだな」
「ようやく理解できましたか」
エスメラルダがクスリと笑った。
顔は笑っているものの、どことなく責められているように感じられた。ひょっとして、正体に気付くまでにちょっと時間が掛かったから怒っているのか? いやいやいや。魂の波長とか見ることのできないただの人間に一瞬で正体見抜けとか、無理だからな
俺は頭を掻きながら話題を変えた。
「で、けっきょくどうすることにしたんだよ?」
「それをあなたが聞きますか?」
「えっ」
エスメラルダの笑顔がより深くなった。
たぶん、怒りのボルテージもガンガン上がっていると思う……正体が正体だけに、今すぐ口から炎でも飛び出してくるのではないかと冷や冷やしたが、さすがは数百年生きてきた不死鳥である。エスメラルダは静かに言った。
「あなたが言ったのですよ。『お前は俺のものに――」
「うわあぁああああああああッ!!!」
俺は頭を抱えた。
あの言葉は、相手が虫や鳥だからこそ言えたのだ。人間の女の姿で喋られると凄まじく恥ずかしい。俺は間違ってもプレイボーイって柄ではない。それどころか、女性経験は皆無に等しい。正直、中身はどうであれ、外見は美女であるエスメラルダに見つめられているだけで少し焦る。
「ふっ」
エスメラルダが鼻で笑った。
もう勘弁してくれ。俺は羞恥に心を抉られつつ、話題を変えた。
「お、俺はこれから世界各地を旅して回る。まず手始めにジオテランの森へ行って、エルフたちから狂霊嵐について色々聞き出すつもりだが、その、ええと……ア、アンタもつ、ついてくる、ん、だよな」
「『お前は俺のために――」
「ぐっはぁ! よし! 分かった!」
俺は大声で押し切った。
この不死鳥、完全に楽しんでやがる! たぶん、これから先もずっと夢の中で言った台詞をことあるごとに引き出してくるに違いない! 本当に勘弁してくれ! 何百年も生きているくせに、性格が悪過ぎるぞ!
「ところで、この山を下りるにあたって、春のオーブはどうするんだ?」
「私の体の中に隠しておきます。現状、それが一番安全でしょう」
「まあ、そうだろうな」
事務的な話になったおかげで、ようやく気を鎮められた。
普段から静かで落ち着いたダウナー気味の生活を送っていた俺が、この短時間のうちに一週間分くらい騒いでしまった。このままだとスタミナがもちそうにない。いざとなったら狂騒蟲を食べて精気を補うこともできなくはないが、こんなしょうもない理由で虫を犠牲にしたら、他の虫たちとの信頼関係が崩れかねない。
「前途多難だな……」
敵はまだ動き出してすらいない。
これから立ちはだかってくるであろうダークエルフたちに対処する術もまだ用意できていないし、狂霊嵐を止める方法の手がかりすら何一つ掴んでいない。ハイエルフの錬金術師や魔剣姫が何度も失敗を重ねて身につけた知識と力に匹敵するものを、俺は与えられた三年間で手に入れなければならない。
常識的に考えれば不可能だ。
しかし――
「何ですか?」
「いや、別に」
俺にはコイツがいる。
それだけじゃない。
頼りになる虫たちと、『とある召喚術師の手記』もある。常識の枠ならもう踏み越えた。俺はできる。別の次元からやってきた連中に頼らずとも、俺は俺たちの歴史を紡げるはずだ。本当の意味で、新しい歴史――
「さて。行くか」
〈俺たちの時代〉の幕開けだ。