その日僕はベロンベロンに酔っていました。歓楽街からの帰り道。田舎のことですから、日付が変わって深夜2時ともなるとひとっこひとりおりません。車もまったく通らないとなると、誰かの迷惑になることもないし醜態を見られることもないだろうと、変に尊大になり、歩道の左右一杯に千鳥足をして歩いていました。
とあるマンションの側を通りがかりました。精々10階建ての、都会なら大して目立ちもしない建物ですが、先ほども申し上げた通り何分田舎のことですから、このマンションは近辺で一等高い建造物でした。(今現在どうかはわかりません)
高いということには、恐らく人を狂わせる魔性の力があるのでしょう。これは昔から飛び降りの多い、所謂自殺スポットというべきマンションなのです。正面に川、背後に山があり、人は大抵川の前の道路へ飛びます。高いという魔性に水場まで加わると、これはもう人を不吉へ誘わずにはいられない定めだったのでしょうか。
ここまで書いてなんですが、今回私が遭遇した事例と飛び降りとはまったく関係ありません。少々魔的なマンションで、不思議の一つくらい起こってもなにも不思議じゃない建物だとだけ理解頂ければ結構です。
私はまったく臆病な男で、普段は夜中の心霊スポットなど迂回してでも避けて通る人間なのですが、この時の私は尊大になっていた訳でありますから、誰ぞ隠れてでもいないかと周囲を見回しながらマンションの横を通りました。尊大さの中に隠しきれない気の弱さがあり、この酔態を他人に見られでもしないかという廉恥心も相まっていたためでしょう。
こんな田舎です。やはり人影はなく、すると廉恥心は影を潜め、私の尊大さが十全に力を発揮して、また道を一杯に千鳥足を始めました。
「大丈夫ですか?」
背後から聞こえたこの声に飛び上がらんばかりに驚いたのは、恐怖などとは関係のない羞恥心からのことでした。ああ、なんたることだ。みっともない、情けない、恥ずかしい。私の頭の中にはこのような言葉が波打ち、寄せては返し、するとまた寄せてくるようでありました。過去の恥を唐突に思い出し奇声をあげたくなるような、ああいう心地が連続して続いたのです。この後の私の対応には理知的でない部分が多々ありますが、ひとえにそれはこの心地のためです。
「大丈夫です。いやぁ、飲み過ぎてしまいまして」
こういう時の対応は人により千差万別だと思われますが、私の場合はとにかく事の最小化を図ります。正体を失っていた事実などなかったかのように、歩道一杯のふらつきを精々ちょっと揺らしただけであったかのように、努めて言葉を返しました。
その次に考えるのは、話題を流してしまうことです。声をかけてきたのは、紫色のワンピースを着た老淑女で、マンションのすぐ前にあるバス停近くの低い塀に腰かけておられました。ここでバスに乗ろうとする人間がよくやっている体勢です。酒と恥に埋まった私の思考はここに目をつけました。
「バスを待っていらっしゃるのですか?」
深夜2時です。この質問の馬鹿馬鹿しいことといったらありませんが、それだけ私は理性を失くしていたのです。
それに対して、この老淑女の仕草は惚れ惚れとする気品で、薄く微笑まれると(これは見事な笑みでした。頓珍漢を馬鹿にされた、という気持ちのまったく湧かない上品さでありました)
「いいえ」
とだけお答えになりました。ではなにを、と続けるのが憚られる、綺麗な拒絶でありました。何をしても恥の上塗りでしかないことをようやく悟った私は、そうですかとだけ答え彼女に背を向けました。
私の頭が僅かばかりまともに動き始めたのは100メートルも過ぎてからでした。振り返ると、老淑女は微動だにしないまま、時の止まったようにその場に留まっていました。認知症には徘徊をするような症状もあるそうですが、私にはとても、彼女がそういう病に惑わされているようには見えませんでした。
透けてはいません。足もあります。それでも、彼女の人ならざることを私は不意に確信しました。不思議に恐怖はありませんでした。彼女はなにかを待っているのです。なにかを待ちながら、私の酔態を気にかけてくださるような方だったのですから。私はその場を後にしました。
後日、そのマンションで高齢の女性の遺体が見つかりました。孤独死だったそうです。私が聞きかじった限りでは名前や顔は出ておらず、あの夜の老淑女その人であるのかは確認しようもありません。確認しようというつもりもありません。静かに眠られればいいと思うだけです。
最後になりますが、あの老淑女へ。私のことを気遣ってくださりありがとうございました。あの日貴女が待っていたものが、貴女にとって素晴らしいなにかであることをささやかながら願っています。