GIOGAME   作:Anacletus

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この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。


第二十八話 まつろわぬ者達

第二十八話 まつろわぬ者達

 

ステンドグラスから差し込む光には何かが宿っていると言う者がいる。

 

それは世界を満たす何かだと言う者もいる。

 

神の威光だと言う者もいれば、我々の気持ち一つだと言う説教者もいる。

 

ただの可視光でしかないと見れば、世界は色褪せた景色でしかない。

 

結局のところ、それは人の心と人の技術が織り成した結果だと言えるだろう。

 

己の心を当て嵌めれば、何もかもが価値と無価値と等価値になる。

 

今日の酒も明日の酒も味は変わらない。

 

昨日の彼も今日の彼も彼である事には変わりがない。

 

けれども、人の価値は常に違っている。

 

彼(か)の人にはコイン一つの価値も無く。

 

此(こ)の人には世界一つよりも価値がある。

 

神すらも人の世では平等にならない。

 

平等とは人が産んだ概念だからだ。

 

そこに不平等は真理となる。

 

故に今日もその演奏を聴く者達は驚き、その音色を噛み締めていた。

 

凡そ大勢の者が聞けば、限りなく平等に込められたものを感じ取れる。

 

不平等というものを忘れられる。

 

小さな教会に置かれたパイプオルガン。

 

演奏されているのは日によって様々であるものの、決して宗教様式の音色ばかりではない。

 

その日の選曲は一体誰が行ったのか。

 

教会の人間が考えたにしては笑えない一曲だった。

 

【巴里は燃えているか】

 

深い哀しみを湛えた音色は戦争を思い起こさせ、聞く者の心に深く波紋を広げていく。

 

しかし、朝の教会に集う誰もが今日その日だけはいつもと少し音色の赴きが違うと感じていた。

 

口に出す者はいない。

 

それでも疑問に思う者はいる。

 

奏者の顔は・・・見えない。

 

オルガンは教会の二階部分に席がある。

 

教会信者から見えるのはただ背中だけ。

 

その背中はいつもと変わらないシスターの後姿。

 

数分後、説教者の話が終わり、誰もが出て行くと教会は静まり返った。

 

朝から働きに出る者が殆どの地域で月曜日の教会にわざわざ残る人間はいない。

 

「良い演奏でした。マヌエル」

 

藤啼三郷は席から立ち上がり狭い通路へと戻ってくる二十代の女性を労う。

 

「ありがとうざいます。藤啼」

 

マヌエルと呼ばれた女は少し照れた様子で頭を下げた。

 

ラテン系の顔は細長で身長は百七十前後と比較的長身。

 

色の薄い赤毛と灰色の瞳。

 

顔に僅か残るそばかすが女に少女のような可憐さと愛嬌を与えている。

 

「すみません。急に来て弾かせて欲しいなんて厚かましいお願いを・・・」

 

「いえ、気にしないで。本当に素晴らしい演奏でした。今日の説教は反戦に関してでしたから、あなたの演奏はとても嵌っていましたよ」

 

「そう・・・ですか。それなら良かった」

 

ほっとした様子のマヌエルを藤啼が自室に招いた。

 

沸かした薬缶から藤啼がポットにお湯を注ぐ。

 

「それにしても久しぶりね。もう五年になるのかしら」

 

お茶の準備をしている間にも小さなテーブルの横で静かに座っているマヌエルに藤啼が訊いた。

 

「は、はい。此処で預かってもらった事は今でも忘れません!」

 

マヌエルの声が弾む。

 

その少々早くなる口調は藤啼が諭した頃とそう変わっていなかった。

 

「今もあの修道院に?」

 

「いえ・・・今は修道院を出て・・・改宗しました」

 

「そう」

 

サラリと藤啼は流した。

 

入れ終わった紅茶をお盆に載せてテーブルの上に置き一息付いた後。

 

藤啼が緊張した面持ちのマヌエルに問う。

 

「それで今日はただ演奏しに来たわけではないのでしょう?」

 

「・・・藤啼には何も隠せませんね」

 

「ええ、少なくとも一年は一緒にいたんですから」

 

藤啼はマヌエルの少女時代の姿を思い出して笑った。

 

縁あって藤啼の管理する教会に預けられ一年を共にした。

 

それから修道院へと再び帰っていった少女は滞在中いつもいつも藤啼に何かを教えて欲しいとせがんだ。

 

服の繕い方から料理の仕方など序の口で日本の文化、習俗、神話、果ては政治経済軍事とあらゆる事を藤啼に聞いた。

 

少女にどうしてこうも知識に貪欲なのかと聞いて返ってきた言葉を藤啼は今も忘れていない。

 

「自分の教会を持ちたいって夢は叶った?」

 

「―――本当に・・・藤啼には何も隠せませんね」

 

僅かに俯いて苦笑したマヌエルがゆっくりと顔を上げる。

 

その顔に浮かぶ感情に藤啼は覚えがあった。

 

それは覚悟した者の顔。

 

何かを決めてしまった者の顔。

 

藤啼がトランクルームを経営するにあたり時々見てきた顔だった。

 

「売って欲しいものがあります」

 

「キルト?」

 

そんな、冗談。

 

しかし、マヌエルはその壁を突き破る。

 

「いえ・・・・・・銃を・・・・・・売って欲しいんです」

 

藤啼がマヌエルに微笑んだ。

 

「優しいのね。でも、覚悟があるだけじゃダメよ」

 

「ふ、藤啼・・・?」

 

「彼らの殆どは此処に何もかもを死蔵する事を良しとして私に頼る。その意味が分かるかしら?」

 

「・・・・・・それは」

 

マヌエルが言葉に詰まる。

 

「この教会をやり始めてから色々な人間を見てきたわ。死ぬ奴もいたし未だに生きてる奴もいる。けれど、誰一人として私に頼って隠し事をする奴はいなかった」

 

ゴクリとマヌエルが唾を飲み込んだ。

 

「それはね。此処が人間の生き様と死に様を保管する場所だからなの。私はそのつもりで此処を管理しているし、それを曲げるつもりもないわ。どんな善人も悪人も死人も此処では平等にお客様として扱う」

 

初々しい乙女に老年の域へ差し掛かった藤啼が強(したた)かに笑う。

 

「朝居・インマヌエル・カークスハイド」

 

「は、はい」

 

「教えて頂戴。貴女に何があったのか。貴女を何が突き動かすのか」

 

マヌエルが言い淀んだ。

 

「貴女の物語の全てと引き換えに貴女の願いを叶えましょう。このトランクルームの主、藤啼三郷が誓うわ」

 

その偽り無い瞳を前にしてマヌエルは震えた。

 

嘗ての恩師と言うべき人が裏の人間だと知っていて、その力を当てにした。

 

全て自分に都合良くゆくわけもない。

 

そう藤啼はマヌエルに教えている。

 

ならば、応えなければならないと彼女は思う。

 

「聞いて、くれますか? 藤啼」

 

覚悟があるのなら巻き込んでから綺麗事を言えと。

 

全てを己の内に留め置く事なんて赦さないと。

 

そんな優しくて厳しい母親のような瞳で藤啼は頷く。

 

「ええ、勿論」

 

マヌエルはゆっくりと口を開いた。

 

「これは私が新しい教会の管理を任された時から始まった話なんです」

 

 

日本において宗教というものは往々にして難儀で厄介なくらい生活に密着している。

 

何処までも近く、限りなく遠いものという言葉がピッタリの形容だろう。

 

宗教の自由が保障されている日本において何人も宗教を制限される事はない。

 

しかし、そんな日本が実は世界唯一の無宗教大国である事は世界中の外国人からしてみれば興味深い話かもしれない。

 

日本には危険な宗教原理主義者なんてものは存在しない。

 

例外は一部の新興宗教くらいに過ぎない。

 

古来から続く仏教も神道も殆どの場合、民間の冠婚葬祭や習俗に対しての影響しかなく、実質的な生活に深く浸透してはいても、命掛けで宗教の為に死のうなんて民間人は存在しない。

 

数百年前に渡ってきた基督教にしてもそれは同様だろう。

 

日本内部で過激思想を持つ宗教は殆どが新興宗教やカルトと呼ばれる現代に入ってからの流行でしかない。

 

古来からの宗教に似せられた新興宗教は詐術と話術にこそ長けるが民間レベルで規模の巨大な母集団になる事は稀と言っていい。

 

それすらも日本内部では少数派である事に変わりはなく、何かしらの事件を起こせば規制されるようになった。

 

政治に進出する宗教組織がないわけではない。

 

それでも真の意味で民衆が宗教組織に現代社会で圧倒的支持を与えたことは未だ嘗て一度も無い。

 

日本が海外から言われるような「無宗教」とは宗教と人々の生活が近しいからこそ生まれる。

 

宗教が何処までもその教えを民間の間で浸透させていけば、その教えの純度は薄められていく。

 

クリスマスにはケーキで祝い、正月には神社に行き、冠婚葬祭には仏教も基督教も取り入れる。

 

日本人の宗教への節操の無さはよく語られる笑い話だろう。

 

アメリカのように無神論者が声高に叫ばないのが「無宗教」の証左だと言う外国人もいる。

 

相対的に宗教を否定する者がいなければ、宗教の影響力がそもそも少ないという理屈は最もだろう。

 

わざわざ自分は無神論者だと叫ぶ必要が無いという事は神を熱心に信じている者もまた少ないという事。

 

宗教が生活様式や習俗として広く深く浸透して尚、影響力が政治の世界から遠ざかった日本は世界でも稀な国家と言えるかもしれない。

 

日本の神とは唯一神ではない。

 

日本人の感性は日本神話にある如く、唯一神の救いよりも多神教における共存共栄の形を取る。

 

そんな日本人が大規模なナショナリズムを現代で起こせばどうなるか。

 

想像した者は少数だったかもしれない。

 

二十一世紀も半ばを越えた時代。

 

政治の混迷期に起きた『小さく静かなる戦争』(リトル・サイレント・ウォー)後の日本。

 

マイナーな宗教は少しずつ少しずつ弾圧の対象とされていった。

 

外国人と関わりあっているという理由だけで。

 

少数の信仰が迫害され始める社会。

 

それはつまるところ魔女裁判に他ならない。

 

しかし、その現象が具体的で形式的な形を取るものではなく・・・人々の感情と社会の中で形成されていった嫌悪感として育ったならばどうなるのか。

 

答えはゆっくりと社会の奥底で出始めた。

 

まず最初に影響が出たのは大規模な母集団を抱える新興宗教。

 

信者の数が減り、警察からの圧力が大きくなっていく。

 

相対的に政治面や経済的な発言力は低下し、衰退の道を辿り始める。

 

更に小規模な新興宗教組織の殆どは社会の厳しい目に晒される事になった。

 

先行する新興宗教への懸念材料と嫌悪感が国民に蔓延した時、今まで見逃されていた宗教活動は全て社会的な決議を経ずして、社会のフラストレーションの矛先へと乗せられた。

 

事実としてネットから放流されるようになった新興宗教への情報攻撃は現実世界の水面下で沈殿していたアンチカルト、アンチ新興宗教という新右翼の活動に火を付けてしまった。

 

それまで右翼と名乗ってきた反日活動の殆どを社会そのものが排斥するようになる過程で第二次大戦前には存在した「普通の右翼」が復活し始めたのも大きいだろう。

 

その活動は政治と電子情報上の海で結合していき、最後には新しい右翼政党の成立と左翼バッシングへと大きく傾いていく事となる。

 

ただ、その波の大きさは新興宗教やカルトにだけ及ぶものではなく古来からの宗教にも大きな舵取りを迫った。

 

人々の間で「宗教不審」という現象が起き始め、多くの宗教から人が身を引いていった。

 

弱体化していく宗教組織の拠り所となったのは必然的に日本人そのものではなく移民系外国人や帰化した者達となったが、その選択が更に宗教と日本の社会を乖離させ始めたのは皮肉だろう。

 

帰化外国人や移民労働者を中心層とした宗教組織の再編が社会から外国人が「宗教の乗っ取り」を図っていると捉えられたのだから。

 

古来からの様式が何も変わっていないにも関わらず、社会には日本古来の宗教が新興宗教と変わらないとの偏見が蔓延した。

 

それを後押しするような形で実際に古来からの様式に変更を加えたり、反日的な思想を教え、日本の国家や民族のナショナリズムへと対抗しようとした者も多数に上った為、一概に社会の偏見が嘘だったわけでもない。

 

移民や外国人にこそ受けはいいが、日本社会には白い目で見られる宗教。

 

そんな日本での図式が出来上がったのだ。

 

それを機に完全に日本人だけでの運営へと切り替える古来からの宗派が誕生し、同じ宗教ですら左、右、中道という図式が入り込んだ。

 

「あの日、私は教会を任されて誇らしかった。けれど、本当は・・・」

 

そんな日本の小さな基督教宗派の一つに彼女は籍を置いていた。

 

宗派が運営する小さな教会の管理を彼女は任された。

 

彼女が正式に教会を任された日。

 

彼女の目の前には門の落書きと教会に押し寄せる移民達の姿があった。

 

移民達の憩いの場。

 

社会から見れば危険思想を持った移民達の集会所。

 

カルトかもしれない。

 

警察や公安へ「監視しろ」と民間人からの声が絶えない場所。

 

そんな教会の管理者として彼女は派遣された。

 

後任の彼女に後を託して前任の日本人シスターは即日その教会を後にした。

 

残された彼女に見えたのは日本社会で肩身の狭い思いをした移民の子供や若者達。

 

その目には差別があった。

 

日本人だけではない。

 

日本人とのクォーターや移民ではない外国人労働者。

 

自分よりも良い仕事、良い教育、良い衣食住、その他諸々を妬む視線。

 

「何度もぶつかりました。乱暴されそうになった事は片手の数じゃ足りません。でも」

 

危険を承知でオンボロの教会に彼女は居続けた。

 

腕っ節だけで食べていけそうなくらい逞しかった彼女の傍には少しずつ人が集まっていった。

 

オルガンの音色に拍手をする者。

 

花壇に小さな種を持ってきてくれる者。

 

僅かな食事を差し入れては頭を下げて帰っていく者。

 

彼女の説法にそこは間違いだと指摘する者。

 

長い長い夕暮れで一緒に歌い続ける者。

 

何もかもが彼女には試練だった。

 

人は穢く醜く怖く悲しく寂しく言葉には言い表せないくらい誰かを嫌悪して誰かを傷つけるような生き物だと彼女は知った。

 

それでも彼女は教会に残った。

 

送り込んだはずの本部事務局から心配されるくらい穏やかに彼女は教会を掃除した。

 

埃を被っていたステンドグラスに息を吹きかけては磨いて、床を雑巾掛けで走る日々。

 

そんな日々が続いたのは神様のおかげではない。

 

彼女に少しでもいて欲しいと願い始めた人達がいたからだ。

 

それまで教会で日々を戦い続けようと思っていた彼女はいつの間にかその教会で人生を終えようと思えるようになった。

 

「でも、ある日・・・私に・・・愛していると告白してきた方がいて・・・」

 

「まぁ、それはそれは命知らずね?」

 

「どういう意味でしょう。藤啼」

 

「そのままの意味よ。私は貴女に出来る限りの事を教えたんだもの。乱暴されそうになって普通に過ごせたのは誰のおかげなのかしらね?」

 

彼女に告白した青年はそもそもが彼女を乱暴しようとし張本人だった。

 

それがいつの間にか仕事を見つけてきて、休みには人が違ったように教会を手伝うようになった。

 

同じような男が数人いた。

 

彼らは彼女の体目当てだと正々堂々と彼女に宣言した。

 

彼女はそんな彼らに隙なんかありませんと宣言した。

 

子供達は興味津々に瞳を輝かせ、恋のレースを実況しては彼らに点数を付け始めた。

 

終わりが来るまで続くレースに脱落者は出ない。

 

何処までも何処までもそのレースは続くはずだった。

 

きっと、そのはずだと彼女すら信じていた。

 

「彼は大金と仲間達の働き口を手に入れる手段があると言いました。私はそれを聞き出そうとして、結局何も教えてもらえませんでした」

 

彼らの元に知らせが来たのは数ヵ月後。

 

彼の悲報だった。

 

彼はどうやら大きな工事の最中に事故で死んでしまったらしい。

 

彼らは遺体も無い彼を弔った。

 

それしか彼らと彼女と子供達に出来る事なんてなかった。

 

それから幾分か沈んだ日を過ごして、また誰もが日常へと返っていった。

 

「でも、そんな私の下に手紙が来たんです。今時、便箋に入った手紙でした」

 

彼女は手紙を開けた。

 

それは彼からの手紙だった。

 

何もかもが其処から始まった。

 

そこに記されていたGAMEの内容に彼女は震えた。

 

人の命を使い捨てにした非合法の賭博。

 

警察に駆け込んでも容易には信じてもらえないような内容。

 

どうしようもなく彼女は悩んだ。

 

その手紙をどうするべきか。

 

しかし、そんな彼女の前に使者が現れた。

 

その手紙を渡すようにと。

 

拒絶する彼女に使者は言った。

 

GAMEの主催者であるGIOと呼ばれる企業は世界最高の総合企業複合体に他ならない。

 

手紙一つでどうにかなるような組織ではないと。

 

もしも、その手紙を公表しようと言うのならあなたの大事なものが消え失せるかもしれないと。

 

何とも現実味の無い脅しだった。

 

しかし、彼女は悟っていた。

 

少なくとも自分の周囲を「掃除」するくらいならば、GIOは躊躇しないのだろうと。

 

そんな彼女に使者は言った。

 

GAMEに参加しないかと。

 

もしも、GAMEに勝てたなら貴女と貴女の周りにいる誰もが幸せになれる道を用意する。

 

そんな悪魔の誘惑を彼女は突っ返した。

 

手紙を返して、何もかもを無かった事にする。

 

それが彼女の取れる唯一の道だった。

 

しかし、彼女の道を嘲笑うかのように世界は悪意に満ちていた。

 

ある日から突然、教会へ男達が誰も来なくなった。

 

彼女は何があったのかと知りたくなって新たに彼らが集まる場所へと出向いた。

 

そこで彼女が偶然耳にしたのは・・・テロ計画。

 

移民労働団体に働きかける外国勢力と共に日本を転覆させようと息巻く移民達。

 

その中にはいつも教会に来ている男達や歳若い少年少女すらいた。

 

計画を聞いて逃げ出した彼女は教会に戻って神に聞いた。

 

どうすればいいのかと。

 

どうすれば道を誤ろうとしている人々を助けられるのかと。

 

人の心には善悪がある。

 

人の心には正邪がある。

 

そんな事は当たり前だと理解していたのに。

 

彼女は圧倒的な現実を前にどうしようもなく無力を痛感した。

 

そして、彼女に再び使者は何もかもを見透かして近づいてきた。

 

新たな誘惑はとても彼女には現実的なように思えた。

 

GAME参加の条件は移民達への仕事の斡旋だった。

 

彼女のいた地区を中心に大規模な採用を行ってもいいと使者は言った。

 

口約束で心許無いのであればとテロに加担しようとした男を一人採用しよう。

 

使者の言葉は果たして本当になった。

 

仕事を見つけてからというもの、テロに加担する素振りすらなく、その男は教会に戻ってきた。

 

教会へ再び来るようになった。

 

「現実はそんなものでした。神は移民問題を救わない。いえ、救えない。本当に彼らに必要だったのは神への信仰ではなくて・・・仕事と自分を誇れる社会だった」

 

そう気付いた時、彼女は決意した。

 

悪魔の誘惑に乗った。

 

信仰を説いて回ったところで彼らを止められない事は彼女が一番よく分かっていた。

 

例え、己の信仰を裏切る事になろうともテロリストとして彼らを見捨てることは出来なかった。

 

彼女に使者はGAME参加チームへ入れと言った。

 

それは彼女と同じような宗教関係者達が各々の理由で参加を強いられたチームだった。

 

チームのある者は言った。

 

明日の米に困る孤児院があると。

 

またチームの別の者は言った。

 

途絶え掛けた宗派を再興したいと。

 

そのまた別の者は言った。

 

もうあんな宗教から足を洗いたいのだと。

 

「GAMEが始まった時、私は後悔しました。その悪魔の誘惑が正に地獄への案内だったと本当の意味で気付きました。でも、全ては遅かった」

 

最初のGAMEで重症を負った男は片腕を失った。

 

それを彼女は見ている事しか出来なかった。

 

用意できる装備なんて市販の防犯グッズくらいしかなかった。

 

防刃ジャケット一つで彼女達の月の支出を軽く越えてしまっていた。

 

その結果。

 

彼女達は真の意味で悟った。

 

契約書ですら現実味の無かった本当の地獄を知った。

 

自分たちはGAMEを盛り上げる為の前座。

 

言わば生贄なのだろうと。

 

死にたくないとチームの一人は警察まで逃げ出そうとして空ろな目でチームの下に戻ってきた。

 

自殺を試みようとした者もいた。

 

彼女は思った。

 

自分がどうにかしなければならないと。

 

「・・・これで全てです。藤啼」

 

そうして彼女は己の全ての伝手を使って戦う事を決意した。

 

信仰がどうのこうのと理由を付けて逃げる事を止めた。

 

「もしも、断られるのでしたら・・・それでも構いません。ただ、この話を聞かなかったことにしてください」

 

嘗ての恩師。

 

己の最も敬愛するべき人への懺悔。

 

軽蔑される事も忌避される事も覚悟の上。

 

だからこその告白。

 

彼女は思う。

 

これからどんな顔で自分はその人を見ればいいのだろうかと。

 

「顔をお上げなさい。マヌエル」

 

「は、はい」

 

顔を上げた彼女は柔和な笑みを浮かべる師を見つけた。

 

「立派になったわね」

 

「え・・・」

 

「少し驚いたけれど、貴女は何も昔と変わってないわ。それが分かって私はとても嬉しいの」

 

「あ、あの、藤啼・・・私は!!」

 

そっと彼女の手が握られる。

 

「人生ってね。とても辛いものよ。生きているだけで死にたいと思う事が山のようにあるの。でも、それと同じくらい貴女は誰かを愛した。愛するが故に貴女は罪を受け入れた。汚れる事を厭わなかった。それは誰にでも出来る事じゃないわ」

 

「ふじ・・・なき・・・」

 

彼女の視界は滲む。

 

「無論、悪い事をしてもいいなんて事は無いわ。けれど、どんなに言い繕おうと民族も国家も社会も世界も決して優しいとは言えない。でも、だからこそ、誰かを救いたいと行動する人がいて、少しだけ人々は心を動かされて、自分も誰かに何かをしてあげようと思う。貴女みたいな人がいるからこそ、人はただ罪深いだけじゃない」

 

「で、でも・・・・私・・・私は・・・」

 

「この世界の為に血を流した聖人が二千年前にいたわ。けれど、誰かの為に血を流したのは決して彼だけじゃない。彼は奇跡なんてものが起こせたらしいけど、今も何処かで誰かの為に血を流す人はそうじゃない。貴女のように、貴女以上に、彼よりも苦しい場所で抗う人が大勢いる」

 

そっと彼女の頭が引き寄せられ、抱きしめられた。

 

「私はね。彼の様式ではなく彼の行動、彼の意思こそを重んじるわ。彼は行動した。世界の不平等と無理解、あらゆる悪を前にして立ち向かった。それはその当時今みたいに歓迎される価値観じゃなかったし、その時の公(おおやけ)の正義からすれば噴飯ものの行動だったでしょう。つまり、彼は他の大勢の人から見れば悪人だった。それでも彼は今この時代に語り継がれている」

 

彼女が最も敬愛する人の言葉を心に刻む。

 

「彼は罪を背負って、赦す事と愛する事を貫いて殺された。私達は彼じゃないから奇跡も起こせなければ人を一人救う事もままならないかもしれない。でも、彼よりずっと辛い立場で戦い続ける事はできる。彼よりも罪を背負って、彼よりも過酷に戦い続ける事は出来るの。その生き様を誰かが語ってくれるくらい、誰かの人生に刻まれるような戦い方をしたいと、私は今も思ってる」

 

「戦う・・・?」

 

「人の戦場はそれぞれよ。彼は己の民族と宗教と慣習に立ち向かった。私は私の人生という場所を最後まで戦場とする事を決めたから、こんな非合法のトランクルームをしてる。貴女の戦場は近頃始まったばかり。その中で貴女はきっと多くのものを失って、僅かなものを得るでしょう」

 

彼女を抱きしめていた腕が解かれ、

 

「だから、その手伝いをさせて頂戴」

 

その手に一本の鍵を渡される。

 

「地下の一番端十七番よ」

 

「こ、これ・・・いいのですか藤啼!?」

 

彼女に力強い声が応える。

 

「決して自分の罪から逃げてはダメよ。兵器を持つ意味。人を傷つけ殺すという事。赦されない事を己に課してこそ、逃げ出せない場所で立ち向かってこそ、貴女はそれを持つに値する。覚えておいて」

 

「は、はい!!」

 

扉が開けられる。

 

「お行きなさい。貴女の戦場を生きる為に。戦いが終わったら、今度ゆっくりお茶でもしましょう」

 

彼女は師に頭を深く、深く下げた。

 

そうして走り出す。

 

己の戦場へと向かう為に。

 

信仰を捨てても意志と行動で己の芯を貫く。

 

それは何処か日本人に似ているかもしれない。

 

良くも悪くも宗教の教えや様式に囚われない信仰を持ち。

 

その行動にこそ、その意志にこそ、何かが宿ると信じている。

 

そんな空想主義者(ロマンチスト)で現実主義者(リアリスト)な二律背反の民族に・・・・・・。

 

 

一人。

 

ビルの上。

 

少女は手すりの上に座り、足をブラブラさせていた。

 

シャフ。

 

戦略兵器テラトーマのオーナー。

 

今は二人の人物を監視する任務を課されているだけの存在。

 

そんな彼女は一人己の瞳映る世界をゆっくりと見つめていた。

 

風に乗って彼女の体から放散されるNDの個体群が空を渡っていく。

 

独立した個体群にプログラムされているのは一つの指令。

 

個体群の中に取り込まれたウィルスの人体感染。

 

人間に取り付き、発症の信号を受信するまで待機という到ってシンプルな仕組み。

 

感染経路はもう決まっている。

 

彼女の視線の先には巨大な鉄道網があった。

 

一日に何人使うのかシャフは知らない。

 

が、そんな事を考えなくても彼女のNDは少しずつ少しずつ電車に乗る者達へと浸透伝播していく。

 

対象なる人数は一万人。

 

時間や列車はバラバラにして均等な値でNDをばら撒いていく。

 

「ふふ・・・」

 

シャフは呟く。

 

「もうすぐ」だと。

 

そんな彼女の傍に立つ人影があった。

 

「・・・シャフ」

 

「メリッサ。何か用かしら?」

 

「君のやっている事は無益だと思うけど」

 

「無益?」

 

「少なくともこんな島国でこれだけの規模で力を使うなら承認が必要になるんじゃない?」

 

「そんなの要らないわ。日本滅亡程度は【連中】も許容範囲よ。それにこれは下準備に過ぎないんだから、誰にも文句なんて言わせない。それが【連中】でもターポーリンでも」

 

「今夜のGAMEで中国軍閥が参入する」

 

「だから?」

 

「【連中】がホットラインで連絡してきたよ。ターポーリン先輩じゃなく直接指揮下で動くようにって」

 

初めてシャフが後ろを振り向く。

 

「何でアンタにそんな連絡が来るわけ?」

 

「ターポーリン先輩が新しい任に就いた。だから、監視任務は僕を筆頭にして君を管理する体制に移行されたよ。まだ君に連絡がされてないから僕が直接伝えに来た」

 

「冗談じゃ―――」

 

シャフが拒絶しようとした時、メリッサが口を挟む。

 

「NDのフィードバック情報に関して一時的に干渉できるよう僕の権限は上げられた」

 

「・・・・・・それで」

 

「GAME参加者の内、国外の人間と軍閥の人間を君の力で【爆弾】にして欲しいって要望が来てる」

 

「ついでにアンタもそうしてあげましょうか?」

 

嗤うシャフにメリッサが僅かに顔を背けた。

 

「・・・シャフ・・・君は随分と変わった・・・」

 

「どうしたのよ? いつもみたいに「ですます」ってターポーリンに言ってるみたいに話したら?」

 

昔と違うのは何も自分だけじゃないだろうと皮肉られたメリッサがシャフを見つめる。

 

「少なくとも僕は先輩を敬ってるから。でも、君は違う」

 

「・・・今もソラお姉ちゃんのおっぱいが忘れられないから監視任務なんてずっと引き受けてる奴に言われたくないわね」

 

クスクスと嗤うシャフに対してメリッサは何も言い返さなかった。

 

「今日のGAME後に連絡を。それで今後の対応はターポーリン先輩と僕で決める事になると思う」

 

「ああ、そう。勝手にして」

 

メリッサがシャフの隣まで来るといつもの如く飛び降りようとして――――――僅か嗤う少女の方を向いた。

 

「僕が好きだったのは【ソラ】といつも仲良くしてくれてた【シャフお姉ちゃん】・・・そんな・・・二人だった・・・」

 

シャフが何かを言う前にメリッサがビルから飛び降りる。

 

その姿はすぐビルの下へと消えていく。

 

残されたシャフは一人空を見上げる。

 

「・・・何よ・・・やっぱり昔と全然変わってないじゃない・・・空が飛びたい症候群・・・治ってから生意気な口利きなさいよ・・・」

 

それからNDでのウィルス撒布を止めたシャフは二人の監視対象がいるアパートへと向かった。

 

第二GAMEが始まるまで数時間の猶予が残されていた。

 

しかし、それよりも先に新たな事件が発生する事になる。

 

未だ事件に巻き込まれるとも知らず、シャフは過去を顧みて、嗤った。

 

「もう戻れやしないわよ・・・・・・」

 

あの日、あの時、あの場所で、三人で遊んだ、あの空はそこにない。

 

「・・・馬鹿・・・」

 

寂しさ。

 

そんなものが自分の中に未だあると自覚しないまま。

 

少女は一人そう呟いた。

 




過去の客は今や敵。
嘗ての敵は今の友。
密やかに関係は崩れ。
露見する事もない。
第二十九話「嵐前の静寂にて」
秘された封が切れるのを待っている。
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