GIOGAME   作:Anacletus

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この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。


第八話 長椅子に寝子

第八話 長椅子に寝子

 

【黒い隕石】(ブラックメテオ)。

 

その当時、世界を滅ぼすとされた巨大隕石。

 

人類の科学技術では破壊不可能とされたソレが落ち、人類は滅びるはずだった。

 

しかし、人類は生存してしまった。

 

その矛盾に科学者達が挑んで結果を得るまでに十数年の時を要した。

 

「解った事はたった二つ」

 

教師のチョークが箇条書きで事実を羅列する。

 

「一つは【黒い隕石】が日本上空十五キロ地点で最後に観測された事」

 

学生達のやる気が底を尽いている為、その声に反応するものは一人もいなかった。

 

「一つは【黒い隕石】が日本上空で消失した事」

 

流れる汗を拭い教師が巨大な疑問符を描く。

 

「今現在も研究が続けられていますが【黒い隕石】の消失原因は未だに解っていません。そして、国連は【黒い隕石】事件当時の混乱時に出た被害がどれ程になるか未だに完全には把握してないと言われています。

 

その当時、各国の混乱は凄まじいもので諸外国では暴動と治安悪化、紛争などが起こっていましたが、その殆どの記録が残っていません。これは警察の治安維持機能が完全に麻痺し、公務員やそれに順ずる人々、高額所得者などを狙った犯罪が莫大な数に上った為です。

 

その当時の国が今は政府も無く無法地帯として放置されているところもあります。特に第三世界での混乱は各地で虐殺を誘発し、アフリカ大陸だけでも推定四千万人が死亡しました。滅んだ民族も多く、生き残った人々も民間からの支援でどうにか耐え凌いでいるのが現状です。

 

殆ど犯罪発生率が変わらず、大きな暴動や紛争が起こらず、他国からの侵略すら無かった日本は世界でも例外的な扱いと言っていいでしょう。国連加盟国の半数以上が政府の機能不全に陥った後、全ての国にいち早く支援を行った日本が国連での指導力を発揮しているのは皆さんも周知の―――」

 

布深朱憐にとって世界は謎に満ちている。

 

それは所謂世界が滅びなかった理由とか今世紀最大の謎とか学校七不思議的なソレではない。

 

オカルトなど眼中にない。

 

あるのはいつの世も女と男の間に蟠(わだかま)る深くて長い溝だ。

 

例えば、いきなり外字久重の前に現れた美少女とか。

 

朱憐の知らない間に家に泊まっているらしい美少女とか。

 

自分と同じ表情で外字久重を見る美少女とか。

 

朱憐にとって問題なのはソレだ。

 

どうしたらいいのかと混乱したままお昼を過ごし、混乱したまま体育を受け、混乱したまま渡したばかりの端末に電話してみる。

 

そして、何故か端末に出るのは朝方に紹介された少女で忘れ物として端末を届けに行くと一方的に告げられて通話が途絶えてしまう。

 

「・・・・・・ぅぅ」

 

パタリと朱憐の縦ロールがゆるふわカールのように萎びた。

 

「ひさしげ様・・・・・・」

 

昼休み。

 

年頃の女性が男性の部屋に寝泊りするという衝撃的な事実についてどう対応したらいいか朱憐は友達にアドバイスを受ける事にした。

 

朱憐の友達の多くは快く相談を受け、顔を真っ赤にし、何やらヒソヒソと話し合った後、アドバイスを行った。

 

曰く。

 

『家の方に調査を依頼してみては如何でしょう?』

 

『ここはその殿方が布深さんをどう思っているのか直接的に訊いてみては如何かしら?』

 

『それにしてもその殿方も殿方です!! 布深さんがこんなにも心を痛めているというのに』

 

『布深さん。負けちゃダメですよ!! 幾ら若い子が良いと殿方が言ってもきっと最後には戻ってきますから!!』

 

男女七歳にして同衾せず。

 

旧い話とは解っていてもそう教育されてきた朱憐にとって今朝の久重とのコミュニケーションは刺激的過ぎた。

 

友人達からのアドバイスを聞いても更に心が重くなった。

 

朱憐にとって久重に対する不安とは未だ強固な信頼関係を築けていない事を意味した。

 

お世話になった大学教授の娘さんが遊びに来ているというだけの話に衝撃を受けているのは久重と自分が未だ『そういう関係』とは程遠いからに他ならないと朱憐は自覚する。

 

恋は闘争。

 

奪われてしまえば帰って来ない。

 

友人達の話を総合して、朱憐にはそう聞こえた。

 

自分には誰かと争うなんて向いていないと思う。

 

しかし、諦められるものではない。

 

朱憐は自分がお嬢様であると自覚がある。

 

女性が運命という言葉に弱い生物であるとの知識もある。

 

それでも特別な人というものが家族以外にも存在するのだと朱憐は知った。

 

知ってしまった。

 

初めて久重と親しく話した日から胸に積み上がっていく感情と記憶を否定出来ない。

 

何かの本で読んだ知識では三年もすれば本能的な愛は醒めるとあった。

 

だが、胸に降り積もるものが三年で熱を失うとは朱憐には到底思えなかった。

 

『では、これでホームルームを終わります』

 

気付けば放課後。

 

朱憐は友人達に挨拶しながら学校を後にする。

 

傘を差して歩き、端末を見つめつつ、今一度電話するべきか悩む。

 

思い切り躊躇してから電話を掛けた。

 

『はい。お嬢様。何か御用でしょうか?』

 

(うぅ・・・わたくしの意気地なし・・・)

 

使用人への電話に変更してしまう自分の情けなさに肩を落としつつ用事を告げる。

 

「ひさしげ様のお家に寝具を一式配達しておいて頂戴」

 

『畏まりました。あの【小屋】に相応しいものを一式ご用意しておきます』

 

「お願い」

 

『帰りの車は如何しますか?』

 

「今日は歩いて帰りますわ」

 

『そうですか。では、湯女達を何人か見繕っておきますので』

 

「それと・・・・・・」

 

言い掛けて止まり、己を恥じながらも朱憐は続ける。

 

「ひさしげ様のお家に女の子が一人泊まっていて・・・少し調べて欲しいの」

 

『畏まりました・・・・・・』

 

「な、何か言いたそうですわね?」

 

『いえ、お嬢様も御家の力をそういう事に使われるようになったのかと。少し時間を感じてしまいまして』

 

「よ、余計な事はいいです!? と、とにかく家に帰るまでに調べておいてください!!」

 

『はッ、畏まりました。それでは』

 

通話を切った朱憐が溜息を喉の奥に呑み込んで空を見上げる。

 

「ひさしげ様の馬鹿・・・」

 

己の嫉妬に微かに頬を染め、傘で顔を隠した朱憐は帰り道を急いだ。

 

 

「―――――――――――――――!?」

 

思い切り起き上がろうとして全身に激痛が奔り、久重は自分が黴臭い寝台に寝かされている事に気付いた。

 

視線だけで辺りを見回して、眠りこけている少女を見つける。

 

「ソラ・・・・・・」

 

「ようやくお目覚めかい?」

 

頭上から掛かった声に驚きもせず、久重は内心の緊張が解けていくのを感じた。

 

「あれからどうなった?」

 

アズが久重の横の椅子に腰掛けた。

 

「ソラ嬢に担がれてクーペで回収。闇医者に見せてどうにかね」

 

「よく繋がったな」

 

片腕の感覚がある事に驚きつつ、久重はソラのおかげなのだろうと内心感謝で一杯になった。

 

眠りこけているソラの肩に掛けられたタオルケットが徹夜での看病を物語っていた。

 

「ソラ嬢に感謝するように。彼女のNDが無ければリハビリで元に戻るまで数年は掛かったかもしれない」

 

「・・・知ってたのか?」

 

「何も知らないよ。理解できるのはソラ嬢が使っている力の正体ぐらいさ。それでも十分状況を想像するのは容易だけどね」

 

「なら、そういう事だ」

 

「あの域のNDなんて後三十年は出ないと思ってたんだけどなぁ」

 

「そんなにソラのアレは進んでるのか?」

 

「凋落した大国を再び再興する程度には」

 

「そこまでの・・・・・・」

 

「現在のNDは莫大なコスト問題を除けば夢の医療機器で工業機械で兵器だからね。その使い道は千差万別。特定部分の腫瘍を壊滅させるだとか、ナノレベルの精密作業でしか造れないものを容易く作るとか、人体に致命的な損傷を与えるとか、色々と使い道がある。でも、転用分野が莫大な数に上ってもコストの問題で殆どの分野に導入できないってジレンマを抱えてる」

 

「コストに見合う利益が出ないわけか」

 

「そう。でも、もしそのコストを劇的に下げる事が出来たら・・・・・・そういう意味でその子のNDに遣われている技術は数十兆ドル以上の価値がある」

 

「す――――」

 

久重が絶句する。

 

「SFチックな国と戦場が増えればそれくらいの価値は幾らでも湧くさ」

 

(いきなり話がでかくなったな)

 

久重がソラの寝顔を見る。

 

簡単に事情を説明されていたとはいえ、そこまでの大事と実感していなかった久重にとってアズの言葉は十分に自分の置かれている状況が悪いものなのだと感じさせた。

 

「アズ。シラードエンジンって知ってるか?」

 

アズが僅かに片眉を上げた。

 

「・・・・・久重。いつから人類の未来とか背負いたい人間になったんだい?」

 

「数十兆ドルに人類の未来とか。最後には宇宙でも救えばいいのか?」

 

アズが久重のぼやきに思い切り溜息を吐く。

 

「元々、NDは【マックスウェルの悪魔】を実験装置で実証した事から研究が飛躍的に進歩した。そして、その【マックスウェルの悪魔】を使って空想上の無限機関を想像したのがレイ・シラード。故に彼が考えたエンジンはシラードエンジンと呼ばれてる」

 

「そいつはどういう奴だったんだ?」

 

「現在の原子力研究の基礎を作り、確か原爆にも関わってたかな」

 

「物騒な奴だったのは理解した」

 

「とんでもない。彼は原子力の兵器的な運用には反対の立場だった。技術そのものには関わってたけど、その研究が無きゃ世界中の経済成長を支えた原子力エネルギー供給は不可能だったし、二十世紀中の飛躍的な工業発展も有り得なかったかもしれない。悪人と彼を謗る者もいるだろうけど、確実に人類の発展に貢献した一人だよ」

 

「ん・・・?」

 

薄らとソラの瞳が開き始める。

 

(話はここまでだ。とりあえず飯でも持ってきてくれ)

 

アズが仕方なさそうに頷いて古びた木製の扉から出て行った。

 

「ひさ・・・しげ・・・?」

 

「おはよう。ソラ」

 

「ひさしげ!?」

 

完全に目を覚ましたソラが慌てて立ち上がった。

 

「だ、大丈夫!? ひさしげ!!」

 

「問題無い。今、アズに状態は聞いた」

 

「そ、そう」

 

ほっと肩を下ろしてソラがパイプ椅子にへたり込む。

 

「良かった・・・」

 

「心配掛けた。悪い」

 

「ううん。ひさしげが無事ならそれでいい」

 

微かに紅い目元に久重は何も言わなかった。

 

泣き腫らしたのだろう紅い目が全てを雄弁に語っていた。

 

「ありがとう。ソラ」

 

ソラが鼻を啜る。

 

「・・・うん」

 

突如、扉が開いた。

 

「「!?」」

 

「大丈―――済まない。出直してくるとしよう」

 

二人の間に漂う空気を読んだ田木が一瞬で踵を返そうとして、慌てた二人に止められた。

 

 

酷く静かな画廊で白いスーツ姿の青年ターポーリンが色鮮やかな絵画には目もくれず道を急いでいた。

 

その行く手には有名な絵画がズラリと並べられている。

 

ゴッホ。

 

ゴーギャン。

 

ルノワール。

 

無論、全てが贋作。

 

それでも照明に照らし出される絵画は人の目を楽しませるには十分かもしれない。

 

歩き続けるターポーリンがようやく見えてきた道の先の扉に目を細める。

 

扉の前に立ち、ノックは二回。

 

どうぞ。

 

穏やか声にターポーリンが無言で扉を開けて部屋へと入った。

 

内部には天井の照明、机とテーブルが一つずつ。

 

白い壁紙が照り返す光にターポーリンは一瞬眩暈にも似た錯覚を覚えた。

 

革製の椅子に腰掛けているのはグレーのスーツを着た初老の白人。

 

ターポーリンに視線を向けたその男が呆れたように口を開いた。

 

「せっかくの療養期間だ。少しは回廊で目を楽しませてきたらどうだね」

 

「すいません。生憎と芸術には疎いもので」

 

ターポーリンの減らず口に肩を竦めて、男が机の上の封筒を手渡した。

 

「ご要望通り。ファイルは揃えてある」

 

「ありがとうございます」

 

ターポーリンが受け取った封筒の蝋の印を確かめて脇に携える。

 

「それで今回は随分とやられたらしいが体の方は?」

 

「おかげさまで寿命が半年程縮みました」

 

「そうか。君の我々への忠誠には頭が下るな」

 

「それ程でも。死に損なって多少恨みこそしましたが、やるべき事が残っている事を思えば些細な話です。まだ、私の人生にはロスタイムが残っていた・・・この時間は幸運と言えるかもしれない」

 

「随分と前向きだ。ふむ」

 

男が机の引き出しから取り出したものをターポーリンの前に置いた。

 

「使ってみるといい。君にならば可能性が無いわけでもない」

 

ターポーリンが置かれたモノを見て体を強張らせる。

 

「オリジナルロットの解析は未だ順調に進んではいないと聞いていましたが?」

 

「これはオリジナルロットではない」

 

「まさか、超近似レプリカの?」

 

ターポーリンがマジマジとその机の上に置かれた白銀の玉を見つめる。

 

「いや、我々が持つ近似レプリカを十分の一注ぎ込んだ特注品だ」

 

「よくそんなものを造る許可が下りたのものです」

 

「増殖中に出た不良品を固めたものだ。工作精度は超近似レプリカと比較しても六十七パーセント以上。現在の我々に製造出来る物の中では最上位に近い性能を持っている」

 

「この死に掛けにコレを渡す理由は何です?」

 

「ただの餞別だ。死に往く君への」

 

「・・・そういう事にしておきます」

 

ターポーリンが玉を掴んで、その場から立ち去ろうと背を向ける。

 

「また、会おう。今度は検死現場だろうがな」

 

「そうなる事を願っています。では、これで」

 

ターポーリンが部屋を後にした。

 

しばらく、扉を見つめていた男が端末を取り出して電話を掛ける。

 

「ああ、私だ。今渡したよ。君の言う通りに」

 

電話越しの声が男に礼を言った。

 

「君は本当に容赦が無い。彼はあれでも我々の為に最も働いてくれた駒だ。少しは感謝するべき存在だと思うが」

 

電話越しに幾つかの言葉を聴いた男が瞳を伏せる。

 

「解っているさ。【SE】が消えた以上、彼にはまだやって貰わなければならない事が山ほどある」

 

男が眉間を揉み解した。

 

「だが、それでもだ。君だってまだ人間を止めたくはあるまい?」

 

相手が沈黙した事を肯定と受け止めて男は笑った。

 

「ではな。次の会議で会おう」

 

端末を床に落として男が思い切り踏み潰した。

 

「・・・悪魔が笑っているか・・・」

 

部屋の照明が落とされ、声は途切れた。

 

 

長い長い坂道を転がりながら消えていく石ころを見送って、了子は上がった息で吐いた。

 

街の端。

 

住宅地造成を急いだ都市計画の弊害は山間部近くのニュータウンを坂道の多い年寄りに優しくない世界へと変貌させている。

 

遠い昔、まだ都市がそれ程アスファルトに囲まれていなかった頃、山に近い場所では自然が溢れていた事を了子は未だに覚えている。

 

しかし、その名残も見当たらない坂道を登るだけ記憶は薄れ曖昧さを帯びた。

 

(タレントのおっかけ連中も中々侮れないわよね。こういう事とか知ってたりするんだから)

 

了子が贔屓にしている情報屋は元々タレントのおっかけを専門にしている。

 

情報機器の近代化や端末の手軽さ高性能化に伴い、情報を収集し発信するのはその筋専門の人間だけとは限らなくなっている。

 

人間が三人以上いる場所の情報なら大概は何処かの誰かが知っている。

 

了子が掴んだのは外字久重の居場所だった。

 

情報屋を名乗る素人も千人集まれば玄人と代わらない働きをする。

 

一見まったく関係なさそうな情報でも幾つも集まれば別の情報を浮き彫りにしてしまう事がある。

 

タレントの家の近くで起きた騒動の写真の画像や映像。

 

明らかに不審な車を思わず撮ってしまった一枚やネタとして提供される一枚が実は重要な情報を有している場合もある。

 

サーバーの大容量化と高性能化が進行した昨今、自分で取得したデータを全て特定のサーバーにUPしておく事はそう特異な事でもない。

 

クラウドコンピューティングの浸透によって、そういった特定の情報を端末で受け取るだけという人間も少なくないし、GPS情報を常時送信し、ジオネット上での利益を移動するだけで溜めていく輩も増えている。ログや保存されているゴミ情報が本人さえも忘れてしまうような真実を教えてくれる事もある。

 

了子の掴んだ外字久重の情報もUPされたゴミ情報からピックアップされたものだった。

 

(ここから先の地域であのクーペが確認されていないなら、直前の目撃情報や位置情報から言って近辺で下ろされている可能性が高い)

 

了子が端末に画像を表示する。

 

それは一台のクーペだった。

 

不審車両として一般人に取られた一枚は確かに後部座席でグッタリとしている久重を捕らえていた。

問題はそれだけではない。

 

車を運転する如何にも胡散臭い笑みを浮かべる女や屈強そうな四十代前半くらいの男。

 

更には金色の髪で久重にしがみ付いている少女。

 

(これが【あの子】なのだとしたら)

 

了子が脳裏でテロ事件の暗闇で聞いた声と少女を重ねる。

 

「・・・・・・・・・」

 

了子のジャーナリストとしての勘が言っていた。

 

大当たりだと。

 

(それにしても長過ぎだから、この坂)

 

下ろしたばかりのなけなしの万札でタクシーを拾って二時間。

 

最後にクーペが確認された場所まで辿り着いてから歩いて情報を収集している良子の脚はクタクタだった。

 

(これで・・・何も見つからなかったら・・・お笑い・・・よね・・・)

 

歯を食い縛って食い縛って坂の上に立った時、了子の視界が開ける。

 

夕暮れの町並みが地平の彼方まで続き広がる景色。

 

「綺麗・・・・・・」

 

思わず呟いて、背後からの影に気付き良子が振り返る。

 

「!」

 

それは教会だった。

 

密集する家に阻まれて見えなかった坂の上の聖堂。

 

フラフラと導かれるように良子の足がそのドアへと向く。

 

十数年前に造成されたばかりの場所だというのに木製の扉はまるで長年使われたかのような光沢を放っている。

 

「――――」

 

無言で了子が扉を内側へと押し込んだ。

 

ギギギィィィと軋んだ扉が内側に開く。

 

内部の薄暗い長椅子の列に夕暮れの日差しが当たっていた。

 

誰もいない内部へと入り込み、折れそうなヒールでコツコツ音を響かせながら、良子は不思議と疲れが和らいでいくのを感じていた。

 

「どなたか居ませんか?」

 

シンと静まり返った講堂の内側でパイプオルガンだけが夕暮れに輝いている。

 

「・・・・・・・・・」

 

しばらく休ませて貰おうと良子が長椅子にへたり込んだ。

 

ふぅと一息吐いた了子が静寂に耳を澄ますと僅かに開かれたままの扉から風が吹き込んで来るのが解る。

 

頬を撫でた風の行き先が何処かと視線を彷徨わせた時だった。

 

壇上脇の入り口から、その少女が現れた。

 

「ふぇ?!」

 

「―――――?!」

 

夕暮れに照らされた金色の髪。

 

響いた声が講堂に反響し、了子の耳に余韻を残した。

 

驚きに固まっている少女が何か行動を起こす前に了子が静かに声を発した。

 

「貴女は此処の方かしら?」

 

「あ、えと・・・少しお祈りをしてて・・・ちょっと探検・・・」

 

了子が内心の滾りを抑えた。

 

少女の言い訳が、少女の声が、少女の仕草が、了子に多くの事を教えていた。

 

外国人の少女は日本語が堪能だ。

 

その上でとても正直だ。

 

少女の視線が泳ぎ、壇上脇の入り口に一瞬だけ合わせたのは、その奥に少女の気になる事があるから。

 

今までの何もかもを神に感謝してもいいと良子が少しだけ唇の端をにやけさせる。

 

「そうなんだ。奥に誰かいた?」

 

「え・・・ぅ・・・」

 

困る少女の顔だけで了子には十分だった。

 

「それじゃあ、私も少し探検しちゃおうかな」

 

優しく言って、了子が立ち上がる。

 

それに敏感に反応した少女はまるで怯えた猫のようだった。

 

「ねぇ。貴女の名前は何て言うの?」

 

「な、名前・・・?」

 

「ええ」

 

「聖・・・聖空(ひじり・そら)・・・」

 

「ひじり・・・そら・・・さん?」

 

ゆっくりと歩み寄っていく了子を前にして車を目前とした猫の如く硬直したソラが瞳に困惑の色を示す。

 

「そう。良い名前ね」

 

了子がもう一歩でソラの横に立とうという時。

 

「すみません。そろそろ此処は閉めますが何方かいらっしゃいますか?」

 

了子が振り返る。

 

扉の外から入ってくるのは修道服を着た老齢の女性だった。

 

「あら? これは可愛い娘さんが二人も。こんにちは。いえ、こんばんわ・・・かしら?」

 

「此処の方ですか?」

 

了子の問いに女性が柔和な笑みで頷く。

 

「はい。ここの管理を任されている藤啼(ふじなき)と言います」

 

「藤啼さん?」

 

「今日はこれから友人が来る事になって少し早く閉めに来たんです」

 

悪戯っぽくウィンクするお茶目さに了子が「そうなんですか。残念です」と肩を落とすフリをする。

 

「ちょっと坂を上ったところにこんな場所があって驚いて。それで入ったんですけど、此処は平日には?」

 

「はい。祝日以外は毎日朝八時から午後六時三十分まで」

 

「なら、出直してくる事にします」

 

「礼拝にはパイプオルガンの演奏もあります。どうかお気軽に来て下さい。いつでもお待ちしてますよ」

 

笑みに「はい」と頷いて了子が扉の方へと歩いていく。

 

「ところで貴女はこの方のお知り合い?」

 

了子を見て言う藤啼にブンブンとソラが首を振る。

 

「そうですか。では、もう遅いですから保護者の方に連絡を入れて向かえに来て貰いましょうか。それまでは此処で過ごされて結構ですから」

 

了子が扉の外に出ると藤啼がそっと一礼する。

 

「では、またの機会にお越しを・・・ふふ・・・」

 

パタンと閉められた扉に鍵が掛けられる。

 

あっという間の出来事にソラは何も言えずにいた。

 

ソラへと振り返った藤啼がそっと片目でウィンクして人差し指を唇に当てる。

 

「!」

 

ソラが驚くと藤啼がチョイチョイと壇上脇を指差す。

 

そこにアズの姿を認めてソラは全て理解し、ドッと疲れた顔でその場にへたり込んだ。

 

『・・・・・・・・・』

 

閉まった扉の先でどんな会話が行われているのか。

 

耳を済ませていた了子は暗くなり始めた辺りを見回して、車の一台も止まっていない事を確認し、その場を後にする事にした。

 

坂道を降りる途中何度か立ち止まり見上げた教会もやがて見えなくなる。

 

(聖空。外字久重の秘密に繋がる鍵。あの子は一体何を知っているの?)

 

もう見えない教会の方角を振り向いた了子の瞳には少女の姿が今もハッキリと焼き付いていた。

 

(間違いない)

 

テロリストの包囲事件現場で聞いた声は少女のもの。

 

了子は確信を深め帰路に着いた。

 

 

「紹介するよ。此処のオーナー兼管理者。藤啼三郷(ふじなき・みさと)。僕の友人の一人だ」

 

横になっている久重の部屋に田木とアズ、ソラ、藤啼が集まっていた。

 

紹介された三人が一斉に藤啼を見る。

 

柔和な顔で藤啼が久重の傍まで来ると余った椅子に座った。

 

「ふふ・・・アズに誰かを紹介されるなんて歳を取ったものね」

 

「君に言われたくないよ」

 

アズが藤啼の言い分に肩を竦める。

 

「このトランクルームを預かる藤啼です。よろしく」

 

「トランクルーム?」

 

「都合の悪いものを放り込んでおく場所だ」

 

ソラが首を傾げると久重が説明した。

 

「主に武器や書類。それ以上にヤバイものを置いておく事もある」

 

「君もその仲間入りだよ。久重」

 

「此処に匿おうってのか?」

 

「いや、此処はあくまで仮置き場さ。君にはいつもの場所に戻ってもらおう。君がいきなり消えたらお姫様が悲しむだろうしね」

 

「お姫様って・・・朱憐の事?」

 

ソラにアズが頷く。

 

「襲ってきた連中、ソラ嬢の追手、どちらも公権力を公には無視出来ないと見た。あそこはああ見えて地理的にはかなり恵まれてる。財閥を仕切る家が近隣に複数あるせいで近くで事件なんか起こった日には周辺の監視が厳しくなるし、色々と探られる。更にはお姫様の家が近いから裏社会の連中は大手を振って手が出せない」

 

「・・・ひさしげって」

 

ソラのジットリとした視線を受けて、久重が何も知らんかったと慌てて首を振る。

 

「お姫様とあんな仲になるとは思ってなかったけど。君は知らない内に守られてるよ。久重」

 

「全然知らなかった・・・」

 

「教えてなかったからね」

 

「教えろよ!?」

 

「君が恩を恋と錯覚しないか僕は心配だったのさ♪」

 

グッタリとした顔で久重が寝台に身を沈めた。

 

「あーごほん。何か本題から逸れているような気が・・・」

 

田木から指摘されてアズが話を戻す。

 

「とにかく、久重。君は戻れ。あそこなら連中もおいそれと攻撃はしてこない。大物政治家やGIOだって今回の部隊壊滅で少しは慎重になる。あっち側のアプローチはこっちで何とかするから、君はいつも通りの生活に戻るように」

 

「腕の治療はどうする?」

 

久重の問いにアズがソラを見る。

 

「ひさしげの家の付近には病院が無い。治療は任せても大丈夫かい?」

 

「うん。ひさしげの傷は絶対に私が直す」

 

「という事で決まり・・・かな?」

 

「まだ、決まってないだろ。田木さんはこれからどうするんだ?」

 

久重に田木が首を振る。

 

「いや、僕の事は気にしないでもらいたい。君達に助けてもらっただけで十分だ」

 

安心させるような笑顔にソラが顔を曇らせる。

 

「田木さん。貴方にはしばらく此処で暮らしてもらいたい」

 

「此処で?」

 

アズが今まで口を挟まなかった藤啼を見る。

 

「どうぞご自由に。このルームの借用人は貴女ですもの。アズ」

 

「という事でしばらくの間は此処であなたには暮らして欲しい。今後の事は状況が落ち着いてからになるかと。連中の出方が強硬なものなら国外への退避を前提に計画を練る事にしましょう」

 

「すまない。君達には本当に迷惑を掛ける」

 

頭を下げる田木の肩にアズが手を置いた。

 

「はいはい。お話が決まったならお食事にしましょう。アズ、ほら手伝って頂戴」

 

「・・・君は僕に家事とかさせる気かい?」

 

アズのげんなりした顔に藤啼が笑う。

 

「家事が出来る女が男から好かれるのは理解の範疇でしょう?」

 

「・・・了解」

 

「わ、私も」

 

「あら、手伝ってくれるの?」

 

ソラが大きく頷く。

 

「お嬢さんよりもやる気の無い誰かさんとは大違いね」

 

「勘弁してくれ・・・」

 

アズのやり込められる様に久重は珍しいものを見て驚き、内側から滲み出す笑いを堪える事が出来なくなった。

 

「僕がやり込められてるのがそんなにおかしいかい?」

 

「意地悪な魔女が聖女に諭されてるなら尚更な」

 

「さ、それじゃあ、消化に良いものを何か適当に見繕いましょう」

 

藤啼が締めくくって出て行くとそれにソラとアズが続く。

 

「「・・・・・・」」

 

残された男性陣二人が顔を見合わせる。

 

「君は随分と愛されているようだ。久重君」

 

しばしの沈黙の後。

 

「・・・・・・はい」

 

答える久重の声は優しかった。

 




乙女の秘密とは常に死と隣り合わせである。
輝く世界を迎えて少女は一人誓いを立てた。
束の間の戯れ。
その時、友が見たものは。
第九話「ラブコメさん」
愛と笑いの間で彼らは踊る。
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